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白洲次郎の伝説  -その2-

もっとも少し出来過ぎのようで、実は日本語での演説を提案したのは米国側だったようだ。日本のメディグニティ(尊厳)のため」と。
吉田首相のメンツを損なわないように。
演説嫌いの首相、英語の発音も苦手だったらしいから、そこで白洲が引き取ったのが、
真相かもしれない。

 夫人は古美術に詳しい随筆家正子(1910-98年)。
正子さんを介して多くの知遇や財界とのつながりを得た。
ゴルフにも熱中、80歳までポルシェを乗り回した。
そんな白州次郎が今、注目されている。NHKでその伝説の生涯をドラマスペシャルで放映された。別番組では白洲次郎・正子夫妻のお孫さんが面影と想い出を語っておられた。

確かに白洲次郎に対する評価はいろいろで、このブームを「貴族的なものへのあこがれ、格差社会が生んだ現象」との分析もあるが、占領期に米国にもの申すなど、磨き抜かれた英語でよく口にした「プリンシプル(原則)」、決してこびない凛(りん)とした生き方への共感のような気がする。

 政治も経済も混沌の日本。「なんだ、このざまは。プリンシプルがないではないか」。
天国から聞こえるかっこいい男の叱責(しっせき)を聞きたがっているのかもしれない。

 鳩山由紀夫首相は英語だった。外交デビューの国連演説は「温室効果ガス25%削減」を提示したところ拍手が起きていた。訥訥(とつとつ)とした印象だが、自らの言葉で共感を呼んだ。米スタンフォード大仕込みの英語が生きたようだ。

 ところで首相の言う「友愛」は、仏語のFraternite(フラタナティ)が由来だそうで、
フランス革命のスローガンで、国際社会では理解の速い理念だろう。
問題は、鳩山外交の具体策をどう行動で示すかである。

(M.N) 

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