Home > M.N氏の岡目八目 > 作家菊地寛の人情

作家菊地寛の人情

小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が亡くなった時、
その枕元で泣いたそうだ。直木三十五が亡くなった時は
東大病院で号泣されたという。よほど無念だったのだろう。
二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。
「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、
小説家の川口松太郎氏が書かれている。

小説家の織田作之助氏が発病して宿屋で寝ているのを
菊池氏が見舞った時は、織田氏の方がおいおい泣いた
という話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は
世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、
菊池氏にまつわる話は心にしみる。

旧制一高(東大教養学部の前進)時代、菊池氏は窃盗事件で
友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める職にいられなくなる」。
友人がそう言って泣くので、菊池氏は罪を認めさせようと
いう気になれなかったのだ。

新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。
が、菊池氏は「前言を翻すのは卑怯と、最後まで罪をかぶる。
そんな勇気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。
そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。
同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池氏は
京大に進むことができた。

文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、
ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたといわれる。
少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。
まるで人情物語のような人生だ。菊池寛は65年前59歳で亡くなられた。

Home > M.N氏の岡目八目 > 作家菊地寛の人情

Search
Links

ページ上部へ戻る