- 2008年5月15日 19:24
本日は、当社前を通っている「中原街道」について。
中原街道は、江戸時代初期に東海道が開通するまでは、江戸から西へ向かう主要な街道だったそうで、小杉御殿町(徳川将軍家の宿舎があった)・小杉陣屋町などの由緒ありげな地名からも、それがうかがえます。
このエリアの中原街道を見て気がつくのは、丸子橋付近から高津区千年の交差点付近まで、ほぼ一直線であること(江戸時代初期に、小杉御殿の防御上の理由から、西明寺のところだけ「鍵型」に曲げられたのが例外)です。
それと、街道の前方真正面に「富士山」が見えることも大きな特徴で、これも偶然とは思えません。
このような中原街道ですが、実はこの道を誰が、いつごろ造ったのか、はっきりわからないんだそうです。
一説によれば、古代に、当時南関東屈指の寺院であった「影向寺」への参道を、富士山がその背景となるよう、綿密な計画のもとに造ったのだ、という話もあります。
その話の真相はともかく、明治13年の地図(下図)では、すでに現在と同じ道筋になっているので、いずれにしても明治以前に、だれかが計画的に造ったことはまちがいありません。
研究してみると、面白いテーマではないでしょうか。
(てっちゃん)
当社前から見た中原街道(千年方面)。冬の晴れた日などには、真正面に富士山が
くっきりと見えます。
明治13年の陸軍参謀本部陸地測量部作成の地図。だいたい今の武蔵中原駅周辺か
ら高津区千年の交差点付近まで。街道に面して人家(■印)がほとんどないのがわかります。
もちろん、武蔵中原駅も富士通さんもありません。
現在の同じエリアの地図。周辺の様子や道幅は大きく変わりましたが、中原街道の一直線の道筋は、基本的に同じです。