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スタッフブログ

三陸海岸大津波の恐ろしさ

書店の目立つところに置かれた本の一つに、
作家吉村昭さん(2006年死去)の「三陸海岸大津波」
(文春文庫)がある。1970年に発表され、04年に
文庫化されている。

旅した三陸で昔の津波の話を聞いたのがきっかけで、
何度も訪ねて書いた。三陸は明治と昭和に巨大な津波に
襲われている。明治29年のことは古老から話が聞けた。
昭和8年の体験を話す人は数多くいた。

どちらも三陸沖を震源とする大地震に起因する。
明治29年は犠牲者が2万人を超えた。狭く入り組んだ
リアス式海岸の奥に進むにつれてせり上がる津波の到達高度は
40-50メートルに達したという。

「呆(あき)れるほど堅牢(けんろう)」そうに立つコンクリートの
防潮堤を見たとき、吉村さんは最初は大げさすぎると思った。
繰り返し取材で訪ねるうちに別の思いがわく。「海の恐ろしさに
背筋の凍りつく」のを感じるようになった。

昭和8年の史料には小学生の作文集も含まれる。
肉親や友だちらとの死別が胸を打つ。吉村さんは、40代になっていた
かっての少年少女からも取材している。今は80代になっている
その人たちは、平成の大津波をどこでどう体験されたのだろうか。

三陸の歴史は津波との闘いの歴史でもある。闘いを象徴する
各地の防波堤が破壊し尽くされたさまを、泉下で吉村さんは
どう見られただろう。交流を深められた岩手県田野畑村につくられた
「吉村文庫」の蔵書も残念だが、すべて津波にさらわれたそうだ。

(M.N)

東京スカイツリー

パリのエッフェル塔が完成した翌年、東京に
「浅草のエッフェル塔」と呼ばれる建物ができた。
レンガ造り12階建ての凌雲閣である。
高さは本家の6分の1程度だったが、眺めの良さから
大勢の人が詰めかけたそうだ。

凌雲閣から見て隅田川の向こう側では、まさに
雲を見下ろすような東京スカイツリーが建設中だ。
こちらの高さ634メートルはエッフェル塔の2倍、
自立式電波塔として文句なしの世界一を誇る。

先日、来年5月22日の開業と入場料が発表された。
高さ450メートルの第2展望台で大人3000円という
高額料金に驚いた人は多かったのではないか。
「結構するなあ」と思いつつ一度は破格の眺めを体験したい、
と心は揺れ動く。

前評判は高く、運営会社は開業から1カ月半は完全予約制を
敷くそうだ。ただ「一度は見たい」は「一度見たら気が済む」
につながる。強気の料金が後々どう影響するか。

凌雲閣は国内初のエレベーターなど眺望以外でも
集客に努めたが、後年訪れる人が減った。
地震で揺れる度に建物の安全性への信頼が揺らいだのも一因らしい。
ついに関東大震災で上部が崩れ、後に解体される。

東日本大震災と原発事故で「高品質・安全安心」の日本ブランドは
大きく傷ついた。技術の粋を集め、大震災による被害も受けなかった
というスカイツリーは失った信用を取り戻す第一歩になる。
やはり一度は登ってみたい。

(M.N)

防災教育

今年3月に発行された小学校の道徳資料集に、こんな言葉を見つけた。
「並ぶことはみんなが生きること」。阪神大震災でのエピソードを基に、
人々が助け合うことの大切さを学ぶ教材になっている。

内容はこうだ。阪神大震災の被害地に、心待ちにしていた給水車が来た。
人々が我先にと殺到した。しかし、しばらくすると一本の長い行列が
自然にできた。後から来た人は黙って列の最後に並んだという。
まさに東日本大震災の被害地で見られた光景だ。

過去の災害を教訓にした防災教育の大切さは以前から強調されてきた。
子どもへの防災教育はますます必要性が高まるだろう。
日ごろから身近な危険箇所を確認したり、被害を少なくする
技術的な知識はもちろん大切だ。だが冒頭の教材が示すように、
人と人とのつながりも強力な防災力になる。

