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スタッフブログ

老朽化したダム

九州山地の雨を集めて八代海に注ぐ球磨川(熊本県)は
最上川、富士川と並び「日本三大急流」と称される。
アユが生息する清流でも知られる。

その下流に水力発電用の県営荒瀬ダムが完成したのは
1955年のことだ。戦後復興を担ったが、ダム湖にヘドロが
たまるなど河川環境は次第に悪化し、アユの遡上(そじょう)
も減った。老朽化につれダムは地域の重荷になってきた。

10年前になる。潮谷義子知事(当時)が地元住民の
要請をくんで「廃ダム」を決めた。その後曲折を経た上で、
いよいよ撤去工事が始まった。本格的なダムの撤去は
全国でも初めてだ。

伏線はあった。97年の河川法改正は、水質源開発
中心だった河川整備の目的に「環境保全」という新理念を
追加した。公共事業見直しの機運や田中康夫・元長野県
知事の「脱ダム宣言」も、ダム撤去の世論を後押しした。

廃ダムは前例のない工事である。ダム湖の体積土砂が
どう動くのか、流域に新たな環境変化を招かないか。
さまざまな面で注目される。培った施工技術と細心の配慮で
「清流回復」の先例をつくってほしい。
 
全国のダムは約2700を数えるという。治水や利水に
役割を果たしているものの、各地で老朽化や水質悪化、
土砂堆積が進んでいるようだ。第二、第三の「荒瀬ダム」
が出ておかしくない。関係者は荒瀬ダムを研究、見聞
したらどうだろうか。


 

仲良く

「 どうしても友達になれない人種がいる。小さな噓(うそ)をつく奴と、
アイアンの飛距離を自慢する奴」。米国往年の大スター、ビング・クロスビーの
言葉は単にゴルフ好きが高じてライ バルを皮肉ったものではないようだ。

裏を返せばスコアをごまかすような姑息(こそく)はやめて謙虚に正直に、
そ して俺の方が強いんだなどと意地を張らず、見栄を捨てれば人は
自然に集まってくる。志を同じくする もの同士なら、遠く離れていても
心は通じるはず。未来志向で共に喜びを、分かち合えるというものだろう。

このところどうしても頭から離れない。日中韓をめぐる不協和音である。
竹島 (韓国名・独島)の領有権問題について、国際司法裁判所への
共同付託を求めた日本側の提案を韓国側が 正式に拒否すると通告した。
事態はまたもや暗礁へ。関係はさらに悪化の様相だ。

韓国人も中国人も、本当に「反日」「抗日」と怒り心頭なのだろうか。
中国と 日本は今年、国交正常化40年。友人をいっぱい作ってきた。
韓国の若者だって日本に友達がいるはずだ。 互いの顔を思い出して
ほしい。そして語り合ってほしい。それを政府間に是非、お願いしたい。

結婚式の変わりよう

結婚式に何年ぶりに出席し挙式、披露宴の変わりように
驚くばかりだった。新郎新婦や式場によって結婚式は
さまざまな形があるだろうから、良し悪しではないが、
同年代以上の中高年出席者と「時代は変わったな」と
何度もつぶやいてお酌し合った。

何よりも驚いたのは、披露宴で友人ら若者が常に
新郎新婦の周りに群がり、おのおのスマートフォンなどで
写真撮影していること。お色直しのたびに新郎新婦と仲間で、
あるいは新郎新婦とスリーショットで、はたまた新婦と
ツーショットで、「ピース」と忙しい。

もはや親戚、職場の同僚などが新郎新婦に近づくのは
遠慮している状態。友人の結婚を心から喜んでいるのは
良くわかる。しかし聞けば友人による2次会もあるという。
ならば披露宴は親戚等へ2人を紹介する場でもあることを
少しは配慮して欲しい。

などと中高年は思いながら口には出さず、「時代は変わったな」
と苦笑いで酒を酌み交わす。そして披露宴の最後は、新婦から
両親への感謝の言葉と新郎のあいさつ。

新婦は「心配ばかりかけてごめんね。今まで育ててくれて
ありがとう」と感謝し、両親とともに必至で涙をこらえる。
昔も今も変わることのない親子愛が出席者の涙を誘う。
気が付けば、友人たちもこのときばかりは自席で静かに目頭を
押さえている。時代は変わっても結婚式の感動は不滅なのだ。
と安心して帰途についた。

世界の平和を願いたい

作家の向田邦子さんの父は大酒飲みの癇癪(かんしゃく)持ちで、
家では「バカ野郎」の罵声や拳骨(げんこつ)が絶えなかった。
そんな父が終戦の年の4月、疎開する幼い妹に自分の宛名を書いた
おびただしいはがきを持たせた。「元気な日はマルを書いて、毎日1枚
ずつポストに入れなさい」と。妹はまだ字が書けなかったからだ。

そのうちはがきが届かなくなり、母が迎えに行った。妹は百日咳
(ひゃくにちぜき)を患い、虱(しらみ)だらけの頭で寝かされていた。
妹が帰ってくると、父は裸足(はだし)で表に飛び出し、瘠せた妹の
肩を抱いて声を上げて泣いたいう。向田さんのエッセー集
「眠る盃(さかずき)から引いた。暴君に見えても、心は子への
心配でいっぱいだったのだ。
 
向田さん親は無事に子供と再会できたからまだいい。
この時から1年ほど前、沖縄の子どもたちが疎開船「対馬丸」に乗って
那覇港から鹿児島へ向け出航した。米軍が迫ってきたためだ。
が、途中で米潜水艦の魚雷を受け沈没する。それが1944年
一昨日(8月22日)の夜だった。

疎開船には学童738人と教師、付き添いら合わせて1747人が
乗っていた。暗い海中に投げ出され、力尽きて次々と水中に姿を
消していく。生存者は227人。このうち学童は59人だけだった。

本土でしたいことがいっぱいあったはずだ。希望に満ちた
子どもたちの命を理不尽な戦争は一瞬にして奪った。子どもたちの
恐怖と苦痛。、わが子を殺された親たちの悲しみを思うと、
戦争を憎まずにはいられない。日中韓で危険な国益主義が
高まっている折だけに、ことさらだ。

 

いじめ問題

いじめ時代ーと言えばオーバーだろうか。だが昨今は、
いじめが報道されない日がないほど、毎日がいじめに
あふれている。それだけ、誰かを標的にして攻撃しないと
氣が済まない人が多いのか。情けない時代を迎えたものだ。

いじめる側に対しては当然だが、子どもを守らなければならない
学校や教育委員会の無策な対応ぶりには情けなさも増幅する。
十分な調査をしなかったり、被害生徒に退学勧告するなど
自分の立場を全く理解していない。「不要」と判断されても
致し方ない状況だ。

なぜこうした現象が起きたかは今後、調査が進めば明白に
なるだろう。ただ、少なくてもあの対応ぶりに「個」を尊重する意識が
全くなかったことだけは明らかだ。助けを求める子どもに手を
差し伸べるどころか組織や学校の面目を優先しているのでは
教育を語る資格はない。

欧米諸国で浸透する個人主義。もちろん、個々が好き勝手に
ふるまってよいということではない。まずは個を尊重するーが
根底にある。日本の教育現場や家庭、地域社会でどれだけ
個人を大切にする教えが施されてきたのか、現状が
語っているように思えてならない。

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