- 2012年2月16日 18:49
- M.N氏の岡目八目
人生とは、ままならず、じれったいものである。
故事ことわざで言えば、「寸進尺退」といったところか。
「手元の辞書によれば、すんしんしゃくたい、と読む。
「一寸進んで一尺退くこと。得るところが少なく、
失うところが多いこと」をいう。
寸(すん)や尺(しゃく)を使った故事ことわざには
「寸善尺魔」もある。すんぜんしゃくま、と読む。
「世の中には、よいことはほんの少ししかなく
、悪いことの方がずっと多いこと」とある。太宰治の小説
「ヴィヨンの妻」の名文は、こう語る。「人間の一生は
地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事で
ございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ず
くっついてまいります」。
さて、今の世の中、どれほどの人が寸や尺を
知っているだろうか。ピンとこない人が、大勢を占める。
若い世代に至っては、「寸や尺って、なあに?」といった
ところであろう。
寸や尺は、尺貫法(しゃっかんほう)の単位。
重さは貫(かん)で量った。一寸は約3センチ、その10倍
の一尺は約30センチ。一貫は3,75キロである。
太宰の作品の中にも「戸が二,三寸あいている」とか、
「二寸ばかりの高さ」などの表現が出てくる。メートル法に
取って代わられるまで、暮らしの中では尺や寸などを
使うのが普通だった。
名文は時代を超えて、後世の人に読み継がれる。
とはいえ、現代人は「寸善尺魔」「二、三寸」という言葉を前に
立ち止まって、頭の中で換算をする。太宰がもし
生きていたなら、さぞかし、じれったく思ったに違いない。