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M.N氏の岡目八目 Archive

春眠

毎年、この季節になると「春眠暁を覚えず」という詩が
身近に感じられます。人に必要な睡眠時間は、
加齢とともに減っていきます。厚生労働省によると、
減少するのは20年に約30分。10代前半までは
平均8時間以上の睡眠が必要だが、25歳になると
約7時間、45歳では6時間半、65歳では6時間で
十分といいます。

若いうちは十分な睡眠をとり、疲労をためないことが
大切だが、年齢が高くなると、さっさと起き上がって
生活にメリハリをつけたほうが健康にはよいそうだ。
若いころは慢性的な睡眠不足だったが、高齢者の
仲間入りをしたいまは5,6時間眠れば自然に目が覚める。
逆に、以前はどんな場所でも眠れたが、最近はそうでもない。
国は近く睡眠管理の指針を出すそうだ。


私が書かせていただいたブログ「岡目八目」も約6年間
521編を筆しました。今日をもって最後といたします。
浅学非才の私の筆をお読みいただいた方々に心から
感謝申し上げます。これからは蛇の脱皮のように、
古い皮を脱いで若者のように飛躍した考えを保持したい
と考えております。

 

超高齢化社会の対応

医療や介護の専門家が「2025年問題」に危機感を
募らせている。11年後は団塊世代が全員75歳以上に
なる年だ。その時点で3人に1人が65歳以上となり、
認知症を抱える人は470万人に達するとされる。

当然ながらその後も高齢者は増え続ける。一方で、
社会保障を支える現役世代が増える見込みは全くない。
巨額の借金を背負う国の財政も、青息吐息の状態だろう。
そうした中で25年以降の約20年をいかに乗り切るか。
関係者が頭を悩ませているのは、そこである。

病院のベッドや介護施設を増やして対応しようにも、
間に合わない可能性が高い。高齢者で埋まった病院を前に、
一刻を争う救急患者が受け入れ先を求めてさまよう事態も
指摘され始めた。目前に迫る超高齢社会は、それだけ厳しい
ものになるということだ。

だからこそ、高齢者がこれまで通りの医療や介護を受けながら、
地域で住み続けられる体制づくりが叫ばれているのだろう。
ただ、人口構成や面積など地域によって事情はさまざまに異なる。
在宅医療ができる医師の養成はもとより、介護現場で働く人材も
確保しなければならない。

日本の医療と介護を大転換させる取り組みになるだろう。
だが、目の前にそびえる山を乗り越えなければ展望が開けない。
残された時間はわずかだ。腹をくくって動き始めるしかない。

子どもが見えない

自治体の教育行政の責任者を明確にしたのはいい。
教育長と教育委員長を統合する新「教育長」がそれだ。
だが、その任命権は首長にある。問題があれば罷免もできるが、
その際は任命責任も問われよう。より心配なのは首長が教育に
「政治介入」しないかだ。

教育委員会制度改革を検討していた自民、公明両党の
作業チームが合意した改革案だ。首長が主宰し新教育長や
教育委員らで構成する「総合教育会議」を新設、教育行政の
指針などを決める。

教育に自分の意向を反映できることを喜ぶ首長は多い
ことだろう。問題は、首長が選挙で変わると教育方針も変わる
可能性があることだ。首長が自分の教育理念と異なる見解を
持つ人物を新「教育長」に据えるはずはない。

学校現場はどうなるのか。先生の教えが翌日、正反対になったら
子どもたちは何を信じていいのか分からなくなるだろう。
教員もストレスが募り、心の病による長期病欠がさらに増える
かも知れない。

自公が合意を急いだ背景には、難航が予想される集団的自衛権
をめぐる与党協議が控えているためという。「国の礎」とされる教育が、
防衛問題より格下扱いされた。

教育の中立性はどう担保されるのだろうか。いったい誰のための
教育委員会改革だったのか。消化試合のような改革論議に、
子どもの姿は見えなかったのだろうか。明治生まれの亡き父、
団塊時代の弟が元教育者だっただけに考えさせられる。

部屋探し

3月といえば"旅立ちの季節"である。進学や就職に伴って
親元を離れ、この春から一人暮らしを始める若者たちも
多いだろう。そうなると当然、アパートなど部屋探しも本格化する。
立地や家賃、間取り・・・。

最近の部屋探しはどうか。不動産情報サービス会社が昨秋、
全国で一人暮らしをしている学生や社会人を対象にアンケートを実施。
男女合わせて2074人から回答を得た。その結果から最近の
傾向が垣間見える。

まずは平均家賃。学生は5・9万円、社会人は6・3万円で、
ともに前年より上昇したそうだ。また男女別では学生、社会人とも
女性の方が高い部屋に住んでおり、特に女子学生の場合、
当初の予算よりも高い物件に入居していることが大きな特徴のようだ。

次は家賃以外で重視した点。学生では「通学時間」が1位にランクされ、
2位が「最寄り駅から近い」など利便性。これに対して社会人は
「間取り・広さ」がトップで、居住空間に重きを成している。さらに、
女性の場合は学生、社会人を問わずセキュリティーを重要視している。

このほか設備面に目を向けると、学生、社会人の双方とも
「独立したバス・トイレ」を探す傾向があるようだ。これ以外では
「フローリング」や「収納スペースが広い」とのポイントを挙げている。
これと逆に妥協した点では「防音」が多く、女性は理想が高い反面、
諦めた設備も多いそうだ。部屋探しの方法は、パソコンなどを
駆使しての情報収集が多いとのことだ。

アンネの日記

東京や横浜の図書館・大手書店で「アンネの日記」や
それに関わる書籍が破られる事件が相次いでいる。
警察は捜査を始めた。ユダヤ人迫害に関係する本が
集中的に狙われていて、世界に衝撃を与えている。

第2次世界大戦中、ナチスの迫害を逃れて
アムステルダムの隠れ家で暮らしたユダヤ人の少女アンネ・
フランクが書き残した日記で、世界的ベストセラーでもある。

ナチスの恐怖におびえながらも、少女らしい夢や好奇心を
つづった文章は胸を打った。「わたし望みは、死んでからも
なお生きつづけること!」の一文に、うなづいた人も多いはずだ。
そのアンネの夢や希望が、再び引きちぎられたようで悲しい。

忘れてはならない歴史を伝える象徴的な本を切り裂くのは、
そこに書かれた歴史を否定する行為である。
誰が、なぜの疑問は尽きないが、破られた本の代わりにと
関連本を寄贈する市民の動きに気持ちが救われる。

社会のさまざまな場面で、理不尽な「暴力」が露出し始めている。
ささやかではあっても一人一人が自分の中に
「抵抗の砦」を築いていくことが大切だと感じる。

NHKの役割

NHKが激震に見舞われている。会長は不適切な発言を繰り返し、
経営委員からも物議を醸す発言が相次いだ。会長は就任直後、
10人の理事全員から日付を空欄にした辞表を提出させていた
ことも発覚した。発言は放送法の「政治的な公平」に抵触する
可能性があるし、事前に辞表を提出させる行為は、現場からの
異議を封じることにつながる。

菅官房長官は会長らの発言について「放送法に反するもの
ではない」と弁明したが、それを真に受ける人がどれほど
いるだろうか。すでにNHKには賛成に倍する批判的な意見が
寄せられているそうだ。

読みたくない新聞は購読しなければいい。しかし、テレビは
そうではない。購入しただけで月々1200円余りの受信料を
NHKに支払わなければならない。言い換えれば、主人公は
受信料を負担している側である。NHKが国営放送ではなく
公共放送である理由はここにある。

報道機関は政治を監視する役割を担っている。政府の宣伝機関
ではないし、時の政権に追従するのが目的でもない。だからこそ
放送法にも「放送の不偏不党」や「健全な民主主義の発達に
資すること』という規定があるのだ。

公共放送には、公平さと高い倫理観が求められる。
多様な声に耳を傾け、少数意見に目を配る寛容さも必要だ。
そういう組織のトップが自己の信条を押し付け、独裁的に
振る舞うのはいかがなものか。

ほのぼのとした感じ

江戸の街は、徳川家康が幕府を開いてから急速に発展した。
天下太平の世が続いた江戸時代の中期には人口が100万人を超え、
当時のパリやロンドンをもしのぐ世界屈指の大都市へと成長した。

商人や職人の多くが住んでいたのは下町。建物が軒を連ね、
狭い場所に庶民がひしめき合うようにして暮らしていた。ともすれば、
いざこざが起こりがちだが、いつしか人間関係をうまく保つ暗黙の
ルールが生まれた。

狭い道路で前から人が来たら、互いに右肩を引き、体を斜めにして
擦れ違う。雨降りなら、双方が傘を外側に傾ける。相手に滴を
かけないための配慮。傘を壊す心配もない。前者は「肩引き」、
後者は「傘かしげ」と呼ばれる。

これら「江戸しぐさ」は、知らない者同士がうまくやっていくための
処世術。法律などで明文化された決まりではなく、店主が従業員に、
親が子へ語って教えた。(越川禮子著『商人道「江戸しぐさ」の
知恵袋』講談社)

先日の大雪の影響で、1人がようやく歩けるほどの狭い歩道に
雪が積もった。足元の悪さに気をとられながら歩いていると、
対向してきた年配の女性が立ち止まって道を空けてくれた。
軽く会釈すると、笑顔で会釈が返ってきた。擦れ違いざまの
一瞬の出来事だった。無言のやりとりながら、ほのぼのとした
余韻が心地よかった。

チームワーク

ソチ冬季五輪のスキー・ジャンプ団体で日本が
銅メダルを獲得した朝はうれしさがこみ上げ、チーム
一人ひとりの頑張りに涙ぐむ葛西紀明選手の姿にじーんときた。

メンバーは20歳から41歳までいて、親子ほど年の差がある。
それぞれの各国の強豪を相手にしながら、けがや病気とも
闘っていた。銅はベテランが引っ張り、若手がきっちり
役割を果たした結果だ。

日本が団体で金メダルを取った1998年の長野五輪の影で、
直前に足を痛めメンバーに入れず悔しい思いをした葛西選手。
7度目となる今大会は、競技後に見せたVサインと晴れやかな
笑顔が印象的だった。

自分より若い世代の中で喜びを隠さない41歳に見入った。
悔しさをバネに変え、努力を続ければ望みはかなう。
その手本を見せてくれたように思う。

個人の銀、団体で銅を取ってなお「金メダルを取って、本当の
レジェンドと呼ばれるように頑張りたい」と次の五輪への意欲を
見せるあたりさすがだ。何事もやり続けるのも区切りをつける
のも自分次第。絶えず目標を揚げ高みを目指す姿に力をもらった。

自然の力を感じる

日本の近代建築研究の第一人者で、先日68歳で逝去した
鈴木博之さんが、ある企業から、「数百年残り続けた構築物の
調査を」との依頼を受けたのは、東日本大震災の三十年前の
ことだったという。世界各地の建築遺産などを調べ、報告書を
書かれた。その時、数世紀の時に耐えうる建造物のありように
気づいたといわれたそうだ。

一つは、大理石など持ち去られやすい高価な材料や、維持に
手間が掛かる最先端の技術で造るのは、だめだということ。
泥や普通の石などありふれた材料で大きく造るのが肝要で、
ピラミッドや古墳がその例といわれる。

もう一つは、宗教に代表されるように、人々が世代を超え、
それを守る熱情を持ち続けるシステムがあること。
その好例の一つが伊勢神宮だそうだ。

大震災の教訓を鈴木さんは<自然への畏敬(いけい)の念、
そこに込められた鎮魂の思いなくしては、今後数百年にわたる
町の再生はあり得ないのではないか>と論じられようだ。
いくら私たちの生活が技術発展の上に立とうとも、自然の力を
しかと感じて生きねばならないのだと。

鈴木さんの三十年余前の報告書を手にした企業はどう
受け止めたろうか。この企業、実は原発から出る放射性廃棄物に
関連する会社で、その長期貯蔵のヒントをも求めていたそうだ。
まさか核の力を信奉する「宗教的システム」が必要と考えた
訳ではなかろう。

伝統と景観

ドイツの建築家ブルーノ・タウトが亡くなって今年で76年。
1933年に来日したタウトは桂離宮を世界に紹介するなど、
各地を旅しながら日本の美を再発見したことで知られる。
白川郷には35年5月に訪れ、合掌造り家屋を「建築学上
合理的であり、かつ論理的である」と絶賛したことで、
広く世界に注目されるきっかけとなった。

日本の文化的価値については、しばしば海外から
教えられることも多い。身近すぎて気が付かないのか、
それとも自信がないのか。浮世絵の芸術性の高さを
認めたのも、海外の方が先だった。

昨年は、「富士山」がユネスコの世界文化遺産に、
「和食」が無形文化遺産に登録された。ともに日本を
象徴する文化で、日本人の心が世界に認められたと
胸を張ってもいいと思う。

ただし、もろ手を挙げて喜んでばかりはいられない。
例えば、日本の食文化は、自然や四季の移ろいを表現して
楽しむとともに、年中行事とも密接に関わって育まれてきた。
洋食が普及した今、その食習慣が失われつつあるのでは
ないだろうか。

遺産登録を契機に今後、外国人観光客の増加や
農水産物の輸出拡大も期待される。しかし、大切なのは
伝統や景観を守り、次世代に引き継いでいく努力を
怠らないことではないだろうか。

日本女性科学者の大偉業

小保方晴子さんは、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)に勤める研究ユニットリーダーだが、STAP細胞という
新たな万能細胞の作製に成功した立役者だ。研究者といえば
白衣というイメージがあるのに、ご本人は祖母から貰った割烹着を
愛用しているといわれるのには笑ってしまった。この個性が
再生医療に新たな可能性を切り開いたのかもしれない。

この細胞がどのような革命をもたすのか、実用化にはまだ
超えなければならないハードルが色々待ち受けているのだろうが、
山中伸弥京大教授の開発もたiPS細胞に続いて画期的な発見が
日本から生まれたことは大いに誇るべきだ。

この細胞は作製が容易でがん化のリスクも低く、実用化されれば
神経や筋肉の細胞に分化する能力があると確認された。
マウスを使った実験ではあらゆる細胞に変わることができる
可能性を示したという。これは再生医療にとって偉大な一歩である。

この分野はいまや日本の独壇場と化した趣があり、今後裾野が
広がればさらに新たな発見、発明が促されることになろう。
オール日本が個人の平和にもつながるこうした研究に貢献していけば、
このところすっかり自信を失った日本人はようやく覚醒するだろう。

 

細川藩

文武両道に秀でた人物といえば、まず戦国時代の武将
細川幽斎(ゆうさい)が挙がるだろう。幽斎は熊本藩細川家の
初代にあたる。権力の趨勢(すうせい)を見極め、
足利将軍家から信長、秀吉、家康まで6人に仕えた。
天下分け目のとき的確に判断できたのは、巧みな
情報収集力があったためとされる。乱世にあって歌学を究め、
茶道・能・有職故実(ゆうそくこじつ)に通じた当代一の文化人だった。

生き抜くには文化人の才も役立った。関ヶ原の戦いで居城を囲まれ
死を覚悟したときは、かけがえのない歌学者を救うため、
後陽成天皇が講和の勅命を下している。それから18代目が、
にわかに注目の集まる細川護煕元首相だ。都知事選に立候補されている。

「若いときから決めていた」と還暦を機に政界を去り、神奈川県
湯河原町の山荘で晴耕雨読の生活に入った。徹底して突き詰める
先祖譲りの性分kらか、間もなく始めた陶芸の道で表川得た。
近ごろは京都の寺のふすま絵も描き、多才ぶりを発揮されている。

晴耕雨読は現代人のロマン。それを見事に実現し、また
「76にして立つ」とは。国政選挙が望めぬ中で、脱原発が進まない
現状を民意に問うなら意義はあろう。同世代を「第三の人生」へ
奮い立たせるかもしれない。政界のみならず波紋が広がりそうな
細川さんの決断である。

コンパクトシティ

住宅や店、病院や公共施設が一定の範囲に集まり、
徒歩や公共交通で快適に暮らせる・・・。そんな「コンパクトシティ」
構想を進めようと、政府が本格的な自治体支援に乗り出す。

市町村が住宅を誘導する区域では、マンションやスーパー、
病院、介護施設などを集約した大規模施設を建設しやすいよう
制度を緩和、良好な景観づくりや緑化事業についても資金面で
支援する。逆に郊外での大型施設建設は、届け出制を導入して
抑制する。国土交通省は今回の通常国会に、都市再生特措法の
改正案を提出するようだ。

ニュータウンの建設、郊外大型店などが象徴するように、
これまで街は拡大を続けてきた。しかし、交通渋滞や中心市街地の
空洞化など、深刻な問題を抱え込んでいるのが実情だ。
高齢者など交通弱者にとって、買い物や通院といった
日常の暮らしさえ困難になりつつある。

少子高齢社会が到来する中、過度に拡大した街をどう縮小、
再編し、市街地再生につなげるか。税収の伸び悩みも予想される中、
都市経営のコスト削減は行政にとっても課題だ。

「都市の縮小」というとマイナスイメージが伴うが、コンパクトな都市空間、
車に依存しない社会は、地球環境への負荷軽減にもつながる。
20年後、30年後を見据え、住民参加の議論を深めたらどうだろうか。

建設業界の現状

東日本大震災の被害地の復旧工事が、建設業界の人手不足で
思うように進まないようだ。加えて、経済対策「アベノミクス」による
公共事業の大幅増だ。かってのバラマキ同様、借金を
増やすだけで、景気浮揚にはつながらない。と言われている。

さらに、消費増税に伴う駆け込み住宅建築、東京五輪に向けた
施設整備も待ち受ける。需要はあるのに・・・。専門技能を持った
職人たちが、決定的に不足しているというのである。技能を
身につけるには、年月を要するが、仕事が減り続けてきたため、
安定収入が得られない職人たちは、大幅に減ってしまった。

公共事業では、1回目の入札で決まらない「不調」が増えている。
民間工事の駆け込み発注が多く、公共事業に手が回らないと言い、
その原因の一つが、職人、技術者の不足だ。再入札で決まったとして、
今度は工期の問題が生じる。

官民を問わず、短期間で仕上げるには、多くの人手が要るし、
どこかが雑にならないとも限らない。業界の人手不足を解消する
取り組みを始めねばならない。給与、社会保険等の改善も
求められよう。

人生は試練

民法学者だった末川博さんは「人生三分論」を理想として
唱えられていた。一日24時間のうち、人はおおむね8時間眠り、
8時間働き、残り8時間を自分のために使う。これを一生に
当てはめた。
 
すなわち人生75年として、最初の25年は人の世話になって
一人前の人間にしてもらう。次の25年は仕事に励んで世の中の
ためになり、育ててもらった恩返しをする。最後の25年は
趣味などを楽しみ自分の好むところに従って生きる。

明治生まれの末川さんの時代と今では、社会背景も人心も
随分変わった。60歳すぎまで働くのが当たり前になった昨今、
25年単位で人生を区切るのは無理かもしれない。それでも
区分を引き伸ばしてみれば、考え方としては有効だろう。
長い人生航路にめりはりが付きそうだ。

過日、大学入試センター試験が終わった。受験というのは、
若者が人に「育ててもらう」期間での一つの試練であろう。
次の段階へ進むステップではあるが、憂鬱な関門でもある。

わが身を振り返ってみて受験の記憶はほとんど薄れてしまったが、
問題用紙を前にしての張り詰めた緊張感だけは覚えている。
入試を目前に控え、わが子の様子を祈るように見守っている
親御さんも多かろう。

年明けにいくつか神社を巡り、たくさんの絵馬を目にした。
合格祈願の文面をたどって行くと、それぞれの受験生の姿が
目に浮かぶようだ。列島は寒の中だが、抜けない冬はない。
とエールを送りたい。

新成人に期待したい

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦から
今年で百年になる。大正生まれの人たちが百歳を
迎えている現実をあらためて思う。

昭和元年は一週間しかなく、昭和2年生まれが事実上の
昭和のトップバッターだ。その人たちも間もなく88歳の米寿
(べいじゅ)を迎える。「降る雪や明治は遠くなりにけり」と
うたわれたのは戦争前夜の昭和初期のことである。

今や大正も昭和もはるかに遠い。だが、どうもその気分に
なれない。この1世紀で日本人の寿命は延びた。
人生50年の大正や昭和戦前と、80歳以上が当たり前の
現在を同じ物差しでは計れない。元気な「大正人間」が
身近にたくさんいられる。

「20歳」も昔と今は違う。人生50年時代なら折り返し点の
前まできている。しかし、昨今では80歳のやっと4分の1に
過ぎない。歳月は時代によって長さも重さも異なる。ただ、
平成がそれ以前と決定的に違うことがある。

平成は戦争をまったく知らない新しい時代であることだ。
当たり前のことではない。明治、大正、昭和の人生の
先輩たちが残した財産である。新成人に期待する。
この宝を未来につなげていってほしい。

午年

2600年余り前、中国の春秋時代のことだ。
斉(せい)の王・垣公(かんこう)が戦いに出て
国に帰る途中、雪で道が分からなくなった。
「こんな時こそ老いた馬の知恵を利用すべきだ」。
家来が言うので、老馬を雪の中に放し、後を進んで
行ったら、無事、国に帰ることができたという。

「老いたる馬は道を忘れず」の諺はこの故事から生まれた。
転じて、経験を積んだ人は判断を誤らないという意味に
なった。そんなことを思い出させてくれる馬が今年の干支
(えと)だから、熟年世代にはうれしい年ではなかろうか。

馬ほど人間と深く関わってきた動物はいない。4500年も
前からイラクの辺りで戦車を牽(ひ)く動物として登場して
いるという。馬が戦争に利用され続けたのは悲しいが、
それだけに人馬一体の歴史は長い。

だからだろう。「道を忘れず」の諺からは馬に対する
深い信頼が見て取れる。このほかにも馬にちなんだ
諺は多い。例えば「馬が合う」。そんな人がいれば
毎日が楽しかろう。

足が遅い馬に乗っても10日行けば、名馬の一日分と同じ。
そんな意味の「駑馬十駕(どばじゅうが)は鈍才も努力次第で
秀才に追いつけるという例えだ。青蝿(あおばえ)だって
名馬の尾についていけば、1日に千里も行ける。
驥尾(きび)に付(ふ)す」がそれだ。愚かな身でも、
優れた人に従えば、何かは成し遂げられるということだ。
熟年世代でなくとも、午(うま)年に元気がわいてくる。

初夢

初夢とはいつ見る夢のことだろうか。調べた範囲では
2日夜が主流だった。だから、3日朝起きた時に頭に
残っていた夢が初夢である。良い夢ならば今年は吉。
悪い夢だったら逆夢と思えばいい。

だが初夢がなぜ2日夜なのか。年初めの夢は
大みそかに就寝し、午前零時過ぎ(元日)に見た夢と
するのが筋に思える。夢は脳が起きていて体が眠っている
レム睡眠時に見る。しかもレム睡眠は未明から早朝に多い。

しかし大みそかは眠らない人が多い。そのまま
初日の出を拝み、初詣に出掛ける。それで初夢は
1日または2日夜に見る夢とされたらしい。

昔から縁起の良い夢は「一富士,二鷹、三なすび」。
徳川家康が隠居した駿河の名物という。富士は「無事、
不死」、鷹は「高い」、なすびは「成す」に通じるとの説が
あるが、どんな夢になるのか想像もつかない。

平安、鎌倉の時代には節分の夜から立春の朝に見る夢を
初夢としたらしい。両時代を生きた西行法師の歌が
残っている。「年暮れね春来べしとは思い寝に、まさしく
見えしかなう初夢」。春になった夢を見たら、それが
本当になった、ということだろう。そんな単純な意味とも
思えないが、めでたい歌だ。

働く庶民の見る夢は景気の順調な回復と生活の
安定である。今年こそ本当になりますように。
本年もよろしくお願いいたします。

交付金

えとが巳から午に代わるまで、残すところ1週間をきりました。
円安株高に沸いたアベノミクスの傍らで、高齢化と人口減への
備えが呼ばれた2013年も、いよいよ押し詰まってきました。

地域の存亡を懸けた少子化対策を大胆に進めたいと思えど、
それに贅沢な予算を振り向けられるほど自治体の財政に
余裕はない。そんな折、都道府県は最大で4千万円、市町村は
800万円の財源を手にするチャンスが降ってわいてきた。
政府が、自治体独自の取り組みを支援する交付金を
新たに設けるという。

血税を使った総額30億円のクリスマスプレゼントと言いたい
ところだが、手を挙げれば誰もがもらえる金ではない。条件は、
ユニークで先駆的な取り組み。そこで注目されるのは、
県内の自治体が地域の将来にどれだけ危機感を抱いているか、
閉塞状況を打ち破るにはどのような対策が必要か、
日ごろからの考えを抜いているかどうかだ。

目前に迫る超高齢社会を見据え、中心市街地に都市機能を
集める「コンパクトシティー」構想を後押しするための支援策も、
さまざまに打ち出されそうだ。ただ、構想を実現させるには、
それ相応の財政支出が欠かせない。

それにも増して重要なのが、構想の狙いを十分に理解し、
協力してくれる住民の存在だろう。もしかしたら。今後数年間に
自治体が進める取り組みが、地域の将来を決定付けるかも
しれない。田舎の旧友からの久しぶりの便りに、国の昔ながらの
ばら撒き政策には少々腹がたつ年の瀬だ。

本年の「岡目八目」いかがでしたでしょうか。
来年もよろしくお願いいたします。
皆様方が良いお年を迎えられますことを祈願します。


工事現場

慌ただしい師走、友人の車に同乗していて都内の工事現場に
さしかかる。最近の工事現場だが、作業内容を大きく看板に
書いているのを見かけるようになった。「橋の寿命をのばす
工事をしています」「傷んだ舗装をなおしています」など。
分かりやすい言葉で伝えようとしている。

何のための工事か分かれば、イライラ感も幾分は緩和される
というものだ。従来工事現場にある看板や表示板は文字が小さく、
しかも専門的な用語が多いという印象。車の中から読めるような
ものではなかったように思う。

違う工事現場では、作業に従事jしている人たち十数人を
顔写真を付けて紹介していた。ここまで積極的に情報を公開
するのかと驚いた。東京では、工事に対する苦情や問い合わせ
なども多いと推察される。

建設業の知人に聞くと、最近はどれだけ周辺住民に配慮して
いるかなども業者に対する評価の対象になるのだという。
公共工事の入札は、総合評価方式が一般的になってきた。
地域への貢献度など価格以外の要素も反映しするようだ。

受注に向けた努力だと聞けば世知辛い感じがするが、
それでも住民に有益なことであれば情報を発信する
取り組みは歓迎したい。

流行語大賞

やはり言葉には賞味期限があった。多くは、時々の世相を
映す鏡ともなる。今年は新語・流行語大賞を一つに絞りきれない
ほどいろいろあった。同時受賞四つのうち、「じぇじぇじぇ」は
NHKの朝ドラ「あまちゃん」で使われてきた驚きや感動を表す
三陸地方の言葉だ。海女たちの底抜けの明るさと震災復興を
願う視聴者の思いも重なりブレークした。

同じく人気ドラマ「半沢直樹」の主人公が、理不尽な上司に放つ
決めぜりふ「倍返し」も下馬評通りだった。現実と照らし合わせ
溜飲を下げたり、小さくつぶやいてみた人もいただろう。
滝川クルステルさんの「お・も・て・な・し」のスピーチが東京五輪
誘致に一役買ったのは間違いないだろう。こちらは中高年男性
からの支持が高かった?ともいわれている。

一方「アベノミクス」が大賞から外れたのは期待先行のためか。
安倍首相がらみでは原発事故の汚染水漏れが続く中での
「コントロールされている」発言への違和感が今でも消えず、
気がかりな点が目に付く。

最たるものがベスト10入りの「特定秘密保護法」で、
タカ派色を強め数頼みの強硬姿勢には危うさがつきまとう。
国民の知る権利を奪うような法にはノーの声を上げたい。
それはいつかー残る大賞、予備校講師・林修さんが叱咤する
「今でしょ!」。

防空識別圏

国際社会に何の断りもなく、中国がいきなり、
尖閣諸島を含む東シナ海に防空識別圏を設定した。
事前の連絡なしにここに入るな、さもなくば撃墜するという。

手順も協議もなしに、一方的に設定することが許されるわけがない。
日本政府はわが国の航空会社に飛行計画を提出しないよう
求めており、西側諸国もこの姿勢に同調している。

ただ、頼りのアメリカが、どこか歯切れが悪い。「尖閣は
日米安保の適用範囲」「日本の姿勢を評価する」とはいうが、
米国の民間機の飛行計画提出は「安全確保のため容認」する
構えのようだ。

握手をしながら足を蹴るのが国際政治。ダブルスタンダードの中で、
いかに正当性があっても、確固とした同盟や連帯がなければ
交渉を有利に運べないと思う。今や世界第二の経済大国に
なった中国だが、力だけで覇者になるのだけはご免だ。

介護問題

例えば、50代夫婦とする。夫に安定した収入があり、
子供の教育も仕上げの時期に入っている。ところが、
親の介護をしなければならなくなった。とする。
ここまで来れば、生活の見通しは立つから、妻が
専業主婦に戻り、親を見る。夫は仕事を続ける。

夫婦ならこれが可能だが、今後は40~60代の
未婚が増え、特に男性は4人に1人が単身者になる。
と予測されている。現在の介護モデルは通用せず、
未婚の子どもが親を見る「シングル介護」の時代が来る。
すでに始まっており見回すと知人2人がそうだ。

シングル介護の大きな問題は、働き盛りに仕事と
両立できなくなり、会社を辞めざるを得ないケースが
起きること。そうなると、収入の道は途絶え、貯金や
親の年金で何とかしのぎ、介護を終わらせたものの、
今度は再就職の壁に直面する。シングル介護が、
長期的な困窮を招いてしまうのである。

企業側の理解が欠かせないが、出産・育児と違って
期間で区切れず、雇用見通しが立てにくい、という課題
が持ち上がる。介護を家族に頼るのは限界と言える。
血縁を超え、施設やサービスの充実、地域の支えが
不可欠になっている。

 

会話の大切さ

65歳以上の独居男性の16・7%は会話をする機会が
2週間に一回以下で、社会から孤立する傾向があるそうだ。
そんな調査結果にどきりとさせられた。近所に縁者や
茶飲み友達がおらず、趣味で外出する機会も少ないのだろう。

孤独を愛するというよりはついつい出無精になり、社会との
つながりを持てない高齢の独居男性ことだ。身につまされるのは
将来、自らも会話不足に陥る想像に難くないからだ。どんな
事情でいつ独り暮らしになるかもしれない。

職種によって事情は異なるが、当世は会社でも各自がパソコンと
向き合っている時間が長いようだ。オフィスオートメーションは
職場をも総じて無口にした印象がある。日本人女性の平均
寿命は86・41歳と世界一で、男性も過去最高の79・94歳だ。
喜ばしいことだが、核家族化が進んでいるとなれば会話が
ほとんどない独居者は増える一方だ。

会話不足は精神的にも問題があり、認知症を進行させ、
うつを招く原因にもなるという。どちらかというと社交的で
話し好きな女性陣に比べ寡黙な男性陣はもっと会話を
楽しむようにしたい。

コンビニエンスストア

いまや若者だけでなく、主婦や高齢者も訪れ、日本人の
ライフスタイルを変えた、と言われるコンビニエンスストア。
その草分け的存在で、全国に1万5800店舗を持つ最大手の
セブンーイレブンが、創立40周年を迎え、全国紙に見開き
全面広告を出していた。

発祥は米国テキサスだが、イトーヨーカ堂が昭和48(1973)年
11月にライセンス契約し、翌年、東京・豊洲に第1号店を出店以来、
高い利益率を保持して高度成長した。「セブンイレブンいい気分!
あいててよかった」のフレーズが印象的だった。コピー、銀行機能、
本格コーヒーの販売までOK。

今後、力を入れるのが、日替わり弁当や生鮮野菜などの
宅配サービスという。インターネットや電話で注文を受け、
配送するそうだ。施設、工場、学校にも届ける。配達は電気
自動車、超小型電気自動車を導入して行うとのこと。
時代の変化を察知し、機敏に対応しているから、前途洋洋と
いう感じである。

流行語トップ10

年末恒例の「新語・流行語大賞」が30年目を迎える。
今年の発表を前に過去に受賞した337語から、トップ10が
選び出された。耳目を引いたものばかりで、一瞬にして
当時の雰囲気を思い出させる。1986年「亭主元気で留守
がいい」、89年「セクシャル・ハラスメント(セクハラ」、90年
「オヤジギャル」。序盤は男女の関係の移ろいを思わせる
言葉が並んでいる。

96年の「自分で自分をほめたい」以降は、2006年の「格差社会」
の一つだけだ。新語・流行語は毎年の世相を反映してきた。
ならばこの間、社会に活気がなかったことになる。振り返れば
そんな気もする。この選出は日本の30年をうまく切り取って
いるように思う。

さて今年は一転、豊作で混戦模様のようだ。有力候補は
人気ドラマで主人公が報復を誓うせりふ「倍返し」だろう。
とげのある言葉を社会が好むのは何とも世知辛いが、
それも映し出してこその新語・流行語大賞である。意味とは
裏腹に旬を過ぎたが、予備校講師の決めたせりふ「今でしょ」もある。

東京五輪誘致で急浮上した「おもてなし」は、その後にホテルや
百貨店で発覚したメニュー表示の偽装問題で傷が付いた。
受賞は2020年の本番にとっておいてもいいようだ。
「アベノミクス」「じぇじぇじぇ」も狙っている。あれこれ想像しながら
来月の発表を楽しみに待っている。

小泉流発言

首相経験者には政界に影響力を残したい人と、隠とん生活に
入るタイプがいられる。最近の前者の代表は森喜朗氏だろう。
安倍晋三首相の特使としてロシアを訪問するなど動きは活発だ。

逆に退任後7年、表舞台に出なかった小泉純一郎氏は
隠とん者と思いきや、そうではなかった。先日の講演で
「首相が決断すれば『原爆ゼロ』ができる。首相の判断力、
洞察力の問題だ」と安倍首相に迫られた。

短く分かりやすい言葉を操る小泉節も健在だ。「政治の責任で
使用済み核燃料の処分場にめどをつけろ」という一部報道に対し、
「原発事故前から見つけられなかったのに、事故後に政治の力
で見つけろと言う方が楽観的で無責任」とぶち上げられた。

もう一つの小泉流発言は「世論は軽視できない。大きな底流と
なっている根強い世論をどう読むかも政治家として大事だ」。
かって「自民党をぶっ壊す」発言で世論を味方につけた人
ならではの見立てだ。

健康第一

「健康は富の優る」と言う。たとえ巨万の富を築こうとも、
健康を買うことはできない。、いかに健康が大切かを
伝えることわざだ。

とはいえ、自らの健康の維持増進を願い、何らかの
持ち出しがある人たちが多いものと思われる。
ある生命会社が今年3月に実施した(成人2000人)によると、
健康づくりに対する年間の1人平均出資額は4万3000円弱
だったという。

健康実践策で最も多かったのは「十分な睡眠・休養」で、
ほぼ半数に上った。以下「バランスの良い食事」
「適度な運動・スポーツ」「規則正しい生活」「健康食品・
サプリメントの摂取」「定期的な健康チェック」の順だ。
男女別では、男性が「休」と「動」、女性は「休」と「食」を
重視する傾向にあるようだ。

このうち運動・スポーツ面では、ウオーキング、ストレッチ・
軽い体操、スポーツジムでの運動、ランニング、ゴルフが
人気ベスト5。.15年前調査(ビジネスマン対象)との比較では、
トップのゴルフが5位に後退し、テニスや水泳人気も半減している。
手軽にできるものへと変化していることがうかがわれる。

年代別では、各項目において60代の取り組みが最も多い結果と
なったようだ。年代が高まるにつれて健康に対する意識が強い
傾向にあり、20代に至っては4人に1人が「(実践活動は)特になし」
の状況だ。背景に、時間と金にゆとりがない世代であることも
うなずけるが、若さゆえの健康に対する過信も気に掛かるところだ。

出資額の大小はともあれ、健康を第一に考えた生活の先にこそ、
人生の宝があるように思えてならない。

 
 
 

宇宙

世界で始めて打ち上げに成功した人工衛星は、
旧ソ連のスプートニク1号である。1957年、ソ連の一部だった
カザフスタンのバイコヌール基地からR-7ロケットで飛び立ち、
周回軌道に乗った。慌てたのは、ソ連と冷戦状態にあった
米国だ。頭上を敵の衛星が飛ぶ「スプートニク・ショック」。
その脅威が全力で宇宙開発に突き進ませることになった。

R-7ロケットが弾道ミサイル用に造られたように、
宇宙開発は軍事が主眼だった。平和利用がうたわれたのは
後の話だ。代表格が米国と日本、ロシア、欧州、カナダの
15カ国が参加する国際宇宙ステーション(ISS)である。

そのISSに若田光一さんがパイコヌール基地からロシアの
ソユーズロケットで旅立った。半年の滞在のうち後半約2ヶ月、
日本人初の船長を務められる。経験豊富なだけに重責も難なく
こなされるだろう。ソユーズには来年2月に開幕するソチ五輪の
聖火トーチも積まれたようだ。ロシア人飛行士2人が外で
「宇宙聖火リレー」を挙行。別のクルーが地球に持ち帰り、
開会式の聖火台点火に使う趣向のようだ。

ブーチン大統領の人気取り、「政治利用」のにおいもしない
わけではないが、祭典に花を添える「平和利用」とも言えようか。
もちろん軍事目的の開発競争は今も頭上で激しい。
それを平和のために振り向けるには、各国が共同作業を
積み重ねるしかないと思う。

日本ラグビーのささやかな向上

2日、東京秩父宮ラグビー場で行われた日本代表と
ニュージランドのテストマッチで、世界ランキング15位の日本は
同1位の相手に歯が立たず6-54で完敗したものの
大人と子どもの差があった以前と比べたら
若干でも手ごたえがあったというのは収穫だろう。

「オールブラックス」の愛称で知られるニュージランドが
来日して対戦するのは26年ぶりというが、その時の試合で、
雲をつくような大男たちを相手に、体格に劣る日本代表は
まさに翻奔されたような印象だけが残っている。

イングランドが発祥のこのスポーツは、英国や旧英連邦が
「国技」的強さを発揮してきた。アジアでは特に日本で人気があり、
新日鉄釜石チームが全盛の時代は列島にフイーバーを
もたらしたことが懐かしい。

そのラグビーで日本代表が強豪ウェールズに勝った時は
信じられない思いだった。なにせ「ホームユニオン」と呼ばれる
ウェールズ、イングランド、スコットランド、アイルランドのどこを
とっても勝つのは至難のワザだからである。

そんな余韻をかってか、日本代表の練習ぶりを先日のテレビが
伝えていた。スクラムでどうしても力負けする日本代表の弱点を補う
ためジョーンズ・ヘッドコーチの指導によって、重心を下げる練習を
徹底し、これによって弱点を克服した結果がウェールズに快勝する 
結果につながったという内容だったが、まさに目からウロコが
落ちる思いをしたのも、どうしても"本家"には勝てないと諦めて
いたからだろう。

だが、王者ニュージランドは依然として鉄壁だった。日本は
1トライもできず、わずかに2PGで6点を稼ぎ出したに過ぎなかった。
結局は相手に7トライも許したのだが、過去5回の対戦成績を見ると
100点以上の大差で負けた試合が2回もあったことから比べると
今回はかなりの健闘と言えなくはない。悔しまぎれかもしれないが、
日本ラグビーは確かに変わったみたい。

ミャンマーを思う

空前のミャンマーブームだ。一気に進む民主改革を背景に、
豊富な資源や安価な労働力を世界各国が狙う。
「アジア最後のフロンティア」に開発の波が押し寄せている。

人口約6千万人の国は135の民族で形作られている。
敬虔(けいけん)な仏教徒が多く、温和な国民だと聞く。
貧しくとも隣人とのオープンな付き合いの中で心豊かに
暮らしていると聞いた。だが、旧軍事政権と少数民族
の対立の根は深く残っているようだ。

民政移管した政府は和平に自信を見せるが、
国をひとつに束ね、大きな変革のうねりを超えていくのは、
簡単ではないと思う。政府への不満によるといわれる
連続爆破事件に、平和はまだまだ遠いと痛感する。

経済進出にわく一方で、村は医療が受けられない人たちで
あふれている。自然や伝統の中に人々は生き、歴史の上に
ひとりひとりの暮らしがある。彼らはどんな未来を望んでいるのか、
踏みにじられない変化を祈る。

村には日常的な停電に負けず懸命に治療に当たる
日本人医師がいる。医療支援スタッフには女性もいる。
命を懸けて伝えた平和への願いを、あらためて思う。

「人々を愛する気持ちを国中、世界中に広げたい」。
民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんは春に
日本を訪れた際、こう語っていた。私たちがすべきことは何か
考えたい。来年は日本とミャンマー国交樹立60周年だ。

学徒出陣の碑

東京・国立競技場にはマラソン門と呼ばれるゲートがある。
1964年の東京五輪男子マラソン。銅メタルを手にした円谷幸吉
選手も、このゲートを走り抜け、コースに飛び出していった。

マラソン門を入ると、桜の木の下に石碑が立つ。「出陣学徒
壮行の地」と刻まれている。碑文には「約十万人の学徒がペンを
捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった」との一文も。

太平洋戦争の戦局が悪化し、43年に大学、専門学校などの
文科系学生に対して徴兵猶予が停止され、戦場に送られる
ことになった。その年の秋、文部省の主催で「出陣学徒壮行会」
が開かれ、雨の中、銃を担いだ学徒が行進した。

会場となったのが明治神宮外苑競技場で、その跡地に
国立競技場は建てられた。壮行会から50年後の93年、
若い世代に学徒出陣の歴史的事実を伝えようと、元学徒や
遺族らが今の場所に石碑を建てた。

国立競技場は2020年東京五輪が決まり、建て替えられる。
来年7月には解体が始まる。元学徒らは、完成後も石碑を
敷地内に残すよう要望している。

新競技場は「平和の祭典」である五輪のメーン会場となる。
学徒出陣では、多くの学生が戦争の犠牲となった。
その事実を忘れずに、平和の思いを新たにするためにも、
石碑は敷地内に残してほしい。

読書の秋

夜の長さを実感できるようになってきました。この季節は
書棚に押し込められたり、机の周囲に積まれたりした本が
気になるときでもある。それらの本を見ると、繰り返し手にしている
お気に入りの1冊が目に入る。読んだのは1度だけの本でも。
読みきることなく放りだされた積読(つんどく)本もある。

そして、本を見れば本と自分との関わりが見えてくる。
手にしただけで何十年か前に初めて読んだときの感動が
よみがえるものさえある。そういうふうに本と接してきたが、
最近は本をめぐる事情が少し変わってきたようだ。
紙を使わない電子書籍が増えてきた。

電車に乗れば文庫本を手にするのが当たり前の世代。
しかし、今では小型の端末画面に触れながら読み続ける姿が
自然に見えるようになった。形は違っても活字を追う姿に、
むしろ安心感を覚えたりする。

読書週間が始まった。昨日は文字・活字文化の日でもある。
文字が生まれ、本が誕生してからの人との関わりに思いを
巡らすのもいい。手書きから印刷に。紙を使わぬ書籍も。
いずれにせよ、人が魅力的な本との出合いを求めているのは
変わらない。出合えたとき、それは至福のときだ。
そんな本を探す秋もいい。

旅の醍醐味

旅の醍醐味には二つある。一つは旅先での観光や
人々との交流、その土地ならではの味覚など。もう一つは
列車や船、車など移動そのもので、各駅停車の列車も
一気に行く飛行機や新幹線も途中の景色や料理を
味わえる車も、それぞれに楽しさがある。

各地から紅葉の便りが届き、秋の観光シーズンの
真っ最中だ。テレビなどで全国の観光スポットが紹介
されることも多くなり、旅心をくすぐる。旅は疲れた心と体を
優しく癒してくれるだけでなく、新しい発見や体験を
演出する。

JR九州の豪華観光寝台列車「ななつ星in九州」の運行が
始まった。ヨーロッパのオリエント急行を意識した日本初の
クルーズトレインだ。九州の自然や食べ物、温泉、歴史、
文化などを堪能でき、贅を尽くした車内の造り、
企画内容の豪華さには目を見張る。

7両編成ながら定員はわずか30人。1泊2日コースでも
最低1人15万円かかるが、予約は来年3月まで満杯
という。運行の背景には鉄道事業の低迷があるほか、
九州以外から乗客を呼び込み、地域活性化につなげる
狙いもあるという。贅沢旅行への賛否はあろうが
無事故運転の運行をを願う。 

山が襲う

なぜこうも非常なのか。と天を恨みたくなる。台風に伴う記録的
大雨により、東京・伊豆大島(大島町)で土石流が発生し、
死者と不明者が合わせて50人近い惨事となった。日々の平和を
喜びとする罪のない人ばかりだろうに。そう思うとやりきれません。

午前2~3時と言えば、たいがい安らかに寝入っている頃だ。
そこを土石流に襲われたのだから、ひとたまりもない。伊豆大島は、
火山で知られる三原山が形づくる島だ。人々は幾たびもの噴火に
苦しみながら山と共存してきた。が、長年にわたり降り積もった
火山由来の土砂は大量の雨を含み、"魔物"に変じた。


気象庁は再三、大島町に注意を喚起し、都も住民避難を提案して
いたとか。だが、町は避難勧告を出さなかった。町長も副町長も不在で、
電話連絡を受けての判断だった。町にいて雨の激しさを直接、
体感していたら、判断は違っていたかもしれない。

被害は小さくできた可能性があり、反省点は多い。この惨事を
各自治体は教訓として生かさなければならない。それが亡くなった
方々への最大の供養にもなるはずだ。

故三浦綾子さんは、小説「泥流地帯」で、1926年(大正15年)の
十勝岳噴火がもたらした火山泥流の恐ろしさを、こう描写されている。
貧しくとも誠実に暮らす農村を一瞬にして埋め尽くす山津波の猛威・・・
その非常さは何度読み返しても息が詰まる。

「キズナ」の挑戦

競馬の世界最高峰レースといわれるフランスの凱旋門賞
(がいせんもんしょう)に日本から「キズナ」(3歳牡(おす))が出た。
期待されたが、4着に終わった。日本馬初制覇の悲願達成は
ならなかった。「世界の壁はすごく厚い。歴史の重みを感じた」
との調教師の談話があった。敗れはしたが、日本の「きずな」を
世界に広めた意味は大きかったのではなかろうか。

もともと「絆(きずな)」とは馬をつなぎとめておく綱(つな)のことだ。
そこから、人間同士の心と心のつながりを意味するようになった。
先の東日本大震災後に被害者同士や支援者と結ぶ言葉
として一気に広まったのはご存知の通りだ。

だが、言葉は使われすぎると軽くなり、輝(かがや)きを失う。
震災後の「きずな」もそれに似ている。被災者支援や早期復興を
叫んでも軽々しく感じられる時があるようになった。
「きずな」が悪いのではない。時間の経過による人間の
慣れが怖いのだ。

「きずな」は「ともだち」などとともに世界に広がった。だが、
本当につながりを深めるには言葉には常に新しい息吹(いぶき)
を吹き込む努力が大事ではなかろうか。「キズナ」の挑戦が
考えさせてくれたことである。

善意の救助

善意の救助がわが身の犠牲に変わる悲劇に、語るべき言葉は
見つからない。横浜市緑区のJR線の踏み切りで、倒れていた男性を
助けようとした女性会社員が列車にはねられ、亡くなった。とっさの
判断で、女性は一段低いレールの間に男性を引きずって移動させたらしい。
車両との隙間が35センチほどある。重傷を負ったが,男性はこれで
助かった。しかし女性は列車を避ける時間がなかった。

「見て見ぬふりができない子でした」と、ご両親が気丈にテレビの取材に
答えていた姿が痛々しい。わが胸に問うた人は多いだろう。同じ場面に
遭遇して、警報が鳴る踏切りに駆け込めただろうかと。JR山手線で
ホームから転落した人を助けようと韓国人留学生ら2人が死亡したのは、
2001年だった。07年には遮断機をくぐって自殺を図った女性を助けようと、
警官が亡くなっている。

転落防止の可動式ホーム棚(ホームドア)を導入した駅では、
転落事故が激減している。高額費用が普及の足かせだが、人命には
代えられまい。踏切りでも立体交差化など安全策を急ぎたい。横浜市の
現場には、女性の死を悼む人たちが大勢、訪れているという。
事故のない踏切への工夫は何かないだろうか。尊い犠牲を無駄に
しないためにも、何か知恵はないだろうか。

わが国の経済

消費税率を3%から現在の5%に引き上げた平成9年度、
わが国の経済は、翌年度マイナス成長に転じてしまった。
来春8%に引き上げる今回は、どうなるだろうか。

前回と今回、何が異なるかと考えてみると、高齢化が進んで
社会保障費が増大し、財政再建が待ったなしであること、
経済がグローバル化し、企業経営の先行きが見えにくくなって
いること、が挙げられる。
安倍晋三首相は先日、消費増税による景気の腰折れを心配して、
5兆円超の歳出増を伴う経済対策も発表された。

合わせて、企業減税を進め、設備投資や賃上げを促す方針だ。
企業は過去最高の200兆円超の資金を抱えているが、
投資や賃金に回らない。企業をバックアップ、カネを動かして、
デフレ脱却を狙う。この企業優先策が、うまく回り出せばいいが、
もし変わらなければどうなる。

私たちの暮らし向きは、増税と保険料アップなどで、苦しくなる
だけである。懸念されるのは、国民から吸い上げた増税分が、
年金、医療、介護の立て直しや少子化対策に約束どおり使われず、
企業減税の補充になってしまわないか、という点だ。そうなると
財政再建の道は危うい。

 

くじ運

3桁や4桁の、自分で好きな数字を選ぶ「ナンバーズ」、
さらに六つ、七つ、の数字を選ぶ「ロト」のくじをけっこう
よく購入する。前者は当たれば内緒の小遣いに、後者は
もちろん一攫千金を夢見てだ。

これまでに小銭を得たことはあるが現実はなかなか厳しい。
いつも決まった数字で、それをたまたま購入できなかった
次の日、それが2等なんてこともあった。この時初めて
「自分にくじ運などないのだ」ということを思い知らされた。

4桁は金融機関の暗証番号と同じ。使うのを控えるようにと
される誕生日や、車のナンバー、語呂合わせなど・・・
思いつく数字はたくさんある。そういう想定した数字は
「当たり」としてけっこう出現する。それを購入する
タイミングに"運"がない。

1口200円(ロトは300円)。無料でロトの攻略法や
当選番号を教えますーといったいかにも怪しい宣伝文句がある。
先日はある都市で「ロト7」の当選番号を教えるという手口で
大金をだまし取られる詐欺事件が発生しており要注意だ。

ちょっとしたきっかけで始めたナンバース買い。たまの当たりの
千円を、元が取れたとちょっと喜ぶくらいが身の丈なのか。 

日本の伝統を守ろう

立川志の輔(たてかわしのすけ)さんが高座で披露したあいさつは
実に楽しい。さすが当代一の売れっ子落語家だ。

「ようこそ皆さま」と口を開き、「といっても、私の方が遠くから
来たんですが」。言われてみれば、その通り。仕事とはいえ、
多忙な中で足を運んだ人をねぎらうのは、客の方だろう。
何気ないやりとりに、「おかしみ」を見つける柔かな発想が光る。

志の輔さんの師匠は立川談志さん。落語界で一派を立てた
異端児が、才能ある弟子を育てた。その談志さんの「師匠は
損な役回りというボヤキを著書で読んだ記憶がある。

弟子に芸を教える。身の回りの世話をさせるが、「授業料」はなし。
時には小遣いを与える。「学校教育」とはあべこべである。やがて、
師匠をしのぐ弟子も出る。ただ飯(めし)を食わせ、飯のタネを
争うライバルを育てるのが師匠の役割なのだ。

そんな師匠や親方と弟子と言う関係を、昨今の若者は敬遠する。
つらい修業より楽しい学習を選ぶ。だが、談志さんの「師匠の方が損」
というのも、言われてみれば、一理ある。日本の伝統を育てた
そんな世界に、いま赤信号が点滅してはいないだろうかと、
やきもきしている。

伝統と革新

幕が上がると中村勘九郎さん、七之助さん兄弟が
男女の鳥売りの姿で現れる。一幅の日本画を見るようだ。
女性客からは「きれいね」との声が漏れた。

舞踊「吉原雀(よしわらすずめ)。流麗で息の合った
2人の動きが目を奪う。新しくなった東京・歌舞伎座で
観劇の機会があった。今春以降こけら落とし公演が続き、
9月は若手俳優がそろう花形歌舞伎で場内はにぎわう。

老舗が改築されると、昔ながらの風情が失われることが
よくある。しかし建物は外観も内部も建て替え前の雰囲気を
保っていた。建築家隅研吾さんの設計の妙か、違和感がない。
伝統と現代が調和していると感じた。

昨年暮れには兄弟の父である中村勘三郎さん、今年に入り
市川団十郎さんと歌舞伎界は大きな柱を相次いで失い
危機感が広がった。今回は若手を中心に新作「陰陽師
(おんみょうじ)に挑戦している。歌舞伎の継承には、
その殿堂と同様に伝統と革新の両立が求められる。

老舗菓子店の職人から聞いたことがある。売り上げの核と
なっている名物の菓子があっても、常に新たな商品の開発を
続けなければならないのだそうだ。職人の心と技を磨くことで
銘菓の伝統の味が守られるという。

古典の芸をしっかり継承しながら、新作にも取り組む
若手の俳優による舞台を見ていると、重責を担う
心意気が伝わってきた。

敬老の日

 老いの自覚は人それぞれ、とらえ方も時代によって変わる。
団塊世代に「高齢者は何歳から?」と尋ねたら、8割が「70歳以上」
と答えたそうだ。世界保健機関の定義「65歳以上」はそろそろ
改めるべきだろう。

団塊世代の先頭集団にいるエッセイストの南伸坊さんは、
「オレって老人?」と著書で疑問を投げ掛ける。今年66歳。
老いの実感がなく、年齢も気にしない。若さ偏重の風潮が
生まれたのは戦後、米国の影響であり、反発を覚えるとか。

対照的に江戸時代は老いが尊ばれた。寛政の改革を進めた
松平定信は白河藩主のころから、「敬老の日」を設けて高齢者を
城に呼び、意見に耳を傾けた。足腰の弱った者には駕篭(かご)
を差し向けたほどだ。人生経験豊富な高齢者の情報や知恵を
政治に生かそうとしたのだ。

若さより老いに価値を置いた社会である。老いを表す言葉も
大事にした。高齢の域に達することを「老人(おいれ)」と称した。
現代の「老後」より、実に前向きだ。江戸の庶民は「いい老人」を
迎えることを人生の目標にしたそうだ。

いまや総人口の4人に1人が65歳以上でである。人工減少社会で、
大勢の元気な高齢者の知恵と力を生かせないだろうか。あすは
「敬老の日」。この連休、老いに思いを巡らすのも悪くないと思うのだが。

2020年夏季五輪

昭和39(1964)年10月開催された東京五輪は、アジア初の五輪であり、
敗戦から19年、日本が再び国際舞台に登場する絶好の機会となった。
東京~大阪間を4時間で結ぶ東海道新幹線が開業し、東京一局集中に
伴う大規模開発が進んだ。カラーテレビも登場した。

東京五輪は、高度経済成長期に迎えた"宴"であったろうし、
宴のあとも、日本は経済大国への道をひた走り、豊かな国を築き上げた。
その強い光と影。いま影の部分が、少子高齢、デフレ、格差、あるいは
福島第1原発事故に象徴される災害、という形で見えるようになった。

7年後、再び東京五輪開催が決定し、猪瀬直樹都知事、安倍晋三首相
らの歓喜が伝えられた。「東京でやってよかった、と言われる大会にしたい」
(都知事)、福島の汚染水は制御できている。東京にダメージは与えない」
(首相)とのことだ。そうあってほしい。

五輪関連施設はもとより、東京の再整備に向けたつち音が響き出すだろう。
開催が子どもや若者に夢をもたらすのは素晴らしいが、東京ばかりに目が行き、
地方が置き去りにされた半世紀前の反省も生かさなければならない。

宮崎駿監督の引退発言

日本を代表するアニメ映画監督の宮崎駿さんが長編アニメからの
引退を表明された。これまでも引退ををほのめかす発言があった。
ただ「今回は本気です」と強い決意を示された。

公開中の「風立ちぬ」の登場人物のせりふで、「創造的人生の
持ち時間は10年だ」と語るシーンがあった。気力、体力ともに
充実した時期は限りがあるといわれる。

監督と呼ばれる職業の人もさまざまだ。病を押して生涯監督を貫く
人もいる。宮崎監督は72歳。まだまだ複数の作品を手掛けられ
そうだが、宮崎監督にとっての「10年」に到達し、今が引き際なのだろう。

会見では、若手の作品に監修や脚本などで関わる考えは「ありません」
と明言。一方で「あと10年」は仕事をしたい」「今、僕がやりたいことは
アニメーションではない」とも語り、複雑な心境をのぞかせた。

終わりというより始まりを予感させる会見でもあった。宮崎監督にとっての
10年はこれからとも取れた。作品作りについて「子どもたちにこの世は
生きるに値するんだと伝えるのが根幹」と語られたのが印象的だった。
その思いに「引退」はないはずだ。

 

 

最も記憶に残る演説

名だたる指導者は、名を残すにふさわしい言葉を残している。
「私が提供できるのは、血と苦労と涙と汗だけだ」(チャ―チル英首相、
1940年)。「時代に遅れる者は、歴史に罰せられる」(ゴルバチョフ
旧ソ連書記長、1989年)。

歴史の節目には名演説や名言が用意される。といってもいい。
1961年、ケネディ米大統領の「国が国民に何をしてくれるかではなく、
国民が国に何ができるかを問うてほしい」も忘れられない。

1999年、米国の大学の研究者が歴史家らに「20世紀で最も記憶に
残る演説」を尋ねた。1位に選ばれたのは、米公民権運動指導者
キング牧師の演説だった。

今からちょうど半世紀前の1963年8月28日、25万人が参加した
ワシントン大行進でキング牧師は「私には夢がある」と語りかけた。
「いつの日か、私の4人の子どもたちが、肌の色の違いではなく、
人格そのもので評価される国に住める日が来ることを」

ケネディ演説から2年後のことだ。希望に満ちた大統領を生んだ
米国人は、人類差別の国でもあった。2009年に誕生した初の
黒人大統領は黒人社会の夢だった。差別根絶は道半ばだが・・・。

米国の夢を体現したオバマ大統領に、世界が別の夢を託したのは
大統領就任直後のことだった。核兵器のない世界への取り組みを誓った
「プラハ演説」を、後世の歴史家らが「21世紀で最も記憶に残る演説」
に挙げる日が来る展開になることを、世界は夢見ているのではないだろうか。

夢の車

世界初の自動車は、1769年にフランス陸軍の技術大尉
二コラ・キュニョーが発明した蒸気自動車だといわれる。
大砲運搬用で、石炭を燃やして動かしたようだ。その後、
欧米諸国で開発が進められ、石炭から石油、ガソリン自動車へと
発展していった。今の形に近くなったのは20世紀初頭で、
1908年に米国で生まれたT型フォードが大衆車の先駆けとなった。

それから100年余り。ハンドルを握らず、目をつぶっていても
目的地に運んでくれる自動運転者が実現化されそうだという。
「夢の車」が夢でなくなる日が来るかもしれないとは、
技術者たちの飽くなき探究心に感服させられる。

先日、日産が公開した試作車は21個のセンサーと5台の
カメラを備えているそうだ。200メートル先まで全方位を監視し、
人や車のほか車線、標識を読み取りながら走る優れ物だ。
2020年までの販売を目指すという。

米国では既にゼネラル・モーターズが10年代後半の実用化を宣言し、
トヨタも実験者を公開している。開発競争が過熱する中、先行
しているのは自動車メーカーではなくIT企業の巨人、グーグルと
いうから驚く。

人為ミスによる事故を防ぎ、高齢者や身体障害者も自由に
移動できる。いいことずくめのようだが実用化の大前提は
安全性と信頼性が高くなくてはいけない。目を閉じて命を
預けられるほどの夢の車は本当にできるのだろうか。
慌てずに待ちたい。

ミドル級の新星

ミドル級はボクシングなど格闘技の階級の一つ。
ミドルの意味は「中間」。かってのプロボクシングの階級では、
ヘビー級とライト級の中間のウエートだった。 17階級に
細分化された現在では、5番目に重い。

日本人の感覚では重量級だ。1995年に竹原慎二氏が
WBAの世界王座につき、日本人選手が王座についた最も
重い階級となったが、防衛は果たせなかった。身長や骨格
からいって、アジアの選手には不利な階級とされる。

そのミドル級でロンドン五輪の金メダルを獲得した村田諒太氏が、
鮮やかにプロデビュー戦を飾った。ノンタイトルの6回戦で、
東洋太平洋同級王者に2回TKO勝した。初回から積極的に
前に出て右ストレートでダウンを奪い、2回にも右の強打を
ヒットさせて勝利を決めた。

「80点ぐらいはいいですか?」。試合後に求められた自己採点
の返答だった。大物新人として注目を集めたデビュー戦である。
重圧もあったはずだが、端正な笑顔を見せてリングに立ち、
「勝ってホッとした」とも。新しいタイプのヒーローを予感させる。

日本人のミドル級ボクサーの物語といえば、沢木耕太郎さんが
『一瞬の夏』(新潮社)で克明に描いたカシアス内藤の挑戦が
思い浮かぶ。内藤氏が果たせなかった夢だ。欧米選手中心
の階級で、"新星"が世界チャンピオンになる日も近いかもしれない。

イチロー選手の印象的な言葉

ヤンキースのイチロー選手が4千本安打を記録したときの会見で、
こんなことを言っている。「4千の安打を打つには僕の場合、
8千回以上の悔しい思いをしてきている。常にそれと自分なりに
向き合ってきた事実、誇れるとしたらそこじゃないですかね」。

並外れた努力で、今の立場を築いてきた自負であろう。
プロ生活22年。39歳になっても、走攻守に衰えを感じさせない
状態でプレーしている選手ならではの誇りであろう。

彼はその日、印象的な言葉をいくつも残している。
「記憶に残っているのは楽しいことではなく、うまくいかなかった
ことなんですね。そのストレスを抱えた中で瞬間的に喜びが
訪れる。それがプロの世界の醍醐味ですね」。

昔できたがことが今できないというのは見あたらない。でも、
昔考えなかったことを今は考えるようになった。過去の自分と
現在の自分を客観的に見て、どうなのかと考えるのは大切なこと」。

満足したら終わりというけど、それは弱い人の発想。満足を
重ねないと次が生まれない。僕はものすごく小さなことでも満足するし、
達成感を感じる。それを感じることで次が生まれてくる。
うれしかったら喜べばいいんですよ」。

まるで教育者、哲学者のような言葉が数々。それをすべて、
実践と記録に裏打ちされているから説得力がある。
ビート・ローズ氏の持つ最高安打4256更新も視界に入った。
海の向こうからのうれしいニュースは、日本人の誇りであり
励みともなる。これからもさらに広がる夢を共有したいものだ。

 

意外な決勝戦

日本中の誰も予想していなかった意外な顔合わせの決勝戦は、
夏の締めくくりにふさわしい好ゲームだった。
夏の全国高校野球は、群馬県代表の前橋育英高が初出場で
初優勝を飾った。防衛率0,00と抜群の安定感で勝ち上がってきた
好投手を相手に3点を先制。逆転を許した後も懸命に食い下がった。
どんな場面でもナインは笑顔を忘れなかった。宮崎県勢初の快挙は
お預けになったが、健闘に拍手を送りたい。

浦和学院、大阪桐陰,済美、横浜・・・大会では、優勝候補と
目された学校や甲子園の常連校が次々に姿を消していった。
最後に残ったのは、試合を重ねるごとに強く、たくましく成長した
2校だった。優勝した前橋育英は準々決勝で、9回2死無走者
という絶体絶命の場面から2点差を追いついた。

延岡学園も準々決勝で9回、内野手の超美技で逃れたはずの
ピンチを微妙な判定で"やり直し"にされ、そこをもう一度
しのいで競り勝った。

素質に恵まれた選手が「古豪」や「伝統校」に集まりやすいのは
確かだろう。だけど、試合をするのは同じ高校生、やってみなければ
勝負は分からないースポーツのそんな楽しさと厳しさ、それに
若さの持つ可能性をあらためて確認できた気がする。
まるで大会の閉幕を待っていたみたいに天気は、下り坂だ。

古都鎌倉

年を重ね、あらためて文豪の作品を読み返すと、
昔は気づかなかった人生の機微に触れ、新鮮な驚きを
覚えることがある。夏目漱石の「こころ」もそのひとつだ。
愛と死を見つめたテーマはずっしりと重く、主人公の「先生」と
「私」が出会った鎌倉の描写には時の流れを感じる。

小説が書かれたのは大正初期、当時、東京から鎌倉へは、
<二、三日かけて金を工面して>出かける場所だったとある。
川端康成や小林秀雄など著名な作家がこの地に居を構えたのも、
大仏や八幡宮、武家屋敷などが点在する落ち着いたたたずまい
あってのことだろう。

東京とのほどよい距離感が思索の場としての魅力を高めたはずだ。
時代とともにその距離は縮まり、いまでは電車で小一時間だ。
週末には狭い市街地に観光客があふれ、猛烈な交通渋滞だ。
漱石が見たまち並みとは、別世界に違いない。

世界遺産登録を目指す鎌倉に審査機関が事実上の"辞退勧告"
を迫ったのは、ものすごい人混みに圧倒されたのが一因かもしれない。
景観を軽視した開発を厳しく指摘する声も少なくなかったようだ。
残念な結果ではあるが、景観こそが古都の顔である。

建物の色や形を含め、まち全体の統一感が保たれなければ、
訪れた人も興ざめする。歴史や文化が息づく美しいまちは
鎌倉だけでなく全国の都市に突き付けられた課題と受け止めたい。

頑張り屋の見本

暑さに体力を奪われたか。また失速か。世界陸上女子マラソンで
福士加代子選手が先頭集団から遅れ始めた時、テレビを見ていて、
やきもきした。だが、この無類の頑張り屋を天は見捨てなかった。

間もなく3位メルカム(エチオピア)が落ちて目の前に迫ってきた。
途端に元気を取り戻すあたりが福士選手らしい。抜き去る姿が
実にたくましく、これまでと違う力を感じた。

銅メダルのゴール直前、何度もこぶしを握りしめていた。
まぶしいほどの満面の笑みだった。「こんなにうれしく走ったことはない」。
苦しい日々に耐えてきたからだろう。跳びはねたり抱き合ったり、
と喜びが止まらなかった姿だった。

終盤の失速を克服する練習は順調というわけではなかったそうだ。
監督からも「もうやめよう」と言われ、涙を流したこともあったという。
「マラソンは苦しんだ者勝だよ」。アテネ五輪金メダリスト
・野口みずき選手の言葉をかみしめ、頑張ったという。

「トラックの女王」と言われながら、マラソンではスタミナ切れで
ぶざまな姿をさらしたこともある。それでも、挑戦し続け、結果を出した。
勇気づけられた人も多いだろう。仕事や勉強がうまくいかなくて、
めげそううになっても、一生懸命、頑張れば道は開ける。
福士選手が身を持って教えてくれた女子マラソンだった。

終戦から68年

昨日は広島市で原爆戦没者慰霊式と平和記念式が営まれた。
9日は長崎市でも式典が行われ、15日は終戦の日だ。
この10日間は核廃絶と恒久平和への思いを新たにする時期だ。

1945年8月6日に原爆が投下された広島市では当時の人口
約35万人のうち、同年末までに約14万人が死亡したとされる。
今でもなお多くの被爆者が放射線の影響による健康被害に
悩まされている。

原爆投下と終戦から68年経った。被害者と戦争体験者の
高齢化と減少が進む。戦争体験を風化させずに後世へ伝えようと、
今月は各地でさまざまな催しが開かれる。息の長い取り組みこそ、
今を生きる人たちの大切な役割に違いない。

広島市の式典には原発事故で被災して放射線への不安を
抱える福島県民も昨年に続いて出席さされたようだ。同県浪江町の
町長さんは「関東より西では、原発事故が風化しているきらいがある」
と話されたという。

「原発は絶対に安全」と言われ続けて事故は起きた。
経済成長も国民生活の安定も重要だが、平和と安全が大前提だ。
世界唯一の被爆国であり、深刻な原発事故も経験した日本
だからこそ、政府は国民の声を謙虚に聞きながら、国の進路を
慎重に定めるべきだ。

新駐日大使に期待する

日本と米国との外交は、1853(嘉永6)年の黒船来航
によって幕が上がる。この時、米国を代表した提督こそ
マシュー・ペリー。その後、初代の駐日総領事としてタウゼント・ハリス
が赴任し、日米修好通商条約などを結んだのは史実の通りだ。

第2次世界大戦以降の駐日大使を見ると、日本人の妻
を持ったエドウィン・ライシワーやカーター、レーガン両政権時に
約12年も重責を務めたマイケル・マンスフィールド、副大統領
経験者でもあったウォルター・モンデールが有名だ。そして
3年前の夏、広島平和式典に初めて参加したジョン・ルース
らがいる。

その米国のオバマ大統領は、次期駐日大使として、
キャロライン・ケネディ氏を指名することを発表した。
日米の長い外交史の中でも米国が駐日大使に女性を起用
するのは初めてだ。上院での承認を経て秋にも着任する。

彼女の父親は、あのケネディ元大統領(JFK)。さらに、
叔父には元司法長官のロバート・ケネディや元上院議員の
エドワード・ケネディなど、有力な政治家がおり、米国内では、"
ケネディ王朝"とも称される。

ただし、キャロライン氏の政治的な手腕は未知数。今回の起用は、
オバマ大統領の有力な支援者であったことが最大の理由とされ、
今後の日米関係にどのような影響力を持つかは不明だ。

 

 

水を大切に

現代生活に欠かせないものは多々ありますが、必需品は
電気と水。どちらも手に届かなくなったら一気に生活が混乱します。
ただ、電気は凌(しの)ぎようがありますが、水はそうはいきません。
生命に関わるからで、故に水の大切さが叫ばれています。
幸いわが国は恵まれています。

飲み水として世界的評価の高い上水道を亨受し、下水道も普及
しています。しかも雨不足や災害で施設の破損を起こさない限り
断水も少ない。「あって当然」という感覚にマヒしてか、贅沢に使える
水への感謝は奇薄のようです。だが、水も無限ではありません。

雨不足が続いたり、使用量が増えると影響がでてきます。
節水が呼びかけらるのも絶対量の懸念からです。1年を通して
最も使用量が多いのは8月といわれます。この月に水の
大切さを考えて欲しいのです。ということで「水の日」が
設けられています。

あまり知られていないのが残念ですが、その日は8月1日です。
7日までは「水の週間」です。世界には水に苦労している国が
少なくありません。そこに思いを寄せると、水を大切に使う運動が
もっと広がって欲しいと思います。川崎市でも地下街アゼリアで
上下水道局主催で「川崎水水フェアー」のイベントが開催
されています。

 

豪雨の恐怖

山口県や島根県で豪雨被害が拡大している。
気象庁が出した「これまでに経験したことのない大雨」
という表現が尋常ではない気象状況を象徴している。
ある研究者は「400~650年に1度の雨」としている。

日本海上空に「寒冷渦」と呼ばれる低気圧が発生し、
そこに暖かく湿った空気が流れ込んだのが原因だそうだ。
今月中旬に東北で発生した豪雨も似た現象らしい。

1時間当たりの雨量が10~20㍉では「ザーザー」
という音がする「やや強い雨」。30~50㍉で「バケツを
ひっくり返したような雨」。50~80㍉では「滝のように降る」。
山口県萩市では28日、1時間に138・5㍉が降った。
これは「息苦しくなるような圧迫感」がある降り方という。
住民の恐怖は想像に余りある。

今夏は深刻な電力不足が予想されていないため、
「節電」のムードは昨年よりは低調だ。だが、温暖化
による地球の病は確実に進行している。時折の豪雨は
その警告に思えてならない。

 

デトロイト市

米国自動車産業の"聖地"として自他共に認めてきた
デトロイト市(ミシガン州)が破産申請したというニュースに驚き、
隔世と無常のダブル感に打たれた。それはおごったわけでは
ないだろうに。しかし何かと見誤ったとしか思えない。

日本ではまだ車が高嶺の花だった当時、一家に一台と言われた
米国の普及率を受けて華やかな脚光を浴びていたのが
デトロイト市だった。フォード、ゼネラルモーターズ、クライスラーの
いわゆるビッグスリーがしのぎを削り、「モーターシティ」との代名詞を
奉られた同市は一時180万人の人口を誇ったという。

その聖地をおびやかすようになったのが、モーターライゼーション
(自動車化)では、はるか後発であった日本だったというのが、
米国版「平家物語」の数奇な展開なのだ。取るに足らない相手だった
日本車があれよあれよという間に市場を席巻、気がついた時は
外堀が埋まっていた。

負担総額は邦貨にして約1兆8千億円に達し完全に財政破綻した
同市の現在の姿をテレビが映し出していたが、ゴーストタウンと化した
工場街や荒れ放題の公園などが、かっての栄華をしのばせて
一層哀れに見える。国がどのような救済策を講じるのかは分からないが、
夕張市の例を引くまでもなく限度はあるだろう。

デトロイトの労働者が攻撃の標的として日本車を叩き壊していた
当時の映像を思い出し、水鳥の音に驚いて逃げ出す前に、敵は何か
と考えていたらこういう結果にはならなかったろうにと、凋落の根源
を考えて見た。

NHK朝ドラ『あまちゃん』。

高視聴率をはじき出すNHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』。
毎朝欠かさず見ているわけではないが、フラッシュバックされる
昭和59年当時の雰囲気につい感情移入してしまう。

脚本の冴えだろう。テンポが速く面白い。さらに演じる俳優陣が
かってのアイドルでもあり、劇中劇の趣もある。おそらく40歳以上なら、
主人公の母親役小泉今日子と大物女優役薬師丸ひろこの
2大アイドルの人気度はリアルタイムでご存じだろう。

ドラマは半年間のため、残り2ヶ月少しになったが。東京での
沈滞ムードを引きずった主人公が北三陸で迎えた平成22年
初頭の場面が進行している。おそらく終盤に向けて、東日本大震災の
悲劇も不可避なテーマになるのだろう。

同番組では、灘の造り酒屋を舞台にした『甘辛しゃん』が
阪神・淡路大震災を取り上げたことがある。今後、刻々と迫る
未曾有の大災害をどのように描き切るのだろうか。
震災発生2年半近いが、心穏やかではない。

 

土用の丑

土用の丑の日が近づいてきました。ウナギのかば焼きは、
数ある魚料理の中でも味わいや香りに格別のものがあります。
この時期になると、何としても食べたくなるのが人情です。

年中食べても飽きないという熱狂的なファンが、ウナギには
多いようです。歌人の斎藤茂吉氏は、長男の見合いの席で、
相手の女性が手を付けないでいたウナギをもらい、食べて
しまったことがあるそうです。

将棋の加藤一二三九段は、出前の早さや栄養面の利点を理由に、
対局のたびにウナギを食べることで知られています。

こうした逸話を聞いているだけでも、ウナギにかぶりつきたく
なってきますが、各界の名士に比べてこちらは圧倒的に
懐具合が寂しいのが、悲しくも現実です。よって、自動的に
年に1、2度の楽しみとなります。

しかも最近では国産種だけでなく、欧州産の別種の稚魚が
減っており、クジラという先例を考えた時に、中長期的な資源量の
管理の厳格化も懸念されます。

庶民の味方としてサンマやアナゴのかば焼もありますが、
おいしいのですが、やはり別の魚です。ウナギを存分に
楽しめる日がいつまでも続くことを願っている一人です。

ウイスキーの味わい

酒が好きだった父は、晩酌で安物のウイスキーを
ちびりちびりと飲んでいた。たまに高級ウイスキーが
手に入ると、飲み終えた空き瓶にいつものウイスキーを
詰め替えていた。中身は安物でも、いい気分で
飲めたのだろう。

バブル花盛りの1990年時代、関東ではボトルキープ
といえばウイスキーだった。同じころブランデーが好まれた。
どこのスナックの棚にも、VSOPやナポレオンがずらりと並んでいた。

やがて日本酒ブームが到来し、全国の地酒が身近な居酒屋で
飲めるようになった。個人の好みで言えば、辛口のさっぱりした酒が
口に合う。それぞれの酒の古里に思いをはせながら味わうのがいい。

次にきたのが焼酎ブームで、いまも居酒屋では主役の座にある。
ロックでも湯割りでもいけるし、女性好みの甘いカクテルもある。
「とりあえず」のビールは別格として、焼酎抜きの酒席は
考えられないほどだ。

そのあおりでウイスキーの需要は低迷していたが、炭酸水で割る
ハイボールのヒットで人気を盛り返してきたという。確かに居酒屋では
飲む機会が増えた。とはいえ酒店ではまだ、売り場の片隅に
追いやられている。

久しぶりぜいたくして、ストレートでおいしく飲めるシングルモルトの
小さなボトルを買った。たるの中で10年間熟成された味はまろやかで、
強めのアルコールがすっと鼻から抜けた。流行に左右されない
ものづくりも大切だと気持ちよく酔いながら思った。

政治の役割

政治の大きな役割の一つに、社会保障がある。私たち一人一人が
安定した生活を続けるために、国や自治体が所得を、こちらから
あちらに移すことによって、年金、医療、介護、育児などのサービスを
行う制度だ。

今日ほど、社会保障が叫ばれる時代はない。というのも、
少子高齢化が急速に進行し、高齢者に充てられる給付額が増大
しているからである。国全体で毎年3兆円増え続け、いかに財源を
確保するかが、最大の課題と言える。世代間負担の公平を図り、
持続可能な制度にしないといけない。

ここまでは、多くの人たちが共通認識を持っているのだが、
わが身に降りかかってくると、保険料、税は引き上げてもらっては困る。
しかし、保障費はもっと充実させてほしい、と思ってしまう。参院選
で各党、社会保障をどう改めようとしているのか。

公約を見ると、「消費税は社会保障に使う」(自民)「最低保障年金の
創設を目指す」(民主)「公的年金は積み立て方式に移行する」(維新)
「税と社会保険料を一元管理する庁を設ける」(みんな)などで、
改革の道筋はわかりにくい。安心して老いてゆける社会はどこに、である。

心に柱を

報道された写真を見ると、塔(とう)のあった跡に
柱が1本立っている。解体修理中の薬師寺東塔(やくしじとうとう)
の心柱(しんばしら)を取り外す貴重な光景だった。

日本では亡くなった人の命を「柱」と呼ぶ。柱には神が宿る
とされ命の代名詞になった。塔はその象徴だ。高い塔を
支えるために柱を立てるのではない。柱を守るために
壁や屋根が必要なのだ。だから心柱と呼ぶ。柱が命の塔の
本質がわかる写真だった。

中国などの石造(いしづくり)りの五重塔は内部が空洞
(くうどう)になっている。日本の塔とは似て非なるものとされる。
薬師寺東塔の心柱は2本の大木をつないである。上部は
取り換えられたものだが、下部は1300年前のまま。
樹齢(じゅれい)は1500年と推測される。

樹齢千年の木で建てた塔は千年の風雪に耐える。
千年の木を育てる森林ができるには「千年かかる」という。
薬師寺復興に関わった宮大工、西岡常一(にしおかつねかず)
さんの言葉である。

立派な塔には立派な木材が、いい木材を育てるにはいい森林が
必要だ。民主主義に似ている。政治家も有権者も一日では育たない。
遠い先を視野に足元を固めていくのが選挙だ。心の柱を。
党の政策に命を。

信じる

歴史年表をみると、世界ではナチスのベルリン五輪開催、
国内では二・二六事件が起きた。そんな1936(昭和11)年以来の
出来事に英国中が沸いた。テニスのウィンブルドン大会男子で、
マリー選手が英国人として77年ぶりに優勝した。

試合後「勝てないときも我慢し信じてくれた」とコーチに感謝した。
コーチは米国人のイワン・レンド氏だ。テニスファンなら知らない人は
いない、往年の名選手だ。信じて待つ師匠と、それに応えた弟子。
そう書けば、米英の師弟なのに浪花節の雰囲気が漂う。

77年ぶりとまではいかないが、大相撲は久しぶりの日本人横綱
誕生の期待に沸く。加えて注目されるのが八百長問題をめぐる
裁判で勝訴し、土俵に帰ってきた蒼国来(そうこくらい)と、初の
アフリカ人関取の大砂嵐(おおすなあらし)だ。

初日から黒星が続く蒼国来に対し、師匠の荒汐親方は
「きょうよりあした」と話し、こちらも一貫して信じて待つ構えで臨む。
期待に応えて昨日、蒼国来は待望の白星を手にした。

白星先行の大砂嵐は昨日の日没から、イスラム教徒のラマダン
(断食月)が始まった。今場所は、日の出から日没まで飲食を
禁じられた状態で相撲を取る。母国エジプトの混乱も気になるだろう。

午前2時に起き日の出まで食べて飲んで土俵に備える。
そんな大砂嵐を、部屋を挙げてサポートする。支えがあるから
踏ん張れる。支える人と支えられる人だ。国籍は関係ない。

願いごと

近所のスーパーマーケットに、七夕飾りがお目見えした。
客寄せのための営業企画という"今どきの風流"だが、
目にすると季節を感じ、心がほっと和みます。赤や青、黄色の
短冊に子どもたちの願いが書き込まれている。「お花やさんに
なれますように」「アイドルになりたい」「勉強ができますように」
「はあとのおみみのくまさんがほしい」

無垢(むく)な願いに交じって、こんなのもあった。「家族の
みんなが笑顔でいられますように」「じいちゃんの腰が治りますように」。
きっとかなうよ、周囲に気付かれぬようにつぶやいた。

大人たちが願い事を託す参院選が明日、告示される。有権者は
何を願うのだろう。景気がよくなりますように、生活が楽になりますように、
東日本大地震での避難者が早く古里に帰れますように。

世知辛い世の現実にのまれ、願うことすら忘れているかもしれない。
しかし政治とは本来、人々の夢や希望、目標によって形づくられるはずだ。
それが民主主義、と信じたい。

有権者の願いはただし、祈るばかりでなく行動しなければかなわない。
子どもたちの数え切れない願いは、七夕飾りをしなだれさせた。
大人たちの短冊も、たくさん投じられますように願いたい。

有権者に響く言葉を

「だました人が悪いのか、だまされた私が悪いのか」。
衆院小選挙区定数の「0増5減」に伴う区割り改定法を再可決した
先日の衆院本会議。久々の表舞台だったが、発した言葉は
少々情けなかった。前の首相、民主党の野田佳彦氏だ。

自公民の3党合意だった今国会での選挙制度改革の実現は
先送りに。攻守の立場がかわり安倍晋三首相への悩み節
だったのだろうが、「0増5減」の先行可決に反対した民主党にも
責任はある。通常国会の会期末まで参院議長不信任決議案、
首相問責決議案の応酬と与野党対立むき出し。そのあおりで
電力システム改革を進める電気事業法改正案など重要法案が
廃案になった。国民そっちのけでは、政治不信、政治離れが
進むばかりだろう。

「へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね」。
沖縄戦が終結した「慰霊の日」の戦没者追悼式で、沖縄県与群国島の
小学1年生が朗読した詩の一節だ。基地負担軽減を誓う安倍首相
の空疎な言葉と対照的だった。

来る参院選では、憲法改正,TPPの参加、原発再稼動など
日本の将来が懸かる争点がずらり。ぜひ有権者の心に響く
政治家の言葉を聴きたい。巧言にはだまされない。自民党の優勢が
伝えられるが、都議選を見ると民主党の支持回復はまだ遠いようだ。
そういえば、野田氏が愛唱するのは武田鉄也さん作詞の
「思えば遠くへ来たもんだ」とか。<この先どこまでゆくのやら>の
歌詞が身に染みる今日このごろか。

伝承の技

薬師寺が建った1300年前、今のカンナに相当する大工道具は
なかった。長い柄(え)にナイフのような刃(は)をつけたヤリガンナ
という道具で木を削った。

昭和初期、法隆寺の夢殿(ゆめどの)で厨子(ずし)を
造り替(か)えることになった。古式のヤリガンナの使い手を捜したが
関西にはいなかった。そこで招かれたのが加賀の銅鑼(どら)造りの
初代・魚住為楽(うおずみいらく)さんだった。仏壇造りの
修業もした魚住さんは木工技術にも長けていたのだ。

これは大変なことだった。宮大工の本場の奈良で消えかかった技法が
加賀の工芸の中に残っていたのである。薬師寺や法隆寺が守りぬいた
世界的な宗教遺産と地方の伝統工芸が一本の糸でつながっている
ことを意味している。

井波(いなみ)の木工や輪島や山中漆器(しっき)の木地づくりの
技法と飛鳥(あすか)白鳳(はくほう)期の仏像の木肌に共通するものが
あると言っても不遜(ふそん)ではないでしょう。
古代の匠たちも、今日と同様、日常の家造りや器造りの中で
技を鍛え磨いたに違いない。

先日の同窓会で国宝薬師寺展を参観した友人から人と時をつなぐ
伝承の技に感動したと伝え聞いた。また、ジェクト株式会社
創立者・重太郎さんが生存されていたら、大工道具の歴史を教えて
いただけるのだが。

女性宇宙飛行士

「私はカモメ」。女性として世界で始めて宇宙飛行に成功した
旧ソ連のテレシコワさんの"第一声"が報じられたのは、今から
50年前、1963年6月のことだった。その2年前に人類初の
宇宙飛行に成功した旧ソ連のガガーリンさんは「地球は青かった」
と言う言葉を残した。「青い地球」を飛ぶ「カモメ」は宇宙の
ロマンを思わせる。

詩人かとも思われたテレシコワさんは政治家になった。
76歳の今もロシア下院議員で外交副委員長を務めて
いられるようだ。50周年の記者会見では、地球を外から見た
一人として人類共存を訴えられた。宇宙のカモメ気分を味わった
女性は今は各国にいられる。50周年を記念してウィーンで
女性宇宙飛行士の討論会が行われた。日本から出席した
向井千秋さんは、宇宙では男女やさまざまな民族が
協力できると話し、「人類の絆」を強調されたそうだ。

女性を抜きに宇宙での絆は語れない時代になった。
月の次の目標になる火星も例外ではない。米航空宇宙局
(NASA)が火星などの有人探査を目指す宇宙飛行士候補として
先ごろ選んだ8人のうち4人は女性だ。地球以外の惑星にも
羽を広げるカモメを想像する。

50年前のカモメは実はテレシコワさんの暗号名で
「こちらカモメ」と交信したにすぎないという。思えば当時は
東西冷戦下だった。冷戦を象徴する暗号名に羽が生えて
伝えられたのかもしれない。宇宙にはロマンの方が似合うようだ。

看護師さんの労働

「病室担当の看護師さんが優しい人かどうか」。かって入院した時、
こんなたわいのないことが患者にとっては日々の関心事だった。
期待する中の一人だと分かると、ほっとしたものだ。看護師さんの
優しさは患者の心に力を与えてくれる。

その看護師さんを含む看護職員から、ここ一年間に「辞めよう」と
思った人が半数に上る、と聞いた。「病院をかわりたい」という人も
いるそうだ。職場に不満を抱いている人が多いのに驚いた。これでは
優しさを発揮する気分になれないこともあるのでは、と少し心配になった。

「賃金が低く、努力のかいがない」「人手が足りない」「やりがいが
感じられない」「事故を起こすのではないかと不安」。不満の理由だ。
いずれも仕事量の多さが背景にあるようだ。三交代制で夜勤が月
9回以上の人もいた。

「日勤を終えて病棟を後にするのは午後8時を過ぎるのが普通」
「夕食を夜中にとるのが普通になり、睡眠不足状態の朝は食欲が
なくて食べなくなった」。こんな新人看護師さんの声を聞いた。

看護師さんの仕事は人の健康や命に関わる。忙しすぎて、
事故の不安が募るような労働環境は早急に改善してほしい。
それまでは患者やその家族が日々感謝の念を示し、看護師さんに
ストレスを和らげてもらおう。

日本野球機構(NPB)に問う

「本塁打量産はなぜ?」飛ばないはずの球が次々とスタンドへ
運ばれるのはどうしてかー。その謎が解けた。「飛ぶボール」になって
いたのだ。日本野球機構(NPB)が、昨年より反発力を増すように
メーカーに微調整を指示していたことを明らかにした。

「事実を公表しなかったのはなぜ?」。今季、球の感触の違いを
実感する選手もいたが、NPBはこれまで「球を変えた事実はない」と
主張していた。しかし実際は変わっていた「混乱を招かないように
公表しなかった」としているが納得できる説明ではなく、
別の理由があるのではと疑問が残る。

選手にとってはもちろんだがファンにとっても大きな問題だ。
「ホームランが多くていい」という単純なことではない。
だまされていたとの思いは否めず、心から楽しめなくなりはしないか。
今回のことで、選手やファンはNPBに対して疑念を持ってしまった。

ボールは石ころを布で巻いて古いマットで包んで作った。
バットは木か竹棒で手づくりだった。赤バット川上、青バット大下選手を
応援した頃のオールドファンも離れていく。「ファンが離れていったのは
なぜ?」という事態に陥らないよう、統括組織としてのNPBの
今後の姿勢が重要であると思う。


北の湖土俵入り

日本相撲協会の北の湖理事長が還暦の土俵入りを披露した。
太刀持ちに九重親方(元横綱千代の富士)露払いに貴乃花親方
を従え、昭和から平成にかけての大横綱のそろい踏みだった。
重心の低いあんこ型の姿はそのままだった。現役時代と同様に
早い所作で雲竜型の土俵入りを見せてくれた。せり上がりで
少しふらつく場面もあったが、威風堂々とした姿が、まぶたに残る
昭和の残像と重なった。

