神奈川県知事の松沢成文氏の著書『破天荒力』が映画化され
この度公開されましたが当社も出資の協力をさせていただき
製作委員会に名前を連ねました。
原作は明治初期から箱根の開発に尽力した実業家や
彼らに影響を与えた福沢諭吉などの足跡を描いたものです。
私はこの映画にも登場する、日本最古のクラシックホテルである
箱根の富士屋ホテルの創業者の山口仙之助を始めとする一族の年代記を
仙之助のひ孫にあたる山口由美が著した「箱根富士屋ホテル物語」を
たまたま昨年読み終えたところでした。
「明治初期に仙之助が岩倉使節団とアメリカに渡った」と書かれている
ホテルの80年史に著者が興味を持ち、その真偽を確かめるところから
「富士屋ホテル物語」の方は始まりますが
アメリカに渡り、皿洗いをして苦学したという仙之助が
帰国後慶応義塾の門をたたき、ここで福沢諭吉との接点がまず見えてきます。
諭吉は湯治でたびたび箱根に通い、新道の開発を主張していたことが
当時の県知事への手紙の中に認められます。
仙之助は明治11年に宮ノ下に富士屋ホテルを創業し
明治20年には多額の資金をつぎ込み
塔乃沢から宮ノ下までの道路を切り開きました。
そして道路の通行料を取り借金の返済にあて
今の有料道路の原型を作ったと言われています。
また日光の老舗の金谷ホテルから来た養子の正造も
若いときにアメリカのサンフランシスコからさらにロンドンに渡り
ヨーロッパに紹介されたばかりの柔道の学校を開いて成功して
11も部屋がある屋敷に住み6人の使用人を雇うまでになり
現地の女性と恋に落ち結婚まで考えるのですが
結局8年後に帰国して仙之助の長女と一緒になり
箱根で新しい人生を踏み出します。
その後時代は移り、太平洋戦争直後にはアメリカに接収されて
ホテルは昭和29年まで進駐軍の専用施設になっていました。
また一族の内紛から株が横井英樹氏の手に渡るところを
小佐野賢治氏に援助を仰ぎ切り抜けるなど色々な紆余曲折があり
現在ホテルの所有は山口家の手を離れています。
私はこの本を読んだ直後、明治から戦後までこのホテルを中心とした
壮大なクロニクルを映画にしたらさぞ面白いものができるのでは
と一人想像しました。
今回上映された映画は私の考えていたものとは少し違うものでしたが
神奈川県には「私」を薄くして「公」のために尽くす
破天荒な生き方をした先人たちがいてその高い志を少しでも受け継いでいきたい
と願う松沢知事に私も強い共感を覚えました。
(社長)
箱根宮ノ下・富士屋ホテル
|