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薬味

スダチとカボス。違いがよく分からない。
双方とも果汁を焼き魚や刺し身に薬味として添える。
地味だが、料理の引き立て役だ。

岐阜から天下布武を唱えた織田信長。本能寺の変で
野望が朽ちた時、徳川家康はわずかな
家来とともに堺に留まっていた。身の危険を知った家康は、
三河の岡崎城までどう戻るかを案じたという。

この時、忍者服部半蔵の計らいで伊賀の山中をかろうじて抜け、
岡崎までたどり着いたらしい。家康は様々な局面で
忍びの者を使い、半蔵はその功績から江戸城近くに屋敷を与えられた。

現在の東京の地下鉄半蔵門線や駅名の半蔵門はその名残とか。
脇役の忍びの者が、こんな形で後世に名を残すとは。
だが薬味のような地味な引き立て役がいなければ家康の名も
残らなかったかもしれない。

秋の食卓と言えばサンマの塩焼き。薬味はスダチや大根おろし、
甘酢ショウガがよく似合う。久しくお目にかからないマツタケにも
スダチが薬味になる。

食べる喜びは生きる喜び。つらい、苦しいは生きるための薬味と思えば、
困難は生を彩(いろど)るために欠かせない妙味に変じる。家康も
「不自由を常とおもへば不足なし」と辞世の句を詠んだ。
東日本大震災から半年が過ぎた。被災地の食卓のサンマ。
その薬味をただ思う。

デジタル機器

最近、電車内でデジタル機器を利用し、小説などを
楽しむ人たちを見掛ける。画面上に手を当てて、
ページをめくる動作で次ページに移る様子はまさしく
本を再現しているようだ。おそらく機器の中には何冊、
もしくは何冊分もの書籍データーが蓄積できるのだろう。
本の数だけかさばらないし、読まなくなったデーターは
消せばいいのだろうか。

アナログ人間としては、本の装丁や厚さ、重さを実感し、
手にとって読む行為の方がしっくりくる。
読み終わったら書棚に置き、背表紙の趣を楽しむのもいい。
いくらデジタル機器が充実、進歩しても本という文化は
消えてほしくない。しかし、実際は読書離れや大手書店の
地方進出などで地方の書店が消えているという現状があり、
本を購入して読むには厳しい環境の地域もある。

1冊の本との出会いは、その後の人生を変えることもある。
幼いうちは絵本を何度も読み、読んでもらい言葉を
会得する手段とする。

本が手元にあるーというデジタルにはない幸せ、
これをかみしめることが時には必要と思うのだが。
ちなみに読書週間は10月27日からだ。

(M.N)

官房長官の器

首相の次にメディアに登場する機会が多い閣僚は官房長官だ。
首相の女房役、内閣のスポークスマンとしての1日2回の
記者会見のこなし具合が政権のイメージを左右する。

在任期間の長さでは福田康夫氏が浮かぶ。
小泉純一郎首相らの下で3年以上務めた。首相になって
評判を落としたが官房長官として名を残した。仕事の鋭さでは
後藤田正晴氏を思い出す。中曽根康弘首相の下で
「カミソリ後藤田」と呼ばれた。

中曽根内閣は5年近く続いた。小泉内閣は約5年半続いた。
管直人前首相まで1年前後での退陣が5人続いたから、
なんともまぶしい。政権党がどこであれ、安定した政権を
取り戻したい。

安定政権の成否は、首相の器はともかく、官房長官の力量にも
かかってきそうだ。後藤田氏のような参謀タイプ、福田氏のような
番頭タイプ、いろいろある。新しいタイプになれるだろうかー。

野田首相は側近の藤村修氏を選んだ。閣僚経験はない。
政権を舞台裏で支える仕事が多かった。自分を「ドジョウ」に
見立てる野田首相より「もっと地味な人」との声も聞く。
風貌と人柄から「ドラえもん官房長官」ともいわれる。

異色のコンビといっていい。首相と官房長官の器、
力量は見た目の派手さとは一致しない例も見てきたから、
楽しみな氣もする。ドジョウみたいなつかみどころのない言動や
ドラえもんの秘密道具で国民をけむに巻いたりしないよう、
とりあえず願いたいものです。

(M.N)

野田新内閣

  • 2011年9月 5日 09:35

野球で始めて、ラグビーで区切りをつけた後はサッカーだった。
「全員野球」を訴えて民主党代表選に勝利し、「ノーサイド」で
融和を呼びかけ、執行部をサッカーの「ミッドフィルダー」に例えた
野田首相のことだ。

新内閣は、党内各グループのバランスに配慮した顔ぶれとなった。
震災復興や原発事故、円高など難問山積の中での出発だ。
党や閣内の意見不一致で退陣に追い込まれた管前首相の轍(てつ)は
踏まぬとの思いは強いだろう。

もしかすると、野田首相が政権をサッカーチームに例えたのは
「なでしこジャパン」にあやかりたかったのかもしれない。
日本的な組織力を武器にワールドカップ優勝を果たした「なでしこ」は今、
日本の希望の象徴だ。

佐々木則夫監督は「選手の成長は、技術や知識でなく
『決意が本物かどうか』で決まる」とし、監督の仕事は目標を共有し、
選手の長所を生かす組織作りにあると言われる。
冷静と情熱に裏打ちされた信念だろう。

野田首相は組閣後の記者会見で、派手なキャッチフレーズは語らず
「国民の評価から出てくる言葉が本物」とした。新内閣の適材適所は
本当か、難局への覚悟はあるか、国民は注視している。

ロンドン五輪予選で「なでしこ」は幸先良く2勝をあげた。
民主政権にはすでにイエローカードが累積している。
これが最後のチャンスであると思う。レッドカードで退場
とならぬよう野田「主将」に期待したい。


(M.N)

親と子

大正初期、ある小学校の昼食の時間に、弁当の包みを開いた少年が、
間違って山仕事に行く父親の弁当を持ってきたことに気づいた。
家は貧しく、いつも弁当で満腹になったことがない。
お父さんは力仕事だからご飯がいっぱいに違いないと思っていた。

ふたを開けて驚いた。ご飯がいつもの自分の弁当よりはるかに少ない。
これっぽっちのご飯であんなに激しい仕事をしているのか・・・。
少年は衝撃を受けた。

自分には干し魚がおかずに入っているのだが、その弁当は
生味噌と梅干が1っ個だけ。「これがお父さんの弁当だ」。
少年は胸が詰まり一粒も残さず食べた。

晩ご飯の時、帰った父親が「お前、弁当箱を間違えて
おなかが空いただろう」と、茶碗からご飯を分けてくれた。
翌日、少年は親友に「夕べは眠れなかった。この親に
心配かけちゃいけないと決心した」と打ち明けた。
少年はそれからぐんぐん成績を伸ばしたそうだ。

親友とは『梅干と日本刀』で有名な考古学者の樋口清之先生だ。
その樋口先生の思い出を僧侶の松原泰道さんが『輝いて生きる道』
(致知出版社)で引用されている。

親としてどうあるべきかを心得て、そのように生きる姿を
みせることに勝る教育はない。と松原さんは語る。
子を育て、生徒を導くには、押し付けがましくなく、
料理の隠し味のようであるべきで、徳行もまたそのような
ものだと説いていられる。親の心子知らずでは、身勝手な
ふるまいで時に踏み外すこともあろう。

(M.N)

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