現役理事長で還暦の土俵入りをしたのは1988年の二子山以来
という。スピード出世を遂げた北の湖は、史上最年少の21歳2ヶ月で
横綱昇進をつかむ。憎たらしいほど強かったが真摯に土俵を務めた。
理事長就任は2回目。1回目は力士暴死事件や大麻問題などから辞任。
その後、角界は八百長問題で存亡の危機に立ち、土俵際からの
出直しとなった。

相撲協会理事長の再登板は史上初。政界では安倍首相が昨年、
再登板を果たし、内政、外交に大懸案を抱えながらも高支持率を
維持している。北の湖理事長も相撲人気のV字回復を果たしてほしい。
まずは日本人力士の奮起だ。日本人の活躍がなく、大相撲の
発展はないのだから。

 

国民総所得

国の経済規模を測る指標といえば、GDP(国内総生産)が代表格だ
。以前多用されていたGNP(国民総生産)に取って代わったのは
20年ほど前になろうか。今度は新たにGNI(国民総所得)だという。
安倍首相が「10年後に1人当たりの国民総所得を150万円増やす」
と打ち上げた。アベノミクスの3本目の矢、成長戦略に明記された
数値目標である。そのまま受け取ると、夢も膨らみそうだが。

1人当たり年間150万円なら月に12万5千円ー。そんな
皮算用をしたら、残念ながら「取らぬタヌキの」である。GNIは国民や
日本企業が国内外で得た所得の総額を示す数字だ。企業が利益を
上げても給料にはね返らない限り、社員の懐にはつながらない。

新興国の成長の取り込みを掲げるなかで、指標はGDPよりGNIが
時代にかなっているというのは理解できる。ただ、「総所得」アップの
響きから連想する池田勇人元首相の「所得倍増」とは異なるのが、
今回の矢の的だと心得ておく必要がある。

昭和35(1960)年に首相に就いた池田勇人元首相は「所得倍増」を掲げ、
それは7年後に実現する。池田元首相の決意と、経済政策ブレーンとして
支えた下村治氏や田村敏雄氏の奮闘は、作家沢木耕太郎さんの
『危機の宰相(さいしょう)』に詳しく記載されている。夢を現実にする各氏の
誇り高い物語は今も色あせない。

精神修養

「柔術」を「柔道」と改めたのは講道館を創始した嘉納治五郎
(かのうじごろ)氏だ。柔術に打ち込むは乱暴者が多かったらしい。
「柔術は勝つための術を教えるが、人間が踏み行べき道が
忘れられいる」。嘉納治五郎氏はそう見た。

「まず精神修養で根本となる道を教え、術はその次に教えるべきだ」。
こんなえから名称を「柔道」した。講道館は「道」を講ずる教育所
という意味だ。修業の目的も崇高だ。社貢献に努め、人類が
ともに発展していくことにあるという。

この理念があるから、柔道が世界に広まったのだろう。
米国大統領だったセオア・ルーズベルトも心に学んだという。
嘉納治五郎氏はアジア初のオリンピック委員にもなられた。

その栄えある日本柔道が醜聞にまみれていると報道されている。
女子選手への力問題や助成金不正問題に続き、全日本柔道連盟の
70代理事による女性へのわいせつ行為もるみに出た。
嘉納治五郎氏が亡くなって75年。たがが緩んでしまった。

嘉納治五郎氏の教育は独特だ。道場番の門弟が禁止されている
酒を友人と飲んいるところに突然れ、空の一升徳利(とっくり)を
両足に挟みながら熱心に形(かた)の説明をされた。二人は青くなっが、
嘉納治五郎先生は酒のことは何も言わず戻られたそうだ。
今も天上から気利いた論しの言葉発していられることだろう。
柔道界に聞こえていると思うのだが。

三浦流の人生

先日、三浦雄一郎さんの『80歳の挑戦』と題してエレベスト登頂の
ご成功を祈っていたが、史上最高年齢の80歳で世界最高峰エレベスト
(8848メートル)の登頂に成功された。冒険家の三浦雄一郎さんから
元気をもらった人は多いはずだ。

真っ黒に日焼けした顔。年齢からくる『老い』は、感じられなかった。
8千メートルを越える高所の酸素量は平地の約3分の1だそうだ。
常に死の危険とも、隣り合わせだ。素朴に「どうしてあの年で
あんなことができるのか」と思ってしまう。骨折や不整脈の手術もなされた。
それでも夢をあきらめずに3度目の快挙をなし遂げられた。
何が三浦さんを挑戦に駆り立てているのだろうか。

三浦さんは、『私はなぜ80歳でエレベストを目指すのか』の問いには、
「達成したくなる目標があれば、体力の回復は必要に応じてついてくる」
と答えられた。目標とするのは「自己新記録」で、それがたまたま
「世界新記録」になるのだと。

下山したばかりで、疲労困憊(こんぱい)のはずだが、今度は原点である
スキーヤーとして、世界6位の高峰から滑降する新たな目標を揚げられた。
前へ前へと歩みを止められない。三浦さんのパワーには、敬服するばかりだ。 

目標設定には年齢は関係ない。理由をつけては、その日暮らしを続ける
わが身の戒めとしたい。

横綱昇進

その悔しさを次の名古屋場所にぶつけてほしい。
そう思った稀勢の里ファンは多かったのではないか。
大相撲夏場所千秋楽。稀勢の里が勝ち、白鵬が敗れれば
優勝決定戦にもつれ込む状況だった。が、その前に
力尽きてしまった。

同郷モンゴルの先輩・朝青龍に並ぶ25度目の優勝を
全勝で果たした白鵬は、決して倒れることのない高い壁のようだ。
心技体ともに揺るぎない充実ぶりは大横綱の風格十分である。

一方、稀勢の里の綱取りは来場所以降に持ち越された。
2003年に貴乃花が引退して以来、日本出身力士はもう10年も
横綱から遠ざかっている。白鵬のファンには申し訳ないが、
再び夢を見させてもらいたい。

稀勢の里は04年、その貴乃花に次ぐ18歳3ヶ月の新入幕
年少記録を持っている。「稀(まれ)なる勢いをつくってほしい」
という願いが込められたしこ名の通り、06年には史上4番目の
若さで三役に昇進した。

しかし、そこから足踏みが続く。同時入幕の日馬富士は横綱となり、
小結と関脇、前頭を行ったり来たり。やっと大関に上がったのは
昨年の初場所から。新入幕から42場所での昇進は史上5番目の
遅さだった。

大関になったとき「もう一つ上(横綱)を目指すためには力をつけ、
自分で甘えないでやるしかない」と語った稀勢の里。挫折を
味わった男は、高い壁を破って綱をつかむことに努力され
我々の願いを(横綱)、実現してほしい。

公務員の郷土愛

ご当地をPRする「ゆるキャラ」の中で、熊本県の「くまモン」は
全国屈指の人気者である。関連商品の売り上げは昨年
300億円近くに上がったというから大したものだ。まん丸い目に
赤いほお、メタボ気味のくまモンは2010年に誕生した。
九州新幹線が全線開業する前年で、熊本PRのアドバイザー
になった放送作家、小山薫堂さんが提供したスローガンなどと
ともに発表された。いわば「おまけ」だったそうだ。

それを熊本の知名度アップに生かそうと奔走したのが、
県大阪事務所長だった佐伯和典さんらだ。蒲島邦夫知事に、
「好きなことをやれ」と指示されたという。新大阪と鹿児島
中央間で直通運転が始まれば、熊本は埋没するという
危機感に背中を押された。

展開された企画は、公務員の枠にとらわれないユニークさである。
1万枚の名刺配りやイベントで顔を売り、大阪プロレスでは
場外乱闘に絡んだ。マスコミでも話題となり、蒲島知事も
吉本新喜劇に出演されたとのこと。

「くまモンと仕事をして意識が変わった」と、畑違いのPR作戦に
かかわった職員らは「くまモンの秘密」(幼冬舎新書)に記した。
佐伯さんも「たくましくなった」と部下を評価する。担当を離れても
生きる経験に違いない。ゆるキャラと関係者がともに成長して、
地域も活気づく。地方発の事業として格好のお手本だ。

無事帰国を願い祈る

政治の黒子役が外交舞台に出るのは、歴史においても珍しい。
飯島勲内閣官房参与の北朝鮮訪問は、豊臣秀吉の軍師黒田官兵衛が
衆目の中で動き回っているみたいだ。

当初、だんまりの安倍晋三首相も「全ての拉致被害者の家族が
お子さんを抱きしめる日がやってくるまで、私の使命は終わらない」と、
解決への決意を飯島氏を通じて伝えたことを認めたように聞こえる。

空港で、ぴかぴかの議事堂で序列ナンバー2らに歓待されるシーンが
公式メディアで流された。収まらないのが韓国と米国で、「聞いていない」
と頭を越されて不快感を示す。うまく立ち回られた、日米韓を引き離す
策だと、訪朝に賛否の声が聞かれる。2002年の拉致被害者帰国の時、
舞台裏を回した元外務審議官、田中均氏の著書『国家と外交』を
ひもといてみた。

相手はミスターX。週末に第三国で30回会う。「序列はあまり関係ない。
下の人が一番力を持っている場合もある。最高指導者と話ができ、
了解を取り付けられるかどうか」と明かしている。日本にもしたたかさがある。
今回も本交渉は水面下と見るのは、うがちすぎだろうか。飯島氏は
『代議士秘書』で、雑巾掛けも場数を踏めばエキスパートになれる」と
自負されている。表裏一体で扉をこじ開けられれば越したことはないのだが。

 

 

政治家のニックネーム

有力な政治化には、よくニックネーム(あだ名)が付けられる。
少し古いが、日本でいえば歴代首相のうち吉田茂氏は
「ワンマン」で田中角栄氏は「今太閤}、福田赳夫氏の場合は
「昭和の黄門」だった。

福田氏と同じ群馬県出身の中曽根康弘氏は「風見鶏」。
小渕恵三氏は「冷めたピザ」と酷評された。ほかに
三木武夫氏は「バルカン政治家」。安倍晋三首相の祖父に
当たる岸信介氏は、その風貌から「昭和の妖怪」などと
呼ばれていた。

海外の政治家や政府高官も面白し。米国のセオドア・
ルーズベルト元大統領は「テディ」。熊の縫いぐるみの名前の
もととなった。英国のサッチャー元首相は「鉄の女」。
女性初の米国務長官を務めたオルブライト氏は自ら
「モナリザ」と名乗った。

「森の木イチゴ」なるニックネームが付けられたフランスの
国家元首が今、支持率の低迷で頭を抱えているらしい。
現職だったサルコジ氏とのし烈な戦いを制し、1年前に就任した
オランド大統領である。

社会党出身者としては、あのミッテラン氏以来、17年ぶりに
政権を担った。だが、国民の大きな期待とは裏腹に、景気と
雇用環境は悪化の一途をたどるばかり。これが響いて支持率は
25%と、最低の水準まで急落しているそうだ。

国民が命名した「森の・・・」の意味は、小さくて目立たないー
との意。ほかに「プリン」とも呼ばれ、こちらは優柔不断に揺れる・・・から。
極め付きは高所得への75%の課税を決めて「ムッシュ75%」。
この結果、不支持率も75%とは何とも皮肉だ。

スマートフォン

最近の新聞広告やテレビCMを見ていると、携帯電話の広告は
ほぼ全てが多機能携帯電話のスマートフォンだ。「スマホ」の
愛称で呼ばれ、いまや携帯電話といえばスマホを指すほど。
愛用者からみれば今更だが、簡単に言えば、従来の携帯電話に
パソコン機能が付いた優れたものだ。

高付加価値を売りに、販売台数は今年の第1四半期(1~3月)、
ついに一般的な携帯電話を超えたようだ。だが、操作方法の
煩わしさもあって、電話とメールが使えれば十分という「アナログ派」
としては、従来機種からスマホに買い換えるきっかけを見いだせないでいる。

周りの主流はスマホになった。ただ、完全に使いこなしている人は
ほとんどいない。親しい友人は「長所、短所いろいろ。まあ、ポケットに
入る電話付きパソコンと思えば便利ですよ」と教えてくれた。
弱点は毎日のように充電しなければならないバッテリーという。

数日前、大手情報通信会社が操作方法を簡単にした新機種の
シニア向けスマホを、夏商戦に投入するとの新聞記事を読んだ。
今後は他社も追随していくだろうが、衰え気味の目と頭でも
使えるのであれば、一度試してみたくなった。

母の日

巣から落ちたスズメのヒナに犬が近づくと、母スズメが
犬の前に舞い降りて、小さなくちばしで猛然と犬を攻撃するのだ。
犬はたじたじと後ずさりして、その場を去っていく。
ヴィクトル・ユーゴーは「女は弱し、されど母は強し」と言う
名言を残したが、まさしく「母は強し」の一場面と言える。

旧ソ連で守旧派がクーデターを起こした際、その戦車の前に
スクラムを組んで立ちふさがったのは、若い戦車兵と同年配の
息子を持っていそうな女たちだった。戦車は前進できなくなった。
こちらはフィクションではない。ニュースで何度も映像が流れた。
 
ユーゴーの「女は弱し」には議論があるかもしれないが、
母になった女性の強さには異論はなかろう。10カ月と10日に
わたっておなかの中で育て、おぎゃあと生まれたら夜中も
明け方もなく、一定時間間隔で授乳する。重労働といっていい。
乳幼児には最大の保護者であり、長じて郷里を離れても
母親の手料理「お袋の味」は忘れ難い。

意識しようがしまいが、母親の世話にならなかった人間は
まずいなかろう。母の愛情に素直に感謝しよう。
手元不如意なら「いつもありがとう」のひと言に心を込めればいい。
昨日は「母の日弁当」を家内、娘、孫2人と一緒にしながら、
母親のありがたさを語ってみたが。

政治の知恵

政治がこんなに杓子(しゃくし)定規で日本は大丈夫なのだろうか。
きのう参院本会議で自民党の川口順子(よりこ)環境委員長の
解任決議案が可決された。参院の許可を得ずに中国訪問を延長
したため、委員会が中止になった。だから、委員長として不適格だという。

川口氏は遊んでいたわけではない。中国外交を束ねる要人との
会談が急に入り、野党側に期間延長を申し入れていた。だが、
理解が得られないまま、滞在を延長し、会談に臨んだという。

確かにルール違反には違いなかろう。とはいえ、日中間系は
尖閣諸島問題で悪化し、対話も途絶えがちだ。中国外交のトップと
話すチャンスは逃せない。そう元外相の川口氏が考えたとしても、
大方の人は理解できよう。だれでも中国要人と会談できるわけではないのだ。

それが委員長を解任されるほどの罪なのかどうか。委員会は
委員長代理を立てて開けなかったのか。そもそも野党はなぜ延長を
了解しなかったのだろう。議員外交があってもいいはずだ。

「日本に沖縄の領有権はない」。先日、中国共産党機関誌は
こんな論文を載せた。中国が求める領土は尖閣諸島どころではない。
その中国と日本は経済面で深い関係にある。共存していくため、
政治の知恵がますます必要になるのではないだろうか。

日本とトルコの縁

日本とトルコの縁は深い。120年ほど前、トルコ軍艦が
日本からの帰途、和歌山県の離島沖で座礁し、沈没した。
島民たちは乗組員を背負って断崖を上がるなど必死の
救出活動を行い、乗務員656人のうち69人が助かったという。

上州沼田藩(群馬県)出身の山田寅次郎さんは
「遺族が気の毒だ」と、義援金5千円を集めて届け、トルコの人々を
感激させた。現在の価値で1億円ほどとか。日本が日露戦争で
勝利すると、ロシアと対立するトルコの親日感情はますます高まった。

両国の絆はイラン・イラク戦争でさらに深まった。
イランには日本人社員や家族が取り残され、絶望感に
打ちひしがれていた。その時、トルコが危険を顧みず旅客機を手配し、
200人を脱出させてくれた。軍艦沈没の時の恩を忘れていなかったのだ。

そのトルコのイスタンブールと東京都が2020年夏季五輪招致を争う。
それで競争意識が出たか、猪瀬直樹東京都知事が「イスラム教国が
共有するのはアラー(神)だけで、互いにけんかしており、階級がある」
などと失言したという。軽率と言うしかない。

だが、猪瀬知事の発言への謝罪をトルコの担当相がすぐに
受け入れたというからホッとした。これも友好の歴史があるからだろう。
相手が領土問題で対立するような国でなく幸いだった。

アベノミクス

安部政権の経済政策「アベノミクス」がもてはやされている。
確かに、政権発足からわずか4ヶ月で東京市場の平均株価は
5000円上昇し、円は1ドル=100円をうかがう局面に至っている。
金融市場は活況を呈しているが、庶民の生活はどうかと言えば、
どこの国の話だといった感じが否めない。

目下のアベノミクスの牽引者役は日銀、黒田東彦総裁だ。
向こう2年で物価指数を2%上げることを目標に、大規模な国債の
公開買い入れを進めている。お金が市中に大量にあふれれば、
物の値段は上がるのが道理だ。

デフレスパイラル脱却のために行っている大胆な政策だが、
国内外からは「実験」とやゆされ、中長期的な成果を疑問視する
向きも少なくない。不況と物価上昇(インフレ)が同居する
スタグフレーションを危惧する声も聞かれる。「空白の20年」
と呼ばれるバブル崩壊後の国内景気の長期低迷は、個人所得を
縮小させたが、物価水準が低かったために庶民は何とか生活できた。

円安に即応する形で輸入関連を中心に物価は上昇し始めている。
政府や日銀の思惑通りに物の値段は上がりつつあるが、
肝心の賃金は遅々として上がらない。名目賃金が変わらず、
物価だけが上昇するのであれば実質賃金は今より低下する。

安部首相は景況に明るさが出てきたことでペアを企業に
求めているが、どれだけの企業が応えているのだろうか。
株高、円安で輸出企業や投資家は恩恵を受けているはずで、
その恩恵を広くかつ迅速に国民に還元する政策を講じる必要が
あると思う。国民には、朝晩消費増税が待ち受けているのだから。

歌舞伎座

東京銀座のシンボル、歌舞伎座の建て替え工事が終わり、
3年ぶりの復活で周辺に華やかさが戻ってきたが、
新しくなった歌舞伎座の周辺は、開場を待つ人々でごった返し、
華やかな空気に包まれていた。

背後にそびえる高層ビル以外は、改装前の外観がよく再現
されている。ロビーや客席、舞台など内部も同様で、懐かしくもあり、
ほっとした。舞台も何もかも素晴らしい。特に座席がゆったり
しているのがいい。その出来栄えに太鼓判を押した。

1889年の開催から5代目となる歌舞伎座の完成予想図を
初めて見せてもらった時には、29階建てのオフィスビルとの
複合施設となることで、建物の伝統美が損なわれるのではないか
と思った。しかし、工事用外壁が取り払われ全容を現すと、
劇場部分はしっかりと伝統美を引き継ぎ、背後に建つ
オフィスビルが、まるで黒子のように融合していた

再開を待つうちに何人もの名優が世を去り、歌舞伎の危機と
懸念された。こんなときこそ新しい世代が育つはずと、期待の声も
上がった。確かに不在の人々の面影がちらつく。働き盛りの
40代後半から50代の役者は、なぜかもともと層が薄い。
勘三郎さんの早世でさらに際立ってしまった。この喪失感は
癒されるのだろうか。


 

80歳の挑戦

 冒険家の三浦雄一郎さんが3度目のエベレスト登頂を目指し、
日本を出発された。80歳の挑戦である。その抱負に感嘆した。
「80歳は4度目の二十歳。限界まで頑張ってみたい。プロスキーヤー
として世界7大陸の最高峰から滑降に成功するなど輝かしい実績を
持っていられる。

エレベストは70歳と75歳のときにも登頂を果たしていられる。
登頂者の最高齢記録は2008年にネパール人が達成した76歳。
成功すれば記録を塗り替えることになる。ただ、本人に記録への
執着はないそうだ。「筋力や体力は70歳のときより上がっている。
最高齢にはこだわっていない。自分の80歳にトライしてみたい」。
どこまでやれるのか。限界への挑戦は衰えることのない冒険家
スピリットだろう。

三浦さんは「父の背中が大きな力になっている」といわれる。
営林局勤めだった父の敬三さんは山岳スキーヤーとして活躍。
99歳でモンブラン氷河を滑り、101歳で亡くなる直前まで
スキーを続けられたそうだ。目標を見失っていた頃、一番近くの
大きなも目標に教えられたそうだ。

昨年秋には不整脈が再発、手術を受けられた、術後、
重いザックを背負ってトレーニングを続けられた。今回は
次男でスキーの元五輪選手、豪太さん(43)も同行される。
「あきらめなければ何歳でもできる」。
5月中旬を目指したアタックは人の可能性への挑戦となる。
ご成功を祈っている。

 

収束できない事故

政府が「終息した」と宣言したはずの福島第1原発で、
深刻なトラブルが続いている。先日は停電で長時間、
冷却水が送れなかった。今度は地下貯水槽から大量の
放射性物質を含んだ汚染水が漏れ続けていることが分かった。
東京電力は当初「原因は調査中」と繰り返すだけで有効な
対策を示せなかった。漏れた量は少なくとも120トン以上。
移送先にめどがつかないまま、毎日400トンの汚染水が
新たに発生しているという。

政府の対応はどうか。例えば昨年7月、国会事故調査委員会
の提言でできた衆院原子力特別委員会は先日、ようやく
初会合を開いた。原子力行政を監視するはずの組織なのに、
委員の多くは原発推進派に差し替えられている。原発の
改善状況を継続的に監視する仕組みもまだできていない。

どういうことだろう。さきの特別委員会では、地元の商工会長が
「国会の対応は被害者にとっても歯がゆいことだった。心の
安心を下さい」と胸の内を語った。福島県も東電の担当者を
呼んで「対応が場当たり的だ」と批判した。

事態を制御できない東電とそれを見過ごしたままでいる政府。
その一方で電力業界や政権幹部は原発再稼動に意欲をみせている。
不思議な光景である。厚顔無恥というしかない。まずは事故を
収束させること。現委員を究明し、安全対策を確保すること。
今後の話は、それができてからだ。それが政治家や企業人の
責任だと思うのだが。

サッチャー氏死去

 87歳で亡くなった英国のマーガレット・サッチャー元首相は
いつもせかせかと歩き、並の人間では追いつけない速さだったという。
「私はいつも激しく働いてきた。仕事なしではどうしていいかわらない」
とも言っているから、一種の「仕事中毒」だったのだろう。
田舎町の食料雑貨店に生まれ、勤勉と努力で権力の座へ上り詰めた人だ。

だからか、働きばちの日本人には共感を示した。国内向け演説では、
日本に見習えと言わんばかりに、その勤勉さと技術革新をしばしば
引き合いに出したという。「われわれは自分の努力でハシゴを上がる人
を助けるべきだ」。こう訴えて政府の関与を減らし、競争原理に基づいて
産業界を再生させる新自由主義の道を突き進んだ。

国有企業の民営化や規制緩和、労組の弱体化を進め、高福祉政策にも
大なたを振るった。そんな荒療治で疲弊した国を立て直した。この路線が、
中曽根民活路線など日本の行政改革にも多大な影響を及ぼしたことは
周知の通りだ。

が、市場原理の重視は、競争から落ちこぼれた人を社会の底辺へ追い込み、
貧富の格差を広げたのも事実である。国のかたちを大きく変えた「鉄の女」
サッチャー氏が、光と影に彩られた首相在任3期11年余りだった。

私ごとで恐縮だが、同時期に企業戦士の一員として、都市計画業務の
末端に携わっていたが、知人から「あなたの趣味は」と問われ「仕事です」
と応えたことを思い出し、国内全体が騒がしかったが、良い時代だった
ようにも感じる。

ケネディ王朝

ジョン・F・ケネディ米I大統領が、テキサス州ダラスで暗殺されたのは
1963年11月22日だった。今年没後50年になる。その折に、
遺児で長女のキャロライン・ケネディさんが、次期駐日大使の
有力候補に取りざたされている。55歳というから、父親を失ってときは
5歳だった。現在は父親の名を冠した図書館の館長をしているそうで、
政治に携わった経験はない。

キャロラインさんといえば、オバマ大統領支持を鮮明にし、
その勝利に貢献した一人としてメディアに登場していた。駐日大使に
擬せられたのは、大統領選の論功行賞と報じられるゆえんだろうか。
それに加えて、名門ケネディ家(ケネディ王朝とも呼ばれる)の出身
ということも。死後半世紀たっても、国内外でのケネディ元大統領の人気は
衰えるどころか、節目の年と相まって一層高まる気配だ。

1961年から5年間、駐日大使を務めたライシャワー氏は、
ケネディ元大統領のたっての要請でハーバード大教授から転身した。
著名な歴史学者でもあり、遺唐使円仁の中国旅行記「入唐求法巡礼行記
(にっとうぐほうじゅんれいぎょうき)の翻訳者として知られている。

伝えられるように、キャロラインさんの就任が実現すれば、初めての
女性駐日大使となる。日米関係により良い効果をもたらす、と日本では
早くも期待する声が出ているが、米軍普天間基地問題をはじめ
難題が待ち受けている。

バブルに用心

昨年末以降、平均株価がほぼ右肩上がりで上昇している。
安部晋三首相が掲げる「アベノミクス」の効果と言われる。
百貨店では高級商品が売れるようになったらしい。株が上がり、
カネが回り、景気がよくなる、結構なことだ。

「バスに乗り遅れまい」と、証券会社の株式セミナーも盛況だという。
だが、年季が入った個人投資家なら「これはバブルかもしれない」
という不安もよぎるのではないか。1980年代後半から90年代初めの
バブル景気。株式市場は空前の活況を呈し、土地には目をむくような
値が付いた。知人の不動産会社社長は「取引のなかった大銀行の
支店長が100億円単位の金を借りてくれと向こうから出向いてきた」
と驚いていた。

ごく一部の学者などが「バブルだ」と警告を発していたが、
投資家も銀行も耳を傾けなかった。だが、やはりバブルだった。
株や土地その他に投じられて、まさに泡と消えたカネは日本全体で
何百兆円になるのか。まず経済の右肩上がり信仰も土地神話もない。
なによりバブル崩壊で大損した人がたくさんいる。そういう人たちは
「ババをつかんでなるものか」と逃げ足も速いだろう。
用心するに越したことはない。

図書館

今日(4月2日)は、図書館開設記念日なのだそうだ。
明治5年旧暦4月2日、東京湯島に日本初の官立公共図書館
「東京書籍餡」が開設されたことに由来するという。
図書館と聞いて思い出す印象深い言葉がある。

高校時代の世界史の先生が、何かの折に授業から脱線して
話された言葉だ。「公立図書館っていうのは、その地域の文化の
豊かさを示すもんだ」と。記憶をたぐる中で意訳すれば、
このような話だった。何となく分かったような気で聞いていた
覚えがある。

60年近く前の話だ。今のようにネットで知りたいことが
すぐに調べられる時代ではない。何かを調べたい時、真っ先に
向かうのは図書館だ。今振り返って考えると、先生は生涯学習の
拠点として公立図書館の重要性を指摘されたのだろう。

佐賀県武雄市の市立図書館が話題だ。1日から指定管理者制度
を導入、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ
(CCC、東京)に運営委託した。民間の「カード」で本を借りて
ポイントが貯まる仕組みや本を持ち込めるカフェ、CDやDVDの
有料レンタル、書籍の販売もあるという。

同市の人口は5万人、典型的な地方の小都市だ。図書館に
指定管理者制度はなじまないという意見や、Tカード導入で
個人情報保護を危惧する声もあったという。果たして、「文化の
豊かさを示す」存在なのかどうか、自分の眼で確かめてみたい
興味ある図書館だ。

折しも中原図書館が武蔵小杉駅前のビルに、開設された。
図書館内装工事をジェクト株式会社が施工。図書館の概要は、
市川社長のブログで説明されている。近代的な設備を要した
図書館と聞く。早く利用したい。
 

質素な生活ぶり

作家の城山三郎さんが、経団連会長だった土光敏夫さんの
自宅を訪ねた時の事だが城山さんが玄関を開けようとすると、
たてつけが悪くなかなか開かない。縁側から上がり
庭を見ると、石や池はなく植木と芝生と野菜畑があるだけ。
植木は土光さんが手入れしているらしく雑然としていた。

土光さんは夫人との生活費用10万円を残し、あとの収入は
全て学校に寄付していた。だから玄関も直せない。健康法は
木刀を振り回し庭を駆け巡るだけ。

城山さんも自宅に芝生を敷いていたので「まめにやらないと
いけないんで大変ですよね。うちなんかも良く人を頼んで・・・」と
口を滑らせると、「それなら僕が芝刈りに行くよ。頂いた日当は
寄付します」と身を乗り出してきた。「よみがえる力は、どこに」
(新潮社)に書いていられる。

後に臨時行政調査会の会長に推された土光さん。
「財界総理」と称され、質素な生活ぶりから「メザシの土光さん」
で知られた。

実績、統率力、強い意志・・・。組織のトップには多様な要件が
求められるが、清廉であること、そして人間的な魅力は内外から
尊敬され信頼を得る重要な要素だろう。政治家は?

新卒採用

企業の新卒採用予定は、業績が回復してきた製造業を中心に、
増加の傾向にあるようだ。大卒、高卒の就職内定率が
発表される度、そんな程度かと思ってきただけに、高まってほしい。

戦後の高度経済成長期に定着した終身雇用は、雇う側から
すると、長期的に人材育成でき、忠誠心を養える良さがあり、
働く側は年功賃金と相まって、守られている安心感があった。
長期の経済低迷で、いろいろほころびが生じ、半ば崩壊した
と言われる。

しかし、いったん正規に雇った者を解雇するのは難しく、
こうした慣習は存続している。新卒一括採用も同様で、
その「一発勝負」からこぼれた学生は、リベンジしにくい。
いまや働くもの全体の3分の1が非正規という。

若者が将来を見通せない、希望を見いだしにくい労働環境を
改善できないものだろうか。

老舗そば屋

東京の老舗そば屋「有楽町・更科」の4代目だったのが
藤村和夫さん。そばの技術や歴史に関する研究でも知られていた。
幾つかの著書も残されたが、この中に1975(昭和50)年の都内
「蕎麦屋の暖簾」分布を調べた記載がある。調査で最も多かったのが
「やぶ」で、約300軒。次が「更科」の約160軒だった。

いずれの名も通称で、登録されなかったため増えたようだ。
ちなみに「藪」の本家筋の屋号は「蔦屋」。「更科」は「布屋」とか。
そばの仲間内では店がある町名で呼び合っていた。
ただ「藪蕎麦」と漢字を使えるのは、神田の本家と分家の並木など
3軒だけというのが「不文律」だったそうだ。昭和の中ごろまで、
のれんはそばの特徴を表す代名詞だったといわれる。

老舗が培った味と技に魅せられる食通も多い。作家の
池波正太郎さんは「藪蕎麦」社が営む「かんだやぶそば」の常連だった。
池波さんは「日本の名随筆蕎麦」(作品社)で「酒がのみたくなるような
蕎麦屋が、東京にはまだ、いくつか残っていることは、まことに
うれしいことだ」と触れている。

その「かんだやぶそば」が焼けた。店舗は数奇屋造り。
都の歴史的建築物に選ばれて風情も慕われた。
東京の楽しみに代々伝わる食の味わいがある。
神田の顔であった老舗そば屋だ。再建をぜひ果たして
もらいたいと願っているファンの一人だ。 

TPP論

なるほど自民党は老練だ。所信表明で唐突に
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加検討を
言い出して党内が大混乱した菅直人首相や、
反対論に押し切られた野田佳彦首相ら民主党政権とは
一枚も二枚も役者が違うように思う。

まず「聖域なき関税撤廃を前提にする限り反対」の
公約を掲げ、農業はじめ影響する団体・関係者の支持を
取り付けた。「聖域」に自分たちが入るなら反対する理由はない。
次いで、オバマ米国大統領との会談という最高の舞台で
「聖域」の小窓を開けさせた。そして「聖域設定」を最大限に演出し、
交渉参加は公約違反にはならないという理屈への賛同を
導きだそうとしている。

「聖域」に関税全品目が入るはずもなく、カナダ、メキシコらの
警戒心も強い。安部晋三首相は「強い交渉力で国益を守る」
と言われるが、日本の足元を見て自動車関税を存続させた
米国相手にどこまで通じるか心もとない。減反政策は農地を
回復不可能にした。「ピンチをチャンス」というより、食の安全保障の
危機感が募るが、消費増税を巡る民主党の論法よりは
手順を踏んでいるように思う。
 
岡田克也前副総理は米国を軸とする貿易網に参加しないで
日本の国が成り立つかという「開国論」を述べられた。
安部首相が「国家百年の大計」と高揚するのは、北朝鮮や
「海洋国家」へと膨張する中国への対抗軸として日米協調,
TPP諸国との包囲網を視野に入れているからではないか。

「国益」という最後の壁をどう乗り切るかが課題だが
洗練されてはいる。さすが一度失敗しただけはあると言ったら、
だから我々はもう一度、と民主党は言うだろうか。

作家菊地寛の人情

小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が亡くなった時、
その枕元で泣いたそうだ。直木三十五が亡くなった時は
東大病院で号泣されたという。よほど無念だったのだろう。
二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。
「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、
小説家の川口松太郎氏が書かれている。

小説家の織田作之助氏が発病して宿屋で寝ているのを
菊池氏が見舞った時は、織田氏の方がおいおい泣いた
という話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は
世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、
菊池氏にまつわる話は心にしみる。

旧制一高(東大教養学部の前進)時代、菊池氏は窃盗事件で
友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める職にいられなくなる」。
友人がそう言って泣くので、菊池氏は罪を認めさせようと
いう気になれなかったのだ。

新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。
が、菊池氏は「前言を翻すのは卑怯と、最後まで罪をかぶる。
そんな勇気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。
そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。
同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池氏は
京大に進むことができた。

文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、
ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたといわれる。
少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。
まるで人情物語のような人生だ。菊池寛は65年前59歳で亡くなられた。

親子の絆

歌舞伎界は悲しいことが続く。父勘三郎さんを亡くした
中村勘九郎さん、団十郎さんを失った市川海老蔵さんが
ともに今月東京で公演を行う。勘九郎さんは会見で
「父が切り開いた道を耕し、豊かにしたい」と語った。
海老蔵さんも思いは同じだろう。

歌舞伎俳優のように直接仕事を継ぐのではなくても、
親の存在は誰にとっても大きいものだ。その重みや大きさは、
亡くした後の方が強く感じるのではないだろうか。勘九郎さんも
海老蔵さんもむしろこれから、父の偉大さが身にしみるに違いない。

数学者の藤原正彦さんが、父新田次郎さんの未完小説を
引き継いだ小説「孤愁」を出版した。新田さんが1980年に急死した際、
新聞連載中だった。明治・大正期の日本に魅せられてた
ポルトガル人外交官が主人公だ。

藤原さんは父の無念を思い、すぐに書き継ぐことを決意したが、
着手したのは父の没年と同じ67歳からだった。「父の方が
良い作品になっただろうが、やって良かった。やっと重荷を
下ろせた気分」と心境を語っていられた。息子として一つの
区切りをつけた気持ちだったのだろう。

父を亡くした当日も勘九郎さんは舞台を務めた。その口上に
「親子は一世」という言葉があった。親子関係はこの世限りの
はかないものという仏教由来の言葉だそうだ。しかし、
夫婦と違い、親子はお互いに相手を選ぶことができない。
だからこそ、その絆は尊いのだ。私は、両親に何の孝行も
できなかった。春の彼岸に墓前に詫びに田舎にいこう。

第148回芥川賞

「へやの中のへやのようなやわらかい檻(おり)とは何のことか
お分かりだろうか。答えは「蚊帳」。第148回芥川賞に決まった
黒田夏子さんの小説「abさんご」から引いた。75歳という
史上最年長での受賞が話題になったが、作品自体も
既成の価値観で固まっているこちらの頭を揺さぶった。
ひらがなを多用し、横書き。一つの文章が長く、正直読みづらい.
「小説」と書いたが「詩」と呼んだ方がふさわしいかもしれない。

作品から立ち上がるのは、濃密な「死」の気配だ。
全文が載った文芸春秋の3月号に、選考委員の作家小川洋子さんは
「この人は死者の国からやって来たに違いない」と書いていられる。
それでも、読後感は不思議と味わい深い。ひらがなを一つ一つ
目で追っていくと、言葉が持つ本来の意味を意識させられる。
一方で、少ない字数で瞬時に意味を伝えることができる漢字の
ありがたさを、あらためて思った。

定年後、小説を書き始める人が増えているという。自分を抑えて
働きづめに働いた後、自らを表現したいという思いが筆を執らせる
のだろう。人間や社会を見つめてきた人生のベテランたちが
思いがけない秀作を送り出すかもしれない。

小説だけではない。少子高齢化が進むなか、あらゆる局面で
高齢者の知恵と経験が求められよう。機械的に年齢で線を引き、
「ハイおしまい」という社会では味も素っ気もない。
「生きているうちに見つけてくださいまして、ほんとうに
ありがとうございました」。黒田さんの受賞の言葉である。すっきりした。

サラリーマン川柳

春闘が始まり、労働側は景気回復のための原動力として
賃上げを要求するのに対し、経営側は「実体が伴うのが先」
と慎重な姿勢を崩さない。物価が上昇して給料据え置き
では生活が苦しい。
労働者には、自由に使える小遣いにも影響するから
交渉の行方が気になる。

そんな給与所得者の哀歓を詠んだ恒例のサラリーマン川柳
(第一生命保険主催)の入選作100句が発表された。
あり得ないような内容でも、大いに笑ったり共感するのは、
世相を映し、職場や家庭の真実を鋭く突いているからだろう。

世代間のずれには特に職場で顕在化している。
新入社員だろう「軽く飲もう上司の誘い気が重い」。古参社員は
若者気質に手を焼く。「電話口『何様ですか?』と聞く新人」
「頼みごと早いな君はできません」。家に帰れば夫・父としての
権威低下に直面する。

「部下にオイ孫にホイホイ妻にハイ」「父の日は昔ネクタイ今エプロン」。
職場でも家庭でも孤立して、IT機器だけが心の頼り。
「人生にカーナビあれば楽なのに」「悩み事話すはコンシェルジュ」。
悩みは尽きない。

やぼを言えば、女性の就職率が向上し夫婦共働きが
増える中で、依然として男性視点の類型的な作品がほとんど
占めるのには違和感もある。逆に言うと、自虚ネタは、
まだまだ職場も家庭男性中心に動いている余裕の裏返し
かもしれない。少しはほっとしている。

五輪開催の意義

2020年以降のオリンピックからレスリングがなくなるかもしれない。
国際オリンピック委員会(IOC)の理事会は五輪の「中核競技」から
レスリングを除外した。残った1枠を野球、ソフトボールなど7競技と
争うことになったというから、状況は厳しい。

五輪種目の入れ替えは、そう珍しいことではない。時代とともに
変化していくことは当然だが、紀元前から続く「人類最古のスポーツ」を
外す理由がよく分からない。IOCによると、世界的な普及度や
テレビ放送、スポンサー収入などを分析した結果という。
国際レスリング連盟の組織改革の遅れも指摘されているが、
あまりのも唐突すぎると思う。

五輪3連覇の吉田沙保里選手は「信じられない。悔しい」と
コメントしているが、当然だろう。五輪を目指す選手や子どもたちの
ショックは大きいと思う。「近代オリンピックの父」クーベルタンは
五輪開催の意義を、こう提唱している。「フェアプレーの精神をもって
理解しあうことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」と。

五輪の商業化がいわれて久しい。だから、テレビ映りがよく、
スポンサー収入も集めやすい競技を増すというのは安易すぎる。
変化を急ぐあまり、理念を忘れるようでは本末転倒だ。IOCは、
そのことを理解してもらいたい。

人生の密度

黒いネクタイを締めるたびに、限りある人生を考えさせられる。
過日、友人の葬儀が営まれた。突然の死はいまだに信じられない。
いつも励まされ、何もお返しできなかったと悔やんでいる。
人生八十年と言われて久しいが、どこかで他人事と受け止めている。

欧米型の食生活にどっぷりつかり、車での移動に頼り切る彼には
高いハードルだったと映るからだ。やはり粗食に耐え、体を
動かしてきた先輩たちにはかなわない。永遠の別れを重ねて
深まっていく、人生のはかなさへの思いだ。ある食品工業の社長は
「百年カレンダーを」を使って社員に「はかなさ」を説いて
いられるそうだ。百年分の暦が並んだ大きな紙を前に「一枚の紙に
君も、私の命日も入る。われわれは一枚の紙に住んでいる仲間だ」
と語り掛ける。若い社員でもあっても、どこかに見えない命日が
潜んでいる。

そんな気付きは、一度限りのはかない人生だからこそ
どう生きるかにつながる。その上で「忘己利他」(もうこりた)の
大切さを説く。自分さえよければでなく、他人のために何かをする。
小さな実践でいい。その積み重ねが自分の幸せになっていくのだと。
 
友人の遺影を見つめ、日々の仕事に精いっぱい打ち込んだ姿が
浮かんできた。人生は長さでなく密度が大切。いつもの人懐こい
笑顔で論された気がした。
 

巨大隕石

すざましい閃光(せんこう)だった。動画サイトを見て身震いした。
隕石(いんせき)が人類を襲う、映画の世界がロシアで現実になった。
願い事を託せる流れ星なら歓迎するが、宇宙からの贈り物
にしては物騒すぎる。

地球には幾千もの隕石が落下する。大半は人目に触れない場所に
落ちるらしい。大規模なものは、1908年にシベリア上空で大爆発した
隕石か彗星(すいせい)と見られる落下物が知られる。
今回はそれ以来の大きさだそうだ。広島型原爆20個分のエネルギーが
衝撃波として放出されたという。建物の損壊が激しく、負傷者は
1200人余に上る。死者の情報がないのは幸いだった。

古人にとって宇宙は神の領域だったらしい。隕石を天上からの
授かり物と考えていたのだろうか。霊験を信じ寺社にまつり、
碑を建てた。最古の記録は861年に落下した直方(のうがた)隕石
(福岡)だそうだ。国内最大の隕石は1850年の気仙隕石(岩手)で
135キロあったという。『歴史を揺るがした星星』恒星社厚生閣)参照

人類は長く宇宙に飛び出す術(すべ)を知らなかった。
月に降り立ち半世紀足らずだ。宇宙科学は急速に進歩しているが、
なお未知の闇が広がる。昨日は直径45メートルの小惑星が
地球に最接近した。大型の小惑星や隕石は事前に軌道を把握できる。
だが小さな落下物は予測できず対処が難しいという。
歯がゆいばかりだ。

深遠なる宇宙の前に、いかに人間はちっぽけで非力な生命体であるか、
思い知らされる。被害者は気の毒だが、古人なら紛争や諍(いさか)い
の事の絶えない地球への警告、と受け止めるか。

 

師弟関係

柔道女子トップ選手への暴力問題をきっかけに、
日本のスポーツ界で「選手と指導者の在り方」が問い直されている。
重いテーマだなと思っていた折、「いい話」が聞こえてきた。
競泳男子平泳ぎの北島康介選手が、かって師事した平井伯昌
コーチの下で練習し現役を続行するという。「水泳人生を
締めくくるには、もう一度平井先生に指導してもらいた」。
弟子からうれしい声のプレゼントが届けられた。

平井コーチの教えを請うため海外からも有力選手が来る。
選手は技術の取得に集中する。そこに暴力の入り込む余地はない。
感情を制御できず、選手に暴言を吐き、手を出す。コーチの
力不足を露呈しているようなものだ。「情熱」の継続は
根気のいる作業でもある。

かってのプロ野球選手で、巨人の荒川博、王貞治両氏の
師弟関係は有名だ。打者に転向して力を発揮できない王選手に、
荒川コーチは「一本足打法」を挑戦させる。ひたすらバットを振る。
思いを共有することで困難を乗り越えた。

体操男子のアテネ五輪団体総合金メダリスト、塚原直也選手は
旧ソ連の元エース、故ニコライ・アンドリアノフ氏に8年間、教わった。
「知恵のあるコーチ」に出会ったことが幸運だったと話した。
「知恵」とは多彩な指導の引き出しを持つことだと思う。

 

マスクが手放せない

毎年春になると、遠く中国からやって来るのが「黄砂」だ。
関東地区でも4月下旬から5月上旬にかけての数日は、
黄砂現象が見られ、洗濯物や車を汚すなどの被害も出る。
ところが今年は、その季節を待たずに、厄介なものが
中国から飛んできている。大気汚染物質が、風に乗って
日本にまで飛んできているのだ。

問題は、肺がんやぜんそくを引き起こす可能性があると
される微小粒子状物質「PM2,5」が含まれていること。
福岡市では今年に入り、環境基準値を上回PM2,5の数値を
3日間観測されたそうだ。環境省では日本に飛来するまでに
濃度は薄まっており、「健康への影響が出るレベルではない」
とするものの、やはり不安は募る。空中を漂う汚染物質は、
航空機や船のように追い払うことができない。

元を断つのが一番だが、経済発展を最優先させる中国にとって、
環境悪化を食い止める方針に急激に舵を取るのは難しいだろう。
とはいえ、中国の経済発展のツケを回されるのだけは
願い下げたいものだ。粒子は小さくて通常のマスクを通り抜けるため、
効果はないとされる。ただ、インフルエンザの流行、大気汚染物質
の飛来、花粉の季節が続くとなれば、しばらくはマスクが手放せない。

孫への教育資金

昭和を代表する作家の一人に吉川英治作家がいる。
代表作は「宮本武蔵」や「三国志」「新・平家物語」など。
これらを原作とした映画やテレビドラマは数多い。

工場勤めだった若い頃、彼の元に母親から小包が届いたそうだ。
中を開けてみると欲しかった本と一緒に、刻みタバコがあった。
愛煙家だった息子のため、夜な夜な針仕事を続けては、
お金をため、やっとの思いで買いそろえたに違いない。

その優しい心に触れた息子は、胸が熱くなり泣いた。
以来、彼は小包を結わえてあった母の赤い腰ひもを
肌身離さず身に着けた。苦労しながらも独学を続けた
吉川英治作家は、やがて文化勲章の受章作家となった。
扇谷正造著「君よ朝のこない夜はない」(講談社)にあった逸話だ。

その昔は、親たちが汗水を流して働き、子供たちの教育資金を
工面した。青雲の志を抱き、地方から都会の大学などに進むと、
なおさら学資もかさんだ。大作家が晩年になっても語った
赤い腰ひもではないが、故郷からの仕送りは何物にも代え難いものだった。

政府・与党は新たな税制改正大綱案を固めたようだ。この中では
祖父母が孫に教育資金を一括して贈与する場合、1人当たり
1500万まで非課税とする方針。高齢者の資産を若い世代に
移すことで、消費を促す狙いらしい。

「シックスポケット」なる言葉がある。今の子供には両親のほか、
父方母方の祖父母を加えた六つの経済的な財布を指す。
税改正で今後は四つの財布からも教育支援が増えるとすれば、
そのありがたみをどう子に伝えたらいいのか、それも親の務めとなる。

円高と円安の変動

対立する価値観の双方を丸く収めることがいかに至難か、
その立場を最も痛感するのは政治家だろう。円高に怨嗟
(えんさ)の声が上がっていたのにいざ円安に振れると
今度は逆の声が上がり出したからだ。

どこまでも平行線をたどる円高と円安の変動はいずれかの側に
利益をもたらし、一方には逆となるのだが、近年はずっと円高が
続いていたため輸出産業を中心に是正の要望が高まっていた。
安部政権の誕生でインフレターゲットが定まるとすぐ市場が反応、
久しぶりに円安基調となったことに喜びの声が上がるのは当然だ。

しかし誰もが円安を歓迎しているわけではない。原材料を
外国から輸入している側には円の目減りとなるので、こちらの
市場もただちに反応した。原油、ガス、石炭、その他天然素材を
高く買うハメになれば一転して円安反対の空気が高まっていく。

輸入も輸出も為替の変動が利害に直接結びつくため、
当事者が一喜一憂するのは仕方ないが、良いときは
口をぬぐっておいて悪くなると騒ぎ出すというのは勝手すぎる。
そこは考えようで、どちらが国益にかなうのか比較してみるのも
ムダではあるまい。

一般庶民には例えば輸入原料を安く入手できる円高の方が
プラスになる。しかし円安となって貿易高が増え、それが経済を
潤すならそちらのメリットも大きいはずだ。つまり二人の息子が
傘屋と下駄屋だったら、雨にしろ風にしろどちらかが困ると考える
のではなく、どちらかが儲かるとプラス思考すれば、そう大騒ぎする
必要もないと思うのだが、甘い考えか。、
           

日野原重明さんの講演

先日、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんの講演を聴いた。
長寿や健康の秘訣を伝授する講演は人気があり、会場は満員だったが、
この日の演題は「緩和ケアの今後の課題」だった。それでも
終末期医療の実態をユーモアを交えてしゃべられ、時折会場を
沸かせておられた。1時間、つえも手にせず立ったままだった。

避けられない最期を見つめたことが2度ある。義父と友人だった
同級生の死。どちらも末期がんだ。義父は最初、緩和ケア病棟へ
入ることを拒んだが、痛みに耐えかね処置を受け、眠るような最期を
迎えた。友人は自宅での最期を選んだ。通夜で親父さんが
「あんなに苦しむとは」と目頭を押さえていた。

日野原さんは「身内を失うと自分の過去を失う。といわれる。
友を失うと自分の一部を失う」といわれる。失ったものは慰めの言葉では
埋めきれない。「時間が解決することを信じること」なのだ。
緩和ケア施設は大幅に不足しているそうだ。縁者が身近にいない
独居高齢者の最期をだれが看取るのか。

施設増に取り組む日野原さんは「患者が納得するケアを施し、
最期に感謝の言葉と気持ちを引き出すのが寄り添う人の使命」
といわれる。穏やかな表情だが、101歳の重鎮の言葉は重い。

経済再生

「三本の矢」と聞いて、サッカーファンならJリーグの
サンフレッチェ広島を思い浮かべるのではないか。
日本語の三とイタリア語で矢を意味するフレッチェをつなげた造語だ。
三本の矢の由来はもちろん毛利元就だ。安芸(現在の広島県西部)
を拠点に、中国地方のほぼ全域を支配下に置いた戦国大名が
3人の子に書いた「三子教訓状」が基になって作られたとされる
有名な逸話が「三矢の教え」といわれる。

1本の矢では簡単に折れてしまうが、3本まとめると容易に折れない。
戦国の世を生き抜くために3人の結束を説く話として知られているが、
安部総理はデフレ脱却に取り組む例えとして「三本の矢」を持ち出したようだ。

政府が閣議決定した緊急経済対策では、金融緩和、財政出動、成長戦略を
「三本の矢」と位置付けて経済再生に取り組むという。近く閣議決定する
補正予算案では民主党政権下では、減少傾向が続いた公共事業が
大きく復活する。

経済対策として景気刺激に即効性のある公共事業に頼らざるを得ない
という点では変わり映えしない。安倍政権の誕生以来、市場は
経済対策への期待感から円安、株高に触れてはいる。
アベノミクスとも呼ばれる「三本の矢」は景気刺激とインフレ促進の
アクセルを踏むものだ。多くの庶民が景気が良くなったと実感できる
ものになるか、注視していきたい。

大横綱大鵬関

大鵬の土俵人生は高度経済成長とともに始まり、抜群の強さで
たちまち少年たちのヒーローになった。「巨人・大鵬・卵焼き」が
流行語になったほどだ。幕内優勝32回の記録はいまも破られていない。
その昭和の大横綱が亡くなった。「一つの時代が終わった」。
かってのファンはそんな喪失感に沈んでいるのではなかろうか。

大鵬は「天才」と言われるのを嫌ったそうだ。「ぶつかり稽古も四股や
てっぽうなどの準備運動も他の人の3倍はやって努力した。
天才なんかじゃない。鍛練が結果に表れただけ」。そう言う。
この努力する才能こそが天才たるゆえんだったのだろう。

けいこ場で初め猛烈なしごきを受けた。倒れると口の中に
塩や砂をがばっと入れられる。好きな言葉が「忍」と言うだけあって
それに耐えた。少年時代の貧しさが忍耐力を培ってくれたのだろう。
くじけそになると、決まって師匠が特大のビーフステーキを
ごちそうしてくれた。蔭ながら見守ってくれていたのだ。


横綱に同時昇進した柏戸の存在は大鵬にとって幸運だった。
互いに早くから闘志を燃やした。この闘争心が「柏鵬時代」を築いた。
柏戸の「剛」」大鵬の「柔」の激突は相撲ファンにはたまらない
魅力となった。「柏戸関がいたからこそ、私は頑張れた」が
大鵬の口癖だった。

「社会への恩返し」も忘れない。日本赤十字社に献血運搬車を
計70台も贈り続けた。大鵬の相撲人性は「努力」「忍」「感謝」の
心の大切さを教えてくれる。精神面でもまさに大横綱だった。

駅弁パラダイス

JR東京駅の赤レンガ駅舎が復元され、観光客の人気を集めているが、
もう一つ大きくにぎわっているのが全国の駅弁コーナーだ。
昨年8月、駅構内に開店した「駅弁屋の祭り」には、山形・米沢の
「牛肉どまん中」や香川の「たこ飯」など170種に及ぶ名物駅弁が
並べられ、買う人で混雑している。

駅弁は1885年に現在のJR宇都宮駅でたくあんを添えたにぎり飯を
竹の皮に包んで売り出したのが始まりとされる。それが今では、
新幹線で大阪へ出張に向かうサラリーマンが車内で北海道のいか飯に
舌鼓を打つ姿も見られるようになったと。駅弁はグルメのジャンルに
定着したということだろうか。

かって昭和の時代に旅先で味わう駅弁が格別にうまかったのは、
その土地の空気の中で食べたからではないだろうか。おかずも素朴で、
弁当のふたについたコメを一粒ずつはしでつまむと日なたの香りが
したことを思い出す。今、東京駅のコーナーでよく売れているのは
東北の弁当と聞くが、お客の中には被災地復興支援への
思いもあるようだ。

かっての「文庫本を持って旅に出よう」というキャッチフレーズにならって、
「駅弁を食べに地方へ旅立とう」。それでこそ真のグルメだと
新春早々呼びかけたいと思いも浮かぶ。

心の歌

寒波で凍える列島。松が明けないうちから
「体罰死」のニュースに心も冷え込んでしまいそうだ。
だから余計にというべきか、年の瀬にもらった
ある温(ぬく)もりが思い出される。77歳にして、
NHK紅白歌合戦に初出場の三輪明宏さんが、
全身黒の衣装で熱唱された「ヨイトマケの唄」である。

発売は1965年。工場現場で働き、貧しくとも強く生きる
母と子の姿を歌う。長崎市で生まれ育った三輪さんの
幼少時代の友人をモデルにして、作詞・作曲とも自ら手掛けた。
労働への賛歌でもある。創作の原点は、ある炭鉱町での公演
だったそうだ。気乗りしない舞台に立つと客席に目を奪われた。

「手や顔に黒い石炭が染み付いた人たちが歌に聞き入り、
満場の拍手を送ってくれた。自分が恥ずかしかった」。
三輪さんは、その時をこう回想する。額に汗して働く人たちに
喜んでもらいたい。そんな思いでつくった「ヨイトマケー」だったが、
差別的な言葉が問題視され放送禁止になった。しかし
半世紀近く、多くの歌手がそのメロディーをつないでできた。

<どんなきれいな唄よりも、どんなきれいな声よりも、
僕をはげまし、慰めた/かあちゃんの唄こそ世界一.>。
その歌はネットを通じ若者にも反響を呼んでいるそうだ。
親が子を、子が親を思う。いつの時代も錆びない
心の歌に暖をとる。

名門部屋の閉鎖

大相撲で出羽の海、春日野などと並ぶ名門だった二所ノ関部屋が
1月場所限りで閉鎖されるという。戦前の玉錦、戦後の大鵬という
昭和の大横綱をはじめ名解説者だった神風と玉の海、大麒麟や
青葉城といった人気力士を輩出した。力道山も在籍していた。

世代によって差があるかもしれないが、最強の横綱といえば、
大鵬を挙げるファンが今も多いのではないだろうか。
昭和30年代から引退する40年代半ばまでの大相撲の
一番の醍醐味は、この人の圧倒的な勝ちっぷりを見ること
だった気がする。同時代の好敵手、柏戸の豪快さとは対照的な、
冷静で手堅い取り口は、他の力士にない風格を感じさせた。

北海道で定時制高校に通いながら営林署のアルバイトを
していたとき、巡業に来た二所ノ関一門の力士に紹介されて入門。
異例の早さで昇進し、横綱になったのは21歳だった。よく
使われた「相撲の天才」という言葉を嫌った。当時の部屋は
荒稽古で知られ、<誰よりも多く、厳しい稽古をして強くなった>
という思いがあったからだ。(ロング新書『相撲道とは何か』)

四股、鉄砲、すり足などを反復するなかで学んだのは、
礼儀、しきたりであり、(力士として強くなろうとすることは、
人としての品格をあげる)という基本だった。閉鎖されることに
ついて、大鵬の納谷幸喜氏は「いろいろな人たちで築いてきた」
「寂しい」と語られたそうだ。言葉に込められたのは、
部屋の消滅への悲しみと、「品格」という相撲の極意が
失われないでほしいという願いだろう。


 

景気

暮れの大みそかに珍しくテレビで落語をやっていた。
しかも立川談志師匠の「芝浜」だった。一昨年亡くなった師匠が
十八番にしていた演目である。酒好きでうだつの上がらない
魚屋とその女房。浜で拾った大金を女房から夢だと思い込まされた。
一念発起して断酒。店をもてた3年後の大みそかに
真相を明かされるという人情噺だ。

師匠の工夫は、偉ぶらない女房の演出。「おまえさんに
あたしァうそをついたんだよ。腹がたったら、あたしをぶつなり、
けるなりして、それで勘弁しておくれ」と、涙ながらに謝罪
する場面は胸にぐっとくる。

と、いい気持ちになって新年を迎えたら、世の中は株の話で
持ちきりになった。週刊誌には「2万円」の見出しも載っていた。
「今度の参院選までかな?」「来年の消費税増税までは
頑張るでしょう」。円安とともに期待を込めながらも、
まだ恐る恐るといった感じだろうか。

何しろこの株高円安は、まだ実体が伴っていない。
それでも景気は気からという。政権交代で気が変わり、政治家の
「口先介入」もあった。麻生太郎財務相は年末に財務省で、
「株価が1万5千円にもなれば、何となく気持ちが豊かになる」と
数字を挙げて訓示したものだ。

相場のことは相場に聞け、という。考えても考え切れるものでは
ないということだろう。「芝浜」では、女房から酒を勧められた魚屋が
口に近づけた杯をふいに置く。「よそう。また夢になるといけねえ」。
落語の落ちを反すうしながら、3年後の日本を想像してみた。

棋士対コンピューター

正月早々、暇を持て余した小学生の孫が珍しく将棋を指そうという。
久々の一番は完敗。おかげでほろ酔い気分もさめてしまったが、
子どもの成長を垣間見たひとときでもあった。わざと負けて
喜ばせたころが懐かしい。

人よりも成長著しいのが将棋のコンピューターソフト。
暮れに亡くなった米長邦雄永世棋聖が1年前、敗北を喫したのは
記憶に新しい。現役でないとはいえ日本将棋連盟会長だ。
衝撃的だった。棋士対コンピューターの次回対決は3~4月。
今度は現役プロとの真剣勝負となる。

チェス、シャンチー(中国)、チャンギ(朝鮮半島)など世界に
多様な将棋がある中、持ち駒を使うのは日本将棋のみだ。
異民族との戦争がまれで敵兵の「寝返り」が珍しくなかった
日本ならでは、との指摘もある。いずれにしろ,このルールが
ゲームを極めて奥深いものにした。

一方、ソフトも飛躍的に進化した。米長さんを破った
「ボンクラーズ」は、1秒間に約1800万手を読むつわものだ。
米長さんはその弱点を研究し尽くし、人間相手では使わない
指し手でかく乱した。しかし、後半の致命的な「見落とし」で投了。
経緯は自著『われ敗れたり』(中央公論社)に詳しく記されている。

本はミスの裏にあった、ある事件にも触れていられる。
夏休みに記者から突然写真を撮られて立腹された。
「平常心を失った」と悔やまれる。いかにも人間らしい負け方に、
ほっとさせられる。チェスの世界王者がソフトの軍門に下って15年。
果たして将棋は。米長さんも気をもんでいられるに違いない。

財政の崖

初詣、初売り、初夢・・・。年の初めに何かと「初」をつけるのは、
心を新たにするすがすがしい先人の知恵か。おとそ気分の
三が日も過ぎ、昨日が初仕事という人も多いだろう。
とりわけ景気の回復が期待される新年である。昨年末から
世界が注視したのが「財政の崖」である。減税の失効と
強制的な歳出削減の問題だ。二つが同時に実施となれば、
米経済は崖から転落するように逆風に見舞われ、世界経済に
深刻な影響を与えると懸念された。

上院と下院で多数派が異なる議会のねじれから、
民主、共和両党が激しく対立し、政策の妥協が図れない状態は
オバマ大統領が再選を決めた後も続いた。回避策が
期限ぎりぎりで成立したのは、経済の立て直しが急務の
日本にとっても、まずは朗報だった。

景気の「氣」は人の気持ち、商機の「機」はタイミングチャンス
のことという。企業経営者や消費者心理の良しあしは
経済状態を表す指標ともなる。経営者は売れる好機と思えば、
生産や雇用を増やす。消費者も先行きに明るさを見いだせば、
消費を増やしたくなる。逆なら控えることになる。

年末に発足した安倍晋三政権は金融緩和などを柱とする
「アベノミクス」を打ち出し、これを好感として年末の市場は
株高と円安が進行した。この流れと成長戦略が景気の回復に
つながればいいのだが。

駅伝

駅伝は見るものを熱くさせる。近年、人気が高まっている。
正月三が日、全日本実業団対抗駅伝、大学生の箱根駅伝と、
立て続けにテレビで観戦した。駅伝は日本生まれの競技だ。
1917(大正6)年に京都から東京までの約500キロで
行われたのが最初だそうだ。名称は、奈良時代に役人や
公文書を運ぶためにおよそ30キロごとに乗り継ぎの馬などを
配置した駅伝制にちなんだそうだ。

駅伝のコースは起伏の激しい道路。急な下り坂から緩い
下りに差し掛かると、選手は上り坂だという錯覚に陥る。
長時間のレースだから、風雨の影響も受ける。トラック競技とは
異なる難しさがある。
ペース配分が難題だ。抜きつ抜かれつの展開は駅伝の
醍醐味ではあるが、むやみに前を走る選手を追い抜くと
体力を消耗して後半にバテルこともある。
冷静な状況の見極めが求められる駅伝はハプニングが
起きやすい競技なのだ。

懸命にタスキきをつなぐ姿は見る者の胸を打つ。
私も川崎市役所そばの沿道でよく観戦したが、
困難にくじけそうになる自分を奮い立たせた。
かって思うように走れない外国人があっさりと棄権し、
「個人主義の外国人に駅伝は向いていない」と話題に
なった時期もあった。でも、今や海外でエキデン大会が
開かれるまでになった。山あり谷ありの人生にも似た
日本発祥の駅伝の魅力に世界が気付いたらしい。

本年も有難うございました

新政権は、暮らしと、将来を思い、国の進むべき道と
示せる政治を期待に応えてほしいものです。
クリスマスが終わると、正月を迎える準備があちこちで
始まる。しめ飾りなどを売る露天が軒を並べ、
慌ただしがまします。来週はもう元旦です。
本年の『岡目八目』をご愛読ありがとうございました。
来年もぜひ、お読みいただけることをお願いし、
皆様方が、ご健康でよいお年を迎えられますよう
祈願します。

年暮れる

カレンダーは、今年の残りが1週間足らずと教えてくれている。
選挙が師走の時間をせき世間の時計が一気にぐるぐる回転して
いるかのようだ。やらなければいけないことがいくつも重なると、
全部まとめて投げ出したくなる。それもこれも暮れという時期
だからだろう。

明日、明日と先送りしても、年賀状は書かないといけない
という人が多い。近年はメールを年賀状代わりに、という方法もあるが、
元旦に一通のはがきを受け取る喜びは、ほかでは得られない。
ならば、元旦に間に合うように思いつつも大晦日の夜に
書いていたこともあった。

先日、友人から「今年は年賀欠礼のはがきを何通もいただいた」
という話を聞いた。われわれの年代は、親がそういう年齢になって
いるんだよとその人はつぶやいていた。
父と母の、知人のはがきを出したらそれぞれの年を思い出した。
寂しい正月には違いないが、心が静かに亡き親に寄り添って
いたような氣がする。

年賀状を出せないからと、寒中見舞いで近況を伝えてくれる
人もいる。忘れられない思い出だ。
それ以来、真似をさせてもらっている。

有権者の声

あっという間に衆院選が終わり、年末を前に新たな顔触れが
選ばれた。誰に投票すべきか、これほど考える時間が少ない国政選挙は
最近はなかったと思う。選挙の直前まで新党の立ち上げや合流が相次ぎ、
状況は目まぐるしく変化した。政党や各候補者が訴える政策も
入り組んでいて、各党の違いが分かりにくいという指摘が多かった。

何よりも気になったのは「どの政党にも期待できない」「いい話ばかりで、
誰を信用していいのか分からない」という有権者の声を数多く聞いた。
以前から「政治に期待しても何も変わらない」という無関心な人はいたが、
最近は政治に一定の期待を寄せ、これまで真面目に1票を投じて
きた人たちが政治の現状に失望を感じ始めているよう思える。

その失望感は与党にも野党にも等しく向けられている。掲げた政策の
実現だけでなく、選挙時の訴えとその後の行動、国会での与野党間の
議論などにも厳しい目が注がれているからだ。「当選後もどこまで
取り組んでくれるか分からない」「選挙の時だけいいことを言う」。
こうした有権者の声を真剣に受け止めてほしい。

山中効果

ことしのノーベル医学生理学賞に選ばれた山中伸弥京都大学教授。
授賞式をテレビで見ていたら、家族思いの一面をのぞかせて
ほほ笑ましかった。式には妻の知佳さんと母の美奈子さんも招待された。
メダルを授与された後「母親の顔を見て安心しました」と話していたのが
印象的だった。

知佳さんを「大阪の肝っ玉おばさん」と呼ぶ。「研究仲間の3人は、
2人の娘と同じぐらい大切。家内はこの3人より大切」というおのろけは、
講演での定番だそうだ。当日、知佳さんの身を包んだ着物には、
オシドリの柄があしらわれていた。山中教授が選んだそうで
おしどり夫婦をアピール?周囲を和ませるユーモアのセンスも抜群だ。

山中教授が開発したIPS細胞は東京スカイツリーとともに、ことしの
ヒット商品番付で横綱になった。「日本人に自信を与えた」というのが理由だ。
先日発表された国際数学・理科教育動向調査で、日本の小学生に学力向上の
兆しが見られたという。「山中効果」で、後に続く子どもたちが理科系を極める
ようになるなら頼もしい。

原発の扱い

今回の衆院選、エネルギー源の一角を占める原発の扱いが
争点の一つだ。政党によって「脱原発」「卒原発」「減原発」
「原発即廃止」と言葉は異なるが、少なくとも今よりは原発を
減らすか、将来的になくするかということと思える。

これまでの原発を含む核燃料サイクル政策を考えると、
燃料を燃やし電気を発生させる原発やそのほかの関係施設は
あっても、燃料を循環させる輪は完成しておらず、使用済み
核燃料はたまり続ける。「トイレなきマンション」と言われるゆえんだ。

サイクルの輪に必要な、しかしまだ存在していない施設は
「▽▽年ごろから議論を始める」といい、行き当たりばったり感が
否めなかった。とはいえ、現在の社会は3・11前、原発が
作り出す電気に多く依存してきた。今ここから脱却するには
時間と知恵が必要だ。

「*原発」を訴える党は選挙後すぐ自らが唱えた原発の扱いと
代替エネルギーに関するロードマップを作成、明示することを
やってほしい。まさか票目当てに「*原発」を訴えることはないだろう。
「やっぱりできませんでした」では済まされないのだが。

誰からも親しまれた人

第一印象は「何というさわやかな、ほどのいい若者だろう」。
昨年11月に亡くなった落語家の立川談志師匠は書いている。
勘九郎さんのことだ。ほどがよいとは、外見が良く好ましい
という意味だ。2人は19歳も年齢が離れているのに意気投合し、
よく飲んだらしい。翌日、寄席に穴をあけ、勘九郎さんが
駆けつけて客席に謝ったそうだ。

「第一印象は現在まで変わらない」と著書『談志百選』にある。
2人は今、1年ぶりの再会をどう思っているだろうか。
「来るの、早すぎるんじゃねえか」と談志さん、たしなめている
だろうか。勘三郎さんが57歳の若さで亡くなった。
物語や役とは別に、役者その人の魅力を味わうのが
歌舞伎の楽しみの一つという。ほどがよく、さっぱりして、
きびきび。歌舞伎の魅力が結晶したような人だった。

テレビを通して、愛嬌のある笑顔に魅了された人も多いだろう。
幅広い役柄、外国公演、歌舞伎の枠を超えた演劇人との競演。
さらには円熟味を増した「勘三郎の世界」。見せ場はこれから
だったはずなのに。東日本大震災の被害地に応援に行けないのが
歯がゆいと・・・いつだったか、そんな意味のことをテレビで
語っていられたことを思い出す。病気から立ち直り、元気な姿で、
復興の様子を見に行ってほしかったと悔やむ。

議員引退

総選挙は世代交代の機会でもある。今回も多くの議員が
引退を決めた。「大物」と呼んでいいのかためらいもあるが、
政局の中心にいた有力者が永田町を去る。首相経験者は4人。
羽田孜、森喜朗、福田康夫、鳩山由紀夫の各氏だ。いずれも
評価はまちまちだが、一時期、日本の最高責任者だったことは
間違いない。

民主党の渡辺恒三最高顧問や自民党元幹事長の古賀誠,
武部勧、中川秀直氏、元防衛庁長官の大野功統氏ら記憶に
残る議員が多い。高齢や体調不良での引退もある。一方で
まだ元気に働けそうな方もいる。現場にちょっかいを出す
「陰の長老」は困るが、現役時代の人脈や経験を生かした活動
の場はあるはずだ。大所高所に立った活動を期待したい。

故福田赳夫元首相は首相退陣後、各国の元指導者に
呼び掛けて「OBサミット」を創設、環境や資源など地球規模の
問題に取り組まれた。「地位を去って社会的制約も多少楽に
なった各位を糾合して、現役諸公を補完しよう」と取り組んだと
福田元首相の「回顧九十年」にある。

故橋本龍太郎元首相は水の問題に取り組まれた。
侵略戦争と植民地支配を謝罪した戦後50年談話を出した
村山富一元首相は今でも中国側と交流を続けられている。
森元首相は今でもブーチン・ロシア大統領と親しいそうだ。
さて「宇宙人」鳩山元首相は何をなされるのか。「友愛
東アジア平和研究所」を構えて友愛精神を広めていきたい
と語られているそうだ。世界に混乱をまき散らさないように願いたい。

明日の日本を担う若者たち

英語を身に付けて、将来は世界を飛び回りたい。若きころ、
そんな思いで留学にあこがれた人も多いだろう。かって海外に
どんどん出ていた日本の若者たち。しかし近年は事情が違って
きている。米国大学の日本人留学生が年々減り続け、2万人を切った。
15年前のピーク時には4万7千人を数え、国別でも日本が
トップだった。それに比べれば6割も減ったことになり、驚かさせる。

代わって1位に躍り出たのは、容易に想像がつくだろう。
日本を抜いて世界第2位の経済大国となった中国だ。
一人っ子政策の影響もあり、教育熱は過熱気味のようだ。
米国へ子ども留学させるのは親にとって「成功の証し」
というからすごい。

日米中韓4カ国の高校生の意識調査では、留学希望者の
割合は日本が5割を切り最下位。トップの韓国は8割を越す。
気掛かりなのは、留学を望まない日本の生徒たちの理由だ。
「面倒だから」「自分の国が暮らしやすい」が多かったことだ。

日本の若者たちにチャレンジ精神が乏しくなったのか、
長引くデフレで経済的な余裕がなくなったためなのか。
若者の内向き志向が指摘されているが、複雑な心境になった。
社会のグローバル化が進む中、気掛かりだ。

政治、経済でなく社会全体に停滞感が漂い、「新衰退国」とも
呼ばれそうな日本だ。輝きを取り戻す日は訪れるのだろうか。
明日の日本を担う若者たちに期待したいところなのに、
すべてが悪循環に陥ってしまったかのようだ。
どこかで断ち切らねばと願う。

就職活動さまざま

先日発売になった自由国民社の『現代用語の基礎知識2013』を
買い求めた。特集には「3・11後、この国の選択」、巻頭巻末を除いて
15項目の2万7000語を解説されている。

以前は例年購入、調べ物の際の必需品だったが近年は、つい手軽な
ネット検索で済ませることが多く、久々に手に取った感がある。
開いてみて各所に時代を痛感した。

まず、「政治」の前に「環境」が、「経済」の前に「国際情勢」と
「各国事情」の項が配されていたことである。日本が現在
置かれている状況を、目の前に突きつけられた思いだ。

もう1つ、かって就職試験を控え「読破する」と日々ページを
繰っていた知己もいたが、『現代用語の基礎知識』は大学生の
就職活動に必須の1冊だった。それは今も変わらぬようだが、
その本体に何と、「就活成功への活用術」までが掲載されているのだ。
それは本来、学生自身が考えるべきことではないだろうかと思う。
これも時代なのか。

安全第一を願う

そこは目がくらむほどのきらびやかな世界だった。
操作盤に手をやる美しい女性に見とれていた少年は
「運賃はいくらなんだろう」とポケットの小銭をぎゅっと握り締めた。
熊本で初めて乗ったエレベーターだった。
亡き父が戦前に体験した話だ。よほど印象深かったのか
何度も聞かされた。先日はエレベーターの日だった。

1890年11月10日、東京浅草に完成した12階建て展望台
「凌雲閣」に日本初の電動式エレベーターが設置されたことにちなむ。
ただし、危険との理由ですぐ利用中止になってしまったという。
今年、近くに開業した東京スカイツリーには、第1展望台までの
350メートルを50秒で結ぶ国内最高速のエレベーターが設置された。
1世紀以上を経て到達した高度な技術に敬意を送りたいところだ。

かと思えば金沢市のホテルでは先日、清掃会社のパート従業員の
女性がエレベーターに乗ろうとして死亡するという痛ましい事故が起きた。
扉が開いたままかごが上昇し、かごと扉の上部に胴体をはさまれた
事故だ。時には心温まる会話を生むエレベーターなのに、それが突然
牙をむくのでは安心して乗れなくなる。

安全装置のない旧機種の改修が進んでいない背景があるという。
なぜ、安全への誓いが生かされていないのか。発足したばかりの
消費者安全調査委員会も、二度と悲惨な事故を起こさないために
徹底的な検証が必要だ。

オバマ大統領勝利

オバマ大統領の自伝「マイ・ドリーム」を読み返してみた。
オバマ氏が政治家になる前、30代の半ばで書いた本である。
日本では前回大統領選の前年、2007年に出版されている。

印象深いのは、少年時代を過ごしたインドネシアと父親の母国
ケニアを訪ねた時の記述である。市場では雑多なものが売り買い
されている。一見乱雑な中に商売の決まりがあり秩序があった。
そして「皆がつながっていた」。米国社会の荒廃に、オバマ青年は
思いをはせるのだった。

苦しい選挙戦だった。無理もない。この4年間、暮らしはよくなっていない。
変革のうたい文句は色あせ、対外政策でもこれという成果を残していない。
それでも勝利を引き寄せることができたのは、有権者が米国社会の
分断に心を痛め、連帯の大切さを感じ取っているからだろう。

オバマ氏を大統領候補に正式指名した9月の民主党大会。
クリントン元大統領はこんな演説で会場をわかせた。
「勝者が全てを持ち去るような社会を望むなら、共和党候補を
支持するがいい」。富裕層が野放図な金もうけに走り、社会の絆を
断ち切ったことを糾弾(きゅうだん)する演説だった。

「私たちは一つの米国として団結する」。勝利を宣言する演説で
大統領は力説した。任期は4年である。人々の暮らしを安定させ
連帯の輪をつなぎ直すことができればそれこそが、新しい
アメリカンドリームになる。

法案の審議

臨時国会が開会して一週間がたった。現状は、と言えば
相も変わらずの体たらく。重要法案の審議にすら入らず、
伝わってくるのは民主と自民の主導権争いというか、駆け引き
だけのようにみえる。政権政党の民主も民主なら、野党第一党の
自民も自民だ。民主が守り一色なら、自民は対決一色。
いたずらに時間だけが過ぎゆくばかりで、国債の発行に必要な
特例公債法案も入り口で待機させたままだ。

結果として予算の執行抑制が現実となり、地方交付税の交付も
先送りだ。本来なら先の通常国会で成立させるべきだったのだから、
速やかに、とならなければおかしいのだが、その責任を感じている
姿は少しもない。

自民にとっても、同法案を容認する方針を決めたのなら、さっさと
審議に応じると爽やかなのに。解散の約束がどうだとか、内閣の
姿勢を正すことが先だとか、国会運営優先の動きばかりだ。
一方の民主も精彩がない。

イタリア・シチリア島の知事選挙(10月末)で、こんな話がある。
政治家に失望した住民が犬を"擁立"し投票を呼びかけたという。
もちろん無効だが、犬に任せた方がまし、という強烈な皮肉からだ。
そこまでさせないように・・・外国の話と笑っていられない。

人生大勝負

その店が広島市の路地裏に開店したのは1984年のことである。
山口県宇部市の洋装店に見切りを付け、カジュアル衣料に
舵(かじ)を切った。屋号は「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」。
ユニクロの出発点だ。

千を越える店舗、1兆円の売上高に迫るファーストリテイリング
会長兼社長の柳井正氏、35歳の時である。それから28年。
「成長しなければ即死する」。近著『現実を視(み)よ』(PHP研究所)
で拡大路線一本やりの経営論を説くが、挫折も味わった。

着ている服がユニクロだとすぐ分かってしまう「ユニばれ」と
敬遠された時期があった。昨今も「デフレの元凶」と批判されながら、
当人は馬耳東風の様子だ。「圧倒的ナンバーワン」を掲げ、
世界市場で5兆円を目指すという。

強気とワンマン経営なら、こちらも負けてはいない。柳井氏が
社外取締役を務めるソフトバンクの孫正義社長である。
16歳で単身渡米。帰国後に設立したパソコンソフトの卸会社を、
売上高3兆円のグループに育て上げた。

今年の日本の富豪40人ランキングでは3位だ。1位の柳井氏の
後塵を拝したが先日は投資額1兆5千億円という米携帯大手の
買収を発表した。「男子として世界一を目指す」と胸を張った。

孫氏が19歳で立てた「人生50年計画」では、30代で軍資金
千億円,40代に一勝負、50代で事業完成となる。その「完成」
途上の大勝負だ。勝率7割と見たら果敢に戦う。それ以上の
確率を期待したらタイミングを逸する」のだそうだ。

知将

就任1年目で日本ハムをリーグ優勝に導いた栗山英樹監督の
理想の指揮官は、西鉄ライオンズ監督だった三原修氏という。
その名を聞けば、とりわけ60代以上の世代にとっては、
懐かしさとともにあの時代の光景がよみがえるに違いない。
プロ球界随一の知将といわれた三原氏は、その采配ぶりから
「三原魔術(マジック)と呼ばれた。

圧巻は1958(昭和33)年の日本シリーズだった。巨人に3連敗を
喫し後のない西鉄は、鉄腕稲尾和久の連投で4連勝を果たし、
奇跡の日本一といわれた。中西太がいて豊田泰光がいた。
西鉄の黄金時代だった。大スター長嶋茂雄はこの年巨人に入団し、
新人王を獲得した。

三原氏はその後、大洋ホエールズの監督に転じ、前年最下位の
球団を日本一にした。スポーツキャスターとして知られた栗山監督は
監督業はもちろん、コーチの経験もない。 しかし、選手掌握のうまさは
三原氏に共通する。そう指摘するのは、スポーツジャーナリストの
二宮清純氏だ。

例えば、1割台の打率で不振だった主砲の中田翔を4番として
使い続けた。批判もあったが、将来は球界を代表するスラッガーに
との思いからだ。クライマックスシリーズを制した日本ハムの
日本シリーズの相手は巨人に決まった。背番号{80}は三原氏の
それにちなむという栗山監督の采配に注目したい。

デジタル革命

長い間続いた「紙と鉛筆の時代」が「ワープロの時代」となり、
あっという間に「パソコンの時代」になった。こうも変わるか、
というほど飛躍的な変化だが、デジタル機器は今や生活の
必需品となった。

日本語のワープロが誕生したのは、1979(昭和54)年のことだった。
東芝の[JW-10」。前年の9月26日に東芝が発表し、この年の2月に
発売さてた。価格は630万円だったという。わずか33年前の話である。

その後、機能アップした新機種が次々登場して普及、価格も下った。
その「ワープロ時代」は短期間で終わった。情報通信の進歩と相まった
「パソコン時代」が到来。ワープロとは、有する機能が桁外れに違う。
それも年々進化して企業の経営、生産ばかりか、社会生活面にも
深く浸透する。

通信はできる、情報はとれる、買い物はできる・・・ワープロが登場した時、
抵抗した団塊世代にも違和感がない。まさしくデジタル革命だが、
その意識原点はワープロだ。最近「ワープロの日」(9月26日)があった
のを知った。初めて触った時の感触が何とも懐かしい。

ノーベル賞

 「人間万事塞翁(さいおう)が馬」。
ノーベル医学生理学賞受賞が決まった山中伸弥・京都大教授は、
研究者としての歩みをつぎのように例えられる。人生の幸・不幸は
予測できないものだ、と。決して順風満帆ではなかった。
そんな思いを込めた言葉らしい。

挫折の連続だったという。研修医時代、手術が下手で、
普通なら20分で終わるところを2時間かかった。教官から
名前をもじって「じゃまなか」と呼ばれたとか。こんな話を聞くと、
日々、青息吐息で日々の生活と格闘している身には
なにやら親近感が沸いてくる。

脊髄損傷や重症のリウマチなど根冶療法のない患者が
多いのを見て、研修医時代から心を痛めてもいた。
「彼らの治療法を開発するには基礎研究しかない」。そんな思いも
あって、研究者に転身する。これが世界を驚かせた人工多能性
幹細胞(iPS細胞)開発につながる。本当に人生は分からない。

iPS細胞は「万能細胞」だ。病気やけがで失った組織を
よみがえらせる再生医療や難病の研究に新たな可能性を開いた。
「一日も早く応用し、社会貢献を実現したい」「難病の患者さんは
希望を持って」。山中教授のはやる思いが伝わってくる。

研究を理解してもらえず、一時、うつ状態になったこともあった。
そんな試練も「治らない病気を治るようにしたい」の一念で乗り越え、
画期的な成果を挙げた。とはいえ「実際に患者を救うまでは、
ノーベル賞を喜んでばかりもいられない」と山中教授は言われる。
そんな人だからこそ、日本中が受賞を祝福しないではいられない。

体育の日

10月8日のお休みは「体育の日」だ。ああ、そうだった、と
思いつつ違和感が消えない。カレンダーの赤い文字もなんだか
居心地が悪そうにみえる。

一部の祝日を月曜日に固定し、土曜日からの3連休を増やそう
という「ハッピーマンデー制度」が始まったのは2000年。
あらためて確認して、導入から意外に時間がたっていることに
少々驚いた。以来「10月の第2月曜」と定められた体育の日は、
8日から14日の間をあちこち行き来している。

しかし、私たち"昭和の子"にとって体育の日といえば「10月10日」。
かなり強く刷り込まれているのか、なかなか今のシステムに
慣れられずにいる。ちなみに祝日になったのは1966年で、
10日の日付は、前々年の東京五輪の開会式の日だ。
祝日法によると「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」
日となっている。

始まって13年にもなる制度をつかまえて今さら批判もないが
「お祝いの日」の由来や意味が少しづつあいまいになっていくのは
なんとも味気ない気分だ。「祝日」はこの国の歴史や価値観の
現われでもある。私事で失礼だが、父の命日が10月10日で
「体育の日」だと覚えられていたのに。

時刻表の日

10月5日は「時刻表の日」だった。1894(明治27)年、
日本最初の本格的な時刻表「汽車汽船旅行案内」が創刊された
日にちなんだ記念日のようだ。たった1駅でも、立派な旅になる。
あるいは実際に乗らなくても、行楽の秋は殊に、鉄道の旅に
心ひかれます。

今のJTBの大判の時刻表は千ページを越す。この時刻表を
「読む」のが趣味の一つです。路線図をにらみ、行きたい場所への
旅程をあれこれ検討し、乗り継ぎを考え到着時間から逆算しながら、
細かな数字を飽かずに追っていく。机上の、想像の旅は
自由自在です。

幼少時の長距離移動はもっぱら鉄路。高校への通学や
大学時の帰省もほとんど鉄道だった。今も列車の旅は大好きです。

その時刻表は様変わりした。インターネットで検索すれば、
出発から到着までの時刻や料金が瞬時に調べられる。
便利なのは確かだが、旅への期待を膨らませながら紙の時刻表を
ぺらぺらとめくる至福のときがなくなったのは少々寂しく感じます。

JR東京駅

JR東京駅が5年に及ぶ保存、復元工事を終えて開業した。
東京駅は、首都の中央駅で国の玄関でもあり、何より
創建当初の赤レンガの威容が復元したのが素晴らしい。

駅舎内の東京ステーションホテルは、さすがにリニューアルオープン。
作家の川端康成や松本清張がよく利用したことで知られるが、
大の列車好きだった内田百閒もその一人だ。毎年の年始に
このホテルで大宴会を開いたそうだ。

東京駅は、浜口雄幸首相が銃殺された悲劇の現場でもある。
撃たれた後、「男子の本懐だ」と声を絞り出したが、翌年に死去。
現場を示すプレートが駅舎内にある。

そんなこんなも、大正期からの歴史と伝統を引く、風格ある
赤レンガの駅舎であってこそだ。バブル期には駅の高層化計画も
浮上したというが、そんなことを考えること自体、浅はかだろう。
同じ東京でも「道の起点」日本橋は今、高速道路に覆われて
見るも無残な姿だ。

だいたい日本は、建物などが老朽化すると「新しい物好き」が表れて、
いとも簡単に造り替えようとする。欧州では全く発想が逆のようで、
まず保存や復元を考え、その代わりに内装は現代的に改造した
建物が多い。そうして重厚な街並が保たれている。


老舗企業シャープ

9月15日はシャープ創業100周年だった。元号で言えば
大正元年のこの日、早川徳治がベルトに穴を開けずに締められる
バックルを発明、奉公先の金物店から独立した。

創業者早川さんの生涯は苦難続き。画期的な「早川式操出鉛筆」
(シャープペン)の開発で成功を収めて間もなく、重病で死線をさまよう。
関東大震災では妻子を亡くし、工場も失った。

無一文からの再出発の地は大阪。鉱石ラジオの国産化に成功した。
「常に新しいアイデアで、他より一歩先に新分野を開拓していかなければ、
成功は望めない」。早川社長の信条だったという。

国産テレビ第1号、量産型の電子レンジの発売、太陽電池の量産化、
集積回路の卓上計算機、液晶表示の電卓、どれも「日本で初めて」
「世界で初めて」と称賛された同社開発史の1ページだ。

その老舗企業が経営危機に陥り、再建計画をまとめた。
大量の人員を削減し、海外の工場なども一部売却。販売会社を
統合するほか、液晶テレビ事業を再構築する。創業以来の
思い切った改革だ。、

新技術を駆使したヒット商品を生み続けないと、存続が困難になる
厳しい業界だ。台湾企業との出資交渉の成否にかかわらず、
早川さんの言う「新分野の開拓」で、業績がV字回復する日が
来ることを願いたい。

白日時代

「グランドに銭が落ちている」とは、かってプロ野球南海の
名監督だった鶴岡一人さんの有名な言葉だ。プロ選手は
グランドを唯一の仕事場と心得て全てを注げ。名将はそんな思いを
独特の言葉で表現したのかもしれない。

それは大相撲の世界でも同じだ。元横綱初代若乃花の言
によれば、グランドは"土俵"に置き換わる。「強くなれば土俵の下には
何でもほしいものが埋まっているぞ。お金も着物もー」昔からその
一心で厳しいけいこに励んできた。

それを聞いた新弟子が夜中にけいこ場の土俵をスコップで
掘り起こしたという話もあったそうだ。横綱白鵬との激闘を制し
2場所連続の全勝優勝を果たした大関日馬富士は直後、
その土俵にそっと額をつけた。「土俵の神様に感謝の気持ちです」。

2分近い熱戦は、久しぶりに両国国技館を沸かせた一番だった。
どんな型の相撲にも対応するしなやかさに強靭(きょうじん)さを
併せ持つ横綱と、驚異の身体能力と粘り腰で全勝街道を突っ走る大関。
土俵の神様は双方の持ち味を存分に引き出したようだ。

土俵に埋まっているのは力士のほしいものばかりではない。
相撲ファンをとりこにするものも埋まっている。当日、内閣総理大臣賞
授与のため来場した野田首相も「鳥肌の立つ相撲」とたたえた。
 
「鳥肌」は本来恐怖や嫌悪感に襲われたときに使う言葉だが、
首相もついうっかりするほど、白熱の大一番だったということだろう。
日馬富士の横綱昇進で一人横綱にも終止符が打たれる。
"白日時代"の始まりだ。


日中国交正常化

日中国交正常化交渉のため、北京入りした田中角栄首相は
宿舎に入って目を丸くした。1972年の9月25日のことだ。
戸外は猛暑なのに室温は自分が好む17度に設定され、
好物のバナナとアンパンまで用意してあった。

