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知将

就任1年目で日本ハムをリーグ優勝に導いた栗山英樹監督の
理想の指揮官は、西鉄ライオンズ監督だった三原修氏という。
その名を聞けば、とりわけ60代以上の世代にとっては、
懐かしさとともにあの時代の光景がよみがえるに違いない。
プロ球界随一の知将といわれた三原氏は、その采配ぶりから
「三原魔術(マジック)と呼ばれた。

圧巻は1958(昭和33)年の日本シリーズだった。巨人に3連敗を
喫し後のない西鉄は、鉄腕稲尾和久の連投で4連勝を果たし、
奇跡の日本一といわれた。中西太がいて豊田泰光がいた。
西鉄の黄金時代だった。大スター長嶋茂雄はこの年巨人に入団し、
新人王を獲得した。

三原氏はその後、大洋ホエールズの監督に転じ、前年最下位の
球団を日本一にした。スポーツキャスターとして知られた栗山監督は
監督業はもちろん、コーチの経験もない。 しかし、選手掌握のうまさは
三原氏に共通する。そう指摘するのは、スポーツジャーナリストの
二宮清純氏だ。

例えば、1割台の打率で不振だった主砲の中田翔を4番として
使い続けた。批判もあったが、将来は球界を代表するスラッガーに
との思いからだ。クライマックスシリーズを制した日本ハムの
日本シリーズの相手は巨人に決まった。背番号{80}は三原氏の
それにちなむという栗山監督の采配に注目したい。

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