スタッフブログ
法案の審議
- 2012年11月 8日 08:05
- M.N氏の岡目八目
臨時国会が開会して一週間がたった。現状は、と言えば
相も変わらずの体たらく。重要法案の審議にすら入らず、
伝わってくるのは民主と自民の主導権争いというか、駆け引き
だけのようにみえる。政権政党の民主も民主なら、野党第一党の
自民も自民だ。民主が守り一色なら、自民は対決一色。
いたずらに時間だけが過ぎゆくばかりで、国債の発行に必要な
特例公債法案も入り口で待機させたままだ。
結果として予算の執行抑制が現実となり、地方交付税の交付も
先送りだ。本来なら先の通常国会で成立させるべきだったのだから、
速やかに、とならなければおかしいのだが、その責任を感じている
姿は少しもない。
自民にとっても、同法案を容認する方針を決めたのなら、さっさと
審議に応じると爽やかなのに。解散の約束がどうだとか、内閣の
姿勢を正すことが先だとか、国会運営優先の動きばかりだ。
一方の民主も精彩がない。
イタリア・シチリア島の知事選挙(10月末)で、こんな話がある。
政治家に失望した住民が犬を"擁立"し投票を呼びかけたという。
もちろん無効だが、犬に任せた方がまし、という強烈な皮肉からだ。
そこまでさせないように・・・外国の話と笑っていられない。
人生大勝負
- 2012年10月29日 19:15
- M.N氏の岡目八目
その店が広島市の路地裏に開店したのは1984年のことである。
山口県宇部市の洋装店に見切りを付け、カジュアル衣料に
舵(かじ)を切った。屋号は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。
ユニクロの出発点だ。
千を越える店舗、1兆円の売上高に迫るファーストリテイリング
会長兼社長の柳井正氏、35歳の時である。それから28年。
「成長しなければ即死する」。近著『現実を視(み)よ』(PHP研究所)
で拡大路線一本やりの経営論を説くが、挫折も味わった。
着ている服がユニクロだとすぐ分かってしまう「ユニばれ」と
敬遠された時期があった。昨今も「デフレの元凶」と批判されながら、
当人は馬耳東風の様子だ。「圧倒的ナンバーワン」を掲げ、
世界市場で5兆円を目指すという。
強気とワンマン経営なら、こちらも負けてはいない。柳井氏が
社外取締役を務めるソフトバンクの孫正義社長である。
16歳で単身渡米。帰国後に設立したパソコンソフトの卸会社を、
売上高3兆円のグループに育て上げた。
今年の日本の富豪40人ランキングでは3位だ。1位の柳井氏の
後塵を拝したが先日は投資額1兆5千億円という米携帯大手の
買収を発表した。「男子として世界一を目指す」と胸を張った。
孫氏が19歳で立てた「人生50年計画」では、30代で軍資金
千億円,40代に一勝負、50代で事業完成となる。その「完成」
途上の大勝負だ。勝率7割と見たら果敢に戦う。それ以上の
確率を期待したらタイミングを逸する」のだそうだ。
知将
- 2012年10月28日 18:21
- M.N氏の岡目八目
就任1年目で日本ハムをリーグ優勝に導いた栗山英樹監督の
理想の指揮官は、西鉄ライオンズ監督だった三原修氏という。
その名を聞けば、とりわけ60代以上の世代にとっては、
懐かしさとともにあの時代の光景がよみがえるに違いない。
プロ球界随一の知将といわれた三原氏は、その采配ぶりから
「三原魔術(マジック)と呼ばれた。
圧巻は1958(昭和33)年の日本シリーズだった。巨人に3連敗を
喫し後のない西鉄は、鉄腕稲尾和久の連投で4連勝を果たし、
奇跡の日本一といわれた。中西太がいて豊田泰光がいた。
西鉄の黄金時代だった。大スター長嶋茂雄はこの年巨人に入団し、
新人王を獲得した。
三原氏はその後、大洋ホエールズの監督に転じ、前年最下位の
球団を日本一にした。スポーツキャスターとして知られた栗山監督は
監督業はもちろん、コーチの経験もない。 しかし、選手掌握のうまさは
三原氏に共通する。そう指摘するのは、スポーツジャーナリストの
二宮清純氏だ。
例えば、1割台の打率で不振だった主砲の中田翔を4番として
使い続けた。批判もあったが、将来は球界を代表するスラッガーに
との思いからだ。クライマックスシリーズを制した日本ハムの
日本シリーズの相手は巨人に決まった。背番号{80}は三原氏の
それにちなむという栗山監督の采配に注目したい。
デジタル革命
- 2012年10月22日 21:46
- M.N氏の岡目八目
長い間続いた「紙と鉛筆の時代」が「ワープロの時代」となり、
あっという間に「パソコンの時代」になった。こうも変わるか、
というほど飛躍的な変化だが、デジタル機器は今や生活の
必需品となった。
日本語のワープロが誕生したのは、1979(昭和54)年のことだった。
東芝の[JW-10」。前年の9月26日に東芝が発表し、この年の2月に
発売さてた。価格は630万円だったという。わずか33年前の話である。
その後、機能アップした新機種が次々登場して普及、価格も下った。
その「ワープロ時代」は短期間で終わった。情報通信の進歩と相まった
「パソコン時代」が到来。ワープロとは、有する機能が桁外れに違う。
それも年々進化して企業の経営、生産ばかりか、社会生活面にも
深く浸透する。
通信はできる、情報はとれる、買い物はできる・・・ワープロが登場した時、
抵抗した団塊世代にも違和感がない。まさしくデジタル革命だが、
その意識原点はワープロだ。最近「ワープロの日」(9月26日)があった
のを知った。初めて触った時の感触が何とも懐かしい。
ノーベル賞
- 2012年10月17日 07:35
- M.N氏の岡目八目
「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。
ノーベル医学生理学賞受賞が決まった山中伸弥・京都大教授は、
研究者としての歩みをつぎのように例えられる。人生の幸・不幸は
予測できないものだ、と。決して順風満帆ではなかった。
そんな思いを込めた言葉らしい。
挫折の連続だったという。研修医時代、手術が下手で、
普通なら20分で終わるところを2時間かかった。教官から
名前をもじって「じゃまなか」と呼ばれたとか。こんな話を聞くと、
日々、青息吐息で日々の生活と格闘している身には
なにやら親近感が沸いてくる。
脊髄損傷や重症のリウマチなど根冶療法のない患者が
多いのを見て、研修医時代から心を痛めてもいた。
「彼らの治療法を開発するには基礎研究しかない」。そんな思いも
あって、研究者に転身する。これが世界を驚かせた人工多能性
幹細胞(iPS細胞)開発につながる。本当に人生は分からない。
iPS細胞は「万能細胞」だ。病気やけがで失った組織を
よみがえらせる再生医療や難病の研究に新たな可能性を開いた。
「一日も早く応用し、社会貢献を実現したい」「難病の患者さんは
希望を持って」。山中教授のはやる思いが伝わってくる。
研究を理解してもらえず、一時、うつ状態になったこともあった。
そんな試練も「治らない病気を治るようにしたい」の一念で乗り越え、
画期的な成果を挙げた。とはいえ「実際に患者を救うまでは、
ノーベル賞を喜んでばかりもいられない」と山中教授は言われる。
そんな人だからこそ、日本中が受賞を祝福しないではいられない。
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