スタッフブログ
薮入り
- 2011年1月17日 10:33
- M.N氏の岡目八目
古典落語の「藪(やぶ)入り」に出てくる熊さんは、
奉公に出した息子が3年ぶりに帰ってくることが
うれしくてたまらない。あれこれ考えて寝れずに朝を迎えた。
すっかり成長した姿を目にした熊さんは、
びっくりするやら感極まるやら。その息子の財布に大金が
入っているのを見つけ問い詰めるとネズミを捕まえた褒美や
捕まえたネズミの懸賞での賞金ということだった。
預けていた店の旦那から「里の親に渡してこい」と言われて返され、
持参したとの話。感激した熊さんが「これからもご主人を大切にしなよ。
これもやっぱり忠(チュウー)のお陰(かげ)」と言うオチがつく。
江戸時代、商家の奉公人は初めの3年は里帰りを許されなかった。
それが過ぎると1月と7月の16日の年2回は休みを得て
実家に帰ることができた。この休日を「薮入り」といった。
語源は諸説あり、定かではない。
子が社会人になっても親が面倒を見続けるケースが多々ある
現代とは違い、その当時の庶民の子は幼さが残るうちから
世の荒波にこぎ出さなければならなかった。
いやがおうにも成長せざるを得なかったわけだ。
落語では、とんちんかんながらも子への愛情にあふれる父親を中心に、
それを暖かく見守る女房、立派に育った息子の真情が語られる。
もしや今よりいい時代だったのかもしれない、と「薮入り」の日に思う。
(M.N)
成人の日
- 2011年1月10日 15:47
- M.N氏の岡目八目
平安末期、栄華を極める平家の滅亡を夢見て
ひたすら剣術の稽古に励む少年が京の鞍馬にいた。
遮那王(しゃなおう)といい幼いころは牛若丸、
後に源義経を名乗った。
奥州に向かう稚児姿の遮那王は追っ手を察知、
烏帽子(えぼし)を着けた大人の東男に身をやつす
ために急遽(きゅうきょ)、前髪を切って元服することにした。
近江国・鏡の宿で自ら元服式を行い、家門再興と武運長久を
祈った。(滋賀県竜王町観光協会案内)
源氏の総領家に生まれながら、不遇な幼少期を送った義経だ。
元服を後見する2人の烏帽子親はおらず、太刀と、脇差しを
それに見立てた。このとき16歳。
大人になる道は死と隣り合わせで、さぞ険しかったろう。
現代の成人式の原型は男性に兵役が課された明治時代にあり、
徴兵検査が大人への入り口だった。
戦後、国民の祝日として1月15日と法律で定められた。
2000年からは1月の第2月曜となったので
今年は明日10日が成人の日だ。
けなげにもひとりで元服の儀式を終えた義経は、
平家を次々と打ち破るたくましい武士となった。
決してたやすくはない現世に大人になる若者たちも、
強い意志を持って自らの道を切り開いていってほしいと願いたい。
(M.N)
血沸き肉踊る
- 2011年1月 7日 20:18
- M.N氏の岡目八目
正月は箱根駅伝をテレビで観戦するのが恒例行事になっているが、
今年も選手の快走に拍手を送り、順位が入れ替わるたびに一喜一憂した。
1920年に始まった箱根駅伝は、今年で87回を迎えた。
往路と復路の計10区間、200キロを越す起伏に富んだコースが生む
筋書きのないドラマが、長く人々を引きつけてきた。
駅伝の醍醐味は、一本のたすきに熱い思いを込め、
懸命に受け継いでいくことにある。
「天の時は地の利にしかず、地の利は和にしかず」の精神だ。
そのために厳しい練習を重ね、全員の心を一つにする。
それにしても往復路10区を10人の選手が継走する駅伝というスポーツは、
孤独と重圧に耐えながらひたすら走り続けることを要求され、
しかも行く手に何が起こるか分からないという点で、
