スタッフブログ
老朽化したダム
- 2012年9月 7日 08:19
- M.N氏の岡目八目
九州山地の雨を集めて八代海に注ぐ球磨川(熊本県)は
最上川、富士川と並び「日本三大急流」と称される。
アユが生息する清流でも知られる。
その下流に水力発電用の県営荒瀬ダムが完成したのは
1955年のことだ。戦後復興を担ったが、ダム湖にヘドロが
たまるなど河川環境は次第に悪化し、アユの遡上(そじょう)
も減った。老朽化につれダムは地域の重荷になってきた。
10年前になる。潮谷義子知事(当時)が地元住民の
要請をくんで「廃ダム」を決めた。その後曲折を経た上で、
いよいよ撤去工事が始まった。本格的なダムの撤去は
全国でも初めてだ。
伏線はあった。97年の河川法改正は、水質源開発
中心だった河川整備の目的に「環境保全」という新理念を
追加した。公共事業見直しの機運や田中康夫・元長野県
知事の「脱ダム宣言」も、ダム撤去の世論を後押しした。
廃ダムは前例のない工事である。ダム湖の体積土砂が
どう動くのか、流域に新たな環境変化を招かないか。
さまざまな面で注目される。培った施工技術と細心の配慮で
「清流回復」の先例をつくってほしい。
全国のダムは約2700を数えるという。治水や利水に
役割を果たしているものの、各地で老朽化や水質悪化、
土砂堆積が進んでいるようだ。第二、第三の「荒瀬ダム」
が出ておかしくない。関係者は荒瀬ダムを研究、見聞
したらどうだろうか。
仲良く
- 2012年9月 3日 11:06
- M.N氏の岡目八目
「 どうしても友達になれない人種がいる。小さな噓(うそ)をつく奴と、
アイアンの飛距離を自慢する奴」。米国往年の大スター、ビング・クロスビーの
言葉は単にゴルフ好きが高じてライ バルを皮肉ったものではないようだ。
裏を返せばスコアをごまかすような姑息(こそく)はやめて謙虚に正直に、
そ して俺の方が強いんだなどと意地を張らず、見栄を捨てれば人は
自然に集まってくる。志を同じくする もの同士なら、遠く離れていても
心は通じるはず。未来志向で共に喜びを、分かち合えるというものだろう。
このところどうしても頭から離れない。日中韓をめぐる不協和音である。
竹島 (韓国名・独島)の領有権問題について、国際司法裁判所への
共同付託を求めた日本側の提案を韓国側が 正式に拒否すると通告した。
事態はまたもや暗礁へ。関係はさらに悪化の様相だ。
韓国人も中国人も、本当に「反日」「抗日」と怒り心頭なのだろうか。
中国と 日本は今年、国交正常化40年。友人をいっぱい作ってきた。
韓国の若者だって日本に友達がいるはずだ。 互いの顔を思い出して
ほしい。そして語り合ってほしい。それを政府間に是非、お願いしたい。
結婚式の変わりよう
- 2012年8月29日 07:56
- M.N氏の岡目八目
結婚式に何年ぶりに出席し挙式、披露宴の変わりように
驚くばかりだった。新郎新婦や式場によって結婚式は
さまざまな形があるだろうから、良し悪しではないが、
同年代以上の中高年出席者と「時代は変わったな」と
何度もつぶやいてお酌し合った。
何よりも驚いたのは、披露宴で友人ら若者が常に
新郎新婦の周りに群がり、おのおのスマートフォンなどで
写真撮影していること。お色直しのたびに新郎新婦と仲間で、
あるいは新郎新婦とスリーショットで、はたまた新婦と
ツーショットで、「ピース」と忙しい。
もはや親戚、職場の同僚などが新郎新婦に近づくのは
遠慮している状態。友人の結婚を心から喜んでいるのは
良くわかる。しかし聞けば友人による2次会もあるという。
ならば披露宴は親戚等へ2人を紹介する場でもあることを
