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2011年10月 Archive

自転車は車両

自転車は原則、車道を走るもの―。警察庁は、「自転車は車両」
との意識を浸透させることで事故を防ごうと、車道走行と、
交通ルール順守の徹底を全国の警察本部に指示した。

自転車は免許が要らない手軽な乗り物で、車両という意識が
薄れがちだ。一時停止の標識の標柱に「自転車も止まれ」と
書いてあるのを見たことがあるが、守る人はどれぐらいいるだろうか。

自転車のルール・マナー違反に遭遇した経験も数知れない。
歩道をふさぐ数台並んでの走行、スピード走行や無灯火。
車に乗っている時、右側走行の自転車が対向してくると
はらはらする。

今後は違反を発見し次第、警察官が注意することになった。
注意を無視したり、信号無視やブレーキを取り外したりする
危険な行為には交通切符(赤切符)を切って摘発するという。

ただ、車の交通量が多い車道を走るのは怖い。自動車を運転する側も
自転車の存在に注意を払う場面が増えそうだ。今回の指示が
交通事故増加の元凶にならないよう、一人ひとりがルールを守り、
思いやりのある走行に努めたい。

(M.N)

3 冠馬

「3冠」の称号はプロ野球に限らず、スポーツ界ではおなじみだ。
三拍子に通\じ、バランスの良さを思わせる。三景や三筆のように
日本語の語呂にもぴったりくる。だが本をただせば英国、それも
競馬に端を発するという。

日本競馬界の3冠は若駒がしのぎを削る。春の皐月賞は中距離走。
馬群が混みがちなダービーは運も左右する。夏場の後に控える
菊花賞はスタミナ勝負の長丁場だ。今年はオルフェーヴルが総なめし、
史上7頭目の三冠馬となった。

ディープインパクト以来だ。負けず知らずでその座に就いた
名馬と比べられるが、道のりは随分違う。やんちゃな気性で、
デビュー戦では騎手を振り落とした。4連敗し、10着に
沈んだこともある。

あの手この手で調教陣が覚えこませたのがベース配分だ。
人間の世界では耳遠くなる一方の辛抱や我慢を学び、
持ち前の瞬発力に火が付いた。ディープのせがれ2頭を
寄せつけなかった菊花賞。ゴール後には、またも地面に
騎手をはわせるご愛嬌まで見せてくれた。

来年秋、各国の三冠馬級がパリ郊外に集う凱旋門賞に挑むという。
挫折をバネに、世界と戦えるところまできたようだ。
復興日本の底力をダブらせてみたくなる。テレビで見てても、
走る姿には感動する。

(M.N)


タイの洪水

タイの洪水は、ついに首都バンコクを襲った。これまで
北部・中部の工業団地をのみ込み、日系企業400社以上が
被害を受けたようだ。自動車や電化製品、食品製造など幅広い。
自動車工場は操業再開のめどが立たず、新型カメラの発売を
延期した企業もある。

豊富で安い労働力を求め、日本企業が中国をはじめ
東南アジア諸国に生産拠点を移す動きが続いている。
最近は円高や法人税の高さ、電力不足の懸念から、
移転を検討する企業がさらに増えているという。

しかし今回の洪水は、生産拠点を集積させることの
危険性も示した。生産コストを下げ、シェアを切り開き、
国際競争に勝ち抜くことが企業、そしてものづくり大国日本の
道だが、生産ラインが停止してしまえば、お手上げだ。

それは国内でも同じ。東日本大震災でも、東北地方で
中小・零細の町工場の製造がストップし、2万点の
部品ひとつ欠けても完成しない自動車の製造が止まった。
水産加工のように、一部で打撃を受けても国内の代替地で
カバーできる場合もある。しかし、機械や部品はそう簡単にいかない。

生産が止まれば輸出が止まり、経営不振、ひいては日本経済の
悪化を招く。安定した生産体制をどう築き、天災時でも被害を
最小限に食い止めるか。難しい問題だ。
しかしまずタイの国家的危機に援助の手を差し伸べることだ。
そこから始めていくことこそ日本の大きな役割ではないのだろうか。


(M.N)

日本酒

日本酒がおいしい季節となった。最近は若い女性の間で
カップ酒が人気という。カップ酒といえば、世のサラリーンマン
たちの疲れ切った心を癒してくれる友だった。
酒はおいしく、そしてきれいに飲みたいものだ。
しかし、この「きれいに飲む」がなかなかできない。

酒量が増えると、くだける。くだけるのはいいが、だらしなくなる。
だらしなくなっているのにも気が付かず、杯を重ね、そして、
記憶が薄れたまま悪夢の朝を迎える。ほどほどでやめれば
「きれいに飲めるのだが・・・

では、「きれいな飲み方」とは、どういうことなのか。たとえば、
正しい杯の持ち方は人さし指と親指で持ち、中指を杯の下部に軽く添える。
その際、人さし指と親指は杯の円の直径を差す形になる。
そうやって杯を持ったら唇に近づけ、人さし指と親指の中間の所から、
杯の中の酒を口に放り込むようにして飲む。

酒のつぎ方については、おちょうしを親指の下に向けるようにして倒す。
相手に向かって縦に突き出してはいけない。ひねってもいけない。
テレビで劇場中継の舞台で女優さんたちが演じている姿を観て分かった。

秋の夜長、ついつい杯が進んでしまう。しかし度を越すと、
「酒の上」と済まされなくなる。このところ、泥酔して事件を起こし
逮捕される人が目立つ。楽しく飲んだ記憶とともに、倫理観まで
置き去りにしてしまったのだろう。


