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大横綱大鵬関

大鵬の土俵人生は高度経済成長とともに始まり、抜群の強さで
たちまち少年たちのヒーローになった。「巨人・大鵬・卵焼き」が
流行語になったほどだ。幕内優勝32回の記録はいまも破られていない。
その昭和の大横綱が亡くなった。「一つの時代が終わった」。
かってのファンはそんな喪失感に沈んでいるのではなかろうか。

大鵬は「天才」と言われるのを嫌ったそうだ。「ぶつかり稽古も四股や
てっぽうなどの準備運動も他の人の3倍はやって努力した。
天才なんかじゃない。鍛練が結果に表れただけ」。そう言う。
この努力する才能こそが天才たるゆえんだったのだろう。

けいこ場で初め猛烈なしごきを受けた。倒れると口の中に
塩や砂をがばっと入れられる。好きな言葉が「忍」と言うだけあって
それに耐えた。少年時代の貧しさが忍耐力を培ってくれたのだろう。
くじけそになると、決まって師匠が特大のビーフステーキを
ごちそうしてくれた。蔭ながら見守ってくれていたのだ。


横綱に同時昇進した柏戸の存在は大鵬にとって幸運だった。
互いに早くから闘志を燃やした。この闘争心が「柏鵬時代」を築いた。
柏戸の「剛」」大鵬の「柔」の激突は相撲ファンにはたまらない
魅力となった。「柏戸関がいたからこそ、私は頑張れた」が
大鵬の口癖だった。

「社会への恩返し」も忘れない。日本赤十字社に献血運搬車を
計70台も贈り続けた。大鵬の相撲人性は「努力」「忍」「感謝」の
心の大切さを教えてくれる。精神面でもまさに大横綱だった。

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