首相は秘書に漏らした。「これは大変な国に来た交渉、
掛け合い事は命がけだな」。中国側は迎げていた。
国交樹立への意気込みをひしひしと感じたという。

『日中国交正常化』(中公新書、服部龍二著)に出てくる
挿話の一つだ。交渉は何回かの首脳会議を経て、中国の
周恩来総理言うところの「小異を残して大同を求める」
ことで妥結にこぎ着ける。

それから間もなく40年だ。日本政府が沖縄県・尖閣諸島
(中国名・釣魚島)を国有化したことで中国国内で反日デモが激化。
満州事変の発端となった柳条湖事件から81年の9月18日は
125都市で行われたようだ。

国交正常化交渉の際、毛沢東主席が田中首相に言った。
「もう周総理とケンカはすみましたか」『雨が降って地が固まる
ということばあるように、議論したほうが却(かえ)って仲よくなる
ということもありますよ」

中国で働き、暮らす日本人を反日デモで「命がけ」にさせては
ならない。日中講和の精神を忘れることなく、「命がけ」でケンカ
しなければならないのは両国首脳であるはずだ。

引き際

スポーツ選手の引き際は難しい。惜しまれつつ現役を
引退する人もいれば、最後までもがき苦しんでも現役を
貫き通そうとする人もいる。どちらも、その選手のこだわりだろう。

ファンにとっても複雑な心境だ。一流プレーに魅了され、
応援し続けているが、全盛時の力がなくなり、ぶざまな姿を
さらす所を見ると悲しい気持ちにもなる。逆もある。
「まだまだやれるのに」と思っていた選手がいなくなるのは、
心に大きな穴が開いたようだ。

今年もプロ野球界では、大物選手たちが引退を表明した。
広島の石井豚朗選手は、投手から野手に転向し輝かしい成績を
残した。田口壮選手はオリックスでイチロー選手とプレーした
。阪神大震災があった1995年には日本一に輝き、大リーグの
カージナルスでもワールドチャンピオンになった。

先日は、阪神の金本知憲選手がバットを置くことを表明した。
1492試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立し、
どんな状態でも試合に出続けた。骨折しても片手一本で安打を
放った姿は多くのファンの記憶にも新しい。晩年は肩のけがで
守備の衰えが目立ったが、10年間に渡りチームに大きな財産を
残した。

スポットライトを浴びて引退する選手の一方、毎年
多くの若手が実力を発揮できずにひっそりと去って行く。
プロ野球界の在籍年数よりもはるかに長い第二の人生が始まる。
次のステージでは光り輝いてほしいと願う。

権力者のステータス

戦国の世を生き抜いた武将たちは、香木を好んだといわれる。
日本には平安の頃より、さまざまな練り香を持ち寄って楽しむ
優雅な宮廷遊戯があったが、戦いの場に臨む男たちの場合、
みやびな芳氣より、香木が持つシャープな匂いを求めた。

出陣の前には、決まって香を聞くものもいたそうだ。
独特の香りで精神の統一を図るためだ。これにより戦場でも
冷静な判断に基づいた采配が振るわれた。やがて香木が持つ
不思議な力に魅了され、武将たちは競ってコレクションした。

数ある香木の中で「天下第一の名香」とされるのが黄熟香
(おうじゅくこう)。奈良市の正倉院にある宝物の一つで、
一般的には「蘭奢侍(らんじゃたい)」の名で知られる。
過去には足利義政や織田信長、明治天皇が、その一部を
切り取っており、これを持つことが時の権力者のステータスだったようだ。

老朽化したダム

九州山地の雨を集めて八代海に注ぐ球磨川(熊本県)は
最上川、富士川と並び「日本三大急流」と称される。
アユが生息する清流でも知られる。

その下流に水力発電用の県営荒瀬ダムが完成したのは
1955年のことだ。戦後復興を担ったが、ダム湖にヘドロが
たまるなど河川環境は次第に悪化し、アユの遡上(そじょう)
も減った。老朽化につれダムは地域の重荷になってきた。

10年前になる。潮谷義子知事(当時)が地元住民の
要請をくんで「廃ダム」を決めた。その後曲折を経た上で、
いよいよ撤去工事が始まった。本格的なダムの撤去は
全国でも初めてだ。

伏線はあった。97年の河川法改正は、水質源開発
中心だった河川整備の目的に「環境保全」という新理念を
追加した。公共事業見直しの機運や田中康夫・元長野県
知事の「脱ダム宣言」も、ダム撤去の世論を後押しした。

廃ダムは前例のない工事である。ダム湖の体積土砂が
どう動くのか、流域に新たな環境変化を招かないか。
さまざまな面で注目される。培った施工技術と細心の配慮で
「清流回復」の先例をつくってほしい。
 
全国のダムは約2700を数えるという。治水や利水に
役割を果たしているものの、各地で老朽化や水質悪化、
土砂堆積が進んでいるようだ。第二、第三の「荒瀬ダム」
が出ておかしくない。関係者は荒瀬ダムを研究、見聞
したらどうだろうか。


 

仲良く

「 どうしても友達になれない人種がいる。小さな噓(うそ)をつく奴と、
アイアンの飛距離を自慢する奴」。米国往年の大スター、ビング・クロスビーの
言葉は単にゴルフ好きが高じてライ バルを皮肉ったものではないようだ。

裏を返せばスコアをごまかすような姑息(こそく)はやめて謙虚に正直に、
そ して俺の方が強いんだなどと意地を張らず、見栄を捨てれば人は
自然に集まってくる。志を同じくする もの同士なら、遠く離れていても
心は通じるはず。未来志向で共に喜びを、分かち合えるというものだろう。

このところどうしても頭から離れない。日中韓をめぐる不協和音である。
竹島 (韓国名・独島)の領有権問題について、国際司法裁判所への
共同付託を求めた日本側の提案を韓国側が 正式に拒否すると通告した。
事態はまたもや暗礁へ。関係はさらに悪化の様相だ。

韓国人も中国人も、本当に「反日」「抗日」と怒り心頭なのだろうか。
中国と 日本は今年、国交正常化40年。友人をいっぱい作ってきた。
韓国の若者だって日本に友達がいるはずだ。 互いの顔を思い出して
ほしい。そして語り合ってほしい。それを政府間に是非、お願いしたい。

結婚式の変わりよう

結婚式に何年ぶりに出席し挙式、披露宴の変わりように
驚くばかりだった。新郎新婦や式場によって結婚式は
さまざまな形があるだろうから、良し悪しではないが、
同年代以上の中高年出席者と「時代は変わったな」と
何度もつぶやいてお酌し合った。

何よりも驚いたのは、披露宴で友人ら若者が常に
新郎新婦の周りに群がり、おのおのスマートフォンなどで
写真撮影していること。お色直しのたびに新郎新婦と仲間で、
あるいは新郎新婦とスリーショットで、はたまた新婦と
ツーショットで、「ピース」と忙しい。

もはや親戚、職場の同僚などが新郎新婦に近づくのは
遠慮している状態。友人の結婚を心から喜んでいるのは
良くわかる。しかし聞けば友人による2次会もあるという。
ならば披露宴は親戚等へ2人を紹介する場でもあることを
少しは配慮して欲しい。

などと中高年は思いながら口には出さず、「時代は変わったな」
と苦笑いで酒を酌み交わす。そして披露宴の最後は、新婦から
両親への感謝の言葉と新郎のあいさつ。

新婦は「心配ばかりかけてごめんね。今まで育ててくれて
ありがとう」と感謝し、両親とともに必至で涙をこらえる。
昔も今も変わることのない親子愛が出席者の涙を誘う。
気が付けば、友人たちもこのときばかりは自席で静かに目頭を
押さえている。時代は変わっても結婚式の感動は不滅なのだ。
と安心して帰途についた。

世界の平和を願いたい

作家の向田邦子さんの父は大酒飲みの癇癪(かんしゃく)持ちで、
家では「バカ野郎」の罵声や拳骨(げんこつ)が絶えなかった。
そんな父が終戦の年の4月、疎開する幼い妹に自分の宛名を書いた
おびただしいはがきを持たせた。「元気な日はマルを書いて、毎日1枚
ずつポストに入れなさい」と。妹はまだ字が書けなかったからだ。

そのうちはがきが届かなくなり、母が迎えに行った。妹は百日咳
(ひゃくにちぜき)を患い、虱(しらみ)だらけの頭で寝かされていた。
妹が帰ってくると、父は裸足(はだし)で表に飛び出し、瘠せた妹の
肩を抱いて声を上げて泣いたいう。向田さんのエッセー集
「眠る盃(さかずき)から引いた。暴君に見えても、心は子への
心配でいっぱいだったのだ。
 
向田さん親は無事に子供と再会できたからまだいい。
この時から1年ほど前、沖縄の子どもたちが疎開船「対馬丸」に乗って
那覇港から鹿児島へ向け出航した。米軍が迫ってきたためだ。
が、途中で米潜水艦の魚雷を受け沈没する。それが1944年
一昨日(8月22日)の夜だった。

疎開船には学童738人と教師、付き添いら合わせて1747人が
乗っていた。暗い海中に投げ出され、力尽きて次々と水中に姿を
消していく。生存者は227人。このうち学童は59人だけだった。

本土でしたいことがいっぱいあったはずだ。希望に満ちた
子どもたちの命を理不尽な戦争は一瞬にして奪った。子どもたちの
恐怖と苦痛。、わが子を殺された親たちの悲しみを思うと、
戦争を憎まずにはいられない。日中韓で危険な国益主義が
高まっている折だけに、ことさらだ。

 

いじめ問題

いじめ時代ーと言えばオーバーだろうか。だが昨今は、
いじめが報道されない日がないほど、毎日がいじめに
あふれている。それだけ、誰かを標的にして攻撃しないと
氣が済まない人が多いのか。情けない時代を迎えたものだ。

いじめる側に対しては当然だが、子どもを守らなければならない
学校や教育委員会の無策な対応ぶりには情けなさも増幅する。
十分な調査をしなかったり、被害生徒に退学勧告するなど
自分の立場を全く理解していない。「不要」と判断されても
致し方ない状況だ。

なぜこうした現象が起きたかは今後、調査が進めば明白に
なるだろう。ただ、少なくてもあの対応ぶりに「個」を尊重する意識が
全くなかったことだけは明らかだ。助けを求める子どもに手を
差し伸べるどころか組織や学校の面目を優先しているのでは
教育を語る資格はない。

欧米諸国で浸透する個人主義。もちろん、個々が好き勝手に
ふるまってよいということではない。まずは個を尊重するーが
根底にある。日本の教育現場や家庭、地域社会でどれだけ
個人を大切にする教えが施されてきたのか、現状が
語っているように思えてならない。

宇宙での技術

ロンドン五輪の熱狂がさめやらぬ地球のとなり、火星では
孤独で地道な作業が始まっている。米航空宇宙局(NASA)の
探査車「キュリオシティー」が着陸に成功し、火星表面の
鮮明な画像を地球に届けている。

太陽から3番目と4番目の惑星、地球と火星。となりとはいえ、
気が遠くなる距離である。キュリオシティーは8ヶ月以上の旅を続け、
半径10キロの「的」めがけて着陸した。超巨大アーチェリーを
想像すると、その技術力の高さに感嘆する。

探査車の重さは1トン近い。それをワイヤでつり下げ着陸させた。
NASAのスタッフは「金メダル級の仕事」と誇らしげだ。体操の
内村航平選手も舌を巻く最高難度の新技といったところか。

1960年代から始まった各国の火星探査。着陸や周回軌道投入の
成功率は4割。多くの失敗から学んだ成功という点をいくつも
つないで線にし、新たな面へと広げた。

好奇心の意味を持つキュリオシティーは、約2年かけ生命の痕跡や
可能性を探る。レイ・ブラッドベリの名作「火星年代記」をはじめ、
赤い惑星は古くから人々の想像をかきたてた。

ヒトの無限の好奇心は、宇宙の謎を解き明かせるのか。
鍛え上げた肉体の躍動に驚嘆したあとは、かなたの星で
黙々と仕事をこなす最先端技術からの未知の報告が待ち遠しい。

スポーツ祭典の魅了

感動の後は心地よい疲れを感じる。朝、目覚めても、
気持ちの高ぶりが残っている。楽しい時間を多くの人と
共に過ごした満足感。夢が続いているような気分になった。

さまざまなドラマを残して、ロンドン五輪が幕を閉じた。
世界の壁の厚さも痛感したが、それでも連日のメダルラッシュ
だった。終わってみれば13競技で38個のメダル。
どちらも過去最多だ。精いっぱい頑張った選手らに
心から拍手を送りたいのです。

うれしいのは多くの「初」が生まれたことだ。重量挙げ女子、
アーチェリー女子団体、バトミントン女子ダブルス、フェンシング
男子フルーレ団体、卓球女子団体、サッカー女子。どれも
初メダルである。ボクシング男子は金、銅と複数メダルを
獲得したのも初めてだった。

久しぶりの快挙にも目と心を奪われた。ボクシング男子は
実に48年ぶり、レスリング男子は24年ぶりの金メダルを手にした。
バレー女子の銅は28年ぶりになる。長い挑戦の成果が、
新しい歴史の始まりになれば、と願いたい。

「遠く曲がりくねった道」と歌ったのは英国のバンド、ビートルズ
だった。「その道は君が目指す扉へと続く。いつも消えることなく
目の前にある」。それぞれが努力してたどり着いた扉を、
自分の力でこじ開けた。何よりもそれが素晴らしい。

日本はお盆のさなかだ。きのうツクツクボウシの声を聞いた。
季節は移るが、まだしばらくは夢の名残に浸りたい。

首相発言の重み

政界ではこう言われてきた。「総理大臣は衆議院の解散と
自分の健康問題については、ウソをついても構わない」。
この二つ、不用意に漏らせば周囲に与える影響が大きすぎるからだ。

かっての「死んだふり解散」。首相だった中曽根康弘さんは
「考えていない」と言い続けて、いわば死んだふりを演じつつ、
解散に持っていった。解散に関する首相のウソの典型だ。

時の首相が時期を明言しないのは当然だ。それを承知で
「いつだ、いつだ」と迫るのは、子どものけんか見るようだ。
一体改革法案と解散時期をめぐる民主、自民、公明3党のゴタゴタ
の政局だった。

日本勢が感動を呼ぶ活躍を続けるロンドン五輪。その一方で
政冶はこれだ。多くの国民はあきれる思いだろう。結局、解散時期は
「近い将来」を「近いうちに」と表現を改めて3党が合意したようだ。

「文学を理解しないような政治家は本物じゃない」と語ったのは
亡くなった大平正芳元首相だ。ここで言う文学、迷彩服を着せたような
言葉があふれる「永田町文学」ではあるまいに。
昨日、消費税増税法が成立した。肝心の議論はそっちのけだ。
政争まみれのうちに決まってしまう増税だ。

志の高さ

ロンドン五輪では日本人選手の発する言葉が重い。
「自分のためにやってきた競技に、今回は特別な力が加わった」
と陸上ハンマー投げで銅メダルを獲得した室伏広治選手。
一流競技者ほど、社会や地域とつながろうとする。

震災直後、独り故郷を離れ、現役復帰したフェンシングの
菅原智恵子選手(汽仙沼市出身)は「一生懸命やる姿は見てもらえた
と思う」。不屈の粘りで入賞し、古里の市民に志を伝えた。

宅配業のネットを生かし、高齢者の見守り活動を行う松本みゆきさん
(盛岡市)が「金メダル」を獲得した。「活動を全国に広げる。最後まで
諦めない」と目標から目をそらさない。
 
挑戦する姿はそのこと自体が共感を広げ、公の財産になる。
これまでいろいろあった五輪も終盤へ。熱く盛り上がりたい
。支援を送りたい。

ロンドン五輪

熱い戦いが続くロンドン五輪は日程の半分を終えた。
日本の選手たちは世界を相手に大健闘をみせ、連日の
メダルラッシュだ。
 
メダル獲得はたたえられることなのに、日本の柔道陣は
その色にこだわり過ぎている。日本で生まれた武道だから、
選手に「金でなければ」という独特の重圧があるのだろう。

その他の競技も狙うものはもちろん表彰台の一番高い位置だが、
結果として銀,銅だったとしても、柔道のような悲壮感はない。
水泳陣メダリストのあふれる笑顔が印象的だ。

五輪の出場権を得るまでの血のにじむような努力は国民が
知っている。結果だけにとらわれないでほしい。「持っているものは
全部出せた」という、卓球の福原愛選手のコメントは爽やかだった。

世界が一番と認め、絶対的な自信を口にしていた体操の
内村航平選手ですら団体戦で考えられないミスをした。
世界選手権とは違う。4年に一度の五輪のなせる業だ。

だからドラマが生まれ、人々に大きな感動を与える。
笑顔だけでなく、涙も美しい。選手は持てる力を発揮する
ことだけに集中して戦ってほしい。

オリンピックでの勝利

4年に一度のスポーツの祭典「オリンピック」がロンドンで
華々しく幕を開けた。かってはアマチュアしか参加を
認められなかった大会も、今では大部分の競技でプロも
出場できるようになり、まさに人類最強・最速の座を競う場になっている。

「五輪には魔物がいる」と言われることがよくある。絶対的な
優勝候補があっさり敗れたり、まったく無名の選手が栄光の座を
手に入れたりするドラマが数多く繰り広げられてきた。

今大会でも、男子サッカーで日本が優勝候補のスペインを破る一方、
3大会連続で2種目制覇の期待がかかった北島康介選手が
100メートル平泳ぎで5位に終わるなど、予想外の番狂わせが
早くも相次ぎ「魔物」の健在ぶりを示している。

一方、これまでとは少し毛色の違う「魔物」が柔道競技に登場し
混乱を招いている。誤審を防止するために導入された「ジュリー制度」だ。
審判を補助するためにビデオ映像によって結果を判断する方法。
によって、一度下された判定が覆される試合が頻発している。

2000年のシドニー五輪において篠原信一選手が「世紀の誤審」で
金メダルを逃がしたことが、この制度導入のきっかけのひとつと言われる。
しかし、あまりに映像に頼り過ぎる状況下では審判の存在意義が
問われることになる。まずは審判の技術向上に力を注ぎ、
それを補完するためのジュリー制度であるべきではないだろうか。

真の政治家

英国の名宰相チャーチルといえば、二十世紀の保守主義を代表する
政治家だが、若いころは選挙で幾度か苦汁をなめた。三十三歳で
商務長官になった直後に、落選したこともある。

所属する保守党が保護貿易主義的な関税政策を打ち出した時は、
反対して党内で孤立し、野党の自由党に鞍替えした。自由党員として
古巣を批判して曰く(いわ)く。<保守党というのは政党ではない。
あれは共謀そのものである>と。

三年前の夏、総選挙で国民の多くは民主党に「政党」の姿を期待した。
広辞苑を引くと、政党とは<共通の原理・政策の実現のために、
政権の獲得あるいはそれへの参与を企画する団体>とある。
 
明確な公約は示さず、当選すれば白紙委任されたかのように振る舞う。
派閥抗争に明け暮れ、政策は官僚機構に丸投げ。そういう旧来の
自民党型政治ではなく、新たな政党政治が見られるはずだった。

チャーチル流に言えば、民主党は既に政党ではなく共謀のかたまりだ。
共通の原理・政策という政党の柱を失い、ただ政権にしがみつくという
共謀関係でしかない党が分裂するのは当然ともいえる。

チャーチルはこんな言葉も遺(のこ)している。<とんでもない数の嘘が
世間に出回っている。最悪なのは、嘘の半分が真実だということだ>。
増税だけは決まり、福利が見えない「社会保障と税の一体改革」
など、その好例ではないかと思う。

 

産業の空洞化

日本のはるか先に「産業の空洞化」が言われてきた米国で、
一旦中国に移転した工場をまた本国に呼び戻す現象が起き始めた
と先日、NHKテレビが伝えていた。日本でもやがて同じような動きが
出るのだろうか。

これはたくまざる「自然回帰現象」というものであろうか。
コスト削減を求めて人件費の安い国に生産拠点を設けるというのは
先進国の大中企業における"常道"となったが、その先例を作ったのが
米国だった。その"伝染"を怖れる論評がわが国の経済紙誌などで
頻繁に登場するようになった頃、まさかその時期が意外に早く
やって来ようとは思わなかった。

なにしろアパレル、精密、電機部品などの受託加工が地方でも
成り立っていた当時だからである。だが、激しい価格競争にさらされると
"企業ナショナリズム"などもろいもので、人件費が日欧米などと比べて
格段低い中国への"脱出"がどんどん加速し、日本でも産業の空洞化
というまさかの事態が社会問題化するようになってしまったのは
周知の通りだ。

中国が「世界の工場」となる一方で、先進国の経済発展が急速に
停滞化するようになったその反省が生まれるのは当然だが、米国企業の
"本土再上陸"は、反省というより中国での人件費が高騰し、労働争議
なども頻発するようになった現象に嫌気がさしての撤退のようだ。

しかし中には米国生まれのオリジナルが中国産と知って消費者が
反発したことを受けて原点に還した企業もあり、"迷走"は企業理念を
失ったからこそ起きたとも言えそうだ。


サッカーJリーグ戦

サッカーJ1のリーグ前半戦で成績不振のために、5人の監督の
クビがすげ替えられた。「プロだから結果を出すのは当然」という声も
あろうが、素人目にはあまりにもせっかちに映る。チームの状況次第
で長い目も必要ではないだろうか。リーグ最長5シーズン目の
手倉森誠監督率いるベガルダ仙台が、首位で折り返す快進撃を
見るにつけ、その思いを強くする。継続は力なりだ。

「監督がぶれずに同じメッセージを発信していけば、選手は、
『ことしもあの感覚でやればできるな』と思うはず」。ガンバ大阪の監督を
10年続け、優勝経験もある西野朗神戸監督がこう語っている。
手倉森さんが「堅守速攻」という種をまいて辛抱強く水をやり、戦術の剪定
(せんてい)を行った結果、昨季から目に見えてチーム力が進化してきた。
メッセージが分かりやすいだけに、浸透しやすいのだろう。

人心掌握術にもたけている。時に厳父、時に兄貴分となり、選手の個性を
上手に引き出している。今季は震災の経験を糧に、チームが一致結束
しているのも大きな強みだ。明日から(14日)の名古屋戦を皮切りに
後半戦に突入する。運動量が求められる今の戦い方ではスタミナ切れが
心配だが、復興への思いを推進力に、このまま独走してほしい。
                                    
テレビで観戦しながら、まったくの素人だがついつい被害者の希望を乗せて、
今シーズンはベガルタ仙台を応援している。

党名

日本人は「新」という文字に弱いといわれた。
細川内閣成立に至る新党ブームの時である。核となった
日本新党、新生党、新党さきがけのいずれもが、党名に「新」
の字を入れていた。

その17年前。河野洋平氏らの新自由クラブブームの鮮烈な印象が
背景にある。政治への理想を「新」の文字にかけた気持ち、
思うべしだが、新進党への結集、解党を経て色あせた。

自由党、改革クラブ、国民の声、新党みらい、太陽党、などの
混迷期を経て原点回帰の民主党へ。政権交代を挟んで再び分裂、
地域政党台頭の時代を迎える。

今度は、国民の気持ちに近づこうとする意図が濃厚。「たちあがれ日本」
「みんなの党」は、この指止まれと呼び掛けている。目的をより具体的、
分かりやすく党名に盛り込む「減税日本」など地域政党も、趣旨に賛成なら
違いを乗り越え一緒にやろうということだろう。

小沢一郎氏は新生党、新進党、自由党と、その時代の国民の気持ちと
一体の党名を掲げ、政治の中心に居続けた。自民、民主二大政党の間で
埋没確実と言われた平成12年総選挙で、殴られカツを入れられる
テレビCMで息を吹き返している。

それに劣らぬ危機の中で、党名を「国民の生活が第一」に船出した。
マニフェストのキャッチフレーズを使われ、民主党は背景用のボードを
裏返すなど大わらわだ。輿石幹事長が新しいのを考える」という。
 
かって岡田克也副総理、中川正春防衛相が属した「国民の声」は、
一説では「国民の声を代表して」と、国会質問で切り出せるから
党名にしたという。やすやす埋没する相手ではなさそう。

  
 

駅舎

久しぶりに東京駅へ行って驚いた。工事の覆いが取れ、
タマネギのようなドームをはじめ復元された駅舎が姿を
現していたからだ。赤レンガに白い窓枠がよく映える
堂々たる威容にしばし目を奪われた。
尖塔(せんとう)などの装飾が豊かで、ヨーロッパの町にでも
迷い込んだような光景だ。

1914(大正3)年の東京駅開業時の建造で、日銀本店などを
手掛けた建築界の重鎮、辰野金吾先生の設計だった。
45年の空襲でドームや3階部分が焼失。今回の工事が始まるまで
半世紀以上の"仮設"状態だったといえよう。

駅の復元といえば、東京スカイツリーのお膝元、東武鉄道
浅草駅も話題だ。約80年前に建てられた7階建て駅舎は
74年の改修でアルミ材の外壁で覆われていた。これを取り去って
シックな外観と時計塔がよみがえった。

どちらの駅も、町の中心的存在だった駅という存在を当時、
いかに大事なものかと思っていた証拠ともいえよう。ひるがえって
昨今の駅舎といえば、なんとも貧相な建物ばかりに見えるのだが。

新幹線の駅は駅名の看板を外せばどこだか分からなくなるような
ものばかりだし、善光寺を意識したのか寺院風で趣のあった
旧長野駅などもとうに壊され、コンクリートの箱になった。

たかが駅舎と侮るなかれ。駅はその町の玄関だ。
降り立ったときに、おやっ、いい雰囲気だな、と思わせれば、
町への印象も変わってくる。地域のシンボルにふさわしく、
誇りを持てるような駅舎のデザイン、たたずまいを考えてみては
どうだろうかと、昔を振り返って偲ぶ一人だが。

 

学ぶ

人は「学ぶ」という言葉に一生向き合っていく。
母親の胎内にいるときから学習が始まっているともいえる。
だが、学んだつもりでも忘れてしまう。特に人生勉強では、
その傾向が強いようだ。

心理学者であり、文化庁長官も務めた故河合隼雄さんの
「生きること・学ぶこと」と題した講演内容は興味深かったことを
思い出す。。「いやいや勉強したものは身に付かない。
学んでいて楽しくなかったら本当に学んでいないのだ」と。

河合さんがそう得心したのは孔子の「論語」に出合ったからだ
といわれた。「之(こ)れを知る者は、之れを好む者に如(し)かず。
之を好む者は、之を楽しむものに如かず」。

学んでいる者より、好きだと思っている者が、好きだと思って
いる者よりも、楽しむものが一番上だという意味である。
楽しむ中で知識が身に付けば、こんなうれしいことはない。

同時に河合さんは「苦しみ伴わない楽しみは偽物だ」と忠告される。
学びとはまさに「苦楽」を共にすること。苦しんで難問を解いたときの
爽快感が忘れられない。一つの務めに苦しみもがいて、喜びを
勝ち取りたい。それが勇気なのだ。
 

オッドマン・セオリー

ある企業の人事担当者が「面白い女性を採用した」と
まんざらでもない様子。聞けば、試験の出来は悪かったが、
面接で「型にはまらず可能性を感じた」と言う。
職場改革にと期待していると聞く。

組織論の一つに「オッドマン・セオリー」という理論がある。
オッドマンとは半端な、風変わりな人という意味。集団の中に
一人異端の者を加えると、かえって組織がうまく機能するという。
野球やサッカーでも、普段役立たずだが、劣勢になると最高の
働きをする選手がいる。アリやハチの世界も同じらしい。
エリートばかりがいいわけでない。

はみ出し者や大ばか者が組織を引っ張り、やがて見事な戦う集団へと
変化させていく。古今東西、そんな偉人伝がたくさんある。今の日本に
オッドマンはどれほどいるのだろうか。

偏差値教育に飼いならされ、厳しい就活では狭き門を突破するため
「望まれる人間像」をマスターする必要がある。そうした努力が逆に
角を矯めて没個性にしてしまう。

労働政策研究・研修機構が行った調査によると企業が求める人材は、
かっての「協調型」から「自主行動型」へ変化している。これも
時代の要請といえる。

本来、若者はどこかオッドマン的な性格を有しているはず。
企業や社会が最初から都合のいい理想型を求めては人材が育たない。
キャリア形成の中で型破りな個性をたくましく伸ばせるかが問われる。


働く意義

<私は、会社のために働きに来るという社員は嫌いだ。
自分のためにいかに働くかが問題だ。会社のためが欺瞞(ぎまん)
であることは、本人が一番知っているはずだ>これはホンダの創業者、
本田宗一郎氏の言葉。自分の夢に向かって働き続け、ホンダを
世界的企業に育て上げた人ならではの名言だ。

今春、新社会人となった若者たちは当初の張り詰めた緊張感が
薄らいでいる時期ではないだろうか。GW明けごろから、新しい環境に
適応できない人たちに「五月病」と呼ばれる症状が現れることが多い
そうだ。

近年、厳しい就職活動を勝ち抜いた若者が2,3カ月であっさりと
離職する傾向が目立つという。就職することだけに傾注しすぎて、
働く意味や目的を見失っているのではとの指摘がある。

本田氏は、人は誰でも働くことは一切平等だという。
「人は誰でも、自分の生活を楽しみたい。自由になりたいと仕事に
精を出すものだ」。そのために自らを鍛えて、頑張り続けることが
肝要だそうだ。

若者には時間と言う資源が多いが、それは有限だ。老いは
確実にやってくる。現代のような困難な時代に企業は甘えを拒否し、
自立できる人材を求めているという。まずは自分のために働こう。

迷惑電話の撃退法は

最近、自宅の固定電話にかかってくる内容はセールスや
勧誘話がほとんどだ。こちらの都合にお構いなしにかけてきて
一方的にまくし立てるから、受話器を取るのが嫌になる。

先日、知人が受けたのは、太陽光発電システムの売り込み。
「電力会社が電気を高値で買い取るから必ず採算が取れる」
「近くに営業マンがいるのですぐに寄らせる」と強引だったが、
きっぱりお断りしたと聞いた。

本来、電話を受けたときには、こちらの名前を名乗るのが礼儀だが、
最近は「はい」としか応じない人が増えているようだ。これも
仕方ないことで、知人は以前、かかってきた電話に名乗ったばかりに
悪質な相手に名前を知られ、ずいぶん困ったことがあったという。

携帯電話の普及率が1人1台を超える一方で、固定電話の数は
急激に減っているらしい。一人暮らしの若い人や共働き夫婦などは、
自宅に固定電話を引く必要を感じないのだろう。

逆に、固定電話に出るのは在宅のお年寄りが多いから、
詐欺や投資話の標的にされやすい。新聞報道でも多額の金銭を
騙し取られたという記事が数多い。そんなこともあって、最近は
ボタン一つで迷惑電話の着信を拒否することができる電話機が
良く売れているという。

電話機を買い替えるのも一法だが、お金が掛かる。手軽で確実な
撃退方法はないものだろうか。

二枚目の名刺

最近、名刺交換した相手から「実はこういうこともしてまして」と
2枚目の名刺を差し出されたことがある。中には3枚目が出てくる
人もいて、話はその枚数に比例して長くなるばかり。
名詞は世界中で使われるが、肩書社会・日本には特に深く根付く。
役所の人から部署が変わるたびに渡されて、退職までに10枚ぐらい
もらうこともある。まめに取っておくと、「あの時はこうでしたね」と
話の接ぎ穂には便利だ。

役所や会社では、職責が重くなるほど名刺は簡潔になる。
同様に政治家も地位を極めると、墨痕黒々とした名前だけになる。
この反対は個人の手作り名詞で、中には人柄まで表れ、
小さな紙片に独特の表現力があることが分かる。

2枚目の名詞には、社会活動の肩書きが多い。短期間、
町づくり団体などを立ち上げ、その間だけ配る人もいる。
ある大学生は、ボランティアの日本支部幹部として数百人を束ねたが
肩書きに恋々とせず、さっさと身を引いて就職した。

聖徳太子の十七条憲法には「官のために人を求め、人のために
官を求めず」とある。官(役職)に適材を求めても、人のために
官職を設けるなという戒め。官も民も本質は同じで、やはり立場や
肩書きは、社会に役立たせるためにある。

2枚目の名刺を出す時、人はどこかうれしそうな表情を見せる。
2枚目は「好きでやっているから」なのだろう。そんな愉快な
肩書き社会なら歓迎したい。組織や団体の垣根を越えて
新しい動きになり、やがて地域に活気が生まれることだろう。

生きづらい時代だが

 <生まれた時が悪いのか/それとも俺が悪いのか・・・>
(「昭和ブルース」山上路夫・作詞)。団魂の世代が思春期を迎えた
1960年代末、そんな歌が流行(はや)った。若者を取り巻く
生きづらさは、今の時代がひどいようだ。

就職がうまくいかないことを苦にしたとみられる若者の
「就活自殺」が増えているようだ。2010年、2011年と全国で
150人を超え07年の2・5倍に上ると報道された。
リーマン・ショック後に急増し、高止まりが続いているという。

大学進学率が50%を越えている一方で、企業の雇用環境は
厳しい。長引く円高や欧州債務危機などが影を落とし、
非正規雇用の拡大や即戦力の厳選など採用枠を絞る傾向もある。

何社受験しても不採用が続けば「自分は社会に必要とされて
いないのでは」と自信を失い、落ち込んだりする学生も出てくるだろう。
それを不況期にあたった不運とか、自己責任で片付けるのは
酷すぎる話だ。

最悪の事態に至らないためにも「次の挑戦がある」と希望を持てる
多様な就職支援をすることが政治と社会に求められる。学生の側も
自分に合った企業を幅広く探して欲しい。雇用情勢はここにきて
一部に好転の兆しも出てきたようだ。就活中の学生も少なくない。
閉塞(へいそく)感に負けず、健闘を祈りたい。

行政改革

懐かしい名前を久しぶりに聞いた。「ミスター合理化」「行革の鬼」と
呼ばれた故・土光敏夫さんだ。先日、政府が新設した行政改革の
有識者懇談会が「土光臨調」を目指すそうだ。
土光臨調とは1981年に発足した第2時臨時行政調査会のこと。
東芝の社長などを歴任された財界人で、既に85歳だった土光さんが
会長に就任し、答申をまとめられた。

答申後も臨時行政改革推進審議会の会長として、行革の行方を
厳しく監視された。当時の旗印は「増税なき財政再建」だ。
国鉄の民営化や中央省庁の組織改革などに、多大な成果を挙げた。

今回の有識者懇。初会合での野田首相のあいさつは「『身を切る
改革をより一層行え』という国民の声を受け止め・・・」。どうも、
ぐずついたお天気のように、はっきりしない物言いに聞こえるのだが

特殊法人の統廃合や国会議員の定数削除などの身を切る改革。
消費税増税への熱意と比べてやる気が感じられない。
行革のポーズを国民に見せ、当面の批判をかわそう
という意図が見て取れそうなのだ。

「俺は紙くずを作っているのではないぞ。汗まみれの結果である
答申を反故(ほご)にすることは許せん」。土光語録の一つだ。
提言をどれだけ実行に移すか、野田首相の本気度がますます
試される。

ミャンマーの自由化

映画として「ビルマの竪琴」を見た覚えがある。市川崑監督が
最初にメガホンを取ったモノクロの作品だ。兵士たちが口ずさむ
「埴生の宿」の美しい合唱。僧となった水鳥上等兵が奏でる
「仰げば尊し」のメロディーが印象的だった。

その「ビルマ」から名称を改めたミャンマーで、民主化に向けた動きが
進んでいる。同国では長年にわたり軍事政権が続いていた。だが、
欧米からの厳しい経済制裁もあり、大きく方向を転換。先日行われた
連邦議会の補欠選挙は、国際社会から注目を集めた。

一連の民主化運動を指導してきたのはアウン・サン・スー・チー氏。
この間、度重なる自宅軟禁をはじめ、英国にいる家族との別離など
数多くの苦難があった。それにもめげることなく、固く重い扉を
少しずつこじ開けてきた。

彼女は「ビルマ建国の父」と呼ばれた将軍の娘。そうした血筋
だからこそ常人にはまねのできない、強い意志を持ち続けたのだ
ーと勝手に思い込んでいた。しかし、「地名の世界地図」(文春新書)
で調べてみると、ミャンマーとはビルマ語で「強い人」の意味。
なるほど合点がいった。

首都「ヤンゴン」の地名も興味深い。「戦いの終わり」という意味を持つ。
僧俗や学生など数千人が虐殺されたとされる自由化への戦いが、
いよいよ終わりに近づいたのだろうか。

あぁ、やっぱり自分は帰るわけにはいかないー。「ビルマの竪琴」の
ラストは、水島上等兵の心を代弁したオウムの声だった。
夫や子供と離れ、祖国にとどまったスー・チー・氏。二つの心が
重なって見えた。

ひな誕生を祈る

「 日本書紀」や「万葉集」で『桃花鳥』と記されている
朱鷺(とき)色の羽を持つトキ。江戸時代には全国で見られたが、
明治期に乱獲などで減り、戦後は佐渡島と能登半島に生息域が
限られ、絶滅の道をたどった。 トキがすみ着くのは里地里山。
ドジョウ、サワガニ、カエル、昆虫などを捕食する。

「佐渡で放鳥トキひな誕生」ー新聞やテレビに36年ぶりに
かわいい姿が映った。ビデオには親鳥から餌をもらう様子や
「ピピピピー」という鳴き声も記録されているという。しかも3羽も。
新たな命は野生復帰への第一歩。

13年前に中国から贈られたぺアで人工繁殖に成功し、
4年前から放鳥を始めた。44羽が生存しており、今回のペアを含め
10組の抱卵が確認されているといい、ひな誕生の続報も
期待できそう。ひなが誕生するには豊かな自然環境づくりが大事だ。

佐渡住民あげて、水田がトキの餌場に戻るように農薬を減らし、
冬期間も水を抜かない農法に着手。減農薬稲作の取り組みで
佐渡市が「世界農業遺産」に登録された。自然界には天敵の
カラスやテンなどがいる。すくすく育って、美しい舞が見たいものだ。
日々100種が全滅しているといわれるが、「放鳥トキひな誕生」は
全滅種復活の手本になる。

懐かし野球

昔の名前で出ています。今シーズンの中日ドラゴンズの
監督、選手の顔ぶれを眺めながら、こんな言葉が浮かんできた。
高木守道・新監督以下中日のかっての監督、スター選手が
古巣に戻ってリーグ3連覇を狙う。天才勝負師ながら偏屈を通した
落合博満前監督を引き継いだ里帰り陣容が懐かしい野球を誘っている。

その懐かしい野球に円熟の味を添えるように山本昌弘投手が
最年長記録を塗り替えた。先日の阪神戦で先発勝利投手として
球界記録、勝利投手としてリーグ記録を最年長で更新した。

46歳の年齢を刻んだ超ベテランは「この年齢になると
何をやっても最年長」と記録の枕詞(まくらことば)に苦笑い。
測ったような制球力で新記録を築いた試合は完封に近い
8回無失点。9回を締めた抑えの岩瀬仁紀投手は37歳。
46歳から37歳の完封リレーも年齢絡みの記録になるかも
しれない。

年齢絡みと言えば監督に復帰した70歳の高木監督を、
同じ里帰り組の73歳の権藤博コーチが補佐し、後期高齢者の
仲間入りを控えた首脳陣が老竜を率いる。山崎武司43歳、川上憲伸
36歳の投打主力の出戻り組ももう一花咲かせようとする。

阪神の和田豊新監督は現役時代に軽快な守備で80年代後半の
ヤングタイガースの一角を担った。弱くても若虎ともてはやされた
時代である。負けても負けても明日があるとファンは自虚趣味に
寄りかかるように甲子園に通い詰めた。野球はアラフォーからの
老竜パワーに球春の六甲おろしが肌寒い。

新入社員頑張れ

 「就職したらトイレ掃除の担当を命じられてね」。知人の子息が新入社員時代
を振り返る。大学を卒業し、社会での活躍を自信満々に思い描いていた。
会社勤めの地味な現実との落差に不満がたまる。

掃除をするために大学を出たんじゃない、もう辞めようかーと家族に相談し
た。父親が言葉を掛ける。「大学を出たなら、出たなりのやり方があるんじゃないか。
一生懸命考えてやってみろ」。男性は奮起し、あれこれ工夫して掃除に打ち込む。
与えられた仕事に精いっぱい取り組む姿勢が身に付く。
社会人として一回り大きくなった気がした。

見城徹さんら著「憂鬱(ゆううつ」でなければ、仕事じゃない」(講談社刊)
を読んでみた。「うまくいかない」と嘆く人に、見城さんは「君は体を張ったのかい?」
と問うている。<七転八倒しながら、リスクを引き受けて、憂鬱な日々を過ごす>
ことが大事と説いていられる。

今春、就職した若者と話す機会があった。思い通りにいかず悩むこともあろ
う。掃除だろうと何だろうとまず目の前の仕事に全力を尽くしてみる。
いつの間にか壁を乗り越え、成長した自分に気付くはずだ。

政治・政争

これで何人目になるのだろう。菅内閣当時の仙谷由人官房長官と
馬淵澄夫国土交通相、野田内閣での一川保夫防衛相と山岡賢次
消費者行政担当相。いずれも野党が多数を占める参院で問責決議案が
可決され、法的拘束力はないものの退任に至った。

今度は資質が問題視される田中直紀防衛相と、岐阜県下呂市長選の
告示前に特定候補への支持を依頼した前田武志国土交通相である。
自民党が二人の問責決議案を参院に提出して本会議で可決された。
問責を出されたのは政権交代後これで6人になる。もっとも、二人は
続投の意欲を見せているし、野田首相も辞任の必要はないとの考えのようだ。

確かに、田中防衛相の国会答弁はあまりにもお粗末すぎる。
前田国交相の行為も軽率のそしりを免れない。ただ、政争の具として
問責乱発は、国会審議をいたずらに停滞させるだけである。

いま国会では、原発の再稼動問題や、消費税増税関連法案などの
重要案件がめじろ押しだ。外交的にも、北朝鮮のミサイル発射に続く
核実験が懸念されているし、石原慎太郎東京都知事の尖閣諸島購入
発言も飛び出した。日中間がぎくしゃくするのは必至だ。

これでは被災地の復興もままならないだろう。日本の政治そのものに
「問責」を突きつけたいくらいである。


 

法隆寺の宮大工

法隆寺の宮大工棟梁の嫡孫として生まれたのに、小学校を出ると
農学校に入学させられ、そこを卒業すると農作業をさせられた少年がいた。
少年は、のちに法隆寺の昭和大修理と薬師寺の伽藍(がらん)の復興に
生涯をささげた。

「鬼」とも呼ばれた棟梁西岡常一さん(1908~1995)のことだ。
「土に学べ」と言われて育った。自然が土をはぐくみ、土が木を育てる。
それを肌で知り、「木と話す」ことができるようになった。

木は教えてくれる。同じ山の木でも太陽や風の当たり具合で木質が違い、
ねじれなどの癖も異なる。木質に合わせて柱や桁(けた)などに使い分け、
木の癖に合わせて組む。

晩年のドキュメンタリー映画「鬼に訊(き)け)(山崎祐二監督)ができた。
森林国日本の文化が生んだ"木のいのちのつなぎ方"を次世代に伝える
熱い語りに、観客の背筋はおのずからしゃんとなる。そんな映画だった。

法隆寺に使われたヒノキは薄く削ると芳香が漂うという。大修理の際は
樹齢千年余のヒノキを求めて台湾に行った。樹齢と同じ歳月を、
建ててもう一度生かす日本の技を、自国の材料で継げない現実も
映画は伝えている。

川崎市アートセンター(川崎市麻生区)で上映された。見終わって、思う。
木の質や癖に合うよう使って組むという言い方は人間社会にも通じる。
最後に棟梁は言われる。「間違ったら棟梁が腹を切るんやから、
恐れずにやってもらいたい。ごまかしでないほんまの仕事を」

ジェクト株式会社の創立者、現社長祖父から、棟梁としての話しの中
から訊いた「魂」をこの映画から懐かしい面影と言葉を思い出したことを、
現社長に語ったところである。

痩せ我慢

痩せ我慢を国の指導者に求めたのが、福沢諭吉である。
晩年「瘠(やせ)我慢の説」を著した。文中で勝海舟らを
批判している。明治政府への功労は認めながら、
幕臣である勝海舟が勝ち負けを試みず降参したのは
「日本国民に固有する瘠我慢の大主義を破り・・・
立国の根本たる士気を弛(ゆる)めたるの罪は
遁(のが)る可(べか)らず」と痛烈だ。

その本意は、平和裏に生まれた新政府が精神面で
空洞を抱えることになったとの警告にあった。
120年後、空砲はますます大きく、痩せ我慢なんぞ
永田町のどこを探しても見つかりそうにない。

福沢諭吉の時代に負けず劣らぬ危機に直面しながら、
ともに身をていする覚悟はなく、角突き合わせるだけの与野党だ。
寄らば大樹とばかり、なりふり構わぬ新党の動きで
、空虚な多弁だけが闊歩している。

「学問のすすめ」の最後で「人の顔色は家の門戸の如し」と
顔の大切さを説いた諭吉。痩せ我慢を忘れた政治に自身の顔で
飾られた紙幣が翻弄(ほんろう)されていると知れば、
どう思うだろうか。

危機対応

北朝鮮が「人工衛星」の打ち上げと主張した長距離弾道ミサイルの
発射は失敗に終わったと報道された。発射場を外国メディアに公開し、
平壌に記者を集めるなど、閉鎖的な国にしては異例の対応を取って、
技術力を誇示する狙いが裏目に出た。

日本政府の対応は問題を残す結果となった、と言わざるをえない。
政府のミサイルに関する発表は発射から約40分もたっていた。
発射直後には米軍から一報が入っていたがミサイルが通常の軌道
を描いていなかったために確認作業が難航し、これが大幅な遅れに
つながったと発表された。

緊急情報を全国に伝える[Em-Net(エムネット)」などを通じた
自治体や国民への速報も遅れることになった。幸いなことに
落下物などによる国内への影響は出ていないようだが徹底した
検証が必要だろう。
 
2009年にも北朝鮮のミサイルへの対応で当時の政府が
失態を犯している。政府は「発射」の謝った情報を発表し。5分後に
取り消している。上空を通過するとされていた東北地方の自治体や
住民は混乱に陥った。

今回の公表の遅れの原因は情報判断や伝達体制の未熟さに
あるのだろう。政府は迎撃体制を整え、万全の措置を取る、と
強調してきたが、過去の教訓が生かされていなかったことになる。
お粗末な危機対応ぶりは政府に対する信頼を、さらに失わせるもの
となりかねない。

天下りの輪

最近のニュースで、AIJ投資顧問の年金消失問題ほど
腹立しいものはない。運用実態を隠して勧誘しておきながら、
「だましたという認識は一切ない」と言い放つAIJの浅川和彦
社長の厚顔ぶり。

この問題で見逃してはならないのは、天下りの役回りだ
。旧社会保険庁のOBの一人が自身の人脈を使い複数の
厚生基金にAIJへの運用委託を勧めていたという。
「天下りの輪」が問題を拡大させた疑いがある。

厚労省の調べでは、全国の厚生基金の6割に721人の
国家公務員OBが役職員として天下っている。
大半は旧社保庁の厚生省出身だ。しかも資産運用に携わった
9割は運用の素人だったという。

「消えた年金記録問題」の陰でせっせと天下り、人の年金を
預かって自分の老後資金を稼いでいるわけだ。
運用を委託した理事長が同じ委員会で、2005年、
厚労省に運用難に陥った基金の解散を申し出たところ
「解散の基準に該当しない」と門前払いされたことを明かした。

解散のハードルを高くしているのは、天下り先を温存するため
との指摘がある。天下り天国が国民を地獄に落としている
としか思えないのだが。

迷いなく決断する

今年は将棋界に「名人」が誕生して400年。この間、名人の地位を
得たのはわずか25人。その中で、羽生さんは「永世名人」
(名人位通算5期以上)の資格を有する一人だ。

プロ棋士の思考のプロセスを聞くことができた。将棋では
一つの局面で80通りもの可能性があり、羽生さんは直感で
2,3の手を選び、残りは捨てるとそうだ。

なぜなら、たくさんの可能性から一つを選択する方が、
少ない可能性から選択するより後悔しやすいからだと語られる。
選択肢が多いほど「迷い」も生じやすい。

対局は「読み」と「大局観」「直感」の組み合わせ。大局観とは
具体的な指し手を考えるのではなく、今までの流れや全体の局面を見て、
方針や戦略を考えることであり、方針が定まれば無駄な考えが
省略されるという。

また、不調のときには生活に変化やアクセントをつけて乗り切る。
緊張やプレッシャーを感じるのは決して最悪の状態ではなく、
あと一歩のところまで来ており、自分の能力を発揮できる場面と
考えるなど。常に前向きなのも強さの秘密なのだろう。

変化が早く、情報にあふれている現代社会では決断に迷うことが多い。
目先のことにとらわれて全体が見えていないこともよくある。
いかに情報を取捨し、広い視野でものごとを見るか。後悔ばかりが多い
凡人ではあるが、参考になった。

大局観

将棋のプロ棋士と、コンピューターの対局がしばしば話題を呼ぶ。
男性プロ棋士が公の場で敗北したケースはないというが、
風向きが少々怪しくなってきた。

現役を引退したとはいえ、元トッププロの日本将棋連盟会長の
米長邦雄永世棋聖が年明け後、コンピューターの将棋ソフト
「ボンクラーズ」との対局で負けてしまったのだ。
「一手見落とした。私が弱かった」と米長会長。負けを認めつつも、
悔しそうな表情だったそうだ。

パソコンによって、多彩で長時間に及ぶ試合展開もほんのわずかな
時間で見ることができるようになったという。将棋の世界にも
コンピューターは徐々に浸透している。

ただし、簡単に見ることができるものは簡単に忘れてしまう。
今月、名人戦に挑む羽生善治2冠が先日の講演で、そう語って
いられたのが印象深い。プロ棋士は5年、10年後も正確に記憶して
いなければならない。そのためには、木の盤を使い、ノートに書く。
「五感を酷使することが大事です」。コンピューターとの切磋琢磨は
今後も続くだろう。

羽生さんによれば、対局は「読み」と「大局観」「直感」の組み合わせ。
計算や記憶の能力が高い10代や20代の棋士は「読み」が9割で
、残り1割が大局観や直感、年期を積むと大局観や直感に
比重を置くようになる。

大局観は具体的なことを考えるのではなく、方針や戦略を考える。
方向性が定まれば無駄な考えも省略できるという。「木を見て森を
見ず、の逆です」(羽生さん)。そいいえば、今の社会、政治を含め
大局観がなさ過ぎるように思えてならない。

武道の必修化

中学1,2年の保険体育で2012年度から男女とも武道が
必修化される。生徒が武道を通じ心身ともに鍛えられるのは
望ましいことに思えるが、賛成意見ばかりではない。
  
文部科学省が全国940校を対象に行った調査では、柔道を
選択科目として実施予定の学校が64・1%で最も多く、剣道
37・6%、相撲3・4%と続く。柔道はけがを懸念する声が多く、
安全を重視した対応が求められている。

中学のころ、わずかだが授業で柔道に触れる機会があった。
生徒の中で厳しいと恐れられていた経論が指導に当たり、
まず「受け身3年」と教わった。

後ろ受け身、前受け身、横受け身、前回り受け身を繰り返し練習し、
畳をたたく腕が赤くなり痛かった。投げ技も習ったが、痛さとともに
学んだ受け身の方が忘れ難い。その前にも後にも武道を
体験したことはなく、貴重な機会だった。

「人に勝つより自分に勝て」は柔道の創始者・嘉納冶五郎の言葉。
武道そのものが悪いわけではない。その精神に触れることで
得られるものは多いはず。安全の上に成り立つ貴重な経験の場に
なることを切に願いたいものです。
 

学生の部屋探し

今春、初めて親元を離れ大学生活を送るという若者も多いだろう。
この頃、1人暮らしの準備に追われる親の大変さを耳にする。
若者は期待を膨らませるのだろうが、親にすれば気苦労と
出費が膨らむ。

4畳半ぐらいの部屋だった。真ん中には木箱を2個並べた。
テーブル兼机だった。あちこちに波打っていた。50年余り前の
大学時代の部屋だ。寝床は押入れの上段で、書籍などを下段に
収納した。家具と木箱のほかは見当たらなかった。殺風景な暮らし
だったが、質素・倹約の実を挙げていた。

今の部屋探しは、ゆったり過ごせる物件に関心が集まるようだ。
家具や電化製品も一式買いそろえる。新生活に不便がないか
親の心配は絶えない。50年前の4帖半程度の生活環境に
比べれば、まったく別世界に思える。

もしも父親が仕事の関係で単身赴任が決まれば、荷物の量は
必要最低限だろう。こちらは子供よりもずっと身軽なものの、
家族を支える経済的な負担の方は時代と共に、一層ズシリと
のしかかる。

ジェクト株式会社で建設中だったシェアハウスの完成内覧会の
案内状が送付されてきた。現代にマッチした新しい賃貸建物のかたちで、
敷金・礼金がなく快適なシェア生活を送れるとの案内だ。
是非、見学したい。

謙虚さと優しさ

作家の司馬遼太郎さんが好んだ言葉に「原型」がある。
例えば「ロシアについて」という本で、こう書いていられる。
「その国が、国有の国土と民族と歴史的連続性を持っているかぎり、
原型というものは変わりようがない、と私はは思っている」。

ロシア人は一般に人が良いという。ところが国としての
ロシアは「過剰なほどに大砲ががすきで、無用なほどに
防衛本能がつよかった」。そこに、歴史の中で異民族の攻撃を
受け続けたロシアの原型を、司馬さんは見る。

一方でロシアはシベリア各地に学校を建て、先住民の子どもらに
教育の機会を与えた。そこから学者などの才能が育った。
獲得した土地に学校を建てるロシアの文明の「型」と指摘する。

それでは日本の原型は。一つは江戸期から明治末期の日本が
諸外国に示した「謙虚さ」だと、司馬さんは書く。言い換えれば、
自分を知り、自分と他者の良い点や立場を認める精神である。

震災では、冷静に助け合う日本人の姿が世界を感動させた。
自分に何ができるかを考え、被災者に心を寄せる。
その表れが「絆」の言葉だろう。優しさも原形だと思いたい。

被災地のがれき受け入れで、意見が対立している。
本はといえば原発の「安全神話」に寄りかかった結果だ。
安全を確かめた上で分かち合う道がないものか。
過ちを見詰め、何ができるかを考える謙虚さと優しさを、
私たちは変わらずに持っているはずだと思う。

あさま山荘事件

「あさま山荘事件」と聞いて、テレビにかじりついた冬の日を思い出すのは
50代以上の世代だろう。日本の犯罪史上に例のなかった事件から
40年が過ぎた。

振り返ると、1972(昭和47)年は戦後史の一つの節目の年だ。
沖縄復帰、佐藤退陣と田中政権発足、日中国交回復。戦後の
いくつかの課題が前進し、政治の主役が交代した。そんな年に
最も耳目を集めたのが、2月28日のあさま山荘をめぐる連合赤軍と
警察の攻防だった。

69年の東大安田講堂封鎖解除を境に、学生運動は急速に
しぼんでいく。一部が追い詰められて行き着いた先が軽井沢の山荘。
管理人の妻を人質に籠城して10日目、警察が山荘に強行突入。
人質は無事保護され、5人の犯人が逮捕された。

特筆すべきは、突入の様子がテレビで生中継されたこと。
鉄球による壁の破壊に始まり、ライフル銃を撃つ犯人との攻防は
8時間に及んだ。その一部始終が生の映像として茶の間に
届いた。視聴率は89,7%だったそうだ。俗に言えば、
脚本のないスペクタクルに息をのんだということになろうか。

程なく、山岳アジとで起きた「総括」という名の凄惨(せいさん)な事実が
明らかになる。彼らを駆り立てたのは何だったのか。一つの思想の結末、
異常な心理が招いた猟奇(りょうき)事件・・・。さまざまにいわれたが、
40年を経た今も明確な答えは出ていない。
東大合格発表の時期にふと思い出した。


 

なでしこ ジャパン

国際大会なのに観客席がなかったり、観客席はあっても
観客がほとんどいない試合場からの中継に「なんじゃこりゃ」と
毎度思ったが、そんなことはすぐに忘れさせる「なでしこジャパン」
の戦いぶりだった。

ポルトガルで行われた女子サッカー「アルガルベ杯」で
日本代表は準決勝した。最後はドイツに惜しくも敗れた。
世界勢力地図の中心部になでしこたちがいることを示すには
十分な結果だった。

国際サッカー連盟(FIFA)のランキングでいうと、ドイツは2位で
日本は3位だ。1位は米国。日本は最高峰のワールドカップ(W杯)を
昨夏に制したのに、、なんか変だなあ、と素人ながら
思わないでもなかった。

W杯をフロックとみる空気が一部にあったのだとしたら、
今回の準優勝で日本に対する評価は確たるものに変わる。
準決勝で米国に勝ち、決勝は2点先行されながら最後の最後まで
くらいついた。

劣勢でも下を向かない戦いぶりと、世界一といわれるパスの
つなぎ方に、磨きがかかった。「自分たちがどのくらいの位置にいるか
確認できた」(大野選手)との分析が頼もしい。体調不良の沢選手を
欠きながらもここまでやれた自身も大きい。

五輪ではもう一段上のサッカーを目指すというからいよいよ頼もしい。
日本に初めて敗れた米国チームからは「日本のサッカーは世界の
手本になる」「私たちももっとうまくならないと」との声が聞かれそうだ。

雛祭り

女の子の健やかな成長を願って飾られた雛人形の前でひし餅や、
ハマグリのお吸い物などをいただき、お祝いする家庭が多い。
「桃の節句」とも呼ばれ、雛壇最上の白酒の徳利に桃の木が
挿(さ)される。

現在の雛祭りの原型は室町時代にできたといわれるが、
庶民の間にも広がったのは江戸時代。桃の節句は江戸幕府が
季節の節目として定めた式日の一つになった。節句は五つあり、
ほかに1月7日は七草、5月5日は菖蒲(しょうぶ)、7月7日は
七夕、9月9日は菊の節句と呼ばれる。

季節の節目としては中国で生まれた二十四節氣もあるが、
節句には骨休みと特別な草花木を飾ったり物を食べて
お祝いする要素も含まれる。例えば男子の祭りの菖蒲の節句では
鯉幟を(こいのぼり)立て、ちまきや柏餅を食する。
菊の節句は菊花を飾るだけでなく菊酒を飲む習慣があった。

節句は農作業とも密接に絡み、休息して病気、邪気、害虫を除く、
払う行事なども付随する場合が多い。そして、桃と菖蒲の節句には
未来を担う子どもの成長を願い、期待する家族や地域の暖かい
気持ちを感じ取れる。拙宅でもささやかな膳を準備し家内と、
3歳になる孫の成長を願った。

 

船中八策

「竜馬が行く」の中で司馬遼太郎さんは、坂本龍馬の
「船中八策」について、「他の倒幕への奔走家たちに、
革命後の明確な新日本像があったとは思えない。この点、
竜馬だけがとびぬけて異例であったといえるだろう。
この男だけが、それを考えぬいていたと書いている。

龍馬の八策は、憲法制定や上下両院による議会政治、
不平等条約の改定、海軍力の増強など画期的な条文で、
後の五箇条の御誓文にまで連なる内容だった。
明治政府が憲法制定と議会開設まで20年以上を
要したことを考えると、龍馬の先見性がよくわかる。

この「船中八策」がにわかに注目を集めている。
橋下徹大阪市長が代表の地域政党「大阪維新の会」が
次期衆院選に向けてまとめた公約集「「維新版・船中八策」
の骨格が明らかになったからだ。評価する声も
あるが、机上の空論、絵空言という声も飛び交う。

あくまで骨格で、具体的な政策はこれからと言うから、
善し悪しの評価はまだ時期尚早だろう。ただ多くの人が、
前回の衆院選以降、選挙公約=マニフェストの無意味さを
思い知らされていることを、維新の会も重々肝に銘じてほしい。

橋下人気は、彼なら閉塞感を打破してくれるだろうという
期待感の現われだ。このままでは日本はどうなるのかと、
不安を感じている人々の期待に応えられる具体的な政策が
出てこないと、「名前倒れじゃ」と泉下の龍馬に土佐弁で笑われる。

休眠預金

便利なクレジットカードの普及により、カード払いで済ませる
買い物が多くなってきた。一方で、金銭取引の感覚が薄れ、
底を突きつつある預金口座も忘れがちな自分に気付かされる。

進学や就職を転機とした独立生活に際し、銀行や農協、
郵便貯金などに預金口座を開設し、生活上必要な各種の支払いや
入金用に充ててきた。転居など生活環境の変化に応じ、その都度、
最寄の金融機関に新たな講座を開設してきたことが思い起こされる。

最も古いものでは40年前までさかのぼるが、記憶があいまいで
思い出せない。一般的に10年以上放置された状態で預金者と
連絡が取れない場合、金融機関では「休眠口座」に分類。
全国で年間800億円以上の休眠預金が発生しているともいわれている。

この眠ったお金を、東日本大震災の被害地支援策に生かすべく、
政府が検討していることが、報じられている。一見、余ったお金の
有効活用にも映るが、本をただせば国民個々の財産であり、
"身勝手な使用"への抵抗感から反発が予想されることも確かだ。

当然、預金者の理解と同意が必要に思われるが、転居時などに
移転先を連絡しているわけでもなく預金者の追跡は難しいのが実態とか。
ましてや大半の休眠預金は残高が小額のケースが多く、
意識的に放置してきた面も否めない状況にある。

法律上、銀行預金は5年、信用金庫などは10年間利用がない場合、
預金者の権利が失われるが、預金者の求めがあれば払い戻しに
応じているという。この際、眠ったままの預金通帳がないか
再点検してみたいものだ。

故事ことわざ

人生とは、ままならず、じれったいものである。
故事ことわざで言えば、「寸進尺退」といったところか。
「手元の辞書によれば、すんしんしゃくたい、と読む。
「一寸進んで一尺退くこと。得るところが少なく、
失うところが多いこと」をいう。

寸(すん)や尺(しゃく)を使った故事ことわざには
「寸善尺魔」もある。すんぜんしゃくま、と読む。
「世の中には、よいことはほんの少ししかなく
、悪いことの方がずっと多いこと」とある。太宰治の小説
「ヴィヨンの妻」の名文は、こう語る。「人間の一生は
地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事で
ございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ず
くっついてまいります」。

さて、今の世の中、どれほどの人が寸や尺を
知っているだろうか。ピンとこない人が、大勢を占める。
若い世代に至っては、「寸や尺って、なあに?」といった
ところであろう。

寸や尺は、尺貫法(しゃっかんほう)の単位。
重さは貫(かん)で量った。一寸は約3センチ、その10倍
の一尺は約30センチ。一貫は3,75キロである。
太宰の作品の中にも「戸が二,三寸あいている」とか、
「二寸ばかりの高さ」などの表現が出てくる。メートル法に
取って代わられるまで、暮らしの中では尺や寸などを
使うのが普通だった。

名文は時代を超えて、後世の人に読み継がれる。
とはいえ、現代人は「寸善尺魔」「二、三寸」という言葉を前に
立ち止まって、頭の中で換算をする。太宰がもし
生きていたなら、さぞかし、じれったく思ったに違いない。

人口減少社会

50年後の日本はどうなっているのか?「なぁに、オレは
その頃まで生きていない」と無責任に開き直ることはできない。
これまでの人生経験に照らして一言ぐらいはアドバイス
すべきがOBとしての務めというものであろう。しかし実際は
どうなるのか?

厚生省は、日本の総人口は48年後の2060年までに
現在の3割減にあたる8674万人に減少するだろうという
推計を発表した。関東地方の人口がそっくり消える計算で、
25年後には1億人の大台を割りそうだ。

もっともこれは、少子高齢化の趨勢(すうせい)がこのまま
続くという前提の下に立っての推計だろうから、今後
「うれしい誤算」が生まれる可能性は高くないにせよ、
確率的にはあり得るだろう。いや思わぬ現象が起こって、
いつなんどき「多子低齢化」に転ずるとも限らないのである。
だからそう悲観的になることもあるまい。

とはいえ、その対策は講じておくべきだ。しかしそれは
いかに人口を増やすべきかという視点からではなく、
まさに税と社会保障の一体改革によって「高福祉少負担」の
未来モデルを構築することにこそあろう。

人口の減少は経済のパイを小さくするが、人口密度が減り、
地価も下がる。インフラの投下も少なくて済み、政府も行政も
規模が圧縮される。年金の受給者だって減る。こうした
仮定の中で理想的な国づくりを考えることだ。
端緒(たんしょ)は必ず開けるだろう。

円高

円高が止まらず、ついにユーロも安値になった。
対ドルは依然76円台をさまよっており、輸出企業は
青息吐息だが、化石燃料はじめ天然資源の多くを輸入に
頼っているわが国としてはコインの両面を見る必要が
あると思う。

円高はマイナスという声だけしか聞こえてこないが、
それは輸出競争力を前提に捉えているからで、シェアが
大きく独自の価格設定をできる業種、メーカーにとっては
むしろ加工原料を安く手に入れられる上に、利幅も
自由にできる現状は追い風というものであろう。
追随されやすい価格競争となるような製品にはさっさと
見切りをつけ、真似ができないような製品をつくる技術力を
磨けという"天の声"が聞こえてきそうだ。

円高はまさに日本に対する与信の大きさを示す証拠であり、
欧州の経済危機をはじめとする現状分析をもって、
エコノミストや学者が日本経済の先行きに対しいくら
危機感をあおっても、国民はそうはならないことを肌で
感じ取っている。
 
本来ならこれほど長いデフレスパイラルが続く日本経済は、
破綻の道をまっしぐらに走っているはずだが、そうとはならず、
賃金も何も上がらない状況にもかかわらず、経済は"低値安定"
している。これが日本の実力というものであろう。

いま世界のどこもが日本の技術と部品を必要としている。
それを支えているのが大中小企業を問わぬものづくり日本の
裾野の広さなのだろう。しかも個人の預貯金がGDPの
2倍弱もある。その"信用"の結果なのである。私個人の
素人としての考えだが。

隠居

定年近しの齢(よわい)となり、江戸落語のご隠居みたいに
なりたいもんだ、とぼんやり思うことがある。
このご隠居、江戸時代の人びとにも憧れだったようだ。
 
歌川広重は26歳で同心の家督を譲って隠居。浮世絵師になった。
松尾芭蕉は36歳、伊能忠敬は49歳で隠居しそれから偉業を成した。
江戸文化に詳しい社会学者田中優子さんは、隠居とは、やりたいことが
できる人生の到来だったと、書いていられる。

しかし隠居するにも、先立つものがいるはず。田中さんによれば、
武士だときちんと勤め上げたあとに隠居料が支給される。
農民や町人は相続財産から1~3割の隠居料を確保し、
相続者と契約書も交わしていたそうだ。

内閣府の有識者検討会が高齢者=65歳以上の定義を見直そうと
言い出した。国連が65歳を高齢者とした1950年代、日本人の
平均寿命は男63歳、女67歳だったが、今は男79歳、女86歳だ。

年齢の固定観念が高齢者の意欲を削ぐ、と検討会は指摘する。
そのココロは、社会保障の基準「65歳以上」を引き上げ、定年延長で
働き続けられるようにする。国の借金は膨らむばかりであり、「支える」側に
回ってほしいとの要請なのだろう。

やれやれ楽隠居など望むべきもない。といって落胆するには及ばない。
広重や芭蕉を見習えば、人生リセットして自らの道を歩むのが隠居だ。

 

 

NHK大河ドラマ「平清盛」

映画「地獄門」(1953年公開)は、平安時代の武士が
人妻に懸想、人妻が夫の身代わりに武士の凶刃に倒れる物語だ。
武士は長谷川一夫さん、人妻を京マチ子さんが演じ、カンヌ
映画祭でグランプリを受賞した。

武士は後の僧侶・文覚の遠藤盛遠、人妻は渡辺渡の妻・袈裟
(けさ)で、菊池寛の戯曲「袈裟の良人」を原作としている。
原作には「平家物語のころ」とあるから、平安末期の物語だろう。

その盛遠が吉川英治の「新平家物語」冒頭に出てきて驚いた。
平清盛が学んだ学舎の学友との設定だ。清盛の生誕は元永元
(1118)年、盛遠=文覚は20年ほど下るから学友はあり得ないが、
物語の展開上、必要だったのだろう。

「新・平家」にはもう1人、出家した武士が出てくる。後に西行となる
佐藤義清だ。父を慕う4歳の娘を縁の下に突き落とし、泣き声を
聞きながら髻(もとどり)を切ったと描かれているからすざまじい。
西行は清盛と同じ年生まれ、同僚だった可能性もある。

NHKの大河ドラマ「平清盛」が始まった。51作目となるようだ。
序盤は若き清盛が描かれ、義清も同僚として登場する。
「平家物語」には文覚の紀述はあるが、西行の記述は見つからないから
「新・平家物語」などを参考にしたのかもしれない。

権力の頂点まで上り詰めて栄華を極めた清盛と、俗世を絶った
法師らは、今後どんな交わりを見せるのだろうか。、そんな
視点からの鑑賞も興味深く楽しみにしている。

商業ビルの新感覚

年明け早々に都内で知人と会食することになり、
JR有楽町駅で待ち合わせをした。この周辺に足を運んだのは
半年ぶりだったが、短期間での変貌ぶりに驚いた。

およそ一年前に閉店した西武百貨店が、JR東日本系列の
ルミネとして生まれ変わっていた。半年前はまだ改装中で、
入り口周辺は看板で覆われ、暗さばかりが目立っていた。

ビルそのものを新築した訳ではないので、店内は決して広い
とはいえないが、そこを逆手にとってお目当て以外のショップも
のぞいてみる氣にさせようと、テナント店舗をうまく配置されていた。

中年の男性には「場違い」と感じるところもあろうが、
各階にカフェがあり、また昨秋、国内最大級のメンズファッションの店舗
として生まれ変わった阪急とも通路でつながっているので、ご婦人が
買い物に熱中している間に暇をもてあますことはないだろう。
動線もうまく考えた空間づくりに感心した。

少し前の経済ニュースが、この両店舗の改装オープンと、
国内外のファストファッション店の進出により有楽町、銀座周辺の商店街に
新しい人の流れができ、活気づいたと伝えていたことを思い出した。

受験

受験シーズンになると菅原道真を思い出す。
「学問の神様」として知られる人だ。道真は870年、
最高の国家試験「方略(ほうりゃく)試(し)を受ける。出題は2問。
「氏族を明らかにせよ」「地震を弁(わきま)えよ(論ぜよ)」。
この当時から地震への関心は高かったらしい。

というのも前年に陸奥国で大きな地震があった。
人々は、家が倒れて圧死したり、地割れに埋まったりして死んだ。
津波も多賀城(宮城県)の城下まで押し寄せ、溺死者が
千人ばかり出たという。東日本大震災で話題になった
貞観(じょうがん)地震だ。その前の年にも播磨地震(兵庫県)が
あった。

さて道真の試験結果はどうだったか。第1問では
歴史の考証の不備を指摘される。第2問では
「地震の起きる理由が押し極めておらず、妄(みだ)りに
種々の考えを述べ・・・」と厳しい評価。が、道筋はほぼ
整っているなどとして、合格判定だった。(寒川(さんがわ)旭著
「地震の日本史」)。

ただ、合格点としては最低の「中の上」。当時の試験官は、
甘くすると沽券(こけん)に関わるとでも思っていたらしく、
答案に文句をつけ、合格点も「中の上」が普通だったとか。
が道真は「合格したといっても虫の食った桂の枝を折ったようなもので、
父上に申し訳ない」と嘆いたという。

今日で大学入試センター試験が終わった。受験生たちは
寝る間も惜しんで、猛勉強の日々を送ってきたことだろう。
苦労して培った力だ。すべて出し切ったことだろう。
結果は自(おの)ずとついてくるはずだ。「学問の神様」でも
やっと試験に受かっていた。と思えば氣も楽だ。

初競り

気温、水温、海の匂い、月の位置、潮の満ち引き。
全てに目を配れる経験と勘が必要だ。むろん運も。
漁師という仕事のことだ。新年早々、青森・大間の漁師さんに
幸運の女神が舞い降りた。東京の築地市場の初競りで、
大間のクロマグロが5649万円の市場最高値で競り落とされた。

広大な築地市場はいくつもの競り場に分かれている。
近海物の天然クロマグロは市場の最奥、王の王座のような
位置で競りを待つ。「海のダイヤ」とまで称される魚の貫禄だろう。
ところが、そのダイヤ、海外勢に買い負けることしばしばだった。
ことしは東京のすしチェーン店社長が落札した。その言葉がいい。
「海外ではなく日本の皆さんに食べてもらいたかった。みんなで頑張ろう
と景気づけをしたい」

通常価格で提供されたそうだ。宣伝効果を計算した上での入札には
違いないが、太っ腹の社長に拍手を送った人は多かっただろう。
その調子、その調子、沈滞が続く日本経済もその調子で上向いて
くれるといい。クロマグロが泳ぐ速度は最大で時速80~90キロそうだ。
眠るときも泳ぎはやめないで一生を泳ぎ続けて餌の魚を捕るという。
泳ぎ続けるマグロの景気のいい落札劇だった。なにやら活を
入れられた気分になった。

総力戦

正月になくてはならない「箱根駅伝」。今年で88回とは本当に
長い歴史を紡いできたものだ。伝統のレースは数多いが
今年もきっと記憶に残るだろう。東洋大が往路4連覇に復路を加えて
圧巻の総合優勝を果たした。

 「僕が苦しいのは1時間ちょっとなので福島の人に比べたら
大したことはありません」。その言葉にはジンとさせられた。
福島県いわき総合高出身の柏原竜二選手。ありきたりだが、
力を振り絞って箱根の山を駆け上る様に復興への願いを
ダブらせた人も多かったに違いない。

駅伝の名は奈良時代の律令(りつりょう)制に定めた「駅場伝場」が
由来という。政府が地方に通達を出したり、情報を集める時、
使者が宿泊する駅や乗り継ぐ馬を確保しながら移動した。
そこで着物にたすき掛けをしたかは定かではないが、駅伝は
大事なものを人から人へつなぐ姿そのものだ。

東洋大の酒井俊幸監督が出したコメントも、優勝できたのは
走った選手だけの力ではないというものだった。「部員全員、
マネジャーも総力戦。そして早大や駒大などライバルがいたからこそ
強くなれた」。決して忘れてはならない大切なバイブルを見たような
大会だった。

一富士、二鷹、三茄子といえば、初夢で見ると、縁起が良いとされるもの。
富士山、鷹狩り、初物の茄子を徳川家康が好んだことや、「無事」「高く」
「事を成す」の語呂合わせ説などが、諸説ある中の代表的な起源といわれる。

今年の吉凶を、占う初夢だけに、明るい楽しい夢に越したことはない。
悪い夢を食べてくれるという、架空の動物「獏(ばく)」の字を書いた紙を
枕の下に敷いて寝る週間もあると聞いたこともある。

想像上の動物といえば、今年の干支(えと)「辰」もそうだ。
十二支では唯一、人間がつくり出した動物。東洋は竜、
西洋ではドラゴン。日本などでは神聖視されることが多い。

 竜は巨大なパワーやエネルギーの象徴で、身を立てて天に昇る
意味もあるようだ。中国では皇帝のシンボルとされ、「国民総幸福量」
を国是とするブータンの国旗には白い竜が描かれている。

それにしても「昇り竜」とも言われるように、辰年は上昇機運が高まる
縁起がいい年とされる。新幹線が開業して東京五輪が開かれ、
青函トンネルや橋が開通したのも辰年だった。今年5月には
東京スカイツリーが開業する。


災害のない年に

この一年を一言で表現するとしたら、色々あっても「激動の年」
は外せない。肝心な政治経済は今なお国内外ともに
揺れ動いたまま。エジプトやリビア、チェニジアなどで民主化運動の
勝利が象徴的だが、さらにユーロ圏では深刻な財政危機です。

ギリシャに端を発し、イタリアなどでも現実問題になってきた。
その影響は円高となって我が国にも押し寄せ、厳しい財政運営、
経済環境を強いられている。まさに政情不安であり、経済不安だが、
その課題処理は来年以降へ。内政面で山積している課題も然りだ。

一方、社会現象に目を向けると、今年は大規模な自然災害に
見舞われた年でもありました。多くの日系企業も水没したタイの
大洪水もそうだが、国内では大雪、大雨、大地震・・・。
年末年始に鳥取・島根を襲った大雪で漁船380隻が沈没、
国道で千台の車が42時間も立ち往生。

9月初めには三重や和歌山、奈良県で、土砂崩れダムという
新語が物語る記録的豪雨があった。それより何より3月11日の
東日本大震災である。誘発された大津波は沿岸の街を次々と
飲み込み、1万5843人(12月22日現在)の命を奪い、
行方不明の人はなお3470人余と警察庁で発表されている。

多くの人が仮住まいを強いられている。さらに、東電・福島
第一原発の崩壊による放射能汚染の直接、間接の被害は広がる一途だ。
復興の動きも緒についたばかりのようだ。ちょっと気が、
早いのですが、来年は・・・こう願わずにはいられません。
「災害のない年に」 本年も『岡目八目』ご愛読有難うございました。
ジェクト社長、各位のお力添えに感謝しています。ジェクトも、
「新しい感覚と新しい工法で建設業にご尽力されています。
来年はますます「まちづくり」に、ご貢献されますことを
祈願し本年の最後のブログといたします。皆様方には、
ご健勝で良いお年をお迎えくださいますよう。来年も日々の
ニュースを軸に『岡目八目』でお伝えしたいと思っております。

(M.N)

 

価値観

先日のNHKテレビ番組「瀬戸内寂聴青空説法」で
「忘己利他(もうこりた)」の話を拝聞した。伝教大師・最澄の
「己を忘れて他人の利益のために尽くす」ということ言葉だった。
これを実行しているのがボランティアだという。

青空説法で寂聴さんは陸前高田市でボランティアで活動する
若者たちと出会ったエピソードを語っていられた。
今回の大震災では多くの若者たちが被災地でボランティア活動
をしている。こうした姿から人は生来、人を助けるという遺伝子を
持っていると痛感した。よく「今どきの若者は・・・」
と嘆く中高年もいるが、若者たちにしっかりと他人を思いやる
「忘己利他」があるのだと心強い思いがしている。

第2次世界大戦後の経済成長の原動力となった経済至上主義。
これは経済成長こそすべてという価値観であり、必然的に
会社人間が励行、優遇された。会社で出世してお金をたくさん稼ぎ、
家族を幸せにする。それが今の若者たちの親世代のおおかたの
価値観だった。

ところがそれを見て育った若者たちは経済成長だけを追い求める
ことの無意味さや日本経済の厳しい現状を理解することで、
親世代と考え方が変わってきた。

これまでの経済活動一辺倒の価値観から少しずつ他者のために
自分ができる範囲で何かをしようという「忘己利他」の精神が芽生え、
仕事一筋より仲間と助け合って生きていくことの大切さに気付いた。
「『もうこりた』を『もう懲りた』にしちゃだめよ」。
青空説法のあとに広がる笑顔と涙に、寂聴さんの底知れぬ魅力を感じた。

(M.N)

NHK大河ドラマ

来年のNHK大河ドラマは「平清盛」という。書店に清盛の
関係本が多数並んでいる。武家の栄枯盛衰の物語はいつの世にも
人気のようで過去にも「源義経」「新・平家物語」「草燃える」
「義経」が放映された。

今回の清盛役はむつ市出身の松山ケンイチさん。活躍目覚しい
人気俳優だが、大河ドラマの主役なら俳優として大出世だろう。
来年こそじっくり見ようと思う。

清盛の時代と言えば、東北地方は藤原三代で最も栄えた秀衛の時代に
あたる。都では武家が台頭し、源氏と平氏が激しく対抗していた。
当時、平泉の軍勢は、約17万。馬産地である奥州の動向を
源氏も平氏も注視していた。

だが、秀衛は東北の独立を守るため、兵は鍛えたが、中立の立場で動かず、
北方の王者として君臨した。清盛が太政大臣になってすぐ、秀衛は
鎮守府(ちんじゅふ)将軍に任ぜられるが、欧州勢を恐れた清盛の推薦
とされる。清盛死後に陸奥守(むつのかみ)に出世するが、清盛の遺言
だったようだ。

ちなみに奥州の奥、こちら糠部(ぬかのぶ)の地は、藤原氏の勢力下
にはあったが、ある程度の独立性を保っていたらしい。源頼朝の
奥州平定までの間、しばらくは平和を享受していたようだ。

(M.N)


恐怖

ブリヂストン美術館で野見山暁冶(ぎょうじ)展を見てきた。
野見山さんはもうすぐ91歳。鮮やかな色彩と自由奔放な筆遣いで、
自然の奥に潜む本質を描き出す推象画で知られる画家だ。

長野の無言館に展示されている戦没画学生の作品収集に
最初に取り組んだ人でもある。10代の作品から最新作まで紹介する
今回の回顧展には、特別出品として「ある歳月」と題する
巨大な作品が展示されていた。

今年6月に東日本大震災の被害地を訪れ、そのときのスケッチを
もとに描いたという作品だ。最近エッセー集「異郷の陽だまり」
によると、テレビで被災地の惨状を見ているうちに
「その中に立ちたい」と唐突に思ったそうだ。

「すべての景色はうつろうものだ。魔性を孕(はら)んいる
ものは美しい」といった自然観を持つ野見山さん。だが、
原発事故で人が消えた集落の静けさには恐怖を感じてこうつづる。

「人間はもう取り返しのつかないことに手を染めたのだという
思いがつのる。・・・さほど遠くない将来、地球は壊されてしまうと、
殆ど確信に近い恐怖をぼくは抱いている」。

作品「ある歳月」には、すさまじい勢いで押し寄せる
津波のような、ささくれた線も見て取れた。荒々しさの中の
不思議な静けさは何かへの祈りなのだろうか。福島で
野見山さんが抱いた地球が壊される恐怖」を現実のものには
したくないとつくづく願い祈った。

(M.N)

庶民の願う平和

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が終わった。
戦国時代を生きた名だたる武将や姫が「太平の世」を願い、
幾多の犠牲の末に徳川が天下を始める物語になっていた。

絶対的権力を持つことで逆らうものを出さないという
「太平の世」を目指して戦わなければならない悲しさ。
「太平の世」とは庶民の願う平和と同じなのだろうか、
と思いながら見ていた。

12月8日、真珠湾攻撃から70年を迎えた。映画「聨合艦隊
司令長官山本五十六」が今月公開となる。山本五十六に対する
評価はさまざまだが、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に反対し、
日米開戦になると早期和平の作戦を立てたとされる。
なぜ真珠湾攻撃で自ら開戦の火ぶたを切ったのか。
映画の公式サイトを見ると、その謎を解き明かすとある。

欧米諸国の植民地支配から解放し、日本を盟主とする
共存共栄の新たな秩序をつくるという大義名分「大東亜共栄圏」
で突き進んだ戦争が、庶民の願う平和と同じであろうはずは
なかった。戦国時代などの歴史から学ぶことは戦術ではなく、
争いを起こさないための方策であるべきだった。

同サイトでは、不況、雇用不安、所得格差、次々と交代する
総理大臣など、昭和初期から戦争が始まるまでの十数年と
現在の状況をダブらせていた。政権交代で諸問題が、解決するか
のような幼想は去った。
権力争いではない解決策を講じなければならないと
歴史は語っている。

(M.N)


落語を愛した人

古典落語の名手、鬼才、超のつく毒舌家、反逆児・・・
この人ほど多彩な才能にあふれ、同時に「破天荒」という
言葉が似合う芸人もいまい。落語家の立川談志師匠が
75歳で亡くなった。

45年前に始まり、いまだに人気のテレビ番組「笑点」の
初代司会者。大喜利で、答えの面白さによって座布団が
もらえたり、取られたりする仕掛けを考案したという。
畳を積み上げた上に座る牢(ろう)名主にヒントを得た
というから、才気が知られる。

若いころから落語のうまさに定評があり、将来を
嘱望されていた。が、その後は参院議員に当選したものの
"放言"を連発したり、真打ち制度などをめぐり落語協会と
対立して脱会したり。人生の軌跡は波乱に富んだ。

高座から居眠りしている客を見つけ、「やる気がなくなった」
と噺(はなし)を中断したのもこの人らしい。しかしこれは、
落語を深く愛すればこそ、食道がんを公表した後も、
高座に上がることにこだわり続けた。

晩年に語っていられる。「長生きをする人は暴飲暴食をしない。
それじゃ面白くない。生きてっるていうだけじゃ、おれはだめ」
「引き際、死にざまほど難しいことはない」。

先輩の六代目三遊亭円生、上野動物園のパンダが死んだのと
同じ日に亡くなった。それで翌日の新聞記事の扱いが小さくなった。
「どんな死に方を望むか」と聞かれた談誌師匠、「そんな日は
避けよう」。最後まで才気を振りまいて、旅立たれた。

(M.N)


 

稀勢の里大関昇進

稀勢の里が大関に昇進した。技巧や派手さは薄いが、
力と気迫で正面から全力でぶつかり一歩も引かない相撲は、
師匠の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)に似ている。

早くから大関候補と言われた稀勢の里は今場所、
師匠の急死という悲しみの中での土俵となった。
ここ数年は一進一退の星勘定が多かったが、昨年の九州場所で
白鵬の連勝を63で止めた実力は十分。今場所も
正々堂々とした取り口で、審判員らの高い評価を得た。

先代鳴戸親方は現役時代、糖尿病を患いながらも辛抱と
精進を重ねて横綱に登りつめた。猛稽古で肩に隆起するように
ついた筋肉と、腰は高いが怪力で相手を投げ飛ばす相撲を忘れない。
引退後は弟子の指導に熱心で、土俵外でも「人間の幅を広げろ」と、
読書や芸術鑑賞を勧めたという。

稀勢の里はインタビューで「親方に指導してもらったことを思い出し、
しっかりと相撲をとった」「慢心しないでもっともっと上を目指す」
と述べた。悲しみを乗り越え、亡き師匠への恩返しの報告と決意表明
となった。

日本力士の低迷に合わせるように、相撲人気が下降した。
そうした中、琴奨菊に続き、二場所連続で日本人大関の誕生という
朗報だった。存亡がかかった土俵際の今こそ、日本人力士の再起が
欠かせない。稀勢の里、琴奨菊が新たな時代を切り開くことを願いたい。

(M.N)

三現主義

日本の経済成長を支えたのは「三現主義」だといわれる。
問題解決には机上の論理でなく「現場に行く」「現場を知る」
「現場をとらえる」ことが重要という教えだ。

それを象徴する人といえば、伝説となった二人の創業者だろう。
ホンダの本田宗一郎さんと、松下電器(現パナソニック)の
松下幸之助さんで、両氏の信奉者は今も多い。

本田さんは、F1レースでエンジンが故障した時に、
言い訳する設計者に「実際に経験もせんで、偉そうなことを言うな」
と一喝し、自分で修理したという。

鍛冶屋の息子で、根っからの技術者だった本田さんらしい
エピソードだ。さらに現場にこだわった人ならではの名言も残した。
「最初に失敗したやつが一番偉い」。何よりチャレンジ精神を称揚した。

もう一人の松下さん。ある会社社長が「知恵あるものは知恵を出せ。
無き者は汗を出せ。それもできない者は去れ。と訓辞したのを聞き
「あかんな、つぶれる」と言ったという。

「本当は、まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それが
できない者は去れ。。こう言わなあかん。松下さんの予想は的中した。
(斉藤孝著「説教名人」)

確かに判断に迷うとき、あれこれ頭で考える場面はあるが、
最終的には「現場」「現物」「現実」を見ることが肝心。
「三現主義」だ。課題が山積する日本の政治家や経営者には、
ぜひかみしめて欲しい言葉である。

(M.N)

縮み社会に抗して

「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだっ」と植木等さんが
歌ったのは、50年も前のことだ。時代は高度経済成長にかじを切っていた。
所得倍増の掛け声にあわせて朝は朝星、夜は夜星、人々は脇目も
振らず働いた。

テレビに冷蔵庫、洗濯機は高価だったが、生活を切り詰めれば
手が届いた。三種の神器と呼ばれたそれらの製品が、明日は今日より
よくなるという成長神話を描いてくれた。株価も上がるし地価も上がり
続ける。人々はローンを頼りにマイホームの購入に走った。

そういう流れに影が差して久しい。人口は長期にわたって減り続け、
企業活動も消費も低迷を続けている。税収は減り、勤め人の給料も
上がらない。懸命に働いても、分配に充てる成功の果実は小さくなる
ばかりだ。逆に年金や医療費の負担は増えていく。

政治家も小さくなった。国家の経綸(けいりん)を述べるより、
小さくなった果実の奪い合いに血道を上げる方が重宝される。
それを怠れば、選挙で落とされる。それが政治という器をますます
小さくさせる。

そういう時代をいかに生きるか。先日、大学で働く友人と話し込んだが、
結論は「頭に入れれば重くない」。とにかく教育に力を尽くし、
若い人の知的思考力を養うしかないのではないか。ということに落ち着いた。

知力と国境を越えて暮らしていける体力。それさえあれば、落日の時代にも
和やかに生きていける。もっと、教育に目を向けたいとつくづく感じる。

(M.N)

 

ブータン国

幸せかどうかはお金やモノでは測れないという。ないよりは
あったほうがいいとは思うが、やはりモノでは満たされないものが
そこにある。来日中のブータン国王夫妻を見て、ふと思った。

インドと中国に挟まれたブータンはチベット仏教の国。
互恵互助の伝統やボランティア意識が若者たちにも受け継がれ、
「幸福立国」とも言われる。

憲法には、国民がどれくらい幸福かを示す「国民総幸福」
という指標が設けられ、政府は国民の幸福感を満たすために
何を行うべきかを知り、政策に反映させるという。

日常的なストレスを感じているか、睡眠や働く時間は、
家族がお互いに助け合っているかなど、わが身を振り返ると
果たしてーと思われる項目もあるそうだ。

来日中の国王夫妻は包容力や優しさ、人を思いやる心が
全身からあふれ、見るだけで幸福感を覚える。東日本大震災の翌日、
国王は一日中、日本のために祈り続けたとも聞く。