安全基地

「最近の若い人は内向的で困る」言われたことはするんだが、
自分から進んでやろうという意欲がない」。若者に対するぼやきは
今も昔も大人の口癖のようなもので絶えることがない。

自分も若いころ「最近の若い者は・・・」と言われ気分を害した
経験がある。だからなるべく言わないようにしてきたつもりだが、
つい口を滑らすこともある。しかし昔と今では事情が違うことに、
はたと気付いた。政治学者、姜尚中さんがラジオで話していた。
「今の若者は『経済成長』や『右肩上がり』というのを知らない」と。

確かに物心ついた1990年ごろにはバブルが崩壊。
「失われた10年」が始まり、日本経済は長い停滞期に入った。
金融機関の破綻や雇用不安など過酷な時代に彼らは育った。

幼児の発達に関して「安全基地」という用語がある。
親が見守っているという安心感が得られる居場所のことで、
その保証があると冒険心が芽生え人間関係が広がるそうだ。

経済成長率が10%を超えた古き良き日本は若者には夢物語。
まずは安全と保証が第一。「安全基地」もなしに冒険はできない
ーというのが本音だろう。

欧州や米国に反格差社会デモが広がっている。高い失業率や貧困層の拡大、
福祉・教育の切り捨てに若者が怒りの声を上げている。時代の閉塞感は
日本も状況は同じ。「安全基地」を構築することが急務である。

(M.N)

雑草のごとく

たくましさのたとえに必ず登場するのが雑草だ。
植物研究の泰斗(たいと)でもあった昭和天皇は「どんな草」
にも必ず名前がある。だから雑草という草はないのだよ」と
言われたそうだが、ここではあえてその名も知らぬ雑草の
たくましさにふれたい。

大津波によって建物がすっかり流され、土台だけが残った
その土の部分を覆いきって秋を待っていたかの如くそよいでいるのが、
雑草たちだ。被災から半年が過ぎた。田んぼの稲も、畑の野菜や
草花も塩分によって生育を阻まれた中にあって、雑草だけは
何事もなかったように生を謳歌しているそうだ。

「雑草ってすごいな」といういまさらながらも、改めてその
生命力の力強さに感心する友人の声を何度も聞いた。
植物にはまったくうとい私も、ただノギ科とだけは思われるその草が
もう子どもの背丈以上に伸びているさまを廃墟跡で見たとおりの写真を
同じ友人から送ってきた。

なぜ俗に雑草といわれる草はこんなにもたくましいのか?
嫌われて疎まれてもまったく意に介せず、ひたすら天空に向かって
成長を続けるそのパワーの源泉はどこにあるのだろう。
きっとそれは誰の助けも借りずに独力で生き延びてきた
DNAがもたらすものではなかろうか。

被災地の復興はまさにこの雑草たちの生き方に学ぶべきかもしれない。
むろん復興は被災地ひとりが自助、自立で立ち向かうわけにはいかない。
その今後は国に多くを委ねるしかないが、しかし被災地の一人一人は
その心持ちのありかを大地にしっかりと根付かせる必要があると
思うのです。

(M.N)

百寿

「長生きは人に恩返しするチャンス。だから、
自分で罪深いと思っている人は、うんと長生きしてくださいよ」。
数年前、講演でそんな風に笑わせていた聖路加国際病院理事長の
日野原重明さん。10月4日に100歳の誕生日を迎えられた。

90歳の卒寿、99歳の白寿、100歳の祝いは耳慣れないが、
上寿や紀寿、百寿と呼ぶらしい。日本で今年、新たに
100歳になる人は、何と2万4952人。「人生七十古来稀なり」
は既に遠く、喜ばしい限りだ。

日野原さんは今も講演で全国を飛び回り、執筆や医師の活動にも忙しい。
講演の予約は数年先まで詰まっているそうだ。自ら企画した
ミュージカル「葉っぱのフレディ」は12年目を迎え、今月の
特別講演でダンスを披露される予定ときく。

長生きの秘訣は一般に「食事、運動、生きがい」。日野原さんは
病院の6階まで毎朝階段を上がり、高齢患者の手を握って
「私より若いのに、先に逝っちゃ駄目だよ」と笑わせ、励まして
いられるそうだ。見習いたいが、ちょっと超人的すぎる。

医療者に一番求められるのは「知識や技術より、患者の心に
上手にタッチする力」らしい。その言葉通りの柔和な笑顔。
いつまでも元気で、いつまでも現役であってほしいと、
願わずにはいられない。

(M.N)

大相撲界

国技の大相撲界に新たな時代が到来する予感がする。
共に横綱白鵬を破った琴奨菊、稀勢の里の奮闘に
沸いた秋場所を見てそう思った。

近年の大相撲は外国人力士の活躍ばかりが目立っていた。
秋場所は横綱、大関からついに日本人力士の名が消えた。
2006年初場所の栃東以降、日本人力士の優勝はない。

幕内力士42人のうち外国人が38%を占めるまでになった。
外国人がいてこその醍醐味もあり、否定はしないが、
日本人力士が負けず劣らず勇躍する土俵でないと興味は半減する。

ところが、今場所は趣が違った。20回目の優勝を果たし、
大横綱の風格が漂う白鵬も63連勝した時のような圧倒的な
強さはなかった。関脇以下に初めて連敗したのもその証左だ。
日本人として4年ぶりとなる待望の大関琴奨菊が誕生した。
そして来場所は稀勢の里が大関とりに挑む。後には生きのいい
若手力士も控えている。

賭博や八百長など不祥事続きの影響で人気に陰りが
みられた大相撲だが、復活の兆しが感じられた。
そして第3代若乃花以来の日本人横綱誕生も
そんなに遠くない気がしてきた。

(M.N)

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