スタッフブログ
落語を愛した人
- 2011年12月 6日 09:04
- M.N氏の岡目八目
古典落語の名手、鬼才、超のつく毒舌家、反逆児・・・
この人ほど多彩な才能にあふれ、同時に「破天荒」という
言葉が似合う芸人もいまい。落語家の立川談志師匠が
75歳で亡くなった。
45年前に始まり、いまだに人気のテレビ番組「笑点」の
初代司会者。大喜利で、答えの面白さによって座布団が
もらえたり、取られたりする仕掛けを考案したという。
畳を積み上げた上に座る牢(ろう)名主にヒントを得た
というから、才気が知られる。
若いころから落語のうまさに定評があり、将来を
嘱望されていた。が、その後は参院議員に当選したものの
"放言"を連発したり、真打ち制度などをめぐり落語協会と
対立して脱会したり。人生の軌跡は波乱に富んだ。
高座から居眠りしている客を見つけ、「やる気がなくなった」
と噺(はなし)を中断したのもこの人らしい。しかしこれは、
落語を深く愛すればこそ、食道がんを公表した後も、
高座に上がることにこだわり続けた。
晩年に語っていられる。「長生きをする人は暴飲暴食をしない。
それじゃ面白くない。生きてっるていうだけじゃ、おれはだめ」
「引き際、死にざまほど難しいことはない」。
先輩の六代目三遊亭円生、上野動物園のパンダが死んだのと
同じ日に亡くなった。それで翌日の新聞記事の扱いが小さくなった。
「どんな死に方を望むか」と聞かれた談誌師匠、「そんな日は
避けよう」。最後まで才気を振りまいて、旅立たれた。
(M.N)
稀勢の里大関昇進
- 2011年12月 2日 17:02
- M.N氏の岡目八目
稀勢の里が大関に昇進した。技巧や派手さは薄いが、
力と気迫で正面から全力でぶつかり一歩も引かない相撲は、
師匠の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)に似ている。
早くから大関候補と言われた稀勢の里は今場所、
師匠の急死という悲しみの中での土俵となった。
ここ数年は一進一退の星勘定が多かったが、昨年の九州場所で
白鵬の連勝を63で止めた実力は十分。今場所も
正々堂々とした取り口で、審判員らの高い評価を得た。
先代鳴戸親方は現役時代、糖尿病を患いながらも辛抱と
精進を重ねて横綱に登りつめた。猛稽古で肩に隆起するように
ついた筋肉と、腰は高いが怪力で相手を投げ飛ばす相撲を忘れない。
引退後は弟子の指導に熱心で、土俵外でも「人間の幅を広げろ」と、
読書や芸術鑑賞を勧めたという。
稀勢の里はインタビューで「親方に指導してもらったことを思い出し、
しっかりと相撲をとった」「慢心しないでもっともっと上を目指す」
と述べた。悲しみを乗り越え、亡き師匠への恩返しの報告と決意表明
となった。
日本力士の低迷に合わせるように、相撲人気が下降した。
そうした中、琴奨菊に続き、二場所連続で日本人大関の誕生という
朗報だった。存亡がかかった土俵際の今こそ、日本人力士の再起が
欠かせない。稀勢の里、琴奨菊が新たな時代を切り開くことを願いたい。
(M.N)
三現主義
- 2011年11月29日 11:59
- M.N氏の岡目八目
日本の経済成長を支えたのは「三現主義」だといわれる。
問題解決には机上の論理でなく「現場に行く」「現場を知る」
「現場をとらえる」ことが重要という教えだ。
それを象徴する人といえば、伝説となった二人の創業者だろう。
ホンダの本田宗一郎さんと、松下電器(現パナソニック)の
松下幸之助さんで、両氏の信奉者は今も多い。
本田さんは、F1レースでエンジンが故障した時に、
言い訳する設計者に「実際に経験もせんで、偉そうなことを言うな」
と一喝し、自分で修理したという。
鍛冶屋の息子で、根っからの技術者だった本田さんらしい
エピソードだ。さらに現場にこだわった人ならではの名言も残した。
「最初に失敗したやつが一番偉い」。何よりチャレンジ精神を称揚した。
もう一人の松下さん。ある会社社長が「知恵あるものは知恵を出せ。
無き者は汗を出せ。それもできない者は去れ。と訓辞したのを聞き
「あかんな、つぶれる」と言ったという。
「本当は、まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それが
できない者は去れ。。こう言わなあかん。松下さんの予想は的中した。
(斉藤孝著「説教名人」)
確かに判断に迷うとき、あれこれ頭で考える場面はあるが、
最終的には「現場」「現物」「現実」を見ることが肝心。
「三現主義」だ。課題が山積する日本の政治家や経営者には、
ぜひかみしめて欲しい言葉である。
(M.N)
縮み社会に抗して
- 2011年11月28日 14:02
- M.N氏の岡目八目
「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだっ」と植木等さんが
歌ったのは、50年も前のことだ。時代は高度経済成長にかじを切っていた。
所得倍増の掛け声にあわせて朝は朝星、夜は夜星、人々は脇目も
振らず働いた。
テレビに冷蔵庫、洗濯機は高価だったが、生活を切り詰めれば
手が届いた。三種の神器と呼ばれたそれらの製品が、明日は今日より
よくなるという成長神話を描いてくれた。株価も上がるし地価も上がり
続ける。人々はローンを頼りにマイホームの購入に走った。
そういう流れに影が差して久しい。人口は長期にわたって減り続け、
企業活動も消費も低迷を続けている。税収は減り、勤め人の給料も
上がらない。懸命に働いても、分配に充てる成功の果実は小さくなる
ばかりだ。逆に年金や医療費の負担は増えていく。
政治家も小さくなった。国家の経綸(けいりん)を述べるより、
小さくなった果実の奪い合いに血道を上げる方が重宝される。
それを怠れば、選挙で落とされる。それが政治という器をますます
小さくさせる。
そういう時代をいかに生きるか。先日、大学で働く友人と話し込んだが、
結論は「頭に入れれば重くない」。とにかく教育に力を尽くし、
若い人の知的思考力を養うしかないのではないか。ということに落ち着いた。
知力と国境を越えて暮らしていける体力。それさえあれば、落日の時代にも
和やかに生きていける。もっと、教育に目を向けたいとつくづく感じる。
(M.N)
ブータン国
- 2011年11月22日 20:24
- M.N氏の岡目八目
幸せかどうかはお金やモノでは測れないという。ないよりは
あったほうがいいとは思うが、やはりモノでは満たされないものが
そこにある。来日中のブータン国王夫妻を見て、ふと思った。
インドと中国に挟まれたブータンはチベット仏教の国。
互恵互助の伝統やボランティア意識が若者たちにも受け継がれ、
「幸福立国」とも言われる。
憲法には、国民がどれくらい幸福かを示す「国民総幸福」
という指標が設けられ、政府は国民の幸福感を満たすために
何を行うべきかを知り、政策に反映させるという。
日常的なストレスを感じているか、睡眠や働く時間は、
家族がお互いに助け合っているかなど、わが身を振り返ると
果たしてーと思われる項目もあるそうだ。
来日中の国王夫妻は包容力や優しさ、人を思いやる心が
全身からあふれ、見るだけで幸福感を覚える。東日本大震災の翌日、
国王は一日中、日本のために祈り続けたとも聞く。
経済発展も確かに重要ではある。それにも増して心の豊かさが
今私たちに問われているのではないか。心に感じる小さな幸せを
大切にしたい、としみじみ思う。
(M.N)
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