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痩せ我慢

痩せ我慢を国の指導者に求めたのが、福沢諭吉である。
晩年「瘠(やせ)我慢の説」を著した。文中で勝海舟らを
批判している。明治政府への功労は認めながら、
幕臣である勝海舟が勝ち負けを試みず降参したのは
「日本国民に固有する瘠我慢の大主義を破り・・・
立国の根本たる士気を弛(ゆる)めたるの罪は
遁(のが)る可(べか)らず」と痛烈だ。

その本意は、平和裏に生まれた新政府が精神面で
空洞を抱えることになったとの警告にあった。
120年後、空砲はますます大きく、痩せ我慢なんぞ
永田町のどこを探しても見つかりそうにない。

福沢諭吉の時代に負けず劣らぬ危機に直面しながら、
ともに身をていする覚悟はなく、角突き合わせるだけの与野党だ。
寄らば大樹とばかり、なりふり構わぬ新党の動きで
、空虚な多弁だけが闊歩している。

「学問のすすめ」の最後で「人の顔色は家の門戸の如し」と
顔の大切さを説いた諭吉。痩せ我慢を忘れた政治に自身の顔で
飾られた紙幣が翻弄(ほんろう)されていると知れば、
どう思うだろうか。

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