少しは配慮して欲しい。
などと中高年は思いながら口には出さず、「時代は変わったな」
と苦笑いで酒を酌み交わす。そして披露宴の最後は、新婦から
両親への感謝の言葉と新郎のあいさつ。
新婦は「心配ばかりかけてごめんね。今まで育ててくれて
ありがとう」と感謝し、両親とともに必至で涙をこらえる。
昔も今も変わることのない親子愛が出席者の涙を誘う。
気が付けば、友人たちもこのときばかりは自席で静かに目頭を
押さえている。時代は変わっても結婚式の感動は不滅なのだ。
と安心して帰途についた。
世界の平和を願いたい
- 2012年8月27日 20:04
- M.N氏の岡目八目
作家の向田邦子さんの父は大酒飲みの癇癪(かんしゃく)持ちで、
家では「バカ野郎」の罵声や拳骨(げんこつ)が絶えなかった。
そんな父が終戦の年の4月、疎開する幼い妹に自分の宛名を書いた
おびただしいはがきを持たせた。「元気な日はマルを書いて、毎日1枚
ずつポストに入れなさい」と。妹はまだ字が書けなかったからだ。
そのうちはがきが届かなくなり、母が迎えに行った。妹は百日咳
(ひゃくにちぜき)を患い、虱(しらみ)だらけの頭で寝かされていた。
妹が帰ってくると、父は裸足(はだし)で表に飛び出し、瘠せた妹の
肩を抱いて声を上げて泣いたいう。向田さんのエッセー集
「眠る盃(さかずき)から引いた。暴君に見えても、心は子への
心配でいっぱいだったのだ。
向田さん親は無事に子供と再会できたからまだいい。
この時から1年ほど前、沖縄の子どもたちが疎開船「対馬丸」に乗って
那覇港から鹿児島へ向け出航した。米軍が迫ってきたためだ。
が、途中で米潜水艦の魚雷を受け沈没する。それが1944年
一昨日(8月22日)の夜だった。
疎開船には学童738人と教師、付き添いら合わせて1747人が
乗っていた。暗い海中に投げ出され、力尽きて次々と水中に姿を
消していく。生存者は227人。このうち学童は59人だけだった。
本土でしたいことがいっぱいあったはずだ。希望に満ちた
子どもたちの命を理不尽な戦争は一瞬にして奪った。子どもたちの
恐怖と苦痛。、わが子を殺された親たちの悲しみを思うと、
戦争を憎まずにはいられない。日中韓で危険な国益主義が
高まっている折だけに、ことさらだ。
いじめ問題
- 2012年8月23日 18:38
- M.N氏の岡目八目
いじめ時代ーと言えばオーバーだろうか。だが昨今は、
いじめが報道されない日がないほど、毎日がいじめに
あふれている。それだけ、誰かを標的にして攻撃しないと
氣が済まない人が多いのか。情けない時代を迎えたものだ。
いじめる側に対しては当然だが、子どもを守らなければならない
学校や教育委員会の無策な対応ぶりには情けなさも増幅する。
十分な調査をしなかったり、被害生徒に退学勧告するなど
自分の立場を全く理解していない。「不要」と判断されても
致し方ない状況だ。
なぜこうした現象が起きたかは今後、調査が進めば明白に
なるだろう。ただ、少なくてもあの対応ぶりに「個」を尊重する意識が
全くなかったことだけは明らかだ。助けを求める子どもに手を
差し伸べるどころか組織や学校の面目を優先しているのでは
教育を語る資格はない。
欧米諸国で浸透する個人主義。もちろん、個々が好き勝手に
ふるまってよいということではない。まずは個を尊重するーが
根底にある。日本の教育現場や家庭、地域社会でどれだけ
個人を大切にする教えが施されてきたのか、現状が
語っているように思えてならない。
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