スタッフブログ
世界ゴルフ殿堂
- 2010年10月12日 17:27
- M.N氏の岡目八目
プロゴルフ界のいまや”;御大”と言うべき尾崎将司選手の
世界ゴルフ殿堂入りが先に決定した。
1970年のプロ入りから40年。ジャンボの愛称で
ゴルフというスポーツを日本に定着させた最大の功労者に
あらためて光が当てられた。
遅ればせながらーというのがぴったりの感がする。
日本選手としては、2003年の樋口久子さん、
04年の青木功さん、05年の岡本綾子さんに次ぐ栄誉だが、
国内ツアー94勝、海外1勝を含むプロ通算113勝、
生涯獲得賞金26億8000万円余は他をまったく寄せ付けない
ずばぬけた成績だ。
坂田ジュニアゴルフ塾で知られる坂田信弘さんが語ったことがある。
「尾崎ほど己のゴルフに頑固な男はいない。海外に挑戦するのは
マスターズと全米オープンのみで、それも日本のゲームの組み立て方を
変えなかった。常にドライバーを持ちコースに向かって
大上段に構えていったのだ」
ゴルフは2016年のリオデジャネイロ五輪で正式種目に採用された。
世界各地に活躍する選手がいなければ決して五輪種目にならなかった。
日本にこだわり、日本を愛した選手がいたからこそ
日本にゴルフが定着した。ゴルフ殿堂がそういう尾崎選手を
評価してくれたことがうれしい。
(M.N)
スポーツの秋
- 2010年10月 6日 17:57
- M.N氏の岡目八目
気持ちに体がついていかない。
キャッチボールでボールをとろうと身を乗り出せば足がもつれる。
年齢とともにわが身がもどかしく、運動するのもおっくうになる。
それに引き換え、クルム伊達公子さんはどういうことか。
引き合いに出すには恐れ多いが、先日の女子テニス国際大会での
機敏な動きには目を見張った。40歳の誕生日に
世界ランキングで格上の若い選手と堂々の戦いぶり。
前回の優勝者ら2人も下している。
26歳でプロを引退し、11年の空白期間をおいて37歳で復帰した。
日本選手で初めてトップ10に入った実力とはいえ、
伊達さんが活躍したのは1990年代前半。
いまは力とスピードの時代に変わっている。
追いつくには並外れた精神力と努力が要ったろう。
テニスは若さだけではない。かっては勝つことだけに
没頭したけれど、いまは相手の精神面や技術を分析しながら
楽しんで試合ができるようになったといわれる。
伊達さんは20代との違いを、こう自著に記されている。
今度の対戦でも緩急を交えて相手を惑わせる技が光った。
復帰は「テニスが好き」という自分の気持ちに
正直になれたから、といわれる。周囲の目を気にして
ためらっていたのを、ドイツ人のご主人が押し出している。
伊達さんからは、人それぞれに年相応の
チャレンジの仕方があると教えられ、勇気づけられた。
プールで週1回体を鍛えているが、
年齢や体力を言い訳にせずに体を動かすとしよう。
いい時節の到来である。
(M.N)
国勢調査
- 2010年10月 4日 20:40
- M.N氏の岡目八目
10月最初の週末は、黒鉛筆片手に
国勢調査の調査票と向き合った。
住宅の面積や、仕事の詳しい内容まで記入しなくてはならず、
戸惑いもあった。しかし5年に1度の国勢調査は、
日本に住むすべての人が対象となり、報告を拒んだり虚偽の報告を
した場合の罰則も定められている。
20の調査項目は、政治・行政を始め、
あらゆる社会経済の分析に利用される。
調査員は平成17年のときで約83万人、
調査票の枚数は約7700万枚、重ねると
富士山の約3倍にも達するという。
それほど大掛かりな調査だ。
19回目の今回の1番の特徴は
「日本が本格的な人口減少社会となって初めての調査」
という点にある。
この人口転換期の調査は、今後の社会の持続発展に
欠かせないデータを生む。
それは私たちの生活に必ず結びついてくる要素でもある。
そこを意識し、報告は義務と心得、望みたいと思います。
ジェクト株式会社の社長が、調査員になっていられると聞く。
お忙しいのに日本国のため尽力されているのに敬服したい。
(M.N)
岸和田だんじり祭り
- 2010年9月26日 10:22
- M.N氏の岡目八目
