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人生の密度

黒いネクタイを締めるたびに、限りある人生を考えさせられる。
過日、友人の葬儀が営まれた。突然の死はいまだに信じられない。
いつも励まされ、何もお返しできなかったと悔やんでいる。
人生八十年と言われて久しいが、どこかで他人事と受け止めている。

欧米型の食生活にどっぷりつかり、車での移動に頼り切る彼には
高いハードルだったと映るからだ。やはり粗食に耐え、体を
動かしてきた先輩たちにはかなわない。永遠の別れを重ねて
深まっていく、人生のはかなさへの思いだ。ある食品工業の社長は
「百年カレンダーを」を使って社員に「はかなさ」を説いて
いられるそうだ。百年分の暦が並んだ大きな紙を前に「一枚の紙に
君も、私の命日も入る。われわれは一枚の紙に住んでいる仲間だ」
と語り掛ける。若い社員でもあっても、どこかに見えない命日が
潜んでいる。

そんな気付きは、一度限りのはかない人生だからこそ
どう生きるかにつながる。その上で「忘己利他」(もうこりた)の
大切さを説く。自分さえよければでなく、他人のために何かをする。
小さな実践でいい。その積み重ねが自分の幸せになっていくのだと。
 
友人の遺影を見つめ、日々の仕事に精いっぱい打ち込んだ姿が
浮かんできた。人生は長さでなく密度が大切。いつもの人懐こい
笑顔で論された気がした。
 

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