経済発展も確かに重要ではある。それにも増して心の豊かさが
今私たちに問われているのではないか。心に感じる小さな幸せを
大切にしたい、としみじみ思う。

(M.N)
 

人型ロボット

電話中に目の前で別の人に話し掛けられ、どちらの声も
聞き取れず困ったことがある。同時に複数の人の話を聞くことが
できればいいのだが、一度に二つのことはできない性分だ。

先日、ホンダが発表した人型ロボットASIMO(アシモ)の新型は
同時に複数の人の顔や言葉を認識できるといい、聖徳太子も
びっくりの性能だ。

対向して歩いてくる人の動きを予測してぶつからないように進み、
片足ジャンプも可能。瓶を手に取りふたをひねって開け、手話もできる。

2000年に誕生したアシモ。当時は二足歩行に驚かされながらも、
その動きにロボットらしさを感じた。年々進化し、今は人をも超える
性能を備えた。ロボットが大概のことをこなすようになれば、人は
どうなるのか。

「百のうち九十九まで失敗する。われわれは勝負師ではない。
負けても何が原因で負けたのかを追求することに意義がある」とは
ホンダ創始者・本田宗一郎氏の言葉だ。

アシモも幾多の失敗と追求のたまものだろう。人とロボットの境目が
薄れていくが、たまに失敗するぐらいの愛嬌は残しておいて欲しいと
負け惜しみを言いたくなる。

(M.N)

秋の陣

秋の日を浴びて天高く聳(そびえ)え立つ大阪城天守閣。
その天守閣が復興されて11月7日で80周年を迎えた。
秀吉時代の首都・大阪の歴史をたどるイベントが催しされて
いるそうだ。秀吉が築いた大阪城は、豊臣家繁栄の象徴。
城を中心に城下町・大阪を開き、今日の商都・大阪の礎を築いた。
首都・東京と並ぶ2大都市として日本の発展の一翼を担ってきた。

時代は移り、今、府知事・市長ダブル選が熱く燃えている。
大阪市を解体し「大阪都」構想の実現を目指す橋下前知事、
片や真っ向から反対し「特別自治市」構想を掲げる平松前市長。
府と市のトップ2人による前代未聞の直接対決である。

維新の会に既成政党も加わっての戦いは、単に大阪だけの争いに
とどまらない。いずれが豊臣か、徳川かは知らぬが、大阪を
二分する戦いは、豊臣と徳川の攻防・冬の陣、夏の陣をもじって
「秋の陣」とも称される。

愛知県と名古屋市の「中京都」構想や横浜、神戸など政令都市の
「特別自治市」構想も持ち上がっている。秋に陣の行方はこれからの
地方自治や大都市のあり方を左右する大きな機会にもなる。
NHK大河ドラマ「江」では、ひと足早く大阪の陣が決着した。

(M.N)


経済成長

これからどうやって再生するのだろうか。世界経済を揺るがす
ユーロ危機の火種となった、ギリシャである。欧州各国が話し合いを重ねて、
ようやく危機を収める枠組みができたようだ。膨大なギリシャの借金は
半分近くを棒引きにするそうだ。それで経営の屋台骨が揺るがないように
銀行は自己資本を厚くする。今後、同じように財政難に陥る国が出てくる
のに備えて、各国で基金を積み増すとのことだ。

だが、あくまで最悪の事態をにらんだ貸し手の防衛作である。
古今東西、貸し手が行き詰った借り手の将来まで案じてくれはしない。
借金に頼らず国の経済を成り立たせる道は、ギリシャが自ら切り開く
しかない。

政府は財政再建を揚げて増税や年金削減を断行し、国民の怒りを
買っている。55歳から受け取れる年金などの厚遇には共感しづらい
面もある。しかし将来展望が示されないままリストラを強いられるだけでは、
猛反発する心情も分からなくはない。

地中海の青い海と空。白く輝くバルテノン神殿。世界中から観光客が
集まり海運業も盛んな国だが、ほかに目立った産業はない。
経済を成長させて国民の懐を温め、税収を伸ばさなければ、いずれまた
借金が増えるのは目に見えている。

ギリシャの二の舞だけは避けようと、日本でも財政再建の議論が
熱を帯びている。とはいえ増税や節約ばかりでは国民の士気は高まらない。
元気が出るような経済成長の種を、上手にまく必要があるのだが。

(M.N)

あだ名

あだ名を直感でつけることが似顔絵を描くツボ、といわれるのは
政治漫画を仕事にしてきた山藤章二さんだ。この世界に入って
彼の初のモデルになった首相が田中角栄氏とのことだ。

人間味のある人物だったために政治家を表現する面白さにたちまち
魅入られたという。つけたあだ名は「ちょびひげをつけたコッペパン」。
以来歴代首相に自分流のあだ名をつけて似顔絵を描いた。福田赳夫氏は
「穫(と)り入れを忘れた古いヘチマ」。言い得て妙だ。

野田佳彦首相がテレビカメラの前で記者の質問に答える、
ぶら下がり取材を拒んだままだ。「駅前以外語らないノダ」などと
なってはいけないと思うのだが。「延長負け戦」で党を崖っぷちに
追いやった前首相の管直人氏のときも途中からやめている。

「古いヘチマ」は4人前の首相、福田康夫さんの父だ。
その親子の間にいた首相は15人。在職期間は1人平均1・7年。
同じ期間内に首相をした竹下登氏の「歌手1年、総理2年の使い捨て」
の名言も的確ながら、使い捨て状態がひどくなったのは言うまでもない。

野田首相もそれは望まないはずだから国民との距離は十分考えて
いられるはずだ。ぶら下がり会見の代わりを検討中なら、晴れても
降っても日々語る方法がいいと思う。同首相が理想とするのは
地味で着実な仕事ぶりから小渕恵三、大平正芳両氏だそうだ。

小渕氏が「山から降りてきた炭焼きおじさん」、読書好きだった
大平氏は「書斎が好きな平家蟹(がに)」だ。山藤さんのエッセー
「まあ、そこへお座(すわ)り」にある。あだ名の寸評はお任せする
としてあだ名も首相本人の気概や努力次第といえると思う。

(M.N)


自転車は車両

自転車は原則、車道を走るもの―。警察庁は、「自転車は車両」
との意識を浸透させることで事故を防ごうと、車道走行と、
交通ルール順守の徹底を全国の警察本部に指示した。

自転車は免許が要らない手軽な乗り物で、車両という意識が
薄れがちだ。一時停止の標識の標柱に「自転車も止まれ」と
書いてあるのを見たことがあるが、守る人はどれぐらいいるだろうか。

自転車のルール・マナー違反に遭遇した経験も数知れない。
歩道をふさぐ数台並んでの走行、スピード走行や無灯火。
車に乗っている時、右側走行の自転車が対向してくると
はらはらする。

今後は違反を発見し次第、警察官が注意することになった。
注意を無視したり、信号無視やブレーキを取り外したりする
危険な行為には交通切符(赤切符)を切って摘発するという。

ただ、車の交通量が多い車道を走るのは怖い。自動車を運転する側も
自転車の存在に注意を払う場面が増えそうだ。今回の指示が
交通事故増加の元凶にならないよう、一人ひとりがルールを守り、
思いやりのある走行に努めたい。

(M.N)

3 冠馬

「3冠」の称号はプロ野球に限らず、スポーツ界ではおなじみだ。
三拍子に通\じ、バランスの良さを思わせる。三景や三筆のように
日本語の語呂にもぴったりくる。だが本をただせば英国、それも
競馬に端を発するという。

日本競馬界の3冠は若駒がしのぎを削る。春の皐月賞は中距離走。
馬群が混みがちなダービーは運も左右する。夏場の後に控える
菊花賞はスタミナ勝負の長丁場だ。今年はオルフェーヴルが総なめし、
史上7頭目の三冠馬となった。

ディープインパクト以来だ。負けず知らずでその座に就いた
名馬と比べられるが、道のりは随分違う。やんちゃな気性で、
デビュー戦では騎手を振り落とした。4連敗し、10着に
沈んだこともある。

あの手この手で調教陣が覚えこませたのがベース配分だ。
人間の世界では耳遠くなる一方の辛抱や我慢を学び、
持ち前の瞬発力に火が付いた。ディープのせがれ2頭を
寄せつけなかった菊花賞。ゴール後には、またも地面に
騎手をはわせるご愛嬌まで見せてくれた。

来年秋、各国の三冠馬級がパリ郊外に集う凱旋門賞に挑むという。
挫折をバネに、世界と戦えるところまできたようだ。
復興日本の底力をダブらせてみたくなる。テレビで見てても、
走る姿には感動する。

(M.N)


タイの洪水

タイの洪水は、ついに首都バンコクを襲った。これまで
北部・中部の工業団地をのみ込み、日系企業400社以上が
被害を受けたようだ。自動車や電化製品、食品製造など幅広い。
自動車工場は操業再開のめどが立たず、新型カメラの発売を
延期した企業もある。

豊富で安い労働力を求め、日本企業が中国をはじめ
東南アジア諸国に生産拠点を移す動きが続いている。
最近は円高や法人税の高さ、電力不足の懸念から、
移転を検討する企業がさらに増えているという。

しかし今回の洪水は、生産拠点を集積させることの
危険性も示した。生産コストを下げ、シェアを切り開き、
国際競争に勝ち抜くことが企業、そしてものづくり大国日本の
道だが、生産ラインが停止してしまえば、お手上げだ。

それは国内でも同じ。東日本大震災でも、東北地方で
中小・零細の町工場の製造がストップし、2万点の
部品ひとつ欠けても完成しない自動車の製造が止まった。
水産加工のように、一部で打撃を受けても国内の代替地で
カバーできる場合もある。しかし、機械や部品はそう簡単にいかない。

生産が止まれば輸出が止まり、経営不振、ひいては日本経済の
悪化を招く。安定した生産体制をどう築き、天災時でも被害を
最小限に食い止めるか。難しい問題だ。
しかしまずタイの国家的危機に援助の手を差し伸べることだ。
そこから始めていくことこそ日本の大きな役割ではないのだろうか。


(M.N)

日本酒

日本酒がおいしい季節となった。最近は若い女性の間で
カップ酒が人気という。カップ酒といえば、世のサラリーンマン
たちの疲れ切った心を癒してくれる友だった。
酒はおいしく、そしてきれいに飲みたいものだ。
しかし、この「きれいに飲む」がなかなかできない。

酒量が増えると、くだける。くだけるのはいいが、だらしなくなる。
だらしなくなっているのにも気が付かず、杯を重ね、そして、
記憶が薄れたまま悪夢の朝を迎える。ほどほどでやめれば
「きれいに飲めるのだが・・・

では、「きれいな飲み方」とは、どういうことなのか。たとえば、
正しい杯の持ち方は人さし指と親指で持ち、中指を杯の下部に軽く添える。
その際、人さし指と親指は杯の円の直径を差す形になる。
そうやって杯を持ったら唇に近づけ、人さし指と親指の中間の所から、
杯の中の酒を口に放り込むようにして飲む。

酒のつぎ方については、おちょうしを親指の下に向けるようにして倒す。
相手に向かって縦に突き出してはいけない。ひねってもいけない。
テレビで劇場中継の舞台で女優さんたちが演じている姿を観て分かった。

秋の夜長、ついつい杯が進んでしまう。しかし度を越すと、
「酒の上」と済まされなくなる。このところ、泥酔して事件を起こし
逮捕される人が目立つ。楽しく飲んだ記憶とともに、倫理観まで
置き去りにしてしまったのだろう。


安全基地

「最近の若い人は内向的で困る」言われたことはするんだが、
自分から進んでやろうという意欲がない」。若者に対するぼやきは
今も昔も大人の口癖のようなもので絶えることがない。

自分も若いころ「最近の若い者は・・・」と言われ気分を害した
経験がある。だからなるべく言わないようにしてきたつもりだが、
つい口を滑らすこともある。しかし昔と今では事情が違うことに、
はたと気付いた。政治学者、姜尚中さんがラジオで話していた。
「今の若者は『経済成長』や『右肩上がり』というのを知らない」と。

確かに物心ついた1990年ごろにはバブルが崩壊。
「失われた10年」が始まり、日本経済は長い停滞期に入った。
金融機関の破綻や雇用不安など過酷な時代に彼らは育った。

幼児の発達に関して「安全基地」という用語がある。
親が見守っているという安心感が得られる居場所のことで、
その保証があると冒険心が芽生え人間関係が広がるそうだ。

経済成長率が10%を超えた古き良き日本は若者には夢物語。
まずは安全と保証が第一。「安全基地」もなしに冒険はできない
ーというのが本音だろう。

欧州や米国に反格差社会デモが広がっている。高い失業率や貧困層の拡大、
福祉・教育の切り捨てに若者が怒りの声を上げている。時代の閉塞感は
日本も状況は同じ。「安全基地」を構築することが急務である。

(M.N)

雑草のごとく

たくましさのたとえに必ず登場するのが雑草だ。
植物研究の泰斗(たいと)でもあった昭和天皇は「どんな草」
にも必ず名前がある。だから雑草という草はないのだよ」と
言われたそうだが、ここではあえてその名も知らぬ雑草の
たくましさにふれたい。

大津波によって建物がすっかり流され、土台だけが残った
その土の部分を覆いきって秋を待っていたかの如くそよいでいるのが、
雑草たちだ。被災から半年が過ぎた。田んぼの稲も、畑の野菜や
草花も塩分によって生育を阻まれた中にあって、雑草だけは
何事もなかったように生を謳歌しているそうだ。

「雑草ってすごいな」といういまさらながらも、改めてその
生命力の力強さに感心する友人の声を何度も聞いた。
植物にはまったくうとい私も、ただノギ科とだけは思われるその草が
もう子どもの背丈以上に伸びているさまを廃墟跡で見たとおりの写真を
同じ友人から送ってきた。

なぜ俗に雑草といわれる草はこんなにもたくましいのか?
嫌われて疎まれてもまったく意に介せず、ひたすら天空に向かって
成長を続けるそのパワーの源泉はどこにあるのだろう。
きっとそれは誰の助けも借りずに独力で生き延びてきた
DNAがもたらすものではなかろうか。

被災地の復興はまさにこの雑草たちの生き方に学ぶべきかもしれない。
むろん復興は被災地ひとりが自助、自立で立ち向かうわけにはいかない。
その今後は国に多くを委ねるしかないが、しかし被災地の一人一人は
その心持ちのありかを大地にしっかりと根付かせる必要があると
思うのです。

(M.N)

百寿

「長生きは人に恩返しするチャンス。だから、
自分で罪深いと思っている人は、うんと長生きしてくださいよ」。
数年前、講演でそんな風に笑わせていた聖路加国際病院理事長の
日野原重明さん。10月4日に100歳の誕生日を迎えられた。

90歳の卒寿、99歳の白寿、100歳の祝いは耳慣れないが、
上寿や紀寿、百寿と呼ぶらしい。日本で今年、新たに
100歳になる人は、何と2万4952人。「人生七十古来稀なり」
は既に遠く、喜ばしい限りだ。

日野原さんは今も講演で全国を飛び回り、執筆や医師の活動にも忙しい。
講演の予約は数年先まで詰まっているそうだ。自ら企画した
ミュージカル「葉っぱのフレディ」は12年目を迎え、今月の
特別講演でダンスを披露される予定ときく。

長生きの秘訣は一般に「食事、運動、生きがい」。日野原さんは
病院の6階まで毎朝階段を上がり、高齢患者の手を握って
「私より若いのに、先に逝っちゃ駄目だよ」と笑わせ、励まして
いられるそうだ。見習いたいが、ちょっと超人的すぎる。

医療者に一番求められるのは「知識や技術より、患者の心に
上手にタッチする力」らしい。その言葉通りの柔和な笑顔。
いつまでも元気で、いつまでも現役であってほしいと、
願わずにはいられない。

(M.N)

大相撲界

国技の大相撲界に新たな時代が到来する予感がする。
共に横綱白鵬を破った琴奨菊、稀勢の里の奮闘に
沸いた秋場所を見てそう思った。

近年の大相撲は外国人力士の活躍ばかりが目立っていた。
秋場所は横綱、大関からついに日本人力士の名が消えた。
2006年初場所の栃東以降、日本人力士の優勝はない。

幕内力士42人のうち外国人が38%を占めるまでになった。
外国人がいてこその醍醐味もあり、否定はしないが、
日本人力士が負けず劣らず勇躍する土俵でないと興味は半減する。

ところが、今場所は趣が違った。20回目の優勝を果たし、
大横綱の風格が漂う白鵬も63連勝した時のような圧倒的な
強さはなかった。関脇以下に初めて連敗したのもその証左だ。
日本人として4年ぶりとなる待望の大関琴奨菊が誕生した。
そして来場所は稀勢の里が大関とりに挑む。後には生きのいい
若手力士も控えている。

賭博や八百長など不祥事続きの影響で人気に陰りが
みられた大相撲だが、復活の兆しが感じられた。
そして第3代若乃花以来の日本人横綱誕生も
そんなに遠くない気がしてきた。

(M.N)

除染土壌

今夏、ヒマワリを育てて種子を福島へ 贈ろうという運動が
全国的に展開された。土壌の放射性物質を吸収しやすいとの触れ込み
だったが、効果は期待外れで関係者を落胆させる結果となった。

農地除染の実証試験を行った農林水産省によると、ヒマワリなど
植物によるセシウム除去効果は小さいことが分かった。
速効性が求められる現状では普及には適さないとの結論だ。

福島県飯館村で栽培したヒマワリの茎や根を調べたところ、
土壌1平方メートル当たりに含まれるセシウムの2千分の1しか
吸収していなかった。植物除染では気の遠くなるような年月が
必要となってしまう。

除染には表土除去が最も効果的で、4センチ削り取るだけで
セシウム濃度は4分の1に低下するという。
森口祐一・東京大教授の試算では、除染が必要な地域は福島県を中心に
2千平方キロあり、すべての表土を5センチ削り取るとすると
体積は1億立方メートルに達する。

東京ドーム80個分に相当する汚染土壌の安全な保管場所など
どこにもない。土壌のセシウムを分離することは技術的に難しく、
現状ではコンクリート製容器に密閉するしかない。

自治体ではごみ焼却施設から出る汚染焼却灰の処分にも困っている。
除染必要地域の7割は森林、残りが農地と市街地。用途に応じた
除染方法、費用負担など国が早急に示すことが必要と思うのだが。

(M.N)

盤上の海

棋士の羽生善治さんは、将棋盤の前に座って考え始めると、
<ほんとうになにか海の中に潜っていくような感じになる>
といわれる。潜っていく感じが深ければ深いほど、
時間があっという間に流れ、意識がなくなっていくような
感覚になるそうだ。それは、将棋というジャンルを超え、
創造の世界に生きる究極の才能が味わう没我の境地なのだろうか。

「盤上の海」は、縦横9マスと狭くても、底知れない深さを持つ。
あの故大山泰晴15世名人に並ぶ通算80期のタイトル獲得
という偉業は、深海に幾度ともなく身を沈めて、つかみ取ったものだ。

当時史上最年少の19歳3ヶ月で初タイトルを獲得して以来、
誰もなしえなかった全7冠を制覇するなど常に棋界の先頭にいられる。
眼鏡の好青年の印象が強い天才棋士も、はや40歳。髪には白い
ものもさす。

「若い人たちが台頭しており、一局勝つことが大変だと
しみじみ実感することが多い」。新世代を代表する24歳の
広瀬章人王位を下した後の記者会見で語った言葉は本音だろう。

『海の深さの中に入っていく』。「ほんとうに面白い言葉だなあ」
と思った。これからも、誰も見たことも、踏み入ったことも、
潜ったこともない世界を、棋譜と誠実な言葉で表現してくれるはずだ。

(M.N)

薬味

スダチとカボス。違いがよく分からない。
双方とも果汁を焼き魚や刺し身に薬味として添える。
地味だが、料理の引き立て役だ。

岐阜から天下布武を唱えた織田信長。本能寺の変で
野望が朽ちた時、徳川家康はわずかな
家来とともに堺に留まっていた。身の危険を知った家康は、
三河の岡崎城までどう戻るかを案じたという。

この時、忍者服部半蔵の計らいで伊賀の山中をかろうじて抜け、
岡崎までたどり着いたらしい。家康は様々な局面で
忍びの者を使い、半蔵はその功績から江戸城近くに屋敷を与えられた。

現在の東京の地下鉄半蔵門線や駅名の半蔵門はその名残とか。
脇役の忍びの者が、こんな形で後世に名を残すとは。
だが薬味のような地味な引き立て役がいなければ家康の名も
残らなかったかもしれない。

秋の食卓と言えばサンマの塩焼き。薬味はスダチや大根おろし、
甘酢ショウガがよく似合う。久しくお目にかからないマツタケにも
スダチが薬味になる。

食べる喜びは生きる喜び。つらい、苦しいは生きるための薬味と思えば、
困難は生を彩(いろど)るために欠かせない妙味に変じる。家康も
「不自由を常とおもへば不足なし」と辞世の句を詠んだ。
東日本大震災から半年が過ぎた。被災地の食卓のサンマ。
その薬味をただ思う。

デジタル機器

最近、電車内でデジタル機器を利用し、小説などを
楽しむ人たちを見掛ける。画面上に手を当てて、
ページをめくる動作で次ページに移る様子はまさしく
本を再現しているようだ。おそらく機器の中には何冊、
もしくは何冊分もの書籍データーが蓄積できるのだろう。
本の数だけかさばらないし、読まなくなったデーターは
消せばいいのだろうか。

アナログ人間としては、本の装丁や厚さ、重さを実感し、
手にとって読む行為の方がしっくりくる。
読み終わったら書棚に置き、背表紙の趣を楽しむのもいい。
いくらデジタル機器が充実、進歩しても本という文化は
消えてほしくない。しかし、実際は読書離れや大手書店の
地方進出などで地方の書店が消えているという現状があり、
本を購入して読むには厳しい環境の地域もある。

1冊の本との出会いは、その後の人生を変えることもある。
幼いうちは絵本を何度も読み、読んでもらい言葉を
会得する手段とする。

本が手元にあるーというデジタルにはない幸せ、
これをかみしめることが時には必要と思うのだが。
ちなみに読書週間は10月27日からだ。

(M.N)

官房長官の器

首相の次にメディアに登場する機会が多い閣僚は官房長官だ。
首相の女房役、内閣のスポークスマンとしての1日2回の
記者会見のこなし具合が政権のイメージを左右する。

在任期間の長さでは福田康夫氏が浮かぶ。
小泉純一郎首相らの下で3年以上務めた。首相になって
評判を落としたが官房長官として名を残した。仕事の鋭さでは
後藤田正晴氏を思い出す。中曽根康弘首相の下で
「カミソリ後藤田」と呼ばれた。

中曽根内閣は5年近く続いた。小泉内閣は約5年半続いた。
管直人前首相まで1年前後での退陣が5人続いたから、
なんともまぶしい。政権党がどこであれ、安定した政権を
取り戻したい。

安定政権の成否は、首相の器はともかく、官房長官の力量にも
かかってきそうだ。後藤田氏のような参謀タイプ、福田氏のような
番頭タイプ、いろいろある。新しいタイプになれるだろうかー。

野田首相は側近の藤村修氏を選んだ。閣僚経験はない。
政権を舞台裏で支える仕事が多かった。自分を「ドジョウ」に
見立てる野田首相より「もっと地味な人」との声も聞く。
風貌と人柄から「ドラえもん官房長官」ともいわれる。

異色のコンビといっていい。首相と官房長官の器、
力量は見た目の派手さとは一致しない例も見てきたから、
楽しみな氣もする。ドジョウみたいなつかみどころのない言動や
ドラえもんの秘密道具で国民をけむに巻いたりしないよう、
とりあえず願いたいものです。

(M.N)

親と子

大正初期、ある小学校の昼食の時間に、弁当の包みを開いた少年が、
間違って山仕事に行く父親の弁当を持ってきたことに気づいた。
家は貧しく、いつも弁当で満腹になったことがない。
お父さんは力仕事だからご飯がいっぱいに違いないと思っていた。

ふたを開けて驚いた。ご飯がいつもの自分の弁当よりはるかに少ない。
これっぽっちのご飯であんなに激しい仕事をしているのか・・・。
少年は衝撃を受けた。

自分には干し魚がおかずに入っているのだが、その弁当は
生味噌と梅干が1っ個だけ。「これがお父さんの弁当だ」。
少年は胸が詰まり一粒も残さず食べた。

晩ご飯の時、帰った父親が「お前、弁当箱を間違えて
おなかが空いただろう」と、茶碗からご飯を分けてくれた。
翌日、少年は親友に「夕べは眠れなかった。この親に
心配かけちゃいけないと決心した」と打ち明けた。
少年はそれからぐんぐん成績を伸ばしたそうだ。

親友とは『梅干と日本刀』で有名な考古学者の樋口清之先生だ。
その樋口先生の思い出を僧侶の松原泰道さんが『輝いて生きる道』
(致知出版社)で引用されている。

親としてどうあるべきかを心得て、そのように生きる姿を
みせることに勝る教育はない。と松原さんは語る。
子を育て、生徒を導くには、押し付けがましくなく、
料理の隠し味のようであるべきで、徳行もまたそのような
ものだと説いていられる。親の心子知らずでは、身勝手な
ふるまいで時に踏み外すこともあろう。

(M.N)

新首相に期待したい

松下政経塾第1期生の最終面接に勇んで臨んだ青年に
故松下幸之助さんが尋ねた。「身内に政治家はいるか」。
いないと返すと「そりゃええな」。さらに「お金持ちか」と聞かれた。
「中の下です」「なおええな」民の暮らしに寄り添える政治家を
育てていきたかったのだろう。それから30年その青年が次の
首相の座を手中にした。

野田首相の演説のうまさは、政界でも定評がある。
民主党代表選の立候補者演説では「時代小説から多くのことを学んだ」
と切り出した。司馬遼太郎、藤沢周平、山本周五郎。それぞれに、
「夢」「矜持(きょうじ)」「情」を学んだと述べた。

正直な人なのだろう。「このルックスなので首相になっても
支持率は上がらない」「政治に必要なのは夢、志、矜持、人情」だと。
自分をさらけ出しして政治への思いを率直に語られた。

「どじょうがさ金魚のまねをすることねんだよな」。
好きだという相田みつをの詩を引用しながら「ドジョウらしく
泥くさく政治を前進させる」。こうも述べた。

苦労人らしい。演説では、これまで歩んできた道を語ることに
多くの時間を割いた。飾らない言葉や話しぶりからも誠実さが
伝わってきた。しかし代表選そのものは党員や国民そっちのけの
数合わせでしかなかったのが実感だった。

(M.N)

激務からの解放感

役所を退職した知人が訪ねてきた。激務からの解放からか、
顔つきが穏やかだった。丁寧に差し出した名詞には名前と住所のみだ。
「これからは名前だけで勝負です」と説明された。
日本は肩書社会である。職業や地位が明確でないと、
どうも不安でならない。政治家なら出自から丸裸にされる。
でも本来はそんな狭隘(きょうあい)な社会ではなかった。

江戸の町には「三脱(さんだつ)の教え」という作法があった。
粋な生活哲学ともいうべき「江戸のしぐさ」の一つだ。
「三脱」」つまり人を規定する年齢・職業・地位に関し、
初対面の人には聞いてはいけない習わしだった。
当時は身分の差があり武士階級もある。そんな格差を超え、
対等な付き合い方のルールがあったとは驚きだ。
江戸人の心意気と見るが、穏やかな秩序保持の手段だったのだろう。

何事にも先入観は禁物だ。肩書きはその人の「本質」ではない。
米国には雇用で「年齢差別禁止法」があり就職に際し年齢や人種、
宗教、性別を問うことを禁じている。

わが国も雇用対策法で募集・採用時の年齢制限は原則禁止だが、
守られているとは言い難い。人の器や能力を測る尺度を持つこと自体が
格差や差別を生む。管首相が間近に退陣されるが、官邸で開いた
党若手議員らとの会食で「辞めてからのことを考えると、
うれしくて仕方がない」と本音を漏らされたそうだ。
肩書きが重すぎたのか。

(M.N)


天高く

「天高く馬肥ゆる秋」。子どものころ、この言葉を聞くと、
なぜか馬が風船のように膨らんで秋空高く浮かんでいる様子を
イメージした。そうではなく、秋というのは空が遠のいて
すがすがしく、食欲が進み、馬も太る季節なのだ。
と理解したのはずっと後年のことである。ところが、
これも正解ではなかったようだ。
 
「ことわざなるほど雑学辞典(PHP文庫)によると、
ことわざは中国からの伝来らしい。中国は古来、
北方の匈奴(きょうど)という騎馬民族に悩まされてきた。
春から夏にかけて豊富な草を食べた馬は、
秋には一段と元気になり、それに乗って匈奴が攻めてくる。

つまり、また注意すべき秋が来た、という危険信号の意味が
あったという。現代風ののどかな理解とは真逆の緊迫感が
うかがえる。しばらくの間、秋の到来を感じさせる青空を
見るのは難しそうだが、政界はいよいよ秋の陣が幕を開けたようだ。
東日本大震災のために延長した国会も党利党略、
派利派略ばかりが目立って、肝心の対策は後手後手に回った。

与野党そろって「国民の皆さん」を枕詞にした、
いかにも国会議論はもう聞き飽きた。今度はどんな内閣が
できるのだろうか。少なくとも安心して物が食べられる
食欲の秋になってほしい。


(M.N)


「涙は「女性の武器」と言って批判を浴びたのは、
小泉純一郎元首相だった。10年前、当時の田中真紀子外相が
外交問題への鈴木宗男衆議院議員の関与を涙ながらに訴えた
のに対し、先の発言となった。

涙が「女性の武器」かどうかは知らない。では「男の涙」は
どうだろうか。先の衆院経済産業委員会で早期辞任を求める
自民党議員の質問に「もうしばらくこらえてください」と、
泣き崩れた海江田万里経済産業相が思い浮かぶ。

洋の東西を問わず、指導者の資質の一つは強さといわれる。
ひるがえって、弱さは最大の欠点だ。人柄がにじみ出る涙は
いいとしても、国会で政治家が手で顔を覆い、肩を震わせて
泣いたのはどうか。

原発の再稼動問題などをめぐる菅直人首相との確執は
かねて言われてはいたものの、国会で泣くのはいただけない。
この人に国を任せて大丈夫かと、心配になった。

管首相の後継を選出する民主党代表選が今月中にも
行われるようだ。震災から立ち上がるために国をどう導いていくのか。
各候補は堂々と政策論議を戦わせてもらいたい。
海江田経済産業相も泣いているときではない。政治のふがいなさに
涙しているのは国民であり、とりわけ被災者であることを
忘れてもらっては困るのだが。


(M.N)
 

連帯と分かち合い

終戦直後、進駐軍の通訳をしていた日系人が
東京のガード下で靴磨きの少年に出会った。靴を磨いてもらい、
年を聞くと7歳という。あまりにかわいらしいのでチップを弾んだ。

宿舎で食事の時、白い大きなパンを見て思いついた。
よし、これもやろう。おなかが空いているだろうから喜ぶはずだ。
パンをはんぶんにちぎって、たっぷりバターを塗り、再び
ガードしたに行って「これもあげるよ」と勧めた。

すると少年は「さっきはお代以上に頂きました。もうこれ以上は
受け取れません」と言う。「君のおなかが空いているだろうと思って
家から戻ってきたんだ。どうか受け取ってくれないか」と頼んだ。

少年は「そこまで言われるのでしたらありがたく頂きます」と
受け取った。すぐにパクつくと思っていたら、風呂敷を出して包み込む。
「どうするのか」と尋ねると、「家に3歳の妹がいます。
これを食べさせてあげたい」と顔をほころばせた。

通訳の日系人はそのとき思った。下手をすればナイフを取り出す
ニューヨークの靴磨きとは大違いだ。敗戦で悲惨な状況なのに、
こんな小さな子供でも誰かを思いやっている。この国は必ずや
どん底から立ち直れる、と
 
東日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭真(いおきべまこと)さんが
講演会で引用した話だ。阪神淡路大震災の被害者でもある五百旗頭さんは、
敗戦からの復興を例に、国民全体の連帯と分かち合いで
復興を進めることが重要だと力説されている。

(M.N)

国家的宿題

8月、夏本番。児童・生徒たちの夏休みも真っ盛りだ。
海へ山へプールへ、もいいが、宿題も少しずつやっておいた
ほうがいい。いつでもできると思っていたら、あとが大変だ。

自由研究のテーマは今年はいくつもありそうだ。
地震や津波について考えてみるのもいい。日本は大昔から
自然災害とたたかってきた。節電についても考えてみたい。
電気がなくては暮らしていけないのだから。

この夏は円高の問題も加わった。大変だ大変だ、という
雰囲気になっている。円高問題は日本にとっては長年の宿題
だったはずだ。円高が進んでも心配しなくていい国になるには
どうしたらいいか、という宿題を出されて30年近くになる。

「内需主導型への転換」という答えは最初から示され、
具体策を示すのが宿題だった。円高になると外国からモノを
安く買える。それを国の前進力にする道筋だ。政治が宿題を
サボってきたから「大変だ」を繰り返すだけ。

慣れ親しんだ外需(輸出)主導型経済は、円高が進むほど
骨格がきしむ。今回の超円高は輸出産業の生産の海外移転を
加速させるだろう。ただでさえ産業界には電力の供給不安を
背景に日本脱出を考える空気が出始めていた。

長年の宿題はともかく、突然突きつけられた宿題は
こなさないと、日本経済はいよいよ暗い。電力不安は
どうすれば解消できるのか。国家的宿題の答えとそこに至る
道筋を、政府・与党は夏休み抜きで見つけなければならない。
頼みますよ。


記憶遺産

平泉の文化遺産、小笠原諸島の自然遺産に続いて、
記憶遺産に筑豊の炭坑の様子を描いた山本作兵衛さんの絵が
選ばれた。まさに世界遺産の3連発。震災以降、
暗雲立ち込める日本列島に世界遺産のニュースは、
なでしこジャパンとともに久々に明るい話題が振りまかれた。

その「記憶遺産」だが、大方の人にとって始めて耳にする
言葉だったのではないか。何しろ今回初めて日本のものが
選ばれたのだ。記憶遺産自体は1992年に設けられた制度で、
これまでにグーテンベルクの聖書やアンネの日記などが登録されている。

これに伍して選ばれた山本作品は半世紀自分が働いた
「ヤマの生活を子や孫に残したい」との一心から60歳代になって
絵筆をとられたようだ。素朴で力強い筆遣いと余白にびっしり
書き込まれた文章が、炭鉱の暮らしを鮮明に伝え、まさに
「遺産」にふさわしい。

山本作品とはかなり趣を異にするが、やはり鮮やかに
時代や世相を伝えるものだとあらためて感じたのが、絵はがきだ。
最近出版された「東京今昔旅の案内帖」(学研ビジュアル新書)は、
明治以降の彩色絵はがきや写真と現在の写真を並べて
名所の今昔をたどるという趣向だ。

例えば、「浅草十二階」として知られ関東大震災で崩壊した凌雲閣が
ひょうたん池越しにそびえる絵はがきは、江戸と近代が混在するさまを
伝えている。まさに身近な"記憶遺産"と思う。同じ著者による
大阪版も出ていて、変貌ぶりを机上で歴史散歩できる。


高速鉄道

中国で23日夜、高速鉄道の追突事故で多数の乗客が
死傷したと報道された。追突された車両が
20~30メートルの高架橋から転落したらしい。
中国版新幹線では最悪の事故だ。日本は1964年に
東海道新幹線開業以来、死亡事故ゼロを続けている。

中国では高速鉄道網が急速に拡大している。昨年末で
営業距離8358キロは世界最長となった。
2020年末に約2倍の1万6000キロを目指して工事が進行中だ。
6月30日には過去最大となる2兆7500億円を投じた
北京ー上海間(1318キロ)が開業した。従来の10時間の半分に
短縮されたようだ。

威信をかけた国家プロジェクトだけに鼻息も荒く、
国内建設ばかりか、南米や中東に技術輸出の攻撃をかけている。
ところが後発だけに日本や独仏の技術をベースにしたのは
世界の常識で、特許紛争に発展しかねないと懸念されていた。
そこに今回の事故発生だ。各国は事後を注目している。

中国は去年から始まった第12次5カ年計画で「強国」から「富民」への
方針転換を表明した。一党独裁の制約下という前提付きながら
多少スタンスを変えようという姿勢を示した。死傷者の救済・
支援と同時に原因究明と対策をどう進めるか。
安心・安全の優先が富民と無関係ではないと思う。

世界遺産で「浄土」に脚光

極楽浄土の存在を信じ、阿弥陀(あみだ)仏にすがって
浄土に導かれることを願う浄土思想。未法の世が迫ると
人々が不安を募らせ始めた平安時代後期から急速に広まった。

人々は、説法や絵図で示された浄土の様子をひたすら
思い描きながら、念仏を唱えた。浄土を鮮明にイメージするほど
浄土に近づけると信じたからだ。

権勢を誇る者は、浄土をこの世に現出させようと試みた。
その一つが、京都・宇治の平等院鳳凰堂だ。「極楽が疑わしければ、
宇治の御寺を見ればよい」とまで言われたほどの壮麗さである。

浄土現出の試みは東北の地でも行われた。3代100年にわたって
平和と繁栄を謳歌(おうか)した奥州藤原氏。その初代、清衛が
平泉に建てた中尊寺金色堂は黄金に輝いてまぶしく、浄土を見た
心地がする。浄土現出のコンセプトで統一された一帯の寺院群には、
平和で苦しみのない理想郷をこの世で見てみたいという。
当地の人々の切なる願いが込められている。

岩手県平泉町の文化遺産郡の世界文化遺産登録が正式決定した。
東日本大地震で苦しむ現地の人々にとって、復興への光明となる
朗報だ。

世界遺産委員会は浄土思想に深い理解を寄せて決定に踏み切った
という。平和な理想郷を求める心は、国や宗教の違いを超えて
世界に共通する。津波が(ツナミ)として世界共通語になったように、
浄土も(ジョウド)として世界中に語られる日が来るかもしれない。

(M.N)


夏休み

もうすぐ子どもたちの待望の夏休みだ。3学期制の学校では
その前に通知表という憂鬱な(ゆううつ)な"関門"が控えているが、
最近はその内容がかなり様変わりしているそうだ。

子どもたちの行動や性格について先生が意見を述べる「所見欄」。
昔ならば「落ち着きがない」「反抗的なところがある」などと書かれ、
親からも注意されたものだ。しかし近ごろは「行動的で好奇心が旺盛」
「自分の意見が言える」などソフトな表現に言い換えられているようだ。
教師向けにそのためのマニュアル本も出版されているらしい。
 
元教師の弟に確かめると「その通り」。と教えてくれた。
理由は子どものいいところを評価し伸ばすためだという。
プラス評価で短所も改善される可能性が高い。だが果たして
それだけだろうか。一般論として聞くところによれば、先生から
欠点を指摘されることに我慢ならない父母が多いと聞く。

子どもの行動が目に余るときは保護者懇談会で知らせたり、
さらに家庭訪問で改めるようにお願いするそうだ。なんとも非効率的で
回りくどい氣がする。波風を立てたくない気持ちも分からないでもない。
しかし子どものためを思えば、言い換えでなく真意を伝えるのが望ましい。
先生と保護者の信頼関係が揺らいでいるとしたら、むしろその方が
問題の根が深いと思う。

(M.N)

企業の進化

東日本大震災や電力不足の影響で、製造業が相次いで
日本から逃げ出すのではないか、との懸念が強まっていると聞く。
もともと産業界は、世界でも厳しい環境規則、高い法人税、
新興国と比べると割高な賃金などをあげ、
「まるで製造業は日本を出て行けと言わんばかりだ」と不満を
漏らしていた。

そこへ震災が襲い、経営者は大地震リスクを再認識するとともに、
生産拠点を国内外に分散する必要性を痛感した。
さらに定期点検を終えた後も原発が再稼動できない状況となり、
電力不足が全国で長期化する可能性が高まった。
民間エコノミストの間でも「いよいよ製造業の海外移転が
加速し、国内産業の空洞化が本格化する」との見方が広がる。

ところが、自動車や電機などの大手企業の経営者は
「むしろ日本市場は今後成長が期待できる有望市場」との意外な
答えが返ってきた。その背景には太陽光や風力、地熱など
再生可能な自然エネルギーを活用した「新たな成長分野」が、
急速に台頭してくるとの読みがあるようだ。

自動車業界は電気自動車(EV)を「各家庭専用の大型蓄電器」として
普及させ、電機業界はIT技術で効率的なエネルギーの利用を目指す
次世代送電網「スマートグリッド」を中核事業に育てることで、
それぞれに高い成長が期待できる「新しい商品」を手にするというのだ。

日本製造の技術力はレベルが高いだけでなく、幅広い分野に及ぶ。
環境文化にしたたかに適応しようとする「企業の進化」に大いに
期待したいものだ。

(M.N)

伝統文化

最近,「団扇(うちわ)」や「扇子」「簾(すだれ)」など、
難解ながらも、どこか懐かしさが感じられる漢字を目にする
機会が多くなった。

東日本大震災に伴う巨大地震と大津波、原発事故で、
15%を目標とする節電が求められる今夏、
先人の知恵が見直されていることが背景にある。
器用な手先に加え、知恵と工夫で暑い夏を乗り切ってきた
伝統文化に視線が注がれている。

このうち最も庶民的な「団扇」は、中国の発祥で
紀元前3世紀には存在したといわれている。丸(団)いもので
あおぐの意味があり、古くは貴人の日よけ、戦国時代には
軍配に活用され、江戸時代には役者絵や美人画などを挿入した
うちわが普及したという。

日本三大有名うちわに「京団扇」「讃岐(丸亀)うちわ」
「房州うちわ」がある。扇部を支える柄を手に持ち、
強弱の手加減で自然な涼風を提供する。
夏場の販促グッズとしても人気が高く、各家庭には
知らず知らずのうちに常時数本のうちわが備えられていた。

節電の夏を迎え、うちわ事情にも異変が生じている。
年間生産量が1億本余りと国内生産量の9割を占める
香川県丸亀市では、例年より1カ月早く5月から本格生産を
開始したそうだ。しかし想定外の注文殺到に生産が追い付かず、
関係者はうれしい悲鳴を上げているという。

梅雨入り後の蒸し暑さにたまりかね、あったはずのうちわを
探すが見つからない。例年、この時期から始まるPR用の
無料うちわ配布も見掛けず、需要に供給が追い付かない事情に
思わず納得した。一過性の現象に終わらせず、
伝統文化の永続的な継承にも結び付けたいものだ。

(M.N)


日韓の絆

東京のJR新大久保駅のホームに降りたら、食欲をそそるにおいがした。
周辺はコリアタウンと呼ばれる。昔から韓国料理店が多かったが、
近年さらに増えて狭い路地までハングルの看板がひしめく。

休日は大変なにぎわいで、少女時代やKARAといった
韓国音楽グループが人気の昨今は、CDやアイドルグッズを売る店が
特に混雑している。昔からの住民には戸惑いもあろうが、
街を訪れる日本人は引きも切らない。

「冬のソナタ」で火が付いた韓流ドラマも根強い人気で、
放映が途切れることがない。長年「近くて遠い国」といわれ、
いまだに歴史や領土の問題を抱える日韓両国だが、
市民レベルでは心の垣根が以前よりずいぶん低くなったと思う。

新大久保駅といえば、ホームから落ちた男性を助けようとして、
韓国人留学生・李秀賢さんと日本人カメラマンが亡くなった事故から
10年がたつ。駅には二人の顕彰碑がある。

命日の1月26日に合わせて開かれてきたしのぶ会は今年が最後だった。
しかし、李さんの勇氣ある行動がきっかけで始まったアジア人留学生への
奨学金活動は続けられ、秋の奨学金授与式で故人を引き続き追悼するという。

奨学会によると、見舞金や寄付を元に日本語を学ぶ485人を支援してきた。
発案者である李さんの父親も長く続けることを願っていられるそうだ。
その思いを大切にして、日韓の絆をさらに深めたい。

(M.N)

五百羅漢

東京タワーに近い浄土宗の大寺・増上寺は、宗教は異なるが
日光東照宮、上野の寛永寺とともに徳川将軍家の霊廟(れいびょう)
・神社の1つとして知られる。この寺の蔵に幕末の絵師・狩野一信
(1816-63)らが10年の歳月をかけて描いた仏画100幅が、
明治の廃仏毀釈や大戦の戦火を潜り抜けて保存されていたという。

その公開されている大作「五百羅漢」を江戸東京博物館で見てきた。
背丈をはるかに超える大画面に、釈迦の弟子である数人の羅漢が登場し、
人々を救済したりする様子が描かれている。博物館によると、
一信は15世紀から約400年続いた狩野派の最後を飾る絵師で
48歳で病没するまでの10年間をこの製作に費やした。

21幅の「六道地獄」からは幕末の不安な空気、
82幅の「七難震」からは安政の大地震当時の阿鼻叫喚(あびきょうかん)
が伝わってくる。羅漢の存在感、迫力に思わず息を呑む。

今年は平安末期から鎌倉初期を生きた浄土宗の開祖・法然の
没後800年。博物館は、この機会にと「五百羅漢」を企画したという。
法然といえば、宇都宮氏と交流があった人物であり、当時の下野国
とも縁がある。

一信も、法然と同じような時代の変わり目に生きた。
一信が今に生きていれば、大震災と大津波、原発事故後のこの国を
どう描いただろうか。

(M.N)

三陸海岸大津波の恐ろしさ

書店の目立つところに置かれた本の一つに、
作家吉村昭さん(2006年死去)の「三陸海岸大津波」
(文春文庫)がある。1970年に発表され、04年に
文庫化されている。

旅した三陸で昔の津波の話を聞いたのがきっかけで、
何度も訪ねて書いた。三陸は明治と昭和に巨大な津波に
襲われている。明治29年のことは古老から話が聞けた。
昭和8年の体験を話す人は数多くいた。

どちらも三陸沖を震源とする大地震に起因する。
明治29年は犠牲者が2万人を超えた。狭く入り組んだ
リアス式海岸の奥に進むにつれてせり上がる津波の到達高度は
40-50メートルに達したという。

「呆(あき)れるほど堅牢(けんろう)」そうに立つコンクリートの
防潮堤を見たとき、吉村さんは最初は大げさすぎると思った。
繰り返し取材で訪ねるうちに別の思いがわく。「海の恐ろしさに
背筋の凍りつく」のを感じるようになった。

昭和8年の史料には小学生の作文集も含まれる。
肉親や友だちらとの死別が胸を打つ。吉村さんは、40代になっていた
かっての少年少女からも取材している。今は80代になっている
その人たちは、平成の大津波をどこでどう体験されたのだろうか。

三陸の歴史は津波との闘いの歴史でもある。闘いを象徴する
各地の防波堤が破壊し尽くされたさまを、泉下で吉村さんは
どう見られただろう。交流を深められた岩手県田野畑村につくられた
「吉村文庫」の蔵書も残念だが、すべて津波にさらわれたそうだ。

(M.N)

東京スカイツリー

パリのエッフェル塔が完成した翌年、東京に
「浅草のエッフェル塔」と呼ばれる建物ができた。
レンガ造り12階建ての凌雲閣である。
高さは本家の6分の1程度だったが、眺めの良さから
大勢の人が詰めかけたそうだ。

凌雲閣から見て隅田川の向こう側では、まさに
雲を見下ろすような東京スカイツリーが建設中だ。
こちらの高さ634メートルはエッフェル塔の2倍、
自立式電波塔として文句なしの世界一を誇る。

先日、来年5月22日の開業と入場料が発表された。
高さ450メートルの第2展望台で大人3000円という
高額料金に驚いた人は多かったのではないか。
「結構するなあ」と思いつつ一度は破格の眺めを体験したい、
と心は揺れ動く。

前評判は高く、運営会社は開業から1カ月半は完全予約制を
敷くそうだ。ただ「一度は見たい」は「一度見たら気が済む」
につながる。強気の料金が後々どう影響するか。

凌雲閣は国内初のエレベーターなど眺望以外でも
集客に努めたが、後年訪れる人が減った。
地震で揺れる度に建物の安全性への信頼が揺らいだのも一因らしい。
ついに関東大震災で上部が崩れ、後に解体される。

東日本大震災と原発事故で「高品質・安全安心」の日本ブランドは
大きく傷ついた。技術の粋を集め、大震災による被害も受けなかった
というスカイツリーは失った信用を取り戻す第一歩になる。
やはり一度は登ってみたい。

(M.N)

防災教育

今年3月に発行された小学校の道徳資料集に、こんな言葉を見つけた。
「並ぶことはみんなが生きること」。阪神大震災でのエピソードを基に、
人々が助け合うことの大切さを学ぶ教材になっている。

内容はこうだ。阪神大震災の被害地に、心待ちにしていた給水車が来た。
人々が我先にと殺到した。しかし、しばらくすると一本の長い行列が
自然にできた。後から来た人は黙って列の最後に並んだという。
まさに東日本大震災の被害地で見られた光景だ。

過去の災害を教訓にした防災教育の大切さは以前から強調されてきた。
子どもへの防災教育はますます必要性が高まるだろう。
日ごろから身近な危険箇所を確認したり、被害を少なくする
技術的な知識はもちろん大切だ。だが冒頭の教材が示すように、
人と人とのつながりも強力な防災力になる。

今回の大震災で私たちは自然の圧倒的な脅威を見せ付けられた。
と同時に、過酷な状況下で被害者や支援者が繰り広げる人の絆も見た。
良き教訓となるような支援と復興の姿を子どもたちに見せることが、
最も効果的な防災教育になるかもしれない。

(M.N)


ピザの斜塔

倒れそうで倒れないイタリアのピザの斜塔は、
およそ20年に及ぶ修復と清掃作業を終え、
建築当時の姿を取り戻しているそうだ。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に
登録されているピザ大聖堂の鐘楼。
総大理石造りで円筒形の8階建て、高さ約55メートル、
総重量約1万4000トン。地盤沈下に悩まされ、
現在も約5・5度(南側70センチ)傾いたままで、
傾斜の進行は止まっていないという。

自然傾斜に歯止めがかからず、当初計画より低い設計に
見直した。最上階は傾斜角に対応し唯一鉛角な施設とした。
16世紀には傾斜角を活用しガリレオ・ガリレイによる物体
落下の法則に関する実験が行われたとの伝説も残されている。

米ニュース雑誌「タイム}によると、「ピザの斜塔」は
世界で最も危険な建物にランクイン。
2位は、アラブ首長国連邦の「キャピタル・ゲートタワー」、
3位はスペインの「プエルタ・デ・エウロバ」(通称ヨーロッパの門)で、
ピザの斜塔以外はごく最近に造られた建物だ。

ピザの斜塔は倒壊の危険回避に向け、世界の科学者や
物理学者らが知恵を絞り、修復作業に当たってきた歴史もある。
今回はスモッグによる汚れを落とす清掃と併せて修復作業が進められ、
4月末に完了した。関係者は「今後300年は倒壊の危険はない」
と豪語している。
 
斜塔内には傾斜や振動、ゆがみを監視する各種センサーを設置。
いわば満身創痍(そうい)の状態ながら世界の知恵と努力に支えられ、
斜塔の芯は折れることなく保たれている。世界に支援の輪が広がる
東日本大震災に重なる思いがしてならない。


(M.N)

 

故郷忘れがたき

司馬遼太郎に「故郷忘じがたく候」という短編がある。
秀吉の朝鮮出兵で日本に連れ帰られ、薩摩藩に陶工として仕えた
一族の子孫に取材した物語で、渡来して幾世代を経てもなお
尽きることない朝鮮への思いが描かれている。

作中には望郷ゆえの数々のエピソードがつづられるが、
若いころ読んだ時はそれがピンとこなかった。
今になって感慨深く思い返したのは、原発の警戒区域にある
わが家へ一時帰宅する福島の人々の姿を見たせいかもしれない。

よぼついた足取りでバスに乗り込むお年寄。小さな体に
ものものしい防護服がまったく釣り合わない。
テレビの画面にちらりと、東北のさわやかな初夏の風景が映る。
今度ここに帰る時、お年寄はいくつになっているだろう。

連休明けから梅雨入りまでの時期の古里を自慢にする東北人は多い。
雪解け水が流れ、空気が暖み、山笑う美しい季節を。
原発周辺の町や村でも、「見てよ」とばかりに山々の木々の若葉が
緑の衣をはためかせているに違いない。

国会では政府の行動をめぐる追及が続いている。
注水中断を「言った」「言わない」の議論は白熱しても、
「いつ帰れるか」に答えられる人はいない。
忘じがたき古里の山河は東シナ海の向こうではなく、
すぐそこにあるというのに。

「安全」という言葉を信じて原発を受け入れ、都会に
明かりを送り続けた東北の土地。美しい古里の思い出を
ビニール袋一つに詰めて去らねばならぬ人々に、
長きにわたる望郷を味わわせてはいけないと思う。

(M.N)


和風クールビズ

衣替えの月と共に、通勤や通学も白を基調にした装いが目立ち、
軽やかで涼やかな夏服が街路樹などの緑色にまぶしく映る季節。
これから夏の色が濃くなっていく。今年は「クールビズ」を上回る
軽装「スーパークールビズ」も仲間入りだ。
"初夏の風物詩"の光景は例年以上に広がりそうだ。

ピンクや黄、青などの色とりどりの幾何学模様やハイピカスの花柄。
ポケットまで付いている。これが、あの「ステテコ」とは思わなかった。
近づく「父の日」プレゼントの人気商品となっているという。
地肌が透けて見える白地の昔風とはまるで別物。ちりめん仕立ての
新作は男女兼用で、外出もOKというのが売り物だ。

ステテコといえば、もともと肌着だった。ただ、家の周りくらいなら
そのまま出歩けた。近所のおじさんたちが縁台を持ち出し、道端へ。
うちわ片手の世間話に花を咲かせる。そんな夏の夕暮れを
思い起こす世代ともいえよう。

エアコンを切って窓を開け、打ち水や扇風機で涼をとる。
昭和の風情を見直すことは、ステテコ復権とも一脈通じていそうな
気がする。節電対策も熱が入っている。各企業では、平日の
電力使用量を抑えるため、いろいろな工夫がなされているようだ。
高めの室温に耐えるには衣とともに気分を入れ替え、
やがて迎える長い梅雨の時季も乗り切りたいものだ。

(M.N)

浮世絵版画

歴史上の名画や彫刻、工芸品の中には損傷や破損のほか、
歳月を経て劣化し、当初の状態から大きく変わってしまった
ものが多い。それでも、どんな発色、彩色だったのだろうかと
想像してみると楽しい。

千葉市美術館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展」は、
保存状態の良い作品を堪能できるのが魅力だ。
鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の三大絵師を中心とした展示が、
鮮明な色彩美を伝えている。

植物性の塗料が多く使われていたため、色あせ、変色しやすい
当時の浮世絵版画だ。光や湿度の影響で、本来の色を残している作品は
ほとんどないという。特に紫色は変わりやすく、茶色っぽく
退色してしまうそうだ。

会場には、着物の模様も美しく鮮やかに、約200年以上前に
摺(す)られたとは思えない色合いの作品群が並んでいる。
明治期にアメリカに渡って封印されたことが、保存上幸いしたようだ。

清長、歌麿、写楽らが活躍した天明・寛政期(1781~1801年)は、
政権の安定と経済発展により町人文化が繁栄した時代。
気品をたたえた美人群像や迫力ある役者絵に囲まれ、江戸の活気と
華やいだ空間に誘われる。

描かれた季節感も豊かだ。団扇(うちわ)や扇子を手にした女たち、
川端での夕涼み、舟遊び・・・。
社会と経済が行き詰まり、市民生活の見直しさえ迫られた現代社会。
江戸風俗のしなやかさが輝かしいほどである。

(M.N)


端正

端正という言葉が似合う人は最近ではめったにお目にかからぬが、
俳優やクイズ番組の司会者として親しまれた児玉清さんは、
その数少ない一人だった。

ぴんと伸びた背筋と同様、簡潔で歯切れのいい口調は
どこか潔さを感じさせた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」では
坂本竜馬の父親役を演じられたが、端然として存在感があった。
映画やテレビで名を上げる一方、早くから大の読書家
としても聞こえた。

それも学生時代に専攻したドイツ文学から日本の時代小説、
現代小説、海外サスペンス物まで、東西の文学に通じられていた。
外国の作品はまず原作で読むのが楽しみ、と書いていられるのを
目にしたことがある。

そして優れたエッセイストでもあった児玉さんが16日、
胃がんで亡くなった。享年77.体調を崩し、クイズ番組の
収録を休んだと先日の新聞で知ったばかりだった。
各界の著名人が自ら執筆し、10年ほど前に出版された
「私の死亡記事」という本がある。

この中で執筆者の一人である児玉さんは、子どものころから
手当たり次第に本を読みあさってきたこととともに、
組織に属さず一人でいたことが僕の勲章と記されている。

今回の東日本大震災で露呈した国の危機管理のお粗末さにも
言及されている。「知恵と想像力と決断力のある大人のリーダーを
今こそ日本は求めている」(「文芸春秋」5月号)。
死を前の病床で書き上げた原稿だったのではないだろうか。

(M.N)

技法

東日本大震災で東京タワーは先端が曲がる被害を受けたが、
隅田川近くで建設が進む東京スカイツリーは、
震災の一週間後に634メートルと完成時の高さに達した。

自立式の電波塔として世界一の高さだけに、
安全のための工夫に力が注がれる。「心柱(しんばしら)」
もその一つ。塔の中にある鉄筋コンクリートの筒で、
上部は塔に固定されていない。本体とは違う揺れ方をして
地震や強風の影響を抑える。

1400年前に建立された法隆寺に使われた技法だ。
昭和の大修理を手掛けた宮大工の故西岡常一さんは著書
「木に学べ」(小学館)に書いた。
「ゆうらゆうら動いて、力が抜けるとまた元どおりに、
じっとおさまる。塔とはそういうふうに作るもんなんです」。

法隆寺の五重塔は心柱に納める仏陀(ぶつだ)の遺骨を守るために
建てられたが、スカイツリーが担うのはデジタル放送の電波を送る
機能だ。災害時にまず必要なのは情報だろう。
被災者と社会を結ぶ大切な役割を果たしてほしい。

法隆寺の五重塔には、先人たちが自然と向き合い、
学んだ技法と美意識が疑縮される。逆らわず、柔軟に。
そんな発想が、先端技術を駆使する東京スカイツリーにも受け継がれる。
来春の完成が待ち遠しい。

(M.N)

緑のカーテン

立夏を過ぎ、若葉がまぶしさを増す初夏に入った。
本格的な暑さが間もなくやってくるが、今年は東日本
大震災の影響で「節電の夏」が予想されている。

子どものころ、うだる暑さの中、行水を何回もするのが
心地よかった。うちわは必需品で、よしずやすだれを上手に使い、
戸や窓は開け放たれていた。風鈴の音色も涼しさを誘ったものだ。

扇風機もそれほど普及していなかったが、今よりは
過ごしやすかったように思う。それに比べて地球温暖化と
都市化が進む現代の暑さは実に厳しい。その中での節電だ。
エアコンに慣れきった身では早めに対策を考えておきたい。

強い日差しを和らげるのに、最近はゴーヤなどのつる性植物による
「緑のカーテン」が人気だという。葉から水分が蒸発する蒸散作用が
周囲の気温を下げてくれるし、豊かな緑による癒し効果も大きい。
国交省も「今からできる、誰でもできる緑化」と普及を呼び掛けている。

自治体が緑のカーテンづくりを勧め、実践する自治体、学校なども
少なくない。ゴーヤは、今植えれば7月過ぎには葉が生い茂るという。
栽培に手間がかからないのも魅力だ。子どものころの暮らしを
思い出しながら、電気に頼らない夏を工夫したい。

(M.N)

 

美術館

らんまんの桜色に代わって、若葉が枝々に広がり、
空を大きく覆う。萌(も)え出る多彩な新緑に吹く風が
染まり、心地良い。初夏のすがすがしさ、軽やかさ。

移ろう季節の中、燕子花(かきつばた)が見ごろを迎えていた。
訪ねたのは、コレクション展を開催中の南青山の根津美術館。
尾形光琳筆の国宝「燕子花図屏風」を中心に館蔵品が展示され、
日本庭園にも燕子花が咲き競う。

金地に群青と緑青のみでリズミカルに描かれた六曲一双の屏風は、
右隻と左隻の構成や微妙な濃淡の違いを楽しめる。
鑑賞後、起伏のある庭園を散策しながら都会の一角とは思えない
豊かな自然も満喫できた。

当初、「燕子花図」と米メトロポリタン美術館所蔵「八橋図」の
光琳による二つの金屏風が並ぶ予定だったが、震災の影響で
来春に延期になった。残念な思いをした人は多いはずだ。

地震と福島第1原発事故後、欧米から借りる巨匠の優品を
目玉に据えた企画展の開催中止や展示内容の変更が各美術館で
相次いでいる。海外の関係者が、日本への作品貸し出しに
難色を示したためだった。

「燕子花図」と「八橋図」は同じ伊勢物語を題材とし、
人物の描写こそないものの東国に下る途中の在原業平が都をしのんで
歌を詠む場面。大正時代、日本とアメリカに離れてから2作品は
一度も出会うことがなかった。100年ぶりの再会を待つ光琳画が
郷愁を誘った。

(M.N)

母の日

「母ありて/われかなし/母ありて/われうれし/(中略)
母ありて/われあたたかなり」。詩人サトウハチローが残した
詩のうち3千は母に関するものだ。

東日本大震災で被害のあった岩手県北上市は14年前から
サトウハチロー記念「おかあさんの詩」コンクールを
実施しているそうだ。寄せられた作品には母への思いが詰まる。

岩手県の幼稚園児の詩。「いちばんめに好きなのは
とうさんとにいちゃん/でもね、かあさんのことは/もっと大すきだから
/ゼロばんめ/ゼロだからいちより/ずっとぼくにちかいんだよ」

母の字は女性が子を抱く姿をかたどったとされる。
また母語、母国、母校など、母には源という意味もある。
サトーハチローと園児の詩には、命の源である母を慈しむ気持ちが共通する。

働く母親は外で仕事、家で家事・子育てに追われ、専業主婦は
一日中子どもと向き合う。「トイレでも/一人になれない/母親業」
新読書社「育児・子育て川柳」)。家事・育児に追われ、
家族の感謝を十分かみしめる余裕がないのも今どきの母親の一面か。

今年も6月から作品を募る北上市。被災地ではまだ作詞どころではない
地域もあるかもしれない。母親への感謝を気軽に詩につづる日常を
一日も早く取り戻してほしい。8日は母の日だった。各家庭で
素直に母親への感謝を伝えたい。「お母さん、ありがとう」の一言とともに。
孫に母親のありがたさを話してやったのだが、孫からの返事は
「ジィジィはバァバァを大切にしているの」だった。

(M.N)

省エネの知恵

夏場を中心に電力需要のピークをいかにカットして
いくかがこれからの大きなテーマになっている。
東京電力や東北電力の管内の話ではあるが、
全国でよそ事にしてはいけないことだろう。

省エネルギーの取り組みは今回の震災前から、
日本の社会に求められてきた環境問題上の大命題である。
脱化石燃料、消費電力の抑制は生活のあり方を問い掛けた
世界的ニーズでもある。

政府が示す目標は使用電力の15%カット。企業では
サマータイムの導入や工場の稼働時間の分散化、夏季休暇の
長期化などを検討している。一般家庭でも家電の使い方を見直
すなど、電力使用の削減が求められる。

国内の生産性を低下させずに省エネを成功させる取り組みは、
東日本だけでなく全国的なスタンダードモデルにもなり得よう。
これから試行されていく非常時の知恵をその後のローコスト社会、
エコロジー社会の実現に向けた礎としたい。

部屋を冷やすエアコンの設定温度を上げる。無駄な電灯の
スイッチを切る。省エネタイプの家電に切り替える。
夏場を軽装で過ごすクールビズを徹底する。打ち水をする。
すぐできる実践例も多い。

新旧の省エネの知恵を集積し一人一人が努力する。
人ごとにしないことが日本復興の推進力になるはず
であると思う。

(M.N)

石炭の世紀

21世紀は石炭の世紀だった。
と言われてもぴんと来ないかもしれない。
エネルギーの主軸を石油に譲って久しい。
燃やせば温室効果ガスの二酸化炭素(CO2)を
大量に出すから悪玉扱いもされた。

が、世界は「黒いダイヤ」の誘惑から解放されていない。
米国や中国の大量消費は言わずもがな。
太陽光や風力に熱心なドイツでさえ発電の5割近くが石炭。
何せ石油や天然ガスよりも価格が安い。

埋蔵量が豊富、産地が広範、地政の影響も低い。
ゆえに石油ショック以来、電源構成の影の主役だ。
人ごとではない。日本の電力会社が近年、最も精を出したのは
石炭火力発電所の建設だ。

「原発が増えると火電が増える」という言葉があるのだそうだ。
原発をつくれば、日常の出力調整と非常時に備える別電源が
必要になる。京都議定書後の10年で、石炭家電の総出力は
1200万キロワット以上も増えたようだ。
もはや石炭隠しのための原発であると思われる。

石炭の世紀とは、石炭とのつきあい方を考えなくてはならない。
日本はCO2排出を抑える石炭ガス化複合発電の技術力こそあれ、
実用化では後れをとる。原発一辺倒で進んだツケかもしれない。

福島原発事故を受け、再び脱原発に向かったドイツは、
火電が出すCO2を地下埋設する研究を本格化するそうだ。
環境負荷の懸念はあるが、使用済み核燃料の地層処分よりはまし。
そう思わされるのも、また原発の罪になるのだろうか。

(M.N)

心温まる力を与える行動

「 日本の強さは団結力」「一人じゃない。みんながいる」「頑張ろう日本」。
東日本大震災を機にテレビなどで有名人が語る被災地への応援メッセージ。
ここ数週間は故坂本九さんの名曲が流れ、被災地はもとより日本全体を
励ますようなCMにはおのずとパワーがみなぎってくる。

「頑張ってください」。被災した人たちには確かにそう言いたい。
そしてエールは送り続けなければならない。だが大津波で家と家族を失い、
住む場所さえままならない過酷な状況下の被災者に、
果たしてこの言葉を掛けられるだろうか。自問自答している。

石原プロモーションの渡哲也さんや舘ひろしさんらが
被災地の宮城県石巻市で1週間にわたって大がかりな炊き出しを行った。
俳優、スタッフ総勢100人は最終日の20日まで風呂に入らず、寝袋で
生活する様子がテレビで流れていた。被災者と連帯感を強め、
少しでもあすの活力になればーとの思いから同じ境遇に身を置いたのだろう。
そして親身になって話を聞いた。

「心が温まりました」。やはり力強い行動こそが一番のぬくもりだと感じた。
なかなかできるものではない。「頑張って」はその後でいいように
生意気ながら思った。石原プロモーションの方たちに頭が下がり、涙した。


(M.N)

「なぜ」「どうして」

「なぜ」「どうしてうちの子が」・・・。
悲痛な叫びが、どれだけ飛び交わったことだろう。
栃木県の国道で、集団登校していた小学生の列に
クレーン車が突っ込み、4年生から6年生までの児童
6人が命を奪われた。

みんな元気で明るい子だったという。
クラスのムードメーカーだったサッカー少年、
二人暮らしの母親のために、毎日家事を手伝っていた女の子、
野球が得意で事故の朝も母親とキャッチボールをした男の子・・・。

「行ってきます」と元気に家を出た子が、「ただいま」
も言わずに帰宅する。誰がそんな場面を想像しただろう。
孫のなきがらを抱いて病院から連れ帰った祖母は、
「まだぬくもりが残っていた」と無念そうに話していられた。
遺族の気持ちを思うと胸が詰まる。

事故現場にはランドセルが散乱していた。
地獄のような光景は、東日本大震災ばかりではない。
穏やかな日常の中にも残酷な不条理が潜(ひそ)んで
いることに、あらためて気づかされる。

検査関係者によると、現行犯逮捕された26歳の運転手は
「居眠りしてしまった」と供述したそうだ。
一瞬の気の緩みが、6人の子どもの未来を乱暴に
もぎ取ったわけである。

東日本大地震は天災だが、この事故は人災だ。
人災なら妨げるはずだ。ハンドルを握る人は、
いま一度、自分の凶器に乗っているという自覚も
持っていただきたい。「なぜ」「どうして」の叫びは
孫を持つ一人として、二度と聞きたくない。


(M.N)

リーダーの心構え

法隆寺金堂の再建などを手掛け、「日本最後の棟梁」と
呼ばれた宮大工、西岡常一さん(故人)が
棟梁の心構えを次のように説いていられる。

「木は土地や風向き、日当たりによって癖がある。
木の癖を見抜いてそれを適材適所に使うことやね」
(『木のいのち木のこころ』草思社)。
木は「人」に置き換えることもできる。

法隆寺の再建に集まった若い工人らは個性派ばかり。
西岡さんは工人らの癖を見抜き、心を一つにして
難事業を成し遂げる。「木を組むには人の心を組め」。
名棟梁が残した言葉は人を束ねるリーダーへの遺言でもある。

リーダーといえば、東日本大震災後の日本再建を担う
「棟梁」、首相の手腕は心もとなく見える。
福島第1原発事故の対応は後手後手、場当たり的に映る
避難対策には被害者の不信感が募る。

死者・行方不明者2万7627人。避難者13万6438人
(4月19日午前10時現在、警察庁まとめ)は避難所
生活を送り、明日さえ見えない日々を過ごされている。
リーダーは今こそ、日本再建に向けて青写真を示し、
みんなの心を一つに束ねる言葉を語ってほしい。

「百論を一つに止める器量なき者は慎み惧(おそ)れて
匠長(棟梁)の座を去れ」。難事業を率いた西岡さんは、
こう自身に言い聞かせて奮いたたせた。
日本再建という空前絶後の難事業に挑む「棟梁」も
胸に刻む言葉である。

(MN)

 

新入生

肩幅より大きいランドセルを背負った小学生や
ダブダブの制服を着た中高生。
初々しい1年生の姿が目につく。新入生たちは、
新たな環境にようやくなじみ始めたことだろう。

今春、小学1年生になった子どもたちの『就きたい職業』は、
男の子は「スポーツ選手」「警察官」「運転手士」、
女の子は「パン・ケーキ・お菓子屋」「花屋」「芸能人・タレント」
がトップ3。人工皮革を製造・販売する会社のアンケート結果だ。

男の子は「ユニホームを着る仕事にあこがれ、女の子は
仕事にも「華やかさ」を求めているようだ。
子どもたちの素直な気持ちが感じ取れる。

一方、親に聞いた『就かせたい職業』は、男の子が「公務員」
「スポーツ選手」「医師」、女の子は「看護師」「薬剤師」
「公務員」が上位を占める。景気低迷を背景に、安定した職業を望む
親心がのぞく。親子の違いが興味深い。

東日本大震災の混乱が続く中でスタートした新年度も半月が過ぎた。
被害に遭い、将来の夢を描けない1年生もいるに違いない。
日本中の子どもたちが『夢』をあきらめることがないよう、
迅速な復旧・復興に向けて大人たちは英知を結集する必要がある。

プロ野球が開幕し、中断しているJリーグも23日に再開する。
プロらしい豪快、華麗なプレーで「スポーツ選手」にあこがれる
子どもたちに夢と元気を届け続けてほしい。

(M.N)

愛犬

悪天候で15匹の犬を置き去りにせざるを得なかった現場に
1年ぶりに戻った。前方に2匹の影。人を見ても近づこうとしない。
置き去りを恨んでいるのか。そうも思ったが、覚えている犬の名前を
片っ端から呼んでみた。

「タロか」の声に、1匹のしっぽがわずかに動いた。
もう一度呼ぶと今度はしっぽを大きく振った。他の1匹はジロと分かる。
1959(昭和34)年1月、日本の南極観測隊が到着した昭和基地であった
カラフト犬、タロとジロの奇跡の生存劇だ。

以上のことは元隊員、北村泰一・九州大学名誉教授の回想だ。
極寒の地でそりを引くカラフト犬は観測隊には欠かせない存在で、
死んだ犬は丁重に水葬された。北村さんは力を込める。
「15匹は単なる犬ではない。南極を生き抜いた戦友だと」。

戦友、この言葉は東日本大震災のペットにも当てはまらないか。
岩手県宮古市の83歳の女性は、津波から逃れる途中、愛犬ハチとはぐれる。
深い喪失感。しかしハチの無事を知ると気分は違った。
「津波で財産が裸になっても、ハチがいてくれれば力が湧いてくる」と。

(M.N)

浦安の前代未聞

県議選の選挙事務を拒否する浦安市と総務省の対立は、
未曾有の東日本大震災で、行政手法の違いが
抜き差しならなくなったと言えなくはない。

市内の4分の3は埋め立て地。大地震であちらこちらから
泥水が噴き出し地面は波打った。液状化現象である。
公共施設の多くが被災し、職員もライフラインの復旧にかかりきりだ。
とても選挙は無理だと浦安市は延期を求めてきた。

統一地方選延期の特例法を作るまでは国も地方も、
選挙どころではないという判断で一致していた。
その適用範囲を、総務省が物理的に影響のある
三県二十市町村に限定して、両者は袂を分かつことになる。

総務省は「多少困難があっても、しなければ法律(公職選挙法)違反
になる」という批判はその通りでも、特例法を制定しなければ
ならない環境のもとではどうか。施設や学校の被災状況を調査し、
千葉県選管の見解、判断を参考に選挙延期の「指定の必要なし」
と総務省。「自分たちの代表を選ぶ民主主義の重要なプロセス。
市はしっかり自覚していただきたい」との判断。

市内の小中学校は同じころに入学式を開く。
「安全に投票できる場所はあるはずだ」。県選管はあくまで
予定通り実施をとの立場だ。互いに歩み寄りの気配はなく、
このままでは当選者を決められない前代未聞の事態となる。

仮に投票所施設が万全で、県や総務省の応援で選挙事務などの
「物理的」な体制は確保できたとしても、有権者の大半が
市を離れていては誰のための民主主義かという根幹が問われると思う。

(M.N)


節電・節約

東日本大震災以降、スーパーなどは通常より照明を落として営業し、
節電に努めている。足を踏み入れた瞬間は暗いと感じるが、
数分もしないうちに慣れる。

多くの店舗や会社、工場等も営業・操業時間を短縮するとともに、
暖房の温度を抑えている。それぞれ経営への影響も
少なくないだろうが、被災地に思いを寄せて痛みを分け合っている。

一般家庭でも同様だ。厚着をして暖房の温度を2~3度
低くしている。こまめな消灯を心掛けるなど、それぞれが
できる範囲で節電に協力していることだろう。

冷蔵庫を点検すれば、数日は困らないだけの食料が
保管されているはず。乳製品やレトルト食品を中心に
品薄傾向が続いているが、不要不急な食料品の買いだめは慎みたい。

地震発生から今日で1か月を迎えた。少し耐える生活を送る中で、
普段、快適すぎる環境下で暮らし、仕事をし、限りある資源を
無駄遣いしていることに気付かされる。

甚大な犠牲の上にだが、大震災は私たち日本人に多くのことを
教えてくれている。日々の生活を見直すきっかけも。
「足るを知る」ことの大切さを心に深く刻みたい。

(M.N)

強い使命感

桜の季節になった。いつもなら浮き立つ気分にあふれる
花見の名所も、今年は華美な演出を控える所も多いようだ。

絢爛(けんらん)、生命力、無常観。桜は人にさまざまな思いを
抱かせる。桜前線は北上し、やがて東日本大震災の被害地に及ぶ。
平穏であったなら、一緒に花見を楽しめたはずの家族や友人を失った
被害者の方たちは「大切な人」を花に重ねることだろう。

自らの命を賭して「大切な人々」を救った人たちいる。
宮城県南三陸町の24歳の女性職員もその一人。
防災放送の業務中、行方不明になったと新聞、テレビで報道された。

自分にも危険が迫る中、津波の襲来と避難を懸命に呼び掛け続けた。
町に響く放送に背中を押され、助かったと住民たちは感謝する。
任務中に殉職したり安否不明となった警察官や消防士の方も多い。

生死がかかった最前線での強い使命感は、国民が一体となって
苦難に挑むようにとのメッセ-ジにも思える。
危機が続く東京電力福島第1原発事故でも、放射能の危険の中で
過酷な作業に取り組んでいる人たちがいる。
困難の連続だろうが、無事に任務を果たしてもらいたいと
祈るばかりだ。

東北の桜は美しく見応えがあるという。
厳しい冬を耐えて迎える春の輝きが大きいからだろう。
今年の花は未来への「希望」であってほしいと願うばかりだ。

震災と統一選

新年度が始まり多くの若者が社会人としての第一歩を踏み出した。
しかし、東日本大震災の影響で入社式や入庁式の中止や延期が相次いだ。
被災地では無念の思いでこの日を迎えた人も多かろう。

家族や友人を亡くし家や職場を失った青年は少なくない。
岩手や宮城では新卒者の内定取り消しや入社延期などで
不安を抱えたままの人もいる。一方、大きな被害を受けた地域の
企業や役所で再建・復興への決意を込めて前を向いて
歩き出した姿が報じられ、ただただ胸が熱くなった。

「人は2回の誕生がある。一つは世に現れたとき、一つは
(職業)生活に入る時」(ルソー)という言葉もあるほど
働くことは大切だ。仕事の確保、特に若い人への手厚い配慮がほしい。

原発事故と合わせ「未曾有の国難」と言う表現が大げさでないほど
被害状況は深刻で甚大だ。こういう時こそ「一人一人の痛みを
全体の痛みとして感じ対処する」政治が求められるのではないか。

地方分権の時代に、自治体レベルでも復興支援にさまざまな
工夫、知恵を出すことが可能だ。
折から統一地方選の前半選挙が告示された。

地域防災などそれぞれの足元の課題が重要な争点だろう。
加えて、選挙が延期された被害地域3県1市の住民を思い、
どう支援できるか、までが論じられるような統一地方選になれば
と願いたい。

(M.N)


絆と復興への道

つないだ手と手、そのぬくもりが途切れることはなかった。
濁流にのみ込まれそうになった妻を、74歳の夫は
必死につかみ決して離さなかった。
約50年連れ添った夫婦の絆は、大津波にも屈しなかった。
生死のはざまを揺れ動いた人々の様子が次々と伝わってくる。

被災地からは続々と産声も上がる。手放しで喜びたい
新たな家族の誕生なのに避難生活で無事に育てられるのかと
親たちは不安を隠せない。ストレスから出産後、
母乳が出ない母親もいる。だが小さな命は輝きを放つ。
「子どもの笑顔が何よりも力をくれる」。避難所から毎日、
徒歩で往復2時間以上かけて知人宅を訪ね、ミルク用のお湯を
調達している夫婦は、授かった命が心の支えだ。

赤ん坊は母親の声を間近に聞くと、ぬくもりに抱かれると
安心するのだろう。泣きやんだり、眠りに落ちる。
その笑顔、寝顔は周囲に幸せをもたらす。赤ちゃんが安らかに
寝息をたてていられるのは、疑いのないお母さんの
愛情があるからこそ。

がれきの街で今なお、、家族を探し続けている人のことを
思うと胸が痛い。一方、避難所などでは、一つ屋根の下、
身内を思いやるように助け合う新たな”家族”ができつつある。
生まれたときから誰もが持っている家族という絆。
復興への苦難を乗り越える、かけがえのない力になる。

住民の安心を確保する責任は、国が負っている。
崩れかかっている状態を立て直し、その「復旧」を
急がねばならない。

(M.N)

祈りすがりたい

祈るような気持ちで陸上自衛隊ヘリコプターによる
水投下に見入った。ぶっつけ本番の作戦だそうだ。
福島第1原発の上空に4回飛来し、大量の水を一気に投下された。
風にあおられて水が飛散しているようにも見えた。

原子炉建屋の上空にとどまって的中させるのがいいのだろうが、
乗員の被ばくを考え、通過しながらの投下となった。
続いて警察の高圧放水車や自衛隊の消防車による陸上放水も
始まった。空と陸からの両面作戦に臨んだ隊員たちは、
防護服に身を包み決死の作業が続けられた。

原子炉本体より使用済み燃料プールのほうが厄介なようだ。
使い終わっても熱を出し続ける燃料は、水を循環させて冷やしている。
電源を失って冷やせなくなった。そのまま加熱し
溶けだすことになれば、高濃度の放射性物質が飛び散る。
限界が迫り、前例のない水投下に踏み切ったとのだ。

使用済み燃料の取り扱いがこれほど難しいとは知らされてこなかった。
貯蔵プールの備えは、圧力容器や格納容器で守られている原子炉ほど
厳重ではない。六ヶ所村の施設についても確かな情報が必要だ。
安全神話が崩れた今、原発を含めたリスクをタブー視せずに
検証しなくてはならない。

使用済み燃料は猛毒のプルトニウムを含む。
冥王星プルートにちなむその名前は、神話世界に住む冥王
つまり地獄の王に由来するとのこと。何と皮肉な名をもらった
元素だろう。暗闇の冥王は一体何に怒っているのだろうか。
怒りと暴走を鎮めようと奮闘されている自衛隊、警察の
力にすがりたい。

(M.N)

津波の脅威

突然、東北地方から関東地方を襲った東北地方太平洋沖地震。
地震の規模を示すマグニチュードは8・8。
観測史上最大の巨大地震となった。時々刻々と流される
テレビの被害情報にくぎ付けになった。

津波が大地を飲み込んでいく上空からの映像に身震いが起きた。
戦慄(せんりつ)が走ったのは大津波の恐怖を伝える
テレビ中継映像に「あーっ、危ない!」「逃げろ!」。
思わず叫んだ。仙台市郊外の海岸近く。車は知らずにいるのか。
壁のような津波が沖合いで仁王立ちになり、川を逆流し、
住宅や車を容赦なくのみ込んでいく。
あらためて思い知る津波の破壊力だ。

湾内では漁船やフェリーが津波に翻弄(ほんろう)され、
岸壁に衝突する。仙台市を南北に流れる名取川河口付近では、
海から押し寄せた茶色の巨大な津波が川を逆流。堤防から
あふれ出た濁流で、地上のすべての物が流される。
火災した住宅や車を巻き込みながら、津波は衰えをみせずに
広がり続ける。濁流から逃れようと右往左往する車。
車を道路に放置して逃げ惑うドライバー。
届かないとは分かっていながら、「早く」と
呼ばずにはいられなかった。

津波の脅威は何度も聞かされてきた。昔の記録にもある。
しかし、どこかで高をくくっていた部分があった。
あの脅威を目のあたりにして、一刻も早い非難の重要性を
思い知った。

被害の全貌を一刻も早く把握し、救助・救援に
全力を挙げなければならない。国の危機管理能力だけでなく
、何よりもまず、国民一人ひとりが救援に向けて、
できることをできる範囲で協力することが必要だ。

(M.N)


 

苦役列車から

今年1月、芥川賞に決まった西村賢太さんの「苦役列車」が、
純文学作品としては異例のベストセラーになっている。

中学卒業後、日雇い労働をしながら自身の体験を基にした
私小説を書いてきた43歳の西村さん。「苦役列車」もまた、
日雇い仕事で食いつなぐ19歳の貫多を主人公にした私小説である。

恋人も友人もなく、家賃もろくに払えない。そんな貫多の
駄目さかげんをこれでもかこれでもかと切なく、ユーモラスに
描いている。不況、就職難、貧困、格差社会・・・。
若者を取り巻く息苦しい時代状況が、「苦役列車」を
ベストセラーに押し上げたのだろう。

「文芸春秋」3月号で、西村さんはこう語っている。
「現実問題として、僕は女性と結婚して幸せに
なったりとかできませんから。その資格もありませんし。
残された道は、逃げずに私小説を書いていくことしかない」

一方、混迷を深める政治の世界。新年度予算案は衆院を
通過したものの、予算関連法案成立のめどは立っていない。
民主党では衆院16人が予算案採決で造反、1人が離党届を提出した。
まさに現政権は、"苦役列車”に乗っているようなものである。

違うのは、西村さんには作家としての覚悟があることだ。
駄目男を描きながら、行間におのずとにじみ出る潔さが、
読者の共感を呼ぶのだろう。

(M.N)

人道危機回避を願う

「あなたに王座を与えたのは、私にココナツの殻をくれたのと同じ人」。
アフリカのことわざだ。すべて神のおぼしめし。
支配者が人より偉いとか優れていることはないことを表す。

多くのアラブ諸国で、民衆は強大な権力に無理やり抑え込まれてきた。
独裁者は沈黙を強いることはできても、心までは支配できない。
長年の矛盾がついに噴き出したと言えようか。

チュニジアの「ジャスミン革命」に始まり、エジプトの独裁政権も倒した
反体制デモは周辺各国に拡大。徹底した強権体制を敷き、
揺らぐことがないと思われたリビアのカダフィ政権が、
存続の岐路に立っているようだ。

軍が中立を守ったチュニジアやエジプトと異なり、武力鎮圧を強行。
デモ弾圧の犠牲者の葬儀で参列者にまで実弾が浴びせた。
外国人の雇い兵を動員した容赦ない姿勢に、国民の反感が強まる。

軍の内部や政権内からの離反が広がっている。
それでもカダフィ大佐は「反逆者は粛清する」と、デモ隊を
徹底弾圧する姿勢を示している。国際社会の人道危機回避を求める声に
耳を貸す気配はない。

アフリカにはこんなことわざもある。
「クモも巣を張り巡らせれば、ライオンでも捕まえられる」。
独裁者への恐怖を乗り越えた民衆を止めるすべはないように見える。
犠牲者が際限なく増えないかが心配だ。

(M.N)

自立することの大切さ

日本マラソン界に新鮮なスターが誕生した。
先日の東京マラソン。2時間8分37秒の好記録で
日本選手最高の3位に入った川内優輝選手だ。
今夏、韓国で開かれる世界選手権の代表にも内定した。

全国的には無名の存在。学習院大学時代、箱根駅伝には、
出場できないチームの選手を集めた学連選抜の一員として
2度出場したが、目立った活躍はしていない。
おととし学習院を出て埼玉県職員になり現在は、
埼玉県春日部東高校定時制の事務員。

勤務は昼すぎから午後9時ごろまでフルタイムで働いて
いられる。勤めに出る前に2時間ほど近所の公園を走る。
月間走行距離は約600キロ。全日本級の選手は
千キロ前後を走るというからその6割程度である。
その代わり練習メニューは自分で考え、
体調と相談しながら決めるそうだ。

42・195キロを走るマラソンは苦痛である。
心臓はあえぎ、筋肉は痛めつけられる。それでも走るのは、
自らが選んだ事情。自分との約束である。
苦痛は避けられないけれども、約束を果たすかあきらめるかは、
自分が選択できる。それが常にコーチの指導下にあり、
組織の一員として「仕事」で走り込みを続ける実業団選手との
決定的な違いである。

川内選手は、その辺の事情を「遠征費も自分持ち。本当に
好きでないとやっていけない」といわれる。
無名の23歳は自ら挑戦し、自分との約束を果たしたことで、
自発的に行動することの大切さを教えてくれた。
世界選手権には有給休暇か、就業規則にある
職務専念義務免除を利用して参加されるそうだ。 

(M.N)


受験生

大ベストセラーの超ロングセラー、受験生に愛され続ける
”赤尾の豆単”こと「英語基本単語熟語集」(旺文社)の
復刻版(1966刊行)が発売されたようだ。
お世話になった人は数知れず。思わず、郷愁に駆られる人も
多いのでは・・・。

初版は42(昭和17)年だが、団塊の世代が
大学受験期を迎えた60年代半ばから爆発的に売れた。
復刻版の66年当時の価格は180円。受験生人口60~
70万人に対して年間売り上げが30万部に達したという。
出題頻度の高い見出し語句は赤色刷りで、ただひたすら
日本語訳を暗記したものだ。

受験誌「蛍雪時代」(旺文社)が今もあることを最近知り
懐かしさに駆られた。この「蛍雪」という言葉は、
中国・晋時代の歴史を記した「晋書」にある故事が元と
なってるそうだ。車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)
という貧しい若者がおり、車胤は夏、ホタルヲ数十匹集めて
絹の袋に入れ、その光で勉学に励んだ。

孫康は冬、窓辺に積み上げた雪の明かりで書物を読み勉強した。
そうした努力の結果、2人は晴れて高級官僚に登用されたことから、
苦労あるいは苦心して学問を修めることを「蛍雪}と
いうようになった。

国公立大2次試験の前期日程がスタートした。志願者は
中期日程と後期日程を合わせた全体で50万4000人。
倍率は、国立大が4.6倍という。さあいよいよ実力の
みせどころだ。ガンバレ受験生!
みんなの将来に、明るい光が差す世の中になるよう祈るばかりだ。

(M.N)


震災に備える

ニュージランド・クライストチャーチ市で
2月22日に発生した大規模地震。震源の深さが
約5㌔、マグニチュード6・3の直下型の強い地震で、
建物の倒壊の様子など現地の状況が連日、
テレビなどで映し出され、被害の大きさを伝えている。

日本でも、平成7年1月17日午前5時46分に、
阪神・淡路大震災が発生。震度7、マグニチュード7・3、
直下型の激しい揺れに見舞われた。6434人の命が
奪われるなど、甚大な被害がもたらされた。

阪神・淡路大震災でのボランティア活動や住民の自発的な
防災活動の重要性が認識され、1月17日を
「防災とボランティアの日」、15~21日を「同週間」
と定められている。

各市町村でも自主防災活動の認識を高めようと、
週間にちなんだ行事や広報活動、訓練などが行われている。
災害は、いつどこで発生するか分からないし、自分が被害に
遭わない保証はない。「備えあれば憂いなし」ではないが、
万一の事態を想定し、気をつけたい。

(M.N)

  

ジャイアントパンダ

上野動物園に約3年ぶりにジャイアントパンダがやって来た。
中国四川省雅安の保護施設から上海経由で成田空港に空路到着した。
3月末には愛くるしい表情を見られそうだ。
地元は歓迎ムード一色、子どもたちは対面を心待ちにしている。

中国の発表によると、研究センターなどで飼育されているのは
約200頭、野生では約1500頭。
毛布目当ての狩猟で21世紀初頭に絶滅の危機を迎えたが、
その後の保護区設定と人工繁殖で盛り返しつつあるという。
2008年の四川大地震で保護施設が破壊され、
多くのパンダが引っ越した。

日本へ初来日は1972年10月。日中国交正常化記念として
中国から上野動物園に2頭寄贈された。雄の「カンカン」、
雌の「ランラン」を見ようとガラス窓越しに長蛇の列ができ、
空前のパンダブームが起きた。2008年4月に
「リンリン」が死亡以来、上野で飼育されていなかった。

今回レンタルで来日したのは雄の「比力(ビーリー)」と
雌の「仙女(シィエンニュ」。比力は大食いで、
仙女は人懐っこいという。パンダブーム時に「客寄せパンダ」が
流行語になった。集客力のある人気者を指した。
比力と仙女は、選挙を戦う陣営の垂涎(すいぜん)の的になる
ことだろう。

(M.N)

痩せ我慢

「暖衣飽食」を戎められて育ったというよりは、
そもそもぜいたくなどしたくてもできない時代の申し子たちは、
冬でも厚着せず、寝るときも暖房の世話などにはならなかった。

だが、それも若いうちだけのこと。加齢とともに
寒さが身にしみるようになり、あれほどいやがっていた
電気毛布のお世話になることも抵抗を感じなくなるようになる。
「伊達の薄着」に耐えられなくなって厚着を始めても
「神経痛の予防のためだよ」と言い訳はきくが、電気毛布だけは
抗弁できない。

しかし寝室には暖房がないのだから、それぐらいは
大目に見てもらうことにし、昨年からこの「文明の利器」を
利用している。ただ、確かに暖かいことはいいにしても、
室温や体温を測りながら熱量調節をできないので(最新型はできる?)
そのおしつけがましさが気になるのはいかんともしがたい。

だが、この冬はなぜか事情が一変した。温度を最高にしても
暖かくならず、それどころ薄冷えさえするのである。
これは毛布の能力が追いつかないほど今年の寒さが厳しいため
だろうと考え、人に会うたび「いやぁ、今年の寒さは格別だねぇ」
と同意を求めていた。むろん年のせいも考慮はしての上だが。

だが先日、今夜は冷えそうだからと、あらかじめ電源を入れ、
ふと温度調整目盛の横を見たら、なんと切り替えスイッチが
「2時間」を指していた。その下には「15時間」とある。
つまり毛布は2時間だけ作動していたのだった。
どうりで寒かったわけだ。

(M.N)

現代中国

孔子は、弟子から政治の要締は何かと問われて答えた。
「まず国民に十分食べ物を食べさせること」、次に軍備充実で
安心させ、「為政者が国民から信頼されること」。
「民信なくんばたたず」の教えだ。

現代中国は社会主義を掲げてはいるが、政府指導者にとって、
この紀元前の教えは今も切実かもしれない。広大な国土に
13億人の国民を抱えて、「まず食べさせること」が
求められているからだ。

日本を追い抜き、国民総生産(GDP)世界2位の中国。
軍備を拡大し米国と張り合う大国となった一方で、
内部矛盾が広がっているそうだ。貧富の差の拡大や
拝金主義の横行。カネとコネがものをいい、
礼節はどこへやら、が目立つとも聞く。

1960年代の文化大革命で毛沢東が「批林批孔」運動を仕掛け、
孔子は封建的として排除された。あれから時を経て孔子はは復活。
北京五輪の開会式で孔子の名句を唱えた演出は、
中国の精神文化のアピールだった。

GDP世界2位の国にふさわしい礼節とは。
「論語」に「礼の用は和を貴しとなす」を見つけた。
これは礼儀作法だけでなく、全体の調和が大切という教えだ。
大国であればこそ心がけるべき振る舞いではないだろうか。

さすが5千年の歴史に培われた教えは、現代でも生きる。
ただし、民を治める為政者向けだ。広がるインターネットから、
GOP2位の市民向け教えが出てくるかもしれない。

(M.N)

エジプトの政情不安

30年前、エジプトの大統領が暗殺されたニュースに
驚いた記憶がある。米国の仲介で敵対するユダヤ人国家の
イスラエルとの和平に合意、ノーベル平和賞も受けた
サダト大統領は1981年10月、軍事パレードを観閲していたさなかに、
反発を強めていた勢力の銃弾に倒れた。

当時、副大統領だったムバラク現大統領がその跡を継いだ。
以後、この国では政権トップが代わることなく同大統領が
その座に居続けてきた。今回の反政府デモの報道に接して、
そのことをあらためて思い起こした。

巧みな外交と経済復興の裏で、赤ん坊が30歳の大人になるまでの
長い年月にわたり強権体制が敷かれてきた。打倒を求めて
大規模なデモが繰り返され、そのデモ隊と大統領支持派が衝突し、
多数の死傷者が出る事態ともなった。

「中東の大国」で先進国との関係も良好なエジプトの
政情不安が続けば、他の国にも深刻な影響を及ぼしかねない。
現に原油価格の上昇傾向がこの騒乱で加速し、米国の先物相場では
2年ぶりの高値を付けた。

国民同士が血を流して争うような不幸はどのような事情があるにせよ
終わりにしなければならない。イスラエルとの間で
歴史的な平和条約締結を果たした国だけに、国内安定への道筋は
きっと描けるはずと思うのだが。

(M.N)

批判と評価

JR両国駅からほど近い旧本所松坂町、
現在の墨田区両国3丁目に白いなまこ壁に囲まれた
「吉良邸跡」がある。赤穂の四十七士が
討ち入りを果たしたところだ。

かっては約8400平方メートルもある広大な屋敷だったが、
いまは約98平方メートルしかない。
邸内には苔(た)むした「吉良の首洗い井戸」があり、
歴史を感じさせる。

吉良上野介といえば、忠臣蔵ではすっかり悪役とされたが、
邸内にあった資料によると、領地三河の吉良(愛知県吉良町)では
評判よく、人々が「吉良様」と呼んで敬う善政の殿様だったという。
領地に滞在しているときは赤い馬に乗って巡回し、
「吉良の赤馬」は、名君と共にその名を残す。

吉良の殿様でなくとも人の評価はつくづく難しい。
ある意味で評価と批判は表裏一体。
批判を受けるのは権力者の常であり、
どちらが正しいとも言い難い。

その点は、現在の政府も同じ。批判を恐れては何もできないし、
批判に謙虚でなければ国民にそっぽを向かれてしまう。

経済の建て直しや雇用の拡大、税と年金など課題が
待ったなしの状況の中で、内閣は歴史にどのような評価を残すのか。
いよいよ真価を問われる正念場を迎えた。

(M.N)

母の手紙

野口秀世(1876~1928年)の母シカが
米国の研究所にいる息子英世に書き送った手紙。
魂を揺さぶられるような文字で綴られている。

福島県・猪苗代湖の近く、生家に隣接して立つ
「野口英世記念館」に展示されるその手紙。
1度読んだぐらいではとても判読できない仮名ばかりの手紙。
まるで文字を覚えたての幼児が書いたようなたどたどしさ。
句読点のルールも完全に無視されている。

「おまイの。しせにわ。みなたまけました。はるになるト。
みなほかいドに。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドかはやく。きてくだされ。はやくきてくたされ。いしよのたのみて。
ありまする(中略)」

お前の出世にはみんな驚いている。春になるとみんな北海道に
行ってしまう。私も心細い。どうか早く帰ってくれないか。
早く帰ってきてくれ。一生の頼みだー。結びは
「いつくるトおせて(教えて)くたされ。これのへんちち(返事を)
まちておりまする」

異国で研究に励むわが子の成功を喜び、一度でいいから
その帰りを待ちわびる母の愛情がにじみ出ている。
英世を思うシカの愛の深さ。すごみさえ感じられる名文といえようが、
精いっぱいに覚えたであろうその文字にも目頭が熱くなる。

シカは自分の不注意で幼いわが子に一生消えないやけどを
負わせたーと自分を責め、食うものも食わないような極貧の中で
息子の学費を工面したという。それに応えて英世は、上京する時に
「志を得ざれば、再び此の地を踏まず」という決意を柱に刻んだ。

この母にしてこの子あり。今、、まさに受験シーズン。
時代はさかのぼるが、こんな母子の姿を思えば、
ぐっと力も出てこようというものだ。あと一息、がんばれ!

