- 2012年9月25日 07:57
- M.N氏の岡目八目
日中国交正常化交渉のため、北京入りした田中角栄首相は
宿舎に入って目を丸くした。1972年の9月25日のことだ。
戸外は猛暑なのに室温は自分が好む17度に設定され、
好物のバナナとアンパンまで用意してあった。
首相は秘書に漏らした。「これは大変な国に来た交渉、
掛け合い事は命がけだな」。中国側は迎げていた。
国交樹立への意気込みをひしひしと感じたという。
『日中国交正常化』(中公新書、服部龍二著)に出てくる
挿話の一つだ。交渉は何回かの首脳会議を経て、中国の
周恩来総理言うところの「小異を残して大同を求める」
ことで妥結にこぎ着ける。
それから間もなく40年だ。日本政府が沖縄県・尖閣諸島
(中国名・釣魚島)を国有化したことで中国国内で反日デモが激化。
満州事変の発端となった柳条湖事件から81年の9月18日は
125都市で行われたようだ。
国交正常化交渉の際、毛沢東主席が田中首相に言った。
「もう周総理とケンカはすみましたか」『雨が降って地が固まる
ということばあるように、議論したほうが却(かえ)って仲よくなる
ということもありますよ」
中国で働き、暮らす日本人を反日デモで「命がけ」にさせては
ならない。日中講和の精神を忘れることなく、「命がけ」でケンカ
しなければならないのは両国首脳であるはずだ。