スタッフブログ
大局観
- 2012年4月 4日 22:16
- M.N氏の岡目八目
将棋のプロ棋士と、コンピューターの対局がしばしば話題を呼ぶ。
男性プロ棋士が公の場で敗北したケースはないというが、
風向きが少々怪しくなってきた。
現役を引退したとはいえ、元トッププロの日本将棋連盟会長の
米長邦雄永世棋聖が年明け後、コンピューターの将棋ソフト
「ボンクラーズ」との対局で負けてしまったのだ。
「一手見落とした。私が弱かった」と米長会長。負けを認めつつも、
悔しそうな表情だったそうだ。
パソコンによって、多彩で長時間に及ぶ試合展開もほんのわずかな
時間で見ることができるようになったという。将棋の世界にも
コンピューターは徐々に浸透している。
ただし、簡単に見ることができるものは簡単に忘れてしまう。
今月、名人戦に挑む羽生善治2冠が先日の講演で、そう語って
いられたのが印象深い。プロ棋士は5年、10年後も正確に記憶して
いなければならない。そのためには、木の盤を使い、ノートに書く。
「五感を酷使することが大事です」。コンピューターとの切磋琢磨は
今後も続くだろう。
羽生さんによれば、対局は「読み」と「大局観」「直感」の組み合わせ。
計算や記憶の能力が高い10代や20代の棋士は「読み」が9割で
、残り1割が大局観や直感、年期を積むと大局観や直感に
比重を置くようになる。
大局観は具体的なことを考えるのではなく、方針や戦略を考える。
方向性が定まれば無駄な考えも省略できるという。「木を見て森を
見ず、の逆です」(羽生さん)。そいいえば、今の社会、政治を含め
大局観がなさ過ぎるように思えてならない。
武道の必修化
- 2012年3月29日 20:52
- M.N氏の岡目八目
中学1,2年の保険体育で2012年度から男女とも武道が
必修化される。生徒が武道を通じ心身ともに鍛えられるのは
望ましいことに思えるが、賛成意見ばかりではない。
文部科学省が全国940校を対象に行った調査では、柔道を
選択科目として実施予定の学校が64・1%で最も多く、剣道
37・6%、相撲3・4%と続く。柔道はけがを懸念する声が多く、
安全を重視した対応が求められている。
中学のころ、わずかだが授業で柔道に触れる機会があった。
生徒の中で厳しいと恐れられていた経論が指導に当たり、
まず「受け身3年」と教わった。
後ろ受け身、前受け身、横受け身、前回り受け身を繰り返し練習し、
畳をたたく腕が赤くなり痛かった。投げ技も習ったが、痛さとともに
学んだ受け身の方が忘れ難い。その前にも後にも武道を
体験したことはなく、貴重な機会だった。
「人に勝つより自分に勝て」は柔道の創始者・嘉納冶五郎の言葉。
武道そのものが悪いわけではない。その精神に触れることで
得られるものは多いはず。安全の上に成り立つ貴重な経験の場に
なることを切に願いたいものです。
学生の部屋探し
- 2012年3月22日 14:02
- M.N氏の岡目八目
今春、初めて親元を離れ大学生活を送るという若者も多いだろう。
この頃、1人暮らしの準備に追われる親の大変さを耳にする。
若者は期待を膨らませるのだろうが、親にすれば気苦労と
出費が膨らむ。
4畳半ぐらいの部屋だった。真ん中には木箱を2個並べた。
テーブル兼机だった。あちこちに波打っていた。50年余り前の
大学時代の部屋だ。寝床は押入れの上段で、書籍などを下段に
収納した。家具と木箱のほかは見当たらなかった。殺風景な暮らし
だったが、質素・倹約の実を挙げていた。
今の部屋探しは、ゆったり過ごせる物件に関心が集まるようだ。
家具や電化製品も一式買いそろえる。新生活に不便がないか
親の心配は絶えない。50年前の4帖半程度の生活環境に
比べれば、まったく別世界に思える。
もしも父親が仕事の関係で単身赴任が決まれば、荷物の量は
必要最低限だろう。こちらは子供よりもずっと身軽なものの、
家族を支える経済的な負担の方は時代と共に、一層ズシリと
のしかかる。
ジェクト株式会社で建設中だったシェアハウスの完成内覧会の
案内状が送付されてきた。現代にマッチした新しい賃貸建物のかたちで、
敷金・礼金がなく快適なシェア生活を送れるとの案内だ。
是非、見学したい。
謙虚さと優しさ
- 2012年3月18日 17:23
- M.N氏の岡目八目
作家の司馬遼太郎さんが好んだ言葉に「原型」がある。
例えば「ロシアについて」という本で、こう書いていられる。
「その国が、国有の国土と民族と歴史的連続性を持っているかぎり、
原型というものは変わりようがない、と私はは思っている」。
ロシア人は一般に人が良いという。ところが国としての
ロシアは「過剰なほどに大砲ががすきで、無用なほどに
防衛本能がつよかった」。そこに、歴史の中で異民族の攻撃を
受け続けたロシアの原型を、司馬さんは見る。
一方でロシアはシベリア各地に学校を建て、先住民の子どもらに
教育の機会を与えた。そこから学者などの才能が育った。
獲得した土地に学校を建てるロシアの文明の「型」と指摘する。
それでは日本の原型は。一つは江戸期から明治末期の日本が
諸外国に示した「謙虚さ」だと、司馬さんは書く。言い換えれば、
自分を知り、自分と他者の良い点や立場を認める精神である。
震災では、冷静に助け合う日本人の姿が世界を感動させた。
自分に何ができるかを考え、被災者に心を寄せる。
その表れが「絆」の言葉だろう。優しさも原形だと思いたい。
被災地のがれき受け入れで、意見が対立している。
本はといえば原発の「安全神話」に寄りかかった結果だ。
安全を確かめた上で分かち合う道がないものか。
過ちを見詰め、何ができるかを考える謙虚さと優しさを、
私たちは変わらずに持っているはずだと思う。
あさま山荘事件
- 2012年3月14日 15:07
- M.N氏の岡目八目
「あさま山荘事件」と聞いて、テレビにかじりついた冬の日を思い出すのは
50代以上の世代だろう。日本の犯罪史上に例のなかった事件から
40年が過ぎた。
振り返ると、1972(昭和47)年は戦後史の一つの節目の年だ。
沖縄復帰、佐藤退陣と田中政権発足、日中国交回復。戦後の
いくつかの課題が前進し、政治の主役が交代した。そんな年に
最も耳目を集めたのが、2月28日のあさま山荘をめぐる連合赤軍と
警察の攻防だった。
69年の東大安田講堂封鎖解除を境に、学生運動は急速に
しぼんでいく。一部が追い詰められて行き着いた先が軽井沢の山荘。
管理人の妻を人質に籠城して10日目、警察が山荘に強行突入。
人質は無事保護され、5人の犯人が逮捕された。
特筆すべきは、突入の様子がテレビで生中継されたこと。
鉄球による壁の破壊に始まり、ライフル銃を撃つ犯人との攻防は
8時間に及んだ。その一部始終が生の映像として茶の間に
届いた。視聴率は89,7%だったそうだ。俗に言えば、
脚本のないスペクタクルに息をのんだということになろうか。
程なく、山岳アジとで起きた「総括」という名の凄惨(せいさん)な事実が
明らかになる。彼らを駆り立てたのは何だったのか。一つの思想の結末、
異常な心理が招いた猟奇(りょうき)事件・・・。さまざまにいわれたが、
40年を経た今も明確な答えは出ていない。
東大合格発表の時期にふと思い出した。
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