(M.N)

節分

きょうは節分。今晩はあちこちの家から「福は内、鬼は外」
の声が聞かれることだろう。節分にはいり豆をまき、
自分の年だけ食べると、一年間病気にならないといわれる。

一般的な豆まきのの口上は「福は内、鬼は外」だが、
そうとは言わない所も数多くある。たとえば、
鬼が投げた石でできた町と言われている群馬県鬼石町では
鬼は守り神。このため、「福は内、鬼は内」と言うそうで、
全国の家々から追い出された鬼のために、
「鬼さん、いらっしゃい」とばかり、イベントを行うというから面白い。

このほか、「恐れ入谷の鬼子母神」でおなじみ東京都台東区の
鬼子母神では、「福は内、悪魔外」で「鬼は外」とは言わないそうだ。
家庭によっては豆ではなく、落花生やチョコレート、キャンデーを
まくところもあると聞く。

風習は時代とともに変わってきたが、ここ数年で、
全国に広がったのが「丸かぶり」だ。節分にその年の神様が
やってくる方向「恵方(えほう)」を向きながら、
巻きずしを切らずに丸のまま食べる変わった風習のこと。
そうすると、一年の願いがかなうという。

発祥地は関西。だからか、巻きずしは「太巻き」。
節分の夜に家族そろって恵方を向き、願い事を念じながら
無言で巻きずしにかぶりつくものらしい。

巻きずしは、商売繁盛や家内安全などの「福を巻き込む」から、
切らないのは「縁を切らぬ」ためだそうだ。
ちなみに、今年の恵方は南南東の方角という。

(M.N)


サッカー・アジア杯

「悲劇」の地を「歓喜」の地に半ば変えた。
サッカーファンが悲劇の舞台として語ってきた中東カタールの
首都ドーハが、歓喜の舞台として語られようとしている。

1993年のドーハでの対イラク戦で、日本は終了間際に追いつかれ、
引き分けた。ワールドカップ(W杯)米国大会のアジア最終予選でのことだ。
勝っていればW杯初出場が決まっていた。「ドーハの悲劇」と呼ばれる。

そのドーハでは今、アジア王者を決めるアジア杯が行われている。
勝ち進んだ日本は準決勝で韓国に勝った。最後までドキドキした。
韓国には5年半も勝っていなかった。深夜の中継にも
かかわらずテレビの平均視聴率は35%もあったそうだ。

あらためて振り返ると、日韓戦では悔しい思いばかりをさせられてきた。
力は少なくとも互角のはずと専門家は言うのに、終わってみれば
笑顔はいつも韓国の側にあった。気持ちで負けていたような
ところも感じられた。

昨年のW杯でベスト16に進出して一皮むけたようだ。
若い選手が出てきた。気持ちが強くなった。絶望的な状況でもめげない。
今大会でも、反則退場で1人少ないうえに1点負けている試合を
ひっくり返したことがあった。

半ば、が取れるか否かは決勝戦にかかっている。
オーストラリアも手ごわい。選手がエネルギーを使い果たしていなければ
いいのだが・・・。そう思わせるくらいに力の入った韓国戦だった。

(M.N)

二重被爆

チャーチル元英首相の名言が思い出される。
「築き上げることは、長年かかる骨の折れる仕事。
でも破壊するのは、たった一日の思慮のない行為で足りる」。
まさに地でいくような出来事というほかあるまい。

広島と長崎で二重被爆した山口彊(つとむ)さんを
「世界一運が悪い男」とお笑いテレビ番組で
ジョーク交じりに取り上げた英BBC。
きのこ雲の写真を掲げたスタジオから笑い声が上がる。
「不適切な無神経」と日本大使館が抗議したのは当たり前だ。

BBCといえば、核問題を取り上げた優れた番組制作で知られる。
7年前には取材クルーが広島県内に滞在。原爆投下をテーマにした
ドキュメンタリーを撮影した。被爆者の声を聞き、平和記念式典にも
レンズを向けた。

今回は娯楽番組とはいえ、きのこ雲の下で起きた惨状に
思いが至らなかったのだろうか。BBCは「不快な思いをさせて申し訳ない」
と慌てて謝罪。原爆に対する日本人の敏感さに理解が足りなかった
との弁解を聞いても、釈然としない。

「うち重なり焼けて死にたる人間の脂滲(にじ)みし土は乾かず」。
昨年93歳で他界された山口さんは被爆体験を数多くの短歌に
残していられる。戦後は通訳や教師を務めるほど、
英語にも堪能だったそうだ。その言葉にしっかりと耳を傾けてほしい、
これからでも。

(M.N)

受験生の君たち

知人の長男に元気がない。先日行われた大学入試センター試験。
思ったより出来が良くなかったらしい。進学塾に採点結果を提出し、
志望大学の予想判定待ちだという。

まじめに努力してきたことを知っているだけに励ましてやりたいところだが、
家族は入試の話題を避けている様子。受験を何度も経験した"先輩"として
「大丈夫。何とかなる」などと安易に声を掛けることは控えた。 

彼は難易度の高い「国立理系」が第一志望。
本来は文系科目が得意なのにもかかわらず、就職「新氷河期」を
踏まえてのことだ。二次試験を前に浪人も覚悟しているらしい。

周囲への気配りを忘れない優しい君よー。受験は人生の一大事。
緊張も強いられ、普段の明るさを失ってもやむを得ないかもしれない。
しかし、スピードスケーとで冬季五輪に5度出場した岡崎明美さんは、
著書「挑戦力。」の中で「もがき苦しみながら、挑戦しなければ進歩は
ない」と記している。

幼少時代からスポーツ万能の岡崎さんが、唯一苦手な競技がスケートだった。
努力しても簡単には上達しないハードルの高さが、逆に「やる気に火を付けて」
息の長い一流選手へと成長させた。

もがき苦しんでいる受験生の君たち。今は成長できる好機と考えて,
結果がどうあれ、これまでの努力は決して無にならないし、後になれば
「人生の一大事」というほどのことではなかった、と笑って話せる時が来るから。

(M.N)

芥川賞

新人作家い与えられる「芥川賞」に個性的な2人が選ばれた。
芥川賞も時間の問題と前評判が高かったらしい朝吹真理子さん(26)と、
「万に一つも受賞の可能性はないと思っていた」と言う
西村賢太さん(43)。好対照な新星である。

作品の世界が違うのは当然だが、会見で与える印象、
さらに経歴も両者個性を放つ。文学一家で育った女子大学院生と、
複雑な家庭環境に育ち中学卒業後フリーターで生計を
立ててきた男性。その2作品を選んだ芥川賞は
話題作りがうまいのか懐が深いのか、とにかく目を引く
選出である。

折りしもこんなニュースが流れる。大学生の就職内定率過去最低。
まだ3割以上が未定で、大氷河期なる言葉も出始めた。
一方で婚活に疲れ果て、精神科外来を訪ねる「婚活うつ」の増加が
ささやかれる。そんな中だからなのか、受賞する2人の
こんな言葉が印象深い。作品への思いである。

「小説は読み手の『あなた』に向けた愛の小包」(朝吹真理子さん)、
「自分より駄目なやつがいるんだなという気持ちになってもらえれば」
(西村賢太さん)。どんな人を想定した言葉か分からないが、
消耗戦で疲弊しがちな時代。聞きようによっては、
元気出してと声援のように聞こえないだろうか。

一方の直木賞も木内昇さん(43)、道尾秀介さん(35)の
2人が受賞した。計4人の受賞は7年ぶりだ。
何かと話題の多い今回の受賞作、活字離れにくさびを打ち込めるか。

(M.N)

鉄道ダイヤ

鉄道のダイヤをつくるような運行管理に携わる人を、
その世界では「筋屋(すじや)」と呼ぶらしい。
旧国鉄時代など、ダイヤ改正時には、すばらしい筋屋が
各鉄道管理局から集まり、駅と時間を示した大きな図に
定規を当て、列車運行を示す「筋」を引き合ったらしい。
乗り継ぎを良くしたいなど、それぞれに主張があるため、
結構、激しくやりあったのだと、以前、元国鉄マンに
聞いたことがある。

ダイヤというと、時刻表を思い浮かべる人も多かろうが、
ダイヤグラムという語の本義も「線図」。
筋屋とは、だから実態に即した呼び名なのである。
もっとも、今のダイヤ編成は、ご他聞に漏れず、
コンピューターが活躍しているそうだが。

さて、先日は広い範囲で、その鉄道ダイヤが乱れた。
東海地方は常ならぬ大雪が続いたため。
さらに東北、長野など五つの新幹線が一時、運行できなくなった。
こちらは,JR東日本の運行管理システムのトラブルが原因。

荒天と機械の不調はダイヤを乱す二大原因だろうが、
それが二つながら発生したわけだ。大変な数の客が影響を受け、
裁判官が間に合わず、裁判開始が一時間遅れたケースも
あったそうだ。

通常ダイヤ回復までの運行は一種の修羅場だろうが、
JRによると、そういう時は手作業で「筋」を引き直すのだそうだ。
いざという時は、やはり、人なのである。

(M.N)

野球殿堂入り

「本当のプロ意識というものを教わった」。
プロ野球・西鉄黄金期のエースで「鉄腕」と呼ばれた
故稲尾和久さんが、ある選手の現役引退の際にこんな言葉を
スポーツ紙に寄せられた。

その選手とは、中日監督の落合博満さんだ。
稲尾さんがロッテで監督を務めていたころ、落合さんは4番打者。
稲尾さんの言葉は、プロとして胸を張れる結果を残すため、
人知れず努力を重ねていた後輩への最大の賛辞といえる。

落合さんの野球殿堂入りが決まった。野球人にとって
最高の名誉の一つである。実績からすれば当然のこと。
なのに一昨年も昨年もあと1票が足りず落選。
ファンの一人として気をもんでいただけに、ようやく
気分がすっきりした。

成績はすばらしいの一語に尽きる。プロ入りが25歳と
遅かったにもかかわらずロッテ、中日、巨人、日本ハムと
渡り歩いた20年間で通算2371安打を放ち、首位打者、
本塁打王、打点王をそれぞれ5度獲得。
三冠王に3度も輝いた。

指導者としての手腕も見逃せない。4年前に中日を
53年ぶりの日本一に導き、昨年は監督になってから3度目の
リーグ優勝を果たした。選手の育成に定評があり、
大型補強に頼らず現有戦力の底上げに力を入れている。

笑顔を振りまくタイプではない。仕事に徹する職人との印象が強い。
その落合監督が「感謝の思いでいっぱい」と率直に喜びを
表現しているのがうれしい。野球は天職なのだろう。
これからも球界の活性化に力を尽くして欲しい。
ロッテ時代にいただいたサイン入りボールを大切に
机上に飾っている。

(M.N)

薮入り

古典落語の「藪(やぶ)入り」に出てくる熊さんは、
奉公に出した息子が3年ぶりに帰ってくることが
うれしくてたまらない。あれこれ考えて寝れずに朝を迎えた。

すっかり成長した姿を目にした熊さんは、
びっくりするやら感極まるやら。その息子の財布に大金が
入っているのを見つけ問い詰めるとネズミを捕まえた褒美や
捕まえたネズミの懸賞での賞金ということだった。

預けていた店の旦那から「里の親に渡してこい」と言われて返され、
持参したとの話。感激した熊さんが「これからもご主人を大切にしなよ。
これもやっぱり忠(チュウー)のお陰(かげ)」と言うオチがつく。
 
江戸時代、商家の奉公人は初めの3年は里帰りを許されなかった。
それが過ぎると1月と7月の16日の年2回は休みを得て
実家に帰ることができた。この休日を「薮入り」といった。
語源は諸説あり、定かではない。

子が社会人になっても親が面倒を見続けるケースが多々ある
現代とは違い、その当時の庶民の子は幼さが残るうちから
世の荒波にこぎ出さなければならなかった。
いやがおうにも成長せざるを得なかったわけだ。

落語では、とんちんかんながらも子への愛情にあふれる父親を中心に、
それを暖かく見守る女房、立派に育った息子の真情が語られる。
もしや今よりいい時代だったのかもしれない、と「薮入り」の日に思う。

(M.N)

成人の日

平安末期、栄華を極める平家の滅亡を夢見て
ひたすら剣術の稽古に励む少年が京の鞍馬にいた。
遮那王(しゃなおう)といい幼いころは牛若丸、
後に源義経を名乗った。

奥州に向かう稚児姿の遮那王は追っ手を察知、
烏帽子(えぼし)を着けた大人の東男に身をやつす
ために急遽(きゅうきょ)、前髪を切って元服することにした。
近江国・鏡の宿で自ら元服式を行い、家門再興と武運長久を
祈った。(滋賀県竜王町観光協会案内)

源氏の総領家に生まれながら、不遇な幼少期を送った義経だ。
元服を後見する2人の烏帽子親はおらず、太刀と、脇差しを
それに見立てた。このとき16歳。
大人になる道は死と隣り合わせで、さぞ険しかったろう。

現代の成人式の原型は男性に兵役が課された明治時代にあり、
徴兵検査が大人への入り口だった。
戦後、国民の祝日として1月15日と法律で定められた。
2000年からは1月の第2月曜となったので
今年は明日10日が成人の日だ。

けなげにもひとりで元服の儀式を終えた義経は、
平家を次々と打ち破るたくましい武士となった。
決してたやすくはない現世に大人になる若者たちも、
強い意志を持って自らの道を切り開いていってほしいと願いたい。

(M.N)

血沸き肉踊る

正月は箱根駅伝をテレビで観戦するのが恒例行事になっているが、
今年も選手の快走に拍手を送り、順位が入れ替わるたびに一喜一憂した。

1920年に始まった箱根駅伝は、今年で87回を迎えた。
往路と復路の計10区間、200キロを越す起伏に富んだコースが生む
筋書きのないドラマが、長く人々を引きつけてきた。
駅伝の醍醐味は、一本のたすきに熱い思いを込め、
懸命に受け継いでいくことにある。
「天の時は地の利にしかず、地の利は和にしかず」の精神だ。
そのために厳しい練習を重ね、全員の心を一つにする。

それにしても往復路10区を10人の選手が継走する駅伝というスポーツは、
孤独と重圧に耐えながらひたすら走り続けることを要求され、
しかも行く手に何が起こるか分からないという点で、
これほど辛く苦しい競技はあるまい。
不測の事態が起きて不調に終わった選手の思いがどんなものか、
まったく気の毒としかいいようがない。

今年は早大が18年ぶり13度目の総合優勝を果たした。
昨秋の出雲全日本選抜と全日本に続き、大学駅伝3冠に輝いた。
箱根3連覇を目指して激しく追い上げた東洋大とのデッドヒートが、
沿道を沸かせた。

シード権を賭けた4校の10位争いが復路に華を添えた。
コースを間違えた国学院大の選手が、それでもダッシュして
みごとシードを手にしたのはあっぱれという他はない。

(M.N)

金のなる木

江戸幕府を開いた徳川家康がある時、家臣に向かって
「金のなる木を知っておるか。知らぬなら教えてやろう」と言い、
しょうじ木(正直)、じひふか木(慈悲深き)、よろずほどよ木
(よろず程よき)の三つを示した。

さらに家康は家臣らに「ほかにもあるはずだ」と問い、
いさぎよ木(潔き)、しんぼうつよ木(辛抱強き)、ゆだんな木(油断なき)、
ようじょうよ木(養生良き)、あさお木(朝起き)などを挙げさせて、
三つの木の左右の枝として描いた。

言葉遊びのたぐいではあるが、いずれも人として
身に付けておきたい資質や健康の大切さなどを教えるものばかりだ。
家康は、金のなる木は人の心の中にあるとして常日ごろから
こうした事柄を守り、心掛けている人には自然と声望が集まり、
運気も呼び込んで「必ず富貴を得られよう」と言った。

現代の若者はキレやすく、仕事が長続きしないなど、
感情のコントロールや忍耐が足りないと指摘されることが多い。
心の中の「しんぼうつよ木」が十分育っていないからかもしれない。

また、振込み詐欺など言葉巧みに人をだます犯罪が後を絶たないのは、
世の中から「しょうじ木」が減り、「よくふか木(欲深き)」が増えているから
であろう。われわれも「ゆだんな木」を心掛けておかねばならない。

新しい年を迎えた。家康の言葉を借りれば、
今年こそ「よろずほどよ木」1年にしたいものだ。

(M.N)

ウサギ

来年の干支「兎」に関して、友人との会話から
「兎の語の付く慣用句や格言などに、プラスイメージ
のものが少ない」。あらためて調べてみた。

イソップ物語の「ウサギとカメ」は、ウサギの慢心と油断がカメの
地道な努力に負ける話だし、「兎小屋」の比ゆはご存知の通りだ。
また「兎の糞」は、ウサギの糞がコロコロしてつながっていない
ことから「物事が分断してはかどらない」たとえだ。
出雲神話の「因幡の白兎」に由来する「兎兵法」は
生兵法と同じ意味だ。

とはいえ、いいものがないわけではない。「兎の登り坂」は、
ウサギは後ろ足が長く坂道を登るのが巧みなことから
「持ち前の力を発揮し、順調に物事が進む」ことを指します。
また日本人の心の歌「故郷」の歌い出しは「兎追いし・・・」だ。

そして何より「ぴょんぴょん」跳びはねる姿は、飛躍をイメージさせる。
経済的にも精神的にも少々元気のない日本だが、なあに心配ご無用。
時代が少し変われば、また国民的な熱気がふつふつと
たぎってくるはずだ。いや、兎年の来年は、
きっと飛躍の年になると信じています。

本年の『岡目八目』ご愛読有難うございました。
ジェクト社長、各位のご協力とお力添えに感謝します。
来年は、角度を広げながら日々の流れをお伝えしたいと思っています。
皆様方が、ご健勝で良いお年をお迎え下さいますことを祈願します。

(M.N)

日野原重明さん

聖路加国際病院(東京)の理事長で名誉院長でもある
日野原重明さんは99歳、白寿である。10年前に
ミリオンセラーとなった著書『生き方上手』(講談社)で
今なお全国から引っ張りだこの現役内科医だ。

著書通り、年齢を感じさせない上手な生き方をしている
日野原さんは、高齢者に対しての生き方指南だけでなく、
子どもたちにも命の大切さを説いている。
全国の子どもたちのための「いのち授業」で日野原さんは
教室に入るとすぐ子どもたちに質問する。

「君たち、いのちを持っている?」。「はーい」。
子どもたちの手が元気よく挙がる。日野原さんが、
また尋ねる。「では、いのちは体のどこにあるの?」。
すると自信なさげに手を心臓に当てる子どもがいたりする。
日野原さんに「君のいのちは心臓なの?」と聞かれた子は
困ってしまう。

日野原さんと、画家いわさきちひろさんがコンビを組んだ
『いのちのバトン』(ダイヤモンド社)に、そんな教室の様子が詳しいが、
来年は100歳なられる日野原さんが未来を担う子どもたちに
丁寧に伝えようとしているのは、目には見えない
人の命の大切さである。

目には見えないからこそ大切なものがある「いのち」とか
「こころ」とか「思いやり」とか・・・。そんなことを話してくれる日野原さんが
「創(はじ)めることを忘れなければいつまでも人は老いることはない」
(『いのち、生きる』光文社)と言う人生のコンダクターが
やさしく誘ってくれる輝く生き方とはどんな生き方か、
耳を傾けてみたい。

(M.N)


東京タワー

先日、友人との待ち合わせの時間までの間、
約40年ぶりに東京タワーへ登っ た。
暇つぶしのつもりだったが、今話題の東京スカイツリーとは一味違う
"昭和の香り"を懐かしんだ。

東京タワーは、昭和30年代生まれの方たちにとっては高層建築物の
代名詞だったが、久しぶりに大展望台(150メートル)へ登って驚いた。
六本木ヒルズをはじめとする高層 ビルが林立し、
もはや都心を一望することはできなくなっていた。

展望台内の案内ボードには、皇居や国会議事堂など
東京の名所が見えない方角が示されていたが、
ビルとビルの隙間からどうにかのぞくことができる程度。
「都庁の方が景色がいい」とぼやくカップルの声も。

絶景を求め250メートルの特別展望台へ登ることも考えたが、
もやっていたので断念。代わりに売店をのぞいてみた。
かっての定番商品のペナントやカレンダー付きぺン立ては
置いていなかった。

ソフトクリームなどお馴染みのメニューが揃ったカフェから
「フットタウン」と呼ばれるタワー下のビルにも足を延ばすと、
東京タワー名物の蠟(ろう)人形餡がまだ営業をしていたことにも感激した。

遠目に見るライトアップされた東京タワーは、
現在の東京の街並みに溶け込んでいるが、
内部はまだ昭和の面影が強く残っていた。

(M.N)

土佐の海引退

誰にでもいつか第一線を退く時がくる。
だが、定年のあるサラリーマンや公務員などと違い、
実力次第のプロスポーツの世界では引き際が難しい。

大別すれば、華のあるうちに身を引くか、
燃え尽きるまで続けるか。プロ野球なら、前者の代表格は
長嶋茂雄さん、後者は野村克也さんになろうか。
先日、引退を表明した大相撲の関は野村さんに
近いかもしれない。

同志社大相撲部の出身で38歳、現役最年長の関取だった。
長く三役や幕内上位を務め、幕内在位は80場所。
期待された大関には届かず、最高位は関脇ながら
金星は史上4位の11個で横綱キラーとしても人気があった。

突き、押しの正攻法の取り口そのままの誠実な人柄で知られ、
対戦力士と立ち合いの呼吸が合わない時には「すみません」
の声が集音マイクに拾われるほどの大きな声で謝る、との
エピソードが残る。

最近は幕内下位と十両を往復する場所が続き
「いい相撲が取れなくなり、体力の限界を感じ」決断したという。
その一方で「ここまで長くできたので、やり遂げたなと思う」
と語る表情にはすがすがしささえ漂う。
華やかさには欠けるが、土佐の海関流の
「引き際の美学」なのだろう。

(M.N)

内向き志向

NHKで放映されているドラマ「坂の上の雲」を見ると、
近代国家建設の理想に燃えた若者らが、米国やロシアなど
外国人に堂々と立ち向かう姿が印象的だ。

一方、最近の日本では「内向き志向」が取りざたされる。
ノーベル化学賞を受けた根岸英一・米パデュ-大特別教授は
会見で「若者よ海外に出よ」と鼓舞した。
「ある一定期間出ることで、日本を外から見ることが重要」と言われた。

根岸教授の言葉を裏付けるように、日本から米国への留学生は
この10年間で4割近く減少しているという。
「内向き」のほか、景気低迷や雇用不安などの影響があるのかもしれない。

根岸教授は「日本はカンファタブル(居心地いい)と皮肉られる。
景気が低迷してもなお、日本は安全で暮らしやすいということだろう。
ただ、グローバルという言葉に表されるように21世紀は人やモノ、カネ、
情報などが国境を越えて行き来する時代だ。

研究も、トップレベルでの切磋琢磨なくしては成り立たない。
留学せずとも日本の大学や研究機関に世界的な人材が
集まっているならいいが、そうはなっていないようだ。

2012年には沖縄科学技術大学院大学が開学するという。
世界から最先端の研究者を呼び、知的集積を図ろうという試みだそうだ。
内向きの日本を突き崩す取り組みになるよう期待したい。

孫にはそんな能力はないが、中学生になったら英国に行って生活できるよう、
まず英会話の塾に行ったらと、娘に話してみたら、そっぽ向いていたが。

(M.N)

師走のイルミネーション

夕方の散歩帰りの道が最近、楽しみになった。
家々に飾り付けられたイルミネーションに出会えるからだ。
赤、オレンジ、青、白。自宅までの十数分間、
師走の宵に咲いた色とりどりの光が語りかけてくれる。
冷え込んだ体と心が温まる。
お気に入りの飾り付けを見るために、
わざわざ遠回りしても苦にならない。

よく観察すると、はしごを上るサンタやそりを引くトナカイなど
飾りにも多様な趣向があるようだ。遊園地みたいに
満艦飾のお宅は子らがあれもこれも飾ってと、せがんだのだろう。
対照的に、少量の明かりを玄関先の植木などにつるした演出にも、
さりげない風情を感じる。

家庭のイルミネーションがこれほど広まったのは、
省電力効果や耐久性に優れた発光ダイオード(LED)照明が
普及したからだろう。量販店やオンラインショップでも、
手ごろな価格で入手できるようになったことが大きい。

イルミネーションといえば、阪神大震災で
犠牲になった人びとの鎮魂と被災地復興を願う
「神戸ルミナリエ」を忘れることができない。
これをきっかけに各地で多くのイベントが生まれ、
すっかり冬の風物詩になった。
光は、人に勇気と希望を与えてくれる。

(M.N)

テーブルマナー

ライスはフォークの背に乗せて食べる。
テーブルマナー教室でそう教わった人は多いはずだ。
ところが最近は、フォークの腹の部分ですくうようにしてもよいとされる。
マナーが変わったのかと首をかしげる人もいるだろう。

テーブルマナーが日本に持ち込まれたのは明治時代だ。
英国を手本にしたらしい。しかし、フランス式では
フォークを右手に持ち換え、腹の部分を使っても構わないそうだ。
それで近年は英国式へのこだわりが薄れた。

そもそも、洋食でライスは野菜のような位置付け。
米を主食とする日本とは食文化が異なる。
それを洋式に当てはめようとしたのが今日の戸惑いの誘因だから、
マナーの混乱は文明開化の時代の名残とも言えなくもない。

ナイフやフォークで食事をするのは世界の約3割で、
箸を使うのもほぼ同じ割合のようだ。
残る4割は手で食べる。ヒンズー教やイスラム教では
汚れた食具を使うのはタブー。
清浄な手で食べることこそ宗教的な戒律にかなう。

日本でも昔は手で食べたという。三世紀の風俗などを伝える
魏(ぎ)志(し)倭(わ)人(じん)伝(でん)に、
手づかみで食事をしていたと記されているそうだ。
箸が中国から伝わったのは七世紀。
八世紀には一般に普及する。
その後、箸文化は特異な発展を遂げる。

江戸時代、家族がそれぞれ自分の箸を持つようになった。
中国や台湾、韓国などでも箸を使うが、そうした習慣はない。
最近は、箸を洋食器のように家族共用とする家庭も増えたようだ。
ここにも欧米化の一端がのぞく。

(M.N)

 
 

「知識」と「意識」の調整

地域づくりは一人ではできない。
発想力、折衝力、調整力、行動力、継続力等
あらゆる力、多くの知恵が必要である。
難しそうに感じるが、意外にそうでもない。
見据えるものをしっかり語り、いかに一人ひとりの心に響かせ、
互いに尊重していくかである。

事業計画を進めていく時、会議を開き計画・工程説明を行い、
情報を統一化しつつ執行事務局案に基づき
賛同を得ていくやり方をよくとる。この方法は
毎年決まっている行事とか施策を確実に実施していくには
適切なスタイルである。しかし、資料と枠組みの確認に
時間をとることで事業が順調に進んでいると錯覚を起こし、
参加者の思いが入らぬまま進んでしまうことがある。
いわゆる"お題目的な参加型”である。加えて、
さまざまな団体の長が集う形をとった場合、あたかも
地域全体で行っているようなさらなる錯覚をおこしてしまう。

計画には「問題解決型」と「夢実現型」と2つある。
取り組む事業がどちらの進め方がふさわしいのか、
どちらに軸足をおくか、ぶれないことである。

地域づくりは期間だけでは推し量れない永遠のものである。
思いの違う窮屈なものは続かない。初めから
賛同者をたくさん得ることは難しい。まずは方向性。
一人ふたりと思いを語れる仲間を増やしていくことがある。

そして、「すぐできること」から始めていく。
コンセンサスをとるには全く事業と関係ないことをしてみることは
大切である。事業計画書や工程はあとからでもいい。
あるいは事務局だけの指針でいい。ある程度意識の
共有ができてくれば、「工夫してみる」ことをしていき、
徐々に「仕組みをつくる」ことへ入れば地域にふさわしい
事業が実現する。

参加型は「知識」と「意識」の調整である。
団地内の管理調整などが大変な時期である。

(M.N)

大相撲九州場所

今年の納めとなる大相撲九州場所は、
横綱白鵬が優勝決定戦を制し、5場所連続17度目の優勝
で締めくくった。「波瀾(はらん)万丈」という言葉が
ふさわしい場所であった。

今場所、最大の関心は何といっても
白鵬が双葉山の69連勝を追い越せるかどうかだった。
先場所までの安定感からして
「歴史的な瞬間が見られるのでは」と思わせた。
 
ところが、落とし穴は2日目に早くも待ち構えていた。
平幕稀勢の里の攻めの前になすすべなく土俵を割り、
歴代2位の63連勝で終わった。「こんなものでは」という言葉に、
白鵬の複雑な心境と双葉山の偉大さが重なった。

大きな見せ場が消え、つまらない場所になるかと心配したが、
新たな話題が次々に生まれ盛り上げた。
稀勢の里はもちろん、地元出身の人気大関魁皇の快進撃、
そして平幕豊ノ島の優勝決定戦。
日本人力士が久しぶりに存在感を示した。

角界全体も波乱万丈の年だった。
野球賭博事件に揺れ開催が危ぶまれた名古屋場所では、
天皇賜杯やNHKの生中継もない異例の事態に。
そんな中で、光を放ってきたのが白鵬の連勝記録だった。

来る新たな年、各力士には心機一転で大相撲の魅力を
存分に見せてもらいたい。角界の改革へ、
日本相撲協会が不退転の決意で臨み、
私たち相撲ファンを魅了させてほしい。

(M.N)

神田神保町

東京の神田神保町は、180近い店が集まる
世界一の古本屋の街だ。
辺りを歩くと、浮世絵や漫画の専門店などの個性的な店が見つかり、
飽きることがない。
 
四季折々に催しが開かれる。
秋の「神田古本まつり」はとりわけ有名だ。
歩道にワゴンが並び、本好きやコレクターでにぎわう。
今年は天気に恵まれなかったが、それでも雨の切れ間には
人波が絶えなかった。

八木沢里志さんの小説「森崎書店の日々」(小学館文庫)は
神保町が舞台だ。今秋、映画にもなった。
恋に破れたヒロインの貴子は、叔父が営む古書店に住み込むようになる。
読書の楽しみなど知らなかったが、
神保町の人々や本と接するうちに癒されていく。

ある本には押し花のしおりが挟まれいる。
梶井基次郎の小説「ある心の風景」を読むと、ぺんで線を引いた箇所があった。
前の持ち主が感銘を受けたのだろう。
どんな思いで読まれたのか想像してみた。
そんな場面が古書の楽しみ方を象徴する。

神田古書店連盟がつくった案内書にはいろんな店を紹介している。
司馬遼太郎さんは生前、執筆のため軽トラックいっぱいの古書を
購入されたそうだが、まだまだ「お宝」はひしめく。
広重の浮世絵もあれば、フランスで200年以上前に出た
「百科全書」にも出合える。

楽しみは古書に限らない。一休みできる喫茶店やカレー店も多い。
読書の秋だ。歩くうちに、いつしか時を忘れさせる、そんな街である。

(M.N)

龍馬伝

坂本龍馬の妻お龍がとわの眠りにつく
横須賀市大津の信楽寺(しんぎょうじ)を訪ねた。
駅から寺までの道筋に「おりょうさんの街」と書かれた
のぼりがはためいていた。山門をくぐり、墓地に入ると、
山すそにお龍さんの墓がある。
花などが供えられ、お参りをする人の多さを物語る。
大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあるようだ。

本堂には龍馬とお龍の等身大の木彫坐像が置かれている。
4年前、「よこすか龍馬会」がお龍の没後100年を記念して
作ったものだ。2人の結婚生活はわずか2年足らずで終わったが、
並んだ姿は長い間連れ添ってきたかのように映る。

参拝者が備え付けのノートに書き留めた一言が小冊子になった。
「いつも心の支えになってくれてありがとう」
「龍馬さん、今度はお龍さんを離さないでくださいネ」
「龍馬さんのような、すばらしい人を支えられる女性になれるよう
見守りください」。

龍馬やお龍への熱い思いの詰まった一言集を、
お龍の再婚相手で、横須賀で30年余りをともにした
西村松兵衛さんはどういう気持ちで眺めているのだろう。
坐像の脇に安置された松兵衛さんの位牌を見ていると、
そんな思いについとらわれた。

大河ドラマはいよいよクライマックスが近づいてきた。
京・近江屋での龍馬暗殺をどんなふうに描いているのか知らないが、
今日15日は龍馬の命日だ。

(M.N)


善人・悪人

人として、絶対にしてはいけないことがある。
例えば、他人の命を奪うことだ。その行いは「悪」として
断罪される。それでは悪事を犯した人はみんな悪人なのか。
やったことの責任は免れない。悔い改めるべきである。
だからといって、人のすべてを「悪」と切り捨てられるだろうか。

森鴎外の「高瀬舟」は、弟殺害の罪で島流しにされる町人の話だ。
重病に倒れ、兄に迷惑をかけるのを苦にした弟が命を絶とうとする。
兄は弟の懇願に負けて手を貸してしまう。
護送の役人は「それが罪であろうか」と考え込む。

「善人が極楽浄土に迎えられるのなら、悪人も救われて当然だ」。
高僧、親鸞は説いた。正直に生きて暮らせない当時の世相、
人は生きるために人を裏切り、悪事にも手を染めた。
誰もが地獄に落ちると信じた。
親鸞はそうした庶民にこそ光をと考えた。

吉田修一氏の「悪人」は殺人を犯して逃げる若者を描いた
現代小説だ。犯した罪は償わねばならない。
ただ、罪は犯さなくてもあくどい心の持ち主もいる。
本当に悪いのは誰か。混とんとした今の時代を
浮かび上がらせる。

映画化した作品でヒロインを演じた深津絵里さんが、
モントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を受賞した。
日本人では2人目の快挙だった。
逃げる若者を信じて一途の寄り添う女性の姿が、
寄る辺なき今の時代を映し出したように思えた。
久しぶりに観た映画で心打たれた。

(M.N)


協働

横浜港に面した「山下公園」は80年前に開かれた臨海公園だ。
大きな木々と色鮮やかな草花。
群れ遊ぶカモメ。潮風が抜ける遊歩道・・・。
”憩いの場”といわれる条件すべてを備えたような
この公園は横浜市民の誇りであろう。
 
公園内の芝生で、芝生に交じった雑草を
丁寧に抜いている30人ほどの人のかたまり。
青い芝生が雑草に負けてダメにならないように黙々と、
そして生き生きとして作業をなされている方々に出合った。

地元自治会の有志面々のようである。
「市民の手で山下公園の芝をすこやかに育てるために雑草を
抜いています。ー元町自治運営会」という小さな看板があった。
さて、この取り組みの、そもそものいきさつは・・・。
最初の呼びかけ人は誰なのか。そのときの反応はどうだったのか。
感心な作業をじっと見ながら考えた。

「公園の管理・維持は行政が責任を持つのが当たり前」という考えもあろう。
しかし、この広大な芝生の雑草の抜き取り作業を行政がやるとしたら
大変な予算が必要だ。”公”のすべてを行政に求めたらどうなるか。
結局、その負担は形を変えて市民に戻るしかない。

誰だって心安らぐ憩いの場が近くにあればと思う。
つまり快適な公園の提供は"住民ニーズ”そのものである。
しかし、もはや”住民ニーズ”のすべてを行政に求めていくような
時代ではない。市民にできることは市民の手でーと考える人たちが
”かたまり”となったら大きな力となる。

市民も行政の担い手として自ら積極的に
地域の課題にかかわっていくのである。
「ボランティア」という言葉でひとまとめにしてくくれない市民参加。
これが「協働」ではなかろうか。

(M.N)

上海万博閉幕

半年にわたる中国・上海万博が幕を閉じた。
入場者数は目標の7千万人を突破し、1970年の
大阪万博を抜いて史上最多。
温家宝首相は「成功」と胸を張られた。

2008年の北京五輪に続く重要な国威発揚の場。
大きな混乱もなく終えたことに、中国指導者は
自信を深めていられることだろう。
多くの国民も同じような思いだろう。
先進国の仲間入りを目指す一歩だが問題はこれからだ。

40年前の大阪の熱狂を思い出す。
未来の科学技術などに、多くの人々が酔いしれた。
ただし、生みの親の一人である作家の小松左京さんらが
述懐しているように、「人類の進歩と調和」という
テーマがどれだけ理解されていたかは疑問だ。

上海が揚げたのは「より良い都市、より良い生活」。
科学技術によって環境を重視した都市づくりを進める、
ということのようだ。環境より経済発展を優先させる空気は
まだまだ色濃いから、国全体の大きな転機になってほしいと願う。

人々が「より良い生活」から思い浮かべる姿はさまざまだろう。
大阪万博後の日本のように、さらなる豊かさを追い続けるのは
むろんだが、一方では人権の重視や政治の民主化などを
求める声が強まる可能性もある。

「中華民族100年の夢」の万博が閉幕したいま、
中国に果たして変化が生まれるのかどうか。世界各国にとって
好ましい方向への変身なら、いうことはないのだが。


(M.N)

人生の充実

3年前、東京・六本木にオープンした複合商業施設「東京ミッドタウン」。
その敷地の一角に、ガラス張りの独創的な形が美しい
デザイン・ミュージアム「21-21デザインサイト」がある。

服装デザイナーの三宅一生さんが建設を提案し、
建築家の安藤忠雄さんが設計した建物だ。
その二人がそろって文化勲章を受賞された。
これも何かの縁だろう。

日本の着物のように体を包む「一枚の布」をコンセプトに、
西洋と東洋を融合した衣服を創造した三宅さん。
一方の安藤さんは、シャープなコンクリート打ち放しの外観や光などの
自然環境を大胆に取り入れた設計で世界の建築界をリードしてきた。

歩みは必ずしも順風漫帆ではなかった。たとえば、
高校卒業後に独学で建築の道に進んだ安藤さん。
思うようにいかないことばかりで、大抵は失敗に終わったという。
(自伝「建築家安藤忠雄」新潮社」

そして、こんな幸福感を導き出す。
<人間にとって本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。
その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている。
無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う>

三宅さんと安藤さん。二人が遠くに見据えてきた<光>は、
もちろん文化勲章などではないだろう。
無我夢中のクリエーテイブな挑戦が、
これからまだまだ続いていくことだろう。

(M.N) 

チリの落盤事故

チリの落盤事故で、33人の作業員全員が生還して10日余。
世紀の救出劇を全世界が生中継で伝えたが、チリ本国はともかく、
わが国などでは、報道ぶりもようやく落ち着きを取り戻してきた。

時間の経過とともに、69日間に及ぶ坑内での
人間模様なども漏れ聞こえてくるようになった。
中には作業員や家族たちにとって、
あまり触れてほしくないものもあるようだ。

地下700メートルの過酷な環境で生き抜いた作業員たちである。
何があったとしても不思議ではない。
心理学者や精神科医らが彼らの心理と行動を分析するのは
必要であるにしても、部外者が興味本位に見ることだけは控えたい。

気になるのは作業員たちのこれからの人生設計だ。
事故前の貧しくともつつましやかな暮らしに戻ることはもうできまい。
海外への招待旅行、多額の謝礼を伴う講演や執筆依頼など。
映画化もされるそうだ。望むと望まないにかかわず、
彼らは英雄になってしまった。

能力ある者には最高のチャンスであっても、全員がそうとは限らない。
同じ鉱山で働く同僚たちからは「おれも閉じ込められたかった」
との声も聞かれる。救出された作業員の間にも、
やがて嫉妬や不平不満が出てくるかもしれない。

南半球のチリではこれから夏に向かう。
その夏が過ぎるころ、作業員たちの生活はどう変わっているのだろうか。
それぞれの新しい人生が穏やかで幸せなものであることを祈りたい。

(M.N)

運鈍根

ビジネスの世界では「運鈍根(うんどんこん)」が大切だとよくいわれる。
幸運も成功の重要な要素だが才気走ってあれこれ目移りしないこと、
根気よく継続することも必要という意味だ。

科学の世界でも似た言い方をするそうだ。
ノーベル化学賞を受賞した北海道大学名誉教授の鈴木章さんが
テレビのインタビューに答え「セレンディピティ」という言葉を使われていた。
偶然に幸運な予想外の発見をする能力のことだ。

偶然ではあるが、単なる「棚からぼたもち」ではない。
普段から徹底して考え抜いていることが前提。
歴代受賞者の発見の逸話からも、決して狙い通りだったのではなく、
目の前で何が起こっているか虚心坦懐(たんかい)に洞察した結果、
成功につながったことがうかがえる。

鈴木名誉教授は「重箱の隅をほじくるような研究ではなく、
新しい誰もやっていないような研究をしろ」
と学生たちに言っていられるそうだ。
恐らく自身の研究姿勢でもあるのだろう。

ほとんどの人が役に立たないと考えた物質に
目を付けて実験を重ね、ついに鈴木カップリングという
有機化合物の合成法を発見。それが思いがけず
工業製品に広く応用されていった。
鈴木名誉教授は「非常にラッキーだった」と振り返る。
 
今回化学賞を受賞されたもう一人の日本人で
米パデュー大学特別教授の根岸英一さんは「究極の楽天家」
と自己分析れている。
あきらめず幸運を待ち受ける心性こそ大事ということか。
実際には幸運の種が眼前に現れても
やり過ごしてしまうことがどれだけあるだろう。

(M.N)

高齢ドライバー標識

「枯れ葉のようでお年寄りに失礼だ」などと不評だった
高齢ドライバー標識の「もみじマーク」。
それが幸せの象徴である四つ葉のクローバーのデザインに
一新されるようだ。

色も従来の黄色と茶色の2色に黄緑と緑の2色が加わり、
4色になる。もみじマークに比べると、随分明るくなり
これなら「お年寄りに失礼だ」といった批判も出ないだろう。

70歳以上のお年寄りを対象に、年内にも使用が始まる見通しだが、
現在のもみじマークも当分使えるようにするという。
車に四つ葉のクローバーを張る高齢ドライバーが増えれば、
事故の減少にも少しは期待が持てそうだ。

全国で交通事故死者は減っているのに、
70歳以上の死者は減らない。
昨年は高齢者の死者が全体の4割を超えた。
ドライバーの高齢化が、それだけ進んでいるのだろう。
普通自動車免許を持つ70歳以上の高齢者は全国に約620万人。
過去5年間で180万人増えているそうだ。

四つ葉のクローバーを車に張るだけでなく、
歩行者も夜間に反射材を身に着けるなどの対策が必要なようだ。
いくらもみじマークが四つ葉のクローバーに変わっても、
事故が減らなければ「幸せ」は訪れない。

(M.N)

クールビズからウォームビズ

4ヶ月ぶりだった。今月10日、
久しぶりに手に取り、身に着けてみた。
ちょっと首元が苦しいけれど、逆に身が引き締まる思いがする。
新入社員のような新鮮な気持ちもしてくるから不思議だった。
ネクタイである。

「クールビズ」のおかげで、ごぶさたしていた。
夏の軽装は今年が初めてではなかったが、
記録的な猛暑だっただけに、
今夏ほどネクタイなしのありがたみを感じた年はない。
冷房を使う時間は抑えることができたし、何処のオフィスでも
おそらく仕事の能率も上がっていたのだと思う。

環境省の提供で始まった「クールビズ」は今年で6年目。
室温の高いオフィスでも快適に過ごせる
ファッションとして広まった。自治体や会社でも導入例が増え、
いまや男性の夏場のノーネクタイ、ノー上着は当たり前。
すっかり定着したように思える。
 
だが、単に服装だけでなく、こうした環境を考えた行動を、
家庭を含む生活すべてに広げるのが本旨なのだと思う。
環境省のホームページでは、その一つとして、
窓辺を草花で覆って室温を下げる「緑のカーテン」の例が
紹介されている。川崎市長室の窓辺にもゴーヤでの
緑のカーテンが見えた。

月日は進み、今度は「ウォームビズ」の季節がやってくる。
重ね着などで冬の暖房を抑える狙いだ。
今冬はいつも以上に、家屋の暖気運転を減らしたり、
日中は部屋に日光を取り入れるといった、
身の回りの無駄を廃する心掛けをしたい。
ノーネクタイと同様に心地よい生活が待っているかもしれない。

(M.N)

世界ゴルフ殿堂

プロゴルフ界のいまや”;御大”と言うべき尾崎将司選手の
世界ゴルフ殿堂入りが先に決定した。
1970年のプロ入りから40年。ジャンボの愛称で
ゴルフというスポーツを日本に定着させた最大の功労者に
あらためて光が当てられた。

遅ればせながらーというのがぴったりの感がする。
日本選手としては、2003年の樋口久子さん、
04年の青木功さん、05年の岡本綾子さんに次ぐ栄誉だが、
国内ツアー94勝、海外1勝を含むプロ通算113勝、
生涯獲得賞金26億8000万円余は他をまったく寄せ付けない
ずばぬけた成績だ。

坂田ジュニアゴルフ塾で知られる坂田信弘さんが語ったことがある。
「尾崎ほど己のゴルフに頑固な男はいない。海外に挑戦するのは
マスターズと全米オープンのみで、それも日本のゲームの組み立て方を
変えなかった。常にドライバーを持ちコースに向かって
大上段に構えていったのだ」

ゴルフは2016年のリオデジャネイロ五輪で正式種目に採用された。
世界各地に活躍する選手がいなければ決して五輪種目にならなかった。
日本にこだわり、日本を愛した選手がいたからこそ
日本にゴルフが定着した。ゴルフ殿堂がそういう尾崎選手を
評価してくれたことがうれしい。

(M.N)

スポーツの秋

気持ちに体がついていかない。
キャッチボールでボールをとろうと身を乗り出せば足がもつれる。
年齢とともにわが身がもどかしく、運動するのもおっくうになる。

それに引き換え、クルム伊達公子さんはどういうことか。
引き合いに出すには恐れ多いが、先日の女子テニス国際大会での
機敏な動きには目を見張った。40歳の誕生日に
世界ランキングで格上の若い選手と堂々の戦いぶり。
前回の優勝者ら2人も下している。

26歳でプロを引退し、11年の空白期間をおいて37歳で復帰した。
日本選手で初めてトップ10に入った実力とはいえ、
伊達さんが活躍したのは1990年代前半。
いまは力とスピードの時代に変わっている。
追いつくには並外れた精神力と努力が要ったろう。

テニスは若さだけではない。かっては勝つことだけに
没頭したけれど、いまは相手の精神面や技術を分析しながら
楽しんで試合ができるようになったといわれる。
伊達さんは20代との違いを、こう自著に記されている。
今度の対戦でも緩急を交えて相手を惑わせる技が光った。

復帰は「テニスが好き」という自分の気持ちに
正直になれたから、といわれる。周囲の目を気にして
ためらっていたのを、ドイツ人のご主人が押し出している。
伊達さんからは、人それぞれに年相応の
チャレンジの仕方があると教えられ、勇気づけられた。
プールで週1回体を鍛えているが、
年齢や体力を言い訳にせずに体を動かすとしよう。
いい時節の到来である。

(M.N)

国勢調査

10月最初の週末は、黒鉛筆片手に
国勢調査の調査票と向き合った。
住宅の面積や、仕事の詳しい内容まで記入しなくてはならず、
戸惑いもあった。しかし5年に1度の国勢調査は、
日本に住むすべての人が対象となり、報告を拒んだり虚偽の報告を
した場合の罰則も定められている。
 
20の調査項目は、政治・行政を始め、
あらゆる社会経済の分析に利用される。
調査員は平成17年のときで約83万人、
調査票の枚数は約7700万枚、重ねると
富士山の約3倍にも達するという。
それほど大掛かりな調査だ。

19回目の今回の1番の特徴は
「日本が本格的な人口減少社会となって初めての調査」
という点にある。

この人口転換期の調査は、今後の社会の持続発展に
欠かせないデータを生む。
それは私たちの生活に必ず結びついてくる要素でもある。
そこを意識し、報告は義務と心得、望みたいと思います。

ジェクト株式会社の社長が、調査員になっていられると聞く。
お忙しいのに日本国のため尽力されているのに敬服したい。

(M.N)

岸和田だんじり祭り

9月18日・19日岸和田の町中に、威勢あるかけ声と共に
だんじりが駆け巡りました。
約300年の歴史と伝統を誇る勇壮な祭り「岸和田だんじり」は、
元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主
岡部長泰(おかべながやす)公が、
京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米、麦、豆、あわ、
ひえなどの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、
行った稲荷祭りがその始まりと伝えられる。

山車や屋台を華とする全国各地の祭りにおいて、
その山車、屋台が曲がり角で方向転換する様は大きな見所です。
例えば京都の祇園祭の鉾(ほこ)は
車輪の下に割った竹を敷いて滑らせる「辻まわし」や、
飛騨高山祭りの山車は「戻し車」という第五番目の車輪を使い、
変則の三輪となり角を曲がる方法などがあるが、
岸和田のだんじりは他と違い、
「やりまわし」という独特の曲がり方で、
勢いよく走りながら直角に向きを換える。
言葉では簡単ですが、重さ4トンを超えるだんじりを
走りながら操作するのは容易ではありません。

祭りの間、だんじりは決まった曳行路(えいこうろ)を
何周も何周も駆け回り、曲がり角ごとに、「やりまわし」を行う。
その圧力とスピードは日本各地のどこを探しても、
岸和田のだんじり祭りを上回るものは見たことがない。 

だんじりを持つすべての町では、仲間意識が非常に高く、
絆が強いのです。子供からお年寄りまで各年齢層ごとに
役割が決められ、普段は岸和田を離れて暮らす人達も、
この時期には必ず帰郷し、それぞれの役割を分担して祭りに参加する。
このように幅広い世代の人達が集まり
岸和田だんじり祭りを盛り上げます。
見る人も魅了する祭りです。

先日、テレビニュースで放映され、14・5年前に岸和田を訪問し、
だんじり祭りを見物し興奮、感動した日を思い出しました。
祭りはいいなぁ。

(M.N)

東近江市

京都の友人から「久しぶりに会わないか」という便りが来た。
大学時代に毎日のように会い、就職後も定期的に集まっていた。
友人の転勤で会わなくなったが、お互いに古希も過ぎ
多少は時間も出来たし、寺回りというほど、高尚な趣味はお互いにないが、
石塔寺(いしどうじ)(東近江市)を訪ねた。

長い石段を登りきると、晩夏の静寂の中、威容が目に入った。
日本最古という石造三重塔は7メートル超の高さよりも、
なまめいた曲線が時の流れを語りかけた存在感に圧倒された。

釈迦入滅後、阿育大王(あしょかだいおう)が
仏法の興隆を願い仏舎利を治めて三千世界にまいた
塔婆(とうば)の一つと伝えられている。
朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)の後、
蒲生野に移住した700人余の百済(くだら)人が
築造につながるとの説もある。

近江の歴史は奥深い。随筆家の白州正子さん(1998年没)は
その魅力にとりつかれたそうだ。
平城、平安京以前の伝承が残る近江を、「日本の楽屋裏」と評し、
何度も足を運ばれたようだ。

石塔寺などの名所にとどまらず、木地師発祥の鈴鹿山脈の谷間から
湖北、湖西の山里まで深く深く分け入った。
峠の道端で見かけた名も知らぬ石仏さえも、
ふっくらとした彫が美しいと楽しんだ。

能への造詣が深く、若くして日本の古典文学に親しんだ感性が、
近江と共鳴したのだろう。
滋賀県の国宝・重要文化財(建造物、美術工芸品)は807件。
東京、京都、奈良に次いで全国4位。
近江路を歩けば、歴史との出合いがある。

白州正子生誕100年特別展が10月中旬から
滋賀県立近代美術館(大津市)で始まるとのこと。
近江の魅力を白州さんの案内で味わいたいのだが、
隣をうかがうと「そうは行きませんよ」という顔で
妻がテレビを見ている。

(M.N)

外国語の格納庫

娘の友人が英国男性と結婚して、今英国に在住している。
友人からのメールを披露してくれた。
昨年小学校に入った男の子がいるが、学校の放課後にある
フランス語のクラブに入って、フランス語を習いだしたという。

母が日本人だから日本語はできる。家に帰ってひとつの言葉を、
英語ではこう言い、フランス語ではこう言い、日本語ではこう言う。
と話をするそうだ。「小さい子は外国語がすぐに頭に入るようで
驚いています」とのことだ。

幼少から2カ国語を話す人は、脳の言語中枢では
それぞれの言語が違った場所で理解されるそうだ。
日本語しか話せない人は、日本語も英語も同じ場所で
聞き取っているそうだ。

男の子の頭の中では、日本語の場所、英語の場所、
フランス語の場所と、それぞれの格納庫ができているのだろう。
外国語がうまくなるためには、幼少のころにこの場所を
確保することが重要らしい。
  
飛躍するようだが、漢字を覚えることはどうなのかと考えた。
漢語は日本語になっているが、もともとは外国語だ。
日本人が多くの漢字・漢語を使えるのは違う格納庫を持っているから
ではないか。

これを漢字教育に当てはめると、低学年から漢字を教えることは
効果的かもしれない。小学校低学年ぐらいから、
多少難しい漢字でも教えてみるのも効果的かもしれない。

孫が、小学校2年生だが英語の話をしたら、
学校で教えないのだから、家で勉強する必要はないと無頓着だ。
先生の言うことはよく聞いているようだから、
まぁいいかと諦めた。

トンボ

澄んだ空を悠々と飛ぶトンボを見ると秋を実感する。
害虫を食べるトンボは縁起のよい虫として大切にされ、
豊作の象徴だった。
 
日本で最も大きいトンボは鮮やかな緑色の複眼を持つ
オニヤンマ。近年、見かける機会がめっきり減ったが、
長い羽を広げ、悠然と飛ぶ姿は「王者」の風格が漂う。
オニヤンマの名前は、鬼のふんどし模様に由来するという。

鬼は鬼門と呼ばれる北東の方角から出入りするといわれた。
北東は十二支で「丑寅(うしとら)」。
そこから牛(丑)のように2本の角を持ち、虎(寅)のような
黒と黄色のしま模様のふんどしをする鬼のイメージがつくられた。
鬼のふんどしに似た模様をしているトンボが、
オニヤンマというわけだ。

トンボは、前進するが、後退しない性質から
勇猛果敢を身上とする武士に好まれ「勝ち虫」といわれた。
トンボは不退転の固い決意のシンボルとして家紋や
武具にあしらう戦国武士も少なくなかった。

トンボの古名は蜻蛉(かげろう)。蜻蛉は産卵を終えると
数時間で死ぬことから、はかないもののたとえに使われる。
前政権まで「短命」な首相が続いた。
次のリーダーが蜻蛉でないことを願う。
国民が困る。

銭湯

学生時代は風呂なしのアパートに住んでいたので、銭湯通いだった。
大学近くにも銭湯があり、夏の暑い日の夕方、
一風呂浴びてからサークル室などで飲むビールは極上で、
銭湯は生活の一部になっていた。

以後、銭湯とは無縁だったが、自宅のガス給湯器が故障して
風呂に入れず、3日間電車でスーパー銭湯に通った。
普段はカラスの行水だが、のんびりと、極楽気分を味わった。
 
スーパーの冠がつくだけで、銭湯は昔と趣が異なる。
ジェットバスやサウナ、露天風呂は当たり前だ。
横になって寝そべる湯、深く立ったままの湯、一人だけの湯など、
まるで浴槽の遊園地みたいだ。

風呂上りにはゲームコーナー、マッサージルーム、レストランなどで
楽しめる。家族の手軽なレジャーランドといったところか。

アパートは風呂付きが普及、歩いて通う銭湯は失われつつあり、
車で行く銭湯に移行した。学生時代と同じなのは、
フルーツ牛乳の販売だけだった。

情報交換の場といった銭湯文化は薄れ、富士山の絵もないが、
銭湯が憩いの場であることは変わらない。
思う存分、身体を伸ばせる浴槽は魅力的だ。

(M.N)

元横綱初代若乃花

戦後、復興から高度成長へと走り始めたころ、
数少ない娯楽の中で大人から子どもまで熱中したのは、
プロ野球と大相撲ではなかったか。
右肩上がりの時代を突き進む人々にとって、
ひいきのチームや力士の活躍は明日への活力であり、
希望の光だったように思う。

幼少の身には、すぐ勝負がつく大相撲の方が分かりやすく
なじみやすかった。
人気力士のメンコで時間の経つのも忘れて遊んだ。
当時は小学生の低学年から中学年、栃若時代の
真っただ中だった。

その後の柏鵬時代ほど記憶は鮮明ではないが、
”マムシ”と異名をとった、しぶとい栃錦と、”土俵の鬼”
若乃花が抜きんでて強かったことは覚えている。

若乃花は最高でも110キロ足らずの軽量だったが、
投げられて背中が土にまみれたことは聞いたことがなかった。
足が土に吸い付いている。俵に足が掛かれば、
根が生えたようにもう動かない。目が肥えたフアンや関係者は、
それを「かかとに目がある」と言った。
若乃花の強さを象徴する言葉だろう。

その元横綱初代若乃花の花田勝治さんが亡くなった。
82歳だった。港湾労働で一家を支え、角界入り後、
並外れた猛げいこに明け暮れた元横綱は引退後も、
厳しい指導で花形力士を育てた。
賭博にうつつをぬかした力士たちは”土俵の鬼”との別れに、
心からの反省と再出発を誓って国民を喜ばしてほしい。

(M.N)


故郷

先週、久しぶりに実家の墓参りをした。
父母の墓前で無沙汰(ぶさた)をわびながら、ふと横を見ると、
知人の家の墓が消えている。
遠方に住む家族が自宅近くの墓地に移したらしい。
 
近ごろは骨や墓を移す「改葬」や寺に永代供養を依頼する人が
増えているらしい。墓参りの代行サービスもあるそうだ。
以前は帰省の家族でにぎわった実家周辺がひっそりしていた。

途中、大分県臼杵(うすき)市にある「臼杵石仏」を訪ねてみた。
天然の岸壁に彫刻した磨崖仏(まがいぶつ)としては1995年、
全国初の国宝に指定された名所だ。その数59体。
巨大な石仏が並ぶ荘厳さに、ただただ圧倒された。

その中の一つ、高さ3メートル近い大日如来坐像の近くにある
立て看板を見てハッとした。
縁結びや合格祈願などと並んで、「リストラ除(よ)け」の文字だ。
ガイドの説明はこうだった。
石仏の頭部が長い間地上に落ちていたのを、1993年に修復して
「首がつながった」。それにあやかったとのことだ。
 
ちょうどバブル経済がはじけた後のことだ。
なるほど、と思いながらも複雑な思いに駆けられる。
一昨年の12月初めに大企業が人員削減を発表した。
懸命に石仏に手を合わせた方々の姿が目に浮かぶ。

臼杵石仏は平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫像されたという。
何百年も世の動きを見つめてきた石仏の目には、
現代人の所業がどんなふうに映っているのだろうか。

(M.N)

景気回復

先日、大学で教べんを執る知人の先生と
居酒屋で一緒になった。
お互いの近況報告の後、先生が急に真顔で
「今の学生は就職できずかわいそうだ」と言う。
話を聞くと
入社試験を受けさせてくれるのはいい方で、
採用枠がないので会社訪問されても困ると
門前払いの企業も少なくないそうだ。

「学生も決してえり好みをしているわけではない。
希望職種を変更しながら探しているが、この不況では・・・」
と先生も困惑気味。
 
この時期、大学生は夏休み。
普通なら学生生活最後の夏を謳歌しているはずが、
就職が決まらず心の中は不安でいっぱい。
卒業後の生活はどうなるのかと、焦燥感だけが募る日々
を送っているのかと思うと、気の毒になる。
 
先の参院選では与野党こぞって景気回復を挙げていたが、
今のところ公約倒れ。とにかく一刻でも早く
若者が安心して働ける雇用創出をお願いしたい。
それには地方分権を進め、地域経済の活性化が
何よりも大事になってくると思う。

(社長)

沖縄県の喜び

興南高校の快挙に続き、
ゴルフの宮本藍選手が米女子ツアーで今季5勝目を飾った。
日本ジュニア選手権では比嘉美子選手が
15~17歳の部で優勝を果たすなど、
沖縄の若者たちの活躍が続いている。
 
宮里選手は初日からトップを譲らない完全優勝で、
実力の高さを証明した。昨年の初優勝から順調に勝利を重ね、
日米通算20勝目。賞金ランキングのほか、
最大の目標とする世界ランキングも首位に返り咲いた。

米ツアーに本格参戦後はなかなか勝てず、初勝利は4年目。
2年間の大スランプも経験した。今季の躍進は、
勝てない時期に積み重ねてきた努力があってこそだろう。

興南の我喜屋優監督は、今春の選抜大会優勝後に
「花を支えているのは枝。枝を支えているのは幹。
幹を支えている本当に力強いのは目に見えない根っこ。
もう一度根っこづくりから始めよう」と選手に語ったという。

北海道で長く生活してきた経験から「表でワーワー言っているのは
大したことはない。下で耐えている半年の冬が源になる」とも語った。

上に向かって伸びていけない時期は誰にでも訪れる。
その時にいかに根を育てるか。根が深く、大きく張るほど実りも豊かになる。
結果にばかり目がいきがちだが、それを支える
目に見えない努力の大切さを教えてくれた。

(M.N)


 

季節の針

カレンダーも、後8日で9月というのに猛暑だ。
ここまで続くと体も耳も慣らされたのか、
最高気温が35度と聞いても驚かない。
「今日も暑そう」で済ませてしまう。

しかし猛暑でも「季節の針」は進む。
田んぼでは、黄金に実った稲の刈り取りが始まったようだ。
わらのにおいが漂う刈り田には、落ちたもみを食べようと
ハトが集まっていることだろう。
間もなく新米が親戚の農家から届けられそうだ。

猛暑で不漁とされるが、新米に合うといえば、やはりサンマだろう。
北の海では餌を食べ、丸々としたサンマはうまい。
ちょうど四国のスダチも出回り始めた。
炭火で焼いたサンマにスダチをぎゅっと搾れば最高である。

そんなことを想像しながら夜、外に出ると、もう秋だ。
涼しい風が肌をなで、草の中からはコロコロコローという
コオロギの鳴き声が聞こえてくる。
昼とは打って変わった別世界だ。
 
日本人はセミの種類を鳴き声で聞き分け、
コオロギの声で秋を感じ取る。これに対して、欧米人の多くは
虫の声を耳にしても雑音にしか聞こえないとの話もある。
心地よいコオロギの声が雑音では、もったいない気がする。

さて自然界は小さい秋が見えてきたが、政界はどうだろう。
秋どころか、これからますます暑くなるー。
9月1日告示の代表戦を控えている民主党からは、どんな声か。

(M.N)

ふるさと

8月はふるさとを思うつきだ。お盆、お墓参りと。
降るようなセミの声、祭りや花火、同窓会もある。
田が日一日と実りの季節に近づく。
スイカ、トウモロコシ、ナスに枝豆、冷えたビール。
青空と入道雲、そして深い夜空。

最近、夏の風情の今昔を思う。勢力を増したのは暑さ。さ
っぱり見かけなくなったのは蚊帳とラジオ体操だろうか。
防犯上、夜間は窓を開け放つことがなく、エアコンも普及し、
蚊帳を用いる機会がない。真夏の風物詩だったラジオ体操も、
子どもたちの姿は少ないようだ。

子どもが小学生のころ、眠たい目をこすりながら
近所のラジオ体操会場に出向き、出席印をもらって喜んでいた。
ところが電通リサーチが実施した小学生の夏休みの過ごし方調査
(2008年=関東、関西)によればラジオ体操は
親子の世代格差が大きく、親世代の実施率は71,5%だったのに
小学生はほぼ半減しているそうだ。

少子化が響いていそうだし、結果的に地域のコミュニケーションの
希薄化に結びついているようにも思える。むしろラジオ体操は、
今では中高年の健康維持の手段になっている。

入道雲に対する見方も変わってきている。
昔日は、わき立つ雲は夕立を呼び、涼風を運ぶものだった。
しかし、現代はゲリラ豪雨の元凶視されるようだ。
自然が変わり、それを受け入れる心情も変わる。

そうした中で変わらないであろう、ふるさとへの思い。
私も、なかなかお盆に行けないので遅まきながら
帰省し墓参りと旧友と語り合い、ふるさとを見つめてみたい。

(M.N)
 
 

国会議員の先生

参院の予算委員会で、みんなの党の川田龍平議員が
管直人首相を「管さん」と呼んでいられた。
国会の会議では、大方の議員は首相を「総理」と呼ぶ。

ある国会議員秘書は「薬害エイズ事件を共に戦った仲間として
親近感があるのではないか」と推測していた。
やりとりを振り返ると、川田議員は首相をあえて「さん」付けで
呼んだのかな、という気もする。
いずれにせよ、さん付けは新鮮に思えた。

国会議員はプライドが高い。「先生」と呼ばないと機嫌を悪くする人が多い。
大臣になれば「大臣」、総理大臣になれば「総理」と呼ぶのが無難だ。
 
ある総理大臣が就任直後、担当記者から「総理」と呼ばれると
「『○○さん』でいいよ」と言ったという。しかし、
そのうち「○○さん」では返事もしなくなったそうだ。

以前、県内の国会議員が選挙の決起大会で、
ゲストの先輩議員をさん付けで紹介し、「国会議員を先生などと呼ぶから、
政治が駄目になるんです」と説明された。しかし当の議員も
やがては「先生」と周囲から呼ばれていたようだ。

国会議員になるための選挙はつくづく難儀だと思う。
常人は為し得ない選挙の試練をくぐり抜けただけでも
「先生」と呼ぶに価するかな、と個人的には思っている。
だが、それだけではやはり寂しい。

(M.N)

扇風機

夕顔。ひまわり。ふうりん草。松風。
昭和30年、40年代は草花の名を打った扇風機が多かった。
羽根は明るい若葉色や薄青色が主流だった。
とにかく「涼を感じて」という心意気がにじんでいた。

エアコン全盛期でも、しぶとく生き残る身近な生活家電だ。
いま、目の前でも小型の卓上扇が風をくれている。
近ごろは黒や白、銀の無彩色が好まれるようだ。
寒色系よりも冷たく感じるから不思議だ。
人の趣向は変わるものだ。

むしろ戦前は黒一色だった。はやりの呼び名は「電気扉」。
1927年の業界団体の冊子に、そう呼ばないと時代遅れだとまで
言わしめている。(大西正行「生活家電入門」技報堂出版)

江戸時代には手車で数枚のうちわを回転させるカラクリがあったらしい。
隔世の感があるのは、話題の羽根のない扇風機だ。
ぬれた手を温風で乾かすエアタオルと同じ原理を用い、
圧力差で回りの空気を集めて風を送り出す仕組みらしい。

リング型の奇抜なデザインだ。扇のない姿を扇風機と呼べるのかは別として、
固定観念を覆す発想は、ぜひ政治も見習いところ。
ねじれを生かす知恵を絞りきれないまま臨時国会は閉じた。
確かに熱いが、空気はよどむ。まさに風死す印象だ。

(M.N)

スイカ

赤いスイカが食卓にあると「日本の夏」を実感する。
冷やしたものに塩を振ってほおばれば暑さも忘れる。
冷やすほど甘みが増すというから、まさに夏にぴったりである。

スイカは「夏の果物の王様」といわれている。
買うときは指でたたいて、その音の響きで熟れ具合を見る。
音が鈍いようだと熟れすぎとされる。
スイカに対しては、こうした認識を持っている人が
多いのではなかろうか。

ただ、スイカが果物かというと、そうでもないようだ。
農林水産省のホームページによると、生産や出荷の
統計をとる上でスイカを野菜に分類している。
果実的な利用をすることから「果実的野菜」として扱っているという。
 
では、野菜と果物をどう分類するのか。
一般的には、田畑で栽培、副食物、草本姓といった特性を持つ
植物を野菜としている。だが、はっきりした定義はないという。
ちなみに、イチゴやメロンも「果実的野菜」である。

さて、スイカのうんちくはこれぐらいにして立秋も過ぎた。
暦の上では秋の始まりだ。暦の上とはいえ、
不思議なことに秋という文字をパソコンで打つだけで、その気分になる。

だが、現実の世界はうだるような暑さが続いている。
こまめに水分補給しないと熱中症にもなりかねない。
秋とは名ばかり。しばらくは「夏の果物の王様」のお世話になりそうだ。

(M.N)
 

古刹巡り

歴史好きの「歴女」や、著名人のお墓を訪ね歩く
「墓萌(も)え」などの造語が、ここ数年の若い女性を
中心としたブームを象徴している。
古刹(こさつ)巡りや仏像のファンも増えているようだ。
特集を組む雑誌、本が書店でも目立つ。
 
先日、都内で開催中の仏教美術を紹介する二つの展覧会に行ってみた。
どちらも女性が特別多いというわけではないが、
幅広い年齢層でにぎわっていた。
仏像のどこに人々は引きつけられるのだろうか。

根津美術館(南青山)は「いのりのかたち」展。
重要文化財の「金剛界八十一尊曼荼羅(まんだら)をはじめとする
密教絵画や来迎図、説話画などが、ホールや庭園の石仏群とともに
崇高な美の空間を構成していた。
 
三井記念美術館(日本橋)の「奈良の古寺と仏像」は、
平城遷都1300年を記念した特別展。
飛鳥から室町時代の仏像、仏教工芸品の名品が一堂に集まり、
その織細な造形美に魅了された。

いずれの展示も、信仰によってはぐくまれてきた美の世界が
重厚な存在感を見せる。
現世では煩悩や物欲に無縁というわけにもいかず、将来は不安だらけ。
現実社会を離れ、自分自身を静かに見つめ直すよい機会だった。

仏像や仏画の前に立てば、そこには穏やかなまなざしとともに、
戒め、教え導く厳格な表情だ。
信仰の対象としても、そうでない人にとっても、
何か新しい発見があるように思う。
父から、仏像はまなざしを見るよう何十年前教わったことを思い出した。 

(M.N)

 

熱中症

「帽子をかぶっていないと、日射病になるぞ」。
夏になると、こんなふうに、大人たちから注意されたことだった。
炎天下、麦わら帽子にランニングシャツ、網を手にセミを取り、
トンボを追った日を思い出す。
 
年配者になじみ深い日射病に代わるように、
1990年代から広く使われ始めたのが熱中症だ。
屋外だけでなく、室内でも起こり得る。
全年齢で発症するが、高齢者が重篤になりやすい。
日射病では病態を誤解されかねない。そんなことが理由という。
 
熱中症が気温の上昇と比例するのは言うまでもない。
記録的な猛暑に見舞われた2003年のフランスでは、
死者がが高齢者を中心に1万人に達した。
わが国でも、やはり猛暑だった07年に900人を超す人が
熱中症で亡くなっている。しかも8割が60歳以上だ。
 
高齢社会に追い打ちをかけるような地球温暖化である。
このままだと、今世紀には熱中症の死亡リスクが
4倍近くに上昇するという予測もある。こども時代と重なる、
かっての日射病イメージは消した方がよさそうだ。

今夏も梅雨明けと同時に、各地で猛暑日を記録するなど
水銀柱はうなぎ上り。
畑仕事のお年寄りら熱中症による死者も報道されている。
海へ山へ若者たちには待ちに待った夏も、
高齢者にはいささか過酷だ。

日差しのきつい日中は水分を十分とって室内で涼しく過ごす。
今年はそんな夏になりそうである。

(M.N)

チャーチル

英国の政治家チャーチルは「一晩で考えを変える人だった」
軍拡競争を批判したが、戦争不可避を鋭く感じ取ると一変。
海軍大臣に就き軍備増強を始め、
軍艦の燃料を石炭から石油に変えた。
速度が出るからだ。

石油の安定供給に遠い時代。冒険もあったが、
可能になれば海軍力は増す。
大国が植民地支配を競い合う第一次大戦前夜、
チャーチルにはこれを「支配権は冒険に対する褒美」と表現した。

その供給を英国から一手に引き受けたのがいまのBP社、
メキシコ湾で原油流出事故を起こした国際石油資本だ。

事故から3カ月、密閉バルブを取り付けて流出がやっと止まった。
推計で7億リットルが流れ出た。
それまでの最大規模はアラスカでのタンカー事故で
約4千万リットル。膨大さが分かる。
環境への深刻な影響もどんどん明らかになろう。

第一次大戦中、フランスのクレマンソー首相は米大統領あてに
「石油の一滴は血の一滴」と打電し、石油供給を求めた。
国家の血流にも例えられる石油は、陸上でも、浅い海でも掘り尽くし、
今は深海で掘る。今回は海底1500メートル。

何かあれば”冒険の褒美”どころか、
冒険の代償となり、環境破壊にもつながりかねない。
チャーチルのように一晩ではとはいかないが、環境負荷の少ない
新エネルギーをそろそろ真剣に考えなければ。

先日、ジェクト社長のブログでチャーチルの広大な屋敷を知ったが、
スケールの大きな人物だったんだなあと久々に感慨無量。

(M.N)

愛着

家を建てるとき、それを壊すときのことまで考える人は少ない。
「大工さんにとって新築は大きな仕事にはちがいないが、
それを修理したり、解体することも、
同じかそれ以上に大切な仕事なんだ」。
「自ら手をかけた家が具合悪いとなると
すぐ飛んでゆきたくなるし、自分が生きている間に解体される様は
見たくないと思うと同時に、他人に壊されるくらいなら
自分で解くぞ、思うんだよ」。

「建物には愛着を持って自分の魂を植え付ける気持ちで
仕事に精出している」。
「戦前建てられた古い家の場合、解体、修理工事をしても
ごみはほとんど出なかった。木・土・竹・紙・といった
土にかえる素材でできているからだよな」。

「最近では洋風の家が多いが、昔ながらの和風の家では、
ふすまや障子を外し、すだれ戸などに替えた」。
「風通しを良くするためだ。のれんや座布団も、
麻製品などに取り替えた」。

多摩川土手を散歩していると、梅雨でたっぷりと
湿気をを含んだ草むらからは、独特の匂いが漂ってくる。
草だけでなく土の匂いも一緒だ。
この匂いを嗅ぐと、夏本番を実感する。
何気なく散歩しているとジェクト株式会社の創設者の言葉が
次々と聴こえる。懐かしい教えの言葉だった。
お盆が近づいたので、墓場から「おい、、しっかりやってるか」。
と声をかけられた思いだった。

いわゆる「夏座敷」への衣替えである。
少々の手間は掛かったとしても部屋を夏バージョンにすれば、
五感を通じて涼味はぐんと増す。
エアコンを効かすより地球に優しい。

宮大工

「最後の宮大工棟梁]と言われた西岡常一(つねかず)さんが
亡くなられて、15年になる。その本を読み返していて
「おやっ」と思うくだりがあった。

宮大工の家に生まれ、法隆寺や薬師寺の
修理、復興を手がけた名匠である。若手への指導は
さぞ厳しいだろうと思ったら、意外にそうではない。
問題があっても人前では絶対に怒ってはならないと
戒める。(「宮大工三代」徳間書店)。

ではどうするか。西岡さんは自ら鉢巻を締め、汗を流して手本を示す。
「こういうふうにやってみい」というわけだ。
「なんぼ上手に文句言うてもあきません。自分からしてみせな」。
鉄材などを頑として拒む一徹な棟梁の、これが若手育成法である。

そういえば、「やってみせ,言ってきかせてさせてみて、ほめてやらねば
人は動かじ」という言葉がある。
旧海軍の山本五十六元帥が語ったと伝えられるが、真偽はわからない。
同じ新潟県出身で、名を成した経済人の遺訓との意見もあるが。

誰が言ったかは別にして、原典は旧米沢藩主上杉鷹山(ようざん)の
座右の銘かもしれないともいわれる。藩政改革で有名な鷹山は
「してみせて、言ってきかせて、させてみる」と言った。
押しつけではなく、目上の者が手本を見せ、意義を説き実践させる。
それが組織を動かす基本だと論じている。
政治家には名棟梁や名君の教えが重くのしかかる。

(M.N)


大工あれこれ

大工があり小工がある。幕末に高知県吾川郡、土佐郡などで
寺社建築がなされた際に、その棟札に大工何某、小工何某と
記されているそうだ。小工とはもともと奈良・平安時代、
大工の下に属し営作に従事したものだという。

蛇足ながら、大工は専門化されていて、
宮大工、寺大工、屋大工、船大工などがあり、
建具専門職は大工とはいわなかったようだ。
下手な屋大工は、小屋大工(住宅は無理で、非住宅の小屋くらいしか
施工できない者)と蔑まれたという。

また宮大工の入門にあたっては入門書兼契約書として師匠に
「大工壷金之書」(壷は墨壷、金は局尺、さしがね、L字型の物差)
を差し出したものだという。大工修行も大変であったようだ。

隠語もあったという。施主が昼飯を出していたようだが、
「今日のホソは本山杉で付けられたものではなかった」などという。
昼飯は不味くて食えないということ。
「板を削らせて呉れたら」というのは酒を飲ませて欲しいとの
意味だそうだ。施主には全くわからない。
これはジェクト株式会社創立者との会話から教わったもの。

(M.N)


日本代表ありがとう

ブラジルのペレは「サッカーの神様」
アルゼンチンのマラドーナは「神の子」と呼ばれた。
一流サッカー選手は、人間離れした存在であることを強調する
ニックネームで呼ばれることが多い。

だが、選手は人間だ。
その人間が、才能と努力で自分の可能性を切り開き、
神業のようなプレーを連発するようになる。
人間の無限の可能性に気付かせてくれるから、サッカーに、
すべてのスポーツに、感動があふれている。

自分の可能性を信じて勝負に挑むには勇気が要る。
勇気なくしては可能性も開けない。だから、
勇気を奮い起こして戦いに挑む選手たちの姿は皆、凛々しい。
だから栄光を手にした勝者の姿もまぶしいが、
力を尽くして敗れた勇者の姿もまた美しい。

サッカーW杯決勝トーナメント1回戦でパラグアイに破れ、
ピッチで天を仰ぐ日本代表選手たちの姿もまた美しかった。
PK戦の末の惜敗だ。勝利の女神はパラグアイに微笑んだが、
日本代表も決して負けてはいなかった。

対カメルーン、オランダ、デンマーク、パラグアイ戦。
W杯の大舞台での4試合、ひたすら走り続けた選手たちの姿が、
あざやかによみがえる。
力を尽くした末に迎えた敗北の光景の、
なんと誇らしく感動的であったことか。

選手たちに勇気づけられ、今、多くの人々が、
それぞれのピッチを誇らしげに走り始めていることだろう。
日本代表選手ありがとう。4年後、今度は大輪の花をぜひ見たい。

(M.N)


藍ちゃん

日焼けした155センチの体がでっかく見えた。
女子プロゴルフの宮里藍さんが、ついに世界の頂点に立った。
米女子ゴルフツアーで今季4勝目を挙げ
21日発表の世界ランキングで1位に躍り出た。
男女を通じ、日本人初の快挙である。

ファンの反響の大きさに驚く。藍さんが開設するブログへのコメントが
優勝後の3日間で2000件を超えたそうだ。
「元気のない日本に最高の贈り物」「頑張る姿から勇気をもらった」
などのメッセージが寄せられたようだ。

藍さんは「元気になれたとか、頑張りますという声が多くありましたが
わたしが逆に元気をいただきました。こんな連鎖は何よりも強いパワーです」
とブログに書いた。

4歳でゴルフを始めた藍さん。沖縄から東北高にゴルフ留学した彼女も
25歳を迎えたばかり。ブログではこうも述べている。
「ゴールはここではありません。目標への過程、通過点です」
勝負師は常に前を向く。好きな言葉は
「意志あるところに道はある」だという。
世界を舞台に、着実に道を切り開いている。
ファンの一人として力強く応援したい。

(M.N)


 

ブブゼラ

「ブブゼラ」は、アフリカ諸国を除く世界中を敵に回したと思う。
大げさかもしれないが、こう思われても仕方がないほど
ブブゼラに対する風当たりが強まっている。

ブブゼラは南アフリカの民族楽器。
長さ1メートルほどのラッパの一種で、良く響く高低音が特徴だ。
同国ではサッカー応援の必須アイテムであり
開催中のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で一躍
世界中に知られるようになった。

悪評の理由は、競技場を揺るがす大音響に尽きる。
選手間の連携や監督の指示がかき消される
といった試合進行上の問題点のほか
その影響は観客の健康被害にも及ぶという。
現地では、防音対策の耳栓が品薄状態という。
 
日本が勝利を収めた14日のW杯初戦でも
対戦相手のカルメーンを応援するブブゼラの音が鳴り響いた。
ただし、両国の国歌が流れるときには、この音がぴたりと止む。
アフリカ各国のサポーターが、世界基準の応援マナーを
順守していることは最低限認めるべきだと思う。
ブブゼラの音が耳蝕り、というのとは別次元の話である。

インドのシタール、中南米のケーナなど、民族楽器は世界中にある。
尺八などは日本特有の楽器だ。
ブブゼラのようにサッカーの応援に使われる民族楽器は
少ないそうだが、これも文化の一つ。
そう割り切れば大音響もさほど気にならなくなる。

(M.N)

大記録の重み

最近すごいと思ったのは米大リーグ、タイガースのガララーガ投手の言葉。
先日九回2死まで完全試合ペースで投げ
最後の打者も内野ゴロに打ち取ったかに見えた。

一塁累進の判定は「セーフ」。タイガース側は猛抗議したが、覆らない。
しかし、映像で確認しても完全なアウトで、この塁審は試合後
「世紀の誤審」を謝罪した。謝罪を受け入れた28歳の投手はこう言った。
「人のやることにすべて完璧ということはない」。

1本のヒットは無論のこと1個の四死球も味方のエラーも許されない
完全試合は投手の夢。大リーグでは今季
史上初めて既に2度記録されたが、近代野球の1900年以降
この2人を含めても18人しか達成していない。

「成らずば誹(そし)れ」という。自分の思うように事が運ばなかったら
他人のせいにしてなじりたがるのが人の常。
ガララーガ投手はそんな気持ちになっても不思議ではないのに
記録訂正を訴えるつもりはないという。

