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2012年2月 Archive

船中八策

「竜馬が行く」の中で司馬遼太郎さんは、坂本龍馬の
「船中八策」について、「他の倒幕への奔走家たちに、
革命後の明確な新日本像があったとは思えない。この点、
竜馬だけがとびぬけて異例であったといえるだろう。
この男だけが、それを考えぬいていたと書いている。

龍馬の八策は、憲法制定や上下両院による議会政治、
不平等条約の改定、海軍力の増強など画期的な条文で、
後の五箇条の御誓文にまで連なる内容だった。
明治政府が憲法制定と議会開設まで20年以上を
要したことを考えると、龍馬の先見性がよくわかる。

この「船中八策」がにわかに注目を集めている。
橋下徹大阪市長が代表の地域政党「大阪維新の会」が
次期衆院選に向けてまとめた公約集「「維新版・船中八策」
の骨格が明らかになったからだ。評価する声も
あるが、机上の空論、絵空言という声も飛び交う。

あくまで骨格で、具体的な政策はこれからと言うから、
善し悪しの評価はまだ時期尚早だろう。ただ多くの人が、
前回の衆院選以降、選挙公約=マニフェストの無意味さを
思い知らされていることを、維新の会も重々肝に銘じてほしい。

橋下人気は、彼なら閉塞感を打破してくれるだろうという
期待感の現われだ。このままでは日本はどうなるのかと、
不安を感じている人々の期待に応えられる具体的な政策が
出てこないと、「名前倒れじゃ」と泉下の龍馬に土佐弁で笑われる。

休眠預金

便利なクレジットカードの普及により、カード払いで済ませる
買い物が多くなってきた。一方で、金銭取引の感覚が薄れ、
底を突きつつある預金口座も忘れがちな自分に気付かされる。

進学や就職を転機とした独立生活に際し、銀行や農協、
郵便貯金などに預金口座を開設し、生活上必要な各種の支払いや
入金用に充ててきた。転居など生活環境の変化に応じ、その都度、
最寄の金融機関に新たな講座を開設してきたことが思い起こされる。

最も古いものでは40年前までさかのぼるが、記憶があいまいで
思い出せない。一般的に10年以上放置された状態で預金者と
連絡が取れない場合、金融機関では「休眠口座」に分類。
全国で年間800億円以上の休眠預金が発生しているともいわれている。

この眠ったお金を、東日本大震災の被害地支援策に生かすべく、
政府が検討していることが、報じられている。一見、余ったお金の
有効活用にも映るが、本をただせば国民個々の財産であり、
"身勝手な使用"への抵抗感から反発が予想されることも確かだ。

当然、預金者の理解と同意が必要に思われるが、転居時などに
移転先を連絡しているわけでもなく預金者の追跡は難しいのが実態とか。
ましてや大半の休眠預金は残高が小額のケースが多く、
意識的に放置してきた面も否めない状況にある。

法律上、銀行預金は5年、信用金庫などは10年間利用がない場合、
預金者の権利が失われるが、預金者の求めがあれば払い戻しに
応じているという。この際、眠ったままの預金通帳がないか
再点検してみたいものだ。

故事ことわざ

人生とは、ままならず、じれったいものである。
故事ことわざで言えば、「寸進尺退」といったところか。
「手元の辞書によれば、すんしんしゃくたい、と読む。
「一寸進んで一尺退くこと。得るところが少なく、
失うところが多いこと」をいう。

寸(すん)や尺(しゃく)を使った故事ことわざには
「寸善尺魔」もある。すんぜんしゃくま、と読む。
「世の中には、よいことはほんの少ししかなく
、悪いことの方がずっと多いこと」とある。太宰治の小説
「ヴィヨンの妻」の名文は、こう語る。「人間の一生は
地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事で
ございますね。一寸の仕合せには一尺の魔物が必ず
くっついてまいります」。

さて、今の世の中、どれほどの人が寸や尺を
知っているだろうか。ピンとこない人が、大勢を占める。
若い世代に至っては、「寸や尺って、なあに?」といった
ところであろう。

寸や尺は、尺貫法(しゃっかんほう)の単位。
重さは貫(かん)で量った。一寸は約3センチ、その10倍
の一尺は約30センチ。一貫は3,75キロである。
太宰の作品の中にも「戸が二,三寸あいている」とか、
「二寸ばかりの高さ」などの表現が出てくる。メートル法に
取って代わられるまで、暮らしの中では尺や寸などを
使うのが普通だった。

名文は時代を超えて、後世の人に読み継がれる。
とはいえ、現代人は「寸善尺魔」「二、三寸」という言葉を前に
立ち止まって、頭の中で換算をする。太宰がもし
生きていたなら、さぞかし、じれったく思ったに違いない。

人口減少社会

50年後の日本はどうなっているのか?「なぁに、オレは
その頃まで生きていない」と無責任に開き直ることはできない。
これまでの人生経験に照らして一言ぐらいはアドバイス
すべきがOBとしての務めというものであろう。しかし実際は
どうなるのか?

