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体育の日

10月8日のお休みは「体育の日」だ。ああ、そうだった、と
思いつつ違和感が消えない。カレンダーの赤い文字もなんだか
居心地が悪そうにみえる。

一部の祝日を月曜日に固定し、土曜日からの3連休を増やそう
という「ハッピーマンデー制度」が始まったのは2000年。
あらためて確認して、導入から意外に時間がたっていることに
少々驚いた。以来「10月の第2月曜」と定められた体育の日は、
8日から14日の間をあちこち行き来している。

しかし、私たち"昭和の子"にとって体育の日といえば「10月10日」。
かなり強く刷り込まれているのか、なかなか今のシステムに
慣れられずにいる。ちなみに祝日になったのは1966年で、
10日の日付は、前々年の東京五輪の開会式の日だ。
祝日法によると「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」
日となっている。

始まって13年にもなる制度をつかまえて今さら批判もないが
「お祝いの日」の由来や意味が少しづつあいまいになっていくのは
なんとも味気ない気分だ。「祝日」はこの国の歴史や価値観の
現われでもある。私事で失礼だが、父の命日が10月10日で
「体育の日」だと覚えられていたのに。

時刻表の日

10月5日は「時刻表の日」だった。1894(明治27)年、
日本最初の本格的な時刻表「汽車汽船旅行案内」が創刊された
日にちなんだ記念日のようだ。たった1駅でも、立派な旅になる。
あるいは実際に乗らなくても、行楽の秋は殊に、鉄道の旅に
心ひかれます。

今のJTBの大判の時刻表は千ページを越す。この時刻表を
「読む」のが趣味の一つです。路線図をにらみ、行きたい場所への
旅程をあれこれ検討し、乗り継ぎを考え到着時間から逆算しながら、
細かな数字を飽かずに追っていく。机上の、想像の旅は
自由自在です。

幼少時の長距離移動はもっぱら鉄路。高校への通学や
大学時の帰省もほとんど鉄道だった。今も列車の旅は大好きです。

その時刻表は様変わりした。インターネットで検索すれば、
出発から到着までの時刻や料金が瞬時に調べられる。
便利なのは確かだが、旅への期待を膨らませながら紙の時刻表を
ぺらぺらとめくる至福のときがなくなったのは少々寂しく感じます。

JR東京駅

JR東京駅が5年に及ぶ保存、復元工事を終えて開業した。
東京駅は、首都の中央駅で国の玄関でもあり、何より
創建当初の赤レンガの威容が復元したのが素晴らしい。

駅舎内の東京ステーションホテルは、さすがにリニューアルオープン。
作家の川端康成や松本清張がよく利用したことで知られるが、
大の列車好きだった内田百閒もその一人だ。毎年の年始に
このホテルで大宴会を開いたそうだ。

東京駅は、浜口雄幸首相が銃殺された悲劇の現場でもある。
撃たれた後、「男子の本懐だ」と声を絞り出したが、翌年に死去。
現場を示すプレートが駅舎内にある。

そんなこんなも、大正期からの歴史と伝統を引く、風格ある
赤レンガの駅舎であってこそだ。バブル期には駅の高層化計画も
浮上したというが、そんなことを考えること自体、浅はかだろう。
同じ東京でも「道の起点」日本橋は今、高速道路に覆われて
見るも無残な姿だ。

だいたい日本は、建物などが老朽化すると「新しい物好き」が表れて、
いとも簡単に造り替えようとする。欧州では全く発想が逆のようで、
まず保存や復元を考え、その代わりに内装は現代的に改造した
建物が多い。そうして重厚な街並が保たれている。


老舗企業シャープ

9月15日はシャープ創業100周年だった。元号で言えば
大正元年のこの日、早川徳治がベルトに穴を開けずに締められる
バックルを発明、奉公先の金物店から独立した。

創業者早川さんの生涯は苦難続き。画期的な「早川式操出鉛筆」
(シャープペン)の開発で成功を収めて間もなく、重病で死線をさまよう。
関東大震災では妻子を亡くし、工場も失った。

無一文からの再出発の地は大阪。鉱石ラジオの国産化に成功した。
「常に新しいアイデアで、他より一歩先に新分野を開拓していかなければ、
成功は望めない」。早川社長の信条だったという。

国産テレビ第1号、量産型の電子レンジの発売、太陽電池の量産化、
集積回路の卓上計算機、液晶表示の電卓、どれも「日本で初めて」
「世界で初めて」と称賛された同社開発史の1ページだ。

その老舗企業が経営危機に陥り、再建計画をまとめた。
大量の人員を削減し、海外の工場なども一部売却。販売会社を
統合するほか、液晶テレビ事業を再構築する。創業以来の
思い切った改革だ。、

新技術を駆使したヒット商品を生み続けないと、存続が困難になる
厳しい業界だ。台湾企業との出資交渉の成否にかかわらず、
早川さんの言う「新分野の開拓」で、業績がV字回復する日が
来ることを願いたい。

白日時代

「グランドに銭が落ちている」とは、かってプロ野球南海の
名監督だった鶴岡一人さんの有名な言葉だ。プロ選手は
グランドを唯一の仕事場と心得て全てを注げ。名将はそんな思いを
独特の言葉で表現したのかもしれない。

それは大相撲の世界でも同じだ。元横綱初代若乃花の言
によれば、グランドは"土俵"に置き換わる。「強くなれば土俵の下には
何でもほしいものが埋まっているぞ。お金も着物もー」昔からその
一心で厳しいけいこに励んできた。

それを聞いた新弟子が夜中にけいこ場の土俵をスコップで
掘り起こしたという話もあったそうだ。横綱白鵬との激闘を制し
2場所連続の全勝優勝を果たした大関日馬富士は直後、
その土俵にそっと額をつけた。「土俵の神様に感謝の気持ちです」。

2分近い熱戦は、久しぶりに両国国技館を沸かせた一番だった。
どんな型の相撲にも対応するしなやかさに強靭(きょうじん)さを
併せ持つ横綱と、驚異の身体能力と粘り腰で全勝街道を突っ走る大関。
土俵の神様は双方の持ち味を存分に引き出したようだ。

土俵に埋まっているのは力士のほしいものばかりではない。
相撲ファンをとりこにするものも埋まっている。当日、内閣総理大臣賞
授与のため来場した野田首相も「鳥肌の立つ相撲」とたたえた。
 
「鳥肌」は本来恐怖や嫌悪感に襲われたときに使う言葉だが、
首相もついうっかりするほど、白熱の大一番だったということだろう。
日馬富士の横綱昇進で一人横綱にも終止符が打たれる。
"白日時代"の始まりだ。


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