大相撲で「世紀の誤審」とも言われるのは、
横綱大鵬が46連勝を懸けた1969年春場所の一番。
際どい勝負となり、物言いの末、大鵬の負けとなったが
相手力士が先に土俵外に出た、との見方もあった。
騒ぎをよそに大鵬は報道陣にこう応対した。
「横綱が物言いのつく相撲を取ってはいけない。自分が悪い」。

スポーツ精神は裏打ちされた言葉には、大記録に負けない重みがある。

(M.N)

サッカーW杯

雨降って地固まると言いたいところだが、どうも締まらない。
サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会を目前にした
日本代表チームのことである。
本番前最後の強化試合として行われたアフリカの強豪、
コートジボワールとの戦いでも、相手ゴールに迫る力強さは
ほとんど見られず、0-2の完敗だった。

慣れない高地練習で疲労がピークに達している中での
テストマッチであり、致し方ない面もあったに違いない。
しかし、12年ぶりの国際Aマッチ4連敗という屈辱を背負っての
南アフリカ入りは寂しく、不安は募るばかりだ。

つれない物言いになったが、結果がすべての世界でもある。
日本代表の真価が問われるのは14日の初戦。
高い身体能力を誇るカメルーンの猛攻を堅い守りでしのぎながら
いかに鋭い攻め上がりを見せて勝機をつかむか。
代表選手の底力に期待したいし、応援したい。

結果が要求されるといえば、市民運動家から
日本のトップリーダーに登りつめた菅直人”新監督”も同様である。
こちらは参院選という本番を前に、"代表選手”の入れ替えが
大詰めを迎えている。

新監督がまず問われるのは、チーム運営や
戦術に横やりを入れてくる勢力との関係を適正なものに改善し
清新な信頼のできる代表チームを作れるかどうかだろう。
日本の政党政治の将来が懸かっている。

(M.N)
 

ipad(アイパッド)

米アップル社の新型多機能情報端末「ipad(アイパッド)」が先日、
日本でも発売された。銀座にある直営店には
1200人もの行列ができたというように、発売前から異常な人気だったが
先行した米国では100万台を越す爆発的な売れ行きという。

インターネットやメール、ゲーム、動画、音楽が楽しめるほか
ソフトによって学生の教科書代わり、医師のカルテ管理
幼児のお絵かきにだって使えるそうだ。
もちろん電子書籍機能も備えている。

B型サイズ、厚さ1・3センチ、重さ680グラム・のこの端末は
ノート型パソコンをさらに薄く、かつ平面的で単純な形にしたものだ。
しかし機能は画期的というより革命的な可能性を秘めており
これをカバンに入れて持ち歩くことが一般的な光景になると思うが。
ちょうど携帯電話が劇的に普及したように。

活字文化と映像文化を合体させるこの強みが
どれほどの影響力を行使するか、
すでに多くの業界が生き残るために恭順せざるを得なくなりそうだ。
これぞIT革命かもしれない。私も早く購入したいものだ。

(M.N)

介護のこと

将来、自分に介護が必要になった場合
男性は自宅で配偶者による介護を、女性は老人ホームへの
入居を希望する人が多いようだ。

これは、老人ホームや高齢者住宅を運営する民間企業が
全国の40歳以上の男女1200人を対象に実施した
「介護に関する意識調査」の結果だ。
女性の場合は自宅で介護を受けることになっても
「配偶者」より「外部の介護サービス」を望むと答えた人が
多かったそうだ。

少子高齢化社会の進展に伴い、介護は家族間だけでなく
社会の大きな問題となっている。
介護疲れによる無理心中など痛ましい事件も後を絶たない。
同調査でも家族の介護に不安を感じる人は93%あり
その最大の理由として、男性は「費用面}、女性は
「精神的・体力的な負担」を挙げているそうだ。

また、自分を含めた家族が「介護経験あり」と回答した人のうち
中心になって介護を行ったと答えた男性は、約20%だったのに対し
女性は約48%と、介護が女性中心で行われていることも
浮き彫りになった。

こうしてみると、男性が介護に妻や家族による
「気兼ねのない安心」を求める傾向があるのに対し
女性には家族の「負担」を軽減し、外部の介護サービスの
「質」」や「内容」を追求しようとする合理性があるように思う。

介護保険制度が導入されて今年で10年。
利用しやすい制度なのか、介護に関する国民の意識はどう変わったのか
国、県、市は検証する必要がないだろうか。私も不安になってきた。

(M.N)

運動会

5月は運動会真っ盛りだ。週末になると、小学校の校庭から、
にぎやかな音楽と共に子どもや親の歓声が聞こえてくる。
徒競走、綱引き、リレー・・・。今も昔も変わらない風物詩だ。
 
定番競技に「紅白玉入れ」がある。ある世代以上の人なら
紅白の玉を母親に作ってもらった人が多いと思う。
中身は大豆だったり、もみ殻だったり。
作る人によって大きさや布の色合いが微妙に違うのがご愛嬌だ。
前年に使ったのを学校の倉庫から出してみたら
ネズミにやられて使い物にならないーという笑い話が合った。
 
知人の先生が話してくれた。今は負担を掛けないように
保護者に作ってもらうことはないとのこと。
その代わり、業者から購入するそうだ。
その玉を見せてもらったら表面の布は滑らかで伸び縮みする。

中身は見えないが細かい樹脂の粒が入っているようだ。
少々の力でぶっつけられても、痛くないようになっている。
もちろんネズミにも強い。

あまりに変わっていないと思っていた運動会だが、
時代の流れを感じた。手軽で安全、いいところずくめだ。
「運動会」という言葉から「母さんの夜なべ」を連想する。
そんな世代は確実に減っていくのだろう。

孫の運動会もまじかだ。
応援に行って娘が作る夜なべ?で作る
弁当を一緒に食べるとするか。

(M.N)

タレント候補

五輪金メダリストに元プロ野球選手や女優、歌手、落語家。
今夏の参院選では各党が著名人を擁立するようだ。
タレント候補の乱立が一つの特徴になりそうだ。

参院の選挙には1980年まで「全国区」があった。
知名度が武器になるため、全国を飛び回らなくてはならない。
金も掛かるため「残酷区」、「銭酷区」とも呼ばれ
83年に政党名で投票する拘束名簿式の比例代表制に変更された。

とろが2001年に個人名での得票数が加味される
非拘束名簿式に変わったため「知名度」が
候補者選びの重要な要素に復活した。
ただ01年以降の参院選をみても実績を残せた候補はごくわずか。
04年はタレント候補が減っている。
「名前を知っているから票を入れる時代は終わった」と以前
某党幹部も指摘していた。

それでも今回、各党がタレント候補擁立に走るのは
党の看板では無党派層を引きつけられないと考えるからであろう。
道を究めた人は、大変な努力をしているし
その分野では一家言をもつ。

だがそれは有識者を集めた諮問会議でも十分ではないか。
タレント候補が相次ぐと、政治家に求められる本来の「才能」は何か
と考えさせられる。適否は有権者の判断に束ねられることだが。

(M.N)

W杯サッカー日本代表

今回はどんなドラマが生まれるのか。
来月、南アフリカで開幕するW杯サッカーの
日本代表23人が、発表された。五輪と同様、4年に一度開催される
スポーツ界のビッグイベント。世界中の注目を集める
舞台に立ちたいという思いは、どの国の選手でも同じだろう。
 
日本が初出場を決めた1998年のフランス大会から
日本代表の選考ドラマも始まった。当時の登録枠は、
22人だった。日本代表は直前合宿まで25人を残し、
最終的に3人を外す方法で、外れた選手の中に
知名度ナンバーワンだった「カズ」こと三浦友良選手がいた。

力の衰えが指摘されていたとはいえ、
Jリーグ発足当初から初のW杯出場を決めるまで、
日本サッカー界を引っ張ったスターの代表落ちは衝撃だった。

W杯で勝利や目標を達成するために、どう戦うか。
そのために必要とされる選手はだれか。
戦術面はもちろん、豊富な経験やリーダーシップなどの面で
必要とされる選手もいるだろう。

代表メンバーは、これからが本当の厳しい戦いだ。
代表の自覚と責任を持って万全の準備をし、
本番でベストを尽くすことだ。その姿勢が伝わってこそ、
サポーターも惜しみない声援を送ることができる。
 
「代表としての誇り、魂みたいなものを向こう(フランス)に置いてきたと
思っている」。12年前、W杯の開幕を待たずに帰国したカズの言葉から、
代表の重みと代表に託す強い思いが伝わったのを思い出す。

(M.N)

美術オークション

男性より女性の人気が上回るのが時代の流れであるようだ。
ニューヨークの美術オークションで、ピカソの油絵
「ヌード、観葉植物と胸像」が、これまで最高額だった
ジャコメッティの彫刻「歩く男」を上回る100億円で
落札されたと報道された。

美術市場の話題といえば日本人なら
バブル景気に沸いた1980年代を思い起こす。
ゴッホなど近・現代の傑作が多く日本に流れたともいう。
そんなバブル時代の栄華も景気低迷で昔日のものとなった。

ところが世界市場では今、史上最高の落札が続いている。
2月にはロンドンで「歩く男」が95億円を記録したばかり。
人間存在の形を極限まで追求したという針金状の人体彫刻は
人の指ほどのものから、ほぼ等身大の「「歩く男」まである。

ジャコメッテイもピカソも20世紀美術の巨人、人気作家である。
ただ、落札額が億を越えれば庶民にはもう五十歩百歩だ。
強いてメリットをあげれば、高値が話題となって初めて
作品お目にかかれることぐらい。もちろん写真でだが。

ピカソは恋人をモデルにこの作品をわずか一日で描き上げたそうだ。
美に殉じる天才の力は数字の世界を超えて強く大きい。

ゴールデンウイークに、東京国立博物館で特別展
「細川家の至宝」を鑑賞したが元首相細川護煕さんのコレクション
350点あまりの中での横山大観,川端龍子、梅原龍三郎画伯の
日本画家の絵画には感動した。

(M.N)


ギリシャ危機

リーマン、ドバイときて、今度はギリシャ。
アイスランドの火山噴火も収まらないままギリシャの財政不安に                      
端を発した経済の嵐が世界に吹き荒れた先週だった。
ニュー-ヨーク株式市場では入力トラブルも重なって
過去最大の下落幅を記録、東京株式市場も
ことし最大の下落となった。

同時株安で思い起こされるのが
米国のサブプライム住宅ローン問題とリーマン・ショックが生み出した
世界的な経済危機。
それがようやく収束に向かい始めたさなかの「ギリシャ危機だ」。

しかも「対岸の火事」と済ませられないのが日本。
ギリシャの政府債務残高は国内総生産の1倍強に対し、                       
日本は2倍弱。スターと間もない日本の本年度政府予算の
ほぼ半額が借金頼みという厳しい現実もある。

近年の経済危機の火種がともに欧米からであるのも特徴だろう。
その世界経済は中国やインドなど元気なアジアの経済成長で
辛うじて持ちこたえてはいるものの、好調なアジア経済も
一歩間違えばバブル化の危機をはらんでいる。

氷河や火山地帯という壮大な自然遺産を有するアイスランドに対し、
ギリシャ神話やパルテノン神殿などの文化遺産を誇るギリシャ。
現代政治の根幹をなす「デモクラシー」の概念も
古代ギリシャから生まれた。
 
古代ギリシャ文明が理想としたのは「調和の美」だったはずだが、
現代社会はいまだ混乱、混迷から抜け出せないでいる。
経済のグローバル化、即ち世界の経済がつながりを強めることが
望ましいと思う。

(M.N)

ふすまの効用

住宅の洋風化が進み、ふすまや障子などの
日本家屋の建具が姿を消しているようだ。
ライフスタイルの変化で和室が減り
ふすまや障子を使う場所が少なくなっているからだ。

日本は「引く」文化だという。従来の日本家屋は壁のほかに
ふすまや障子など、引いて開ける建具で部屋を仕切ってきた。
障子は中国から伝わった言葉だが、
ふすまは日本人が名付けたもので、臥所(ふしど)(寝室)の仕切り用に
布を張ったついたてが原型だそうだ。

欧米は「押す」文化で、ドアは外側から室内方向に
押して開けるのが一般的だ。プライバシーを守るため
レンガや石材などを使った強固な壁で部屋を仕切り
中の音が漏れにくい構造となっている。

しかし、日本人は木と紙ででき、鍵もかからず、物音も筒抜けの
ふすまや障子を壁と同等の「隔て」として過ごしてきた。
こうした生活文化が日本人独特の人間関係や
相手を思いやる心を築いてきたのだろうと
哲学者の故和辻哲郎博士は指摘していられる。

例えば、ふすまが閉まっていれば「入ってほしくないのだな」と思い
中でひそひそ話の声がすれば、「聞かれたくないのだな」と察して
そばを離れる。ふすま文化の中で、他人の気配を常に感じ
気持ちを察し、細かい心配りをすることが
自然と訓練されてきたと言われる。

ふすまにこうした効用があったとは意外な気もするが
日本家屋の良さを見直すきっかけになればと思う。

(M.N)

万国博覧会

万国博覧会。輝くべき第1回開催地は1851年の英国・ロンドだった。
再びロンドンで開かれた1862年、福沢諭吉(1834-1901年)ら
36人の遺欧使節団がその大博覧会を見学、西洋の技術発展に
目を丸くしたようだ。

明治に入って日本の国是は富国強兵・殖産興業。
その成果を世界に示そうと1907年、日本は万博誘致を試みるが                      世界からは相手にもされなかった。歳月は流れて1970年。
念願かなって日本万国博覧会 (大阪万博)が開催したのは
その年の3月14日のことである。

「こんにちは こんにちは 桜の国で 1970年のこんにちは・・・」。
軽やかなテーマソングが日本中に流れた。
東京オリンピックの成功から6年、「人類の進歩と調和」をテーマにした
大阪万博はまさに高度経済成長を加速させた日本の
「大国入り宣言」でもあった。

大阪の千里丘陵に造成された約330万平方メートルの会場の中心に
岡本太郎(1911~96年)制作「太陽の塔」がそびえ立ち
117のパビリオンが展示を競った。
宇宙船のドッキング場面を展示した「ソ連(ロシア)餡」
月の石やアポロ2号の実物大模型を展示した{アメリカ餡}。
日本は「電力餡」「鉄鋼餡」「自動車餡」などで国力を誇示した。

5月1、大国・中国の勢いそのままに上海万博が開幕した。
テーマは「より良い都市」、より良い生活」。
北京五輪(2008年)に続く中国での国際イベント。
GDP(国内総生産)2ケタ成長など、日本が世界の大国の仲間入りをした
高度成長期とよく似た状況での開催である。

世界が目を見張る成長の反面、環境破壊や貧富の格差拡大など
負の側面を同時に抱え持った大国の真価が問われる                             万国博であると思う。
 
(M.N)

映画界の天才

北野武さんが仏芸術文化勲章の
最高章コマンドールを受賞された。
いまや国際的な映画監督の評価を得るが
やはり「ピートたけしさん」の方がしっくりくる。
つくづく感じるのはこの人の生きざまだ。
常にエネルギーにあふれている。
 
80年代の伝説のテレビ番組
「おれたちひょうきん族」を思い出した。
当時お笑い会の頂点に君臨したドリフターズの
「8時だよ!全員集合」の裏番組を張り、ついに人気で逆転した。
明石家さんまさんや島田紳助さん、山田邦子さんらが
レギュラーで革命的な面白さだった。

北野さんは1947(昭和22)年
東京・下町生まれの団塊世代。
教育熱心な母親の下で大学に進むが
ストリップ劇場「浅草フランス座」で芸人生活を始め
89年「その男、凶暴につき」で映画監督に。
97年の[HANA-B1」でベネチア映画祭の最高賞を獲得された。
 
週刊誌の編集室で騒動を起こしたり
派手な交通事故で批判を浴びたこともあった。だが
人は失敗して前進することを証明するかのようで感嘆する。
パリでは北野さんの映画上映会や絵画展も始まったとのこと。
つい愚痴っぽく後ろを振り返っても、人生という時計の針は走り続け
待ってはくれない。

(M.N)

歌舞伎座

歌舞伎で主演役者が登場することを「出」といいます。
舞台を歩く単純な演技に、芸が凝縮されています。
この歩く芸を楽しめる作品の一つが
助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)だ。
桜が咲き乱れる吉原。
遊郭の三浦屋へ向かう男伊達(おとこだて)の助六が
花道から登場する。白血病を克服した市川団十郎さんが
東京の歌舞伎座で熱演されている。

その歌舞伎座が老朽化のため建て替えられることになり
今月28日まで「さよなら公演」が行われている。
人間国宝を含む人気俳優のそろい踏みがファンをうならせる。
「助六」はそうした名演目の一つだ。

初代の歌舞伎座は明治半ばの1889年に開場した。
現在の建物は4代目で、太平洋戦争時の空襲によって焼失した
3代目の構造の一部を使って再建されたそうだ。
唐破風(からはふ)と呼ばれる丸い山形屋根の玄関が特徴で
国の登録有形文化財でもある。

蛍光灯を採用したため場内が前より明るくなり
戦前と戦後の「時代の明暗」を感じた、と
演劇評論家の渡辺保さんが書いていらっしゃる。
再開の年には「源氏物語」が初上演され、大反響を呼んだという。
伝統芸を引き継ぎながら
絶えず新しい要素を取り入れてきたのが歌舞伎だと思う。

新歌舞伎座は29階建ての高層ビルに生まれ変わって
3年後に完成すると聞く。
瓦屋根などを再利用し、今の外観は継承されるそうだ。
伝統文化の情報を世界に発信する拠点機能も備えるそうだ。
そこでどのような芸が育つのか
新しい歌舞伎座の「出」を楽しみに待ちたい。

(M.N)

あいさつ

4月に入ってから、いろんな機会に
「あいさつをしましょう」という呼び掛けを耳にした。
保育園の入園式で小さな子どもたちに語りかける園長さん。
小学校の入学式では校長が元気いっぱいのあいさつを
今年度の目標にした。

同じことが新入社員を対象にした研修会でも
社会人の基本として取り上げられていた。
小さいころから言われてきているはずなのに
簡単なようでなかなか身に付かないようだ。

新人研修の講師が「あいさつの角度は心の角度」と教えていた。
相手に伝わるおじぎの角度は会釈なら15度、敬礼なら30度
最敬礼は45度、謝罪するなら気持ちを伝えるために
90度ぐらいが必要になるという。

もちろん一つの目安だろうが、ビジネスの世界では
必要な知識なのかもしれない。
本人があいさつをしているつもりでも、きちんと伝わらなければ
「あいさつもろくにできぬやつ」ととられてしまうからだ。

新入社員を迎えたばかりの職場では
毎朝、気持ちの良い声が響いていることだろう。
返すあいさつも自然に大きな声になり
職場が明るい雰囲気になっているはずだ。
だがこれがなかなか長続きしない。

あいさつは、その4文字をもじって
「明るく」「いつでも」「先に」「続ける」が大事といわれる。
職場を明るくするフレッシュな風を止めてしまうのが
先輩社員にならないように、年度の始まりに
ベテラン社員も基本に立ち返ってみたらどうだろうか。

(M.N)

回す

自宅の電動式鉛筆削りが故障し
以前使っていた手動式が再登場した。
愛用の鉛筆の削り過ぎがなくなり重宝しているが
ガリガリと回す手の動作にある種の新鮮味を覚えた。
「回す」という動作が次第に減っているのに気付く。

歯磨き剤などのチューブ類はかって
ふたは回すタイプが主流だった。水道の蛇口も回したし
洗濯機やガスこんろのつまみもそうだった。
電話のダイヤル、テレビのチャンネル、腕時計のねじ・・・。
かって回したりひねった物がすっかり旧式の域である。

「手動式」だった器具・生活用品はこの回す動作に支えられていた。
それが自動化しプッシュ式やタッチ式に替わる。
「回す」「ひねる」から「押す」「触れる」へー。
スイッチの入切や強弱調節の動作について
そのどちらを思い描くかでアナログ派かデジタル派か
分かれるかもしれない。

言葉では「回」の字は健在だ。知恵が回る、気が回る・・・。
「回」も「回復」と使えば吉兆の印。
新年度予算が成立し景気回復の一歩となるか。
信頼回復は支持率回復は。「回」は必ずしも旧式ではない。
政権運営ヨロヨロ気味の現体制には
「回」は「回復」に見えて輝いてみえるかも知れない。 

(M.N)

『王者不在』の戦い

 世界中のゴルフ愛好者の間で、「いつ復帰するのか」と注目していた米男子プロゴルファーのタイガー・ウッズが、ようやくツアーに戻ってくることになった。
 相次ぐスキャンダルの発覚により、これまで大会出場を自粛。昨年11月に優勝したオーストラリアンマスターズ以来のツアー参戦となり、米ツアーに限っては昨年9月のツアー選手権までさかのぼる。
 この間の男子プロゴルフ界は「王者不在」の中での戦いとなり、ファンにとって少々寂しいツアーが続いた。個人的に、不貞行為をはたらいたことを肯定するつもりはないが、ゴルフファンの一人として「世界ランク1」の1日も早い復帰を待ち望んでいただけに、今後の活躍を期待しているところだ。
 賞金をはじめスポンサー契約を合わせて年収が百億円?を超すとも言われているウッズ。フロリダ州オーランド近郊にある自宅近くの路上で起こした交通事故をきっかけに、複数の愛人がいたことが分かった。この不倫騒動により無期限の大会出場休止を宣言。今期は1月の米ツアー開幕から出場を控えてきた。
 多くのスポンサーから契約を解消され、マスコミやファンからバッシングを受けるなどかなりの批判が集まり、2月には謝罪会見を開いて胸内を打ち明けた。その中で、複数の女性との不倫を認めて以降、沈黙を守ってきたが今月16日、インターネット上にある自信の公式サイトで復帰を表明した。
 その復帰戦の舞台は、4月8日から米ジョージア州のオーガスタナショナルゴルフクラブで毎年行われているゴルフの祭典マスターズ。まさに「名手」だけにしか出場権が与えられない伝統ある大会。世界の男子プロゴルフ競技の中で、4大メジャー( ほかに全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権)のひとつに数えられているが、その中で最も注目度が高い。
 ウッズは、公式サイトで「マスターズは自分が初めて勝ったメジャー。長い時間を経て。今季のスタートを切る準備ができた」との談話を発表している。国内からは、石川遼選手が昨年に続いて出場することになっており、「世界で最も美しいコース」でありながら、「世界で最も難しいコース」で、今年も世界の名手たちによる最高のプレーが楽しめそうだ。

(M.N)

東京スカイツリー

建設中の東京スカイツリーを見た。
東武伊勢崎線の業平橋駅に降り立つと
目の前の建設現場に「現在のタワーの高さ328メートル」
と表示された看板が立っていた。
 
東京タワーの333メートルを追い抜いた。
今夏までに第1展望台の350メートル
年末には第2展望台(450メートル)を超え
500メートルまで到達する予定という。
最上部は634メートル。
2012年春に世界一の電波塔が開業する。
 
見上げれば雨雲がタワー上部にかかりよく見えない。
駅向かいの「インフォプラザ」に500分の1サイズの模型が
展示されており、完成後の眺望や周囲の様子などが
コンピューターグラフィックスを交えた映像で見られる。
 
11年7月に終了するテレビのアナログ放送に代わる
デジタル放送用アンテナが最上部に設置される。
1日ごとに変化する2色の光でライトアップされる。
まさに東京の新名所になるだろう。

地元の墨田区は両国や向島といった
区内の観光資源をあらためて掘り起こし
年間2千万人の観光客誘致に乗り出す計画を進めている。
隅田川を挟んで浅草があり
下町情緒も楽しめるとPRに努めるが、課題も多いようだ。

江戸東京博物館まで乗ったタクシーの運転手さんは
周辺の道路が狭く、駐車スペースが足りないのが
最大の悩みだと言う。活気と渋滞の板ばさみか。

(M.N)

白熱電球

白熱電球が姿を消すという。
大手メーカーの東芝が製造を中止し
今後は発光ダイオード(LED)電球などが主力商品となる。
国の方針を、他メーカーも2012年をめどに
白熱電球の大幅削減を目指しているという。
 
白熱電球は家庭ではおなじみ品だ。
居間などの部屋は蛍光灯が主だが、廊下や玄関には
まだ白熱電球を使っていることも多いだろう。

白熱電球は瞬時に点灯する反面
スイッチが入った途端、よく切れてしまう。
発光ばかりか電力の多くが熱となって費やされ
交換で電球に触れると「熱っちっち」となることもある。

それに比べてLED電球は、それほど熱くもならず、寿命も長い。
価格は20倍、30倍ほどとまだ高いが長期的に見れば割安になる。
資源、電力の浪費を防ぐメリットがあり
白熱電球の”消灯”は時代の流れだろう。

その一方、白熱電球には「あの明るさにぬくもりがある」
との声が私たち年配には思いのほか多い。
白熱電球世代の片割れとしても理解できる。
切れた電球を耳元で振ると「シャリ、シャリ」と音がした。
細かい渦巻き状のフイラメント片で
どこかはかない音色に耳を澄ましたものだ。

子供に言うと「やはり切れずに長持ちするほうがいい」。
さらには「年を取ると電球の取替えも大変になるんじゃないの」
とあっさり否定され、あの白熱灯のような趣は
もう望めないと寂しさを感じた。

(M.N)

ボーダーレス

英語と日本語の違いはいろいろありますが
象徴的なのは結論の置きどころだろう。
英語は先に、日本語は後に、いいたいことの根幹がある。

「あなたは優しいから好き」は日本語。
英語なら「あなたが好き。優しいから」と単語が並ぶ。
こうした違いは、考え方や文化の差異を反映する。
結論の先送りは、奥ゆかしさの裏返し。
相手の反応をうかがうのは、美徳にも通じる。

「つまらないものですが」と品物を差し出された外国人は
「そんなものを、なぜ私に寄こすのか」と思うに違いない。
欧米流は物を贈る際、それを手に入れるのにどれほど苦労したか
それがどんなに素晴らしいものかを力説するそうだ。

以前、子供さんの関係でカナダの女子中学生を
自宅に受け入れたときのこと、「狭い家だけど・・・」と言ったら
「私の家は広い」と返されて苦笑した覚えがある、との話を
聞いたことがある。ボーダーレスの時代、控えめは損だと承知した。

朝青龍の横綱引退は、各界の内外に大きな余波を及ぼしている。
朝青龍によって体現された「強さ」と「品格」のせめぎ合いは
日本の針路を問うようでもある。
善かれあしかれボーダーレスの一断面と思う。
国際社会にはどう映るのだろうか。
いずれ「品格」なくして「強さ」は通じまい。

(M.N)


 

大イチョウ

老木は優しいお年寄りと同じで、人を包み込む風情がある。
まして鎌倉・鶴岡八幡宮の大イチョウは全国に知られる。
倒れたと聞き、感慨を覚えた方もおられると思う。

大人4人が幹に腕を回して、ようやく届くほどの太さがあった。
樹齢は1000年ともいう。長く生きてきた。
1219年の大雪の日、鎌倉幕府の3代将軍・源実朝が
参拝を終えて石段を下っていた。
おいの公暁はイチョウの陰に隠れて時を待ち
「親のかたき」と切りつけて討ち取った。
そんな「隠れイチョウ」伝説も残る。

1000年の間、台風は毎年のように来た。
巨大地震にも何度も逢ったはずだ。それでも揺らぎはしなかった。
いま八幡宮には初詣だけで200万人が訪れる。
イチョウは参拝者のない早朝を選んだように、根元から折れた。

八幡宮や地元自治体は
イチョウを再生するための検討を始めている。
木の一部を植え直す、枝から苗木を育てるなどが議論されている。
成功しても、巨大と言えるほどの大きさまで育つには
気の遠くなるような年月がかかることだろう。
風雪を刻んだ全国の老木は、もっと大事にされていいと思う。
ずっと立ち続けると思っても
いつかは風に揺らがぬとは限らないのだから。

(M.N)

  
  

卒業式

3月は卒業式の季節です。
かっては「仰げば尊し」や「蛍の光」が
校舎から流れてきた。
郷愁を誘うメロディが耳に残る。時代とともに
卒業式で歌われる曲は様変わりしている。
 
2009年「卒業ソングランキング」(ヤフー)によると
1位は「手紙~拝啓十五の君へ~」(アンジェラ・アキ)
2位が「3月9日」(レミオロメン)
3位「旅立ちの日に」(トワ・エ・モアほか)。
「仰げば尊し」は4位。「蛍の光」は5位だそうだ。

いわゆる「卒業ソング」をたどってみると
「卒業写真」(荒井由美)、「卒業}(斉藤由貴)
テレビドラマ主題歌の「贈る言葉」(海援隊)
「巣立ちの歌」(ひばり児童合唱団)などだ。

今年はどんな曲が歌われるだろう。娘に聞いてみたら、
[SAKURA」(いきものがたり)や「涙空」(GReeeeN),「道」(EXILE)
などが候補らしいと話してくれた。
おじさん世代には、なじみが薄く
卒業式の感動を共有できないのが寂しい。

別れはつらい。涙が切ない。
しかし、春の日差しが一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。
向こうには新たな出会いが待っている。

(M.N)

橋本聖子団長

さすが「五輪の申し子」というべきだろうか。
17日間の戦いの余熱があるバンクーバー冬季五輪で
日本選手団長を務めた橋本聖子さんのことだ。
冬と夏合わせて7回出場した実績はもとより
団長としての存在感に敬服した。

最も印象的だったのは、男子スノーボードの
国母和宏選手の服装問題での対応だった。
出場辞退を申し入れた競技団体を制し
「スタートラインに立たないで終わるのは逆に無責任。
私が責任を負う」と出場させた ”大岡裁き”。
競技を見守った後、国母選手に駆け寄って握手をした姿に
リーダーとしての器の大きさが伝わってきた。

女子モーグルで4位に終わり「なんで一段一段なんだろう」の
名言を残した上村愛子選手には
「4年ごとに積み上げた努力はメダルに値する」と
暖かいコメントを送った。

ドイツとの決勝の前に「死ぬ気で行け」とゲキを飛ばした
スケート女子団体追い抜きでは、「でも死ねないから・・・」と
付け加えたという。緊張感ある場面でのユーモアに
こちらも顔がほころんだ。

上に立つ人の度量に首をかしげることが多い昨今
努力と実績に裏打ちされた彼女の言葉や対応に
説得力と指導力が感じる。

帰国後「競技力向上には、国を挙げた強化や環境整備が必要」と
強調されている。今後は「議員力」で発揮されることを願い
応援したいとつくづく思う。 

(M.N)

スポーツ界に不況の風

何と太っ腹な方か。冬季五輪スピードスケートで
銀メダルを獲得した長島圭一郎選手に1千万円
銅の加藤条治選手に600万円。
所属先の親会社の永守重信日本電産社長が
ビッグな奨励金を贈ることにした。

それぞれ係長と主任への”2階級特進”も約束し
「金メダル2回で社長だぞ」とまでオクターブが上がって
両選手は困惑ぎみだった。何はともあれ
不景気続きの昨今、こんな威勢のいい話題は久しぶりだ。

所属先の前身、三協精機は長野五輪金メダリストの
清水宏保さんら数多くの名選手を輩出した。
廃部も検討されたが「名門の名を消してはならぬ」と
永守社長が決断し、私費も投じて練習環境を充実された。

スポーツ界には長引く不況の寒風が吹きつけている。
ショートトラックの代表選手らは、五輪に向けて
練習場を確保するため日本各地を転々としたそうだ。
ソウル近郊に通年で練習できる室内リンクを持つ
韓国との落差は、あまりに大きい。

「最も金に近い銀」に輝いたスピードスケート女子団体追い抜きの
田畑真紀、穂積雅子両選手は富山市の小さな地質調査会社に所属する。
カーリングの”絶叫”解説で注目された小林宏さんは
自費で山梨県に練習場をつくり、普及に努めていられる。

企業や個人の孤軍奮闘が頼りでは、先行き心細い。
国費を投入すれば万事解決するわけではないが
国のスポーツへの理解と後押しが弱いのが、なんとも歯がゆい。

(M.N)

バンクーバー冬季五輪閉幕

熱戦の余韻を残しながら
バンクーバー冬季五輪が幕を閉じた。
日本は銀メダル3個、銅メダル2個を獲得し
橋本聖子選手団長は「前回をメダル数で4個上回った」
と総括した。

男子スピードスケートの長島圭一郎、加藤条治両選手は
「雪辱戦」の勝利者だった。靴1足分ほど及ばず2位になった
スピードスケート女子の団体追い抜きなど、惜しまれる敗戦はあった。
しかし0・02秒の差はスポーツの世界では絶対である。

フィギュアスケート女子は、やはり氷上の華だった。
浅田真央選手は五輪史上初めて、3回転半ジャンプを2度決めた。
頂点には立てず氷上は硬かったが、今回はほぼ完璧に演じた
金妍児(キム・ヨナ)選手を褒めるしかない、
華麗で完成度の高い内容を完璧に演じきった。
とはいえ6選手全員が入賞を果たした
フィギュアスケート陣の奮闘は見事だった。
特に大けがで1シーズンを棒に振りながら
銅メダルを手にした高橋大輔選手の頑張りには胸を打たれた。

あと一歩で表彰台を逃がし「何で一段一段ずつなんだろう」
と泣いた上村愛子選手(スキー女子モーグル)の
切ない言葉も忘れられない。
努力が必ずしも報われないのもスポーツである。

カーリングは一投で局面が変わり、テレビにくぎ付けにされた。
青森チームは一次リーグで敗退。スキップ(主将)の目黒萌絵選手は
「経験不足もある。力不足を感じた」。平均年齢40歳を越すチームもあった。
技術と精神力、結束力を磨けば、きっと次はより上を目指せると思う。
 
もう1人記憶に残るスケーターがいた。カナダのロッシェット選手だ。
会場で応援してくれるはずの母親を競技2日前に亡くした。
平常心で臨むのは難しかったろうに、開催国の代表として
滑りきり銅メダルを獲得した。心から拍手を送りたい。

(M.N)

花粉症

やっと布団から出るのが楽にんったと思ったら
まぶたが何だかおかしい。おまけに鼻も詰まっている。
さては、と開いた朝刊の花粉予報に「やや多い」とあった。
気の重い季節が巡ってきた。

今年のスギ花粉の飛散量は、例年より少なめと予測されている。
夏に雨が多く、日照不足で花芽の成長が抑えられたためらしい。
つらい症状に悩む人には朗報である。

日本で初めてスギ花粉症が報告されたのは1964年という。
東京オリンピックの年だ。それから経済成長のカーブを追うように
患者の数も右肩上がりに増え続ける。
今や4人に1人を上回った、との調査もある。

ただスギのせいだけでなく、住まいや食べ物の欧米化がある。
大気汚染もある。人がアレルギーを起こしやすくなった。
温暖化によっても花粉の量は増える。
経済活動との浅からぬ因縁が見えてくる。

全国的に大量の花粉が飛んだ5年前、そのあおりで
実質GDPが6800億円あまり減った、という試算がある。
対策グッズの特需があったものの、外出や旅行の手控えが響いたらしい。
逆に飛散が少なければ、景気にプラス。
長患いの床から起き上がろうとしている日本経済にとっても
花粉予報は人ごとではないと見るが。 

(M.N)

カーリング

ヤー!イェップ!」「ウォー!ウォー!」。
氷のレーンに大きな声が飛び交う。
バンクバー冬季五輪のカーリング女子で
日本代表の「チーム青森」が奮闘している。
一発逆転の絶妙ショットが次々と放たれるから、目が離せない。

漬物石のようなストーンを40メートル先の
約直径3・7メートルの円中心目がけ滑らせる。
相手の石を円からはじき出したり、防御用に手前に置いたり。
「氷上のチェス」と呼ばれるが、おはじきやビー玉遊びを連想する。
15世紀にスコットランドで生まれたらしい。

冒頭の「ヤー」は「掃け」。「ウォー」は「掃くな」の合図という。
この掃き具合で、石の停止位置が変わるから必死なのだ。
カーリングでは技だけでなく、対戦相手を思いやることが大切とされ
その「カーリング精神」は選手宣言の決まり文句にもなっている。
相手のミスを喜ぶなどもってのほかだ。

競技の母国、対英国選で日本は好ショットを連発した。
最終エンドのプレーを放棄して英国は日本に握手を求めた。
潔いギブアップぶりは、さわやかで品格すら漂っていた。

(M.N)


転落事故

何年か前、深夜の新幹線ホーム。
前を会社員ふうの男性が千鳥足で歩いていた。
ふらっとホームから落ちそうになったが
運よく持ち直し、事なしにすんだ。
肝を冷やしたのはこちらの方だが
もし転落していたら自分に何ができたろう。

先日、JR中央線高円寺駅ホーム。
酒に酔った女性が線路に転落。たまたまそばにいた
若き男性が線路に下り、着を失っていた女性を
レールの間に寝かせた直後、電車が通過。
男性の機転とわずか20センチのすき間のおかげで
女性は転落時の軽傷ですんだ。

二人とも無事だったが、一つ間違えば逆もあり得た。
レール上にあった女性の手足を
レールの間にそろえて安全を確保した時
電車は目前に迫っており、男性は機敏に
ホーム下の待避所に逃げた。

JR東日本の安全体制や駅員が
どう対応したかが気になったが、表彰は翌日で手早かった。
男性は、「考えて行動したのではなく、とっさに体が動いた。
自宅に帰って冷静になり、あらためて恐怖感がよみがえってきた」
と話した。

誰にでも起こりうるケースだが、誰もができることではない。
それなのにどこにでもいる普通の市民という印象で
テレビに映った笑顔もさわやかだった。

人知れず人を救ったり、道に迷い
何かにつまづいて困っている人にさっと手を差し伸べる人。
そんな心温まる人間になるよう、遠い昔の小中学校時代の先生
亡き父は教えてくれたのだが。反省している。

(M.N)


  
 

立松和平さん

昭和期に行われた法隆寺大修理の際の話だが
屋根を支えたいた建材などは曲がって朽ちたように見えたが
数日で元の形に戻り、カンナで削ると品の良い香りがしたそうだ。 

宮大工の棟梁・故西岡常一さんはヒノキの命について語っていた。
まな弟子の小川三夫さんは思ったそうだ。
約400年後に来る次の大修理では
「改修に使えるヒノキの大木が今のままでは国内にない」と。

法隆寺では正月に修生会(しゅしょえ)が行われる。
毎年参加する一人に作家の立松和平さんがいた。
小川さんと知り合って話を聞いた立松さんは
ヒノキの苗木を植えて不抜の森を作り
時代を超えて育ててもらおうと思い立たれた。
栃木県出身の立松さんは、1996年から足尾銅山跡で
地元の人と一緒にサクラなどを植樹してこられた。
銅山跡には今、緑が戻りつつあると聞く。

林野庁が動いて国有林を使った壮大な事業が
2002年に京都の鞍馬山でスタートした。
「古事の森」と名づけられた。法隆寺だけでなく
各地の伝統木造建築の改修で使うことを想定しているそうだ。

足尾での目標100万本を植えるには100年以上かかる。
そのころ「古事の森」ではヒノキが幹の太さを増しているだろう。
「木の景色を、木の文化を、みんな守って生きたいね」。
素朴な語り口を思い出す。先日62歳で亡くなられた。

(M.N)

バンクーバー冬季五輪

 身近に置いたり、身につけていたりすると、幸運をもたらすとされるマスコット。いまでは大きなイベントにはつきもののようになったから、記憶にはなかなか残らない。

 五輪では東京や札幌のときはまだなかったように思うが、長野はフクロウの子どもをイメージした「スノーレッツ」だった。国内はまだしも外国での開催となると、五輪マスコットに関心のある人らを除けばまず覚えていないだろう。

 バンクーバー冬季五輪。公式マスコットは3体あるそうだ。茶色のあごひげを持つ人間に似た動物の「クワッチ」をはじめ、いずれもカナダ先住民の神話や伝説に基づくという。

 カナダは人口の8割近くを英仏など欧州系が占めるが、先住民のほか多くのアジア系も暮らす多民族国家。むろん、先住民は長く差別に苦しんできたし、言語や文化をめぐって根深い対立も続いてはいる。それでも看板の「多文化主義」は色あせていない。

 史上初となる屋内の開会式だったが、そうした文化の多様性をアピールされた。考えてみれば、五輪は民族や文化などの違いを超えて世界の競技者が集う祭典。選手村などはちょっとした多文化共生の場といってよい。

日本人選手の活躍を期待するとともに、「よりよき、より平和な世界の建設への寄与」という五輪憲章の精神がバンクーバーの地でさらに深まってほしい。

 友人のお嬢さんがカナダに永住されているが、久しぶりに喜ばしい、嬉しい毎日を迎えられると連絡があったそうだ。五輪中に得た多文化についてのお話を機会があったら伺いたいと願っている。

(M・N)

予算委員会

やじを飛ばす方も、むきになって言い返すほうも
どっちもどっちじゃないかと思う。
先日、参院予算委員会で答弁中の大臣が
やじを飛ばした議員に向かって「うるさい」と発言し
問題になった。

意見の異なる相手でも、きちんと話を聞いた上で
反論するのが討論の基本。
テレビの討論番組でも良く見かけるが
相手の話をろくすっぽ聞かず、言い負かそう
やり込めようとするだけの姿は見苦しい。

地方議会では、野次が飛び交う場面は少ない。
議員と執行部が質問と答弁の内容を
事前に打ち合わせている例が多いことが
関係しているのかもしれない。

それはそれで、議会をシナリオ通りの
面白みのないものにして、
市民の政治離れにつながる問題があるのだが・・・。 
ぜひ、国会の場で、本当の意味で
活発な討論の手本を見せてほしい。 

(M.N)

土俵外の出来事

土俵外の出来事で今週は2回も驚かされた。
貴乃花親方が日本相撲協会の理事選で予想を覆して当選
その3日後の立春の日に
今度は横綱・朝青龍関が引退を表明した。

引き金になったのは、初場所中に泥酔し
知人に暴行したとされる問題だ。
相次ぐ不祥事に相撲協会もようやく動いた。
土俵際に追い詰められた横綱は
持ち味の粘り腰を発揮することなく相撲人生に終止符を打った。

「悔いは一切ない」「けじめをつけた」。会見のときに
笑顔を見せたのは意地かもしれない。だが無念さは隠せない。
モンゴルの草原を駆け回っていた少年が来日して13年
「一番の思い出は」と聞かれると、切れ目の目に涙が光った。

言動の数々に品格を問う声はあった。
だがその強さは別格だった。
ヒール(悪役)としてもファンを魅了したが
暴行が事実なら品格以前の問題である。
歴代3位、25回の幕内優勝に自分で泥を塗り
ファンも裏切ったことになる。

印象的だったのは、ライバルの引退を語るときの白鵬関の涙だ。
「やり残したことがあるんじゃないか」と気遣ったのは
言葉や習慣の違いに戸惑い
苦労を重ねた故国の仲間だからだろうか。

朝青龍関の退場は角界にとって大きな痛手である。
ファンの相撲離れは避けられない。
横綱人気に頼り、甘えを増長させた相撲協会は
土俵の中に注目が集まるように変革してほしい。

(M.N)


 

国会審議

2010年度予算案に対する国会審議が始まった。
命を守るために与野党ともに身のある論議を展開し
国民生活、景気回復につながる施策に結び付くような
予算措置をお願いしたい。その実現こそが
施政方針に揚げた鳩山首相の理念だろう。

09年度補正予算が成立し、川崎市にも予算措置が行われたが
審議過程は褒められるだろうか、考えさせられる。
報道には、「国会崩壊」「学級崩壊」の見出しが躍り
尋常ではなかった様子が 伝わった。

国会中継をテレビ放映で見ていて
「政権交代してもヤジは変わらないなあ」と感じた。
いくら予算委員長が注意喚起したところで、収まらない。
閣僚がヤジられるのは常としても、閣僚席からヤジが飛んだり
「うるさい」「くだらん質問には答えられない」では節度もなく
国民の手本にもならない。
 
守るのは「生まれる」「育つ」「働く」「世界」「地球」命で
インドのマハトマ・ガンジーの「七つの社会的大罪」を問い
行動することが必要だという。
 
理念なき政治は失格とはいえ、具体性を欠く政策では
国民の理解は得られない。今日は節分、「鬼は外、福は内」と
言語明瞭で分かりやすい国民の命を守る豆を
国会からまいてほしいと願いたい。
 
わが家でも、今では今年こそ幸多き年にと願いを込めて
災いをもたらすさまざまな”鬼”を追い払う年中行事としてすっかり定着した。
長引く不況に閉塞感、政治とカネ、年金、雇用問題など、あちこちで
”鬼”が暴れ回っているだけに今年は「鬼は外」の大声に合せて
力いっぱい、孫と一緒に豆をまくことにしよう。
「福は内」の願いが届くことを期待しつつ。

(M.N)

経済大国

日本に世界第二の経済大国という看板を
そろそろ下ろす時がやってきた。
後ろから猛追してきた中国が真後ろに迫り
間もなく抜き去られそうだからである。
その悔しさを日本財界は噛みしめながら
次の手を模索しているようだ。

1991年から始まったといわれる「失われた十年」後も
経済は一時的回復を見せたものの、快癒にはほど遠く
いまなお低迷が続いている状況は
「失われた二十年」への延長を思わせる。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられた
八〇年代の栄光がまるで嘘だったかのように暗転、凋落した
九十年代の悪夢と、訣別し、夢よもう一度と
不死鳥のように蘇る青写真を描いた日本経済再生計画は
つまるところ政治の無策によって頓挫し
日本経済は不況の長いトンネルから抜け出せないでいる。
そこに追い討ちをかけたリーマン・ショックで
自信喪失状態なのが今の日本だ。

「世界の工場」として下請け加工と輸出の両面で経済力を付け
なお8%台の成長率を維持している中国が
GDPで日本を追い抜くのはもはや時間の問題となり
日本はいやでも脚力の衰えを感じざるを得ない状況だ。
だが、日本の技術力は決して失われたわけではない。

大横綱双葉山は中国の古典「荘子」にある「木鶏」を目指した。
まるで木で作ったかのように見える闘鶏だ。
相手の姿を見ても興奮したり、虚勢を張ったりせず
何事にも動じることがない。
そんな木鶏の境地は確かに理想の姿ではある。

国や企業などにとっても同じだろう。とはいえ
どういう事態に対しても不動の心で当たるのはかなり難しい。
格下に見ていた相手が急激に力をつけてきた場合には
焦りやねたみなどから要らぬ敵意をかき立ててしまうことがある。
「不動心」だ。

(M.N)

西半球の小国ハイチ

カリブ海の小国ハイチの大地震から半月たったが
目を覆いたくなるような惨状が日ごとに明るみになっている。

死者は20万人に達するとも伝えられる。
しかし正確な数は誰にもわからないといわれるところに
想像を絶する破壊力とこの国の実情がのぞく。
その一方で破滅的な被害を受けた首都ポルトープランスでは
がれきの中から奇跡の救出が相次いだ。

地震発生から72時間を過ぎると
生存率は急激に低下するとされるが
8日ぶりに5歳男児、11歳と14歳の女児が助け出されたほか
11日ぶりに救出された20代の男性もいた。
暑い地域であることや建物の構造が奇跡をもたらした
と専門家はみる。
  
 「米国の裏庭」と呼ばれるハイチには
その米国を始め世界各国の救助隊がいち早く駆けつけた。
日本政府も国連平和維持活動(PKO)に
300人規模の自衛隊の派遣を決めた。必要なことだ。

医師や看護師から成る国際緊急援助隊も先週、現地入りした。
西半球で感染症の宝庫の代名詞でもあるハイチを最も知り
ハイチで医療活動に従事された長崎大熱帯医学研究所の
山本太郎教授も加わっていられるそうだ。
一人でも多くの命を救ってほしいと祈願する。

(M.N)

日比谷公園

皇居の南側にある日比谷公園は
1903(明治36)年に開園した日本初の洋風近代式公園。
噴水や木立の中を巡る小道、音楽堂・・・。
いろいろなイベントも開かれている。

100年を超える年月を重ねた公園は、歴史の舞台ともなってきた。
1905(明治38)年には日露戦争後の
ポーツマス条約に反対する集会が開かれ
暴動へとつながった日比谷焼き打ち事件が起きた。

公園南東にある日比谷公会堂。
ここでは日米安全保障条約の改定に反対する
安保闘争があった1960(昭和35)年10月
社会党の浅沼稲次郎委員長が立会演説会中
右翼少年に刺殺された。

都心の憩いの場として親しまれながら
重い歴史を見てきた日比谷公園だ。
日比谷公園には約一年前、「年越し派遣村」ができた。
格差社会を浮き彫りにした村は
日本社会が抱える問題の象徴ともなり
昨年の政権交代への流れにもつながった。

通常国会も始まったが、新政権には
”戦う”べき相手を見誤ることのない実のある論議を求めたい。
散歩しながら、数々の歴史を振り返ってみた。

(M.N)

センター試験終了

新型インフルエンザへの厳戒態勢のなか
本年度の大学入試センター試験が終了した。
不況による国公立大志向の高まりで
志願者は昨年を1万人近く上回ったようだ。

前進の共通1次試験を含め
センター試験が始まって30年余り。
受験生を点数で輪切りにし、大学序列化の一因になったと
批判を浴びてきたが、今では多くの私立大も利用し
大学志願者の大半が受験する一大イベントとなっている。                            
                                                            
文部科学省のまとめでは昨年度、高校生の大学進学率は
全国平均で初めて5割を突破したそうだ。
少子化時代でも受験戦争はなお厳しいのかと思いきや
進学塾によると「大学入試にかっての悲壮感はない」という。
推薦や、得意科目だけの試験や「一芸」など
入試が多様化しどこかには入れる。
背水の陣で一般入試に臨む受験生は少数派らしい。

激化が厳しいのは中高一貫校や
難関私立中を目指す中学受験。
くしくもセンター試験第1日が中学入試の初日だった。
不況で私立中全体の志願者が減るなか
進学実績のあるコースは相変わらずの人気ぶりだ。

「先行き不透明な時代にあって、子に学力だけは
つけてやりたいと願う親心の現れ」と塾講師は言う。
そうなのかもしれない。
だが、一心に答案用紙に向かう児童を見て、何か気の毒にも感じた。
16年前にセンター試験を受けた時の子供が2児の母親になっているが
孫の受験期にはどう考えるのか心配だ。

(M.N)
      

  

健康第一

今年いただいた年賀状には
「健康第一」と添え書きされていたのが多かった。
ここ数年、健康に注意することに心がけているので
身に染みる言葉だった。

昨年12月、突然腰が痛くなった。
立ったり座ったりするのが辛いばかりか寝返りもままならない。
ぎっくり腰かと思ったが、重いものを急に
持ち上げたりしたことはなく、原因が思い当たらない。
 
病院でエックス線を撮ったが、ヘルニアの所見はないという。
いすに座る生活習慣が多く、そうした姿勢を長くしていることから
血流が悪くなって起こる筋肉性の腰痛と診断され、湿布を張り
痛み止めを服用したら、数日後に痛みは治まった。

また、以前から痛みがあった右肩は
年齢は50歳を遠くに超えているのだが「五十肩」との診断。
自然に治るとのことだが、今も肩が上がらないため
シャツなどを着るのに時間がかかり、痛いやら情けないやら・・・
 
医師によれば、腰痛も五十肩も筋肉の衰えが原因で
老化の予兆のようなものだとか。
小まめな運動のほかに、老化防止には「噛む」「つまむ」「握る」の
三つの力を高めることを心掛けるように言われた。

よく噛むと唾液の分泌を促して消化を助け
「つまむ」「握る」力は指先の機能を保ち
とっさのときに体を支える腕の筋肉の衰えを防ぐ。
さらに、この三つの力のいずれもが脳の働きを活発化し
老化防止につながるのだという。
ならば実践するしかない。今年の目標は「健康第一」だ。

(M.N)

がんばれ両力士

ゴルフの石川遼選手のように10代で脚光を浴びる人もいれば
プロ野球の工藤公康投手のように46歳になっても現役で在り続け
中高年世代に勇気を与える人もいる。

大相撲の大関魁皇も後者の一人だろう。37歳、幕内最年長。
12日の初場所3日目で元横綱千代の富士を抜き
幕内通算808勝の新記録を打ち立てた。
怪我と闘いながらの快挙である。魁皇の頑張りを見て
「よし、おれも」と奮起を誓った人も多いのではなかろうか。

魁皇は酒好きで、若いころはよく深酒をしたようだ。
変わったのは、大怪我をした25歳ぐらいからで
「付き合いが悪い」と言われても酒の誘いを断り
けがの治療やけいこに打ち込んだ。その結果が快挙である。

その魁皇に3日目に敗れた関脇千代大海は
きのう13日に現役引退を表明した。
「あいつの才能が10としたら、おれは3くらい」と
師匠の元千代の富士(九重親方)に言わしめた千代大海だ。
天才的な素質を持ちながら
けいこで磨かなかったのは、魁皇とは対照的だ。

それも同じ九州勢同士、仲が良かった二人。
「引導を渡すのはおれだ」と冗談を言い合っていたという。
その言葉通り、魁皇が千代大海に引導を渡す結果になった。

千代大海は「(最後の相手が)魁皇関で良かったかな」と言ったそうだ。
寂しさの中の小さじ一杯のぬくもりが、せめてもの慰めだろうか。
今後、相撲界での健闘を祈りたい。

(M.N)

大人の段階

若者は結婚式をよく「ゴール」と表現するが
実際には夫婦生活の始まりに過ぎない。
成人式もそれに似ている。
その段階で「大人」になるわけではなく
大人の社会の入り口に立ったに過ぎない。

誰しもわが身の20歳のころを振り返れば
「大人」とはほど遠かったと思い出すのではないだろうか。
成人式は同窓会。
その日が過ぎれば何事もなかったかのように
親のすねをかじる生活に戻る。
社会のルールも理解していたとは言い難い・・・。

では年を重ねて「大人」になれたかというと
それも多くの人には怪しいのではないか。
少々分別が生まれ、多少世間の裏表が分かりかけ
どうにか自活できるようになりはしたが
つまらない失敗もすれば、いまだに道に迷っている。

「いまどきの若者は」なんて簡単に批判するのも
「大人」になりきれていない証拠かもしれない。
ついつい、かって自分たちもそう言われていたことも
自分たちがそんな若者に育ててしまったことも忘れ
そんな風に口にする。

実は大人たちだって、皆が皆「大人」なわけではないし
自信を持っているわけでもない。
入り口に立ったばかりの若者よりも
ほんのちょっと先にいるにすぎない。
歳を重ねるほどゴールの遠さを実感する人もいるだろう。

今日の成人の日は、スタートラインに立った若者たちを
祝い励ます日であるとともに、大人たちが自分の現在位置を
再確認する日でもある。ようこそ20歳の皆さん。
ともに「大人」への段階を一歩ずつ上がっていこうではないか。
そういう私もいつまでも、「大人」になりきれないで侘しい。 

(M.N)

  

とんちの日

きょうは「とんちの日」だそうだ。
1月9日。1と9の語呂合わせで
とんちで有名な一九さんにあやかったそうだ。

本などのほか1970年代から80年代にかけて
テレビアニメが放映された。
額に両手を当て「チーン」とかねの音が鳴ると
数々の難問をとんちで見事に解決する一休さんに
喝采(かっさい)を送った人も多かったことと思う。

中でも有名なのはびょうぶの虎退治あたりか。
将軍足利義満が一計を案じ
びょうぶに描かれた虎を捕まえるよう命じる。
一休さんは早速、縄を用意させて身構え
「さあ、早く虎を追い出してください」と応じて逆に将軍をやりこめる。

成長してからの一休さんはまさに自由奔放に生きた。
仏像を枕に昼寝したり、朱ざやの木刀を差して
歩き回るなどの逸話も残る。よく知られている
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」は
いかにも一休さんならではの言葉。

正月飾りもとれて、世の中もいよいよ本格的に動き出したが
政治の世界では鳩山内閣の財務相が交代するなど
前途多難を思わせる幕開け。株価は幾分持ち直したようだが
景気回復にはほど遠く、デフレや二番底の懸念もささやかれている。

かといって嘆いてばかりはいられない。
一休さんには及びもつかないまでも
できる限りの知恵と工夫で明るく元気に、新しい一年を乗り切ろう。

(M.N)

 

正月の実感

正月という実感がわいてこなくなって久しい。
それは「毎日が盆正月みたいなもの」という表現が
大袈裟でないほど食生活が豊かになったからだろうか。

盆はともかく正月というハレの日は
いつものつぎはぎだらけの服でなく
文字通り一張羅の晴れ着を着せられ
家族のみならず多くの親戚縁者近隣などが集まって
普段は口にできないようなご馳走を食べ
大声で談笑するそのひとときは実に楽しいものだったから
「もういくつ寝るとお正月」と指折り数えて待つのは当然だった。

まさに正月用といった貴重品のミカンが
木箱から取り出されるときのうれしさ。
お年玉をもらった時の得意。
それにも増していつまでも思い出として情景に残っているのが
正月の遊びごとだろう。
いとこ、はとこ、友人たちが集まると当然ゲームの出番だ。
                                                                     
家の中なら十二支合わせ、トランプ、双六、福笑いなど。
家の外ならたこ揚げ、追い羽根などまさに正月用の定番というものがあり
それが集中して楽しめるのが正月だったのだ。
しかしこうした遊びも次第に姿を消し
正月ならではの光景というものが少なくなってきた。
それが実感を薄める最大の原因ではなかろうか。

先日、多摩川べりで子どもたちがたこ揚げしているのを見た。
年が明けて初めて見る光景だった。
たこは、空気の流れを利用して揚がる。
ただしビニール製の洋だこは
流れに水平に近い角度でうまく乗せる方が揚がりやすく
逆に長方形の和だこは流れに対し垂直に立てて
遮る形にしたほうが揚力が生まれる。

空を舞う風は、気ままで変幻自在である。
姿が見えず、やっかいな相手だが、風向きは必ず変わる。
風を読み、たこの性質をつかんで、空高く揚がるよう
「たこたこ揚がれ、天まで揚がれ」と子どもたちを励ました。

(M.N)

あけましておめでとうございます

おめでとうございます。
日本の正月は、家に迎える年神様が豊作や
一家安泰を約束するものと考えられてきた。
やおよろずの神様がいる国だ。正月担当もおられるそうだ。
 
十二支では寅年。十二支は中国で考えられ日本に伝わった。
年、月、時間などの単位として用いられる。
覚えやすくするため、身近な動物を割り当てたそうだ。
トラは日本には生息しないものの、古代からその強さが知られていた。

日本でトラを見るには動物園に行くしかないが・・・
経営難の動物園はトラを飼えない困った園長が
男にトラの皮をかぶってオリに入ることを頼む。「日給1万円」。
 
男がオリに入ると園内放送が流れた。
「トラのオリにライオンを入れます」。
震えた男にライオンが近づいて言った。「おれも1万円」。
「動物園」という落語は明治期の新作といわれるが
世相に合うのか、最近はよく演じられる。
英語や、韓国語の達者な落語家が海外でも演じて好評という。
不景気もグローバルである。

寅に「さん」を付けると
いまだに人気が衰えない名優の顔が浮かぶ。
小学校の時、友人への寄せ書きに
「がんばれ・ふんばれ・されどいばるな」と書いた(森英介著「風天」)。
幼くして人生の要諦(ようてい)を知る人だったようだ。

かって正月休みの楽しみといえば
映画「男はつらいよ」シリーズだった。車寅次郎役は渥美清さん。
淡い恋の物語があり、ぶらりとまた旅に出る。
言葉は投げやりだが、心はあったかい寅さん。
待っている妹夫婦や、おいちゃん、おばちゃん、午前様も魅力があった。
いまも時折、テレビで放送されている。見入ってしまうのはなぜだろう。
古きよき時代だけではない人生の真実が含まれているからに違いない。

現代は、人と人とのつながりが奇薄になってきている。
いたわり助け合う世の中をなんとしても取り戻したい。
家族のきずなを強めたい。
寅さんが妹を思う気持ちを込めた句がある。
「さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎」

(M.N)




 

1年の感謝

一年を振り返る時期になりました。
小さな手帳をめくっていると、いろいろな出会いや出来事が
よみがえってきます。「あの人は元気でいるかな」
「この展覧会は素晴らしかった」など。
  
月並みな言葉ですが、あっという間の一年でした。
同じ時間が毎年流れているはずなのに
少しずつ速度を増している気がするのは、加齢のせいでしょう。
最近は、記憶の方が追い付いていかないことも。

手帳はほとんど埋められている。
それに交じって「宝くじ」の書き込みもあった。
いつものようにくじ運には恵まれなかった。
今年最後のジャンボ宝くじも期待はずれでしょう。

多くの方たちに支えられて、今年も何とか歩き続けられました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
来年も、岡目八目をお読みいただけることをお願いしながら
今年の最後の筆とします。
皆さん、よいお年をお迎えください。

(M.N)


挑戦

先日、NHKテレビで、アンパンマンの生みの親
漫画家のやなせたかしさんが、女性アナウンサーと
対談しているのを見た。
90歳だというが、とてもそんな年には見えない。
90歳になった今でも、絶えず新しいものに挑戦しているという。
いつも好奇心を失わず、機械でも新しいものが好きなのだそうだ。

脳科学者の茂木健一郎さんは、新しいことへの挑戦は
脳にある「前頭前野」を活性化させるといっている。
また、脳の老化防止として、面倒がらないで細かいことをする。
よく体を動かす。といったことも重要な条件として挙げている。

「年を重ねるだけで人は老いない。夢を失ったときから老いが始まる」
というアメリカのサムエル・ウルマンの詩は
老いを語るときによく引きあいに出される。
年を重ねても、好奇心いっぱいで未知への挑戦を忘れず
こまめに体を動かして、心・身ともに「青春を」を心掛けたいものである。
 
筆を若干、若者にかたむけたい。
明治という新しい時代を切り開いていく若者たちを描いた
司馬遼太郎作品の同じNHKドラマ「「坂の上の雲」はつい見入ってしまう。
不況下のデフレ、ボーナスカットと今ひとつ意気の上がらない歳末だけに
信念を持って難局に立ち向かう若者たちがまぶしく映る人もいるだろう。

若者が時代の先頭に立ったのは明治の時代に限らない。
戦後の廃虚からものづくり大国へ、高度成長を支えたのは若者たちだった。
冒険心や向上心が海外に目を向けさせた。
そして今、下を向きがちな時代だからこそ
将来を信じて海外を目指す若い人が一人でも多く現れてほしいと願いたい。

(M.N)

イルミネーター

毎年、クリスマスの時季になると、
自宅の周囲をイルミネーションで飾り
目を楽しませてくれるお宅がある。
そういう人々を「イルミネーター」というらしい。

年の瀬に不景気が重なり、気がせく割りには
前に進んでいる実感が乏しい日常だ。
とっぷりと暮れた家路を急ぐ途中で散見する華やかな点滅は
そんな気分を大いに慰めてくれる。
豆電球の明るさを通じて「イルミネーター」の
心意気が伝わってくるようだ。
 
イルミネーションは夜空に瞬く星を地上に再現しようと
木の枝にたくさんのろうそくをともしたのが始まりという。
発案者は、中世のキリスト教会を席巻した
宗教改革の中心人物として名を残すルターとも言われている。
クリスマスとは縁が深いわけだ。 

(M.N)

 

日本銀行

「銀行の銀行」などと呼ばれる日本銀行。
先日、市川ジェクト株式会社社長が見学されたようですので、
当銀行の業務について、追記させていただきます。
一般とは異なる中央銀行ですが、株式は公開され
形の上では株式会社と変わりません。
筆頭株主は財務相になっているものの、むろん政府です。

さまざまな業務で利益を上げますが
一般の企業と違うのはその行き先です。
営利が目的でないため、剰余金のほとんどは
国に納めることになっています。

景気悪化で税収が大幅に落ち込んでいる折も折り
その大事な日銀の納付金までが怪しくなってきました。
円高で外貨建て資産が目減りするなどして
2009年度上半期は6年ぶりの赤字だったようです。
このままで年度末まで推移するようなら、多くは期待できません。

そこに降ってわいた中東・ドバイの金融不安で円高が一気に加速し
株価の下落は欧州からアジア、米国へと連鎖したようです。
少しは明るさの見え始めた日本経済でしたが、
デフレの進行もあって、「二番底」に落ち込まないか心配です。

政府と協調しながら、金融政策の面から景気を支えるのは
日銀の重要な役目です。打つ手は限られてるとはいえ
何とか知恵を絞り出してほしいと願うばかりです。 
 
(M.N)

病院の待ち時間

病院の待ち時間は、短いに越したことはない。
検査で訪れた場合ならまだしも、風邪を引いたときのように
具合が悪く、横になっていたいときの診察待ち時間は、ことさら長く感じる。
大なり小なり、そんな経験をしているに違いない。
                                                             特に負担が大きいのが、子供やお年寄りだ。
10年ほど前ながら60分以上待った経験がある。
それから徐々に改善され、急患は別にして予約制の導入が進み
総合病院などには自動再来受付機が登場、手続きも早くなった。

混み具合は病院によって、季節によって異なるが
患者側のこうした思いに応える新たな仕組みが登場しつつある。
それは携帯電話を活用した待ち時間の通知システムだ。
ソフト開発も進み、すでに実用段階のケースもあると聞く。
 
患者が携帯電話から病院(フリーダイヤル)に手続きして登録する、
診察順番が近づくとその旨の連絡が届く。
患者はそれを受けて病院に、という流れとなる。

これなら待合室で順番が来るまで待ち耐える必要はない。
病院が近ければ自宅で休んでいることも出来る。
逆に、病院側にとっても待たせているという思いも軽減できる。
ソフト開発は双方に利点があると思う。  

(M.N)

流行語大賞

いまや師走恒例、今年1年間の世相を映し出す
新語・流行語大賞に「政権交代」が選ばれた。
ほかに「事業仕分け」「草食男子」「派遣切り」などが
トップテン入りした。

同賞が創設されたのは1984年だった。
受賞した「オシンドローム」「まるきん/まるび」の記憶は
薄らいでいるが、当時の社会状況がぼんやりながら見えてくる。

2009年はどんな年だったか。
政治の世界では「政権交代」のほか「小沢ガールス」
「故人献金」など期待と不安の交錯だ。

未曾有の経済危機に見舞われ景気浮揚策として
「1000円高速」「エコカー減税」が登場。
子役・加藤清史郎クン演じる「こども店長」が人気を呼んだ。
「990円ジーンズ」も重宝された。

初体験の「新型インフルエンザ」と「パンデミック(爆発的流行)」
「裁判員裁判」に募る不安。野球の「侍ジャパン」や
オバマ米大統領の「核なき世界」はうれしい話題だ。

何より気がかりなのは「派遣切り」「年越し派遣村」
に象徴された雇用問題。そして仕事と住居を同時に失う
「ハウジングプア」など貧困問題がある。

10月の完全失業率は5・1%とわずかに改善された。
しかし最近の新語・流行語大賞には「ネットカフェ難民」「格差社会」
「年収300万円」など痛々しい言葉が並んでいる。
政治がまず何をやるべきか明白であると思うのだが。

(M.N)

イライラ

今日からはや師走。
忙しくて師も走り回るという由来だけでなく
四季の果てる「四極(しはつ)」、年の果てる「年果つ」
総じまいする「為果(しは)つ」なんて由来もある月だ。
いずれにせよ、尻に火がついたような落ち着かない月が始まった。

そうでなくとも日本人は、スピードや効率を追い求め、
せっかちだと言われてきた。
身に覚えのある人も少なくあるまい。
実際、人々はどの程度でイライラしているのか
時計のメーカーのシチズンの調査から示してみる。

例えばエレベーターの待ち時間。
30秒までで半数近くが、1分で4人に3人がイライラしている。
パソコンの立ち上げも、1分で6割の人がイライラしている。
なるほど立ち上げが早いとされる「ウィンドウズ7」」が売れるわけだ。

年末にかけて出向く機会が増えそうな金融機関のATMでは
5分で7割の人がイライラ。
急用ができ、相手の携帯電話に伝言を入れたとき
返事があるまで5分で2割、10分で4割強の人がイライラしていたとのこと。

携帯電話やパソコンなど文明の利器が
かっては考えられなかったイライラを生み出したのは皮肉な話だ。
豊かさを実感したいとスローライフなんて言葉が広がって久しいが
イライラの種は尽きることなく、まだまだ社会はイライラだらけである。

師走には、普段以上に用事が舞い込み
普段以上に道路が車で混み合う。
その上、今年はデフレ不況や大型倒産だ。
走り回るな、イライラするなという方が難しいそうだが、安全第一が大事。

(M.N)

金融不安

「なぜそんなに高い建物を」、最初に写真を見たときの感想だ。
アラブ首長国連邦のドバイの世界一の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」。
今年末が完成予定と聞く。
高さは800メートル以上、建設費は何と2兆円そうだ。

ドバイには米中枢同時テロ以降、巨額のオイルマネーが流れ込み、
中東の金融や物流、情報拠点として目覚ましい発展を遂げてきた。
砂漠に忽然(こつぜん)と現れた高層ビル群。
ヤシの形をした世界一の人工リゾート島。
高さ千メートルの超高層ビルの計画もあった。

ただ、昨年の金融危機で急ブレーキがかかり
計画の凍結が相次いで先行きが懸念されていた。
そんな中、政府系企業の資金難が表面化し
ドバイ発の「金融不安」が世界を駆け巡って各国の株価が急落した。
「まさか金融不安再燃では」と動揺が広がった。

うたげの後には貧乏神がやって来るらしい。
日本の土地バブル,ITバブル
そして一昨年、米国ではじけた住宅バブル。
「またか」という既視感もある。

「世界一」が目立ったドバイ。
そのこだわりも高さや巨大開発が富を生むという心理が
働いていたのでは、と思うのだが。
ブルジュ・ドバイのブルジュはアラビア語でタワー(塔)のこと。
天まで届くようなビルに「バブルの塔」との評もあった。

(M.N)

 百年に一度の不況は最悪期を脱したばかり。影響は限定的とも。そうならいいが、リーマン・ショックの時も最初はそう言われた。厳しい雇用などで消費者の 財布のひもは固く、日本はデフレと円高に苦しんでいる。そんな時に、また難題ではかなわない。
 

間違い電話

時々間違い電話がかかってくる。
手が離せない用事をしている時など、つい舌打ちしたくなる。
また、かかってくるはずの電話を待っている時
間違い電話がくるとがっくりくる。

だが、冷静に考えてみると、自分も同じような
かけ間違いをやっている。
人の失敗を悪(あ)しざまにあげつらうわけにはいかないのである。
だから、間違い電話がかかってきた時には
できるだけ丁寧に応対しようと思うのだが、ついつっけんどんになる。

今日も間違い電話がかかってきた。
「○○さんですか」と女性の声。「違いますよ」
「すみません。お電話番号を間違えたようです。失礼しました」と丁重だ。
「あ、すんません」とだけでガチャンと切る人も多い。

先日、こちらが間違い電話をかけた。
「違います」という中年らしい男性の声。
「間違いました。すみません」と言ったら
「いやあ、こっちもよくやりますよ」とおおらかな返事。
ガチャンとにらみつけるよう切り方が多い中、こんな応対は初めてだった。

自分と比較して、あまりにも相手が「大人」なのには少しショックだった。
大げさなようだが、失敗した相手をとっさに気遣うというような
こんな気持ちにゆとりのある人を
「世の中を明るくする人」といってもいいのだろう。

ほんのささいな出来事のようだが
日常生活ではささいなことの積み上げが大きい。
人の値打ちはこんなところに出るような気がした.

(M.N)

事業仕分け

政府の行政刷新会議が鳴り物入りで進めてきた
予算概算要求の「事業仕分け」も、いよいよきょう大詰めを迎える。
JR市ヶ谷駅から坂道を上り、防衛省を左手に見ながら進む。
やがて国立印刷局市ケ谷センターが見えてくる。
敷地内の体育館が事業仕分けの会場である。

音声レシーバーを借り、見学できる。まるで包丁で魚をさばくように
各省庁のさまざまな事業を俎上(そじょう)に乗せ
無駄な部分はバッサリとそぎ落としていく。
中には削減すべきく金額もある。
 
行財政改革が叫ばれるようになってからすでに久しい。
各省庁はこれまでも無駄な支出を極力切り詰めてきたはずだ。
それでも今回の仕分けでは、巨額の事業費が
「無駄」と判定されたわけだ。

景気低迷が長引く今の時代、企業は経費節減が至上命題。
いかに無駄を切り詰め、業績を伸ばすかに経営者は必死だ。
家庭も同様。所得は思うように増えず
家計のやり繰りに四苦八苦しているというのが庶民の姿だろう。
先行きにも明るい展望は見いだせない。

今回の仕分けを見る限り、官庁の世界は
そうした世相とは無縁だとあらためて感じさせる。
バブル時代のわが国を覆った大ざっぱな金銭感覚が
まだ生き延びているようだ。
「官との対決」ーその戦いは前途多難だと思わずにいられない。

(M.N)

 問題点は多いが、自由に見学できネット中継される公開性は画期的だ。会場を埋めた国民の熱気に、これが政権交代だと実感した。
 

フグ料理

ある旦那がフグをもらったが、毒が心配で食べられない。
捨てるのも惜しいので出入りの男に毒見をさせようと
フグであることを隠し少し持たせてやった。
しばらく様子をみたが問題はないようで
これなら安心とフグを料理して食べた。                           

その後出入りの男が来たときに「実はあれはフグだった」
と明かすと「旦那は食べましたか」と聞く。
「ああ食べたよ。うまかった」と旦那が言ったところ
男は「それなら私も食べましょう」。
落語の「河豚汁」である。

フグに毒があることは、古くから知られていた。
フグの刺身を「てっさ」、鍋を「てっちり」というが
「てっ」は「鉄砲」から来ているそうだ。
フグが別名で鉄砲と呼ばれるためで
なぜかといえば「当たれば命にかかわる」とのことのようだ。

それでもフグ料理を食べたくなるのは、そのおいさゆえにだ。
ぷりぷりとした食感にほんのり感じられる独特のうまみはフグならでは。
ことわざにも「フグ食う無分別フグ食わぬ無分別」
「フグは食いたし命は惜しし」とある。
大相撲九州場所も12日目を迎えたが両横綱が無敗で優勝争い。
一年の千秋楽になるのでほとんどの力士は、フグ料理で乾杯だろう。

(M.N)

 

頑固オヤジ

しつけの悪いこどもを目にすると、「親の顔が見たい」
という言葉が昔からよく使われる。
近ごろ、老若男女を問わず公共の場での迷惑を顧みない人間が
目に付くようになったのは気のせいだろうか。

ある日、知人が「これからは頑固オヤジになる」と宣言した。
周囲に配慮することができない人間が多いことに憤慨してのことだった。
不作法者を見つけると厳しくしかりつけることにしたのだという。                                 

電車の中で大またを広げて座り
2人分の席を占領しながら平然としている若者たち。
お年寄りや体の不自由な人が前に立っても知らんぷり。
新型インフルエンザが騒がれていても、口も覆わずに
せきやくしゃみを吐きかけ、エチケットを守れない人もいる。

街を歩けば、自転車にはねられそうになることがしばしば。
青信号になって横断歩道を渡り始めると
ひしめきあう歩行者の中を自転車が横切ってくる。
非常識どころか道交法違反だ。                                                            

そういえば頑固オヤジが以前ほどいなくなった。
他人に無関心なのだろうか。
心の中に不快感を抱くことがあっても注意する人は少ない。
見て見ぬふりをしてしまうのは、自分自身その1人なのだが・・・                            

いずれにしても常識とか良識の問題は
強制することが難しいだけにもどかしい。
教育やしつけが欠けたツケが社会に回ってきているのかもしれない。
頑固オヤジが必要な時代になってきたようだ。


(M.N)

理容店

髪を切ってもらうのは、もっぱら理容店である。
それも古風な雰囲気の店が気に入っている。
おしゃれな美容院は、老年にはどうも落ち着かなくて苦手だ。

ところが、理容店が全国的に減少傾向にあるというから心配になる。
全国の理容店は1986年の約14万5000軒をピークに
2007年度には13万6000軒余りに減ったようだ。
経営者の高齢化が進み減っているという。
さらに理容師国家試験の受験者も減っているそうだ。
理容師が国家資格となって以後、大幅に減っているようだ。
このままでは後継者不足も深刻になろう。

逆に増えているのは美容院で、2007年度で22万軒になった。
しゃれた店舗で若い男性を中心に人気を集めている。
理容店も女性を対象にエステやネイルケアなどを検討しているという。
 
最近ではできあがりが早くて料金も格安の理容店が増えた。
新規参入が比較的容易な業界だけに、厳しい競争にもさらされる。
昔ながらの理容店も変わらなければならないのだろう。
何とか頑張ってほしい。
理容店の最大の魅力は、店主との気のおけないおしゃべりである。

数十年通う理容店で、店主が「随分白くなりましたね、わたし以上ですよ」。
遠慮なくなんでも言える間柄ではあるが、少しばかり気にしている点を突かれた。
加えて「あら、まゆ毛までも・・・」と丁寧に言われた。
いつまでも「若いんです」とは言えなくなった年齢ではあるが
ここは踏ん張りどころだ。とっさに「今年の流行語はチェンジ。
時代に合わせているんです」とたんかを切った。

理容店を出ると1年ぶりに会った友人の言葉にも気がめいった。
「随分腹出たなあ」。普通、そう思っても相手を傷付けまいと配慮して
「随分貫禄が出た」とか「年相応に恰幅(かっぷく)がよくなったな」と言うのにである。
結果的には私個人が自分の年齢を承知しなければならないのだが。

(M.N)



森繁久弥さんありがとう

 軽妙でありながら、温かく、それでいて哀歓のにじむ演技。
間を置いた独特の語り口にも味わいがあった。映画、舞台、テレビ、ラジオなどを通じ、
戦後の芸能界をけん引し続けた俳優の森繁久弥さんが亡くなった。

 戦後、旧満州から帰国し映画界入り。
「夫婦善哉」や「社長」 「駅前」シリーズなどで人気を博し、テレビやラジオ、舞台でも活躍。さらには歌詞曲を手掛けた「知床旅情」が大ヒットするなど芸能界のあらゆる分野で名をはせた。

 森繁さんの印象は世代によって異なる。
自ら作詞作曲した「知床旅情」を歌う森繁さん、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の主人公テヴィエを演じる森繁さんは、大正、昭和、平成、の激動の時代を生き、大衆芸能の分野で国民を楽しませてくれた大きな人だった。

 心温まるエピソードの一つに童謡の「七つの子」がある。
歌詞中に「丸い眼をしたいい子だよ」と出てくるが、歌うその場に盲目の子がいることに気付き、その歌詞を口にするのをためらった。機転をきかせて「丸い顔したいい子だよ」と言い換え歌った。

 絵を描き、詩を作り、エッセーも書くというマルチな才を発揮された。
詩の朗唱は他の追随を許さず、舞台の瞬間に生きる役者の姿を燃焼芸術と呼んだ。
永遠の眠りについても灯した火は消えない。96歳の生涯は見事な幕引きというほかない。

                                                      (M.N)

七五三参り

11月恒例の七五三参りが始まった。
八百万(やおろず)の神が出雲(島根)に集まっていた神無月が終わり
地元に戻った神々を待っていたかのように各神社では忙しくなった。
おめかしした男児女児の晴れ姿は
今も変わらない霜月の風物詩である。

姿形は同じでも時代を映して変わる一つに子供の名前がある。
親の名前が凝縮され、きらびやかでトレンディな字音はいいが
読み方が悩ましい。
「七五三の節目に誤読しないよう
読み仮名は必須です」と友人の宮司は語っていた。
周囲もある程度読めてこそ良さが分かると思うのだが。

子の名といえば、ベトナムのドクさん(28)夫妻に
男女の双子が生まれ、男児に「富士山」
女児に「桜」から命名(ベトナム語)したと新聞報道された。
日本の医師団の協力で奇跡的に成功した
結合分離の大手術から21年。
事あるごとに犠牲になった兄と日本への感謝を口にしているそうだ。

ベトナム戦争で散布された
枯れ葉剤の影響と見られる障害を背負うドクさん。
彼の下に生まれた子らはいずれ生い立ちを知りを
名前で日本を意識するだろう。
今も世界で続く紛争と子供の被害。一方で続く人道援助。
その両方のシンボル的存在になられるかもしてない。
行く末に幸多かれと祈り、富士山と、日本の桜をぜひ見てほしいものだ。

(M.N)

人の情け

土曜の深夜、NHKのテレビで歌手のさだまさしさんが
軽妙に語っている。
ラジオのようなシンプルなつくりの番組だ。

視聴者からのハガキが楽しい。
多くは笑いを誘う内容だが、時々ほろっとさせられたりもする。
先週運動会の借り物競争の話が紹介された。
「一番大事なもの」と書かれた紙を手にした小学生が
観客席から自分のおばあちゃんの手を引いて駆けたそうだ。

こんな話を聞いて、涙ぐんでしまった。
桂米朝さんに文化勲章が贈られた。きょうが親授式である。
上方落語の一番星のような存在だ。
東の一番星、三遊亭円楽さんは先日、惜しくも亡くなった。
ともに演じた噺に「百年目」がある。

裏でしっかり遊んでいる番頭さんが
桜の宴席でだんなさんに出くわす。
翌朝、首を覚悟の番頭さんが耳にしたのは
長年の感謝の言葉だった。
人情噺の魅力が詰まる噺だ。

人の情けにふれ、老いの境地にふれる。
そんな「文化の日」である。

出番

50人いる社員のうち、知的障害の人が7割を占める。
社長は「人が必要とされてこそ幸せ。この場をつくるのが企業」
と言われる。坂本光二著「日本でいちばん大切にしたい会社」
が紹介している川崎市のチョークメーカーだ。

きっかけは50年前。仕事をしたいという女の子2人を
試みに受け入れた。
懸命に、でも幸せそうにラベル張りををする姿に
女性社員が心を動かされた。
「雇ってあげてください。できないことは私たちがカバーします」。
 
悩んだ末に会社も決断した。
時計の読めない子には砂時計で、
というふうにその人に合わせた工程などを工夫し、困難を乗り越える。
この工場を訪れた鳩山由紀夫首相が、所信表明の中で取り上げた。
「出番」という言葉とともに。

これを任せる。あなたならできる。
そう言われると、認められたと感じ、自分の存在感が満たされる。
「出番はない」と思っていた人ほど元気になれる。
そうした関係を張り巡らせて、社会のきずなを取りもどそうという
首相の哲学が、この2文字ににじむ。

「米百票など故事来歴を引いた歴代首相と違って
自分の体験を織り込むのが鳩山流のようだ。
演説の心をどう実現するか、国会の論戦は11月1日から。
政権交代劇場の外にいた野党自民党が
「今度は出番」と待ち構えている。   

(M.N)                                                      


大海にこぎだす船乗りの仕事は常に危険と隣り合わせだ。
昔から「板子一枚下は地獄」という言葉で伝えられてきた。
私たちが日々豊かな海の幸を味わえるのも
命がけの仕事のおかげである。

それだけに船乗りは強い絆(きずな)で結ばれている。
漁船の遭難事故の都度、行方不明の仲間や
家族を気遣う漁師たちの思いやりは心にしみる。
昨日、八丈島近海で連絡が途絶えていたキンメダイはえ縄漁船
「第一幸福丸」が見つかった。
4日ぶりに3人救出という奇跡的な朗報と船長の悲報に
海の男たちの胸中は喜びと悲しみが交錯したのではないか。 

それにしても、転覆した漁船の船内から良くぞ生還してくれた、と思う。
3人は、救助のへりから降りた後、八丈島で待機していた救急車まで
歩いたそうだ。脱水症状はあるが、健康状態に問題はないという。
転覆した船内のわずかな空間で、救出を信じて
ひたすら待ち続けていたのだろう。本当によかった。

一方で、亡くなった船長の家族や関係者の悲しみを思う。
佐賀県から駆けつけた母親が、「息子が船員を守り
全員無事に帰すと信じている。そういう息子に育てたつもり」
と気丈に語っていたことを思い出す。

船が連絡を絶つ直前、幼馴染の同級生は
船長と船舶電話で話をしていたそうだ。
話の中で、船長は新しい船を調達したい、と夢を膨らませていたという。
それも、かなわない夢となった。残念だ。

しかし、残る4人の乗務員は行方不明のままである。
今も海上保安庁や僚船など、約束の固い海の男たちが
全力を挙げて捜索している。何としても生還を、と願っている。

(M.N)

手助け

チンパンジーは見返りがなくても
仲間の手助けをするという。
京都大学の霊長類研究所などが行った研究成果が
テレビで紹介された。 

ブースにチンパンジーを一匹ずつ入れ
片方のブース前にジュース、もう一方の前に杖を置く。
ジュースが飲みたいチンパンジーは
隣の仲間に杖を取ってくれるよう盛んに促した。

仲間は「仕方がないなあ」といった様子で杖を取り
窓越しに手渡した。その杖でジュースを手繰り寄せ
美味そうに飲み干すという映像だ。
協力への返礼がないだけで、我々の日常と変わらぬ光景である。
ペアを変えても大方が同様に動いたそうだから
見返りなしの「利他行動」は半ば常識化しているのだろう。

一見気ままな暮らしに見えながら
実は我々の想像以上に繊細な社会性を
身につけているのかもしれない。
厳しい環境を生き抜くには利己を抑制しないと群れは持たない。
共同体が重層化した人間社会ならなおさらである。
彼らの何気ない仕草からあらためて
無償の援助の尊さを教えられた。

ただ彼らの行動のほとんどは相手の求めに応じたもので、
自発的な援助は人間社会特有のものだとか。
なるほど気を利かして杖を差し出すチンパンジーがいたら気色悪い。

自然界では求めに応じた手助けが無駄なく効果的で
過ぎたるはお節介に映るようだ。
95兆円に膨らんだ来年度当初予算概算要求は
国民の求めと与党の思いが混在し、その評価は何とも微妙である。

(M.N)                                                                                  

 

音羽会館にて

目の前にいた年配の女性2人組が、すっとんきょうな声を上げた。
「この家建てたの関東大震災の翌年ですって」 
「信じられないわね。本当に。ものが違うって感じ」。
東京の新名所、鳩山会館での話だ。                                        

鳩山由紀夫首相の誕生で
祖父の一郎元首相が建てた私邸が脚光を浴びている。
地上3階、地下1階、延べ床面約240坪の通称「音羽御殿」には
平日にもかかわらず観光バスが何台も乗りつけ、観光客でにぎわっている。

門から洋館に至るつづら折の坂道からして
いかにもお金持ちのお屋敷。屋根にはハトの飾り
窓にはハトをデザインしたステンドグラスが入っている。
まるで文化財だ。
芝生の敷かれた広い庭には色とりどりのバラ。
一郎元首相が愛した黄色い「ピース」も咲いている。                                               

第2応接室には一郎元首相が愛用したいすが残っていた。
ここで政治家・三木武吉らと歴史を刻んだのだろうか。
そんな祖父を見ながら、由紀夫少年は
弟(邦夫氏)とチョウを追いかけたのだろうか。                                  

とにかく豪勢な家と家柄に圧倒されながら
観光客は無料のお茶に列をなし、英国風サンルームから庭を眺める。
確かにもの違うなと思いながら同じように休憩していると
先の声の大きな2人組が近くのいすに座っていた。

(M.N)

若手の台頭

ロンドンで開かれた体操世界選手権で
内村航平さんが個人総合金メタル。若干20歳だ。
床運動、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒。
この6種目をすべて演技し優勝するには、わずかなミスも命取りになる。
人間の能力の限界に近い技をこなし
ぴたりと着地まで決めた瞬間、選ばれし者となる。
体操の男子個人総合とは、かくも難しい競技だ。

内村選手は昨年の北京五輪で銀メダリストとなり
クールな笑顔とともに一躍名をはせた。
鮮烈な五輪デビューが偶然でなかったことも示した今回の金メダルは
五輪・世界選手権を通じ日本勢最年少の快挙だった。

今度の大会では、4種目で競う女子個人総合でも
ヒロインが生まれた。17歳の鶴見虹子(こうこ)選手。
こちらは池田啓子さん以来、43年ぶり、2人目の銅メダルだ。
小柄な体にみなぎる躍動感は、種目別の段違い平行棒で銀も引き寄せた。                                                            
 
難度を求める流れにあって、体操日本の伝統は美しさだろう。
これは内村選手らも受け継ぐ。
次はロンドン五輪。選ばれし者へ夢は膨らむ。

栄光が持つ明と暗。逆境をはね返す力強い歩み。
そういえばゴルフの石川遼選手はまだ18歳だが
ここ1年の活躍ぶりは目をみはるばかりだ。
各界で進む「チェンジ」は楽しい。

(M.N)

路面電車

路面電車はなぜチンチン電車と呼ばれるのだろうか。
車掌さんと運転士さんがかって連絡に使っていた
ベルに由来するという説が有力だそうだ。

チンと1回鳴らせば「降りる人がいるから停車」の意味。
2回鳴らすと「乗降がすんだので発車してもよい」となる。
だが電車の廃止に伴い、ベルは次第に消えていった。

東京にも路面電車が走る。
地下鉄やJRに負けずに都電で唯一生き残った荒川線は
今もベルが健在だ。
ワンマン化した際、惜しむ声にこたえて
発車時に自動的に鳴る装置を取り付けた。
遊び心ある計らいに拍手を送りたくなる。

学生街・早稲田と荒川区三ノ輪橋間12,2キロを結ぶ都電に乗ると
お年寄りや子供連れの女性が多い。乗り降りのとき
運転士は「慌てなくてもいいですよ」と何度も声を掛ける。
ガタンゴトンのゆったりリズムと、ぬくもりの空間はやはり心地よい。

電車が環境に優しい乗り物として見直される中
一層の普及を期待する人は
「チンチン」 と発車を促したいに違いない。

(M.N)

ネクタイ

進化した首縄と考える人もいれば、敵と戦う剣と見る人もいる。
プレゼントされた物なんか使う気にならないという趣味人もいる。
こだわる人はとことんこだわる。
それがネクタイ。今月2日はネクタイの日だった。