9月18日・19日岸和田の町中に、威勢あるかけ声と共に
だんじりが駆け巡りました。
約300年の歴史と伝統を誇る勇壮な祭り「岸和田だんじり」は、
元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主
岡部長泰(おかべながやす)公が、
京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米、麦、豆、あわ、
ひえなどの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、
行った稲荷祭りがその始まりと伝えられる。
山車や屋台を華とする全国各地の祭りにおいて、
その山車、屋台が曲がり角で方向転換する様は大きな見所です。
例えば京都の祇園祭の鉾(ほこ)は
車輪の下に割った竹を敷いて滑らせる「辻まわし」や、
飛騨高山祭りの山車は「戻し車」という第五番目の車輪を使い、
変則の三輪となり角を曲がる方法などがあるが、
岸和田のだんじりは他と違い、
「やりまわし」という独特の曲がり方で、
勢いよく走りながら直角に向きを換える。
言葉では簡単ですが、重さ4トンを超えるだんじりを
走りながら操作するのは容易ではありません。
祭りの間、だんじりは決まった曳行路(えいこうろ)を
何周も何周も駆け回り、曲がり角ごとに、「やりまわし」を行う。
その圧力とスピードは日本各地のどこを探しても、
岸和田のだんじり祭りを上回るものは見たことがない。
だんじりを持つすべての町では、仲間意識が非常に高く、
絆が強いのです。子供からお年寄りまで各年齢層ごとに
役割が決められ、普段は岸和田を離れて暮らす人達も、
この時期には必ず帰郷し、それぞれの役割を分担して祭りに参加する。
このように幅広い世代の人達が集まり
岸和田だんじり祭りを盛り上げます。
見る人も魅了する祭りです。
先日、テレビニュースで放映され、14・5年前に岸和田を訪問し、
だんじり祭りを見物し興奮、感動した日を思い出しました。
祭りはいいなぁ。
(M.N)
東近江市
- 2010年9月24日 17:52
- M.N氏の岡目八目
京都の友人から「久しぶりに会わないか」という便りが来た。
大学時代に毎日のように会い、就職後も定期的に集まっていた。
友人の転勤で会わなくなったが、お互いに古希も過ぎ
多少は時間も出来たし、寺回りというほど、高尚な趣味はお互いにないが、
石塔寺(いしどうじ)(東近江市)を訪ねた。
長い石段を登りきると、晩夏の静寂の中、威容が目に入った。
日本最古という石造三重塔は7メートル超の高さよりも、
なまめいた曲線が時の流れを語りかけた存在感に圧倒された。
釈迦入滅後、阿育大王(あしょかだいおう)が
仏法の興隆を願い仏舎利を治めて三千世界にまいた
塔婆(とうば)の一つと伝えられている。
朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)の後、
蒲生野に移住した700人余の百済(くだら)人が
築造につながるとの説もある。
近江の歴史は奥深い。随筆家の白州正子さん(1998年没)は
その魅力にとりつかれたそうだ。
平城、平安京以前の伝承が残る近江を、「日本の楽屋裏」と評し、
何度も足を運ばれたようだ。
石塔寺などの名所にとどまらず、木地師発祥の鈴鹿山脈の谷間から
湖北、湖西の山里まで深く深く分け入った。
峠の道端で見かけた名も知らぬ石仏さえも、
ふっくらとした彫が美しいと楽しんだ。
能への造詣が深く、若くして日本の古典文学に親しんだ感性が、
近江と共鳴したのだろう。
滋賀県の国宝・重要文化財(建造物、美術工芸品)は807件。
東京、京都、奈良に次いで全国4位。
近江路を歩けば、歴史との出合いがある。
白州正子生誕100年特別展が10月中旬から
滋賀県立近代美術館(大津市)で始まるとのこと。
近江の魅力を白州さんの案内で味わいたいのだが、
隣をうかがうと「そうは行きませんよ」という顔で
妻がテレビを見ている。
(M.N)
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