スタッフブログ
国民総所得
- 2013年6月13日 10:28
- M.N氏の岡目八目
国の経済規模を測る指標といえば、GDP(国内総生産)が代表格だ
。以前多用されていたGNP(国民総生産)に取って代わったのは
20年ほど前になろうか。今度は新たにGNI(国民総所得)だという。
安倍首相が「10年後に1人当たりの国民総所得を150万円増やす」
と打ち上げた。アベノミクスの3本目の矢、成長戦略に明記された
数値目標である。そのまま受け取ると、夢も膨らみそうだが。
1人当たり年間150万円なら月に12万5千円ー。そんな
皮算用をしたら、残念ながら「取らぬタヌキの」である。GNIは国民や
日本企業が国内外で得た所得の総額を示す数字だ。企業が利益を
上げても給料にはね返らない限り、社員の懐にはつながらない。
新興国の成長の取り込みを掲げるなかで、指標はGDPよりGNIが
時代にかなっているというのは理解できる。ただ、「総所得」アップの
響きから連想する池田勇人元首相の「所得倍増」とは異なるのが、
今回の矢の的だと心得ておく必要がある。
昭和35(1960)年に首相に就いた池田勇人元首相は「所得倍増」を掲げ、
それは7年後に実現する。池田元首相の決意と、経済政策ブレーンとして
支えた下村治氏や田村敏雄氏の奮闘は、作家沢木耕太郎さんの
『危機の宰相(さいしょう)』に詳しく記載されている。夢を現実にする各氏の
誇り高い物語は今も色あせない。
精神修養
- 2013年6月12日 12:58
- M.N氏の岡目八目
「柔術」を「柔道」と改めたのは講道館を創始した嘉納治五郎
(かのうじごろ)氏だ。柔術に打ち込むは乱暴者が多かったらしい。
「柔術は勝つための術を教えるが、人間が踏み行べき道が
忘れられいる」。嘉納治五郎氏はそう見た。
「まず精神修養で根本となる道を教え、術はその次に教えるべきだ」。
こんなえから名称を「柔道」した。講道館は「道」を講ずる教育所
という意味だ。修業の目的も崇高だ。社貢献に努め、人類が
ともに発展していくことにあるという。
この理念があるから、柔道が世界に広まったのだろう。
米国大統領だったセオア・ルーズベルトも心に学んだという。
嘉納治五郎氏はアジア初のオリンピック委員にもなられた。
その栄えある日本柔道が醜聞にまみれていると報道されている。
女子選手への力問題や助成金不正問題に続き、全日本柔道連盟の
70代理事による女性へのわいせつ行為もるみに出た。
嘉納治五郎氏が亡くなって75年。たがが緩んでしまった。
嘉納治五郎氏の教育は独特だ。道場番の門弟が禁止されている
酒を友人と飲んいるところに突然れ、空の一升徳利(とっくり)を
両足に挟みながら熱心に形(かた)の説明をされた。二人は青くなっが、
嘉納治五郎先生は酒のことは何も言わず戻られたそうだ。
今も天上から気利いた論しの言葉発していられることだろう。
柔道界に聞こえていると思うのだが。
三浦流の人生
- 2013年6月 9日 18:35
- M.N氏の岡目八目
先日、三浦雄一郎さんの『80歳の挑戦』と題してエレベスト登頂の
ご成功を祈っていたが、史上最高年齢の80歳で世界最高峰エレベスト
(8848メートル)の登頂に成功された。冒険家の三浦雄一郎さんから
元気をもらった人は多いはずだ。
真っ黒に日焼けした顔。年齢からくる『老い』は、感じられなかった。
8千メートルを越える高所の酸素量は平地の約3分の1だそうだ。
常に死の危険とも、隣り合わせだ。素朴に「どうしてあの年で
あんなことができるのか」と思ってしまう。骨折や不整脈の手術もなされた。
それでも夢をあきらめずに3度目の快挙をなし遂げられた。
何が三浦さんを挑戦に駆り立てているのだろうか。