東京の帽子商・小山梅吉さんが
日本で始めて製造した日とされる。
衣替えと重なるのはまったくの偶然だが
クールビズを終えたサラリーマンにとっては
自分の主張を再び世に示すことができる日でもある。

欧米に首元で自己主張をする人が少なくないのは
歴史の長さゆえだろうか。例えば英国の紅茶王リプトンは
独特の結び方をした蝶ネクタイを偏愛した。
その形がアイルランドによくある三つ葉に似ており
その血を引く自分を誇っていたらしい。

スリムな暗色のネクタイしかしなかったのは
米国のケネディ元大統領。エリートくささを嫌ったからだという。
服装評論家・出石尚三氏著書
(「男はなぜネクタイを結ぶのか」新潮社)で知った。
 
日本にもネクタイで自己主張する政治家はいた。
幅広のネクタイを流行させたのは佐藤栄作元首相
水玉が記憶に残るのは海部俊樹元首相だ。
小泉純一郎元首相も「ノーネクタイ」という名のネクタイを世に広めた。

鳩山由紀夫首相の場合、奇抜な花柄ネクタイから
金色の勝負ネクタイまで、守備範囲は随分広い。
宇宙人ぶりを主張していられると言えなくもないが
実際に選んでいるのは幸夫人だと聞く。

(M.N)

2016年夏季五輪開催地

南米に聖火が灯ることになった。
2016年夏季五輪開催地はリオデジャネイロに決定した。
その瞬間を待ち、眠れぬ夜を過ごした人も多かったと思う。
東京で再びの夢は遠のいた。

「候補都市の国では唯一開かれていない。今回はブラジルの番」
「南米中の若者たちのために五輪を新たな大陸にもたらしてほしい」。
投票前、ルラ大統領は目を伏すことなく語り掛けた。
自然体で情熱を秘めたスピーチも
「南米初」という歴史的意義の説得力を高めるのに奏功した。

五輪は国を変える。
45年前の東京、日本がそうであったように
新興国ブラジルはリオ五輪をバネに
さらに新しい時代へと一気に突き進むだろう。
先の金融サミットでは新興国を中心とするG20が
G8(主要国)に代わり、地球規模の問題解決を担う主役として
存在感を誇示したばかりだ。

開催地選びが人気投票ではないことも知らされた。
オバマ大統領夫妻が乗り込み、リオのライバルと見られていた
シカゴは、よもやの初戦敗退だった。
東京はその屈辱を免れたのが救いだった。
G8からG20の時代へと移った。日米の早期敗退は
多極化という世界の大きな潮流をも印象づけた。

(M.N)

白洲次郎の伝説  -その2-

もっとも少し出来過ぎのようで、実は日本語での演説を提案したのは米国側だったようだ。日本のメディグニティ(尊厳)のため」と。
吉田首相のメンツを損なわないように。
演説嫌いの首相、英語の発音も苦手だったらしいから、そこで白洲が引き取ったのが、
真相かもしれない。

 夫人は古美術に詳しい随筆家正子(1910-98年)。
正子さんを介して多くの知遇や財界とのつながりを得た。
ゴルフにも熱中、80歳までポルシェを乗り回した。
そんな白州次郎が今、注目されている。NHKでその伝説の生涯をドラマスペシャルで放映された。別番組では白洲次郎・正子夫妻のお孫さんが面影と想い出を語っておられた。

確かに白洲次郎に対する評価はいろいろで、このブームを「貴族的なものへのあこがれ、格差社会が生んだ現象」との分析もあるが、占領期に米国にもの申すなど、磨き抜かれた英語でよく口にした「プリンシプル(原則)」、決してこびない凛(りん)とした生き方への共感のような気がする。

 政治も経済も混沌の日本。「なんだ、このざまは。プリンシプルがないではないか」。
天国から聞こえるかっこいい男の叱責(しっせき)を聞きたがっているのかもしれない。

 鳩山由紀夫首相は英語だった。外交デビューの国連演説は「温室効果ガス25%削減」を提示したところ拍手が起きていた。訥訥(とつとつ)とした印象だが、自らの言葉で共感を呼んだ。米スタンフォード大仕込みの英語が生きたようだ。

 ところで首相の言う「友愛」は、仏語のFraternite(フラタナティ)が由来だそうで、
フランス革命のスローガンで、国際社会では理解の速い理念だろう。
問題は、鳩山外交の具体策をどう行動で示すかである。

(M.N) 

白洲次郎の伝説  -その1-

戦後間もなく、吉田茂首相の側近として活躍。その毅然(きぜん)として臆(おく)しない言動が伝説のように語り継がれている人だ。

 人間のかっこよさは見てくれだけでは無い。その人の考え、行動、生き方、ライフスタイルをひっくるめて他を魅了するものである。そこに人は「かっこいい」とあこがれるのだ。

 Tシャツにジーンズ。藤(とう)いすに腰掛けてすらりとのびた足を組んでいるロマンスグレー。
写真に見る白洲次郎(1902-85年)は日本人離れしたかっこよさだ。
兵庫県芦屋に生まれ、神戸一中から英国ケンブリッジリ大に留学。
26歳で帰国するまで、ベントレーやブガッティといった車を乗り回したようだ。

 戦後は吉田茂元首相の右腕としてGHQ(連合軍総司令部)との交渉に当たり、
「従順ならざる唯一の日本人として」煙たがれた。占領軍将校から「君の英語は立派だ」と褒められると「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と切り返したという逸話の持主でもある。

 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議での逸話も面白い。
吉田首相は英語で演説するつもりでいたが、原稿を見た白洲は激怒して随行員らに日本語へ書き直しを命じる。内容が卑屈だ、戦勝国と同等資格の講和会議は自国語で演説すべきだという。

 直前の書き直しが始まった。400字詰めで12枚余りの原稿を毛筆で書き写した。
全長は30メートル。巻き紙にすると、「トイレットペーパーのよう」と外国人記者が評したほどの太巻き。外務省のホームページを見たら、その写真があった。
                                 その2へ続く
(M.N)

2016年五輪の東京招致

ソ連のタッチネットで金メダルが決まった女子バレーボールの「東洋の魔女」。
神永を破った柔道無差別級のヘーシング。
トラックで抜かれ無念の銅メダルになったマラソンの円谷。

 1964年の東京オリンピックのドラマを覚えている人が減った、五輪の感動を若い世代にも知ってほしい。
石原慎太郎東京都知事が以前、2016年五輪の東京招致の狙いをこう語っていた。

 同感だが、当時と今回の最も大きな違いは国民的な盛り上がりを欠くことだろう。
当時、敗戦からの復興を目指して五輪開催は国民の悲願で、政府や経済界、在外邦人も一体となり招致に動いた。

 それと比べ今回の関心は低く、IOC(国際オリンピック委員会)が昨年6月に行なった世論調査では東京の地元都民の開催支持率が候補4都市の中で最低だった。
国民の関心が年金や不況対策などに向いていることや、東京一極集中が進むことに対する危ぐも影響しているのだろうか。

 開催地が決定する10月のIOC総会に向け海外での招致活動に熱心だが、
2008年五輪の招致に失敗した大阪市では根強い市民の反対運動があった。
市民らの支持はIOCの大きな判断基準になっているように思う。

 2度目の東京五輪がどんなスポーツの未来を目指すのか、十分伝わってこない。
もっと国内でビジョンを語り理解を広める努力が必要だと思うのだが。
 ライバル都市では大統領や国王など元首クラスの出席が決まる中、鳩山首相が10月2日にデンマーク・コペンハーゲンで開かれるIOC総会に出席し2016年夏五輪の東京招致を訴えることに決まったようだ。

(M.N)

熱い戦いでのライバル

8月決戦となった総選挙をはじめ、今年の熱い戦いは終わった。
スポーツ界ではウサイン・ボルト選手が
驚異的な世界新記録をマークした世界陸上や
夏の甲子園などでいくつもの名勝負が生まれた。

名勝負に欠かせないのはライバルの存在。
ボルト選手が9秒58をマークした男子100メートルでは
世界歴代2位の9秒71で走ったタイソン・ゲイ選手や
3位に入った全世界記録保持者の
アサファ・パウエル選手がいた。

中京大中京高(愛知)が43年ぶりの
優勝を果たした甲子園の決勝では
6点を追う九回2死から5点を奪った日本文理高(新潟)。
前評判では劣勢が予想される中で真っ向勝負を挑み
強豪をあと一歩まで追い詰めた。

レベルが高いほど、結果が劇的であるほど
勝者は時に勝者の引き立て役に回る。
しかし、日本文理高のエースが
「最高のゲームで終われば幸せ」と話したように
今回の名勝負は勝者、敗者、見ているものにも
充実感を残した。

ライバルは競争相手であるが、敵対するものではなく
仲間の中にも存在する。
お互いが認め合い、しのぎを削ることで
それぞれが力を伸ばしていける。

(M.N)
 

政治体制

国の政治体制は大きく大統領制と
議院内閣制の二つに分けられるが、それは二元代表制と                           一元代表制の違いと言ってもいい。

例えば大統領制は大統領と議会(議員)とが
別々に選出されるため民意は二元的に代表される。
対して議院内閣制において選出されるのは議会で
その議会を基盤に行政機関の中で最高にして
最終の権限を持つ内閣が成立するため
民意は一元的に代表される。

日本国憲法は「内閣総理大臣は
国会議員の中から国会によって指名する」(第67条)
などと議院内閣制を明文化されている。

有権者が選挙で国会議員を選び、
国会議員が有権者の代表として権限を得る。
権限を得た国会議員は内閣総理大臣を(首相)選び
首相は行政権を行使するための複数の国務大臣を選任して
内閣の構成員とする。各大臣は各省庁(官僚)の
専門的な補佐を受けながら権限を持って
行政にあたる。

これが有権者ー国会議員ー首相ー大臣ー官僚という
権限委任の連鎖。この連鎖こそが一元代表制の根幹なのに、
長年の自民党支配の中で議員の適正や力量よりも
当選回数や派閥力学が重視され、閣僚人事が行われてきたと思う。
そのおかしさに有権者も鈍感だったように感じる。
                                                             民主党政権の組閣を有権者がこれまでのように
井戸端政談として楽しむのでなく
民意がそこに反映されているのかしっかり注視したい。
そうでないと権限委任の連鎖が最初から途切れることになる。

(M.N)

今衆院選

今衆院選は近年の歴史ブームを反映するかのように
文字通りの「天下分け目の関ケ原」となった。
結果的に徳川家康の東軍が民主党
石田三成が率いる西軍は自民党ということになる。

NHK大河ドラマ「天地人」原作者火坂雅史氏は
近著「名将の品格」で、織田信長側近の豊臣秀吉が
天下人になったのはいわば政党内のトップ交代。
これに対し秀吉から家康への移行は完全な
政権交代という見方だ。

歴史小説は調べ尽くして大きく飛ばないと面白くない
という著者らしい視点で、好機をじっと待って
老かいな政治手腕を見せた家康を評価している。
今回の衆院選とだぶらせると、著者の考えは
うなづけるところも多い。

その後の徳川家は長期政権だったが、民主党はどうだろうか。
深手を負った自民党は早く体制を立て直し
次なる戦いに備えたいはずだが
党再生の議論がぎくしゃくしている。
二大政党制が定着するかどうかは霧の中だ。

今の自民党に求められるのは「義」を貫いた
上杉景勝や名参謀の直江兼続のような人物かもしれない。
上杉家は西軍にあっても、したたかに生き延びた。
兼続の才覚と一大決心があったからとされる。

歴史を動かしたリーダーには必ず名参謀がいて
今の歴史ブームではむしろ主役だ。
政党の盛衰も多彩な人材を発掘し
育てることに尽きるのではないだろうか。

(M.N)

迎賓館

平成18年から2年間かけた迎賓館赤坂離宮の
大規模な改修工事が終了した。
一般参観の希望を募っていたので応募したが外れた。

説明書によると迎賓館は、江戸時代に
紀州徳川家の江戸中屋敷があった敷地の一部に
明治42(1909)年に東宮御所(後の赤坂離宮)として建設された。
英国人建築家コンドルの弟子である
片山東熊(とうくま)の総指揮の下に当時の一流建築家や
美術工芸家が総力を挙げて建設に当たった。                                  日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築物である。

敷地は11万7千平方メートルで、建物は地上2階
地下1階の耐震、耐火構造となっている。
知人から聞くところによると、迎賓館は戦後
皇室から国に移管され、国立国会図書館や
オリンピック組織委員会などに一時使用されたそうだ。

外交が重要になるに伴い、芝白金台の迎賓館が手狭になり
新たに迎賓館が必要となって、赤坂離宮を改修して
迎賓館とすることが昭和42(1967)年に決定された。
5年有余の歳月と108億円の経費をかけて
同49年に完成し、今や華々しい外交活動の場を提供している。

外交文化のすぐれた面を摂取しながら、
いかにしてすぐれた自国の文化を創りあげるかは
私たち日本人にとって、永遠の課題である。
願えれば是非、参観したく思う。

(M.N)

国会議事堂

国会議事堂の前庭に
全国47都道府県の木が植えられている。
神奈川県はイチョウだ。
四季折々の花を咲かせ、実りもあろう。

国会開設80年を記念し、1970年に
自治体がら贈られたものだそうだ。
太い幹に広げた枝が
国政を見守ってきた長い年月を物語る。
閑散とした議事堂敷地を歩くと、虫の声がする。

新しい主を迎えるためでもないが
議事堂は今、リニューアルの真っ最中だった。
衆参両院ともシートで覆われ
外壁の汚れを洗い落とす作業が行われていた。
1936年に議事堂が完成して
以来初めての「化粧直し」だそうだ。

70年を越える間に染み付いた汚れは相当なものだろう。
黒っぽい灰色に見えた花崗(かこう)岩は
高圧で噴きつける洗浄を終わると
見違えるほど白く、明るい。
「かって白亜の殿堂と呼ばれたのが分かった」
と衛視も驚かれていた。

(M.N)



銅像

国会議事堂の中央広間の4階に、3人の銅像がある。
衆議院と参議院の真ん中だ。
高さ32メートルの広い空間だ。
板垣退助と伊藤博文、大熊重信の銅像だ。
言わずと知れた明治の元勲だが、そこに建てられたのは
憲政の功労者として評価されたからだった。
1938年に銅像になった。

国会開設を求めて自由民権運動を起こした板垣退助
明治憲法を制定した伊藤博文
初の政党内閣を組閣した大熊重信の銅像が
台座に建っているが、四つ目の台座に銅像がない。

なぜなのか、参議院事務局の説明によると二説あるという。
一つは、四人目を誰にするか決められなかったため
将来に持ち越されたとする説。
もう一つは「政治に完成はない」との
メッセージを込めた未完の象徴という説だ。

謎を秘めたこの台座を含め、国会議事堂の参議院側は
誰でも見学することができる。
原則として衆院議員の紹介がないと見学できない衆議院と違い
参議院では平日は一時間ごとに参観を受け付けており、
窓口で申し込めば一時間で見て回れる。
案内役は警備担当の衛視だ。
両院の衛視は国会の役割や議事堂の歴史を
見学者に説明することも職務の一つ、という。

衛視から二院制の説明を受けながら
参議院の存在意識を考えさせられた。
1947年の第一回選挙で無所属議員108人が当選し
各政党を抑えて最大勢力となった。
無所属議員たちは院内会派「緑風会」を結成し
政党が覇 を競う衆議院と一線を画した。

党派にとらわれない自由な伝統は今やなく
「良識の府」でも政党間の駆け引きばかりが横行した                             ねじれ国会だった迷走ぶり、政権交代された今回の選挙を
3人はどう見ているのだろうか。

(M.N)

永田町界隈

今にも降り出しそうな空の下
永田町界隈を歩いてみた。
2棟ある衆議院会館では
2日が落選者の退去期限とあって
スタッフらが残務整理に追われていた。

通路には事務用品や書類があふれ、
傍らを当選祝いのコチョウランを
配達する生花定員が通り過ぎる。
霞ヶ関の官僚も与党となった民主党議員への
表敬訪問に忙しい。
政権交代の明と暗を象徴する光景だ。

自民党議員の大量落選で、
失職する秘書も過去最多と予想される。
ベテランの男性秘書は
「年も年なので、今後のことは未定。
公園で時間でもつぶそうか」
落胆しきりだった。20代の女性は
「先生に再就職先を相談したら
結婚相手を見つけなさいよと言われた」
と笑いながらも疲れた表情だった。

がらんとした衆院本会議場を案内してもらった。
解散日の喧騒(けんそう)が随分前のことのように思えた。
議場では約40年ぶりに
椅子の布地張り替え作業が進んでおり
9月下旬までに全480議席を新調するそうだ。
新首相を決める特別国会は16日に召集されるが
一部は古いままになると聞いた。

勝海舟は晩年、「どうも7,8年ないし10年にして
人心が一変する」と述べている。
開国、尊王攘夷(じょうい)、王政復古と
「維新までに三変した」と振り返り
「政治家は流行ではなく機勢の変転を見なければならない」と
指摘している。

時代の流れを的確に読み
それに沿った政治を行えという意味にとれる。
流れを読み解けなかったら
次の選挙で明暗は逆転すると思う。

(M.N)
 

虫捕り

子どもたちの楽しい夏休みも終わった。
私の子ども時代、夏休みになると男の子たちは網と虫籠を持ち
麦わら帽をかぶって虫取りに出かけた。

当時は市街地でもタマムシやクワガタムシの仲間が出現したし
大きく圧力のあるオニヤンマも捕れた。
これらを捕ると近所の子どもに見せびらかし
にわか英雄気取りである。

きれいな虫や変わった虫を見つけ出す目と
運動神経はもちろん、虫の分類と習性、生態の知識に加え
知恵と創意工夫が要求される。
「すごい虫」を捕る子どもは一目置かれていたし
採集場所や捕り方については秘密にすることもあったが
上級生から下級生に秘けつが伝えられたりもした。

しかし、セミにおしっこを引っ掛けられたり
アリにかまれてその痛さに跳び上がったり
カマキリがイナゴをバリバリ食べる姿に酷(むご)さを感じたり
飼育をしても朝晩死んでしまってかわいそうな思いを
したりもしたのだ。

昆虫は身近な存在であり、その多様さ、生活の巧みさは
千差万別で驚くばかりである。
昆虫と触れ合うことで形態の不思議さ
生存競争の熾烈(しれつ)さ
生命の尊さと無常などを肌で感じることができた。
子どもの一時期、虫を捕ったり飼ったりして
生命の営みに触れることにより、五感が鍛えられ
思いやりの心を育(はぐく)むことになる。
心の健全な発達に必要なことかもしれない。

1年生の孫はセミ捕りだけで、赤トンボは捕れなかったようだが
喜びはひとしおだったようだ。
気が付けばセミの合唱コンクールが終わりかけている。

(M.N)
 

世界陸上選手権

陸上世界選手権の男子100メートルと200メートルで
自らの記録を塗り替えた。
世界最速の男は、ウサイン・ボルト選手。
9秒58と、19秒19の驚異的な世界新と金メダルを射止めた。

2メートルに近い長身を生かした
ダイナミックな走りで風を切る。
レース前には得意の弓を引くポーズでアピールし
北京五輪では、終盤に横向きで胸をたたきながら走る。
驚き、見とれた。

人類が始めて10秒の壁を破ったのが41年前。
それでも当時は驚異的な記録だったのだろう。
それが今や9秒5の壁に近付いた。
遠くなればなるほど記録は縮めにくいはずだが
ボルト選手は常識の壁も破ろうとしている。

もちろんこのレベルにたどり着けたのは
少年時代からの蓄積があったからだろう。
レースはわずか100メートル。10秒足らずで終わる。
しかしそのために彼は、何十キロ、何百キロも走ってきた。
100メートルは、その最後の部分に過ぎない。

さて長かった衆院選レースも、候補者たちにとっては
最後の100メートルを迎える気分だろう。
早くゴールしたいと思っているのか
練習が足りなかったと後悔しているのか。
いずれにせよ候補者たちにとってはあっという間だろう。

(M.N)

京浜工業地帯の夜景

予約は3ヶ月先までいっぱい。
週末の夜に出航する。
意外に東京湾で人気があるようだ。
1時間半ほどかけて海沿いの工場の夜景を眺めるという
これまでにない趣向である。

この船旅を体験した。
横浜市の観光スポット・赤レンガ倉庫の桟橋から出航し
京浜工業地帯の中の運河を進む。
両側に重化学工業などの工場が連なる。

巨大プラントの照明が輝き、海面に映える。
ライトアップされたタンクや倉庫は闇に浮かぶ。
10キロほど航行した川崎沖では
羽田空港発着の航空機の明かりが彩(いろど)り添えた。

もともと旅客船は通らない航路だ。
昨年の6月の運行開始の際には、乗客が集まるのか
疑問視もされたそうだ。
だが、陸上では近づきにくい大規模工場も、海からは間近だ。
普段見られない光景が魅力で、予想以上の人気となっている。
 
まさに隠れた地域資源の掘り起こしといえる。
川崎市も同様の船旅を企画し
ちょっとしたブームの様相だ。 

(M.N)

長崎の鐘

多くの歌や詩を残したサトウハチロー氏の弟のあだ名は
チャカといったそうだ。
「永遠の不良少年」だった兄とは仲良しで
野球も一緒に始めた。
偶然、広島に行って被爆し亡くなった。

後にハチロー氏が作詞した藤山一郎の大ヒット曲「長崎の鐘」。
自らも被災しながら医師として被爆者救護に努められた
永井隆博士の同名の本がモデルだそうだ。
妻を失った博士の悲しみと平和への希求は
ハチロー氏の心情とも重なったはずだ。

本には顔をそむけたくなる生き地獄の描写も当然あるが
ハチロー氏が感じたのは温かさ。
活字の裏から博士の美しい心が
ほのぼのと立ち上ってくるからと詩にも記された。

永井隆博士は記念館もあり長崎で知らない人はいない。
「長崎の鐘」は当時ベストセラー。
無傷でがれきの底にあった浦上天主堂の鐘は最後に登場する。
事変以来、禁止されていた鐘が再び鳴り
永遠に平和の響きを伝えてと結んである。

放射線療法を研究した博士は原子力を手にした人類に対し
善用すれば飛躍的進歩、悪用すれば地球の破滅、
その鍵を握るのは人類自身と警告されている。

核持ち込みに関する日米両政府の密約文書も確かになり
武器輸出三原則見直し論もある。
「長崎の鐘」はいつになく
高く鳴り響いているように聞こえるのは私だけだろうか。

(M.N)

終戦記念日

8月15日終戦記念日に日本戦没学生の手記
「きけわだつみの声」を読んだ。
若くして死んでいった人たちを心のなかで追悼
心の内に耳を澄ませたいと思う。

先の戦争は、赤紙招集の兵士から幹部候補生まで
死地に送り込んだ。
「勝つ見込みのない戦争」死ぬのは怖い」と思っても
勇ましい声にかき消され
自らを納得させるより仕方なかったのか。
手記からそんな無念さが伝わってくる。

太平洋戦争の末期、日本は人間を兵器の代わりに
敵艦に体当たりさせる「特攻作戦」を始めた。
「国のために」と上官から言われれば
純粋でまじめな将兵ほど率先して志願した。
多くは20代だった。

彼らが描いた国とはどんな日本だったのだろう。
ふるさとの山や川がいつまでも美しく
家族や愛する人たちが慎ましく幸せに暮らす
そんな国であって欲しいと願ったのではないか。

戦後64年間、日本人は一生懸命働いた。
おかげで日本は米国に次ぐ世界第2位の経済大国になった。
一般に金持ちは羨望(せんぼう)の的であっても
尊敬とは結びつかない。
それは国家にも当てはまる。

戦争の犠牲者は日本人だけで310万人
アジアを含めれば2千万人といわれる。
今日の平和が未来永劫(えいごう)続く保証はない。
よく歴史に学べと言われる。
真実を見極め教訓をくみ取ることが、戦争を知らない世代が
犠牲者に応える最低の義務だと思う。

(M.N)

花火の歴史

夏の夜の風物詩といえば花火だろう。
夏本番ともなれば各地で恒例の花火大会がある。
豪快に大輪を咲かせる「打ち上げ」もよ、
光の演出を凝らした「仕掛け」もよし。しばし
暑さを忘れさせてくれる。

日本煙火協会の資料を見ると
近代的な花火は14世紀にイタリアで始まったとされる。
日本では1589年に伊達政宗が鑑賞、
1613年には英国王の使者が駿府城で
徳川家康に花火を見せたという
記録が残っている。

その後、江戸の町民に広がり
花火師や花火売り場が登場。
このころに活躍した花火師が
玉屋市郎兵衛と鍵屋弥兵衛である。
「たまやー」「かぎやー」。
屋号は今でも花火の掛け声になっている。

マグネシウム、ストロンチウム・・・。
現在の花火にはさまざまな物質が使われている。
コンピューター制御による打ち上げで音楽とシンクロさせた
花火ショーもあると聞く。こうした努力で日本の花火は
「世界で最も精巧で華麗」といわれている。

さて今月末には天下分け目の「総選挙」だ。
「政局花火」が打ち上げられている。
政界大花火大会で大輪を咲かせる党は?

(M.N)

キリンとサントリー

ビール業界の王者を歩んできた感がある。
発祥地は日本ビール産業の祖とされるウイリアム・ブランド
が築いた醸造所。1907(明治40)年の創業には
大財閥の三菱がかかわった。
キリンホールディングスのことだ。

一方、サントリーホールディングスは今でこそ
大手ビール会社と言われるが、始まりは個人経営の洋酒店だった。
キリン創業と同じ年、日本人向けの赤玉ポートワインを発売。
その利益で初の国産ウイスキー製造に乗り出した。
ビール業界に参入したのは、戦後の話だ。

対照的な印象を受けるのは、社史だけではない。
キリンは上場企業だが、サントリーは鳥井信次郎、佐治敬三といった
カリマス経営者が引っ張ってきた同族会社。
株式も上場もない。

キリンのシンボルが東洋の霊獣なら
かってのサントリーの社章は西洋の獅子だった。
キリンが正統派なら、サントリーは個性派。
東京と大阪の企業風土の違いもあろう。

そんな2社が経営統合に向けて交渉しているというのだから
よほどのことだ。ともに昨年は過去最高益を出し、
経営状態が良くないわけでは決してない。
それでも世界を相手にすれば安心できないらしい。

ビール等に言わせると、製品の味も随分違いがあるそうで
ひいきの物し飲まないファンも少なくない。                                    私は両ビールとも大ファンだが、猛暑日などに
のどを鳴らしながら交渉の行方を見守っている人も多かろう。

(M.N) 

若田光一さん帰還

白い機体の米スペースシャトル
「エンデバー」がフロリダの青い空から滑り込んだ。
若田光一さんが帰ってこられた。
当初予定よりも1ヶ月延びて4ヵ月半。
日本の実験棟「きぼう」を完成させた                                      日本人初の宇宙長期滞在成功の瞬間だった。

着陸時の第一印象がまた新鮮だった。
「シャトルのハッチが開いた瞬間、地上の草の香りが入ってきて
やさしい地球に迎えられた」と。
普段は格別感じることのない草の香りにも
地球のやさしさがある。
「浦島太郎になったような感じがするとも話された。

浮遊物体となり動作がままならない無重力生活。
健康への影響が気になったが、地上に降り立って
地球の重力の重さをあらめて実感されるだろう。
疲労困憊かと思っていたら
「4ヵ月半のマラソンを全力で走りきった」と
笑顔でコメントされる姿は相変わらずさわやかだった。

若田さんのミッション(任務)は、国際宇宙ステーション(ISS)の
「きぼう」を完成させることだった。得意のロボットアームを使って
船外実験プラットホームの取り付けなどを行うことだった。
「きぼう」は地球の砂漠化やオゾン層破壊の観察にも
威力を発揮するという。

もう一つは若田さんが試みたのは
自分の体を実験材料に、無重力状態での筋肉や骨量の減少を
調べることだった。骨粗しょう症の薬も服用したが、
効果はどうだったか。医学的な研究成果が期待される。
案外、地上では気づかない研究のヒントが
宇宙空間で見つかるかもしれない。

宇宙は、一つの国だけでなく、いろんな国の人に
夢を与える素晴らしい場所だ。
どんな夢でもいいので、目標をしっかり持って頑張ってほしい。
若田さんが子どもたちに送るメッセージだ。
若田さんは、まさに夢と希望の人といいたい。

(M.N)





 

18歳を成人とするか

法相の諮問機関である法制審議会の
民法成年年齢部会が、選挙年齢の引き下げを前提にして
「民法の成人年齢を18歳に引き下げるのが適当」とする
最終報告書をまとめた。

明治以来、日本の民法上の成人は20歳と決められている。
それを18歳に引き下げるのが適当というのだから
新聞などでは関係者による賛否両論が盛んだ。

報告書では引き下げの意義として、
社会参加の時期を早めることによって
「大人」の自覚を高める。
「若者が将来の国づくりの中心」という国の
決意を示すことにもなる、としている。

成人の年齢を18歳にすると、喫煙や飲酒などの
年齢制限のある法律も見直すことにもなって
相当な影響が出てくることだろう。
実際にこれが実現するかどうかは今後の成り行きによる。

成年年齢と選挙年齢が同じ国を見ると
アメリカ、イギリス、フランス、中国などは18歳。
日本、台湾などが20歳。韓国は選挙年齢が19歳で
成年年齢が20歳である。

日本ではどうするか。選挙年齢だけを18歳。
成年年齢を20歳とするか。それともアメリカなどのように
18歳に統一するか。今は報告書の段階だが
法の改正は国会で決める。
身近な問題でもあるので、われわれもそれに対する考えを
まとめておきたいものだ。

(N.M)

総選挙の時期

意外にも12月が4回で一番多い。
次に4月と10,11月が3回で続く。
なぜか秋冬に比べて夏は少なく
特に8月に行われるのは初めてだという。
戦後、衆院解散を受けて行われる
総選挙の時期のことだ。

ようやくというか、ついに衆院選の投開票日が
8月30日に決まった。
昨年9月1日、安倍晋三氏に続いて
福田康夫氏が政権を離れてから10カ月余り。
一日も早い衆議院解散を期待していただけに
待ちくたびれた感は否めないが
やはり高揚感がある。
目標が明確になり、緊張感も安堵感もある。

小泉旋風が吹き荒れた「郵政解散」から4年。
ちなみに、前回衆議院選挙が行われたのは
9月11日で9月の投開票も初めてだった。

前回とは違う風が吹いているようだが
暑くて長い「審判の夏」がスタートした。

(M.N)

夏休み

明日から市内の小中学校は夏休みに入る。
盛夏にふさわしい好天が続いて欲しい。
海や山で、いつもとは違った生活ができる。
子供にとっては、年間を通じて最も楽しみな休みの一つだろう。

だが、世のお父さんやお母さんには
これがなかなかの難解である。
せっかくの子どもが家にいるのだから
家族がみんなでふれあい、楽しい夏にしたいと
プランを立てる。子どもたちの思い出に残り
何か将来に役立つ体験をなどと考えて、頭を悩ませる。

どこか遠くに出かけるのが王道なのだろう。
夏だから海水浴がいいのか。
遊園地やテーマパークなどにみんなで行くのが
定番かもしれない。
そうした夏休みの行き先を選ぶ悩みに加え
今年は景気低迷に伴う家計の緊縮財政という
問題までたちはだかる。

私たちの子ども時代は夏になると
外遊びに熱中した。森にカブトムシを探し、木の実を求めて
野山を歩き回った。そこで覚えた自然界の香りや味が
今もかすかに覚えている。

おそらく、子どもたちが 心から楽しみ
将来にもつながる体験は、意外と身近にあると思うが。
自然の中へ連れ出すなら、いつでも無理せずにできる。
夏休みは時間とお金をかけて遠くへという
固定観念は捨ててもいい気がする。

(M.N)

皆既日食

7月22日の「皆既日食」は、日本では
鹿児島県・トカラ列島などで観察できるそうだ。
皆既時間は一番長いところで6分44秒。
今回よりも長い皆既を今世紀中に見ることはできないという。
「世紀の天体ショー」と呼ばれている。
日本の陸地で見ることができる皆既日食は
実に46年ぶりだという。

皆既日食は、太陽が完全に覆い隠された現象で
日中でも夕闇のように薄暗くなり、気温も低下する。
天体ショーの中でも、きわめて特別だといわれる。

国立天文台は、注意を呼びかけている。
サングラスや黒い下敷きなどで見るのは絶対ダメで
専用の日食グラスなどが必要。
太陽の方向を直接見なくても、国立天文台のホームページで
詳しく観察する方法もあるようだ。

46年前にどうやって観察したか記憶にないが
次の皆既日食は、26年後の2035年で生存が?                               今回は専用の日食グラスで是非見たいと思っている。
百年に一度とも言われる不景気ではあるが
今年の皆既日食をきっかけに、あらゆる面で社会が
良い方向へ進んでもらいたいと願っている。

(M.N)

クラゲ

各地の水族館ではクラゲが人気者になっているとのこと。
ノーベル賞の世界では昨年、化学賞受賞の下村修さんの
"光るクラゲ;が脚光を浴びた。
のんびり、ふわりふわり、それでいてどこかが光って見える                          生き方ができたら、楽しいだろう。

クラゲは数億年前に地球上に現れたといわれている。
魚や恐竜などが出現する前のことである。
泳ぐ力は弱く、漂っているようにしか見えない。
なのに太古の昔から生きてきた。姿かたちが物語る
幼想性に癒される。

「クラゲと人間は似ている」。
大阪市立大の寺北明久教授が
昨秋まとめた研究成果で指摘された。
目が光をとらえる仕組みが似ているらしい。
「人間の資格システムはクラゲの祖先から
進化した可能性がある」という。

近づきたくないクラゲもいる。
重さ200キロに達するエチゼンクラゲだ。
4年前に漁業に深刻な影響を与えた。
主に中国近海で発生し、成長しながら北上する。
今夏も日本海に大挙押し寄せる気配そうだ。

世界の海でクラゲが大量発生中と
全米化学財団が報告書をまとめた。
水質汚染でクラゲ以外は生息できない海域も増加中とのこと。
漢字で「水母」「海月」と書くクラゲのロマンに
のんびりふわりとひたってばかりもいられない。
孫に説明しても泳ぐ姿に魅せられて
害の部分を聞いてくれない。

(M.N)

珍名

昔から大相撲の四股名(しこな)には
珍名が随分あったようだ。
昨日開幕した大相撲名古屋場所に「右肩上がり」が登場した。
三段目の力士で、山口県出身の21歳。
本名の吉野から、ユニークな四股名に変えた。

最近は幕下と三段目を行ったり来たり。
「世の中が不景気だからこそ、こんな名前の力士がいてもいい」
と名付け親の大巌親方。本人は
「気持ちが前向きになる。
周りも笑ってくれるし、験(げん)がいい」と 
ご機嫌のようだ。

明治時代に「唐辛(とうがらし)や凸凹(おだやか)といった
四股名があったそうだ。今場所の番付にも
ロシア出身の幕下「大露羅(おおろら)」「阿夢露(あむうる)」や
茨城県出身の序二段「猫又(ねこまた)」
という名前が載っている。

勝ち名乗りが響けば、歓声が沸きそうだ。
各力士ともいい成績を残してほしい。

(M.N)

 

 

携帯電話

講演会や演奏会、多くの人たちが集まるような会合の席上、
開会に先立ち主催者が来場者に向かってまず言うのは
「携帯電話は、電源を切るかマナモードにしてください」。
すっかり決まり文句になった。

言われて気がついた、と思われるのもしゃくに障るが、
万一、ということもあるので常時「マナー」を守っているはずの
ポケットの中に携帯電話の様子をチラリとのぞいてみる。
会場内で慌ててバッグを広げて確かめる
という人の姿は少なくなったように思う。

携帯電話を持ち始めた10年ほど前は
会議中に携帯電話が鳴ろうものなら、周囲から
「どこのどいつだ」というぐらいの視線が浴びせられた。
今でも個性的な曲が着信を告げることもあるが
流れる曲の題名を気にしても電話がかかってきたことを
非難する目ではなくなった。
気にするそぶりも見せない。

この10年で生活に溶け込んだ。
同じく21世紀になって生活に入り込んでいるのがパソコン。
高齢者の人たちも「手習いに」と、便利な
電子道具の習得に励んでいる。
今では公的な文書の書式はパソコンを使えば
役所に出向かなくても居ながらに手に入れられる。

役所で資料を請求したら
「その資料はパソコンで見られます。そちらで見てください」
と言われたことがある。
同じようなことを、知人が役所窓口で言われたと憤慨していた。
「だれもパソコンができるとは限らないんだ」と。
高齢者も、電子道具の勉強しなくてはいけない時代だ。

(M.N)

医療機器の進歩

先日、首を90度以上、左右に曲げると痛いので
病院でMRI(磁気共鳴画像)検査を受けた。
大きなドラム缶のような中に入れられる。
強い磁気とラジオ電波を利用するので、指輪、入れ歯など                           金属製のものは一切見に付けられない。
ゴトンゴトン、ガーガーとすごい音が断続的に20分ほど。
気分のいいものではない。

撮影した何枚もの画像を見ながら
担当の医師はとくに異常はなさそうだと説明してくれた。
画像を見せてもらったが、模様のようなものが映っているだけ。
これで病変が分かるというからすごい。
現代医学の進歩に頭が下がる。

試みにMRIの原理を調べてみたが、難しくて歯が立たない。
思い切り簡略化していえば、人間の体は体重の約7割が水分で
その中の水素原子を人の目に見えるようにした画像だそうだ。
ただレントゲンとは違って、放射線ではないから
被爆の心配はない。それでいてレントゲン検査より
体の細部の情報が得られるという。

これからも、さらに優れた機器が現れるだろう。
すでにジェット噴射で麻酔液を浸透させる
針のない注射器もあるし、カプセルを飲みこんで
1日かけて食道、胃、腸の画像を撮影する
カプセル内視鏡もあるそうだ。

医療機器がどこまで進歩するか想像もつかない。
いうまでもないが、それを医学の発展につなげるのは人間である。
人間の頭脳には驚くばかりだ。

(M.N)

色の持つ力

先日,NHKラジオを聞いていたら、陸上競技場のトラックを
レンガ色ではなく、青色のトラックにしたところがあるという。

全国高等学校総合体育大会の会場になっている
奈良市鴻池(こうのいけ)陸上競技場が、トラックを青色にした。
赤のレンガ色は興奮を呼び起こすが
青は気持ちを落ち着かせるのだそうだ。

選手は冷静になり、いい結果が出るのではないかと
関係者は話していた。
面白い話だと思った。人の心は微妙だ。
目にした色によって気分が左右されることが多い。

昔聞いた話だが、夫と夫婦げんかをして
絶対許さないと感情が高ぶって家を飛び出した主婦。
近くの川の土手に立って、見るともなく
遠くの山並みの上に広がる青空を眺めているうちに心が和み
夫と和解する気になったという。

落ち着いた山の姿と空の青さが
主婦の気持ちを冷静にしたのである。青は血圧を低下させ
神経を沈静させるそうだが、青空を見ていると、
いやなことがあってもなんだか気持ちが軽くなってくる。
ある調査では日本人の好きな色は
1位が青、2位赤。3位は緑だそうだ。

日常生活の中に、意識して色の持つ力を活用するのもいい。
気分も変わるだろう。人は年齢が高くなると
暖色系から寒色系を好む傾向があるそうだ。
家内にこの話をしたら、あなたは私に意見するときの顔色は
興奮色の赤だといわれた。
多摩川の土手にでも行って心を和ませるか。

(M.N)

横浜マリンタワー

横浜マリンタワーが赤と白の上着から
シャープなシルバーに一新され、横浜開港150周年を
記念してリニューアルオープンした。
106メートルの長身によく似合う。

開港100周年事業として市民が発案し
1961年にオープンした。港のシンボルとしてピーク時
には年間105万人が入場したそうだが
老朽化や地上70階のランドマークタワーの開業で
客足が落ち、2006年に運営会社が事業を打ち切った。

取り壊しも検討されたが、横浜市がタワーを買い取り
再生事業に着手。
1万人を対象にアンケートも行い、飲食施設の充実など
市民の声がコンペで選ばれた事業者の計画にも生かされた。

周囲には芝生が植えられ
山下清画伯の壁画が来場者を迎える。
高さ91メートルの展望台は窓が大きくなり
飲食施設もホテルと見まちがうほどだ。
横浜出身の横山剣さんがポーカルを担当する
クレイジーケンバンドによるテーマソングもできた。

展望台から港が直線的に眺められ
独身時代に行ったことを思い浮かべ感慨無量だった。
取り壊されなくてよかったと思う。
歴史的建造物としてミナトの活性化につながるよう願っている。

(M.N)

上杉景勝

江戸時代の藩政改革でよく知られているのは
米沢藩の上杉鷹山[ようざん](治憲)だろう。
家老直江兼続が活躍中のNHKの大河ドラマ「天地人」の
上杉景勝が初代藩主である。
関が原の戦いで石田三成の西軍に味方したため
会津120万石から最後には15万石に減った。

石高は激減したのに家臣団の数は
120万石当時のままだったため、藩財政を圧迫、凶作も重なり
武士、領民とも困窮しているさなかに藩主となった。
鷹山は、まず徹底した倹約に努めて出費を減らし
改革派の家臣を重用して産業振興に振興した。

藩の学校で身分の上下を問わず
教育をつけさせるなど学問も奨励。
家臣の反発にもひるまなかった。
鷹山の改革で、藩財政は豊かになり
飢きんにも耐えられるようになっていく。
柔軟な発想もさることながら、
見えてくるのは強力な指導力である。

地方自治体の多くは今、
不況や高齢化などで衰退する一方だ。
自治体の財政破たんもあり得る時代になった。
こういうときこそ、思い切った改革が必要で
鷹山のようなリーダーシップを持った首長さんが出てきて欲しい。

今夜は、「天地人」が放映される。楽しみだ。

(M.N)

高橋是清さんの財政学

東京・日本橋の日銀本店旧館は
石造建築物の傑作とされる。
1896(明治29)年の完成だが、工事中
後に歴史に名を残す人が現場監督を務めている。
二・二六事件で暗殺された高橋是清さんだ。

当時の高橋是清さんは一介の事務主任だったが
どんどん能力を発揮して日銀総裁に上り詰められた。
政界から手腕を買われて大蔵大臣となり、首相も務められた。
でっぷりとした体躯[たいく]で愛称は
「だるまさん」と呼ばれたそうだ。

一方で「日本のケインズ」とも言われたそうだ。
公共投資の乗数効果を唱えたのは経済学者ケインズだが
高橋是清さんにも独自の”芸者理論”があった。
いわく、「芸者遊びで2千円を使ったとしてもその金は転々として
農工商漁業者の手に移り、20倍、30倍になって働く」と。

「個人は2千円を節約するほうがいいが、国の経済は違う」
との例え話だ。そんな豪放な言い方ながら
経済政策と財政の微妙なバランスを図り、昭和恐慌を乗り切った。
さて、平成の不況を前にしたら何と言われるだろうか。

内閣府の試算によると、1~3月期の需要不足は
年45兆円にもなるという。
足りない分を公共投資で補うのは当然で、
だから過去最大の14兆円の補正予算が組まれたが
中には批判される妙な支出もある。

国の借金は膨らみ、政府の「骨太の方針2009」では
財政再建を10年先送りにするらしい。
積極財政主義と見られがちな高橋是清さんだが
「借金政策は永続きせず」との言葉を残された。
果敢ながら、慎重に先を見通していられた。
そんな政治家は今はいられるだろうか。
是非いて欲しいのだが。

(M.N)

サッカーW杯出場

サッカー日本代表が南アフリカへの切符を手にした。
大詰めのW杯アジア最終予選。
苦しみながらもウズベキスタンを破った。
敵地タシケントでの戦いだった。
序盤に先制点を挙げた日本は、相手の猛攻をしのぎ守りきった。
4大会連続4度目の大舞台は1年後。新たなスタート台に立った。

岡田武志監督にとってタシケントは因縁がある。
12年前の秋、W杯最終予選のさなかに加茂周監督の
更迭で後任となり、初めて采配を振るった地だ。
ここからフランスへの道は開かれ
翌年には日本を宿願の初舞台へと導いた。
その思い出の場所で再び陣頭指揮。
今度は選手たちの歓喜の輪に加わった。

巡り合わせは、そんな場面にどどまらない。
3年前のドイツ大会後、オシム監督が代表を率いるが
途上で病に倒れたために再登板へと。
岡田監督の助っ人人生は
サッカーの神様の定めるところだったのかもしれぬ。
10年余の起伏を経て、2度目のW杯をつかみ取った。
今度こそその思いを強くしていることだろう。

3連敗で1次リーグ敗退となったフランス大会。
決勝トーナメント進出がやっとだった日韓大会。
そして再び惨敗を喫したドイツ大会。これが日本のW杯の歩みだ。
世界のの壁は依然として高い。足踏みを脱し
この難関にどこまで迫れるか。
南アは今まで以上の試練の場所となろう。

ファンも驚くほど,若手選手を次々と起用。
チーム力の底上げを図った。
国内組と欧州組みの連係も高まる。
まだスタートラインだと強調する岡田監督は、
4強入りを目標に掲げる。
本大会まであと1年。新たな戦いが始まる。                                   国民の一人として大きな期待をしたい。

(M.N)

丸の内・渋谷を散策する

東京駅丸の内南口から、赤レンガ駅舎を背にして
まっすぐに歩くと丸ビルが見えてくる。
その隣には新丸ビル、さらに大手町の方向には
高層ビルが立ち並ぶ。いずれもオフィスだけでなく
レストランやカフェー、ファッション関係のショップが入居する
複合施設で食事やショッピング目的に訪れても十分に楽しめる。

地名の「丸」とは城郭の内部を意味している。
現在もビルの向こうにはお堀が、その先には
皇居が控え、独特の雰囲気が漂う。

皇居周辺を眺めると、ふと馬が目に入った。
あらためて見直すと騎馬隊と馬車が皇居の内へと行進していた。
平日の昼下がりに一般道を閉鎖して行われる
非日常的なひとコマに驚いた。

調べてみると、諸外国の新任大使が
前任大使の解任状と自己の信任状を天皇に捧呈(ほうてい)する
信任状捧呈式という儀式で、東京駅貴賓室から皇居まで
大使の送迎に馬車が用いられるそうだ。

渋谷は特に若者が多い町だ。
日本を代表する繁華街で、池袋、新宿と並ぶ三大副都心だ。
最近は、IT関連企業が多く集まっている。

忠犬ハチ公の銅像がある渋谷駅前交差点を
道玄坂方面へ横断していると「マルキユウー行く?」
という声が耳に入った。声の方向には若い女性の2人連れが
イヤホンで音楽を聞き、携帯電話
しかも2つの電話を操ってメールを打ち込みながら
大声で話をしながらあるいて行った。
ちなみに「マルキュー」とは、渋谷の代表的なファッションビル
「SHIBUYA 109]の略称である。

最近、このような略語やいわゆるKY語などの新語が
あふれている。言葉は世につれ変化していくものではあるが
使っても良い言葉は時と場合によると思うのだが。
円滑なコミュニケーションの妨げにならないよう十分に気をつけたい。
若者たちからは煙たがれるかも知れないが。

(M.N)


風呂敷

近くのスパーマーケットで、買い物後に
風呂敷を広げているご婦人を見かけた。
商品を包み、見事に結び上げ
バッグのようにしっかり持って店を後にされた。
手際のよさに思わず見とれた。

風呂敷は、室町時代に大名が風呂に入る際に広げ、
その上に脱衣して服を包んだことが語源ともいわれる。
江戸時代に銭湯の普及で庶民に広がったという説もある。

今も意外に活躍しているのが法廷だ。
特に検察官は裁判の際に風呂敷を持ち歩く。
普通のかばんに収まりきれない、膨大な書類や
証拠品の凶器などまとめやすいためとのことだ。
国会中に官僚が書類の持ち運びに利用している姿を
テレビで見かける。

レジ袋有料化が始まり
買い物にはマイバッグが必要になった。
ビニールタイプや昔ながらの買い物かご風
おしゃれなトートバッグ、段ボール箱を
持ち込む客までいる。
折り畳めることができて、どんな品も包める風呂敷は
究極の日本式エコバッグかもしれない。

結び方を覚えれば一升瓶やスイカも包める。
包む技を使うには経験と知恵がいる。
風呂敷の包み方の図解を見ながら
練習してみたが不器用な私には難しい。

(M.N)

大相撲夏場所

大相撲夏場所千秋楽。
優勝争いは決定戦にもつれ込み
大関日馬富士が横綱白鵬を下して初の賜杯を手にした。
幕内最軽量ながら、鍛えに鍛えた稽古の虫が
大関三場所目、ようやく楽しめるようになったという気持ちが
安馬時代の鋭い動きをよみがえらした。

新たな看板が脚光を浴びれば
本場所に別れを告げたかってのスターもいる。
元関脇高見山の東関親方だ。来月の誕生日で定年になる。
東京五輪の年にハワイから来た人は
巨体を利した豪快な相撲とユーモアで、絶大な人気を誇った。
外国勢の開拓者にして幕内優勝も飾った。

また割りに泣き辛抱と努力で角界の水になじんだ苦労人だが
天性の明るさが皆に愛されジェシーと呼ばれる。
金星獲得など数々の記録を残し、横綱曙らの後進も育てた。
「彼女」だったという相撲との四十五年の付き合いは
悔いなき道のりだったろう。

口ぐせは「辛抱」と「努力」。
日本人以上に日本人らしい男とも言われた。
高見山が名脇役だったころから
モンゴル勢が屋台を支える現在の土俵へ。
大相撲がたどってきた国際化の歩みだ。
東関親方の次の人生が、これまで以上に
ぬくもりに満ちているよう祈っているファンの一人だ。

(M.N)

ツバメの困惑

ツバメを主人公にした逸話がある。
昔、ツバメとスズメは姉妹だった。
ある時、親が危篤という知らせを聞いて
スズメはなりふり構わず駆け付けたが
ツバメは紅をさしたり、着飾ったりしていたため
親の死に目に間に合わなかった。

そこで神様は、親孝行のスズメに米や麦など
五穀を食べて暮らせる特権を与えたが、ツバメには
虫しか食べさせないようにしたという。
それぞれの外見や習性の違いから生まれた面白い逸話である。

この話にある通り、ツバメは
稲作の大敵である虫を捕ってくれる。
だから益鳥として、古くから人々に大事にされてきた。
春先に南方から飛来すると、すぐに民家の軒先に巣を作る。
人々は「ツバメの来る家は栄える」と言い伝え
家族の一員のようにして営巣から、巣立ちまで
温かく見守ってきた。

そのツバメが今、苦しい立場におかれている。
民家の構造が変わって巣作りをする場所が少なくなり
屋外や駐車場の軒先に追いやられているからだ。
野鳥に詳しい知人によると
一回り体の大きなヒヨドリに襲われたり
カラスや蛇に卵を奪われたりして
ツバメの巣立つ率が激減しているという。

これを自然の摂理と見るか、都市化の悲劇と見るか。
初夏の青空を飛び交うツバメの姿が次第に見えなくなると聞くと
田舎に住んでいた少年時代に、毎年
家の軒先に巣作りしていた親ツバメが                                     ヒナに餌をやる姿を思い浮かべ、寂しさが募ってきた。

(M.N)

アサガオ

今年もアサガオを育て始めた。
花屋さんから買い求めた種を、ベランダで鉢に植えた。                             つるをはわせるため、誘導する支柱も立てた。
 
細かい竹も組んだ。
鉢いっぱいに花が咲く場面を思い浮かべ
ひもで竹と竹を十字に結んでいった。
単純な作業に集中することで、無心になれた。
朝早く起きたおかげで
周りの樹木から小鳥たちのさえずりも聞けた。
たまにガァガァとカラスの鳴き声も。

この季節、ぐんぐん成長する植物の姿を眺めるのも良い。
マンション内の散歩コースで
新しい花を見つけると、嬉しい。
植えたばかりなのに
アサガオはいつ咲くのだろうかと待ち遠しい。

咲き始めた花があれば、終わりを迎える花もある。
”花の命は短い;だからこそ人は花に引かれ
自らの生を重ね合わせるのかもしれない。

(M.N)

エコ大はやり

朝の家電店の新聞折り込み広告に
「エコポイント付与制度いよいよスタート」などと
でかい文字が、躍っていた。
「エコポイント」といっても、日ごろ注意して
ニュースを聞いていないと何のことか分からない。

このごろは「エコ」という言葉が大流行。
エコバッグ、エコカーなどと、何かといえば頭に「エコ」が付く。
とうとう「エコポイント」などというものまで登場した。
「エコポイント」のエコはエコロジー(環境保護)の略だ。

これは、経済危機対策の一つとして
政府が打ち出した「省エネ家電」購入の促進策。
予算のばらまきと酷評する向きもある。
エコポイントとは関係ないが品物を買うと
ポイントを付ける店がある。
大体1ポイントが1円というところが多い。
これを政府がカネを出して15日から、エアコン
冷蔵庫、地デジ対応テレビに対して付けるというものだ。

どの商品でも、というわけでなく、「エコポイント対象商品」
というマークのあるものでないと付かない。
たとえば37型の地デジ対応テレビでは
1万7000ポイントが付く。1ポイント1円相当だから
その分だけ別のものが変える勘定だ。
ただ、今国会で成立してのことだが。

家電店などは、客の取り込みに必死のようだ。
実際にポイントと商品などの交換は7月以降だという。
本当に欲しいものを、ゆっくり品定めをする余裕は十分にある。
我が家では定額給付金で炊飯器を購入したいと
奥方は考えているようだが
「エコポイント対象商品」外で残念がっている。

(M.N)

意思の疎通 2

ひょんなことから人間関係に悩む人は少なくない。
親しい間柄でも、つい相手のプライベートな部分に
立ち入ったばかりに傷をつけ険悪になってしまう。
こんな経験を持っている方が意外に多い。

心理学では「ヤマアラシのジレンマ」という概念があるそうだ。
トゲを身に着けたヤマアラシは寒い時
お互いの体を寄せ合って暖を取ろうとすれば傷だらけになる。
すり寄って離れ、離れてまたすり寄る。
これを繰り返すうちに程よい距離を覚えていく。
  
人間も同じで、付かず離れずの関係を築くのが大切。
それは、相手を思いやるとことから学べると。
そんなことを、精神科医だった故斎藤茂太さんが
「心をリセットしたいときに読む本」(ぶんか社文庫)で
説いていられる。

近所付き合いなどでは大いに参考になる。
しかし会社での人間関係となると、己をさらけ出し
時には意見を衝突させながら濃密な関係をつくることが、
企業のパワーの源泉になるのではないかと思う。 

4月から新入社員になる人たちと先日
話をする機会があった。
どんな職場環境を望むのかと聞くと、
「腹を割って話し合える」の声。
まず「自分」を理解してほしいという思いが新鮮に映った。

理想の上司はずばり、「仕事ができて尊敬できる人」。
新入社員を教育しているようで実は
観察されていることを上司は感じることが大切だ。

(M.N)

銀ブラから鎌倉

買い物や飲食を楽しむ都心の散策といえば
銀座通りの「銀ブラ」、大阪・心斎橋の 「心ブラ」
神戸・元町の「元ブラ」が思い浮かぶ。
                                                                                         
春風に誘われ銀座をぶらぶら歩いてみた。
一丁目には明治期、初代が鞄の漢字を考案したとされる
鞄店「銀座タニザワ」がある。
姫路特産のなめし革を使ったオリジナルバッグも販売している。
私も、銀座タニザワの名刺入れと、財布を
20年前から愛用している。

四丁目交差点を渡り、神戸に本社がある
田崎真珠店をのぞくだけ。
終点の八丁目.菊池寛も通ったカフェーパウリスタによると
銀ブラには「銀座を歩いてブラジルコーヒーを飲む」
の意味もあるとか。
独特の苦味を味わい「銀ブラ証明書」をもらった。

東京駅から約一時間電車にゆられると
湘南の古都、鎌倉に到着する。
潮の香りがかすかに漂う駅前には大勢の人でにぎわい
客待ちの人力車が観光気分を盛り上げる。
桜並木で有名な若宮大路をゆっくりと歩き鶴岡八幡宮を目指す。
この時期は、やわらかい日差しを浴びて
輝く若葉がすがすがしい。

お参りを終えると江ノ電で海岸へ向かう。
鎌倉は古い神社と海を一度に楽しめるのも人気の理由の一つだ。
晴れた日には時間帯を合わせると
江ノ島を真っ赤に染めて沈んでいく夕日を眺めることができる。

久しぶりに、家内と二人で銀座、鎌倉を散策した。
家内の感想は「疲れた」だった。

(M.N)



名前を呼ばれた後に・・・

○○ちゃん、○○君、○○さん・・・
人は生まれて死ぬまで、どれほど、家庭で、地域で、学校で、
社会で名前を呼ばれるだろう。呼ぶだろう。
この世にいない人の名を、思いの届かない人の名を
呼び続けることもあろう。

会社に入って定年までみても
その回数は数え切れないだろう。
その名前での呼び掛けに続く命令、叱咤(しった)、
批判、慰め、励まし・・・。わが身を振りかえれば
最後の最後までおしかりが多かったような気がする。

逆に、どれほど心を込めて人の名を呼んできたか。
愛称で呼ばれ続け、それがまるで姓であるかのように
会社のあちこちで、その名前が聞こえてくる。

愛称で呼ばれ続ける人の親しさを
ついに持ち得なかったのは不徳の致すところ。
西田敏行さん演じる映画「釣りバカ日誌」のハマちゃんは
永遠のあこがれか。

去りゆく者に代わり、新人が入社してきた春である。
真新しいスーツ、ピカピカの靴、ワイシャツ、ブラウス。
何より、不安と希望の入り交じった気持ち。
名札に光る名前。厳しい経済情勢の中、新人への期待も強く
「○○君」「○○さん」という辞令の後に続く
トップの言葉にも一層、力がこもるだろう。

明るいグレーのスーツに、茶色のネクタイ。
今年の新人たちがまだ生まれるずっと以前の入社式。
配属先で最初に名前を呼ばれたときの緊張感を
きのうのことのように思い出す。

(M.N)


意思の疎通

簡単のようで難しいのが、意思の疎通ではないだろうか。
言葉一つで信頼が深まることもあれば
疑心暗鬼を生ずることもある。

十人十色というように、企業にも独自の風土がある。
異なった空気が漂う。
加えてその会社内でしか通用しない「隠語」も存在する。
特に新入社員を迎えたこの時期は言葉に起因する
トラブルも起こりがちだ。

随分前のことだが、ある建設会社で上司が新入社員に
約50枚の設計図を渡し「焼いてきてくれ」と指示した。
しばらくして戻ってきた社員は手ぶらであった。
上司が「焼いたか」と尋ねると「はい、焼いてきました」との返事。

上司の「焼く」は青焼き図面(複製)を指すが
新人君は焼却炉の「焼く」と解し、灰にしてしまった。
原図でなくて良かったが、「言葉を尽くす」ことが
新人研修のだ第一歩と痛感したという。

ある出版社に就職した人が
「隣の人との椅子は一メートルもないが
心の隔たりは何十キロもあるような気がする。
社内コミュニケーションがない」と
空しさを故郷の父に手紙で相談した。
 
ただ嘆いているだけでは、どこに行ったって同じだよ
と父からの返事。基本はコミュニケーションだよと。
父は自身の入社時を顧みての返事だったのかもしれない。
新入社員も早く会社の雰囲気をつかみ慣れていくことだ。

(M.N)  

旧吉田邸

日本の戦後政治を担った歴代首相30人のうち
既に20人が鬼籍に入っていらっしゃるが
国葬として送られたのは吉田茂(1878年-1967年)
元首相ただ人だけです。
一度政権の座を退きその後再び首相の座についたのも
戦後では今のところ吉田茂元首相だけである。

だれにも陽と陰、功と罪があり評価は一つではない。
それは当然だが、吉田元首相が戦後日本の礎を築いた人物として
評されることに異論を挟む人は少ないと思う。
第一次吉田内閣は短命だったが片山哲、芦田均内閣の後を
引き継いでからは第五次(1954年12月10日)まで
第一次を含め7年余の長期政権を樹立して日本を引っ張ってきた。

占領期の前後という時代が必要とした政治家吉田さんが建て
暮らし、戦後政治の舞台となった大磯町の「旧吉田邸」が全焼した。
「大磯」と言うだけでそこだと知られたこの屋敷をこよなく愛し
政財界の友人、知人を事あるごとに招いたといわれる。

引退した後も愕然たる力を誇り、その意見を仰ごうと
内外の人たちが詣でた筑125年の歴史的建造物が灰となった。

こうも無残に焼け落ちては講和条約の締結、占領の終結
そして日本の独立を獲得した"ワンマン帝相”の思い出を
懐かしむしかないとは残念だ。

日本では、米国のような慣習はないが、
吉田元首相が飼い犬三匹に「サン」「フラン」「シスコ」と
名付けていたと聞いたことがある。
昭和26年のサンフランシスコ講和条約での
独立の回復にちなんだものだろう。
米国ではオバマ大統領家に飼われる愛犬に
「ボー」と名付けられたようだ。 

木造建築への回帰

コンクリートや鉄、ガラスを使った過激な表現で
日本の建築界をリードしてこられた建築家の高松伸さんが
木造建築に傾倒されているようだ。
その第一歩である木造オフィスが名古屋に完成したと聞く。
是非見学したい。
                                                                                                         
木造建築へのあこがれは、出雲大社が原点だそうだ。
哲学者梅原猛さんの「京都は森林都市とだ」いう言葉に触発され
木造建築が集積する古都の拠点の建築家として
その可能性を探求されてきた。
過去、京都コンサートホールのコンペに木造案を提出されたが
残念ながら落選。
京都市庁舎の木造建て替え案を提出されたこともある。

木は弱そうだが、圧縮や引っ張る力に対して
コンクリート以上に強い。
東寺の五重塔や東大寺大仏殿が
長い年月を経て健在なのはそれが一因だとおっしゃる。

高松さんにぜひ二十一世紀にふさわしい
木造建築を実現されることを願いたい。
高松さんの日本建築学会賞受賞作で
大阪、道頓堀のシンボルの一つだった商業ビル
「キリンプラザ大阪」が建て替えで取り壊されたと聞く。
木造への回帰とともに
日本の近代建築の転換点のように思える。

木造建築に高い見識を持たれたいた
ジェクト株式会社創立者からたくさんのお話を聞く機会が
多くあったことを思いだした。

(M.N)



上野公園から隅田川に

7日は、孫の入学式だった。
新しい環境で生活が始まるが、友達をいっぱいつくって
楽しい笑顔にあふれた6年間を過ごしてもらいたいと思う。

桜の満開が随分待たされた気がしたが
桜を満喫するため定番の上野公園に行くことにした。
江戸時代、中央園路に植えられた桜は千二百本。
白く、もやったかのような桜の長いトンネルは壮観だった。
が、風景に浸る場所ではなかった。あまりにも人が多すぎた。
昼から酔っている輩(やから)も多く、こちらは人に酔い
早々に退散してしまった。

ならばと、隅田川に鋏まれた月島・佃島周辺に場所を移した。
隅田川両岸に続く桜並木をゆっくりと歩いた。
木蓮や菜の花との競演が目に鮮やかで
立ち止まってため息をついては,また歩いた。

「春のうららの隅田川」で始まる「花」さながらに
引き船がのんびりと行き交う。
人影も多くなく、春を十分に堪能できた。

この界隈(かいわい)は高層のマンション群と
下町の面影が残る町並みが"同居"することで知られる。                           欧米を思わせる庭園に立つ群が未来会社なら
戦災を逃れた下町はノスタルジックな昭和の世界だ。
通り一本で未来と過去を行き来できる場所はそうあるまい。

そこで、未来から過去へ。軒先に盆栽が並ぶ路地裏
手こぎポンプ、古い旅館や銭湯・・・。
かってどこにもあり、今はない風景に溶け込んだ
神社のしだれ桜がまた見事だった。

(M.N)

扉を支える

四月は出会いの季節でもある。
職場や学校に、初々しい笑顔が並ぶ。
新しい人を迎える式典で、かって聞いた言葉を思い出した。

混雑した、例えば駅の通路や建物の入り口に、扉がある。
行き来が多いから、扉は順繰りで誰かが開けているはずだ。
このとき「進んで扉を支える人があって欲しい」。
そんな、わかりやすい内容だった。

考えてみれば、あれは一種の共同作業だ。
前の人が扉を押さえている。自分も次の何秒か
同じ役割を担う。面倒だからとすり抜ければ
扉は勢いをつけて閉まってゆく。
後の人に負担がかかる。

あの場で、立ち居ふるまいの美しさに触れることがある。
先を歩く人が、手を離す前に
「迷惑ではないですか」とばかりに振り返る。
乳母車を押す人やお年寄りはいないかと
さりげなく確かめる。そんな姿を見るとほっとする。

扉の話は応用範囲が広い。
人の世には、気づきにくい共同作業が多くある。
仲間と仕事を進めるため、自分が支えるべき扉を見つけられるか
すり抜けてしまうか。背後にいて見えない人の立場に
配慮できているか。

ささやかなことだが、世が他者への配慮に満ちていけば、
空気は明るくなるだろう。人と人のつながりを思ううちに
大きな過去や未来を考える機会もできよう。
新たに歩き出す人々に、手始めとして、
雑踏の中の扉を意識することを、お勧めしたい。

子供が、誕生したばかりの孫を乳母車に乗せて
買い物に行く姿を見ながら
私もあらためて扉を意識しなければいけない。

(M.N)

放鳥されたトキ

親戚の結婚式に出席したり
知人の子どもさんたちの結婚話を聞いていて
ほぼ共通する傾向がある。新婚旅行にまつわる内容だ。

新婦の方は独身時代、欧州や米国を中心に
何度も海外旅行の経験がある。片や新郎の方は
新婚旅行で始めて海を渡るというカップルが少なくない。
うなずかれる向きも多いのではないでしょうか。

好奇心が旺盛で、活動的な女性が増えてきたからといわれる。
新婚旅行の行き先は、必然的に外国慣れした
新婦の意向が反映されるようだ。
定番のハワイやグアムではなく
アフリカや中南米など日本からみると
まだ気軽に行ける所ではない地域が目立つ。

先日の新聞で、思わず苦笑しながら読んだ記事があった。
国の特別天然記念物トキに関するニュースである。
新潟県の佐渡島で昨年九月、野生復帰のため放鳥された
トキの消息が伝えられていた。

無事に確認されている八羽のうち
四羽の雌が海を越えて本州に渡ったことを環境省が確認した。
残る四羽の雄は佐渡島にとどまっている。
雌と雄の行動パターンが、はっきり分かれたことを意味する。

トキの間でも雌のほうが勇敢かつ行動的で
雄は腰が重たいのだろうか。
研究者による原因解明に期待がかかるが
いずれにしても女性、あるいは雌は強し、のようだ。
我が宅は、ずっと以前から女性強しだが。

(M.N)

吉祥寺駅

井の頭公園に向かう吉祥寺駅南口は「公園口」とも呼ばれる。
飲食店や雑貨屋が並ぶ小路を進み
やきとり屋からモクモクと立ち上がる煙をくぐると
小鳥のさえずりと人々の笑い声が聞こえてくる。

桜の花が見ごろを迎える前のこの時期にしては
普段より多くの人出で賑わっていた。                                       井の頭池の周囲に植えられた桜は約400本もあり
しだれ桜の枝は水面へせり出す。                                         南風が通り抜けると、花びらがヒラヒラと舞い
辺りをピンク色に染める。

ハート型の花びらを自分の手でつかもうと
子供たちが笑い声を上げて走り出す様は
ダンスを踊っているように見える。
数十分ほど列に並び、白鳥の姿をした足こぎボートに乗りこむ。

周囲の子供たちの笑いながらの声援を受け
必死にペダルを踏み、チャプチャプという音を間近に聞いて
満開前の桜の枝をくぐる。これだけのことがなんと楽しいことか。
春の与えたくれる至福のときだ。

冬を越え、桜が咲き誇り、そしてパッと散る。
一週間ほどの間に多くの事を教えられる。
寒の戻りもあるが、春は確実にやってくる。
我がマンションの前の桜並木?の満開もあと数日。
敷地内にあるしだれ桜も四月を迎えると満開。
日本経済も早く満開を迎えたいのだが。 

(M.N)


侍ジャパン優勝

日本野球が二大会連続で頂点を極めた。
宿敵韓国との決勝はまさに1点を争そう好試合だった。
延長十回、日本のイチローが放った2点適時打が
決勝点となり5-3で韓国を破った。
日本のナインが武士と化し、ひたむきに
「優勝」に向かった結果だった。

米国ロサンゼルスで国、地域別対抗戦第二回
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝が行われ
日本が優勝した。今大会の一次、二次ラウンドで
計四試合を戦い二勝二敗。
決着を付けるには最高の舞台となった。

日本が先制、先発の岩隈久志投手が韓国打線を
最小失点に抑え、手に汗を握る攻防が続いた。
九回の土壇場に同点に追い付かれたが
延長で決定的な2点を勝ち越し、最後はダルビッシュ投手が
締めくくって連覇を達成した。

投手の投球数制限もあり、やり繰りにも
知恵を絞らなければならない試合が続く中で
原監督率いる「侍ジャパン」の選手が個々の役割を果たした。
二次ラウンドではキューバを下し、準決勝では
メジャー軍団の米国を粉砕して決勝に進んだ。

大会を振り返ると九試合の中で負けたのは韓国との二試合。
韓国も日本に二敗を喫しただけで、まさに優劣を決するに
ふさわしい決戦となった。大砲のいない日本は
最後まで持ち味の、つなぐ野球に徹した。
                                                      
侍ジャパンは二月の合宿時から「連覇」を合言葉に
重圧を受けながらも黙々と試合に臨み勝利を重ねてきた姿は
武士の本分を貫いたと映る。
日本全員が自信を取り戻した瞬間だったと思う。
早速、家内と祝杯を交わした嬉しい一時だった。

(M.N)


原宿・新宿を散策

祝日の暖かさに誘われて原宿、新宿を散策してみた。
原宿は若者のファッションの情報発信地とも形容される。
個性的で前衛的な服装や髪型の若者で溢れ返っている。
しかし、山手線・原宿駅のホームに降り立つとき
最初に目にとまるのは、人の波ではなく深く濃い緑だった。

原宿は明治神宮と代々木公園に隣接している。
明治神宮は、全国からの献木で覆われ深い森で囲まれており
一方の代々木公園も桜や松など約3万本の樹木が茂る
公園である。この辺りは都心では屈指の緑地帯でもあるのだ。

晴れた日に喧騒(けんそう)を逃れて公園内を散策すると
木漏れ日の優しい光と、森の静けさに心が鎮まった。

新宿は新宿駅の出口により全く異なる顔を持つ街である。
東口を出ると、テレビ番組でなじみのある
「スタジオアルタ」が目に入り、家電量販店には
大勢の人が群がり、日本語のみならず英語、中国語
ハングル語も聞こえてくる。表通りには百貨店が軒を連ね
ファッショナブルに賑わうが、歩を奥へ進めると
そこには眠らない一大歓楽街が広がる。
新宿で一般的にイメージされる顔だろう。
 
一方、西口では都庁が天空に挑むように屹立(きつりつ)し
周辺には超高層ビルや一流ホテルが林立する。
ビジネス街の顔を見ようと、キョロキョロと上ばかり見て歩きがちだ。
首筋に疲れを感じて視線を落とすと、更にもう一つの顔が
見えてくる。近代的なビルのたもとには
路上生活者たちの段ボールハウスが驚くほど多い。
都心ほど現実が端的に浮かび上がるのだろうか。
年令のせいか何か疲れを覚えた。

(M.N)


明と暗の試練

天国と地獄といえば大げさだが、歓喜と悲哀
明と暗の瞬間は、人生に何度あるだろうか。
最初の関門は、入学試験の合格発表だろうか。
わが身を思い起こすと、ほろ苦さのほうが断然多いが
それだけに歓喜のあの時は忘れがたい。

今や合否発表は、学校のホームページ上で
公開されるようになった。携帯電話からも確認できるし
悲喜こもごもの受験生の姿もめっきり少なくなった。
合格発表の掲示板張り出しさえキャンパスから
次第に消えつつある。
発表風景が様変わりし、いささか寂しい。

ところで、「合否電報」花盛りの時代があった。
「サクラサク」は、試験合格を知らせる電文に使われた。
逆に「サクラチル」は不合格を伝える悲しい電文だった。
遠方の受験生に結果を打電したのだが
サークルなど先輩たち格好のにわかアルバイトでもあった。

電文にも各大学で、特徴がある。
長崎大では「マリア様ほほ笑む」があれば「マリア様の涙」。
そして「長崎の鐘鳴る」や「グラバーさん笑う」「長崎は雨だった」など。
秋田大では「ナマハゲカンゲイ」、高知大では 「クジラガツレタ」
鹿児島大では「サクラジマフハツ」など。                                     なんとも地方色たっぷりで、なかなか風流もあり懐かしい。

試練の時節も大詰めを迎えたようだ。
試験は選別であり、結果はかみしめるしかない。
順風漫帆の人生なんかありはしない。
甥から電文は「人生は長い」。逆に慰められた格好だ。
いずれにしても考え込んでいない
暢気な甥の性格に一安心した。

(M.N)

ディスカバリー打ち上げへ

「空は暗かったが、地球は青かった」。人類初の
有人宇宙飛行に挑んだ旧ソ連のユーリ・ガガーリン少佐の言葉だ。
1961年に"人間衛星”の「ボストーク1号」で
大気圏外を一周して帰還後、詩的に感動を語った。                                                                                     
漆黒の宇宙の闇に浮かび青く輝く地球の姿を
全世界に伝えてから半世紀近い。
ガガーリン少佐の飛行は一時間四八分にすぎなかったが
いまや有人宇宙活動は各国が共同で建設した
国際宇宙ステーション(ISS)での長期滞在にまで様変わりした。

延び延びだったスペースシャトル
「ディスカバリー」の打ち上げが成功した。
三度目の飛行となる若田光一さんも搭乗し
日本人で初めてISSでの約三カ月にも及ぶ長期任務に就かれる。

得意のロボットアーム操作技術を生かして
ISSの組み立てにも携われた。
今回は滞在人員を六人に倍増するための個室増設をはじめ
日本実験棟「きぼう」で無重力下の医学実験などを
行われる予定だそうだ。

連続宇宙滞在記録はロシアのワレリー・ポリャコフ
宇宙飛行士が達成した四百三十七日十八時間。
それには及ばないが
過去二回が出長なら単身赴任と言えようか。

長期滞在でこそより複雑な実験や作業にも取り組める。
だが、地上四百キロに浮かぶISS内での暮らしは
かなり過酷という。困難を克服して帰還時
若田さんは赴任先での体験をどんな言葉で表現されるのか
無事ご帰還を祈りながら楽しみに待っていたい。

(M.N)

春よ来い・早く来い

春に三日の晴れなし、と言うが
今年は、その印象がいつになく強い。
「春小雨、夏夕立に秋日照り」のことわざがあるように
小雨の煙る春は豊作と昔から言われてきた。

春の雨が植物に欠かせないのは
鉢植えなど見ていると良く分かる。冬の間
地上部を枯らしていた草花が雨を受けて次々に芽を出してくる。
「長い冬を無事越してくれたか」と草花を愛する人には
うれしいときである。

仏教で因縁生起(いんねんしょうき)を解説するのに
よく植物が持ち出される。種子という直接の”因;に
太陽や水といった間接的な”縁;が加わって初めて命が芽生え
成長するという例えだ。
暖かい雨と穏やかな太陽が頻繁に入れ替わる春は
その縁が出そろう季節なのだろう。

無論、中にはいっこうに芽を出さない鉢もある。
調べてみると、根の痕跡を黒くとどめて活死していたりする。
多くは水のやりすぎか逆にやらなさすぎであるようだ。

言うなれば過保護か放任。そのどちらもが
美しい花を咲かせるはずの植物をだめにする。
何だか子育てや教育に通じる話である。
それを思えば、たかが草っぱとおろそかにはできない。

「春の日と親類の金持ちはくれそうでくれん」という
ことわざもある。暮れると呉(く)れるを掛けたしゃれだ。
春雨も風流だが、うらうらと暮れそうで暮れぬ春日は
もっと粋か。春雨を繰り返しながら
爛漫の春がやってくる。
孫がベランダから「今日も雨か」と言いながら
退屈そうな姿を見ると「春よ来い・早く来い」と願いたい。

(M.N)

歴史的建造物2

日本郵政は、「かんぽの宿」売却に続いて
東京中央郵便局の建て替えも「待った」をかけられている。

JR東京駅前にある庁舎は1931年の完成。
当時のモダニズム建築を代表する建物で
日本建築学会などが保存を訴えていた。
再開発が決まった昨年六月時点で
問題にならなかったのが不思議に思う。
 
皮肉にも民営化前には、ビジネス街の一等地に
郵便集配の拠点があることを「資産の無駄遣い」と
批判されていた。
外観を一部残しながら高層ビルを建てる「一石二鳥」の計画が
「あぶはち取らず」に終わる可能性が出てきた。

幕末から終戦にかけて建築された近代化遺産である。
価値が認められても、保存は容易ではない。
全国でも同じような建造物が、まだまだ見受けられる。
保存の難しさは民間企業ならなおさらだ。

幸か不幸か日本郵政は全株式を政府が持つ「半民営化」状態だ。
「総務省や文化庁 などに二年にわたり説明し、了解を得てきた」
という日本郵政側の説明は総務相には通じそうにない。
早い解決を望みたい。

(M.N)

孫からの携帯電話

子どものころ、紙コップで糸電話を作って遊んだ。
糸は母親から絹糸をもらった。紙コップも手づくりだった。
声が糸の振動に変換されて「あすキャッチボールするぞ」が伝わる。
声(音)の実態が振動であることが分かるため
いい理科の教材だったと思う。

よく母親にも糸電話でおねだりをしたものだ。
今は携帯電話の時代だ。孫から「明日誕生日だよ」と携帯メール。
冷たい活字の”メールおねだり”は味気ない。
相手の感情が伝わらないから
学校裏サイトに個人を攻撃するような言葉が書き込まれるのだ。

授業中でもメールを打って、いじめにつながったり
自殺に追い込んだりする。たまりかね、文化省は
子供の携帯電話の学校持込を小中学校を対象に
原則禁止すると通知するようだ。

小中学校は、携帯電話のメールマナー、危険性を教える
情報モラル教育に取り組んでいるようだが
家庭との協力体制も必要だと思う。

塾通いなどでの事件の未然防止に、
発信地が分かる機能付きの携帯電話を持たせておけば
安心というのも一策だ。
学校に登校したら預けて、下校時に携帯させればよい。
学校と父兄が協力して適切な使い方のマニュアルを徹底することが
大事だと思う。糸電話のように”心の振動”を伝えたい。

(M.N)

2月よ強く

2月は弱者の月ではないでしょうか。
「逃げる」と言われるほど陰の薄い月ですが
実際に不遇をかこっており、ほかの月より短い
28日までしかないのです。

その理由は約2千年前の古代ローマ、かのユリウス・カエサル
(ジュリアス・シーザー)にさかのぼります。
彼は太陽暦を採用し、1年を365日、そのうち奇数月は31日
偶数月は30日と定めたとされます。

もちろんそのままでは1年が366日になる。
そこで帳尻合わせに使ったのが2月だ。
以前は春になり,農作業が始まる3月こそが年初で
年末の2月は日陰者扱いだった。
その習慣にのっとり、2月を1日削って29日とし
うるう年だけ30日にしたらしいのです。

その上ユリウスは、7月を自分にちなんだ名称に変えさせた。
後継者で初代ローマ皇帝のアウグストゥスは
権威を示したかったのか、それに対抗して、
8月に自分の名を付けただけでなく、7月と同じ31日にし
9月以降の日数を入れ替えた。

そうすると今度は1年が1日多くなってしまう。
昔からしわ寄せを受けるのが弱者に決まっている。
増えた分、再び2月が1日削られた。異説もあるが
かくして2月は28日となり現代に至ったといわれます。

その2月も明日1日となった。
通常国会の開会からは1カ月以上たったがこの間
何がどう進んだのだろう。景気対策の議論は滞り
弱者がしわ寄せを受けています。
ため息の尽きない弱者の月のようです。

立春から春分までを「光の春」と呼ぶそうです。
鈍色(にびいろ)の冬から日脚が日一日と伸びて
明るさも増しますがまだ春は浅い。
「春は名のみの風の寒さや」と
早春賦に歌われたとおりでですね。

(M.N)


昭和公園

立川市の国営昭和記念公園に行った。
百三十ヘクタールの広大な公園は
1977年に全面返還された米軍立川基地跡である。

それ以前は旧陸軍立川基地だった。
1937年に東京~ロンドン間を結んだ神風号も
立川基地から飛び立っている。戦後、米軍に接収され
基地拡張に反対する住民らが闘った
砂川事件の舞台ともなった。

日本に返還された後
大規模公園、広域防災基地として整備され、
その一角に昭和天皇記念館がある。
同公園は昭和天皇在位五〇年の記念事業の一環でも合った。

87年の昭和天皇の生涯。展示物を見ながら
昭和と言えば軍靴の音が高く響いたイメージが強いが
戦争が終わって四十年以上、わが国は
他国と直接戦火を交えることがなかったことを
あらためて気付かされた。

昭和天皇が崩御されてスタートした平成も20年が過ぎて
大正をはるかに越えた。
旧日本軍そして米軍と基地の歴史が刻み込まれた公園で
柔らかな日差しの中、若い母親が優しい眼差しを幼児に向けていた。
こんな暮らしこそ守るべきものだろう
そんなことも思う半日だった。

(M.N)

ランドセル

ランドセルといえば黒か赤しか浮かばないが
最近は色の種類が増えているのに驚いた。
売り場は青やピンクなどカラフルだ。

祖父母が孫と一緒にランドセルの
品定めをしている場面に出合った。
四月から小学校に入学するかわいい孫のためなら
財布のひもが緩もう。
背中に大きなランドセルを背負った
ピカピカの一年生を想像すると
買い物風景がほほえましい。

ランドセルの歴史は、明治時代に学習院で軍用の背のうを使い始め
背のうを意味するオランダ語のランセルがなまって
ランドセルになったそうだ。
全国に普及したのは戦後の1950年代以降とされる。

カラー化は進んだが、箱型に大きな変化はない。
新しいバッグなどが次々と生み出されているのに
祖父母の代から子、孫へと受け継がれている。
ランドセルは日本の学校文化を代表するといってもよさそうだ。

六年間使い続けると愛着がわき、思い出が詰まる。
不要になっても簡単に捨てられない。
プレゼントされたお孫さんの笑顔が愛くるしい。
健やかな成長を祈りたい。

(M.N)

大壁画

「芸術は爆発だ」。こんな言葉を残した画家の
故岡本太郎さんの記念館が東京都内のJR渋谷駅近くにある。
住居兼アトリエとして使われた場所だ。

展示物の中にはピカソと談笑する一枚の写真があった。
南仏のアトリエを訪ねた時に撮影されたものだそうだ。
岡本太郎さんが近代美術の頂点とたたえる
名画「ゲルニカ」をめぐり芸術論を交わしたと伝えられる。

それから十五年後の一九六八年、岡本太郎さんは
メキシコの実業家の依頼で「明日の神話」と題した壁画を作成した。
原爆投下の瞬間をモチーフした縦五・五メートル、
横三十メートルの大作だ。
戦争を告発するテーマ性などからゲルニカを意識されたのだろう。

作品は展示予定のホテルが倒産したため
完成直後に行方が分からなくなった。
それが五年前にメキシコ市郊外の倉庫から発見された。
日本に運び修復された壁画は,JR渋谷駅の連絡通路に
昨年十一月中旬に設置された。

一日約三十万人も行き交う雑踏の中
壁画の前で若者やサラリーマンらが立ち止まり
シャッターを押す姿を見た。
目を凝らすと炎の中から天井を目指して
躍動する生き物が描かれているのに気付いた。

人間は原爆の惨劇を乗り越え
必ず明るい未来を築くことができる。
岡本太郎さんが壁画に託した人類再生のメッセージである。
その願いが時空を越えて語り継がれて欲しいと思った。

(M.N)
 

市民レベルの宇宙開発

宇宙から温室効果ガスを観測する「いぶき」など
人工衛星八個を乗せた国産ロケットH2Aが先月23日
打ち上げられた。

今回の打ち上げでは、大阪の町工場が開発した
「まいど1号」など宇宙開発機構が公募した小型衛星6個も
軌道に投入された。H2Aは2001年の初打ち上げ以来
15回中14回の打ち上げに成功。
成功率も93パーセントとなり、欧米の水準に近づいたという。

何より、今回は中小企業や大学、高専が
手作りで開発した衛星も一緒に打ち上げられたのがうれしい。
日本の宇宙開発も、ようやく民間ベース、市民レベルで
携わる時代がやってきたようだ。

21世紀も10年が過ぎようとしている。
宇宙探査に市民レベルで参加していけるようになったとしたら
楽しい時代になったと思う。

(M.N)

浅間山噴火

群馬県と長野県にまたがる浅間山が噴火した。
テレビの映像では、火口から赤い炎が噴き上がった。
昨年八月のごく小規模以来という。
マグマのエネルギーがたまっているのだろう。
五年前の九月と十一月には中規模噴火があり
降灰で農作物などに被害が出た。

今回の噴火でも、五十センチを越える石が一キロ先まで飛ばされ
火山灰は季節風によって東京や横浜、千葉まで流されている。
今後も、半径四キロの範囲に大きな噴石が
飛ばされる可能性があるという。
気象庁は、小規模な噴火で小康状態になったと発表したが
まだまだ安心はできない。自然の力は圧倒的だ。

浅間山は活火山として昔から知られる。
気象庁のまとめでは、十人以上の犠牲者が出たのは
過去三回ある。1721年の十五人、83年の千百五十一人
1947年十一人だ。

以前に比べて、科学技術が進んできたのは心強い。
気象庁は今回、一日の午後に噴火が差し迫っているとして
警戒レベルを火口周辺規制のレベル2から
入山規制のレベル3に引き上げた。
約十三時間後に的中した。

地震計や衛星利用測位システムなどを使った
監視体制のたまもの。天気予報も正確さを増している。
精度が高ければ、一瞬を争う時に時に威力を発揮する。
今後起きると予想される地震でも
こうした科学技術の恩恵を是非受けたい。

(M.N)

大相撲初場所

「帰ってきました」。大相撲初場所の
優勝インタビューで誇らしげに語った朝青龍。
全勝優勝こそ逃したが、確かに今場所は
憎らしいほど強い横綱が土俵に帰ってきた。

大相撲の世界では時々「鬼」が姿を表す。
古くは、体は小さいが猛げいこで鍛えた
大きな投げ技で魅了した元横綱の初代若乃花が
「土俵の鬼」と呼ばれた。

その甥にあたる貴乃花は、ひざをひどく痛めて
相撲などとてもと思われた横綱同士の優勝決定戦で
武蔵丸を投げ飛ばした。
勝った瞬間の顔のクローズアップ写真は、「鬼の形相」に見えた。

初場所の土俵で、こんどは朝青龍に「鬼の形相」を見た。
三場所連続で休場し、けいこ量も体調も不十分なままに迎えた初日
立ち合い直前の表情には、鬼気迫るものがあった。

今場所の入場者数やテレビ視聴率が上がったのは
朝青龍効果が大きかったことはだれもが認める。
横綱が白鵬だけの一枚看板では、
相撲人気の盛り上がりが少し寂しい。
二横綱が競い合って人気を支えていることを照明したのが今場所だ。

白鵬時代の到来かと見られていた大相撲は
両横綱がしのぎを削る展開が続きそうだ。
さらに若手の有望力士も実力を付けている。
国技・大相撲は来場所以降もおもしろい。
そんな予感が膨らんだ初場所だった。
願いは、モンゴルの二横綱に「鬼の形相」で立ち向かう
日本人力士が早く出て欲しい。


(M.N)

バラク・オバマ新米大統領就任

バラク・オバマ第四十四代米大統領が就任
世界が注目した演説が行われた。
米国発の金融危機が世界経済に急激な悪化をもたらす中で
まずは経済危機の克服、金融、産業、雇用の再生を求められている。
外交ではイラク、アフガニスタン戦略の見直しがある。

一七七六年の建国以来初の黒人大統領は”米国の再生”という
大きな使命と全米からの期待を背負っての出発となった。
「イエス・ウィー・キャン(やればできる)」を揚げ
「チェンジ(変革)」の実現を訴え選挙を戦った大統領でもあるだけに
米国内はもとより世界にどのようなメッセージを発するか
注目を集めるのは必然であった。

米国の現況を見直し、「再生が必要だ」とした上で
「どれほどのことを政府が実行しなければならないかは
米国民の信念と決意が決める」と
国民一丸となった取り組みを強く求めた。

印象的なのは「われわれ」をたくさん使い
強い米国を一人ひとりの力、結束で改めて構築し
世界のリーダーとしての役割を果たしていこうと鼓舞したこと。
厳しい今の時代に耐え、失いつつある自信を取り戻して
強い米国を復活させようと訴えた。

「君の力が必要だ」と言うその姿は自信に満ちあふれ
もうきれい事の羅列では立ち行かない時代を象徴する演説だ。

(M.N)

旅客機不時着

米ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着し
乗客と乗員は全員無事だった。
まさに「ハドソンの奇跡」だ。
ベテラン機長の冷静沈着な判断と操縦がすばらしかったうえ
好条件がいくつも重なった。
ハドソン川の河口近くは道路が地下を走っており
これも橋だったら危なかった。
条件の一つでも欠けていたら、と思うとゾットする。

ハドソン川では機体が少しずつ沈みながら流されていった。
川面に浮いた主翼の上で救助を待つ乗客たちが
次々に救助ボートに乗り移っていく。
水際立った救助劇は感動的だった。

航空機事故は大量の犠牲者を出し
いつも遺族の号泣に包まれるからだろう。
ニューヨークの川面での喜びの声が胸を打った。
かけがえのない命の素晴らしさを教えてくれた。

