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スタッフブログ

国民総所得

国の経済規模を測る指標といえば、GDP(国内総生産)が代表格だ
。以前多用されていたGNP(国民総生産)に取って代わったのは
20年ほど前になろうか。今度は新たにGNI(国民総所得)だという。
安倍首相が「10年後に1人当たりの国民総所得を150万円増やす」
と打ち上げた。アベノミクスの3本目の矢、成長戦略に明記された
数値目標である。そのまま受け取ると、夢も膨らみそうだが。

1人当たり年間150万円なら月に12万5千円ー。そんな
皮算用をしたら、残念ながら「取らぬタヌキの」である。GNIは国民や
日本企業が国内外で得た所得の総額を示す数字だ。企業が利益を
上げても給料にはね返らない限り、社員の懐にはつながらない。

新興国の成長の取り込みを掲げるなかで、指標はGDPよりGNIが
時代にかなっているというのは理解できる。ただ、「総所得」アップの
響きから連想する池田勇人元首相の「所得倍増」とは異なるのが、
今回の矢の的だと心得ておく必要がある。

昭和35(1960)年に首相に就いた池田勇人元首相は「所得倍増」を掲げ、
それは7年後に実現する。池田元首相の決意と、経済政策ブレーンとして
支えた下村治氏や田村敏雄氏の奮闘は、作家沢木耕太郎さんの
『危機の宰相(さいしょう)』に詳しく記載されている。夢を現実にする各氏の
誇り高い物語は今も色あせない。

精神修養

「柔術」を「柔道」と改めたのは講道館を創始した嘉納治五郎
(かのうじごろ)氏だ。柔術に打ち込むは乱暴者が多かったらしい。
「柔術は勝つための術を教えるが、人間が踏み行べき道が
忘れられいる」。嘉納治五郎氏はそう見た。

「まず精神修養で根本となる道を教え、術はその次に教えるべきだ」。
こんなえから名称を「柔道」した。講道館は「道」を講ずる教育所
という意味だ。修業の目的も崇高だ。社貢献に努め、人類が
ともに発展していくことにあるという。

この理念があるから、柔道が世界に広まったのだろう。
米国大統領だったセオア・ルーズベルトも心に学んだという。
嘉納治五郎氏はアジア初のオリンピック委員にもなられた。

その栄えある日本柔道が醜聞にまみれていると報道されている。
女子選手への力問題や助成金不正問題に続き、全日本柔道連盟の
70代理事による女性へのわいせつ行為もるみに出た。
嘉納治五郎氏が亡くなって75年。たがが緩んでしまった。

嘉納治五郎氏の教育は独特だ。道場番の門弟が禁止されている
酒を友人と飲んいるところに突然れ、空の一升徳利(とっくり)を
両足に挟みながら熱心に形(かた)の説明をされた。二人は青くなっが、
嘉納治五郎先生は酒のことは何も言わず戻られたそうだ。
今も天上から気利いた論しの言葉発していられることだろう。
柔道界に聞こえていると思うのだが。

三浦流の人生

先日、三浦雄一郎さんの『80歳の挑戦』と題してエレベスト登頂の
ご成功を祈っていたが、史上最高年齢の80歳で世界最高峰エレベスト
(8848メートル)の登頂に成功された。冒険家の三浦雄一郎さんから
元気をもらった人は多いはずだ。

真っ黒に日焼けした顔。年齢からくる『老い』は、感じられなかった。
8千メートルを越える高所の酸素量は平地の約3分の1だそうだ。
常に死の危険とも、隣り合わせだ。素朴に「どうしてあの年で
あんなことができるのか」と思ってしまう。骨折や不整脈の手術もなされた。
それでも夢をあきらめずに3度目の快挙をなし遂げられた。
何が三浦さんを挑戦に駆り立てているのだろうか。

三浦さんは、『私はなぜ80歳でエレベストを目指すのか』の問いには、
「達成したくなる目標があれば、体力の回復は必要に応じてついてくる」
と答えられた。目標とするのは「自己新記録」で、それがたまたま
「世界新記録」になるのだと。

下山したばかりで、疲労困憊(こんぱい)のはずだが、今度は原点である
スキーヤーとして、世界6位の高峰から滑降する新たな目標を揚げられた。
前へ前へと歩みを止められない。三浦さんのパワーには、敬服するばかりだ。 

目標設定には年齢は関係ない。理由をつけては、その日暮らしを続ける
わが身の戒めとしたい。

横綱昇進

その悔しさを次の名古屋場所にぶつけてほしい。
そう思った稀勢の里ファンは多かったのではないか。
大相撲夏場所千秋楽。稀勢の里が勝ち、白鵬が敗れれば
優勝決定戦にもつれ込む状況だった。が、その前に
力尽きてしまった。

同郷モンゴルの先輩・朝青龍に並ぶ25度目の優勝を
全勝で果たした白鵬は、決して倒れることのない高い壁のようだ。
心技体ともに揺るぎない充実ぶりは大横綱の風格十分である。

一方、稀勢の里の綱取りは来場所以降に持ち越された。
2003年に貴乃花が引退して以来、日本出身力士はもう10年も
横綱から遠ざかっている。白鵬のファンには申し訳ないが、
再び夢を見させてもらいたい。

稀勢の里は04年、その貴乃花に次ぐ18歳3ヶ月の新入幕
年少記録を持っている。「稀(まれ)なる勢いをつくってほしい」
という願いが込められたしこ名の通り、06年には史上4番目の
若さで三役に昇進した。

しかし、そこから足踏みが続く。同時入幕の日馬富士は横綱となり、
小結と関脇、前頭を行ったり来たり。やっと大関に上がったのは
昨年の初場所から。新入幕から42場所での昇進は史上5番目の
遅さだった。

大関になったとき「もう一つ上(横綱)を目指すためには力をつけ、
自分で甘えないでやるしかない」と語った稀勢の里。挫折を
味わった男は、高い壁を破って綱をつかむことに努力され
我々の願いを(横綱)、実現してほしい。

公務員の郷土愛

ご当地をPRする「ゆるキャラ」の中で、熊本県の「くまモン」は
全国屈指の人気者である。関連商品の売り上げは昨年
300億円近くに上がったというから大したものだ。まん丸い目に
赤いほお、メタボ気味のくまモンは2010年に誕生した。
九州新幹線が全線開業する前年で、熊本PRのアドバイザー
になった放送作家、小山薫堂さんが提供したスローガンなどと
ともに発表された。いわば「おまけ」だったそうだ。

それを熊本の知名度アップに生かそうと奔走したのが、
県大阪事務所長だった佐伯和典さんらだ。蒲島邦夫知事に、
「好きなことをやれ」と指示されたという。新大阪と鹿児島
中央間で直通運転が始まれば、熊本は埋没するという
危機感に背中を押された。

展開された企画は、公務員の枠にとらわれないユニークさである。
1万枚の名刺配りやイベントで顔を売り、大阪プロレスでは
場外乱闘に絡んだ。マスコミでも話題となり、蒲島知事も
吉本新喜劇に出演されたとのこと。

「くまモンと仕事をして意識が変わった」と、畑違いのPR作戦に
かかわった職員らは「くまモンの秘密」(幼冬舎新書)に記した。
佐伯さんも「たくましくなった」と部下を評価する。担当を離れても
生きる経験に違いない。ゆるキャラと関係者がともに成長して、
地域も活気づく。地方発の事業として格好のお手本だ。

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