今回の大震災で私たちは自然の圧倒的な脅威を見せ付けられた。
と同時に、過酷な状況下で被害者や支援者が繰り広げる人の絆も見た。
良き教訓となるような支援と復興の姿を子どもたちに見せることが、
最も効果的な防災教育になるかもしれない。

(M.N)


ピザの斜塔

倒れそうで倒れないイタリアのピザの斜塔は、
およそ20年に及ぶ修復と清掃作業を終え、
建築当時の姿を取り戻しているそうだ。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に
登録されているピザ大聖堂の鐘楼。
総大理石造りで円筒形の8階建て、高さ約55メートル、
総重量約1万4000トン。地盤沈下に悩まされ、
現在も約5・5度(南側70センチ)傾いたままで、
傾斜の進行は止まっていないという。

自然傾斜に歯止めがかからず、当初計画より低い設計に
見直した。最上階は傾斜角に対応し唯一鉛角な施設とした。
16世紀には傾斜角を活用しガリレオ・ガリレイによる物体
落下の法則に関する実験が行われたとの伝説も残されている。

米ニュース雑誌「タイム}によると、「ピザの斜塔」は
世界で最も危険な建物にランクイン。
2位は、アラブ首長国連邦の「キャピタル・ゲートタワー」、
3位はスペインの「プエルタ・デ・エウロバ」(通称ヨーロッパの門)で、
ピザの斜塔以外はごく最近に造られた建物だ。

ピザの斜塔は倒壊の危険回避に向け、世界の科学者や
物理学者らが知恵を絞り、修復作業に当たってきた歴史もある。
今回はスモッグによる汚れを落とす清掃と併せて修復作業が進められ、
4月末に完了した。関係者は「今後300年は倒壊の危険はない」
と豪語している。
 
斜塔内には傾斜や振動、ゆがみを監視する各種センサーを設置。
いわば満身創痍(そうい)の状態ながら世界の知恵と努力に支えられ、
斜塔の芯は折れることなく保たれている。世界に支援の輪が広がる
東日本大震災に重なる思いがしてならない。


(M.N)

 

故郷忘れがたき

司馬遼太郎に「故郷忘じがたく候」という短編がある。
秀吉の朝鮮出兵で日本に連れ帰られ、薩摩藩に陶工として仕えた
一族の子孫に取材した物語で、渡来して幾世代を経てもなお
尽きることない朝鮮への思いが描かれている。

作中には望郷ゆえの数々のエピソードがつづられるが、
若いころ読んだ時はそれがピンとこなかった。
今になって感慨深く思い返したのは、原発の警戒区域にある
わが家へ一時帰宅する福島の人々の姿を見たせいかもしれない。

よぼついた足取りでバスに乗り込むお年寄。小さな体に
ものものしい防護服がまったく釣り合わない。
テレビの画面にちらりと、東北のさわやかな初夏の風景が映る。
今度ここに帰る時、お年寄はいくつになっているだろう。

連休明けから梅雨入りまでの時期の古里を自慢にする東北人は多い。
雪解け水が流れ、空気が暖み、山笑う美しい季節を。
原発周辺の町や村でも、「見てよ」とばかりに山々の木々の若葉が
緑の衣をはためかせているに違いない。

国会では政府の行動をめぐる追及が続いている。
注水中断を「言った」「言わない」の議論は白熱しても、
「いつ帰れるか」に答えられる人はいない。
忘じがたき古里の山河は東シナ海の向こうではなく、
すぐそこにあるというのに。

「安全」という言葉を信じて原発を受け入れ、都会に
明かりを送り続けた東北の土地。美しい古里の思い出を
ビニール袋一つに詰めて去らねばならぬ人々に、
長きにわたる望郷を味わわせてはいけないと思う。

(M.N)


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