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名門部屋の閉鎖

大相撲で出羽の海、春日野などと並ぶ名門だった二所ノ関部屋が
1月場所限りで閉鎖されるという。戦前の玉錦、戦後の大鵬という
昭和の大横綱をはじめ名解説者だった神風と玉の海、大麒麟や
青葉城といった人気力士を輩出した。力道山も在籍していた。

世代によって差があるかもしれないが、最強の横綱といえば、
大鵬を挙げるファンが今も多いのではないだろうか。
昭和30年代から引退する40年代半ばまでの大相撲の
一番の醍醐味は、この人の圧倒的な勝ちっぷりを見ること
だった気がする。同時代の好敵手、柏戸の豪快さとは対照的な、
冷静で手堅い取り口は、他の力士にない風格を感じさせた。

北海道で定時制高校に通いながら営林署のアルバイトを
していたとき、巡業に来た二所ノ関一門の力士に紹介されて入門。
異例の早さで昇進し、横綱になったのは21歳だった。よく
使われた「相撲の天才」という言葉を嫌った。当時の部屋は
荒稽古で知られ、<誰よりも多く、厳しい稽古をして強くなった>
という思いがあったからだ。(ロング新書『相撲道とは何か』)

四股、鉄砲、すり足などを反復するなかで学んだのは、
礼儀、しきたりであり、(力士として強くなろうとすることは、
人としての品格をあげる)という基本だった。閉鎖されることに
ついて、大鵬の納谷幸喜氏は「いろいろな人たちで築いてきた」
「寂しい」と語られたそうだ。言葉に込められたのは、
部屋の消滅への悲しみと、「品格」という相撲の極意が
失われないでほしいという願いだろう。


 

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