あの世界貿易センタービルがあった場所に近い。
旅客機が低空を飛ぶのを見て、テロの悲劇を思い出した。
エンジンに鳥を吸い込んだのが原因のようだが
小さな鳥がこんな危険につながる。
あらためて不安に駆られる。

国内でも鳥と航空機の衝突は年間一千件余り起こるそうだ。
定期便の欠航や遅れはたびたびだ。
鳥に罪はないにしても頭痛の種だ。
よく利用される羽田空港も鳥が多いことで知られており
万全の対策を願わずにはいられない。

(M.N)

丑年に因んで

頂いた年賀状は、干支(えと)の牛が
いろんな表情を見せてくれる。
闘牛のように、角を激しくぶつけ合う絵がある。
新年は全力で難題にぶつかろう。そんな意気込みが伝わる。
ごろりと寝ころんだユーモアたっぷりのイラスト牛もあった。
今年もマイペースでという思いだろうか。 
                                   
闘牛型か、牛歩型か。
それぞれに新年の抱負があるだろう。
見ての通り「牛」の字は、牛の顔正面の象形だ。
浅学非才の身で「うし年」の「丑」を調べました。                                 手の指を曲げてモノを握っている様子
絡んでいる状態を表す象形文字の由来だそうです。

転じて、種子の中で芽が伸びるのを待っている
「胎動(たいどう)」さらに、一つのことが終わり
新しいことが始まる「転換」の象微との見方もあるようで
大いに期待したいところです。

分かりやすくするため、「丑」を「牛」にしたそうです。
牛にまつわることわざ、例えば「牛の歩み(歩みが遅い)」
「暗がりの牛(なんとなく印象が薄い)」
「牛の一散(むやみに走りだす)」と芳しくない。

一方、「牛のよだれ(細く長く、コツコツと続ける)」
「牛の歩みも千里(努力を怠らなければ成果が挙がる)」
など、努力をたたえるものがあります。
「牛にひかれて善光寺参り」も有名です。
思いかけず新地平に導かれると解釈しています。

神事ではおとなしく命をささげる。
役牛として田畑を耕し、食肉や皮革になって、生活をたたえる。
人間はどれだけお世話になってきたことか。なのに最近は
地球温暖化で牛のげっぷまでが悪者扱いされる。
人の身勝手が情けない。

(M.N)

新しい年

新年おめでとうございます。
二〇〇九年の始まりです。
昨年はアメリカに端を発した大不況が襲来
先が全く見えない、つらい、暗い年でした。

三が日の朝は冷え込みました。
本当の寒さはこれからでしょうが、日照時間は少しずつ延びています。
年が改まるとすべての魂が生まれ変わる。
日本人は昔からそう考えてきたそうです。
新しい魂を持って来るのが歳神「としがみ」で
正月にはみんな一つ歳をとった。
地球は太陽の周りを一年かけて一周する。                                   出発点に戻って再び一年が始まった。
昔の人が新たな魂が始まる
と考えたのもあながち的外れではないようです。

二、三日は箱根駅伝をテレビで楽しみました。
東京~箱根折り返しの長丁場。
雪を頂いた富士山や太平洋をバックに展開されるレースは
すがすがしくて新春にふさわしい。
一九二〇(大正九)年に始まった大会も八十五回。

今年は往路五区の山上り、東洋大一年生の柏原竜二選手が
約五分差をひっくり返した。まさかのドラマを演じた。
新人が飛び出すこともある。レースはどうなるか分からない。
歯を食いしばって力走する選手。
快走する選手もいれば、不調に泣く選手もいる。
復路も制した東洋大が初の総合優勝を飾ったが
レースはまるで人生のように思われた。

「さあ、頑張ろう」。今年は丑年。
歩みは遅くとも地道で粘り強い。
一歩、一歩粘って、しっかりとたすきをつなぎたい。

(M.N)
       

良いお年を

日本には四季があります。
先人たちは季節の移り変わりを大切にしながら
年中行事やしきたりを考え
さまざまな生活文化を生み出してきました。
長い歴史の中で培われてきた知恵と伝統は
今でも私たちの生活の中に息づいています。

先人が残してくれた年中行事やしきたりにも
今一度しっかりと向き合い、残すべきものはきちんと
伝えていくことが大切だと思います。

今年もあと数日間。
子(ね)年の今年はサブプライムローンに端を発した金融不況が
世界を揺るがしていますが、来年の丑(うし)年は
いかがあいなりましょうか。

牛とのつきあいは長い。旧石器時代のスペイン
アルタミラ洞窟に描かれているバイソンでもわかります。
人は牛から多くの恵みを受けてきたため
世界各地で牛を神聖視ししてきたようです。

暖かい今年の冬でしたが連日、景気後退の嵐が吹き荒れ
経済の”冷え込み”は底なしの状態です。
冬の厳しさもいよいよこれからが本番。
インフルエンザの流行も早まっているそうです。
寒さや風邪を防ぐのも
家や団欒(だんらん)のぬくもりがあってこそだと思いますが。

本年のご愛読ありがとうございました。
市川社長のお力添え感謝しております。
来年は、まだまだ見聞を深く、広くして
岡目八目を発揮したく存じます。
皆さん、良いお年をお迎えください。

(M.N)

ラグビーの季節

1823年、イングランドのラグビー校でフットボールの試合中に
ウィリアム・エリスという少年がボールを持って走り出した。
これがラグビーの起源とされています。

ラグビーファン待望の季節がやって来た。
年末年始にかけて、高校から社会人まで全国大会がめじろ押しだ。
体を張ったプレーは見る者の血を熱くします。

肉弾戦の圧力はすざましい。
体重100キロ前後の選手が正面からぶつかり合う。
雨が降ろうが雪が積もろうがお構いなし
けがによる流血も日常茶飯事。
脳振とうを起こし,一時記憶を失いながらプレーを続けたという
武勇談も結構あります。楕(だ)円のボールもドラマを生みます。
総勢30人の大男がどこに転がるか予測不能のボールを
追いかけて回る光景はユーモラスでもあります。
運不運が勝負を左右することもある面白さ。

ただ、同じ競技の野球、サッカーなどと比べて
人気は今ひとつのようです。
競技人口はなかなか増えずテレビ放送も少ない。
海外との実力の差も縮まらない。
先日、欧州遠征した日本代表は3戦全敗。                                    残念でした。

ラグビーの真髄はフェアプレーの精神にあります。
危険が大きいこともあり、審判の判定には絶対服従。
試合が終われば「ノーサイド」。敵味方が健闘をたたえ合う。
大阪・花園で全国高校大会が開催する。
グランドを縦横に走り回る若者に声援を送りたい。 
フェアプレーの意義もかみしめたい。 

(M.N)

今年の漢字

今年も残すところ半月となった。
郵便局では年賀状の受付も始まり、まさに年の瀬。
一年を振り返るときが近づいてきた。

毎年この時期、楽しみにしている「今年の漢字」。
日本漢字能力検定協会が発表している
世相を表す一文字の漢字だが、「変」だった。

首相の交代劇、変革がキーワードになった米大統領選
世界経済の大変動など変化が激しかった
この一年。来年をいい年に「変えたい」という気持ちも込められた。

米国に端を発し、世界に広がった不況の波。
戸惑うほど劇的に世界を変えている。それは、私たち
庶民の生活をも直撃した。大きな変化だ。

一気に閉塞感に覆われてしまったこの一年。
頭によぎるのは度重なる無差別殺傷など凶悪な事件
年金にかかわる不祥事など暗い影ばかりだった。

こうなると来年こそは明るく変えたいと願うのは皆同じ。
自分たちの暮らす地域、地球全体、そして命を本当に大切にできるか。
人の心が変わらなければ、きっと何も変わらない。

(M.N)

ノーベル賞受賞

暗い話題が続く中
今年のノーベル賞授賞式は年末の明るいニュースだった。
物理学賞の南部陽一郎さんは
奥方の体調を気遣って欠席となったが
益川敏英さん、小林誠さん、化学賞の下村修さんが
日本語による想定外の祝福も受けられた。

「資産を確実なる有価証券に換え、それをもって基金を設定し
前年度において人類に最も大いなる貢献をなしたる人に
賞金を分配すること」。1896年12月10日、63歳で亡くなった
アルフレッド・ノーベルの遺言書である。

土木工事や鉱業に威力を発揮する
ダイナマイトを発明したノーベルは巨万の富を得た。
ヨーロッパ屈指の富豪となったが、この文明の利器が
人類の生存を脅(おど)かす凶器にもなることに悩み続けた。
生涯独身だったというノーベルは手にした財産を
人類の幸福のために使いたいと考えた。

ノーベルの遺志によって莫大な遺産が生まれ故郷の
スウェーデン王位科学アカデミーに寄付され定款が決まったのは
ノーベルが亡くなって4年後、1900年12月31日。
第1回授賞式は翌1901年で、20世紀の到来とともに
ノーベル賞授与が始まったのである。

108年に及ぶノーベル賞の歴史の中で日本人が4人も受賞し
3人が壇上に並び日本語で称えられたのは初めてのことだ。
物理学賞の3人は湯川秀樹博士(1949受賞)以来の
素粒子論の伝統を引き継ぎ、発展させた。
下村さんはクラゲから緑色蛍光タンパク質を発見。
それが生物現象を可視化する道具として
世界中の基礎医学・生物学実験で活用されている。

年齢も研究の場所も異なるが
4人とも戦後の日本で研究者として歩み始め
そしてたどり着いた”世界最高の栄誉”。
紛れもなく人類の幸福に貢献する大いなる業績であった。

(M.N)

自動車の開発

四十数年も前は、何でも右肩上がりで
高度成長路線を突っ走っていた時代だった。
脇目も振らず働いていた大人たちが頼もしく見えたものだ。
自動車が経済発展とともに
急速に普及し始めたころだろう。

当時、話題を呼んだ歌に小林旭さんの歌った
「自動車ショー歌」がある。車種とメーカーを歌詞に
駄じゃれ的に盛り込んだ歌で、自動車の時代を予感させた。

自動車業界に今、そんな熱気はない。
代わって金融危機と販売不振という名の
百年に一度の「逆風」が吹く。
ゼネラル・モーターズ(GM)、クライスラー、フォードの
米国「ビッグスリー」の経営危機が、連日報道されている。

首都圏では、、車を手放し、複数の人間で共同利用する
「カーシェアリング」が受けているという。
脱石油、ガソリン価格上昇の影響だろう。
メーカー自身も、これからは環境対応や超低燃費といった
新しいタイプの車の開発を迫られる。

(M.N)

流行語

この一年の世相を振り返る
恒例の「ユーキャン新語・流行語大賞」。
そのトップテンを眺めながら
流れ行く言葉の早さを感じてしまう。

人、世代で評価もさまざまだろうが
正直、年間大賞「アラフォー」の意味が分からず                                 今回初めて「四十歳前後の女性」と知った。
同じく大賞の「グ~!」や審査員特別賞の
「上野の413球」が、いずれも女性がらみなのも
今年の特徴だろうか。

「後期高齢者」や「埋蔵金」「名ばかり管理職」など
政治や厳しい社会情勢が発信源になっている。

ちなみに昨年は、「どげんかせんとかい」「食品偽装」
「年金」「そんなの関係ねぇ」などが並んでいたが
今も尾を引くものもある。

今回の異色作は
福田前首相の「あなたとは違うんです」だろうか。
当の福田さんは「誠に光栄」としながらも
「花深く咲く処(ところ)、行跡なし」の言葉を添えて
受賞は辞退されたそうだ。

(M.N)

大関誕生

大相撲九州場所で準優勝した安馬が大関昇進を機に
しこ名を「日馬富士(はるまふじ)」と改めた。
「日」は太陽を意味し、「馬」は安馬から継いだ。
馬は母国モンゴルでは縁起がいいとされる。
「富士」は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)からもらった。
師弟で考えたしこ名に込めた思いという。

入門時、86キロだった体重は129キロに増えたが
それでも幕内では最軽量だ。
巨漢力士と小兵(こひょう)力士の取り組みがあり
必ずしも巨漢が勝つとは限らないのが
大相撲の魅力でもある。九州場所の安馬がそうだった。
くいついたら離れず、速攻で土俵際まで追い詰める。
最後は力尽きたが、白鵬との優勝決定戦は
テレビ桟敷から見ていたが久しぶりに力が入った。

相撲協会の使者への口上も「全身全霊で」と
分かりやすくすがすがしかった。
師弟の絆で、名の通りもう一つ上の大輪の花を
咲かせてもらいたい。そして太陽のような角界を照らしてほしい。

それにしてもモンゴル勢の強さには驚く。
一方で、日本勢からなぜ横綱が生まれないのか。
校庭や空き地に輪をかいて、相撲をとるのが
子どもたちの遊びだったかっての風景が消えて久しい。
日本人力士の奮起を願いたいと思うのだが。

(M.N)

心の安らぎを覚えた商店街

チェーンがのびてすぐ外れるようになった
孫の自転車を修理してもらうため
近所の自転車店に行った。以前、別の店で
「幼児用は修理するより買ったほうが安上がり」
といわれたことがあったが
今回は気持ちよく引き受けてもらった。
 
チェーンに合わせて後輪の位置を調整。
利かなくなっていた前ブレーキも直してもらった。
その手際のよさ。
修理の様子をじっと見ていた孫は「すごい」と。
こういう体験こそ大事だ。
子どもの生き生きとした表情を見ながら,主人に感謝した。

(M.N)

心あたたまる商店街

近ごろ、こんなにうれしいせりふはめったに聞けるもんじゃない。
街の時計屋さんの一言にしびれた。
それも初めて入った店でのことだ。

愛用していた腕時計が止まってしまった。
電池を交換してもらおうと商店街を歩き
看板を見つけて飛び込んだ。調べてもらうと
内部のムーブメント(駆動装置)が壊れているため
電池を換えても動かないという。

どうせ安物。あきらめて帰ろうとしたとき
主人がさらりと言った。
「もし思い出の時計ならば、外側はそのままに、
ムーブメントだけ取り換えてさしあげますが・・・」。
あくまで控えめな口調は変わらない。

だれの時計でも、その人だけの固有の時を刻んでいる。
その中には、いつまでも大切にしておきたい時間もある。
主人の言葉は、客とともに人生を歩んできた時計に対する
心憎い配慮だった。

総務省の調査では、自主営業の数が、
今年54年ぶりに500万を割る見通しだという。
売り上げ不振や後継者難に悩む卸売り・小売業の減少幅が
最も大きい。「顔」でもあった商店街は危機的な状態だ。

しかし、この店のような接遇に
元気を出すヒントがあるのではないか。
「内部のムーブメント」をもう一度見直してほしい。コチコチと
商店街の歴史を刻んできた時計が止まる姿は見たくない。 

(M.N)

湯タンポ

「子供の頃の夜の記憶につきものなのは、湯タンポの匂いである」
冬になると風邪をひきやすくなるため、風呂は一晩おきで
その代わりに湯タンポを寝床に入れてもらえたと
作家の向田邦子さんは『子供たちの夜』でつづっている。

母がヤカンからお湯を注ぎ、口金を締めて
古くなった湯上げタオルで包み
火傷をしないよう丁寧に紐でゆわえた。
翌朝までホカホカと暖かく
そのお湯で顔を洗ったことなどを思い出す。

ショッピングセンターやホームセンターで
湯タンポが売れているようだ。
灯油価格、電気やガスの料金の値上げで、暖房費節約のため
今冬は湯タンポ使用者が増えているそうだ。
景気の先行きが不透明な中
冬支度を前に消費者は節約の知恵を絞っている。

幼いころ、冷たい寝床に入ったら足先に湯タンポがあった。
母の愛情を感じた。
今冬はそんな思い出を孫に話しながら
思い出をつくってやりたい。

(M.N)

手帳の価値

書店や文具店の手帳コナーが
そろそろ気になるころになった。
一口に手帳といっても家計簿付きや日記の書けるもの
有名人の監修したものなど実に多彩だ。

子(ね)年も残り一ヵ月半。
丑(うし)年に引き継ぐ前に今年はどんな一年だったのか
と振り返る機会が増える。
これも新しい手帳や暦を早く飾る効用か。

日本で本格的に手帳が作られたのは
明治政府が末尾に関連法規などを付けた
官用のものが始まりだそうだ。
今では社会の必需品な存在へと普及し
スケージュルの管理以外にも幅広く利用されている。

手帳の価値は、いかに工夫して使いこなせるかだと
痛感させられる。
特に手書きの場合は記憶力を高め、
すぐに情報として活用できるなどの強みがある。

ビジネスの世界に限ったことではない。
個々の生活を楽しく意義あるものにするためにも、
一層工夫をこらして手帳の付加価値を高めていきたい。

(M.N)

漢字一字

壁のカレンダーも残り二枚となり、時の早さをあらためて感じる。
日本漢字能力検定協会は
十二月十二日を「いい字一字」と語呂合わせし
「漢字の日」と定めた。
そして一九九五年から毎年
その年の世相を表す漢字一字を募集している。
 
これまでに選ばれた漢字を一回目から挙げると
「震」「食」「倒」「毒」「末」「金」「戦」「帰」「虎」「災」「愛」「命」、
そして昨年が「偽」。選考理由を読みながら
「ああ、そんな出来事があったな」と記憶がよみがえる。
同時に、地震や食の安全、倒産、偽装表示など
今年起きたさまざまな出来事が一字一字にあてはまることに
気付かされる。

最も公募が多かった一字は
来月一二日の「漢字の日」に発表される。
京都市の清水寺で揮毫(きごう)される。
街を歩けばまだ晩秋とはいえ
年賀状の発売やクリスマスツリーなど、
確実に年の瀬が近づいてきているのを実感する。

ここ数日急に冷え込んできた。
寒暖の差で風邪を引かぬよう、そして滑り込みでもいいから、
明るい「今年の文字」候補を加えられるような
何かが起きることを期待しつつ、残り二ヶ月を乗り切りたい。

(M.N)


大相撲独特の習慣

一九三九年春場所四日目に、不世出といわれた
横綱双葉山の連勝が六十九連勝で止まった瞬間
両国国技館は大歓声で震えたという。
座布団に交じって、火鉢までが宙を舞ったという逸話がある。

座布団投げは大相撲独特の習慣で、始まりは江戸時代そうだ。
ひいきの力士が勝って花道を引き上げる際に
観客が羽織を投げこんだことに端を発し、形を変えて続いているらしい。

この習慣が九日に始まる九州場所で姿を消すという。
よいうより、土俵に投げ込みにくい形に変えるそうだ。
四人用の枡席に敷かれる一人一枚だった座布団は
長方形の二人用二枚とし、これらをひもでつなげるアイデアのようだ。

座布団投げでけが人が出たという記録はないが
ただ危険はかねて指摘されてきた。
「事故が起きる前に手を打った」ということなのだろう。

座布団投げには本来、番狂わせを演じた力士を
称賛する意味が込められていた。だが、最近はやや様子が違う。
ふがいない取組へのブーイングからか
負けた横綱にも向けられる光景を目にする。

連勝が止まった夜、双葉山が恩師に
「未だ木鶏たり得ず」と打電したのは有名な話だ。
木鶏は泰然とした最強の闘鶏をいう。
待ったなしの土俵正常化に向けて
相撲界も木鶏たる気構えを見せて欲しいと願うファンの一人だ。

(M.N)

伝家の宝刀

11月になると、今まで気持ち良いと思っていた早朝の大気が
ひんやりと冷たい感じになってくる。
         
 「伝家の宝刀」とは、家に代々伝わる名刀を指す。同じものは二つとない。
総理大臣も家長とする日本国代々の政権に伝えられる「衆院解散権」も
伝家の宝刀と呼ぶにふさわしい。

名刀には刀銘があるが、解散権の場合は
使用されたときの状況に応じて命名される。
小泉政権での「郵政解散」や森政権での「神の国解散」は記憶に新しい。
さかのぼれば「死んだふり解散」「天の声解散」などもあった。

戦後間もない時代の吉田政権はいろいろ見せてくれた。
「なれ合い解散」に始まり「抜き打ち解散」「バカヤロー解散」と続いた。
説明しなくても解散時の雰囲気が分かるのは、命名の妙だろう。

政界の伝家の宝刀を抜けるのは首相だけとされる。
そういうことにされてきた。抜き方が難しい。
抜きすぎると威光が薄れる。抜かなすぎるとさびつく。
抜くために政権を担ったと思われた麻生総理は抜きそうで抜かない。
党利党略でなく国民を思うがゆえの熱慮なのだろう。

(M.N)

高橋選手引退

声援に包まれて疾走する人も幸せなら
その人が連れて来たさわやかな風に包まれて感動に酔いしれる
日本中の人々もまた幸せだった。
2000年のシドニー五輪女子マラソンで
高橋尚子選手が日本陸上女子初の金メダルを獲得した日のことは
今も鮮やかに思い出される。

オーストラリアの青い空から強い日差しが降り注ぐ街道を
力走する高橋選手は35キロ手前で突然、サングラスを投げ捨て
一気にラストスパートを掛けた。
競技場一番乗りでテープを切った途端
それまでの厳しい表情が満面笑みのQちゃんスマイルに変わり
表彰式ではちゃめっ気たっぷりに金メダルをかじって見せてくれた。
 
8年前のプロ野球日本シリーズ第1戦。
長嶋、王両監督が激突する夢の「ON対決」として騒がれた試合で、
始球式に立ったのが高橋選手だった。
ボールは一塁側に大きくそれたが、これもご愛嬌。
スタンドは沸きに沸いた。
このころが高橋選手の絶頂期だったかもしれない。

豊かな表情を見せる高橋選手は人々を魅了し
勝ち負けにかかわらず、ひたむきに走るその姿が感動を呼んだ。
栄光の後にいばらの道が待っていた。
相次ぐ故障、アテネ、北京と2度の五輪代表落ち。
金メダリストには辛い日々だったに違いないが
それでもQちゃんスマイルは絶やさなかった。
得意のときも失意のときも、人々に、さわやかな風を送り続けた。
 
引退会見で「完全燃焼できたかな。陸上人生に悔いはない」
と笑顔を見せた。まだ若い。これからも、さわやかな風を
まといながら、人生というマラソンを駆け続けてください。

それにしても今年はスポーツ選手の引退が目立つ。
プロ野球だけ見ても桑田真澄投手、清原和博内野手,王選手
がユニホームを脱いだ。大リーグの野茂秀雄投手も。
偶然であれ、一つの節目なのだろうか。

(M.N)

雑誌の休刊

昭和30年ごろは、本屋さんが宅配して回っていた。
私が下宿していた大家さん宅でも歌と映画の娯楽雑誌「平凡」や
「主婦の友」をとっていて、ご家族が毎月
楽しく読んでられたのを思い出す。

両誌とも今はもうない。「平凡は」20年ほど前に終刊。
90年余続いた「主婦の友」は今年6月号が最後となった。
このところ月刊誌の休刊が目立つ。

雑誌の浮き沈みは時代の変化と重なる。
家計簿など付録が人気だった生活実用誌「主婦の友」
は主婦という言葉を社会に定着させた。
高度経済成長期の象徴ともなった「専業主婦」が広まるとともに
同誌も急成長した。

しかし、男女雇用機会均等法が施行された昭和61年ごろから
流れが大きく変わった。専業主婦から働く女性へ、昭和から平成へ。
様変わりした女性のニーズをつかみきれないまま
読者激減の道をたどっている。

相次ぐ休刊の原因は部数と広告収入のダウンだそうだ。
その背景にはインターネットの普及や活字離れがあるそうだ。
情報入手の手軽さ、スピードは雑誌よりネットがはるかに上。
かみ砕くのが難しい硬い雑誌などは敬遠される。
それにしても活字で育ってきた私にはさびしさを感じる。

本は、楽しみを与えてくれる。
自分の世界を広げてくれる。
それだけでなく、心の危機を乗り越える手立てにもなる。
まさに「活力の底力」といえようか。
今日から読書週間。
明日にでも、ちょっと近所の書店に寄ってみよう。
熱にうなされるほど夢中になる本との出会いは、楽しい。
近頃、物忘れが進むこの頭に、活を入れることにもなるはずだ。

(M.N)

頑張れ太郎君

大阪・道頓堀で太鼓をたたき続けていた「くいだおれ太郎」が
有料でイベントやCMに出演するようになったそうだ。
売却もうわさされていた。

太郎君は、食堂「大阪名物くいだおれ」の看板人形だった。
太郎君を擬人化したマガジンハウス刊の「くいだおれ太郎のつぶやき」
によれば、1950年から店頭で働きはじめ
今年7月8日をもって閉店とともに退職した。

現役の間には、関西空港開港時にオーストラリアへ旅をし話題になった。
大阪万博会場に出張し、国体の開会式に出席するなど
通天閣とともに大阪のシンボルといわれるほど全国的に知られた。

それなのに、食堂「くいだおれ」が閉店したのは
道頓堀がすっかり様変わりしたからだ。
芝居や演芸などの小屋が次々とたたまれ、洋食や和定食、居酒屋など
何でもそろっているような食堂は時代から取り残された。

全国的なチェーン店の進出によって
地元で長年営んできた個人経営の飲食店が姿を消している。
各地でも、同じような看板が目立つ。極端に言えば
地域固有の文化が大手資本に席巻されているようで、大変寂しい。

第二の人生を、タレントを目指す太郎君に大阪らしさを守るために
「がんばってや」とエールを送りたくなる。

(M.N)

株価

秋が深まると冬の予兆を感じるせいか
気分が沈みがちになる。
投資家にもそんな心理が働くのだろうか。
世界的な金融危機はこの時期に多い。
1929年10月の世界恐怖。
ニューヨーク市場の株価が暴落したブラックマンデーも、
987年の10月だった。そして今回である。

ここ十日余り、地球が一回転する度に
世界各地の株価はジェットコースターのように急降下している。
市場に立ちこめる霧が薄らいだのは
七ヵ国の財務省と中央銀行総裁による会議(G7)が打ち出した
危機対策のおかげだろう。「断固とした行動をとる」と
金融機関への資本注入をうたった。
各国が一致団結した異例の動きは
市場にかなりの好印象を与えたようだ。

パニックはいったん収まったかに思えたが
市場を覆っていた霧は、完全に消えたわけではない。
秋の変わりやすい天候のように
株価の乱高下はまだまだ続いている。

今後の経済の天気図はどうなっていくのか。
カギを握るのは米国だ。具体的な対策をどこまで実行していくか。
からっと晴れた青空になるのは、いつになるのか心配だ。

(M.N)

社会現象

ブームという社会現象。
先日、近くのスパーをのぞいてみたら、やはり無かった。
数ある果物の中でも、安さにおいて優等生のバナナ。
売れ行きが好調で、品薄状態になっているという。

人気の理由はダイエット効果。
朝食をバナナと水だけにすることでやせられるというものだが
気軽に挑戦できるのがミソ。本やネットに加え
テレビ番組に取り上げられたことで一気に広まったものらしい。

今ほど横並び意識の強い時代はないのではないか。
ファッションでも食べ物でも
テレビや雑誌で「隠れた人気」とでも紹介されれば
われもわれもと競い合うように着て食べる。
街に出て自分と同じような服装の人を見ては安どし
行列のできる店では順番が来るのをひたすら待ち続ける。

一億総健康時代ともいわれる現代は
ダイエットという言葉に誰もが敏感になっているようだ。
減量に結びつく情報に,ちょっとした実績でもあれば
一斉にその方法を実践する。みんながやるなら、
自分もやらなきゃという横並び意識が働いているのかもしれない。

バナナはカリウム成分が多く含まれているなど
栄養値が高いことは知られている。
適度に食べれば健康にいいことは確かだろう。
ばななを食べてやせるという手軽さも受けている。考えてみれば
食べてやせるほど楽なことはないが、そんなにうまい話があるのかとも思う。
大事なのは、やはり適度な運動や栄養バランスのとれた食事ではないか。
専門家も、そう指摘している。
健康なダイエットに近道はないということだろう。

過去にも納豆など多くの食品がダイエット食として人気を集め
いつしかブームは去った。いずれ第2、第3の”バナナ”が登場するのだろう。
誰もが横に並ばないと不安な時代なのかもしれない。

秋たけなわ。まさに「天高く馬肥ゆる」の候となった。
健康のためにも食欲の秋と上手に付き合いたい。
ちょうど、家内が買い物から帰ってきた。バナナが袋から顔を出している。

(M。N)

建物の記憶

建物の記憶、ということがあります。
建物自体が持つ歴史、という意味でもあるのだが
そんなことを思ったのは
東京・歌舞伎町の新宿コマ劇場が閉館するという
記事を読んだ時だ。

ひと昔ほど前だが、好きな演歌歌手の公演に行っては
独特の雰囲気に浸ったものだ。
演歌の殿堂とも呼ばれた「新宿コマ」は
コマのように回る円形舞台から名付けられたそうだ。

新宿コマの最多座長公演を誇る歌手の北島三郎さんは
新宿コマについて「いすも壁も何年もたつと
音楽を理解するようになる」と語られていた。
新宿コマへの最高のはなむけの言葉と思った。
 
幼少のころ住んでいた木造家屋は、戦災で全焼したが
今でも繊細に覚えている。
こどもながらに愛着があったのだろう。

国会議事堂は今年が起工八十八年
人間なら米寿も過ぎたという年である。
第九十二代首相を筆頭にこのところの閣僚、国会議員に
二世,三世が多い。建物の記憶という点では
彼らにとって国会議事堂は、わが家ということなのだろうか。

ジェクト株式会社も、伝統ある建設会社だ。
数多くの記憶に残る建築物を施工されたと聞く。
愛情込められた建造物を思い浮かべていられていることと思う。

(M.N)



 

天下分け目の合戦

天下分け目の合戦といえば「関ケ原の戦い」がまず浮かぶ。
四百年前に東西両軍が対決した旧暦9月は新暦では10月。
ちょうど今ごろのことだ。

関ケ原の少し前には「川中島の戦い」があった。
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちがあったとされる合戦は、同じく9月。
そこから四00年近くさかのぼった源平合戦の一つ
「富士川の戦い」も秋だった。

秋は古来、合戦を彩るのにふさわしい季節なのか。
今風天下分け目の「平成20年版政治決戦」は
秋風を聞きながらの前哨戦がかまびすしい。
総大将が交代した麻生自民党と
合戦はこれが最後という小沢民主党の布陣だが、さていかに。

関ケ原の戦いは、布陣では石田三成の西軍が
徳川家康の東軍より有利とされた。
平成の陣はどうなのか。自民有利か民主有利なのか。

流動的な形勢を引き寄せんと
臨時国会の開幕早々大将同士の「一騎打ち」が見られた。
麻生氏は所信表明演説で民主党に逆質問して切り込んだ。
本来は質問する側の小沢氏は代表質問のなかで政権公約をぶった。
異例ずくめだ。

いずれが信玄、謙信か。はたまたいずれが家康、三成か。
関ケ原では策略がものをいった。
源平の富士川の戦いは、水鳥の羽音にも驚く故事を生んだ。
総選挙後にあるやもしれぬ政界再編を含め
忠実や故事を思い出させるあれこれが、待っているのだろうか。
報道陣も大変のようだ。

(M.N)

王監督引退

福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治さんは、選手時代
よくバットを日本刀に持ち替えて
打撃の真髄を探求する練習に励まれた。
真剣の一閃(いっせん)に何を見たか
凡人の察するところではないが、王監督は練習で何かをつかみ
さらなるホームランの量産にまい進された。

バットを構えた王さんの勇姿もすばらしかったが、刀も似合った。
一心に野球道を究めようとする姿が
古武士の風格を漂わせていたからだろう。

武士道は礼と仁を重んじる。相手を敬い、思いやる心だ。
王さんはファンに感謝の言葉を忘れず
若い選手を根気強く育て上げた。
やはり、野球道の中には武士道も究めていたと拝察する。

天才バッターの偉業には、ただ驚嘆するのみだが
努力と忍耐を重ねるその姿は、平凡なる身にも
生き方について何かを教えてくれて、ありがたかった。

長嶋茂雄元監督と「ON」時代を築き
一本足打法から量産される本塁打は国民を魅了した。
通算868本塁打など数々の大記録を打ち立て
初の国民栄誉賞に輝いた。監督としても手腕を発揮
2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では
日本を初代チャンピオンに導いた。
円熟を感じさせて味があった。
忍耐と気配りの人でもあることを見せてくれた。

その王さんが今季限りで退任を発表された。
辞任を決めた王監督には、どんな秋思があっただろうか。
その表情には悔しさはなく,いつもの優しさが感じられた。
半世紀のプロ野球人生を「幸せでした」と感謝し球場を去られた。
一本足打法に自らの来し方を重ねる人も多いはずだ。

(M.N)

パラリンピック雑感

ソウル大会から正式にオリンピックと連動して
開かれるようになったパラリンピック。
北京を舞台に、身体障害者のスポーツの祭典・
第13回夏季パラリンピック大会は148の国と地域から
約4千人の選手が参加する史上最大規模の大会で
9月6日から12日間の日程を終え閉会した。

体にハンディがある人たちにとって
世界最高峰のスポーツのイベントである。
リハビリ的イメージが強かった大会は近年、競技性が格段に向上。
選手をサポートする器具の改良なども進んだことで
レベルの高い大会だった。

日本からは162人の選手が出場し
車いすや義足などを付けた選手が走り、泳ぎ、球を追う。
ハンディを乗り越えた活躍に目を見張り、感動を覚えた。

義足を付けた選手が懸命に走る。
100メートル競走でゴールインした日本の女子選手は14秒台。
車いすテニスでは右、左と自在に車いすを操作し、素早くボールを追いかける。
健常者とのハンディを少しも感じさせない根性には感服させられた。

出場した選手がみな根性の塊のように見えた。
選手たちは自分の能力を出し切って挑んでいる。
その点では、オリンピックに出場する選手と少しも変わらない
極限の戦いである。

マラソンの伴走者など、競技そのものに数多くのボランティアが参加している。
一つ一つの種目に一人一人のドラマがある。「参加することに意義がある」。
本家の大会以上にオリンピック精神が生きている。

頂点を目指す選手たちの情熱は
障害を抱えた瞬間から始まったであろう自身との厳しい戦いに打ち勝ち
世界の舞台へ上ってきた強さがある。
失意と絶望からはい上がり
さらに前に進もうとする選手たちに心から声援を送りたい。

(M.N)

残念・無念

亡くなった父が大相撲の大ファンだった。
場所がないときの寂しそうな顔が今も思い浮かぶ。
生きていれば、角界の現状に同様の表情を見せていただろう。

熱心なファンとはいえないが、正直なところ大相撲に
以前ほどワクワク感を抱けない。
外国人力士が番付上位を占めることもあるが
相次ぐ土俵外の不祥事が心を冷めさせているのかもしれない。

日本相撲協会の対応もいつも歯切れが悪く
不祥事のたびに北の湖前理事長の硬い表情だけが発信された。
今回の辞任は、自身の部屋の力士が起こした問題への引責も
あっただろうが選択肢はもう残されていなかった。

「コンピューター付きブルドーザー」と言えば田中角栄元首相を
思い浮かべるが、北の湖の現役時代はそう呼ばれたという。
不沈艦のような強さを誇る横綱だった。
昇進するたびに史上最年少記録を更新し
当時史上最多となる通算951勝を挙げた。
勝ち名乗りの時のふてぶてしく見える態度が
余計に強さを引き立たせた。

堂々たる巨体とまじめな性格がその地位を築いたが
それだけでは10年以上もの間、トップに君臨することはできない。
記憶力も抜群だった。
それがコンピューター付きブルドーザーたるゆえんで
10年前の取り口をスラスラと言ってのけるほどだったそうだ。

最強をを誇るうちは、連敗も人間くさいと好意的に受け止められるが
あまりに負けがこんでくると引退以外の選択肢がなくなるのが
横綱であり、組織のトップである。

それにしても24回の優勝を誇る名横綱でも
有能なトップであるとは限らない。
豊富な現場経験に加え、マネジメント能力、メッセージを発信する力。
いづれもトップには欠かせない資質だ。
偉大な横綱だっただけに残念だ。

精巧さが売りのコンピューターも
「エラー」が続けば買い替え時だと判断されたのか。
日本の歴史と伝統を代表する文化である大相撲であるだけに
無念に思う。

(M.N)

敬老の日に思う

今日は敬老の日、高齢者を敬い長寿を祝う。
今では心身ともに老いない人が多くなった。
NHKテレビの「のど自慢」でも、88歳とか90歳などといった人が出て
しゃんと立ち、しっかりした声で歌われる。

宮崎県都城市の田鍋さんは、今月18日で113歳になられる。
「まだまだ10年ぐらい生きたい」といっていられるというから、その力には脱帽する。

都都逸(どどいつ)に「お前百までわしゃ九十九まで、
共に白髪のはえるまで」というのがあるが
この句の作者は長寿の理想として百や九十九を使ったのだろうが、
今の時代、100歳以上を超える人が日本に3万人以上もいると知ったら
作者は目を回すかもしれない。

厚生労働省の調査では、9月末までの100歳以上の長寿者は
女性が3万1213人で男性が5063人だそうだ。

そんな時代をどう生きるか。
内科医の日野原重明先生はこうアドバイスされている。
「若い人に助けられるだけでなく、与えられるものを持つことが必要」
「いつでも勉強しようという気持ちをもっていることが大切です」と。

作家の南條範夫氏は、いつまでも元気でいることの秘訣は
「空想力」だと言われる。
加齢ととともに記憶力、理解力、執務力、行動力などが
衰えてくるのはあっさり受け止めるが、
空想力が枯渇していくのはやりきれない。
自由に膨らむ空想力。
空想力があれば少年にも中年にも赤ん坊にもなれる。

確かに、空想力の世界では
どんなすごい能力の持ち主にも容易に変身できる。
気力、知力、体力の衰退(すいたい)をぼやき、嘆くのではなく
それを当然の現象だと受け入れ、その代わりに
奔放(ほんぽう)な空想力を。
南条氏は4年前96歳の天寿をまっとうされた。

明治生まれの亡き父から
「親の意見と茄子の花は千に一つも仇(あだ)がない」。とよく言われた。
茄子の花が必ず実を結ぶように
親の意見には一つとして無駄はないという。
だが若いころはそっぽを向いていた。

世間の風に当たるようになって
「親の打つ拳より他人の摩(さす)るが痛い」と多少分かるようになった。
例え優しく摩ってくれているようであっても
親の拳ほどの情けはこもっていない。
今は「親の意見と冷や酒は後で効く」。
そんな思いがふつふつとわいてくる。

昨今は達者なお年寄りから生き方の極意を教えてもらうことが多い。
先人の歩みに感謝して、先人の知恵に学ぶ日でもある。

(M.N)




 

新涼

芸術の秋、、スポーツの秋、収穫の秋
食欲の秋、読書の秋、勉学の秋
秋ほど形容詞が多く付く季節はない。
つまりは何でもできそう、何でもやれそうな季節である。

ここ数年、夏の暑さは相当なもの。
ことしも八月下旬こそ雨が多く幾分和らいだが、それでもこたえた。
しかし、さすがに九月に入って朝晩はめっきり涼しくなり
乾いた空気に秋を実感する。
夏の間にすっかり火照ってしまった体に、この空気が何とも心地よい。
何かを始めるにはうってつけの季節なわけだ。

受験勉強の季節でもある。
「いつまでも夏休みじゃだめでしょ」。
若かりしころの母親の甲高い声がよみがえる、そんな季節でもある。

絵画を楽しむ目を持ちたいと思うときがある。
美術館を巡り歩き、名作に触れる経験を重ねれば
何かしら得ることが少なくない。
絵を描くのは苦手でも、鑑賞力があれば暮らしをより豊かにできる。

都内の美術館に立ち寄ると、さまざまな企画展に出合える。
戸外の暑さや風雨をよそに涼しく静かだ。
まさに「美のオアシス」といった感覚に包まれる。

解散風が吹き始めた日本列島。
下手なパフォーマンスはもう飽きた。
国の将来を託せる政治家か。
秋の夜長、政策や本音に耳を傾けたい。

(M.N)

関門トンネルと東京タワー

50年前の1958(昭和33)年前は学生時代で
横浜市中区に下宿していた。
関門トンネルと東京タワーが完成し、一万円札が登場した。
フラフープが大流行し、町には陽気な流行歌「おーい中村君」が流れた。

3連敗後の4連勝で3年連続日本一になった西鉄ライオンズを思い出す。
鉄腕稲尾選手の、力投をラジオで聞いたものだ。
食卓の風景、町の風景を変えた製品が続けて登場したのは
この年のことだった。

食卓の風景を変えたのは日清食品の「チキンラーメン」。
世界初の即席めんだった。熱湯をかけるだけで食べられる。
包装のデザインは今もほとんど変わっていない。

郵便配達からそば屋の出前まで町の風景を変えたホンダのバイク
「スーパーカブ」も忘れられない。頑丈で燃費が安い。
基本設計を変えずに現在も生産され、売れ続けている。とにかく驚く。

スーパーカブは160カ国で販売され
ことし4月末に生産累計が6000万台を超えたと聞く。
一車種の記録としては自動車を含めて世界に例がないそうだ。
一方、チキンラーメンを源流とする即席めんのメーカーは世界各国にでき
年間1000億食近くが消費される「地球食」となった。

正義の味方「月光仮面」が登場したのも昭和33年のことだった。
庶民の味方として支持されたチキンラーメン、スーパーカブを通して見えてくる
日本のモノづくりの原点は、半世紀が過ぎても古びない。

(M.N)

防災の日

最近は四季の感覚が薄らいだといわれるが
九月と聞くとやはり秋を感じる。蝉時雨が遠くなった。
長い夏休みと無縁になって何年もたつが
それでも八月から九月への変わり目はいつも感傷を誘う。

そんな感覚を埋めてくれるのが
進学路に戻ってくるランドセルの行列だ。
休みの間に日焼けした顔には
どうにか宿題を間に合わせた安堵もある。けだるさもある。
いつの時代も不変だ。

「暑さ寒さも彼岸まで」の言い伝えに従えば
もうしばらく残暑が続くだろうが、朝夕は随分過ごしやすくなった。

天地を熱くする人間への怒りなのか、ここ数日は
東海・関東を中心に記録的豪雨に見舞われている。

きのうは「二百十日」だった。
この時季は昔から強い風が吹きやすいと言われる。
八十五年前の九月一日、約十万五千人の死者・行方不明を出した
関東大震災も、強い南風によって火災が広がり、犠牲者が増えた。
その惨事を教訓とするため、きょうは「防災の日」とされている。

実りの秋は台風の季節でもある。甚大な被害をもたらし
気象庁が「伊勢湾」「室戸」などと命名している台風は
いずれも九月に襲来している。

地震列島の日本は、天変だけでなく地異も多い。
人間には天変地変に抗[あらが]う力はなくても、
れに備える知恵はある。
「防災の日」を機に、あらためて考えておきたい。

(M.N) 

北京五輪閉幕

熱戦が続いた北京五輪が終わった。
数知れぬ笑顔と涙。体が震えるような感動や驚き。
そして美しい汗。世界中の人々がそれぞれの名シーンを心に刻み込んだ。
一流のアーチストたちの力と技はすばらしかった。

日本のメダルの数は二十五個。夢舞台で力を出した選手は輝いた。
競泳の北島選手は有言実行で平泳ぎ100,200メートルを
世界新で二種目の連覇。
さらに連覇の強さを発揮したのは柔道男子の内柴選手、女子の谷本選手
上野選手と日本の金メダル六個のうち五個を連覇組みが占めた。

金メダルはアテネ連覇が七。
世代交代が呼ばれる中で注目の主力選手は代わらなかった。
それでもフェンシング初メダルの太田選手
体操の内村選手の台頭は新鮮だった。

「強い者が勝つとは限らない。勝った者が強い」。
柔道男子の66キロ級の内柴選手は
長い低迷時代を乗り越え連覇を果たした。
「おやじの仕事をしっかりやりました」。と奥さんと長男輝君の名前を
何度も連呼する勇姿に心打たれ涙を流した。

レスリング女子四人はすべてアテネと同じメダルを手にして笑顔が広がった。
テレビ観戦で釘付けとなったのは女子ソフトボールの悲願の優勝だった。
サッカー女子チームは惜しくもメダルを逃がした。

残念なのは金が期待された野球。
ファンの数だけ評論家と言われる人気スポーツだけに
攻守ともレベルの低いプレーに不満がでた。帰国ナインに悲壮感も漂った。

大会中に戦闘状態に突入したロシアとグルジアの射撃選手は
表彰式後に「何事も私たちの友情は壊せない」と話した。
その姿勢を政治家も学ぶべきだとの声には「それができていれば
最初から戦争は起こらない」と答えた。
大事なのは学び取る姿勢ではないかと思うのだが。

テロなどへの不安を抱えたまま始まったが連日の熱戦は
それらを一気に吹き飛ばしてくれた。
季節の移ろいは早い。幾多のドラマに酔いしれながら、もうすっかり秋だ。
選手とともに熱かった夏を惜しみたい。

(M.N)


 

サンマの味

この一両日、夜間や朝が急に涼しく感じられるようになった。
猛暑続きで少々の暑さなら心地よく感じられる
というわけでもあるまい。季節は正直だと実感する。

胃袋を刺激する季節の到来でもある。
真っ先に思い浮かぶのは、サンマだ。
サンマは秋風に乗ってやってくる。
火の上で脂がジュージューと音を立てる。
焼き上がった熱々のサンマにしょう油と大根おろし
それにスダチなどの汁でも加えれば最高だ。

昔は七輪で焼くのが一般的だった。うちわでパタパタやりながら焼く
そのにおいは路地裏から路地裏へと流れたことだろう。
サンマの味は庶民の暮らしそのものでもあった。

しかし密閉性の高い今の住宅事情では、もうもうとする煙や
あのにおいは敬遠されがちだ。台所の煙対策は進んでいるが
夕方の住宅街で食欲をそそる、あのにおいをかぐことも
少なくなったように思う。

庶民の味と言いながら、以前ほど庶民の暮らしに
とけ込んでいないのかもしれない。
きのう、そのサンマ漁船が一日だけ全国で一斉に休漁した。
燃料高騰による採算悪化の窮状を国に訴え
対策の早期実施を促すのだという。

豊漁のため、価格を調整する意味合いがあるとの見方もあるが
漁業者は「消費が増えないと漁が続けられない」。との意見だ。
脂ののったサンマは文句なく旨い。
庶民から遠のいているとしたらあまりにももったいないと思う。

(M.N)

北京五輪開幕

北京五輪が開幕した。10年で「一昔」。
20年では「歴史」になるという。東京五輪から24年後がソウル。
ソウル五輪から20年後が北京だ。
28競技302種目で世界のトップアスリートたちによる
熱いドラマが繰り広げられる。

中国五千年の歴史を柱にした華々しい開会式をテレビ放映で見ながらも
東京から北京まで44年もかかったアジアの戦後史を思った。
この40数年間に、人権や環境など中国の抱える矛盾や苦悩が凝縮されている。

「鳥の巣」の愛称を持つメーン会場で開会式が行われ
中国五千年の悠久の歴史と文化をアピールした
壮大なアトラクションに目を奪われた。
二千八人が太鼓をたたき
孔子の名句「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」を
繰り返し叫びながら幕が開いた。

フィールド上では古代から現代まで
光と、色彩による華麗な歴史絵巻が流れるように展開し
「和」のメッセージも発せられ、最後には「地球」が出現し
大会スローガンの「一つの世界、一つの夢」が表現された。

式典は、開催国の歴史と、時の勢いが最もよく現れる。
孔子の言葉や太極拳の群舞から、現代最先端の光と
音の技術を酷使した幻想の世界まで、これでもかというほどに展開された。
21世紀の超大国を目指す国の姿がそのままだった。

国連加盟より多い過去最多の二百四の国、地域から参加した選手団が
リラックスした表情で行進し、はるかな世界と身近な故郷を
悠久の時の流れとともに見せてくれた舞台であった。
はるばる訪れてくれた世界からの「朋」への中国側の思いがにじんだ。

緊迫した空気が漂うが、「世界の祭典」が平穏に進行し
感動のドラマが共有できることを祈り、無事進行することを願いたいと思う。

(M.N)

セミの一生

突然始まる「シャアシャア・・・」。
目をこすり、時計を見ると、まだ五時過ぎ。
鳴き声につられるように気温も上がり、寝付かれず起きてしまう。
このところそんな朝が続く。声の主はクマゼミだ。

ヒートアイランド現象で都市部のクマゼミが増えているらしい。
公園や並木に使われている樹木がケヤキやプラタナスなどが増え
クマゼミが好むから街の中にクマゼミの声を耳にする場面が
相対的に増えたようだ。

よく知られるように、セミの幼虫は地中で何年も過ごすが
地上の寿命は二、三週間しかない。
脱皮の途中で力尽きるのもいる。短い一生だ。
数年を地中で暮らし、最後のひと夏にはい出てくる。
盛夏の大合唱に久々の情眠を破られることがないでもない。
しかし、あと何日かの命を削るかのように鳴いているさまを思えば
切なさに加え、生きるものが負うはかなさも募りくる。

人の来し方行く末についてハットとさせられる問いに出合った。
一生を二十四時間に例えると、あなたの今は何時ごろですか?
年単位では考えにくくても、時間で見ると身につまされる。
残された時間に長短はあれ、この一瞬一瞬を大切にという教えのようでもある。

地球は、人間のわがままのし放題に
懐の深い大地もさすがにいたたまれなくなり、寿命も縮っている。
温暖化をそんなふうに言い表すこともできるだろう。

自然を敬い、すべての生きものが共生する。
古来から受け継ぎ、今も息づく心根である。
セミの一生に気持ちが揺れ動くゆえんだ。
同時に地球を食い物にしてきた結果が温暖化だとすれば
いま一度立ち返り、かみしめたい教えでもある。 

(M.N)

夏本番

今年の夏はあんまりセミの鳴き声を聞かないな
と思っていたら一昨日あたりから、いつもの夏のように
早朝からやかましいほどセミが鳴いていた。
セミにも準備があるのだろう。
体力と気力の踏ん張りどころの時節を迎える。

すでに最高気温三十度を越える蒸し暑い真夏日が続いており
家も車も冷房なしではいられない。
一方で温暖化防止、原油高騰による経費節減などで
冷房をガンガン効かせることは慎まなければならないご時世となった。
 
うだるような日本の夏には、幸い日本人には
昔から涼しくする知恵がある。
涼しさを演出した賢人の知恵は暮らしのいたるとこに見られる。
風鈴、縁台、金魚鉢など。
かすかな風をも逃がさない風鈴は「チリン」と鳴る澄み切った音が
蒸し暑さとほこりっぽさをいっぺんに消してくれる。
また風鈴は日本人の豊かな感性を象徴している。
縁台は日本人が考えた移動式縁側。
日差しをよけながら自由に日陰の涼しい場所に動かすことができる。
金魚鉢は、水に揺らぐ金魚の大きなヒレを模した方円のガラス器がいい。
水草を浮かべた水の中を優雅に泳ぐ金魚の眺めはまた格別である。

うだる暑さを忘れ、笑顔に変えてくれるのは「行水」だ。
夏の夕方、庭先やベランダでたらいに水を張り、浴びる。
びしょびしょに濡れて大騒ぎ。
子どものころの夏休みの原風景である。

「よしず」や「すだれ」は日光をさえぎりながら風を通す優れたもので
比較的安値で、現代でも最高の涼グッズである。
気化熱を利用した「打ち水」は日本が誇るサイエンス。
また「打ち水」は日本人のもてなしの心だ。
玄関や路地、店先などにほこりをしずめる水をまく。バケツに柄杓で。
水を打つことでひんやりとした涼感が立ちのぼり
濡れた地面に道行く人にもひとときの涼をあたえる。

蒸し暑い夏、寒い冬と四季がはっきりしている日本では
温度を調整する生活の知恵が引き継がれているが
現代人は忘れがちである。
今がライフスタイルを見直す絶好の機会ではなかろうか。

実際のピークはまだこれからだろう。
これからがまさしく「盛夏の候」となる。
屋内にいるからと安心はできない。
特に高齢者や乳児は注意が必要だ。
高齢者の場合、体内の水分が若い人より10パーセントほど少ないため
脱水症状を起こしやすいそうだ。
体の小さい乳児も汗をかくとすぐ水分が枯渇(こかつ)してしまう。
こまめに水分を補給したり、エアコンで温度を調整したりして
熱中症を防ぎたいものだ。

それにしても近年の暑さ。やはり地球温暖化の影響なのだろうか。
十年先、二十年先を思うと背筋が寒くなる。

(M.N)

全国高校野球

球児の夏が巡ってきた。
全国高校野球選手権の熱戦が各県で始まった。
沖縄大会では、浦添高校が11年ぶり三度目
鹿児島大会では鹿児島実業が2004年以来の甲子園出場。
高校生活の集大成となる大会である。
真剣勝負の中にほとばしる若いエネルギーに、毎年心揺さぶられる。
今年はどんなドラマが見られるのだろう。

この時のために、つらく厳しい練習に耐え、心と技を磨いてきたはずだ。
好きな野球に懸けた情熱の証として
持てる力を思い切り試合にぶつけてほしい。
全力を出し切って、最後に心から「悔いはない」と思えれば
この夏の経験は一生の宝物になるに違いない。

頂点をめざすチームがあれば、一勝を挙げるのが悲願の学校もあろう。
それぞれ目標は違っても、皆が完全燃焼できる
素晴らしい大会になることを祈りたい。

国での参加校は四千校を超える。
トーナメント戦で最後まで負けないチームはただ一校。
残りは等しく「一敗」して三年間の野球を終える。

勝負より、負けて学ぶものが多いのも高校スポーツの魅力だろう。
悔し涙の中で、つらい練習に共に耐えてきた仲間の存在の大きさを知り
支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを強くする。

三年間、一つのことに真っすぐ打ち込んだのだという誇りと
決して自分は一人ではなかったという自信を持って
最後のグランドに飛び出してほしい。

夏の甲子園は今年、九十回の節目。その長い歴史の中で、
高校野球はいつの時代も変わることなく
全国の多くのファンに支持されてきた。
若者たちのひたむきさ、潔さ、全力プレーの美しさといった
極めてシンプルな感動が人々の胸に届いてきたからだろう。

これからも高校生が純粋に一つのことに熱中できる環境や社会を
私たちは整えていかねばならない。
毎年、夏は平和の尊さを知る季節でもある。歓声と球音を聞きながら
高校野球があることの幸せを選手たちと
一緒にかみしめたいと思う記念大会である。

(M.N)

サミット

西側という政治用語がまだ生きていたころに
その陣営を先導する六カ国の首脳たちが一堂に会した。
一九七五年十一月、パリ郊外のランブイエ城で開かれた
第一回サミットである。日本からは三木武夫首相が出席された。

七十三年に起きた第四次中東戦争に際し
アラブ諸国は石油減産、価格値上げなどの戦略に出た。
この石油ショックで世界経済は混乱、不況が広がった。
サミットが生まれた背景だ。

日本も前年から狂乱物価となり、油に苦しめられた。
そのさなかに金脈問題で田中角栄政権 が崩壊。
「青天の霹靂(へきれき)」で首相になった人は
国際舞台まで踏む巡り合わせへと相成った。

もうセピア色になった時代から三十年余
サミットの来た道に世界の曲折の風景が重なります。
東西冷戦の終焉(しゅうえん)、9.11テロ
絶えぬ戦争と民族紛争、持てる者と持たざる者の対立
国境なき経済の奔流(ほんりゅう)、温暖化にあえぐ地球・・・。
人類はどこへ行くのか。
そんな問いを深めてきた目まぐるしい時の刻みだった。

洞爺湖サミットもまた激流の中に立ち
昨年のサミット後の新たな難問を背負い込んで行われた。
温暖化対策と米国のサブプライム住宅ローン問題をきっかけとした
世界経済の減速と、原油・食料価格の急騰による
インフレ圧力への対処など
これら地球規模の問題に立ち向かう協調が期待される場であったが
想定を超えた踏み込んだ前進は得られず
事実上国連などの場へ先送りとなった。

とどまることを知らぬ原油高は世界経済を直撃
かっての風景を思い起こさせる。
温暖化対策はもはや足踏みを許さぬほどに、国々の背を押している。
食糧問題も新たな危機を広げている。
北朝鮮拉致問題の解決や透明性のある核兵器の削減
アフリカの開発支援を強化すること。
各国首脳がもっと足元の危機感を共有し
世界に強い決意を発することが肝要だと思います。

(M.N)

落書き

日本人観光客の落書き問題が広がっている。
イタリア・フィレンツェの世界遺産登録地区にある
大聖堂での失態である。
ルネサンス文化の中心となったフィレンツェ.。
威容を誇る大聖堂は象徴的な存在だ。
「記念に」と軽い気持ちで書いたのだろうが、残念でならない。

落書きが多い場所であり、学校名や名前を書き込んでいた。
ふに落ちないのは、それぞれの釈明に後ろめたさが
感じられないことだ。「初の海外だから記念に・・・」などと聞けば
いけないことという意識はなかったのだろうかと思う。

日常を離れた旅先。
自らの足跡を何らかの形でのこしたい気持ちは分かる。
写真を撮ったり、絵はがきを求めたりするのとも通じる。
けれど、やっていいことはおのずと限られる。
「旅の恥は・・・」も自戒を促すものと受け止めたい。

大聖堂側は当事者や多くの日本人からの謝罪を
「日本の良識に敬服した」とたたえた。
過ちを改める大切さを説く言葉に
悪さをしたのに褒められたとは、恥を知らなければならない。                                                   
近年は、世界遺産の新規登録以上に
将来が危ぶまれる「危機遺産」や登録抹消が目立つ。
有名なのが、世界遺産第一号のガラパゴス諸島。
観光客が激増し、島の生態系が壊れている。
大聖堂の落書きが果てしなく増殖したような話である。

場所をわきまえずに書きなぐった相合い傘や
ハートマークの何と多いこと。上越新幹線の車両が
スプレーで派手に落書きされて運休に追い込まれた。
同じような図柄は街中でも良く見かけるが
これはもはや犯罪である。

北京五輪へ向けてマナー改善を目指す中国で
「六大非文化現象」をなくす運動がある。
文明的でない六つの行いとは、大声で騒ぐ、たんを吐く
ごみを捨てる、列に並ばない、だらしない身なり、そして落書き。
日本は大丈夫ととても胸を張れそうにない。

(M.N)

アスリートたちの支えになる言葉

物事の引き際ややめる際には
その人の考え方なり生き方なりが凝縮して
表れることが少なくない。
スポーツ選手は人目に触れる機会が多いせいか
特に強烈な印象を残す。

「巨人軍は永遠に不滅です」。好き嫌いを超えて
プロ野球の長嶋茂雄さんの現役引退はドラマチックだった。
戦後最大のスターにも不滅の体力は備わっていなかった。
衰えながらも最後まで魅力的なプレーに挑み続ける姿に
多くの人が酔いしれた。

テニス会でも12年前、ショッキングな引退劇があった。
世界のトップクラスにいながら二十六歳で現役を退かれた
伊達公子さんである。絶頂期に余力を残したままコートを去る。
それが彼女なりの「美学」だったと推測する。

その彼女がクルム伊達選手となってカムバック。
復帰後初大会の複で優勝。シングルスでは東京有明
国際女子オープンで優勝。観客数が大幅に増えたのも
現役時代の人気に加え、やめ方の鮮烈さも
手伝ってのことに違いない。

スター選手がスターであるのは
ここぞと思う時に期待にたがわぬ働きをし
しばしであれ夢心地にしてくれるからだ。
長嶋さんが、かって何度も奇跡を起こしたように
伊達さんも世界を相手に幾度スーパーショットを
放ったことだろう。

何より伊達選手の復帰は
「若手選手に刺激を与えたい」「人生を楽しむ」
ということが報道された。
若い人と一緒に「まだまだやれるよ」というメッセージに
思えてならない。挑戦する大切さを教えてくれた。
12年前との大きな違いは、伊達選手の笑顔だ。
かって世界ランキング四位という時期には
いつも緊張の表情がテレビに映し出された。

サッカー日本代表の前監督イビチャ・オシムさんが
元気になって戻ってきた。昨年十一月に脳梗塞で倒れ
日本サッカー協会の会長が「命だけは取り留めて・・・」と
涙で語ったのも思い出す。

復帰後の記者会見でオシムさんは
「向こう側の世界まで行って戻ってきた。
私がやり始めた仕事は完成していない。
その思いが復帰を後押しした」と語った。
これからはアドバイザーとして
日本のサッカーを脇から支えてくれる。

監督時代に残した言葉も支えになる。
「アイデアのない人間でもサッカーはできるが
サッカー選手にはなれない。
後ろの6人で回してどうするんだ。
リスクを冒していかないと未来は開けない。」
「人生も同じだ。」
オシム語録は組織論、教育論にも転用が利く。
冗舌だが軽くなく哲学的でさえある言葉でファンを魅了し増やした。

こんなアスリートたちが身をもって伝えてくれたことが
無性に応援したくなるゆえんである。

(M.N)

第3次石油危機なのか

石油高が止まらない。
ガソリン価格に落ち着く兆しはないし
漁船も燃料アップで漁に出れば出るほど赤字になるという。
資材や肥料などの値上げが加わり、農家もあえいでいるようだ。
列島全体が高騰原油の大津波に襲われているみたいだ。

わが国は、その原油の九割を中東に頼っている。
異常な依存状態がずっと続き、脱却できずにいるが
中東頼みは日本だけではない。
世界の総生産量の三割を占める中東の湾岸諸国に
世界経済の命運は握られているのだ。
 
昭和の世、供給削減ショックを二度も味わった。
中東戦争が勃発した1973(昭和48)年の第一次石油危機。
6年後、イラン王政崩壊など中東政治地図の激変を受けて
第二次危機が起きた。

 「第三次石油危機到来」と先ごろ国際エネルギー機関(IEA)が
石油中心社会に警笛を鳴らした。
生活への傷はさらに深く、苦しくなりそう。
「トイレットペーパー 買いだめパニック」ぐらいで済むならいいのだが。

だがどこかふに落ちない。
かっての石油危機は供給不安が原因だった。
1970年代、産油国が結束し政治的に供給を止めたり
減らしたりして端を発した。
ここ数年、アラブの産油国は国際協調に転じたといわれる。
現に、サウジアラビアは、消費国の増産要請に応える見通しだ。

各種統計から、備蓄原油を含めた現状は
むしろ需要より供給が上回っているとの指摘は多い。
危機の原因がはっきりしない。
いや、世界が原因をはっきりさせようとしていない。

日本や産油国は、先物相場への投機マネーの流入が原因だと主張する。
米国はあくまで市場原理だという。
将来の世界的な需要増加に生産能力が対応できないと譲らない。
 
巨大な金融産業を抱える米国が
投機原因説を否定するのは無理もない。
原油への影響力を持ち続けたいとの思惑も透ける。
国際石油企業は潤沢な儲けを生み続ける。
過去の危機とは明らかに異なる現象が見受けられる。

先のG8財務相会合では具体策を打ち出せずに終わった。
懸案はまたしても7月7日からの北海道洞爺湖サミットに
持ち越されたようだ。

(M.N)

プロ野球交流戦

プロ野球セ・パの交流戦はソフトバンクが初優勝を決めた。
球界再編問題に端を発して
セとパのチームによる対戦は4年目を迎えた。
これまでは日本シリーズに限られていたカードを
見られるのは面白い。
人によって受け止め方も異なるが
まだマンネリには陥っていないのではないか。

一昨年のWBC野球や北京五輪日本代表などで
比較的なじみの薄かったパ・リーグの選手たちも
脚光を浴びる機会が多くなり、親近感も増した。
例年、交流戦で好成績を残した球団が
勢いを付けてリーグ優勝するケースが多いだけに
目が離せなかった。

今シーズンは8月に行われる北京五輪が
各チームの成績に大きな影響を及ぼしそうだ。
本来は、五輪期間中はペナントレースを中止すべきだと思うが
続行されるからだ。
日本代表に投打の主力選手を複数送り出すチームと
少人数のチームでは戦い方も違ってくるだろう。

しかし、五輪期間中に限っては、日本代表の戦いに注目したい。
現状で野球は今大会が最後と決まっているからこそ
金メダルを期待したい。
全選手が目の色を変えて一投一打に
気迫あふれるプレーを見せたくれた
昨年のアジア予選を再現してもらいたいと願う。

その意味からも、昨年の代表選手たちの動向が気にかかる。
けがや不調で二軍落ちしていた選手もいたが
最終メンバー選出時までには万全になってほしい。
昨年の死闘を経験した選手たちの力は
絶対に欠かせないと思う。

(M.N)

クールビズ

長い通常国会が終わった。
道路財源の無駄遣いなど質疑でいろいろ明らかになった。
野党が参院の多数を握って
役所の資料を入手しやすくなったせいもある。
ねじれ国会の効用だが、終盤が締まらなかった。

かりゆしウエア姿での閣僚会議のニュースを見て
クールビズの季節に入ったことに気づいた。
CO2削減の方策の一つとして
夏の軽装クールビズが提唱され今年で四年目だ。
エアコンの室内温度を二十八度に設定するには
いま少し早いのでまだ実感が伴わないが
地球環境や健康のためにも
過剰冷房を防止する動きには大賛成だ。

クールビズスタイルにも年々工夫が見られるようになった。
ノーネクタイでも襟を正して見えるシャツや
シャツ生地で作ったジャケット、涼しい軽量ネクタイ
軽量スーツ等々選択肢は広がる。
全国理容連合会からは
クールビズヘアスタイルも提案されているそうだ。

クールビズの認知と理解が進んできている一方で
営業マンや礼儀を重んずる場面では
ノーネクタイ・ノージャケットを敬遠する向きもまだ多い。
「スーツは男の戦闘服」と表現する人もいるが、
何もスーツばかりがビジネス武装の道具ではない。
ファッションではなくエコアクションの実践中であることを
理解してもらえば、逆に好印象につながると思う。

クールビズ実践中をアピールする小道具としては
地球温暖化防止の取り組みCOOL BIZ バッジを着けて
ひそかな自己主張を試みるのも良いと思う。
七月の北海道洞爺湖サミットで
各国元首がどんなウエア姿で出席されるか楽しみだ。

(M.N)

父親像

直木賞作家・向田邦子さんのエッセーに、『父の詫び状』がある。
仙台にいた両親の元で冬休みを過ごした折
父親の客が酔っ払って玄関を汚した時のエピソードをつづる。

掃除する向田さんに、父からねぎらいの言葉はない。
小遣いが増えるかと期待したが、変わらない。
東京に戻る向田さんを見送る際も
ぶすっとした顔で「じゃあ」と言うだけだったという。
世の中の恐ろしいものを
「地震・雷・火事・親父」といったころの話だ。

日本の父親の権威が危うくなっている。
それぞれの家庭で、父親の存在はどんな位置にあるのだろう。
封建制の下での「家」制度が変容した戦後、父親像も変遷した。
今、かっての「厳父」は少数派ではないか。
代わって登場した優しいお父さん、近年の「友達みたいな」パパ。

朝早く出勤して、帰宅は夜遅くなってから。
家族と触れ合えるのは休日ぐらいなのに
つい家の中でごろごろしてしまう。
そんな姿をさらして権威を感じろというのも無理な話で
身から出たさびといったところか。

人間としての男女平等を前提とした上で
母親とは違った父親の存在意識が求められているのではないか。
母の日に贈るカーネーションに対し、父の日はバラだという。
父親の未来像をばら色にしたいものだ。

父親の影が薄くなったと嘆く家庭が多い。
が、父親は強い方がいいのか弱くていいのか・・・。
迷路のような問いを抱きつつ、せめて家庭で「父の日」に
普段の努力に頭を垂れるねぎらいの言葉を届けたら。
お父さん、お疲れさま。

さて、東京に戻った向田さんには父から手紙が来ていた。
改まった文面で、「この度は格別の御働き」とあり
朱線で傍線が引いてあった。
権威が邪魔して率直に気持ちが表せないおかしさがある。
権威がないのは淋しいが、あればあったで面倒なようだ。

(M.N)

安全運転

車のシートベルト着用を
一般道で運転席と助手席に義務化されたのが1986年だった。
22年後の6月1日に改正道路交通法が施行され
今度は後部座席も対象に加わった。
つまり全座席でベルトを締めなければならない時代に
突入したことになる。
 
思えば22年前、わざわざベルトを締めるという動作に
最初は違和感を覚えた。
はっきり言って面倒くさかった。
それが今では着用しないと、逆に落ち着かない。
習慣とは不思議なものだとつくづく思う。

厄介なのはタクシーの場合のようだ。
客がいちいち着用してくれるか。
先日利用したタクシーの運転手さんが
「酔客への対応が気をもむ」と話してくれた。
ただ、これだけの車社会だから安全を考えると
客といえどもわがままを言っていられないということになる。

同じく、道路交通法の改正は75歳以上の自動車運転手には
高齢運転者標識、いわゆる「もみじマーク」を付けることが
義務付けられたようだ。

付けて走ると、幅寄せや割り込みなどの予防になる。
幅寄せなどをやるとその車が反則金を取られるからだ。
しかし、年寄りに見られるのは何だか嫌だという気分もあり
付けたくない人も多いらしい。

この標識は、これまで70歳以上の運転手に対しては努力規定だった。
付けるのが嫌な人は付けないで走っても罰則はなかった。
ところが6月から、75歳以上は付けないで走ると
「高齢運転者標識表示義務違反」という違反になり
検挙されると反則金と、行政処分になる。
ただし、施行から1年間は反則切符は切らず
口頭での注意にとどめるそうだ。

高齢者の事故の原因は、自分への過信と
反射能力などの身体的な衰えだそうだ。
いずれにしても自分の欠点を知り
注意深い運転を心がけることに越したことはない。

6月といえば夏服に切り替わる季節の変わり目。
ここは一つ、車利用者の「心構え」も「衣替え」といきたいですね。

(M.N)

世界第二位の経済力を持つわが国だが、
いつの間にか財力、知力ともどんどん低下しているなかで
小麦や大豆などの国際価格の上昇が続いている。
干ばつなど気象原因だけでなく、バイオ燃料の生産も一因とされる。
原油高による輸送費増大も加わり
止まることのない勢いで上がり続ける。

それはパンや肉などの価格にもはね返る。
自給率が高いとはいえない日本、世界の動きが食卓を直撃する。
一方、食糧危機に直面する国では暴動やデモが頻発
国民の多くに緊急の援助が必要とされる所さえある。

この一年間で家計は確実に苦しくなっている。
ガソリンは毎月のように値上げされ
パンやめん類を中心に食品値上げも続く。
燃料代高騰を理由とする電気料金アップも追い打ちをかける。
生活必需品を中心とする値上げの包囲網に
低所得者ほど影響を受けているのが現状だ。

先日、横浜市で開催されたアフリカ開発会議。
ここでも食料価格の高騰に苦しむ国を
どう支援していくかが大きなテーマ。
援助だけでなく、生活技術を高めるための支援策にも
注目が集まったようだ。

最も身近なテーマの一つである食の問題。
しかし、そこから見えてくるものは地球規模の課題。
そう思い知らされる日々が続く。

庶民の生活実感は明らかに物価が上がるインフレと思うが
政府の見方ではデフレが続いているとの見解のようだ。

高額賞金が売り物のジャンボ宝くじが誕生して
今年で三十年になる。その節目を記念したミリオンドリームと
恒例のドリームジャンボが発売されている。

「夢を買う」といううたい文句は
宝くじの魅力を見事に言い当てている。
一獲千金のかすかな望みを託して
宝くじを買い求めるだけでも夢を暖めることができそうだ。
少なくても当選番号の発表当日までは。

相次ぐ値上げに年金、後期高齢者医療制度問題が
生活不安定をあおるなか、10万円も当たれば御の字だ。
しかし、宝くじに懸ける夢まで手ごろなところで済ますのも
寂しい気がする。

(M.N)

ハイテク水着

北京五輪を前に「スピード水着」が水泳日本を揺るがしている。
英社製の最新水着を着た各国のライバルたちが
世界新記録を連発しているからだ。

この水着、生地は極薄、表面はすべすべ。
超音波を利用して縫い目をなくし
水の抵抗を最小限に抑えているという。
胴と両足に食い込むようにフィツトし見るからにスピード感に溢れる。 

日本選手らも試着したところ、軒並み記録が縮まった。
日本記録を上回る選手もいた。
「体が浮く」「従来の水着とは全く違う」と驚嘆の声が上がったという。

着るのに数十分かかるほど窮屈だが
コンマ何秒を争う世界。
「弘法筆を選ばず」とはいかないのだろう。

それなら日本選手もこの水着を使ったらよいではないかと思うが
事は簡単ではない。
日本水泳連盟と国内メーカーとの契約上
北京五輪では国内三社の水着を使うことになっている。

国内三社は日本水泳連盟の改良要請に応え
今まで以上の水着の新作を提示した。
今後、水着の試着期間を設けた上で
六月十日に方針を最終決定するそうだ。
何やら技術五輪の様相を呈してきた。 

グラスファイバーポールの普及で陸上棒高跳びの記録は飛躍的に伸びた。
野球でも、反発力の強い金属バットの方が木製よりも長打が出やすい。
力量差でなく用具の性能差で勝負が決しては味気ないが
スポーツ界に押し寄せる技術革命の波は避けがたい。

五輪メダル争いする選手にとって
コンマ何秒でも速く泳げる水着があれば使いたいと思うのは人情だろう。
選手の不安を取り除くことが肝心だと思う。
選手たちが自由に水着を選べる環境を整え
ハンディなしに五輪のスタート台に立たせたい。

(M.N)

大相撲夏場所

ブルガリア出身の大関琴欧州が夏場所を制した。
欧州勢としては初めてのことである。
大相撲の歴史に一ページを加えた。
二メートルを越す長身を生かした取り口で
たちまち大関まで駆け上がった。
だが、その後は不振が目立ち、今場所はかど番だった。
それが一転して、相撲に開眼したかのような土俵が続いた。

「やっと優勝ができました。これからもっと努力します」
父親が見守る中、ブルガリア語で喜びの弁を語る琴欧州。
そのさわやかな笑顔が印象的だった。
ブルガリア出身の二十五歳。欧州勢の初の優勝である。

特にここ二年余はモンゴル勢が独占し
琴欧州がその独走を食い止めた。
ファンも待ちかねていた一瞬だった。
琴欧州の優勝は柔道で世界チャンピオンとなったヘーシンク選手
(オランダ)を思い起こさせる。厳しい稽古の日々。
独特の伝統やしきたりが色濃く残る相撲界で大成するのは難しい。

かってハワイ勢が活躍したころは、「黒船来航」と騒がれ
モンゴル勢が土俵を沸かすと「蒙古襲来」との言葉が紙面に躍った。
そして今場所は「モンゴル帝国の欧州侵攻を止めた」とする
スポーツ紙もみられた。角界の多極化もまた楽しみだ。

モンゴル相撲の伝統を背負う朝青龍と白鵬。
これにレスリングから転向してきた琴欧州が割って入った。
そんなところにも、今の大相撲の多様な姿がうかがえる。
国際化の波は加速する一方だが
やはり日本人が優勝に絡まない場所は寂しさが残る。

(M.N)

 

初夏の食卓

初夏らしい気候になってきた。新緑の美しい季節。
木陰を散歩してしていると青葉、若葉の独特のにおいに包まれる。
日差しを浴びた緑は日に日に色濃くなり、おう盛な生命力を感じる。

すがすがしい五月晴れに、心も晴れ晴れする。
ただ「五月晴れ」は本来梅雨の時季に晴れ間の意味という。
旧暦の五月は、現在の六月ごろ。
「五月雨」はこの時季の長雨、まさに梅雨のことだ。

木陰の草地に寝そべって本を広げる。
緑の活力を体全体で浴び、心を小説の世界に遊ばせる。
心のエネルギー補給になる。                                                                                       
このところ連日のように豆ごはんが食卓に上がる。
食べ物に「旬がない時代」と言われて久しいが、
今の時期にしか食することのできない代表的な味覚だ。

炊飯器のふたを開けたとき
立ち上がる甘みがかった豆の香りに食欲をそそられる。
茶わんによそえば、豆の緑とご飯の白のコントラストが涼しげだ。
味覚も刺激され、一口、二口とはしを運ぶことになる。

豆にもいろいろあるが
豆ごはんに使われるのは、グリンピースが多い。
春から初夏にかけて収穫され、さやのままで店頭に並ぶ。
料理する直前に、さやから出さないと風味が落ちるからだ。
缶詰や冷凍したものでは、あのおいしさは味わえない。

グリンピースといえば、付け合せ野菜の定番であり
シュウマイやチキンライスでは脇役といえる。
それが、豆ごはんでは主役に見える。

これから夏本番にかけて、
空豆、枝豆と次々に旬の豆が登場する。
親から子供たちへ、季節の恵みを伝えて生きたい。
孫がおいしそうに御代わりする姿は食卓を和ませる。

(M.N)
  

中国・四川省地震

巨大サイクロンがミャンマーを襲った衝撃の冷めぬうち
今度はマグニチュード7.8の巨大地震が中国の内陸部を襲った。
身構え、足を踏ん張っても立っていられない。

人が働き学び、活動している時間帯である。そこを激震に見舞われた。
学校の倒壊現場では夜通しで、生き埋めとなった生徒たちの捜査が続く。
ひしゃげた筆箱、ぼろぼろのリュックサック。傍らで泣き叫ぶ親の姿。
写真を、映像を直視できない。
次々と飛び込んでくる被害のすざましさに慄然(りつぜん)とする。

倒壊した学校や病院,民家の周りで続く人海戦術の救出作業が痛々しい。
被害は日を追うごとに死傷者の数は増え、中国・四川大地震は悲惨の一途を
たどる。テレビでは連日、崩壊事態となった、がれきの町が映し出され
放り出された、被害者の叫び声が痛々しい。
震源地周辺の様子が明らかになるに連れ
死傷者や行方不明者がさらに増える恐れもある。

四川省は温暖な気候と肥沃(ひよく)な土地に恵まれ「天府の国」と呼ばれた。
それが一瞬にして地獄絵に変わった。  
古くは三国時代、諸葛孔明(しょうかつこうめい)や劉備(りゅうび)の活躍の
舞台となり、愛くるしいジャイアントパンダの故郷である。
激辛の四川料理を思い浮かべる向きもあろう。観光地としても人気は高く
数千メートルの山中に透明度の高い湖沼が点在する九寨溝(きゅうさいこう)は
世界自然遺産の一つである。
四川省や重慶市には日系企業が多く、日本と経済的なつながりも深い。

「暖かい春の旅」と自ら称した日本訪問から戻ったばかりの胡錦濤国家主席は
救助活動に全力をを挙げるように指示し温家宝首相を地震発生の当日被害地に
向かわせ後日、主席自らも被害地で状況の把握や救出の指揮をとっている。
軍などの救援隊も間をおかず現地に向かい、作業に当たっている。

隣人の災難だ。一刻も早く、立ち尽くす人たちに援助の手を差し伸べたい。
国外からの支援も力に、災禍(さいか)を何とか乗り越え3ヶ月後に控えた
五輪の成功に向けてほしい。

災害のたびに感じるのは「自然を甘く見ていないか」ということである。
どんなに科学技術が進んでも、自然現象から逃れることなど不可能だ。
謙虚に自然と向き合い、地道に備えていくしかない。

自然の猛威に人間は何と無力なのだろう。でも無力だからこそ国境や
政治体制を超えて、みんなが手を取り合い、力を合わさなければと思う。
被災した人たちの救助を何よりも優先させ
阪神大震災などで経験した日本の災害対策ノウハウを積極的に提供し
一人でも多くの罹災者を救えたらと願うものです。

(M.N)

メタボリック症候群

初夏陽気に誘われてか
夜間でもウオーキングを楽しむ人が増えてきた。
会話を楽しみながらの夫婦づれや女性の一団がいれば
修行僧のような黙々と歩く男性もいる。

時に大きく腕を振り、背筋を伸ばしてリズミカルに歩く女性に会う。
颯爽(さっそう)と歩けばエネルギーがたくさん消費され
肥満解消に役立つそうだ。
まさに彼女の歩き方は颯爽そのものだ。

ウオーキング人口はさらに増えるだろう。というのも
4月から健康診断の項目に新たに腹周りの測定が加わるからだ。
肥満か否かの腹周基準は男性85センチ、女性90センチとのことだ。
男性には厳しい数字と思う。

診断結果によっては、生活習慣の改善を促す指導の対象になるという。
イエローカードやレッドカードを突き付けられるわけだ。
不要な投薬や治療は行われないが、
食事のコントロールや運動のアドバイスなどの指導も行われるようだ。
メタボリック対策がひいては増加し続ける
医療費の削減にもつながるとのこと。

医者から、ストレスが急になくなったときが肥満には要注意と聞いたことがある。
子供が成長して肩の荷がおりたとき
退職してやれやれと思ったときなどを例に挙げて説明していただいた。

ほどほどの緊張感が大切なのか。
この季節退職をはじめ多くの人が人生の大きな節目を迎える。
それが肥満への入り口にならないように気をつけたい。

太りすぎも悪いが、やせ過ぎも怖い。
ただ長年、行状をつぶさに見ている家内から
「あまり太っていると将来、介護が大変よ」これが一番こたえる。

(M.N)

子どもの日

新緑と薫風と子どもたちの歓声がそちこちで広がる。
そして家族の輪が広がる。
遊ぶ子の声を聞けば、親たちも喜ぶ。
いつの世も変わらぬ親と子の愛情だ。

『柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ・・・』
童謡「背くらべ」。
ちまきを食べながら、兄さんが背丈の伸びを計ってくれた
縁側での兄弟の一こま。
端午の節句といえば、そんな歌の情景を思い出す。

きょうは「子どもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに
母に感謝する」日でもある。
変わらぬものの柱は、この精神だろう。
けれどいまだそこに届かぬ現実や、それを裏切るような・・・。
駐車場に止めた車中へ放置、満足な食事を与えず病気になっても
受診させないとのニュースなどが絶えることがない。
子どもの人格や幸福が何と軽んじられていることか。
それらのことを大人たちに問うている。

マンションのベランダに立って小学校の登校班が通り過ぎていくのを
目で見送ることがある。
五・六人ほどのグループが整然と一列に並んでいることもあれば
話に夢中になって列の一部が乱れていることもある。
そんな時は、最後尾のリーダーが注意して列を正すのが頼もしい。

新一年生が交じる時季。
天気のいい日には真新しいランドセルが朝日に映え
雨降りには大きな黄色い雨がっぱを引きづるようにして歩く。
小走りになって歩くそのけなげな姿に
保護者ならずとも思わず「頑張ってね」と声を掛けたくなる。
子どもたちは時代の鏡であることを、あらためて感じる。

(M.N)

揺れる聖火

チベット問題で注目を集めてきた北京五輪の聖火リレーが行われているが
長野市では、聖火を手に走るランナーの周りを
スポーツウエア姿の機動隊員が囲み、さらに両側を
百人規模の警察官が伴奏するという厳戒態勢のため
テレビの放映では、見ることができなかった。

八十人のランナーは妨害や沿道での小競り合いも見られたが
聖火リレーは無事に終わった。
警備の壁に囲まれた聖火は、見学者からあまりにも遠く
アスリートたちの複雑な笑顔ばかりが印象に残った。

何と言っても聖火は、歓迎の輪で幾重にも広がることによって
世界を結ぶシンボルとなる。
幾重な警戒の中、誰が何処をどのようにリレーするのか
見聞きできないようなありさまでは
聖火が何のために世界を巡るのか分からなくなる。
本来なら和やかに聖火がつながれていく中で
五輪のムードが高まるのだが、残念だった。

世界五輪大陸に、平和の祭典という五輪の意義を伝える
バトンとなるはずの聖火が各地の抗議行動にさらされ
北京五輪聖火リレーがおかしなことになっている。
平和と友好を象徴するはずが、逆に災いのもとになっている。

理想は理想として、五輪も政治とまったく無縁ではあり得ない。
今回の騒動はそんな現実をあらためて突きつけているのかもしれない。
モスクワ五輪、ロサンゼルス五輪と相次いだ東西両陣営のボイコット劇に
悲しみを覚えたことを思い出す。

日本が国際社会に戻ったのは
東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年だろう。
この年、東海道幹線が開通。「ひかり1号」が
東京ー新大阪間を4時間で走り抜け日本の力を世界に見せつけた。
OECD(経済協力開発機構)にも加盟でき
奇跡の復活を象徴する出来事が相次いだ。

ギリシャのオリンピアで採火された聖火が特別機で運ばれ
いくつかに分散された聖火は、日本の津々浦々をリレーされた。
トーチを持つ正走者は限られていたが
全国の中高生ら約10万人が随走者となったそうだ。
最終ランナー坂井選手が力強く美しい走法で
メーンスタジアム国立競技場のトラックを半周
聖火台へゆっくり駆け上がりトーチを高らかに上げた後、点火。
スタジアムは万雷の拍手。
名実ともに日本が国際社会に復帰した瞬間であった。

真近に迫った北京オリンピックも、かって日本がそうであったように
中国もこのスポーツの祭典に国の威信をかけて臨む。
何としても成功させ中国の力と発展を世界に示そうと必死なのだが
聖火リレーの混乱ぶりを見ていると
五輪本番は大丈夫なのかという不安が頭をよぎる。

中国内では、チベット自治区や
旗に描かれたヒマラヤのチョモランマも超えるようだ。
「大地の母」の名を持つ世界最高峰を行く聖火リレーは
整然として心穏やかであることを願う。
北京五輪のテーマは「一つの世界、一つの夢」なのだから。

(M・N)

判断

自転車の前後に子供二人を乗せて運転する
「三人乗り」の禁止を警察庁が徹底しようとしたところ
大騒動になりました

子育て環境の違いもあって
各県で問題の違いはあったようですが
三人乗りが日常的となっている地域で、
「実態にそぐわない」「機械的な判断」と
猛反発が起こったようです。

大都市圏では保育園まで距離があったり
公園に車寄せがないところが多い。
危険だと分かっていても
「やむをえない」が親たちの言い分のようです。

結局、警察庁は安全性が確保できる自転車の
開発を条件に方針転換を迫られました。
そもそも三人乗りは道交法などので禁止され
見た目にも不安定です。

一方、保護者が必要に迫られて
乗っている事情も分からないではないのですが
自転車の安全性と保護者のニーズを考え
この結論に達したのでしょう。

法律に従い、客観的に判断するのが役所の仕事と思います。
だがそこに当事者の視点がなければ
よりよいサービスは提供できません。
大切なのは「自分がその立場だったら」と
想像を膨らませることではないでしょうか。

スタートした後期高齢者医療制度は
保険料などの問い合わせの混乱が続いているようです。
お年寄りに寄り添う視点があったなら
もう少し温かみのある制度になっていたと思います。
少なくとも、人間的親しみの持てる名称が採用されたと思うのですが。

(M.N)

春風

いつの間にか桜の花の見ごろを過ぎて
新緑の季節へと移りつつあります。
柳が風に揺れるのを見ていると
心の中まで春風が吹きぬけるような気持ちになります。

春は、和む季節です。
こんな心持になりたいと思うのですが
世の中は相変わらず低迷状況で
和むなど無縁と思われるかもしれません。

しかし、人生の春わが世の春、春を謳歌するというように
勢いが盛んで希望に満ち、和むよりもさらに前向きで積極的な季節
それが春ではないでしょうか。

この時期、自然界では、景気低迷などおかまいなく
草木は芽吹き、花は咲きます。

世の中の流れだけに身を任せていたのでは
先に希望は見えてきません。
新しい何かに積極的にチャレンジしてみたいものです。
秋ならずとも実るはずです。

 (M.N)

楽しい酒

4月は歓迎会や花見など、酒を飲む機会が多くなる。

酒席はコミュニケーションを深めるのに役立つ一方
酒が弱い人に飲酒を強要するなどの
アルコールハラスメントが起こりがちだ。

アルコールハラスメントの中でも特に危険なのは
短時間に大量の酒を飲ませること。
一気飲みが流行した1980年代以降
急性アルコール中毒で何人もの若者たちが
命を失った。

若い人は、酒を飲み慣れておらず
自分の適量を知らない人が多い。
つまみを食べずに酒を短時間で多量に飲むなどした場合
酒に強い人でも急性アルコール中毒を
起こすことがあるという。

近年は身近で一気飲みを目にすることは少ないが
酒に強い人が弱い人へ「もっと飲め」と勧めるのは珍しくない。
軽く促す程度ならいいが
強要された揚げ句に飲めないことをとがめられ
不快な思いをした人も少なくないはず。

それでも自分のペースを守れる人はいいが
相手になって過度の飲酒をし
体調を崩しては「酒は百薬の長」どころではない。

酒の強さや体調の違いを互いに認め合い
飲める人も飲めない人も楽しめる酒席であってほしい。

(M.N)

六月病

各企業には新しいスーツに身を包んだ新入社員がはいってくる。
初々しい顔には「希望」「期待」という言葉が良く似合う。

「六月病」という言葉がある。
かって、学生には「五月病」があった。

受験競争に勝ち、大学入学を果たしたが
何に対しても意欲を失った状態だ。

ネアカの学生が増え、五月病は減ったといわれるが
六月病は会社に入り研修も終え
実際に働く六月ごろに病状が出る。

吐き気、腹痛で遅刻や欠勤を繰り返す。
生活が一変したための「適応障害」だ。

入社式では、厳しい企業競争を背景にプロ意識、激しい変化に対応できる
柔軟性、感性を求める訓示が多いだろう。

不安を抱える新入社員におくりたい言葉はやはり「希望」「期待」だ。
人生は長丁場、逆境でも希望を失わず,果敢に挑戦して欲しい。

私も「五月病」「六月病」で苦しんだ経験がある。

(M.N)

駄文

今日から4月。職場や学校で
真新しいスーツや学生服姿の若者たちの姿が
見られるようになります。

人生の明るい船出を祝福したい。

だが、なれない仕事や勉強、部活に戸惑う日々の
始まりでもある。

自分を見失わず、周りの人々の気持ちを思いやる心を
持ち続けて欲しいものだ。

今月から月に数回、皆様に一口メモとしてご案内いたします。
笑いながら、一読して頂いたら幸甚と思います。

 (M.N)

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