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スタッフブログ

法案の審議

臨時国会が開会して一週間がたった。現状は、と言えば
相も変わらずの体たらく。重要法案の審議にすら入らず、
伝わってくるのは民主と自民の主導権争いというか、駆け引き
だけのようにみえる。政権政党の民主も民主なら、野党第一党の
自民も自民だ。民主が守り一色なら、自民は対決一色。
いたずらに時間だけが過ぎゆくばかりで、国債の発行に必要な
特例公債法案も入り口で待機させたままだ。

結果として予算の執行抑制が現実となり、地方交付税の交付も
先送りだ。本来なら先の通常国会で成立させるべきだったのだから、
速やかに、とならなければおかしいのだが、その責任を感じている
姿は少しもない。

自民にとっても、同法案を容認する方針を決めたのなら、さっさと
審議に応じると爽やかなのに。解散の約束がどうだとか、内閣の
姿勢を正すことが先だとか、国会運営優先の動きばかりだ。
一方の民主も精彩がない。

イタリア・シチリア島の知事選挙(10月末)で、こんな話がある。
政治家に失望した住民が犬を"擁立"し投票を呼びかけたという。
もちろん無効だが、犬に任せた方がまし、という強烈な皮肉からだ。
そこまでさせないように・・・外国の話と笑っていられない。

人生大勝負

その店が広島市の路地裏に開店したのは1984年のことである。
山口県宇部市の洋装店に見切りを付け、カジュアル衣料に
舵(かじ)を切った。屋号は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。
ユニクロの出発点だ。

千を越える店舗、1兆円の売上高に迫るファーストリテイリング
会長兼社長の柳井正氏、35歳の時である。それから28年。
「成長しなければ即死する」。近著『現実を視(み)よ』(PHP研究所)
で拡大路線一本やりの経営論を説くが、挫折も味わった。

着ている服がユニクロだとすぐ分かってしまう「ユニばれ」と
敬遠された時期があった。昨今も「デフレの元凶」と批判されながら、
当人は馬耳東風の様子だ。「圧倒的ナンバーワン」を掲げ、
世界市場で5兆円を目指すという。

強気とワンマン経営なら、こちらも負けてはいない。柳井氏が
社外取締役を務めるソフトバンクの孫正義社長である。
16歳で単身渡米。帰国後に設立したパソコンソフトの卸会社を、
売上高3兆円のグループに育て上げた。

今年の日本の富豪40人ランキングでは3位だ。1位の柳井氏の
後塵を拝したが先日は投資額1兆5千億円という米携帯大手の
買収を発表した。「男子として世界一を目指す」と胸を張った。

孫氏が19歳で立てた「人生50年計画」では、30代で軍資金
千億円,40代に一勝負、50代で事業完成となる。その「完成」
途上の大勝負だ。勝率7割と見たら果敢に戦う。それ以上の
確率を期待したらタイミングを逸する」のだそうだ。

知将

就任1年目で日本ハムをリーグ優勝に導いた栗山英樹監督の
理想の指揮官は、西鉄ライオンズ監督だった三原修氏という。
その名を聞けば、とりわけ60代以上の世代にとっては、
懐かしさとともにあの時代の光景がよみがえるに違いない。
プロ球界随一の知将といわれた三原氏は、その采配ぶりから
「三原魔術(マジック)と呼ばれた。

圧巻は1958(昭和33)年の日本シリーズだった。巨人に3連敗を
喫し後のない西鉄は、鉄腕稲尾和久の連投で4連勝を果たし、
奇跡の日本一といわれた。中西太がいて豊田泰光がいた。
西鉄の黄金時代だった。大スター長嶋茂雄はこの年巨人に入団し、
新人王を獲得した。

三原氏はその後、大洋ホエールズの監督に転じ、前年最下位の
球団を日本一にした。スポーツキャスターとして知られた栗山監督は
監督業はもちろん、コーチの経験もない。 しかし、選手掌握のうまさは
三原氏に共通する。そう指摘するのは、スポーツジャーナリストの
二宮清純氏だ。

例えば、1割台の打率で不振だった主砲の中田翔を4番として
使い続けた。批判もあったが、将来は球界を代表するスラッガーに
との思いからだ。クライマックスシリーズを制した日本ハムの
日本シリーズの相手は巨人に決まった。背番号{80}は三原氏の
それにちなむという栗山監督の采配に注目したい。

デジタル革命

長い間続いた「紙と鉛筆の時代」が「ワープロの時代」となり、
あっという間に「パソコンの時代」になった。こうも変わるか、
というほど飛躍的な変化だが、デジタル機器は今や生活の
必需品となった。

日本語のワープロが誕生したのは、1979(昭和54)年のことだった。
東芝の[JW-10」。前年の9月26日に東芝が発表し、この年の2月に
発売さてた。価格は630万円だったという。わずか33年前の話である。

その後、機能アップした新機種が次々登場して普及、価格も下った。
その「ワープロ時代」は短期間で終わった。情報通信の進歩と相まった
「パソコン時代」が到来。ワープロとは、有する機能が桁外れに違う。
それも年々進化して企業の経営、生産ばかりか、社会生活面にも
深く浸透する。

通信はできる、情報はとれる、買い物はできる・・・ワープロが登場した時、
抵抗した団塊世代にも違和感がない。まさしくデジタル革命だが、
その意識原点はワープロだ。最近「ワープロの日」(9月26日)があった
のを知った。初めて触った時の感触が何とも懐かしい。

ノーベル賞

 「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。
ノーベル医学生理学賞受賞が決まった山中伸弥・京都大教授は、
研究者としての歩みをつぎのように例えられる。人生の幸・不幸は
予測できないものだ、と。決して順風満帆ではなかった。
そんな思いを込めた言葉らしい。

挫折の連続だったという。研修医時代、手術が下手で、
普通なら20分で終わるところを2時間かかった。教官から
名前をもじって「じゃまなか」と呼ばれたとか。こんな話を聞くと、
日々、青息吐息で日々の生活と格闘している身には
なにやら親近感が沸いてくる。

脊髄損傷や重症のリウマチなど根冶療法のない患者が
多いのを見て、研修医時代から心を痛めてもいた。
「彼らの治療法を開発するには基礎研究しかない」。そんな思いも
あって、研究者に転身する。これが世界を驚かせた人工多能性
幹細胞(iPS細胞)開発につながる。本当に人生は分からない。

iPS細胞は「万能細胞」だ。病気やけがで失った組織を
よみがえらせる再生医療や難病の研究に新たな可能性を開いた。
「一日も早く応用し、社会貢献を実現したい」「難病の患者さんは
希望を持って」。山中教授のはやる思いが伝わってくる。

研究を理解してもらえず、一時、うつ状態になったこともあった。
そんな試練も「治らない病気を治るようにしたい」の一念で乗り越え、
画期的な成果を挙げた。とはいえ「実際に患者を救うまでは、
ノーベル賞を喜んでばかりもいられない」と山中教授は言われる。
そんな人だからこそ、日本中が受賞を祝福しないではいられない。

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