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正月の実感

正月という実感がわいてこなくなって久しい。
それは「毎日が盆正月みたいなもの」という表現が
大袈裟でないほど食生活が豊かになったからだろうか。

盆はともかく正月というハレの日は
いつものつぎはぎだらけの服でなく
文字通り一張羅の晴れ着を着せられ
家族のみならず多くの親戚縁者近隣などが集まって
普段は口にできないようなご馳走を食べ
大声で談笑するそのひとときは実に楽しいものだったから
「もういくつ寝るとお正月」と指折り数えて待つのは当然だった。

まさに正月用といった貴重品のミカンが
木箱から取り出されるときのうれしさ。
お年玉をもらった時の得意。
それにも増していつまでも思い出として情景に残っているのが
正月の遊びごとだろう。
いとこ、はとこ、友人たちが集まると当然ゲームの出番だ。
                                                                     
家の中なら十二支合わせ、トランプ、双六、福笑いなど。
家の外ならたこ揚げ、追い羽根などまさに正月用の定番というものがあり
それが集中して楽しめるのが正月だったのだ。
しかしこうした遊びも次第に姿を消し
正月ならではの光景というものが少なくなってきた。
それが実感を薄める最大の原因ではなかろうか。

先日、多摩川べりで子どもたちがたこ揚げしているのを見た。
年が明けて初めて見る光景だった。
たこは、空気の流れを利用して揚がる。
ただしビニール製の洋だこは
流れに水平に近い角度でうまく乗せる方が揚がりやすく
逆に長方形の和だこは流れに対し垂直に立てて
遮る形にしたほうが揚力が生まれる。

空を舞う風は、気ままで変幻自在である。
姿が見えず、やっかいな相手だが、風向きは必ず変わる。
風を読み、たこの性質をつかんで、空高く揚がるよう
「たこたこ揚がれ、天まで揚がれ」と子どもたちを励ました。

(M.N)

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