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アンネの日記

東京や横浜の図書館・大手書店で「アンネの日記」や
それに関わる書籍が破られる事件が相次いでいる。
警察は捜査を始めた。ユダヤ人迫害に関係する本が
集中的に狙われていて、世界に衝撃を与えている。

第2次世界大戦中、ナチスの迫害を逃れて
アムステルダムの隠れ家で暮らしたユダヤ人の少女アンネ・
フランクが書き残した日記で、世界的ベストセラーでもある。

ナチスの恐怖におびえながらも、少女らしい夢や好奇心を
つづった文章は胸を打った。「わたし望みは、死んでからも
なお生きつづけること!」の一文に、うなづいた人も多いはずだ。
そのアンネの夢や希望が、再び引きちぎられたようで悲しい。

忘れてはならない歴史を伝える象徴的な本を切り裂くのは、
そこに書かれた歴史を否定する行為である。
誰が、なぜの疑問は尽きないが、破られた本の代わりにと
関連本を寄贈する市民の動きに気持ちが救われる。

社会のさまざまな場面で、理不尽な「暴力」が露出し始めている。
ささやかではあっても一人一人が自分の中に
「抵抗の砦」を築いていくことが大切だと感じる。

NHKの役割

NHKが激震に見舞われている。会長は不適切な発言を繰り返し、
経営委員からも物議を醸す発言が相次いだ。会長は就任直後、
10人の理事全員から日付を空欄にした辞表を提出させていた
ことも発覚した。発言は放送法の「政治的な公平」に抵触する
可能性があるし、事前に辞表を提出させる行為は、現場からの
異議を封じることにつながる。

菅官房長官は会長らの発言について「放送法に反するもの
ではない」と弁明したが、それを真に受ける人がどれほど
いるだろうか。すでにNHKには賛成に倍する批判的な意見が
寄せられているそうだ。

読みたくない新聞は購読しなければいい。しかし、テレビは
そうではない。購入しただけで月々1200円余りの受信料を
NHKに支払わなければならない。言い換えれば、主人公は
受信料を負担している側である。NHKが国営放送ではなく
公共放送である理由はここにある。

報道機関は政治を監視する役割を担っている。政府の宣伝機関
ではないし、時の政権に追従するのが目的でもない。だからこそ
放送法にも「放送の不偏不党」や「健全な民主主義の発達に
資すること』という規定があるのだ。

公共放送には、公平さと高い倫理観が求められる。
多様な声に耳を傾け、少数意見に目を配る寛容さも必要だ。
そういう組織のトップが自己の信条を押し付け、独裁的に
振る舞うのはいかがなものか。

ほのぼのとした感じ

江戸の街は、徳川家康が幕府を開いてから急速に発展した。
天下太平の世が続いた江戸時代の中期には人口が100万人を超え、
当時のパリやロンドンをもしのぐ世界屈指の大都市へと成長した。

商人や職人の多くが住んでいたのは下町。建物が軒を連ね、
狭い場所に庶民がひしめき合うようにして暮らしていた。ともすれば、
いざこざが起こりがちだが、いつしか人間関係をうまく保つ暗黙の
ルールが生まれた。

狭い道路で前から人が来たら、互いに右肩を引き、体を斜めにして
擦れ違う。雨降りなら、双方が傘を外側に傾ける。相手に滴を
かけないための配慮。傘を壊す心配もない。前者は「肩引き」、
後者は「傘かしげ」と呼ばれる。

これら「江戸しぐさ」は、知らない者同士がうまくやっていくための
処世術。法律などで明文化された決まりではなく、店主が従業員に、
親が子へ語って教えた。(越川禮子著『商人道「江戸しぐさ」の
知恵袋』講談社)

先日の大雪の影響で、1人がようやく歩けるほどの狭い歩道に
雪が積もった。足元の悪さに気をとられながら歩いていると、
対向してきた年配の女性が立ち止まって道を空けてくれた。
軽く会釈すると、笑顔で会釈が返ってきた。擦れ違いざまの
一瞬の出来事だった。無言のやりとりながら、ほのぼのとした
余韻が心地よかった。

チームワーク

ソチ冬季五輪のスキー・ジャンプ団体で日本が
銅メダルを獲得した朝はうれしさがこみ上げ、チーム
一人ひとりの頑張りに涙ぐむ葛西紀明選手の姿にじーんときた。

メンバーは20歳から41歳までいて、親子ほど年の差がある。
それぞれの各国の強豪を相手にしながら、けがや病気とも
闘っていた。銅はベテランが引っ張り、若手がきっちり
役割を果たした結果だ。

日本が団体で金メダルを取った1998年の長野五輪の影で、
直前に足を痛めメンバーに入れず悔しい思いをした葛西選手。
7度目となる今大会は、競技後に見せたVサインと晴れやかな
笑顔が印象的だった。

自分より若い世代の中で喜びを隠さない41歳に見入った。
悔しさをバネに変え、努力を続ければ望みはかなう。
その手本を見せてくれたように思う。

個人の銀、団体で銅を取ってなお「金メダルを取って、本当の
レジェンドと呼ばれるように頑張りたい」と次の五輪への意欲を
見せるあたりさすがだ。何事もやり続けるのも区切りをつける
のも自分次第。絶えず目標を揚げ高みを目指す姿に力をもらった。

自然の力を感じる

日本の近代建築研究の第一人者で、先日68歳で逝去した
鈴木博之さんが、ある企業から、「数百年残り続けた構築物の
調査を」との依頼を受けたのは、東日本大震災の三十年前の
ことだったという。世界各地の建築遺産などを調べ、報告書を
書かれた。その時、数世紀の時に耐えうる建造物のありように
気づいたといわれたそうだ。

一つは、大理石など持ち去られやすい高価な材料や、維持に
手間が掛かる最先端の技術で造るのは、だめだということ。
泥や普通の石などありふれた材料で大きく造るのが肝要で、
ピラミッドや古墳がその例といわれる。

もう一つは、宗教に代表されるように、人々が世代を超え、
それを守る熱情を持ち続けるシステムがあること。
その好例の一つが伊勢神宮だそうだ。

大震災の教訓を鈴木さんは<自然への畏敬(いけい)の念、
そこに込められた鎮魂の思いなくしては、今後数百年にわたる
町の再生はあり得ないのではないか>と論じられようだ。
いくら私たちの生活が技術発展の上に立とうとも、自然の力を
しかと感じて生きねばならないのだと。

鈴木さんの三十年余前の報告書を手にした企業はどう
受け止めたろうか。この企業、実は原発から出る放射性廃棄物に
関連する会社で、その長期貯蔵のヒントをも求めていたそうだ。
まさか核の力を信奉する「宗教的システム」が必要と考えた
訳ではなかろう。

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