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エジプトの政情不安

30年前、エジプトの大統領が暗殺されたニュースに
驚いた記憶がある。米国の仲介で敵対するユダヤ人国家の
イスラエルとの和平に合意、ノーベル平和賞も受けた
サダト大統領は1981年10月、軍事パレードを観閲していたさなかに、
反発を強めていた勢力の銃弾に倒れた。

当時、副大統領だったムバラク現大統領がその跡を継いだ。
以後、この国では政権トップが代わることなく同大統領が
その座に居続けてきた。今回の反政府デモの報道に接して、
そのことをあらためて思い起こした。

巧みな外交と経済復興の裏で、赤ん坊が30歳の大人になるまでの
長い年月にわたり強権体制が敷かれてきた。打倒を求めて
大規模なデモが繰り返され、そのデモ隊と大統領支持派が衝突し、
多数の死傷者が出る事態ともなった。

「中東の大国」で先進国との関係も良好なエジプトの
政情不安が続けば、他の国にも深刻な影響を及ぼしかねない。
現に原油価格の上昇傾向がこの騒乱で加速し、米国の先物相場では
2年ぶりの高値を付けた。

国民同士が血を流して争うような不幸はどのような事情があるにせよ
終わりにしなければならない。イスラエルとの間で
歴史的な平和条約締結を果たした国だけに、国内安定への道筋は
きっと描けるはずと思うのだが。

(M.N)

批判と評価

JR両国駅からほど近い旧本所松坂町、
現在の墨田区両国3丁目に白いなまこ壁に囲まれた
「吉良邸跡」がある。赤穂の四十七士が
討ち入りを果たしたところだ。

かっては約8400平方メートルもある広大な屋敷だったが、
いまは約98平方メートルしかない。
邸内には苔(た)むした「吉良の首洗い井戸」があり、
歴史を感じさせる。

吉良上野介といえば、忠臣蔵ではすっかり悪役とされたが、
邸内にあった資料によると、領地三河の吉良(愛知県吉良町)では
評判よく、人々が「吉良様」と呼んで敬う善政の殿様だったという。
領地に滞在しているときは赤い馬に乗って巡回し、
「吉良の赤馬」は、名君と共にその名を残す。

吉良の殿様でなくとも人の評価はつくづく難しい。
ある意味で評価と批判は表裏一体。
批判を受けるのは権力者の常であり、
どちらが正しいとも言い難い。

その点は、現在の政府も同じ。批判を恐れては何もできないし、
批判に謙虚でなければ国民にそっぽを向かれてしまう。

経済の建て直しや雇用の拡大、税と年金など課題が
待ったなしの状況の中で、内閣は歴史にどのような評価を残すのか。
いよいよ真価を問われる正念場を迎えた。

(M.N)

母の手紙

野口秀世(1876~1928年)の母シカが
米国の研究所にいる息子英世に書き送った手紙。
魂を揺さぶられるような文字で綴られている。

福島県・猪苗代湖の近く、生家に隣接して立つ
「野口英世記念館」に展示されるその手紙。
1度読んだぐらいではとても判読できない仮名ばかりの手紙。
まるで文字を覚えたての幼児が書いたようなたどたどしさ。
句読点のルールも完全に無視されている。

「おまイの。しせにわ。みなたまけました。はるになるト。
みなほかいドに。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドかはやく。きてくだされ。はやくきてくたされ。いしよのたのみて。
ありまする(中略)」

お前の出世にはみんな驚いている。春になるとみんな北海道に
行ってしまう。私も心細い。どうか早く帰ってくれないか。
早く帰ってきてくれ。一生の頼みだー。結びは
「いつくるトおせて(教えて)くたされ。これのへんちち(返事を)
まちておりまする」

異国で研究に励むわが子の成功を喜び、一度でいいから
その帰りを待ちわびる母の愛情がにじみ出ている。
英世を思うシカの愛の深さ。すごみさえ感じられる名文といえようが、
精いっぱいに覚えたであろうその文字にも目頭が熱くなる。

シカは自分の不注意で幼いわが子に一生消えないやけどを
負わせたーと自分を責め、食うものも食わないような極貧の中で
息子の学費を工面したという。それに応えて英世は、上京する時に
「志を得ざれば、再び此の地を踏まず」という決意を柱に刻んだ。

この母にしてこの子あり。今、、まさに受験シーズン。
時代はさかのぼるが、こんな母子の姿を思えば、
ぐっと力も出てこようというものだ。あと一息、がんばれ!

(M.N)

節分

きょうは節分。今晩はあちこちの家から「福は内、鬼は外」
の声が聞かれることだろう。節分にはいり豆をまき、
自分の年だけ食べると、一年間病気にならないといわれる。

一般的な豆まきのの口上は「福は内、鬼は外」だが、
そうとは言わない所も数多くある。たとえば、
鬼が投げた石でできた町と言われている群馬県鬼石町では
鬼は守り神。このため、「福は内、鬼は内」と言うそうで、
全国の家々から追い出された鬼のために、
「鬼さん、いらっしゃい」とばかり、イベントを行うというから面白い。

このほか、「恐れ入谷の鬼子母神」でおなじみ東京都台東区の
鬼子母神では、「福は内、悪魔外」で「鬼は外」とは言わないそうだ。
家庭によっては豆ではなく、落花生やチョコレート、キャンデーを
まくところもあると聞く。

風習は時代とともに変わってきたが、ここ数年で、
全国に広がったのが「丸かぶり」だ。節分にその年の神様が
やってくる方向「恵方(えほう)」を向きながら、
巻きずしを切らずに丸のまま食べる変わった風習のこと。
そうすると、一年の願いがかなうという。

発祥地は関西。だからか、巻きずしは「太巻き」。
節分の夜に家族そろって恵方を向き、願い事を念じながら
無言で巻きずしにかぶりつくものらしい。

巻きずしは、商売繁盛や家内安全などの「福を巻き込む」から、
切らないのは「縁を切らぬ」ためだそうだ。
ちなみに、今年の恵方は南南東の方角という。

(M.N)


サッカー・アジア杯

「悲劇」の地を「歓喜」の地に半ば変えた。
サッカーファンが悲劇の舞台として語ってきた中東カタールの
首都ドーハが、歓喜の舞台として語られようとしている。

1993年のドーハでの対イラク戦で、日本は終了間際に追いつかれ、
引き分けた。ワールドカップ(W杯)米国大会のアジア最終予選でのことだ。
勝っていればW杯初出場が決まっていた。「ドーハの悲劇」と呼ばれる。

そのドーハでは今、アジア王者を決めるアジア杯が行われている。
勝ち進んだ日本は準決勝で韓国に勝った。最後までドキドキした。
韓国には5年半も勝っていなかった。深夜の中継にも
かかわらずテレビの平均視聴率は35%もあったそうだ。

あらためて振り返ると、日韓戦では悔しい思いばかりをさせられてきた。
力は少なくとも互角のはずと専門家は言うのに、終わってみれば
笑顔はいつも韓国の側にあった。気持ちで負けていたような
ところも感じられた。

昨年のW杯でベスト16に進出して一皮むけたようだ。
若い選手が出てきた。気持ちが強くなった。絶望的な状況でもめげない。
今大会でも、反則退場で1人少ないうえに1点負けている試合を
ひっくり返したことがあった。

半ば、が取れるか否かは決勝戦にかかっている。
オーストラリアも手ごわい。選手がエネルギーを使い果たしていなければ
いいのだが・・・。そう思わせるくらいに力の入った韓国戦だった。

(M.N)

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