スタッフブログ
外国語の格納庫
- 2010年9月18日 07:50
- M.N氏の岡目八目
娘の友人が英国男性と結婚して、今英国に在住している。
友人からのメールを披露してくれた。
昨年小学校に入った男の子がいるが、学校の放課後にある
フランス語のクラブに入って、フランス語を習いだしたという。
母が日本人だから日本語はできる。家に帰ってひとつの言葉を、
英語ではこう言い、フランス語ではこう言い、日本語ではこう言う。
と話をするそうだ。「小さい子は外国語がすぐに頭に入るようで
驚いています」とのことだ。
幼少から2カ国語を話す人は、脳の言語中枢では
それぞれの言語が違った場所で理解されるそうだ。
日本語しか話せない人は、日本語も英語も同じ場所で
聞き取っているそうだ。
男の子の頭の中では、日本語の場所、英語の場所、
フランス語の場所と、それぞれの格納庫ができているのだろう。
外国語がうまくなるためには、幼少のころにこの場所を
確保することが重要らしい。
飛躍するようだが、漢字を覚えることはどうなのかと考えた。
漢語は日本語になっているが、もともとは外国語だ。
日本人が多くの漢字・漢語を使えるのは違う格納庫を持っているから
ではないか。
これを漢字教育に当てはめると、低学年から漢字を教えることは
効果的かもしれない。小学校低学年ぐらいから、
多少難しい漢字でも教えてみるのも効果的かもしれない。
孫が、小学校2年生だが英語の話をしたら、
学校で教えないのだから、家で勉強する必要はないと無頓着だ。
先生の言うことはよく聞いているようだから、
まぁいいかと諦めた。
トンボ
- 2010年9月13日 18:53
- M.N氏の岡目八目
澄んだ空を悠々と飛ぶトンボを見ると秋を実感する。
害虫を食べるトンボは縁起のよい虫として大切にされ、
豊作の象徴だった。
日本で最も大きいトンボは鮮やかな緑色の複眼を持つ
オニヤンマ。近年、見かける機会がめっきり減ったが、
長い羽を広げ、悠然と飛ぶ姿は「王者」の風格が漂う。
オニヤンマの名前は、鬼のふんどし模様に由来するという。
鬼は鬼門と呼ばれる北東の方角から出入りするといわれた。
北東は十二支で「丑寅(うしとら)」。
そこから牛(丑)のように2本の角を持ち、虎(寅)のような
黒と黄色のしま模様のふんどしをする鬼のイメージがつくられた。
鬼のふんどしに似た模様をしているトンボが、
オニヤンマというわけだ。
トンボは、前進するが、後退しない性質から
勇猛果敢を身上とする武士に好まれ「勝ち虫」といわれた。
トンボは不退転の固い決意のシンボルとして家紋や
武具にあしらう戦国武士も少なくなかった。
トンボの古名は蜻蛉(かげろう)。蜻蛉は産卵を終えると
数時間で死ぬことから、はかないもののたとえに使われる。
前政権まで「短命」な首相が続いた。
次のリーダーが蜻蛉でないことを願う。
国民が困る。
銭湯
- 2010年9月12日 17:08
- M.N氏の岡目八目
学生時代は風呂なしのアパートに住んでいたので、銭湯通いだった。
大学近くにも銭湯があり、夏の暑い日の夕方、
一風呂浴びてからサークル室などで飲むビールは極上で、
銭湯は生活の一部になっていた。
以後、銭湯とは無縁だったが、自宅のガス給湯器が故障して
風呂に入れず、3日間電車でスーパー銭湯に通った。
普段はカラスの行水だが、のんびりと、極楽気分を味わった。
スーパーの冠がつくだけで、銭湯は昔と趣が異なる。
ジェットバスやサウナ、露天風呂は当たり前だ。
横になって寝そべる湯、深く立ったままの湯、一人だけの湯など、
まるで浴槽の遊園地みたいだ。
風呂上りにはゲームコーナー、マッサージルーム、レストランなどで
楽しめる。家族の手軽なレジャーランドといったところか。
アパートは風呂付きが普及、歩いて通う銭湯は失われつつあり、
車で行く銭湯に移行した。学生時代と同じなのは、
フルーツ牛乳の販売だけだった。
情報交換の場といった銭湯文化は薄れ、富士山の絵もないが、
銭湯が憩いの場であることは変わらない。
思う存分、身体を伸ばせる浴槽は魅力的だ。
(M.N)
元横綱初代若乃花
- 2010年9月 9日 11:00
- M.N氏の岡目八目
戦後、復興から高度成長へと走り始めたころ、
数少ない娯楽の中で大人から子どもまで熱中したのは、
プロ野球と大相撲ではなかったか。
右肩上がりの時代を突き進む人々にとって、
ひいきのチームや力士の活躍は明日への活力であり、
希望の光だったように思う。
幼少の身には、すぐ勝負がつく大相撲の方が分かりやすく
なじみやすかった。
人気力士のメンコで時間の経つのも忘れて遊んだ。
当時は小学生の低学年から中学年、栃若時代の
真っただ中だった。
その後の柏鵬時代ほど記憶は鮮明ではないが、
”マムシ”と異名をとった、しぶとい栃錦と、”土俵の鬼”
若乃花が抜きんでて強かったことは覚えている。
若乃花は最高でも110キロ足らずの軽量だったが、
投げられて背中が土にまみれたことは聞いたことがなかった。
足が土に吸い付いている。俵に足が掛かれば、
根が生えたようにもう動かない。目が肥えたフアンや関係者は、
それを「かかとに目がある」と言った。
若乃花の強さを象徴する言葉だろう。
その元横綱初代若乃花の花田勝治さんが亡くなった。
82歳だった。港湾労働で一家を支え、角界入り後、
並外れた猛げいこに明け暮れた元横綱は引退後も、
厳しい指導で花形力士を育てた。
賭博にうつつをぬかした力士たちは”土俵の鬼”との別れに、
心からの反省と再出発を誓って国民を喜ばしてほしい。
(M.N)
故郷
- 2010年9月 6日 10:01
- M.N氏の岡目八目
先週、久しぶりに実家の墓参りをした。
父母の墓前で無沙汰(ぶさた)をわびながら、ふと横を見ると、
知人の家の墓が消えている。
遠方に住む家族が自宅近くの墓地に移したらしい。
近ごろは骨や墓を移す「改葬」や寺に永代供養を依頼する人が
増えているらしい。墓参りの代行サービスもあるそうだ。
以前は帰省の家族でにぎわった実家周辺がひっそりしていた。
途中、大分県臼杵(うすき)市にある「臼杵石仏」を訪ねてみた。
天然の岸壁に彫刻した磨崖仏(まがいぶつ)としては1995年、
全国初の国宝に指定された名所だ。その数59体。
巨大な石仏が並ぶ荘厳さに、ただただ圧倒された。
その中の一つ、高さ3メートル近い大日如来坐像の近くにある
立て看板を見てハッとした。
縁結びや合格祈願などと並んで、「リストラ除(よ)け」の文字だ。
ガイドの説明はこうだった。
石仏の頭部が長い間地上に落ちていたのを、1993年に修復して
「首がつながった」。それにあやかったとのことだ。
ちょうどバブル経済がはじけた後のことだ。
なるほど、と思いながらも複雑な思いに駆けられる。
一昨年の12月初めに大企業が人員削減を発表した。
懸命に石仏に手を合わせた方々の姿が目に浮かぶ。
臼杵石仏は平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫像されたという。
何百年も世の動きを見つめてきた石仏の目には、
現代人の所業がどんなふうに映っているのだろうか。
(M.N)
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