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世界遺産で「浄土」に脚光

極楽浄土の存在を信じ、阿弥陀(あみだ)仏にすがって
浄土に導かれることを願う浄土思想。未法の世が迫ると
人々が不安を募らせ始めた平安時代後期から急速に広まった。

人々は、説法や絵図で示された浄土の様子をひたすら
思い描きながら、念仏を唱えた。浄土を鮮明にイメージするほど
浄土に近づけると信じたからだ。

権勢を誇る者は、浄土をこの世に現出させようと試みた。
その一つが、京都・宇治の平等院鳳凰堂だ。「極楽が疑わしければ、
宇治の御寺を見ればよい」とまで言われたほどの壮麗さである。

浄土現出の試みは東北の地でも行われた。3代100年にわたって
平和と繁栄を謳歌(おうか)した奥州藤原氏。その初代、清衛が
平泉に建てた中尊寺金色堂は黄金に輝いてまぶしく、浄土を見た
心地がする。浄土現出のコンセプトで統一された一帯の寺院群には、
平和で苦しみのない理想郷をこの世で見てみたいという。
当地の人々の切なる願いが込められている。

岩手県平泉町の文化遺産郡の世界文化遺産登録が正式決定した。
東日本大地震で苦しむ現地の人々にとって、復興への光明となる
朗報だ。

世界遺産委員会は浄土思想に深い理解を寄せて決定に踏み切った
という。平和な理想郷を求める心は、国や宗教の違いを超えて
世界に共通する。津波が(ツナミ)として世界共通語になったように、
浄土も(ジョウド)として世界中に語られる日が来るかもしれない。

(M.N)


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