市内の宮前区から高津区を通って
多摩川に流入している平瀬川という川があります。
江戸時代にこの川から今の中原区へ
農業用水を引くために「中原堰」と呼ばれる施設が
現在の溝の口駅から約200mのところに作られました。
ここから取水された用水は新城、下小田中、上小田中
の農地を潤しましたが、水田の減少と共に川も荒廃し
やがて姿を消しました。
近年、川崎市はこの上に駐輪場を計画しましたが
この堰の保存を要望する郷土愛好家のグループの声に応えて
堰を壊さずにそのまま埋め戻してその上に説明板を設置し
今月23日にそのお披露目式がありました。
当社では昨年行われた取水口の遺構の発掘調査や
説明板に載っている当時の堰の様子を描いた絵図の作成に
協力させていただきました。
堰は高津にあるのですが
大正時代には中原の人々の手により
立派なコンクリート製のものに改築されました。
側壁に埋められていた、当時の中原村の村長はじめ
5人の中原の建設委員の名が刻まれた石版を見ると
地元へ命の水を引き込むために費やしたであろう
様々な労苦を想像することができます。
(社長)
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