- 2014年1月31日 11:48
- M.N氏の岡目八目
文武両道に秀でた人物といえば、まず戦国時代の武将
細川幽斎(ゆうさい)が挙がるだろう。幽斎は熊本藩細川家の
初代にあたる。権力の趨勢(すうせい)を見極め、
足利将軍家から信長、秀吉、家康まで6人に仕えた。
天下分け目のとき的確に判断できたのは、巧みな
情報収集力があったためとされる。乱世にあって歌学を究め、
茶道・能・有職故実(ゆうそくこじつ)に通じた当代一の文化人だった。
生き抜くには文化人の才も役立った。関ヶ原の戦いで居城を囲まれ
死を覚悟したときは、かけがえのない歌学者を救うため、
後陽成天皇が講和の勅命を下している。それから18代目が、
にわかに注目の集まる細川護煕元首相だ。都知事選に立候補されている。
「若いときから決めていた」と還暦を機に政界を去り、神奈川県
湯河原町の山荘で晴耕雨読の生活に入った。徹底して突き詰める
先祖譲りの性分kらか、間もなく始めた陶芸の道で表川得た。
近ごろは京都の寺のふすま絵も描き、多才ぶりを発揮されている。
晴耕雨読は現代人のロマン。それを見事に実現し、また
「76にして立つ」とは。国政選挙が望めぬ中で、脱原発が進まない
現状を民意に問うなら意義はあろう。同世代を「第三の人生」へ
奮い立たせるかもしれない。政界のみならず波紋が広がりそうな
細川さんの決断である。
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