これほど辛く苦しい競技はあるまい。
不測の事態が起きて不調に終わった選手の思いがどんなものか、
まったく気の毒としかいいようがない。
今年は早大が18年ぶり13度目の総合優勝を果たした。
昨秋の出雲全日本選抜と全日本に続き、大学駅伝3冠に輝いた。
箱根3連覇を目指して激しく追い上げた東洋大とのデッドヒートが、
沿道を沸かせた。
シード権を賭けた4校の10位争いが復路に華を添えた。
コースを間違えた国学院大の選手が、それでもダッシュして
みごとシードを手にしたのはあっぱれという他はない。
(M.N)
金のなる木
- 2011年1月 4日 15:00
- M.N氏の岡目八目
江戸幕府を開いた徳川家康がある時、家臣に向かって
「金のなる木を知っておるか。知らぬなら教えてやろう」と言い、
しょうじ木(正直)、じひふか木(慈悲深き)、よろずほどよ木
(よろず程よき)の三つを示した。
さらに家康は家臣らに「ほかにもあるはずだ」と問い、
いさぎよ木(潔き)、しんぼうつよ木(辛抱強き)、ゆだんな木(油断なき)、
ようじょうよ木(養生良き)、あさお木(朝起き)などを挙げさせて、
三つの木の左右の枝として描いた。
言葉遊びのたぐいではあるが、いずれも人として
身に付けておきたい資質や健康の大切さなどを教えるものばかりだ。
家康は、金のなる木は人の心の中にあるとして常日ごろから
こうした事柄を守り、心掛けている人には自然と声望が集まり、
運気も呼び込んで「必ず富貴を得られよう」と言った。
現代の若者はキレやすく、仕事が長続きしないなど、
感情のコントロールや忍耐が足りないと指摘されることが多い。
心の中の「しんぼうつよ木」が十分育っていないからかもしれない。
また、振込み詐欺など言葉巧みに人をだます犯罪が後を絶たないのは、
世の中から「しょうじ木」が減り、「よくふか木(欲深き)」が増えているから
であろう。われわれも「ゆだんな木」を心掛けておかねばならない。
新しい年を迎えた。家康の言葉を借りれば、
今年こそ「よろずほどよ木」1年にしたいものだ。
(M.N)
ウサギ
- 2010年12月28日 13:14
- M.N氏の岡目八目
来年の干支「兎」に関して、友人との会話から
「兎の語の付く慣用句や格言などに、プラスイメージ
のものが少ない」。あらためて調べてみた。
イソップ物語の「ウサギとカメ」は、ウサギの慢心と油断がカメの
地道な努力に負ける話だし、「兎小屋」の比ゆはご存知の通りだ。
また「兎の糞」は、ウサギの糞がコロコロしてつながっていない
ことから「物事が分断してはかどらない」たとえだ。
出雲神話の「因幡の白兎」に由来する「兎兵法」は
生兵法と同じ意味だ。
とはいえ、いいものがないわけではない。「兎の登り坂」は、
ウサギは後ろ足が長く坂道を登るのが巧みなことから
「持ち前の力を発揮し、順調に物事が進む」ことを指します。
また日本人の心の歌「故郷」の歌い出しは「兎追いし・・・」だ。
そして何より「ぴょんぴょん」跳びはねる姿は、飛躍をイメージさせる。
経済的にも精神的にも少々元気のない日本だが、なあに心配ご無用。
時代が少し変われば、また国民的な熱気がふつふつと
たぎってくるはずだ。いや、兎年の来年は、
きっと飛躍の年になると信じています。
本年の『岡目八目』ご愛読有難うございました。
ジェクト社長、各位のご協力とお力添えに感謝します。
来年は、角度を広げながら日々の流れをお伝えしたいと思っています。
皆様方が、ご健勝で良いお年をお迎え下さいますことを祈願します。
(M.N)
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