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スタッフブログ

伝承の技

薬師寺が建った1300年前、今のカンナに相当する大工道具は
なかった。長い柄(え)にナイフのような刃(は)をつけたヤリガンナ
という道具で木を削った。

昭和初期、法隆寺の夢殿(ゆめどの)で厨子(ずし)を
造り替(か)えることになった。古式のヤリガンナの使い手を捜したが
関西にはいなかった。そこで招かれたのが加賀の銅鑼(どら)造りの
初代・魚住為楽(うおずみいらく)さんだった。仏壇造りの
修業もした魚住さんは木工技術にも長けていたのだ。

これは大変なことだった。宮大工の本場の奈良で消えかかった技法が
加賀の工芸の中に残っていたのである。薬師寺や法隆寺が守りぬいた
世界的な宗教遺産と地方の伝統工芸が一本の糸でつながっている
ことを意味している。

井波(いなみ)の木工や輪島や山中漆器(しっき)の木地づくりの
技法と飛鳥(あすか)白鳳(はくほう)期の仏像の木肌に共通するものが
あると言っても不遜(ふそん)ではないでしょう。
古代の匠たちも、今日と同様、日常の家造りや器造りの中で
技を鍛え磨いたに違いない。

先日の同窓会で国宝薬師寺展を参観した友人から人と時をつなぐ
伝承の技に感動したと伝え聞いた。また、ジェクト株式会社
創立者・重太郎さんが生存されていたら、大工道具の歴史を教えて
いただけるのだが。

女性宇宙飛行士

「私はカモメ」。女性として世界で始めて宇宙飛行に成功した
旧ソ連のテレシコワさんの"第一声"が報じられたのは、今から
50年前、1963年6月のことだった。その2年前に人類初の
宇宙飛行に成功した旧ソ連のガガーリンさんは「地球は青かった」
と言う言葉を残した。「青い地球」を飛ぶ「カモメ」は宇宙の
ロマンを思わせる。

詩人かとも思われたテレシコワさんは政治家になった。
76歳の今もロシア下院議員で外交副委員長を務めて
いられるようだ。50周年の記者会見では、地球を外から見た
一人として人類共存を訴えられた。宇宙のカモメ気分を味わった
女性は今は各国にいられる。50周年を記念してウィーンで
女性宇宙飛行士の討論会が行われた。日本から出席した
向井千秋さんは、宇宙では男女やさまざまな民族が
協力できると話し、「人類の絆」を強調されたそうだ。

女性を抜きに宇宙での絆は語れない時代になった。
月の次の目標になる火星も例外ではない。米航空宇宙局
(NASA)が火星などの有人探査を目指す宇宙飛行士候補として
先ごろ選んだ8人のうち4人は女性だ。地球以外の惑星にも
羽を広げるカモメを想像する。

50年前のカモメは実はテレシコワさんの暗号名で
「こちらカモメ」と交信したにすぎないという。思えば当時は
東西冷戦下だった。冷戦を象徴する暗号名に羽が生えて
伝えられたのかもしれない。宇宙にはロマンの方が似合うようだ。

看護師さんの労働

「病室担当の看護師さんが優しい人かどうか」。かって入院した時、
こんなたわいのないことが患者にとっては日々の関心事だった。
期待する中の一人だと分かると、ほっとしたものだ。看護師さんの
優しさは患者の心に力を与えてくれる。

その看護師さんを含む看護職員から、ここ一年間に「辞めよう」と
思った人が半数に上る、と聞いた。「病院をかわりたい」という人も
いるそうだ。職場に不満を抱いている人が多いのに驚いた。これでは
優しさを発揮する気分になれないこともあるのでは、と少し心配になった。

「賃金が低く、努力のかいがない」「人手が足りない」「やりがいが
感じられない」「事故を起こすのではないかと不安」。不満の理由だ。
いずれも仕事量の多さが背景にあるようだ。三交代制で夜勤が月
9回以上の人もいた。

「日勤を終えて病棟を後にするのは午後8時を過ぎるのが普通」
「夕食を夜中にとるのが普通になり、睡眠不足状態の朝は食欲が
なくて食べなくなった」。こんな新人看護師さんの声を聞いた。

看護師さんの仕事は人の健康や命に関わる。忙しすぎて、
事故の不安が募るような労働環境は早急に改善してほしい。
それまでは患者やその家族が日々感謝の念を示し、看護師さんに
ストレスを和らげてもらおう。

日本野球機構(NPB)に問う

「本塁打量産はなぜ?」飛ばないはずの球が次々とスタンドへ
運ばれるのはどうしてかー。その謎が解けた。「飛ぶボール」になって
いたのだ。日本野球機構(NPB)が、昨年より反発力を増すように
メーカーに微調整を指示していたことを明らかにした。

「事実を公表しなかったのはなぜ?」。今季、球の感触の違いを
実感する選手もいたが、NPBはこれまで「球を変えた事実はない」と
主張していた。しかし実際は変わっていた「混乱を招かないように
公表しなかった」としているが納得できる説明ではなく、
別の理由があるのではと疑問が残る。

選手にとってはもちろんだがファンにとっても大きな問題だ。
「ホームランが多くていい」という単純なことではない。
だまされていたとの思いは否めず、心から楽しめなくなりはしないか。
今回のことで、選手やファンはNPBに対して疑念を持ってしまった。

ボールは石ころを布で巻いて古いマットで包んで作った。
バットは木か竹棒で手づくりだった。赤バット川上、青バット大下選手を
応援した頃のオールドファンも離れていく。「ファンが離れていったのは
なぜ?」という事態に陥らないよう、統括組織としてのNPBの
今後の姿勢が重要であると思う。


北の湖土俵入り

日本相撲協会の北の湖理事長が還暦の土俵入りを披露した。
太刀持ちに九重親方(元横綱千代の富士)露払いに貴乃花親方
を従え、昭和から平成にかけての大横綱のそろい踏みだった。
重心の低いあんこ型の姿はそのままだった。現役時代と同様に
早い所作で雲竜型の土俵入りを見せてくれた。せり上がりで
少しふらつく場面もあったが、威風堂々とした姿が、まぶたに残る
昭和の残像と重なった。

現役理事長で還暦の土俵入りをしたのは1988年の二子山以来
という。スピード出世を遂げた北の湖は、史上最年少の21歳2ヶ月で
横綱昇進をつかむ。憎たらしいほど強かったが真摯に土俵を務めた。
理事長就任は2回目。1回目は力士暴死事件や大麻問題などから辞任。
その後、角界は八百長問題で存亡の危機に立ち、土俵際からの
出直しとなった。

相撲協会理事長の再登板は史上初。政界では安倍首相が昨年、
再登板を果たし、内政、外交に大懸案を抱えながらも高支持率を
維持している。北の湖理事長も相撲人気のV字回復を果たしてほしい。
まずは日本人力士の奮起だ。日本人の活躍がなく、大相撲の
発展はないのだから。

 

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