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人生は試練

民法学者だった末川博さんは「人生三分論」を理想として
唱えられていた。一日24時間のうち、人はおおむね8時間眠り、
8時間働き、残り8時間を自分のために使う。これを一生に
当てはめた。
 
すなわち人生75年として、最初の25年は人の世話になって
一人前の人間にしてもらう。次の25年は仕事に励んで世の中の
ためになり、育ててもらった恩返しをする。最後の25年は
趣味などを楽しみ自分の好むところに従って生きる。

明治生まれの末川さんの時代と今では、社会背景も人心も
随分変わった。60歳すぎまで働くのが当たり前になった昨今、
25年単位で人生を区切るのは無理かもしれない。それでも
区分を引き伸ばしてみれば、考え方としては有効だろう。
長い人生航路にめりはりが付きそうだ。

過日、大学入試センター試験が終わった。受験というのは、
若者が人に「育ててもらう」期間での一つの試練であろう。
次の段階へ進むステップではあるが、憂鬱な関門でもある。

わが身を振り返ってみて受験の記憶はほとんど薄れてしまったが、
問題用紙を前にしての張り詰めた緊張感だけは覚えている。
入試を目前に控え、わが子の様子を祈るように見守っている
親御さんも多かろう。

年明けにいくつか神社を巡り、たくさんの絵馬を目にした。
合格祈願の文面をたどって行くと、それぞれの受験生の姿が
目に浮かぶようだ。列島は寒の中だが、抜けない冬はない。
とエールを送りたい。

新成人に期待したい

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦から
今年で百年になる。大正生まれの人たちが百歳を
迎えている現実をあらためて思う。

昭和元年は一週間しかなく、昭和2年生まれが事実上の
昭和のトップバッターだ。その人たちも間もなく88歳の米寿
(べいじゅ)を迎える。「降る雪や明治は遠くなりにけり」と
うたわれたのは戦争前夜の昭和初期のことである。

今や大正も昭和もはるかに遠い。だが、どうもその気分に
なれない。この1世紀で日本人の寿命は延びた。
人生50年の大正や昭和戦前と、80歳以上が当たり前の
現在を同じ物差しでは計れない。元気な「大正人間」が
身近にたくさんいられる。

「20歳」も昔と今は違う。人生50年時代なら折り返し点の
前まできている。しかし、昨今では80歳のやっと4分の1に
過ぎない。歳月は時代によって長さも重さも異なる。ただ、
平成がそれ以前と決定的に違うことがある。

平成は戦争をまったく知らない新しい時代であることだ。
当たり前のことではない。明治、大正、昭和の人生の
先輩たちが残した財産である。新成人に期待する。
この宝を未来につなげていってほしい。

午年

2600年余り前、中国の春秋時代のことだ。
斉(せい)の王・垣公(かんこう)が戦いに出て
国に帰る途中、雪で道が分からなくなった。
「こんな時こそ老いた馬の知恵を利用すべきだ」。
家来が言うので、老馬を雪の中に放し、後を進んで
行ったら、無事、国に帰ることができたという。

「老いたる馬は道を忘れず」の諺はこの故事から生まれた。
転じて、経験を積んだ人は判断を誤らないという意味に
なった。そんなことを思い出させてくれる馬が今年の干支
(えと)だから、熟年世代にはうれしい年ではなかろうか。

馬ほど人間と深く関わってきた動物はいない。4500年も
前からイラクの辺りで戦車を牽(ひ)く動物として登場して
いるという。馬が戦争に利用され続けたのは悲しいが、
それだけに人馬一体の歴史は長い。

だからだろう。「道を忘れず」の諺からは馬に対する
深い信頼が見て取れる。このほかにも馬にちなんだ
諺は多い。例えば「馬が合う」。そんな人がいれば
毎日が楽しかろう。

足が遅い馬に乗っても10日行けば、名馬の一日分と同じ。
そんな意味の「駑馬十駕(どばじゅうが)は鈍才も努力次第で
秀才に追いつけるという例えだ。青蝿(あおばえ)だって
名馬の尾についていけば、1日に千里も行ける。
驥尾(きび)に付(ふ)す」がそれだ。愚かな身でも、
優れた人に従えば、何かは成し遂げられるということだ。
熟年世代でなくとも、午(うま)年に元気がわいてくる。

初夢

初夢とはいつ見る夢のことだろうか。調べた範囲では
2日夜が主流だった。だから、3日朝起きた時に頭に
残っていた夢が初夢である。良い夢ならば今年は吉。
悪い夢だったら逆夢と思えばいい。

だが初夢がなぜ2日夜なのか。年初めの夢は
大みそかに就寝し、午前零時過ぎ(元日)に見た夢と
するのが筋に思える。夢は脳が起きていて体が眠っている
レム睡眠時に見る。しかもレム睡眠は未明から早朝に多い。

しかし大みそかは眠らない人が多い。そのまま
初日の出を拝み、初詣に出掛ける。それで初夢は
1日または2日夜に見る夢とされたらしい。

昔から縁起の良い夢は「一富士,二鷹、三なすび」。
徳川家康が隠居した駿河の名物という。富士は「無事、
不死」、鷹は「高い」、なすびは「成す」に通じるとの説が
あるが、どんな夢になるのか想像もつかない。

平安、鎌倉の時代には節分の夜から立春の朝に見る夢を
初夢としたらしい。両時代を生きた西行法師の歌が
残っている。「年暮れね春来べしとは思い寝に、まさしく
見えしかなう初夢」。春になった夢を見たら、それが
本当になった、ということだろう。そんな単純な意味とも
思えないが、めでたい歌だ。

働く庶民の見る夢は景気の順調な回復と生活の
安定である。今年こそ本当になりますように。
本年もよろしくお願いいたします。

交付金

えとが巳から午に代わるまで、残すところ1週間をきりました。
円安株高に沸いたアベノミクスの傍らで、高齢化と人口減への
備えが呼ばれた2013年も、いよいよ押し詰まってきました。

地域の存亡を懸けた少子化対策を大胆に進めたいと思えど、
それに贅沢な予算を振り向けられるほど自治体の財政に
余裕はない。そんな折、都道府県は最大で4千万円、市町村は
800万円の財源を手にするチャンスが降ってわいてきた。
政府が、自治体独自の取り組みを支援する交付金を
新たに設けるという。

血税を使った総額30億円のクリスマスプレゼントと言いたい
ところだが、手を挙げれば誰もがもらえる金ではない。条件は、
ユニークで先駆的な取り組み。そこで注目されるのは、
県内の自治体が地域の将来にどれだけ危機感を抱いているか、
閉塞状況を打ち破るにはどのような対策が必要か、
日ごろからの考えを抜いているかどうかだ。

目前に迫る超高齢社会を見据え、中心市街地に都市機能を
集める「コンパクトシティー」構想を後押しするための支援策も、
さまざまに打ち出されそうだ。ただ、構想を実現させるには、
それ相応の財政支出が欠かせない。

それにも増して重要なのが、構想の狙いを十分に理解し、
協力してくれる住民の存在だろう。もしかしたら。今後数年間に
自治体が進める取り組みが、地域の将来を決定付けるかも
しれない。田舎の旧友からの久しぶりの便りに、国の昔ながらの
ばら撒き政策には少々腹がたつ年の瀬だ。

本年の「岡目八目」いかがでしたでしょうか。
来年もよろしくお願いいたします。
皆様方が良いお年を迎えられますことを祈願します。


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