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大局観

将棋のプロ棋士と、コンピューターの対局がしばしば話題を呼ぶ。
男性プロ棋士が公の場で敗北したケースはないというが、
風向きが少々怪しくなってきた。

現役を引退したとはいえ、元トッププロの日本将棋連盟会長の
米長邦雄永世棋聖が年明け後、コンピューターの将棋ソフト
「ボンクラーズ」との対局で負けてしまったのだ。
「一手見落とした。私が弱かった」と米長会長。負けを認めつつも、
悔しそうな表情だったそうだ。

パソコンによって、多彩で長時間に及ぶ試合展開もほんのわずかな
時間で見ることができるようになったという。将棋の世界にも
コンピューターは徐々に浸透している。

ただし、簡単に見ることができるものは簡単に忘れてしまう。
今月、名人戦に挑む羽生善治2冠が先日の講演で、そう語って
いられたのが印象深い。プロ棋士は5年、10年後も正確に記憶して
いなければならない。そのためには、木の盤を使い、ノートに書く。
「五感を酷使することが大事です」。コンピューターとの切磋琢磨は
今後も続くだろう。

羽生さんによれば、対局は「読み」と「大局観」「直感」の組み合わせ。
計算や記憶の能力が高い10代や20代の棋士は「読み」が9割で
、残り1割が大局観や直感、年期を積むと大局観や直感に
比重を置くようになる。

大局観は具体的なことを考えるのではなく、方針や戦略を考える。
方向性が定まれば無駄な考えも省略できるという。「木を見て森を
見ず、の逆です」(羽生さん)。そいいえば、今の社会、政治を含め
大局観がなさ過ぎるように思えてならない。

武道の必修化

中学1,2年の保険体育で2012年度から男女とも武道が
必修化される。生徒が武道を通じ心身ともに鍛えられるのは
望ましいことに思えるが、賛成意見ばかりではない。
  
文部科学省が全国940校を対象に行った調査では、柔道を
選択科目として実施予定の学校が64・1%で最も多く、剣道
37・6%、相撲3・4%と続く。柔道はけがを懸念する声が多く、
安全を重視した対応が求められている。

中学のころ、わずかだが授業で柔道に触れる機会があった。
生徒の中で厳しいと恐れられていた経論が指導に当たり、
まず「受け身3年」と教わった。

後ろ受け身、前受け身、横受け身、前回り受け身を繰り返し練習し、
畳をたたく腕が赤くなり痛かった。投げ技も習ったが、痛さとともに
学んだ受け身の方が忘れ難い。その前にも後にも武道を
体験したことはなく、貴重な機会だった。

「人に勝つより自分に勝て」は柔道の創始者・嘉納冶五郎の言葉。
武道そのものが悪いわけではない。その精神に触れることで
得られるものは多いはず。安全の上に成り立つ貴重な経験の場に
なることを切に願いたいものです。
 

学生の部屋探し

今春、初めて親元を離れ大学生活を送るという若者も多いだろう。
この頃、1人暮らしの準備に追われる親の大変さを耳にする。
若者は期待を膨らませるのだろうが、親にすれば気苦労と
出費が膨らむ。

4畳半ぐらいの部屋だった。真ん中には木箱を2個並べた。
テーブル兼机だった。あちこちに波打っていた。50年余り前の
大学時代の部屋だ。寝床は押入れの上段で、書籍などを下段に
収納した。家具と木箱のほかは見当たらなかった。殺風景な暮らし
だったが、質素・倹約の実を挙げていた。

今の部屋探しは、ゆったり過ごせる物件に関心が集まるようだ。
家具や電化製品も一式買いそろえる。新生活に不便がないか
親の心配は絶えない。50年前の4帖半程度の生活環境に
比べれば、まったく別世界に思える。

もしも父親が仕事の関係で単身赴任が決まれば、荷物の量は
必要最低限だろう。こちらは子供よりもずっと身軽なものの、
家族を支える経済的な負担の方は時代と共に、一層ズシリと
のしかかる。

ジェクト株式会社で建設中だったシェアハウスの完成内覧会の
案内状が送付されてきた。現代にマッチした新しい賃貸建物のかたちで、
敷金・礼金がなく快適なシェア生活を送れるとの案内だ。
是非、見学したい。

謙虚さと優しさ

作家の司馬遼太郎さんが好んだ言葉に「原型」がある。
例えば「ロシアについて」という本で、こう書いていられる。
「その国が、国有の国土と民族と歴史的連続性を持っているかぎり、
原型というものは変わりようがない、と私はは思っている」。

ロシア人は一般に人が良いという。ところが国としての
ロシアは「過剰なほどに大砲ががすきで、無用なほどに
防衛本能がつよかった」。そこに、歴史の中で異民族の攻撃を
受け続けたロシアの原型を、司馬さんは見る。

一方でロシアはシベリア各地に学校を建て、先住民の子どもらに
教育の機会を与えた。そこから学者などの才能が育った。
獲得した土地に学校を建てるロシアの文明の「型」と指摘する。

それでは日本の原型は。一つは江戸期から明治末期の日本が
諸外国に示した「謙虚さ」だと、司馬さんは書く。言い換えれば、
自分を知り、自分と他者の良い点や立場を認める精神である。

震災では、冷静に助け合う日本人の姿が世界を感動させた。
自分に何ができるかを考え、被災者に心を寄せる。
その表れが「絆」の言葉だろう。優しさも原形だと思いたい。

被災地のがれき受け入れで、意見が対立している。
本はといえば原発の「安全神話」に寄りかかった結果だ。
安全を確かめた上で分かち合う道がないものか。
過ちを見詰め、何ができるかを考える謙虚さと優しさを、
私たちは変わらずに持っているはずだと思う。

あさま山荘事件

「あさま山荘事件」と聞いて、テレビにかじりついた冬の日を思い出すのは
50代以上の世代だろう。日本の犯罪史上に例のなかった事件から
40年が過ぎた。

振り返ると、1972(昭和47)年は戦後史の一つの節目の年だ。
沖縄復帰、佐藤退陣と田中政権発足、日中国交回復。戦後の
いくつかの課題が前進し、政治の主役が交代した。そんな年に
最も耳目を集めたのが、2月28日のあさま山荘をめぐる連合赤軍と
警察の攻防だった。

69年の東大安田講堂封鎖解除を境に、学生運動は急速に
しぼんでいく。一部が追い詰められて行き着いた先が軽井沢の山荘。
管理人の妻を人質に籠城して10日目、警察が山荘に強行突入。
人質は無事保護され、5人の犯人が逮捕された。

特筆すべきは、突入の様子がテレビで生中継されたこと。
鉄球による壁の破壊に始まり、ライフル銃を撃つ犯人との攻防は
8時間に及んだ。その一部始終が生の映像として茶の間に
届いた。視聴率は89,7%だったそうだ。俗に言えば、
脚本のないスペクタクルに息をのんだということになろうか。

程なく、山岳アジとで起きた「総括」という名の凄惨(せいさん)な事実が
明らかになる。彼らを駆り立てたのは何だったのか。一つの思想の結末、
異常な心理が招いた猟奇(りょうき)事件・・・。さまざまにいわれたが、
40年を経た今も明確な答えは出ていない。
東大合格発表の時期にふと思い出した。


 

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