厚生省は、日本の総人口は48年後の2060年までに
現在の3割減にあたる8674万人に減少するだろうという
推計を発表した。関東地方の人口がそっくり消える計算で、
25年後には1億人の大台を割りそうだ。

もっともこれは、少子高齢化の趨勢(すうせい)がこのまま
続くという前提の下に立っての推計だろうから、今後
「うれしい誤算」が生まれる可能性は高くないにせよ、
確率的にはあり得るだろう。いや思わぬ現象が起こって、
いつなんどき「多子低齢化」に転ずるとも限らないのである。
だからそう悲観的になることもあるまい。

とはいえ、その対策は講じておくべきだ。しかしそれは
いかに人口を増やすべきかという視点からではなく、
まさに税と社会保障の一体改革によって「高福祉少負担」の
未来モデルを構築することにこそあろう。

人口の減少は経済のパイを小さくするが、人口密度が減り、
地価も下がる。インフラの投下も少なくて済み、政府も行政も
規模が圧縮される。年金の受給者だって減る。こうした
仮定の中で理想的な国づくりを考えることだ。
端緒(たんしょ)は必ず開けるだろう。

円高

円高が止まらず、ついにユーロも安値になった。
対ドルは依然76円台をさまよっており、輸出企業は
青息吐息だが、化石燃料はじめ天然資源の多くを輸入に
頼っているわが国としてはコインの両面を見る必要が
あると思う。

円高はマイナスという声だけしか聞こえてこないが、
それは輸出競争力を前提に捉えているからで、シェアが
大きく独自の価格設定をできる業種、メーカーにとっては
むしろ加工原料を安く手に入れられる上に、利幅も
自由にできる現状は追い風というものであろう。
追随されやすい価格競争となるような製品にはさっさと
見切りをつけ、真似ができないような製品をつくる技術力を
磨けという"天の声"が聞こえてきそうだ。

円高はまさに日本に対する与信の大きさを示す証拠であり、
欧州の経済危機をはじめとする現状分析をもって、
エコノミストや学者が日本経済の先行きに対しいくら
危機感をあおっても、国民はそうはならないことを肌で
感じ取っている。
 
本来ならこれほど長いデフレスパイラルが続く日本経済は、
破綻の道をまっしぐらに走っているはずだが、そうとはならず、
賃金も何も上がらない状況にもかかわらず、経済は"低値安定"
している。これが日本の実力というものであろう。

いま世界のどこもが日本の技術と部品を必要としている。
それを支えているのが大中小企業を問わぬものづくり日本の
裾野の広さなのだろう。しかも個人の預貯金がGDPの
2倍弱もある。その"信用"の結果なのである。私個人の
素人としての考えだが。

隠居

定年近しの齢(よわい)となり、江戸落語のご隠居みたいに
なりたいもんだ、とぼんやり思うことがある。
このご隠居、江戸時代の人びとにも憧れだったようだ。
 
歌川広重は26歳で同心の家督を譲って隠居。浮世絵師になった。
松尾芭蕉は36歳、伊能忠敬は49歳で隠居しそれから偉業を成した。
江戸文化に詳しい社会学者田中優子さんは、隠居とは、やりたいことが
できる人生の到来だったと、書いていられる。

しかし隠居するにも、先立つものがいるはず。田中さんによれば、
武士だときちんと勤め上げたあとに隠居料が支給される。
農民や町人は相続財産から1~3割の隠居料を確保し、
相続者と契約書も交わしていたそうだ。

内閣府の有識者検討会が高齢者=65歳以上の定義を見直そうと
言い出した。国連が65歳を高齢者とした1950年代、日本人の
平均寿命は男63歳、女67歳だったが、今は男79歳、女86歳だ。

年齢の固定観念が高齢者の意欲を削ぐ、と検討会は指摘する。
そのココロは、社会保障の基準「65歳以上」を引き上げ、定年延長で
働き続けられるようにする。国の借金は膨らむばかりであり、「支える」側に
回ってほしいとの要請なのだろう。

やれやれ楽隠居など望むべきもない。といって落胆するには及ばない。
広重や芭蕉を見習えば、人生リセットして自らの道を歩むのが隠居だ。

 

 

NHK大河ドラマ「平清盛」

映画「地獄門」(1953年公開)は、平安時代の武士が
人妻に懸想、人妻が夫の身代わりに武士の凶刃に倒れる物語だ。
武士は長谷川一夫さん、人妻を京マチ子さんが演じ、カンヌ
映画祭でグランプリを受賞した。

武士は後の僧侶・文覚の遠藤盛遠、人妻は渡辺渡の妻・袈裟
(けさ)で、菊池寛の戯曲「袈裟の良人」を原作としている。
原作には「平家物語のころ」とあるから、平安末期の物語だろう。

その盛遠が吉川英治の「新平家物語」冒頭に出てきて驚いた。
平清盛が学んだ学舎の学友との設定だ。清盛の生誕は元永元
(1118)年、盛遠=文覚は20年ほど下るから学友はあり得ないが、
物語の展開上、必要だったのだろう。

「新・平家」にはもう1人、出家した武士が出てくる。後に西行となる
佐藤義清だ。父を慕う4歳の娘を縁の下に突き落とし、泣き声を
聞きながら髻(もとどり)を切ったと描かれているからすざまじい。
西行は清盛と同じ年生まれ、同僚だった可能性もある。

NHKの大河ドラマ「平清盛」が始まった。51作目となるようだ。
序盤は若き清盛が描かれ、義清も同僚として登場する。
「平家物語」には文覚の紀述はあるが、西行の記述は見つからないから
「新・平家物語」などを参考にしたのかもしれない。

権力の頂点まで上り詰めて栄華を極めた清盛と、俗世を絶った
法師らは、今後どんな交わりを見せるのだろうか。、そんな
視点からの鑑賞も興味深く楽しみにしている。

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