三浦さんは、『私はなぜ80歳でエレベストを目指すのか』の問いには、
「達成したくなる目標があれば、体力の回復は必要に応じてついてくる」
と答えられた。目標とするのは「自己新記録」で、それがたまたま
「世界新記録」になるのだと。
下山したばかりで、疲労困憊(こんぱい)のはずだが、今度は原点である
スキーヤーとして、世界6位の高峰から滑降する新たな目標を揚げられた。
前へ前へと歩みを止められない。三浦さんのパワーには、敬服するばかりだ。
目標設定には年齢は関係ない。理由をつけては、その日暮らしを続ける
わが身の戒めとしたい。
横綱昇進
- 2013年5月28日 20:21
- M.N氏の岡目八目
その悔しさを次の名古屋場所にぶつけてほしい。
そう思った稀勢の里ファンは多かったのではないか。
大相撲夏場所千秋楽。稀勢の里が勝ち、白鵬が敗れれば
優勝決定戦にもつれ込む状況だった。が、その前に
力尽きてしまった。
同郷モンゴルの先輩・朝青龍に並ぶ25度目の優勝を
全勝で果たした白鵬は、決して倒れることのない高い壁のようだ。
心技体ともに揺るぎない充実ぶりは大横綱の風格十分である。
一方、稀勢の里の綱取りは来場所以降に持ち越された。
2003年に貴乃花が引退して以来、日本出身力士はもう10年も
横綱から遠ざかっている。白鵬のファンには申し訳ないが、
再び夢を見させてもらいたい。
稀勢の里は04年、その貴乃花に次ぐ18歳3ヶ月の新入幕
年少記録を持っている。「稀(まれ)なる勢いをつくってほしい」
という願いが込められたしこ名の通り、06年には史上4番目の
若さで三役に昇進した。
しかし、そこから足踏みが続く。同時入幕の日馬富士は横綱となり、
小結と関脇、前頭を行ったり来たり。やっと大関に上がったのは
昨年の初場所から。新入幕から42場所での昇進は史上5番目の
遅さだった。
大関になったとき「もう一つ上(横綱)を目指すためには力をつけ、
自分で甘えないでやるしかない」と語った稀勢の里。挫折を
味わった男は、高い壁を破って綱をつかむことに努力され
我々の願いを(横綱)、実現してほしい。
公務員の郷土愛
- 2013年5月24日 08:21
- M.N氏の岡目八目
ご当地をPRする「ゆるキャラ」の中で、熊本県の「くまモン」は
全国屈指の人気者である。関連商品の売り上げは昨年
300億円近くに上がったというから大したものだ。まん丸い目に
赤いほお、メタボ気味のくまモンは2010年に誕生した。
九州新幹線が全線開業する前年で、熊本PRのアドバイザー
になった放送作家、小山薫堂さんが提供したスローガンなどと
ともに発表された。いわば「おまけ」だったそうだ。
それを熊本の知名度アップに生かそうと奔走したのが、
県大阪事務所長だった佐伯和典さんらだ。蒲島邦夫知事に、
「好きなことをやれ」と指示されたという。新大阪と鹿児島
中央間で直通運転が始まれば、熊本は埋没するという
危機感に背中を押された。
展開された企画は、公務員の枠にとらわれないユニークさである。
1万枚の名刺配りやイベントで顔を売り、大阪プロレスでは
場外乱闘に絡んだ。マスコミでも話題となり、蒲島知事も
吉本新喜劇に出演されたとのこと。
「くまモンと仕事をして意識が変わった」と、畑違いのPR作戦に
かかわった職員らは「くまモンの秘密」(幼冬舎新書)に記した。
佐伯さんも「たくましくなった」と部下を評価する。担当を離れても
生きる経験に違いない。ゆるキャラと関係者がともに成長して、
地域も活気づく。地方発の事業として格好のお手本だ。
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