- 2010年7月 6日 08:20
- M.N氏の岡目八目
大工があり小工がある。幕末に高知県吾川郡、土佐郡などで
寺社建築がなされた際に、その棟札に大工何某、小工何某と
記されているそうだ。小工とはもともと奈良・平安時代、
大工の下に属し営作に従事したものだという。
蛇足ながら、大工は専門化されていて、
宮大工、寺大工、屋大工、船大工などがあり、
建具専門職は大工とはいわなかったようだ。
下手な屋大工は、小屋大工(住宅は無理で、非住宅の小屋くらいしか
施工できない者)と蔑まれたという。
また宮大工の入門にあたっては入門書兼契約書として師匠に
「大工壷金之書」(壷は墨壷、金は局尺、さしがね、L字型の物差)
を差し出したものだという。大工修行も大変であったようだ。
隠語もあったという。施主が昼飯を出していたようだが、
「今日のホソは本山杉で付けられたものではなかった」などという。
昼飯は不味くて食えないということ。
「板を削らせて呉れたら」というのは酒を飲ませて欲しいとの
意味だそうだ。施主には全くわからない。
これはジェクト株式会社創立者との会話から教わったもの。
(M.N)