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日中国交正常化

日中国交正常化交渉のため、北京入りした田中角栄首相は
宿舎に入って目を丸くした。1972年の9月25日のことだ。
戸外は猛暑なのに室温は自分が好む17度に設定され、
好物のバナナとアンパンまで用意してあった。

首相は秘書に漏らした。「これは大変な国に来た交渉、
掛け合い事は命がけだな」。中国側は迎げていた。
国交樹立への意気込みをひしひしと感じたという。

『日中国交正常化』(中公新書、服部龍二著)に出てくる
挿話の一つだ。交渉は何回かの首脳会議を経て、中国の
周恩来総理言うところの「小異を残して大同を求める」
ことで妥結にこぎ着ける。

それから間もなく40年だ。日本政府が沖縄県・尖閣諸島
(中国名・釣魚島)を国有化したことで中国国内で反日デモが激化。
満州事変の発端となった柳条湖事件から81年の9月18日は
125都市で行われたようだ。

国交正常化交渉の際、毛沢東主席が田中首相に言った。
「もう周総理とケンカはすみましたか」『雨が降って地が固まる
ということばあるように、議論したほうが却(かえ)って仲よくなる
ということもありますよ」

中国で働き、暮らす日本人を反日デモで「命がけ」にさせては
ならない。日中講和の精神を忘れることなく、「命がけ」でケンカ
しなければならないのは両国首脳であるはずだ。

引き際

スポーツ選手の引き際は難しい。惜しまれつつ現役を
引退する人もいれば、最後までもがき苦しんでも現役を
貫き通そうとする人もいる。どちらも、その選手のこだわりだろう。

ファンにとっても複雑な心境だ。一流プレーに魅了され、
応援し続けているが、全盛時の力がなくなり、ぶざまな姿を
さらす所を見ると悲しい気持ちにもなる。逆もある。
「まだまだやれるのに」と思っていた選手がいなくなるのは、
心に大きな穴が開いたようだ。

今年もプロ野球界では、大物選手たちが引退を表明した。
広島の石井豚朗選手は、投手から野手に転向し輝かしい成績を
残した。田口壮選手はオリックスでイチロー選手とプレーした
。阪神大震災があった1995年には日本一に輝き、大リーグの
カージナルスでもワールドチャンピオンになった。

先日は、阪神の金本知憲選手がバットを置くことを表明した。
1492試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立し、
どんな状態でも試合に出続けた。骨折しても片手一本で安打を
放った姿は多くのファンの記憶にも新しい。晩年は肩のけがで
守備の衰えが目立ったが、10年間に渡りチームに大きな財産を
残した。

スポットライトを浴びて引退する選手の一方、毎年
多くの若手が実力を発揮できずにひっそりと去って行く。
プロ野球界の在籍年数よりもはるかに長い第二の人生が始まる。
次のステージでは光り輝いてほしいと願う。

権力者のステータス

戦国の世を生き抜いた武将たちは、香木を好んだといわれる。
日本には平安の頃より、さまざまな練り香を持ち寄って楽しむ
優雅な宮廷遊戯があったが、戦いの場に臨む男たちの場合、
みやびな芳氣より、香木が持つシャープな匂いを求めた。

出陣の前には、決まって香を聞くものもいたそうだ。
独特の香りで精神の統一を図るためだ。これにより戦場でも
冷静な判断に基づいた采配が振るわれた。やがて香木が持つ
不思議な力に魅了され、武将たちは競ってコレクションした。

数ある香木の中で「天下第一の名香」とされるのが黄熟香
(おうじゅくこう)。奈良市の正倉院にある宝物の一つで、
一般的には「蘭奢侍(らんじゃたい)」の名で知られる。
過去には足利義政や織田信長、明治天皇が、その一部を
切り取っており、これを持つことが時の権力者のステータスだったようだ。

言葉の変わり

  • 2012年9月12日 20:37

テレビが普及するまではラジオが団欒(だんらん)の主役だった。
たんすの上、仏壇の脇など茶の間を見下ろす特等席に鎮座
していたが、後に携帯ラジオが普及した。

真空管がなくトランジスターとも呼ばれた。それまでのタイプより
ずっと小さかった。電源は乾電池だ。どこにでも持っていける
というのがうたい文句で、ショルダーバックのように肩掛け用の
ベルトが付いていた。

だがいま「携帯」と聞いてラジオを想像する人はいないだろう。
ほとんどの人は電話のことだと思うに違いない。言葉は時代とともに
変わり、その一部の意味だけが使われるようになることがあるようだ。

「認知」とは本来「ものごとを知ること」だが、法律では親子関係を
成立させることを指す。しかし最近では「症」を付けて使われる。
経営再建を表す「リストラ」は、その手段の一つ「人員削減」の意味だ。

「選挙」はどうか。大別すると、身近な市町村の選挙、知事や市長、
県議選、市議選そして国政選挙があるが、国民の多くは「近いうち」
と言われる総選挙を思い浮かべるのではないか。

ところが、東京永田町でいま選挙と言えば、民主党代表選、
自民党総裁選のことを指すようだ。有権者は候補者の公約や
人物で選ぶが、永田町では「党の顔」になるかどうかが基準らしい。

混迷する政局

  • 2012年9月10日 11:24

国会は8日に会期末を迎え、約8ヶ月にわたる論戦が
幕を閉じた。とはいえ、8月29日に参院で野田首相の問責決議が
成立してからはほとんど"開店休業"状態だったため
「まだやっていたの」と冷めた反応にも聞こえてくる。

現在、国会議員の関心事は民主、自民両党の党首選だ。
1年以内には必ず衆院選が行われ、10月にも召集見込みの
臨時国会で解散との観測も流れるなか、党の「顔」を選ぶ
戦いになるため注目度は高い。

民主党は野田代表が7日に出馬を表明、再選の可能性が
高いとされる。一方、自民党の谷垣総裁を取り巻く情勢は厳しく、
何人かが競い合いそうだ。

もう一つ、中央政界をにぎわせているのが橋下大阪市長率いる
大阪維新の会の国政進出問題。9日には大阪市内で現職の
国会議員らと公開討論会を開き、新党旗揚げに踏み出すようだ。
維新の会が提示した衆院選公約「維新八策」をめぐり意見が
交わされることだろう。

政治の低迷を背景に国際社会における日本の存在が
薄らいできているとの指摘がある。二つの党首選や第三極の
新党づくりでは、政治を立て直す道筋を示せるか、しっかりと
見ていきたい。
 

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